【24形】24系スレ【25形】 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
世代や個人的好みによるから
喧嘩したいわけじゃないけど、
ブルトレがピーク時の機関車だったPは
どうしても野暮ったいんだよね
非貫通+塗り分け+飾り帯アリという顔が…
単色のEF81は野暮ったく感じないから不思議
PFの顔つきのほうが颯爽としてて若々しい
ピークを過ぎて凋落が始まるという
さいごの徒花みたいなところも
PFが好きな原因かも。 >>130
それは保守修繕管理部門のなせる技だね。昭和40年代後半〜50年前半の車両はどうしようもない。PF後期とか
183系、50系なんか最たるもの。381や301みたいに例外もあるけど おれ、PFの最後期(汽笛カバー・スノープロウなし、PS22)が一番好きな見た目なんだよなぁ。
あと、64-1000も好きだ 65PFはPS22Bが似合うが、寒冷地装備の省略は悲しい。
(中期が好き) 富士やはやぶさが25形に変わった当初はEF65P形が牽引していたけど結構似合ってたよね。
博多あさかぜが25形化されたのとEF65がPFに交代したのは同時ではなかったかな?
あとED73との組み合わせもなかなか良かった。 >>136
博多あさかぜが25形化されたのは昭和53年の1月
EF65がPFに交代したのは同じ年の7月から10月1の改正まで順次 オロハネ24 501,オロネ24 501,スシ24 506には、引き取り手が現れて欲しいな。 改造車や復元車のほうを
珍重あるいは有難がって残したがり、
主力系列のオリジナルが存在してても
それはないがしろにして残さない。
(例:主力だった大阪市電1701系列の車は
一両も公式保存車なく、市電保存館には
復元車ばっかり。しかもそれらは
単なる旧状復元でなく別種車からの改造復元)
長期活躍した車両ならば車両で、
人々の記憶にある末期の姿を大切にせず
製造当時の姿に安易に復元したがる。
(例:京都市営が綺麗に保管していた
末期姿のN電を、梅小路動態の際に
明治村や静態車で多数ある明治期姿に
安易に復元、末期姿で綺麗なのは
もはやオレンジエンパイアの車しかない)
例示が路面電車に偏ってしまったが、
日本人の特徴だわ。 オハネ25 229・231・238が岩原スキー場前に並ぶなら、それもアリかな? 9/2の北斗星用24系NN廃回
カニ24-508+カニ24-506+オロハネ24-501+オロネ24-501+オロハネ24-552+オロハネ24+553+オハネフ25-214+オロネ25-505+オハネフ25-215 >>143
スハ43がガタ来てるっぽいが…あっちの方が丈夫? >>145
守門の10系はもっとヤバいみたい
来シーズンに大雪降ったら潰れるかも 10系は35・43系より先に全面撤退したもんな
流れを汲む20系も似た様なものだな 南シナに3両残ってましたけどね。うち2両は90年代まで車籍あった。
ハザだって山陰でちゃんと最後まで残ってたし、57.11まで寝台は使ってたからな。言うほどでもない それで小田急9000・5200も悩まされたんだよな
(8000は201系並みに対策をとった) >>148
品川のはナハフは80年代から控え車代用じゃん >>150
8000は業界初のユニット式一段下降窓だと聞いた気がする。 スレ違いの話題に便乗して恐縮なんだけど、
関西の私鉄(近鉄・阪急・南海)だと小田急9000・5200登場以前から
下降窓を採用していて、それが原因で車体劣化による廃車とか聞かないどころか
未だ現役の車両もあるけど、何が違うんだろう。 軽量設計(+下降窓)がよくなかったんじゃないの?
それらのほうは頑丈なフル鋼製車だよね。 >>151
確かコヤ90と組んで居たよね?
出番は有ったのだろうか…? だから下降窓、10系でもハネの通路側だけだろ。だからそれだけが理由じゃない
下降窓、急行サロが腐らせて有名だからだろうけど、あのサロも対策したんだよな。だからそのままでもよかったんだけど
念のためユニット窓にしたから悪者になったね
>>151
控車の上に代用なのかw
>>156
小回で使ってたろ。80年代は普通に走ってた 10系ハネは寝台側も下降窓じゃないの
通路側とは形状は異なるけど ナハ10系は上昇窓だけど
夏暑くて冬寒いのが嫌われたよね。 結局、台車を振り替えたオハ47最強…って事か。
*確か、スハフ42は振り替えなかったよね? >>153
水抜き穴の設計自体に起因する問題や、入場時の水抜き穴清掃・腐食箇所手入れの頻度の問題
阪急の入場時の写真を見るとよく分かるが、腰板部はほぼ塗装剥離していることからも分かる
もっとも、初期張殻構造車は脆弱で、京阪2000の2600への車体流用時は、二段窓にもかかわらず骨組部以外の腰板を張り替えている
(そこまで補修する必要があったからこそ、改造でなく、車籍上廃車→代替新造としたんだろうけど) 然し阪急2000(2300)は 長生き だったな
小田急3000や東急5000を尻目に 中庸 を貫いた事が功を奏した >>146
守門の10系はもう宿泊不可なんだっけ?
20年くらい前の夏休みに友人と二人で泊まりに行ったけど、他に宿泊者がいなくて貸切状態だった。 >>100
24型の品川転属の時はカニがいっしょに移って
カヤは向日町残留
55-10でカヤは青森に集結するが
24型の半分はあけぼの用に秋田へ移動
57-11でカヤの一部は宮原へ
荷物搭載量の関係でいつもすれ違いだった >>166
つるぎと日本海(季節)が25形化されたとき、一本の銀帯が揃ったじゃないか >>166
関西〜九州の25形はカヤどころか時たまカニ25の場合もちょくちょくあったね。
20系のマヤ20と違ってカニ25は本務電源車としても使えたからね。
>>167
それと安芸も25形になって以降オール銀帯の場合が多かった気がする。
EF58の車体載せ替え世代という超オンボロ機関車と最新鋭の客車という組合せが味があった。
日本海はオール銀帯でカニが100台充当の場合もよくあったな。 >>168
安芸は短期間だったから置き換え後、純血25形100番台だったな
あれが最後の呉線経由の長距離列車になってしまったんだが
それに乗って下関まで付き合った俺も余程だw
残念ながら呉線走行中の記憶はない・・・
下関で後続の富士、あさかぜを撮ったが、EF65は確かまだP型じゃなかったかな >>169
東京発着のPF化は77年のあさかぜ3/2、瀬戸の25型化からですね(いなば+紀伊除く)
大阪発着は80年の25型最終増備時までずれこみました
ただ、58→PFの効果は大きく、姫路以東でラッシュに突っ込むとはいえ、改正前583系上りなはと改正後25型明星6号は起終点をほぼ同タイムで運転しています。 東京発着のP→PF化は1978年(昭和53年)7月28日から >>171
78年なら記憶と一致する、ありがとね(>>170も) >>167
カヤのお話ね
なかなか白帯が揃わなかったということ
銀帯が揃った編成なら珍しくない
宮原日本海のほかに下関あさかぜ、瀬戸
55-10以降の向日町もカニ25以外は銀一本 趣味視点が亜流だけど
酉車末期の「銀テープ」帯車が
編成で揃ったことあっただろうか?
(短編成の団臨などを全て含む) >>23
>24系24形はたった1年強しか東海道を走っていなかった薄幸の車両だよなw
編成単位
オロネ24-1〜5・7〜9・101 1988〜2012 日本海
オハネ24-1〜67(除く8・10〜12・14・17・24・28・31・34・40・42・53・62) 1988〜2012 日本海
車両単位
オシ24-1〜5・701〜705 1973〜2006 あさかぜ・出雲
オシ24-101〜105 1973〜1997 はやぶさ・富士
カヤ24-1〜10 1974〜2003 銀河・日本海・つるぎ
オハ24-701〜705 1985〜2005 はやぶさ・富士
オロネ24-6・102・103 1986〜2008 銀河
オハネ24-701〜703 1986〜2000 あさかぜ
邪道?
スシ24-1〜3 1988〜2015 トワイライト
オハ24-301〜303 1990〜2005 なは しかし25形が多数廃車になる中、製造42年を経た現在も一部がしぶとく残存中。
花形東海道・九州運用を25形に短期間で追われに追われたが、寒い東北の田舎で地味に末永く長生きできたある意味勝ち組車両。 熊本の元オロネ25や尾久のは放置プレーでまだ残ってんか? 熊本のはオロネ15-3000け?
マレーシアに渡ったのはいいが現在放置プレイ。
日田の元氣の駅にも保存されとる また二両郡山に廃車回送されたな、東スシは初か。
廃止から6年、まだ熊本に残存かよ(-.-;)
キハネフもだよな、九州はいつになったら全車両小倉に送るんだ?(-o-;) はあ?証拠あんの?
上で書いたじゃん。熊本にはとうにねえよ 吉野家の鮭朝定食を食べるとオシで瀬戸内海見ながら食べた朝食思い出す。
結構近いものがあると思うよw >>179
熊本所属の寝台車は、昨年の1月か2月頃に最後の廃車回送が行われてるよ。
それに比べて尾久のオロネとオシはしぶといよな。
出雲が廃止されて9年も経つのに、いまだに解体されてないんだから。
ここまで残したのなら整備して、大宮の鉄博に保存してほしいものだわ。 北海道の現状を考えると、マヤ34 2004を保存するのも一法かと思ったら、解体されたとかorz 熊本にはもう元ASO1962のキハ58しか置いてないよ
九州各地に放置されてた485だの475/717だのPCだのはとっくに潰された 九州では既に消滅か。
こちら東北ではコンスタントに長野に廃回中で、昨日は珍しく秋田に回送で海外譲渡のようだ。
残りも僅かなようだし、東北からも消滅秒読みだな。 稼働供用中の国鉄型開放ハネに乗れるのは
泣いても笑っても
既に先の見えてる「はまなす」だけか。
最後に1回だけ乗りに行きたいが
今の平日でもずっと満席状態なのですか? >>186
はまなすスレで聞いた方が
まあ2両か3両しか無いからねえ 廃止発表後の寝台系現役列車スレは
キチコテとそいつを煽る側が延々と居座ってるので
マトモじゃないんですよ。
このスレならおなじ思いで行動する(した)
先人方がいると思いました すでに「大抵の日は△」なのか…
ということは経験上
下段はキャン待ち状態がデフォだわそれ
レスThx 秋田港に追加でアオ24系廃車回送。
これでアオの全車両消滅か。
コンゴって国に行くらしいが、国柄からして数年で老朽化による故障から放置プレーになりそうだな。 昭和57年改正で上野で見たのが10系寝台見た最後だったけど
当時まだせいぜい20年ちょっとの車齢なんだよな。車内デコラなんか
黄ばんでて外板はボコボコでよくこれに寝台料金払う気になるな
と思ったw 24系で車齢20年というと2000年くらいか。北斗星の奴
などは外板の一部が剥がれてたりしてボロボロだったけどまだマシだった。
あれからまたさらに15年走ったんだよな。 コンゴだけに… 今後も使うでしょう
ダムダムダムダムダムダム
湘爆描いた漫画家の名前忘れた 秋田港に配給された24系2陣の編成を
教えてください。 アオの廃車回送完了。
どうしてもまた営業運転を見たい乗りたい人は、危険な国コンゴを訪れよ〜 どっちのコンゴでも日本的平和ボケ安全当たり前感覚で行けば酷い目に合う治安状況だな 秋田港行ってきた
壮観だったが泣けた
風が強くてスマホで撮って帰宅
余裕があればまた撮りにいくよ
http://imepic.jp/20151129/318700 >>207
電源車も含まれてるんだな。
カニが海外へ渡るのは初じゃないか? ミャンマーに既にコヒから500番台が譲渡されている。
西の元あさかぜ・日本海・銀河用はインドネシアに売却されたんか? インドネシアに中古客車輸出とは聞いてないな、やってもトンネルの建築限界が合わなそう。 インドネシアは自国で優等列車の客車も製造しているのでないと思う 西の海外譲渡はけっこうな両だったのに、じゃあどこにいったんだろ?
ミャンマーとフィリピンしかブルトレ客車の情報無いしな EF81と一体どこに譲渡されんだ?
秋田港は24系の初期から最終型まで様々な形態が一同に見れて、さながら24系の最初で最後の専門博物館ってとこか
無くなる前にブレトレ国鉄大好きオタ連中は金かけても見に行く価値あるんじゃねえか 結局、秋田港にいるコンゴ譲渡予定の24系ってどうなったんだ? ヲタ雑誌によれば、秋田港に留置されている24系の譲渡先はコンゴ民主共和国
ではなく、南アフリカなのか? 24系と言うと25形はトワイライトエクスプレスと北斗星に充当された分知名度は24形より上だろうなw 尾久に残ってるのって春まで廃回とかはやらないのかな?
ブレーキの凍結防止とかで電源車がないと動かせない?
(北斗星定期最終後、北車をサウに戻す際
北の電源車を持ってきたのはその為と雑誌に出てたけど) ごめんミスった
>>222
ゴルフ場らしい
>>227
床下機器全般、ただ長野ごときで使えなくなるとは思えないな
あさかぜオシロネとともに尾久で眠ってるのが一番だと思うけどな ピクの通巻791に出ている車歴表を見ると、オハネ2535〜38の1986年年度末の配置が品川になってる。
オハネ2535・36は「出雲」末期まで金帯折戸で走っていたのは、あっちこっちに写真が残ってるので知ってるのだが、原形の銀帯のまま、「あさかぜ」や「出雲」へ入ったことはあるの?
それとも青森・秋田からの転属と同時に金帯化されてて、銀帯で品川車の運用に入ったことは無い?
「あさかぜ」の金帯化が1986.12で、微妙な時期に転属して来ているので、どなたかご存知でしたらご教示頂きたく。
(少なくとも、1984年度末に一時的に品川配置だったオハネ2538は、銀帯で品川の運用に入っていそうな気もするけど…) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています