【24形】24系スレ【25形】 [転載禁止]©2ch.net
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>>231
61年11月改正前後に当該の4両は転属、11月29日からあさかぜ1号で金帯車運用始めてるから本当に微妙
改造車はあさかぜへの投入優先だったから入場前なら出雲の運用で銀帯のまま使ったかもしれんが オハネ25 229・231・238は譲渡?
海外ではB開放が一番、戦力になりそう…。 明日ぼろなす最終出発で43年にも渡る24系の長い長い歴史に終止符が打たれる
まぁ24系っても更にボロボロなオハネ14改造車と、キハネフに改造されたオハネフ25-200だし、実質1両連結されるオハネ25のことだけだな
侘しいさよなら運転だ 最終「はまなす」に連結されてたのはオハネ24 503かな?
ニュースで番号は確認出来なかったけど側面のボロさ加減が(ry 20系客車もそうだが電源車がデッドスペースになって客室が減少するデメリットも潜在したのでは?
14系客車は6両に1両の割合で発電エンジンが来るようにしてたが五月蠅い上に長大編成だとメンテが大変だった 20系出た時は専従の運転員がいたくらいディーゼルエンジンのトラブルはあったらしいからいきなり床下に置くなんて発想はなかっただろうなあ >>236
実際の状態がそうだとしても、
車種を愛する人間なら
そんな貶めた4文字は使わない。 12系を含め、基本的に
座席→6両に1台
寝台→5両に1台
お座敷・北海道→4両に1台
だが、
西・九→余分なエンジンを停止
東・北→全て運転
が不文律だった。
国鉄は全国に標準形を投入したが、その使われ方には昔から地域差が有ったみたいね。 >>240
> 床下に置くなんて発想はなかっただろうなあ
エンジンが大きくて床下に置けなかったから電源車を造ったんだよ。 20系電源車のDMF31エンジンと同系列で床下に積んだ43000とかキハ60は横型で1基だから
20系とか24系のDMF31の発電ユニットはでかかった。あれは床下には無理
後年カニ24は、スハフの床下と同系列エンジンを縦型にした換装車でてきたけど、あれは小さかったな。
半室展望車にでもすればいいくらいのスペースあった。まぁカハフがそれやったんだけど 東の更新は産業用パッケージ電源だから、DMF15-Gとは別物。 >>236
おいボケナス!他スレでも荒らしてただろう? 発電エンジンをガスタービンにすれば小型且つ高出力に出来たがとんでもなく五月蠅くなってたはず
自動車の移動電源車はガスタービンのやつがある キハ391を川越線で試したら、振動が酷く、保線屋泣かせだったと聞く。 カニ24 112(尾久)が、九州のB開放と組んで運転された、貨物にスジを譲る直前の「あさかぜ81・82号」は衝撃だった。 東京〜九州の方は
九州の車だけで単独?それとも電源車を他の列車に併結とか? 1本だけ仕立てて隔日運行だったのかも
初日は下りで 九州の24系を使用した臨時あさかぜのカニ24が故障して東のカニ24に入れ換えた事もあったね。 カニカニトワイライトは記憶に新しいけど、東の技能員が添乗したのかな?
エンジン点検のマニュアルを渡しっ放しとか、有り得ないし。 自分が遭遇したやつだと下り「はやぶさ」のカニが故障したのか、品川の「あさかぜ」用金帯車になっていた事があった。九州のカニは非連結。
返却時は上り「はやぶさ」の最後尾に連結されてカニカニ状態だった。たしか昔の鉄道ファンにも載ってたと思う。 一度根府川で撮った時、富士orさくぶさの最後尾カニが赤円盤だった。
恐らくは故障だが、乗客は新幹線振替か? 尾久カニ全車長野送りで動態保存の目は完全に潰えた… トワイライトに銀帯や白帯の電源車入ったこともあったからな ふと思ったんだが、いま解体待ち含めて何両の24/14系寝台車が日本全国に残ってる?
はまなすカーペットもカシオペアもトワイライトも含めて全寝台車を九州に持って行けないか?
車両基地か駅にでも停めて、避難所代わりに使う分には雨風しのげるだろ。
どうせ使ってないなら有効に使って欲しいな。 鹿児島本線が台風で不通になった時、運休になった「はやぶさ」「なは」編成が西鹿児島駅で朝まで宿泊所として使用された事を思い出したわ。 >>175
カヤ24は実はトワイライトエクスプレスにも連結されていたことがある 保存車はスハネ25 503とオハネフ25 216かな >>261
この間ヨドバシのパズルコーナーで売ってた
ブルトレヘッドマークパズルに載ってた富士は
66の次が金帯カニでその後ろは
何時もの銀帯だった。 24系24形は東海道ブルトレに使われていた事を知らない人間は多い。 25形に関西関東ともに短期間で追われ、とうほぐの北のド田舎に根付いたからな
寒さに滅法弱い関西人(車)がクソ寒い大雪地獄のとうほぐド田舎で結局40年も過ごして、後継25形よりしつこく残ったかんだから、知らないのがいても別にいいんじゃね オハネフ25-2209とオハネフ25-206はこのまま解体かね >>276
どこかで再利用されて欲しい。
例えばたらぎの増結とか。 解体だろw
夢見杉w
引き取られてたら長野行かないわw >>278
>>276の2両は長野へは行ってないと思うぞ。 >>275
向日町を追い出されたのは25型でなく0系のせいだとおもうが >>278
どこに置かれている2両か知ってるよね? >>240
20系の電源車監視員は昭和50年頃に廃止になった >>281
そもそも2000番代で気づかないとだな カニ24 23 って1992年に機関更新工事を施工してるんだけど、帯も機関更新と同時に銀帯から白帯に変えられ
てたのでしょうか?それとも機関更新後も銀帯の時代があってその後に白帯化されたのでしょうか?
ググったらカニ24 25 は1999年の全検時に白帯化、カニ24 116 は1998年の全検時に白帯化、青森所属の銀帯
のオハネ/オハネフ25も1998年前後に白帯化されてたことはわかったのですが、カニ24 23だけ白帯化の時期が
ハッキリしません… カニ24 23の件、自己解決しました
1993年8月に鳥海に組み込まれた白帯のカニ24 23の写真を発見、機関更新時に白帯化されたことが確定しました
EF81 109号機に牽引されて青森を目指す寝台特急「鳥海」 1993/8/7 富根〜二ツ井
ttp://b767-281.cocolog-nifty.com/blog/images/2015/11/22/ef81_109_930807.jpg
ttp://b767-281.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/2014-13-hm3-p-1.html
その他の当時の写真も全て白帯でした
ttp://stat.ameba.jp/user_images/20121215/16/umeki6270/ec/5e/j/o0800050912331145731.jpg
ttp://blog-imgs-36.fc2.com/a/k/e/akebonoroman/3010.jpg
ttp://www.iris.dti.ne.jp/~nishi-ko/24kei-hakuturu.jpg
ttp://blogs.c.yimg.jp/res/blog-23-c5/umenanbu/folder/556292/30/9724630/img_0
ttp://blogs.c.yimg.jp/res/blog-74-94/keihin205forhigashijujo/folder/975554/67/20970167/img_3?1224253352
ttp://www.geocities.jp/silkroad_ocean_4850/pictures/hakutsuru/DSC021123_045.JPG カニ24 23はマーク周りの白枠部分が大きすぎなんだよな
元々の白枠サイズだったら良かったのに 青森のカニで最初に大きく外観が変わったのが23
青森の0番台のカニは23と25の2両だけで、23の機関更新工事施工で原型は25だけになったかと思ってたら、25がその後
23よりはるかに斜め上の外観に変わって行き、目が点になった記憶がある
結局引退場面で原型に最も近かったのは、0番台でも100番台でもなく、寒冷地向け改造の511だったのは興味深い しかし外見の原形視点では
俺はどうしても金帯車よりは白帯車
必然的に23になったわ。
そういう意味では白枠のサイズは気にならなかった カニ24の0番台は最終「銀河」に使われてたカニ24 11が好きだったな。帯は銀テープ化されてたけど。 屋根と側面が原形とは大きく異なる機関更新車を最も原形に近いと言っちゃうのか… >>295
言いたいことは理解できるが
それは人によるだろ。
・0番台車
・非金帯車
・ヒゲ残存
・テール白枠残存
↑この時点で既に23しかなかったからね。
100番台車なら116の一択。 銀帯=白帯という価値観ならそうかもね
原「形」に近いかどうかという視点で連結相手にあわせただけの帯の色だけの変更よりも、構体そのものの
変更の程度に重きをおいてるものでね
まあ、主観の話でしかないのでこれ以上はやめておきます 298は俺個人の主観な
別に押し付けてるわけじゃないよ
貴方も俺も言うように人それぞれなだけ カニ100番台の貫通扉は、一体何の必要性から設置されたんだろうな
新幹線の右マスコン、左ブレーキみたいにいろいろ説があるが、誰か真実知らんかね? >>302
オハネフ25 100番台と同じ形にすることで
製造工程の手間を減らしコストを下げるためって話を
昔の鉄道雑誌に書いてあったな 推進回送の装置接続関係かと思ったが、新生当時は上野口運用はなかった >>302
100番代は0番代とは異なり両エンドで給電可能になってる 貫通扉の両脇に小さな手すりがついてるが、形状はどう見ても係員が車両間を乗り移るためのものだな
外から開けられる鍵穴があったが、後に腐食防止のためにかなりの車両で埋められてる 真実は知らんけど、あれだけの両数だけなら扉つけてオハネフと同じものにして
もコスト下がらんと思うが…
貫通つけてそちら側でも給電可能にしたってことは、方転無しで使おうとして
たか、編成の中でも使おうとしたかで、なにが繋げようとしてたとしか。
将来急行運用に回されたとき郵便や荷物車に給電とか考えてたかも 単純だよ
逆向きで連結可能になったから
どんなイレギュラーでも(仮にカニ1両だけ逆向きでも)
走行中に万が一、中へ入れるようにだよ >>308
カニ24-100番代と同時期に造られたオハネフ25-100番代は、お前が言ってることとは真逆で、0番代まで方転可能
だったものが不可能になったわけだが? >>308
>逆向きで連結可能になったから
なってません >>309
嵩からお前呼ばわりする奴には謝りませんので悪しからず >>312
お前はこんなクソ掲示板はあわないからどこかの仲良し掲示板にでも行っておけ。 バカスwww
>単純だよ
>単純だよ
>単純だよ
>単純だよ
>単純だよ オハネフ25 100番台とか
もう特急としての優美さの欠片もないよな
殿様あさかぜをオールB寝台ノー食堂で最後尾をナハネフ23にして上に
それを定期化してしまう愚かさというか
まあ当時の国鉄はもう末期だったんだろうけど
そこまで合理化したいなら
いっそオハフ50の様に両端に乗務員室設けた設計でも良かったわな
電源車も造らず、車軸発電で賄うエコノミー客車でも
造ってろって話 >>317
オハネフ25 100番台の無機質な妻面倒だから見ると
50系の様にもう両エンド車掌室でも良かったかもな >>317
>>320
実用本位の普通車ならいいが、特急寝台でそれをやると定員が減る。
といっても2名か4名だが、両面車掌室にする必要もなかろう。
>特急としての優美さの欠片もないよな
当時のヲタ話
24系25型0までは20系までの優美さは無いものの、特急らしいスマートさはあった。
そこに平面顔の25-100が出たものだから、なんだよあれは、となった。
また、寝台側の窓の天地が縮小され(寝台自動昇降装置省略のため)、余計にみっともなく感じた。
何となくインドあたりの客車をイメージさせるものだった。
長文すまん 設計者は2段化に伴う定員減を如何に最小限に出来るかに腐心し、片方のトイレを枕木方向にしてまでして定員を
確保しようとしたのに「50系の様にもう両エンド車掌室でも良かったかも」とか、あまりに浅はか過ぎて草生えるわw 切妻無機質のオハネフ25-100
独房オロネ25
食堂車は新製無しでオシ24と改造オシ14
あの頃の東京ブルトレは全く魅力がなかったが、
それでも食堂車や個室があるだけで
東北ブルトレや関西ブルトレより豪華に見えた不思議 昭和30年代の20系は画期的な寝台列車にしようと、あらゆる面で国鉄技術陣と車両メーカーが開発に奮闘した
だが昭和40年代になると製造される20系も簡素化が施され、合理化もプラスされてそれが25形まで続く
経済成長が続き大量輸送問題、労使問題、台頭した航空機との競争等あったものの、僅か10年で運んでやるだけで満足だろお客よ?みたいなこんな劣化現象が起きる国鉄という組織が実に何とも言えんなあ 東京発着だけヘッドマーク付いてた期間があったからね。
1975年〜1984年くらいだっけ? 東京の25形は銀帯の中に白帯オシとか統一性が無かったが、
どうせなら電源車は新製しないで旧客改造、
食堂車も各地で留置されて色褪せてたキサシやサシ、サハシの改造で賄って
凸凹編成好きにアピールして欲しかった >>327
東京発着だから付いてたんじゃなくて、東京機関区の特急運用だけ付けてたはず。
だから踊り子 や サロン〜そよかぜ にも付いてたと記憶してるんだが。 >>328
関西ブルトレでは寝台車が25形で電源車はカヤ24がなかばデフォだったし東北では逆に寝台車は24系で電源車がカニ24というパターンが多かった。
あとはやぶさ、富士、出雲で1年だけ24形時代があったが電源車はカニ24だったはず。
>>329
設定当初は東京機関区運用でなかった(確か浜松のEF58が担当?)いなば(→出雲)+紀伊もHMはなかったね。 EF58のブルトレ牽引は
65にない魅力も認めるが
なんか遜色特急な感じがしてしまう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています