【分散電源方式】国鉄12系・14系客車 [転載禁止]©2ch.net
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蒸気暖房ではなく電気暖房でもなくディーゼルエンジンによる分散電源方式の採用により牽引する機関車がほぼ不問になった
12系急行型客車と14系特急型客車(寝台車/座席車)を語ろうぜ!! 今の流れでNゲージで客レつばさにグリーンと食堂車繋げたくなったが、食堂車はキサシ180塗り替えて済すが、グリーン車はサロ481にしようと思う、余剰車を転用と言うストーリーで wikiの14系寝台車の現状で九州の休車車両が載ってるけど
ググるとマラヤンタイガートレインが出てくるぞ?
情報古すぎねーか?
もう九州には寝台客車残ってないよね? 西日本は新幹線博多開業で余剰になるモハ181系のサロやサシを改造
東日本はつばさ電車化で余剰になるキハ181系のキロやキサシを改造
ってところかな >>288
最新情報だと
北斗星車両が7両で出雲車両が2両の合計9両らしい(いずれも24系) 盛アオ(現盛モリ青森派出)にはもう客車留置も無くなったんだっけ? 名目だけ秋田とか?
(新幹線関連でやや手狭…583は変な位置に置いてあるし) なんかアフリカ向けだったらしいけど
ずっと秋田港に留置されたままとか
引き取った業者がずっと保管料払い続けてるんだと
JRはもう手放したから構内には置いてないよ まだしつこくJR九州のバカがボロ14系寝台車を保有中
廃止から7年も経つが、意味不明な放置プレーで一体どうするつもりなんだ? >>294
おつむ程度が滲み出ている書き込みですねw wikiに保有中と書かれてるのは全部マレーシアに行ってるっぽいぞ
ググるとマラヤンタイガートレインが出てくるし そいえば14系座席車。
大型の荷物置き場?ってあったかな。
夏場ムーンライト山陽に乗ったとき、そこで寝ている猛者もいたがあれは何寝台なんかな。。
ちなみに途中で冷房切られて実に寝苦しかった。簡易リクライニング以上に。 >>298
大丈夫。俺なんか「ちくま」のキハフで 背中合わせになった 座席の 直下で 寝たからw >>297
固定窓の上のほうだけ内側に開くようにしてくんないかなぁ、JR北でやってたよね。 それ特急車の窓とは全然寸法が違うから、思いもよらなかった。
柱から何から富良野・函館山線とは別物(同じ形式に収めたのは国鉄時代と似た様な理由か?) まあ東武はもっとでかい窓開閉出来るように改造してるけど
SL牽引客車の窓開けられるメリットって何? 視点が逆すぎる…
列車の窓って、本来、開くものなんだよ。
そっちが原点。
例外などを省くが、簡単に言うと
車内空調が登場して以降、固定窓車が出てきただけのこと。
近年以降は「コトナカレ主義(運輸機関側)+dqnの増加(一般人側)+訴訟型社会化(社会全体)」
これによって固定窓車が飛躍的に増えた。 >>306
そんなこと言ったって14系客車はデフォで密閉なんだから
それを改造する理由ないし 社会の窓って誰が言い出したのか、死語になりつつある 20系や151系、81系の頃の国鉄は
騒音となる発電機などを
電源車やボンネットに集約して
客室の静寂になるべく保とうと工夫したのに
14系の頃はそんなサービス精神は皆無に >>307
はい?
俺は305の「SL牽引客車の窓開けられるメリットって何?」に反応しただけなんだが? >>309
20系は静粛性気にしてるけど、151とかキハは床下にモータやエンジンあるだろ。冷房機だって大きな音がする
それらによる騒音より、速達性や客室の環境を優先したんでしょ。それだってサービスだから
まぁ14系のハザはともかくハネを床下エンジンにしたのは国鉄の都合だろうけど そいえば、夏の帰省に定番で使ってた12系臨時急行は大阪駅。
車内に入るとたいてい20℃からそれ以下という寒さw
対して58系気動車の方は「冷房車です」くらいで(しかし今の省エネ冷房より涼しい感じ)
同じAU13クーラーでも発電機の仕様なのかな?
キハの方が個数多いのに。 4VKとDMF15-Gでは出力に違いが…2倍じゃ済まないと思う 12系の側面行先表示幕の内容って、東日本バージョンと西日本バージョンの
2種類あったの知っとるけ?
配置基地によって違えていた。東京、上野、大阪、青森、博多みたいな
大駅はどっちにも収録されてるが、会津若松は西には無く、若狭高浜は東には
無いみたいな。
国鉄時代の話。JR化後は知らない。
14系座は東西の違いは無し。 12系とか14系座席車の緩急車は
エンジン有りと無しの車両があったのに
なぜ14系寝台車の緩急車は全てエンジン付設計にしたのかな? >>318
寝台車にはオシという電気食う車両があるからじゃね? >>317
なんで自分が知らなかったことは他人も知らない思うのか・・ >>318
スハフ14は発電セット1基で6両給電できるけど、スハネフ14は5両給電。食堂車が入るとさらに−1両の4両給電。
当時の東海道ブルトレは14両編成で分割して7両。7両だと2基必要
発電セットが故障しても負荷減らして他から給電できたから予備的な意味もあるね オハフ13って絶滅済?
もしそうなら最後まで居たのはどこの車? >>322
wikiだと、和ワカのオハフ13 27が2007年度に廃車になってるな。これが最後。 >>321
だったらスハネフ14も6両給電にすれば、
騒音を少しは解消できたかな
それと、さくら、みずほは、8両と6両だったよね
8両の方は食堂車があるから仕方ないとして、
6両の方は片方だけでもオハネフ15(仮名)で
いけたんじゃないかと もっと言えば、さくら、みずほみたいな
分割列車は分割駅までマヤ24みたいな電源車から給電して、
分割後に電源車がなくなる編成だけ
スハネフの発電エンジン始動で良かったんじゃないかな
分割後は昼寝運転なんだし なんでスハネフは5両給電かっつうと、3段ハネ時代の寝台昇降が
電動だからだろ。2段ハネにして上段固定化すれば6両給電
できるにはできるだろうが、だからと言って、その時代に
新たに発電設備なしの緩急車をつくるかね?やるならば
片方のスハネフの発電機止めりゃいんじゃねえの?
でも、片側のスハネフ給電でトラブって、発電してないスハネフの
発電機始動させるのって機関士や車掌じゃ出来ないんだぜ。
だったら信頼性を高めて両端のスハネフ給電でいいんですよ。 基本的に東は全数運転で西は必要数のみ運転
経済観念というか商習慣というか… >>325
14系と24系は電源系統が違うから共用できないんだよ
はまなすで24系が混結されていたのは使えるように改造したから >>327
スハフの連結両数といい関東以北だと発電機故障で冷暖房がダウンするの恐れたろうしね >>328
さくらはやぶさ、カニにスハネフ14が2両でしたけどね。分割併合しない富士も同一編成
あれは、無駄だったよなぁ
はやぶさ富士で15型にしたけど 分散電源方式客車の給電両数は当時想定されていた負荷の総量から逆算して運用上定められてたものであって、
当時の時代背景と製造時期、技術の進展を考慮せずにスハネフの給電を6両にすべきだったと言うのは愚論そのもの
キハ181 .1〜 1968 DMF15H-G 180PS DM82 150kVA AU13S(5,000kcal/h)×4〜6 5両給電
スハフ12 1〜 1969 DMF15H-G 180PS DM82 150kVA AU13A(5,000kcal/h)×5〜6 5両給電、後180kVA化
キハ181 .5〜 1969〜1972 DMF15HS-G 230PS DM82 180kVA AU13S(5,000kcal/h)×4〜6
スハフ12 9〜 1969〜1971 DMF15HS-G 230PS DM82 180kVA AU13A(5,000kcal/h)×5〜6 6両給電対応
スハネフ14 1〜 1971〜1972 DMF15HS-G 230PS DM82 180kVA AU76(15,000kcal/h)×2 3段寝台、汚物処理導入
スハフ14 1〜 1972〜1974 DMF15HZ-G 270PS DM93 210kVA AU13AN(5,000kcal/h)×5〜6 汚物処理負荷考慮
スハフ12 101〜 1977〜1978 DMF15HZ-G 270PS DM93 210kVA AU13AN(5,000kcal/h)×5〜6 汚物処理負荷考慮
高速道路も航空路線もまだまだ整備されておらず、国鉄の輸送力が逼迫していて編成長を最大限に活用して1名
でも多く定員を稼ぎたかった時代に、マヤ24みたいな電源車から給電し分割後に電源車がなくなる編成だけスハ
ネフの発電エンジン始動で良かったんじゃないかとか、あまりにもバカバカしすぎて開いた口が塞がらんわ
その後北陸トンネル列車火災事故で分散電源方式を見直さざるを得なくなったのは国鉄にとって不幸だったがな オハフ13なら、まだやまぐち号用の701(元59?)が残ってる 大分のオハフ13は70が唯一だった
スハフ12もエンジン停止で代用したが、何と言ってもオハ12 1288・1289の風貌が(ry >>335
Thxです、
未改造(近郊改造のみ除外)で稼働していた
オハフ13の最後は、337のおっしゃる
九州だったのでしょうかね? 久大本線は1999年、筑豊本線(50系)は2001年だったと記憶。
やはり、旅情という点では…山陰本線かな?
1000番台にオリジナルが混用されてた。 最後に久大本線に残ってたオハフ13は全検上がりできれいだったな。程なくして廃車されたと思うけど。
座席交換でリクライニングシートになっていたスハフ12はトイレの臭いが車内に漂っていてあまり良い印象はないな〜。スハフはたまにエンストしとったです 背中合わせのスハフ12+オハ12 1000がケツとか素晴らしい(?)編成が多かった
オハフ13 70はレチ氏が日田や大分どころか豊後森の到着放送でもハイケンス♪を流してくれたなぁ… そいえば、12系は洗面所に冷水器があったのと無かったのがあった希ガス。
58系気動車は例外なく、グリーン車以外は無かった
トイレの「停車中は使用しないでください」も… 12系の緩急車の妻面窓って、
増備車から縦長になりましたけど
設計を変更した理由は何ですか? >>344
スハフ12100(最終製造分)のことなら貫通幌を引き込むのをやめたので変更 >>345
つまり、幌がきれいに収まる場所をやめたから
はみ出て妻窓に干渉するのを事前に避けるために
幅を狭めたということですか? 12系の前にオハネフ25が100番台で外付幌で小窓にしてるんだよな。コスト削減、合理化じゃね
Wikiで50系と一緒って話もあるから、標準幅、外付幌に雨樋が通る50系の窓だと、広幅のハネフや
スハフ12に使うと余計小さく見えるという >>349
やっぱりそうでしたか。自分もオハネフ25-100のことは思ってました
どうもでした。 >>287>>294>>296
RF誌の毎年の奴によると依然スハネフ14 6,11、スハネフ15 2、オロネ15 3001、オハネ15 1102,1246,2004が熊クマの保留車となっているが
オハネフ14 11は門司港の博物館に入ってる(wikipediaには除籍と記載)し
マレーシアに行ったっぽい奴も含まれるが現地の情報も少ないしなんなんだか?
ちなみに熊クマにはもう元あそ1962用の58しか居ない マラヤンタイガートレインでググりなよ。
車番出てくるからさ。 >>355
そりゃそうなんだけど、なぜに車籍が残されているのか?がね(本当に残ってるのかも疑問だが)
車番も外板のものは現地で書き直されてるから車内の遺構で確認…って書いてる人も居て、
別に疑いはしないけど搬出時の記事か何かどこか転がってないかなぁ >>356
ああ、そういうことね。了解
でも車藉簿ってのは古来より
結構テキトーなものらしいじゃん?
蒸機末期だって実車は解体されてるのに
車藉上は生きてるままとか。
近年も、老人の戸籍なんかで
百何十歳で生きたままになってて問題になったり
あったじゃん。 >>356
RF誌は、たぶん受払のみで転がしているからだろうね。
残も確認しないと、報告漏れがあるとこうなる。
自分も、ななつ星の訓練などで7B残っていると
暫く思っていたよ やったー!
大井川のボロ客車もついに引退かぁー
14形化で夏は快適になるので歓迎。 引退じゃなくて旧客を大事にするため平行で使うらしいけど >>359
読解力のない馬鹿
ボロいのはお前の頭じゃん 14系も大鉄入りか。
わしらもそろそろ隠居して大鉄に行こうかね? SL乗るのに窓開かない客車って…という考え方は非鉄の一般人観光客は思わんだろうな。 でもせっかく冷房化してもベンチレーターからすすが入ってくるというwww おい、東武がDE10と12・14系を譲渡してもらうぞ!あとヨ8000もだ どう考えてもこの板で14系が旧客の置き換えなんて思ってるヤツいないから・・ >>369
予備車と言うかローテーションで使う
って方針ですからね。 14系って車齢40年以上だよなあ。
昭和57年常磐線上野口で走っていた客レのほとんどより既に古い。当時は14系はまだまだ若造だった すまん暑さで頭がボケていた
スハフ4オハ2なわけねえか 各列車に1輌以上冷房車を連結するんだとしたら
スハフが来てもお菓子食わない。 需給の関係からスハフをキハに改造する計画とか有ったんだろうか? シュプール&リゾートの14系のバックサインって、『ムーンライト九州』『シュプール白馬栂池』『シュプール妙高志賀』以外に何が入ってた? オハ12がキハ65のTに見える事が有る
実際にスハフ12から改造したキハ65の作例が過去の模型誌に掲載されていた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています