房総を駆け抜けた183系2【ウイングエクスプレス】
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当たり前のように毎日房総を走っていた183系を懐かしもう 房総に観光地としての魅力がないだとーーーヽ(`Д´)ノ
春夏の南房とか、結構良いもの持ってると思うんだけどなぁ。
それ以外のシーズンは、実際に空気輸送であることは否定できんが(´・ω・`)
佐原辺りなんか、シーズン関係なく観光地やん。 例えば地元スポンサーを募って全国花火大会やるとか、もっとB級グルメで町起こしするとか、新たな起爆剤ないの?
つか、飽きられないようにどんどんそう言うものを創り続けなきゃダメなんじゃないん?
一回行ってオシマイじゃあ何回行っても面白いとこにするだろ、誰でも。
俺も十何年房総に行ってないよ、成田山ぐらいだよ毎年行くのは。 >>171
南房総ってすごくいいところだし、俺も大好きだけど(汐鯨食いたいぞ)、
観光型じゃなくて滞在型なんだよね。
それに、現地で足がないと動きようがない。
だからどうしても、電車じゃなくクルマで行こうということになる。
その点、箱根や日光を現地でクルマがなくても一通りまわれるようにした
(そこまでロマンスカーに乗ってもらえるようにした)
小田急や東武はすさすがだと思う。
館山なんか強羅同様、保養地銀座なんだから、もうちょっと小田急型開発ができなかったものかと
思うが、まあ国鉄じゃ無理だっただろうしなあ。 県内最高峰が東京タワー並みの標高で、険しい山がないから、比較的カーブが少ない道路をあちこちに造ることができる。
日光、箱根、伊豆は道路を造る場所が限られる。
尾根伝いの道路は、箱根ターンパイクのように急カーブ連続となる。
だから、日光等はいろは坂のような道路渋滞が起きやすい、ネックが幾つもあり、鉄道の競争力が高い
房総は道路整備が遅れていたから、特急の競争力があった。
南房総まで高速道路が延び、半島縦断して勝浦まで行く道路が整備されたから、特急の競争力が低下した。 観光資源にしても、高い山も火山も温泉もない。
海があるだけ東武東上線沿線よりはましで、茨城とどっこいどっこい。
こりゃ仕方がない。
西武が日光、箱根などの有名観光地に対抗して秩父観光を売り出しているが、横綱に対抗しようとする幕下のようなもの
房総もそれに近い 観光開発なら、
保田で鯨、館山で花畑、行川はナシ、鴨川はラグりん、勝浦は鵜原と勝手丼。
とかでライトレールみたいな手軽に乗れる多数運行の観光列車。
バリアフリーで高齢者が疲れず楽しめる観光地、お泊まりは最近掘り当てた館山温泉で演芸やカラオケ。日帰りさせない工夫が必要だな。
183関係ないわ。 一般に観光はビジネスと異なり、グループで動くことが多いのでマイカー利用の方が安い
しかも首都圏から近いので、運転の疲れも少なくちょうどよいドライブコース
君津まで残されることからも、ターゲットとする客層は観光ではなくビジネスとわかる みんな色々と興味深い考察をありがとう。
言われてみると確かな話だなー。
てか俺も思い返してみると、地元のしおさい以外では
わかしお1回しか乗ったことなかったわw
確かに都心を中心に考えたら、箱根伊豆辺りの方が魅力的だわなー。 >>176
吉高をCMに起用するほどの力の入れっぷりだけどな>秩父
でも、意外というか遅まきながらというか、川越観光は当たったね。
あそこもクルマじゃ動きにくい街だもんな。
交通裁判所があるわりには。 房総特急の企画戦略もほとんど対策を講じてなかったんじゃないのか?
100km強程度でビジネスユースなら、“かいじ切符”(今、あるかどうかわからない)みたく、往復運賃程度で
特急の自由席に乗れるような企画モンを出したりしたのかな?
例えば、平日はホットコーヒー引換券付きとか、休日は家族やグループ使用もOKとかね。 海がなくても、有名寺社ないし歴史的建造物、高い山、温泉があれば有力な観光地。
日光や長野・善光寺平、飛騨高山周辺には、これらが全部そろっている。それに引き換え南房総は・・
大多喜が房総の小京都として売り出しているが、萩、津和野とは比較にならないし。 いっとき問題になった、南房総にある某企業の犯罪的に素晴らしい社員寮に、
友人夫婦と4人で電車で行ったことがあるが、
どうせ183だし向かい合わせにしたらテーブルが使えないと思っていた俺は
意表を突かれた。
なんと、肘掛に小テーブルがしつらえてあるではないか。
千葉局らしからぬ配慮にちょっと感動した。 >>180
川越は旧市街地の中はクルマじゃ動きにくいけど、
観光用の馬鹿でかい駐車場が市街地に隣接してあって
観光バスや車で来てる人多いぞ
電車でも都内からじゃ東上線だ
そう言えば房総の企業とかの保養所って西武の分譲地が多いよな 職場(小岩駅が最寄)の1人が1991年生まれだと聞いたが、その時、
「この御仁は『さざなみ』や『わかしお』が総武線経由だった頃を知らんのだろうな
(仮令3月16日より早く生まれたにせよ)…」
なぞとつい思った。それだけの話だが。 交通裁判所怖ス、市原にあったな交通刑務所。
山梨は需要あるわ、甲府が新宿から100キロあるし。ビジネス需要見込める千葉は快速で45分位か、特急乗らんわ。
いすみ鉄道の社長がアイデア持ってるよ、きっと、多分、もしかしたら。 余りに非現実的な妄想だけど、
もし183系登場当時の東北本線並の速度(表定で90km/h弱)を出してたら、
東京と各列車の終点との間は1時間半以内って計算にはなる。
こうなってたら、もう少しは客も付いてただろうか…。 >>188
客がついてなかったという前提が間違ってる >>188
一時間半を切る、切らないの話になると、じゃあ上野から下りは黒磯以遠は客がつかなかったのか?と言う話になる。
もっと言えば東北新幹線なら上野〜仙台の客はつかない事になる。
大多数の利用者の到達地での滞在目的や滞在時間を調査し「ある壁を破る」ことにより、客の定着や増加を図れる事がある。
一時間半を切ったとすれば、商用や用務などのご用向きの利用者には「半日出張」が出来る列車として支持される。
「ある壁を破る」事で周遊観光が今まで2日かかるところを1日でまわれるようになったとか、飛行場まで行き飛行機に
乗らずとも、駅から鉄道を使っても時間的に同じくらいになり便利になったとかになる。
房総特急の場合はその点、それらの効果が薄いと考えられたんだろうな。 >>190
房総の場合黙ってても夏に海水浴客が集まった時期があるから国鉄も東も電化以外テコ入れ不要と考えていたんだろう 夏の房総ダイヤとかあった頃は、
房総特急も華やかだったよなぁ >>191 房州通ってないが、特急「あやめ」が満席になる時期は、5月〜6月の潮来のあやめ祭りくらいか?
成田線、鹿島線沿線に海水浴場ないし。 路線車両板でも書いたけど、1970年代は夏のレジャーと言えば海水浴という時代だった。
でも今は海水浴に行く人自体が大幅に減った。
房総特急の衰退は道路整備もあるけど、夏のレジャーの変化も大きい。
そういう点ではシュプール号の衰退と似ている。 >>194
とすれば、列車名称も観光客を意識した「さざなみ」「わかしお」は止めて
昔に戻って、「内房」、「外房」でいいんじゃないのか。
その方が行き先がわかりやすいし。 >>193
あっちは昔は釣り需要があった。直通バスが出来るまでは工業地帯に行くのも相応の客がいた。 >>194 夏の海水浴客が対象であれば、特急にしても大半はシーズン時の臨時とし、冬場は上越線等の支援に回せばよい。
定期で多数走らせたのは、オフシーズン時の旅客需要増大を見込んでいたためでは
房総の観光地も、オフシーズン時の観光客誘致が必要と考えていたから、マザー牧場に滑川アイランド、東京ドイツ村、そして首都圏で最も高密度といわれるほどのゴルフ場といった、レジャー施設建設が行われた。
しかし、バブル期が去り少子化する中で、これら房総地区のレジャー施設が伸び悩んだ。
箱根や伊豆のように、通年型のリゾート観光地とはならなかったということだと思う。 >>194 70年代半ば頃、外房はともかく内房の海水浴場は汚い、廃油ボールが砂浜に付着して非衛生的だと言われてたな。
内房でも、富津以遠、館山に近い方でないと、まともな海水浴場がなかった。
東京駅から大網付近の九十九里浜まで行くのと、バス乗り換えの時間を考えてもそう変わらないのでは? 総武快速線開業直後の1973年の特急・急行停車駅 休日ダイヤ
(▲=急行、△は普通列車としての運転区間 ●=特急。蘇我・土気は全て通過)
新宿▲●……………▲…………
秋葉▲●……………▲…………
両国↓↓▲…………↓▲………
東京‖‖‖●●●●‖‖●●●
錦糸▲●▲●●●●▲▲●●●
船橋▲↓▲↓↓↓↓▲▲↓↓↓
千葉▲●▲●●●●▲▲●●●
大網▲●▲↓↓↓↓▲▲↓↓●
茂原▲↓▲●●●●▲▲●●●
一宮▲↓▲●↓●↓▲▲↓↓●
大原▲●▲●↓●●▲▲↓↓●
御宿▲●●↓↓●↓▲▲↓●●
勝浦▲●▲●●●●▲▲●●●
鵜原△↓△↓↓↓↓△△↓↓↓
興津△●△●↓↓●△△↓●↓
行川△●△●↓●↓△△↓↓↓
小湊△●△↓↓●●△△↓●↓
天津△●△↓↓↓●△△↓↓↓
鴨川△●△●●●●△△●●● 総武快速線開業直後の1973年の特急・急行停車駅 休日ダイヤ
(▲=急行、△は普通列車としての運転区間 ●=特急。蘇我・五位・姉ヶ崎・君津は全て通過)
宿▲●…………●…▲………
秋葉▲●…………●…▲………
両国↓↓…▲……↓▲↓………
東京‖‖●‖●●●‖‖●●●
錦糸▲●●▲●●●▲▲●●●
船橋▲↓↓▲↓↓↓▲▲↓↓↓
千葉▲●●▲●●●▲▲●●●
木更▲●●▲●●●▲▲●●●
青堀↓↓↓▲↓↓●↓▲↓●↓
大貫▲●↓↓↓↓↓▲↓↓↓●
佐貫▲●↓▲↓●●▲▲↓↓↓
上湊↓↓●▲↓↓↓↓▲↓↓●
浜金▲●↓▲●●●▲▲●●↓
保田▲↓●↓↓↓↓↓▲↓↓●
勝山↓●↓▲↓●↓↓▲↓↓↓
岩井▲↓↓↓↓↓●▲↓↓↓↓
富浦▲●●↓↓↓↓▲↓↓↓↓
館山▲●●▲●●●▲▲●●●
千倉△●…△…●…△△…●… 15年位前、京葉線の夏ダイヤで東京駅出発基準で
0800・0815臨・0830
と15分おきに特急が設定された記憶がある。
入線時間調べたら、8時前の数分間に京葉1〜3番で
並びが見れたような覚えがあるんだけど・・・見間違え
だったんかなぁ。 >>197
ゴルフ場は内陸が多く最初からバスというケースが多い。 横須賀線と総武本線を直通する料金を必要としない便利な快速がオイシイ区間だけで運転されていたと言う現象は
房総特急にとっては繁栄を妨げた大きな原因の一つではないか?
横須賀線ルートで大船や横浜から集客し、房総の各地へ輸送する役割を快速ではなく特急に依存させるべきだったのでは?
東京駅を挟んで逗子、横須賀までと君津、大原までの距離を場合によっては直通し、100km前後を快速運転させている。
この手のサービスは当時の高崎線、東北本線をはじめ残りの東京4方面では行われていないものです。
この現象が房総特急の繁栄の妨げになってはいないでしょうか?
さらに、内房や外房特急は京葉地下ホームに追いやられ、直通する快速がより重宝されるようになりました。
昨今、東海道本線、東北本線や高崎線ではオイシイ区間だけを100km近く快速運転する列車がたいへん増え、
東北本線や高崎線にあっては、かつての新特急の座は完全に失われた。
仮に中央東線の甲府までこの手の快速列車を走らせたとすれば、中央特急(特にかいじ)もその座を失うこととなる。 >>203 横浜や大船付近の住民は、房総に行くのならアクアライン経由のバスに乗るか、観音崎からフェリーで浜金谷に行く方法を取るのでは。
直通快速は、東京都内で乗客入れ替わるよ。
以下、房総特急衰退の理由まとめ
1 急峻な山岳がない房総地区で、近年、道路整備が進んだため、自動車で観光地に向かう客が増えた。伊豆や箱根のような道路渋滞の原因となるネックも少ない。
2 温泉や高山がほとんどない房総地区は、伊豆、箱根のような通年型リゾートとなりにくかった。
3 将来の年間通じての需要増大を当て込んでいたが、発足当初から房総特急自体が中途半端な存在だった。 >>204
外房線・上総一ノ宮から先の複線化はますます必要なさそうだな。
利用者からすると、もともと東京から短距離の房総に特急は不要と思っていた。
E217直通快速(特快)に置き換えてくれた方がありがたい。 >>204
そもそも、「総武本線の複々線化、東京駅乗り入れ」と「横須賀線東海道線分離」という別の懸案があって
二つくっつけりゃ都合いいじゃんってなっただけだからね
陸地をぐるっと回っていくのが便利な筈がないし >>206
横須賀線は常磐線か高崎線につなげて総武本線は素直に中央線とつないだほうが良かったんだろうな。
錦糸町から御茶ノ水までもう一本複線作れば済んだ。 >>207
どう考えても難易度的に
錦糸町から御茶ノ水までもう一本複線敷設>錦糸町から東京(品川)まで地下線建設じゃね? 土地収用除けば
チュバも千葉テレビでくすぶってないでチュバニャンとか頑張ってみろと >>208
総武緩行線の両脇とかそんなに地価高くないかと。 「すいごう」の設定当初は、全列車両国発着だったが、
これは新宿延長ってわけにはいかなかったんだろうか?
国電のダイヤとの兼ね合いで無理だったとか…? さざなみは東京湾アクアラインのせいで滅多打ちにされたな
今度のダイヤ改正で君津以南廃止とか
あやめも消えるみたい 強電分野は良く知らんが201系以降の中央快速線も容量きつかったんの?。ホームライナーE257は半導体だからフルノッチじゃなきゃ余裕か、5両だけどさ。 房総特急は当初、1〜5号車が指定席だったものが、後年5号車が自由席に変わったとか。
矢張り、事前の想定程には客が付かなかったって事なのか…? >>218
もともと特急が走るなんて想像もできなかった線区だからね
急行のままで185系でも走らせておけばよかった
今でも217系の快速で十分 ななつ星に対抗しておらが丼号とかリゾート路線しかない様な >>219
なるほど、185系の急行なら乗客が増えて今頃安泰だったわけか >>221
房総は伊豆みたいな位置づけだから、185系が適任だっただろうな
まあそれも今は快速化されていると思うけど
というか日本の表定速度100km/hにも満たないような在来線「特急」は
世界的にはすでに時代遅れ
すべて快速に格下げすべき 表定100キロは難しいだろうなぁ、
外国とは違って基本が狭軌だもん。
そう考えると日本の「特急」は新幹線だけになっちゃうわな。 今の房総特急は停車駅が多すぎる!
昔はこんなになかった >>224
それならなおのこと快速で充分だよな
特急のアコモを求める利用者はG車に乗ればいいわけだし 今の有様見てると、183系当時の様子が立派に思えてくる。
上り「わかしお」の1本に、御宿―千葉間ノンストップなんてのがあったり。 >>225
特急に乗れば、ほぼ確実に座れるというのは個人的にはステータス
まぁ快速G車でも良いんだろうけどさw
快速G車って乗ったことないな。 サロ183(千マリ)→サロ110-1300、っていう改造は流石になかっただろうな…。 >>228
サロ110-1300の種は全部幕張所属のサロ183-1000だよ。
もともと新潟所属で「とき」に使われていた車ばかりなので、房総特急として使った期間は僅かだが。 幕張所の津田沼方の引込み線に何年も放置されてた1000番台サロが
改造されたんだったかな・・・。
たしか「すいごう」編成にこれを組み込んで2M3T編成作る構想で転入した
んだけど、ユニットカットしたら総武地下線入れないってことで中止→余剰
車にって話だったと思う。 2M3Tでユニットカットしたら、総武地下線どころかどこも走れなくね? >>231
そんなこと言ったら電車特急は最低でも9両編成ってなっちゃうじゃん、ケースバイケースじゃね?
加越、183系+貴賓車だって4M3Tでしょ、みどりにいたっては冗長性すら考慮できない2M2T。
牽引力が違うが185系ではデフでしょ? >>229
これは失礼、当方の錯覚だった。
まあ、全ての特急の編成が「1ユニットカット」を想定したものかは定かでないが、
特に昭和50年頃からそういう配慮が広がってったらしい。
房総特急の場合、「6M3Tが必要って事にすれば、食堂車無の口実にもなる(中間付随車はGに充てるからと釈明)」
なんて思惑も働いたんじゃないかって気もするけど。 東京地下駅に入るには6M3Tか4M2Tじゃなきゃいけなくて4M3TはNGだって話は俺も聞いたことはあるよ。
113系の6M5TはMT比的にはもっと低いはずだが、3ユニットあるから許されたんだろう。 幕張の放置サロは連番でたしか1006と1007だったかな。
とにかく長い放置で、色も褪せてきて哀れに見えたなぁ。釧路のキサロハほどでは
無かったけど。
その後国鉄最後の幻の特急車両、187系の種車になるのかと思ったんだけど、
最終的には113系編入に落ち着いた。 幕張だとトップナンバーも長いこと放置されてたような クハ183-17が廃車になった時は、運休の列車が出たんだろうか…?
それとも編成に余裕あって、所定のダイヤが維持できた? >>238
クハ183-17は昭和48年11月23日に事故にあったので夏ダイヤとは関係無かったので運用的には余裕があったから房総特急の定期列車運休は無かったよ。代替えのクハ183-39も翌昭和49年2月落成だから冬場の臨時、上信越特急でも得に影響無かったと思う。 房総特急、いや房総の鉄道の黄金時代は183系の現役時代といってもいいからな。 主役に183系を走らせて、
合間に165系急行が補完していたとか胸熱だな >>201
本数少ないし東京から乗れないし房総急行など役立たずだっただろ
補完列車は快速だ わざわざ東京駅の地下深くまで行くより両国で乗り換えた方が楽って思う人も多いだろうし、新宿まで乗り入れしてたし、快速はそもそも途中までしか行かないし。 「さざなみ」「わかしお」の衰退の一因は、京葉線経由に変わった(千葉駅を通らなくなった)事だと思いたい…。
東京駅に関しても、総武線のホームに出入りしてた頃より一層不便になっただろう。 そもそもNEXを運転開始しただけで“さざなみ”“わかしお”を総武から撤退させなければならないほどキャパ不足だったのか?
現行の信号設備や閉塞数のままで、増発のための改良とかしなかったのか? >そもそもNEXを運転開始しただけで“さざなみ”“わかしお”を総武から撤退させなければならないほどキャパ不足だったのか?
当方も、正にこの点が疑問。
「しおさい」「あやめ」「すいごう」とN'EXを東京〜佐倉(成田)間で雁行運転させて、
例えば市川で快速は2本の特急をまとめて待避、みたいな事する余地もあったという気がする。 東京駅がキャパ不足だろうな。
房総特急を両国発着にすれば総武快速線には収まっただろう。
ただし、その場合はさざなみだけでなくわかしおも死んでた可能性は高い。 >> 例えば市川で快速は2本の特急をまとめて待避
京成の無料特急に対抗して空港直通快速を運転しているわけだから、特急二本待避で快速の所要時間を増やすわけにはいかないんでは?
房総特急を東京駅でなく品川発着にしたとしても、品川のキャパが不足するんだろうな。 あんまり退避を増やしすぎると、各停より遅い快速、とかになってまうw
さざなみとわかしおを蘇我で分割併合すればよかったんちゃうかなあ
と思ったりもする。NE'Xと違って手作業で幌をつながないといけないが
東京時点では4M3T×2の重連にすればMT比低くても4ユニットあるからOK。 千葉駅で房総特急乗る客って、そんなにいるのかね?
外房だと安房鴨川まで行くのならともかく、茂原辺りまでしか行かない客は普通か快速に乗るんでは? 一部時間帯だけキャパ不足→その時間帯だけ京葉経由でその他は従来通り総武線経由にすると客混乱→全部京葉経由で
じゃなかったか?わかしお・さざなみ 東京地下駅の在線時間を少なくするため、また、上下線どうし支障させないために渡り線を使わないようにするとか。
そのために、上って来た列車は回送させて品川で折返して、下って行く列車は東京まで回送させてやるとか…。
まぁ、そんな事も考えた結果、京葉線経由にしたんだろうけどさw NEX運転開始の頃って、品川に地下から入れる線路って3線あったっけ? >>253
その頃は島式ホーム一つだけだよ。
レス番がNEXおめ >>246
しおさい・あやめ・すいごうは合わせて1時間に1本程度だけど、さざなみとわかしおは合わせて30分に1本あったからねぇ。
NEXも30分に1本あったから、全部快速線を走らせると1時間に5本の特急が走るようになる。
それではさすがに快速の足も遅くなるだろうし、特急だって快速に追いついてスピードダウンしかねない。
>>250
茂原や木更津あたりだと特急を使わないでも十分だろうけど、安房郡まで下ると
各駅の本数も減るから、場合によっては千葉までだろうが特急を使うという選択肢も
現実的なものだったろう。高速道路も今みたいにできてなかったから、特急が最速だったしね。 時代とともに特急の停車駅が増加しても、船橋には停まってない。
元々急行が停まってただけにちょっと不思議。
まあ、この駅には千葉発着の「あずさ」が停まるようになったが。 今でも千葉以西は錦糸町だけなんだよな。
特急らしいっちゃ特急らしいが、
八街以東がやたらと停まるから何だかなぁ。
昔から八街以東って、あんなに停まってたっけ?
千葉以西は停めても快速需要の方が大きいのだろうな。 >>256
船橋に停まる急行って結構少なかったんだよ
全停になったの最末期 市川とか津田沼とか停まってもおかしくないんだけどね >>255
土休日だけど新宿わかしお/さざなみが船橋停車する。
上総一ノ宮以南は各停本数が少なくなるから結構便利で、いすみ鉄道詣でには
いつも愛用している。 ぶっちゃけ、東京駅総武ホームから乗車、下車することが便利だったかどうかだな。
新宿〜秋葉原〜錦糸町の方が観光客集まるわ、完ぺき。
千葉県民は東京駅始発着の方がよかろうだろうけど。 両国に大江戸線が通るようになったんだし、駅(乗り換えの動線)をちょっといじれば、大江戸線からも総武緩行線からも便利な房総方面への始発駅に使えると思うけどな。
ただし、いまどき房総にJRで行くヤツがどれくらいいるかは知らん。 >>262
東京駅と錦糸町駅で十分
いまどき房総にJRで行くヤツか
外房線北部くらいじゃね? 房総特急に使われたせいで、183系という車両に対する評価も不当に低くなったような…。
確かに、食堂車が最初から存在しない特急車の第1号っていう「汚点」は残したが、
考えようによっては、それも房総に投入されたのが原因と言えなくもなさそうだし。 外房の伊勢エビ、和田浦のクジラ食うのに腹すかしとけと言う配慮、かな、無理に解釈して。 >食堂車が最初から存在しない特急車の第1号
157系の「あまぎ」は? 昭和40年代前半でも、たった2時間台で終点まで着く特急には食堂車なんて不要ということでしょ。 157系は特急にも使われたけど、出生そのものが違うでしょ。
まあ>>265も言葉足りずだけど、食堂車が最初から存在しない「特急用として落成した車両」、とすればわかりやすい。 「ひびき」はあの時代、補完的な特急とはいえ
食堂車なくてよく大阪まで行っていたなあ。
編成中に非貫通先頭車が入ると車販とかも
効率悪かっただろうし…。窓は開くから駅弁は買えるが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています