房総を駆け抜けた183系2【ウイングエクスプレス】
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当たり前のように毎日房総を走っていた183系を懐かしもう 電気釜で貫通型って結局使用機会が非常に少なかったのと隙間風が吹くとかで乗務員に不評で広まらなかったな
国鉄末期に381系や485系で先頭車化改造したのは電気釜で幌剥き出しの簡易貫通型になってて特急マークが平面だった >>117
非貫通しかないの189系だけだから広まったと言えば広まっただろ クハ481-200で自動解結装備が4両いたでしょ、にも拘わらずそれが普及しない時点で貫通形は失敗よw
クハ183-0も地下区間の非常口としての機能を要求されていたならば、あれほど大袈裟なものでなく、シンプルで非常口と
しての要件を十分に満たすものを新設計して装備すればよかったんだよな。 >>119
単に設計変更が間に合わなかっただけだろ。というか、設計変更の成果が非貫通電気釜なわけで。
その頃に183-0が増備されてたらそんな車両も出たかもしれないが。 後で出たオランダ国鉄の電気釜も結局ドア閉鎖とかしてたな。 前にも話題が出たけど、もし幕張の183系が上越線に駆り出されたのが冬だったら、運転士からは文句が出たんだろうか…?
尤も、「いなほ」の先頭車にも貫通型がいたとは思われるが(少なくとも、485-1000の登場前は)。 >>123
それを言ったら165系や115系だって同じだよ。
165系なんて貫通扉の隙間に新聞紙詰めてたり、ガムテープでふさいでたよ。
貫通扉は車内側に回り込む構造だから高速になればなるほど風圧で隙間が広がっちゃうしな。
貫通扉の隙間のゴムパッキングがイカれてなきゃ寒くないんじゃん?
着雪して凍れば逆に隙間風が入らなかったりしてなw 冬しか上越線の仕事(=新雪)してなかったと思う?夏はそよかぜだったし。
57.11前の「とき」の代走の話? >>124
銚子電鉄だったか貫通扉を溶接して開かなくした事業者があったな
485系や583系でも貫通型の貫通扉を塞いだのある 新京成800は扉を完全に溶接しちゃってたな
晩年まで残ってた車両はデザインが間抜けになるから飾りの枠をつけてたけど
長距離走るわけでもないのによっぽど酷かったのか E217系は初期型は貫通扉が開いたが後期型から非貫通に変更されてパッと見分からないが開かなくなった 真正面から、また遠くから見たらわからないが、ホームでクハ183-0を見ると、貫通扉カバーが平滑でなくボコボコしていて
前面にこまかい虫の死骸がたくさん付いているのがある意味カッコよかった。
ボコボコは工作上やむを得ないことであるにせよ、特急運転のために闘っているみたいな?
スマートで流麗な車体を汚してまで乗客のために頑張ってるみたいな?
豪快なタイヤフラット音を響かせて、機関車の様にAW-2なんか鳴らされでもしたらツッコミどころ満載の房総の183系ではあるが
ツッコミどころなんて一気にぶっ飛んでしまうくらいだ。
派手な私鉄の特急が遊園地の乗り物くらい思えてしまうくらいの特急としての貫禄やスピリットを感じたけどな。 「しおさい」と「あやめ」の併結、とかいう発想はなかったんだろうな…。
クハの貫通路使うために併結、じゃ、本末転倒もいいとこだけど。 クハ183の貫通扉は6+3で有意義に活用できただけでも装備した甲斐があったというもんだ。
その他、この手の貫通扉を装備した車両は、そのほとんどが一生、処女のままで生涯を終えたものばかりだ。
貫通扉と言えば、カニ24-100番台の貫通扉の存在はまことにもって意味不明だ。 6+3運用を開始するに当たって、6両編成の先頭車は、
幌の追加装備したんだっけ。
9両編成は装備除外だったそうだけど。
カニ24-100ってどういう理由で付けたんだろう。
オハネフ25-100や200の治具を流用したのかねぇ。
逆に103系1000番台の105系改造車の非常扉ってよく
あんな上手い具合に幌が付くもんだなと。 >>134
>「しおさい」と「あやめ」の併結、とかいう発想はなかったんだろうな…。
設計時点では、485-200と同様併結運転を考慮してたんだけど、運転計画でそれが白紙になったんだよ。
>>136
>幌の追加装備したんだっけ。
追加装備じゃなくて整備。長年使ってなかったのを使用に耐えられるようにしたの。
てか、この手の話もループするなあ。 カニ24-100の貫通扉は、給電方向がそれまでの荷物室側だけじゃなくて電源室側への両方向に変更になったから、
通常運用ではまずないだろうけど何かしらの都合で逆向きに連結された時の為に設置したんじゃないかと。
じゃあ幌は?だけど、通常での連結を想定してはいないから、あくまでも非常時用ということで省略したのでは。 >>137
ttp://red.ap.teacup.com/marutetsu/352.html
それが、183系は幌は常時装着じゃなかったみたいなんだよね。
昭和52年ごろに品川駅でスライドドアを開放の画像見ると付いていないっぽい。
ttp://videolike.org/view/yt=bdw2aCP%7CRSr
で、ほぼ同じ?構造の485系-200で幌を収納した動画見ると、幌は結構目立つ
ように見えるんだが。
設計はともかく、非常用として幌は後日装備だったんじゃないの? もし東京駅が地下じゃなかったら、クハ183はいきなり非貫通型だった…!?
まさかって気もするが。 >>140
583系というデザイン上の前例があるからねえ
意外とボンネットだったかもしれないし 「ロクマルサン」以降、編成の季節変動が頻繁になったけど、
1000番代の編成は、悠然と9両固定でい続けた?
まさか、Ts+M'+Mを引っこ抜いて6両で運転(「すいごう」に流用)、なんて事も…? >>140
181系を房総に転用して、あずさやときに1000番台相当を新製投入していたかも >>144 停車駅がやたら多い房総特急に1ドアで対応できるか? >>145
逆に停車駅が多く利用客が分散するから大丈夫なんじゃね? >>147 じゃ、房総特急の183系を2ドアにする必要性なかったんでは?
通勤電車だが、西武新宿線だって3ドアのままで良かったのだろうし。 >>148
房総特急の183系を2ドアにする必要性って停車駅が多かったからなの? 末端区間で各停として運用することを前提としなければ、房総特急用車両は1ドアでも構わなかったんだろうなあ・・ 素直に、幌形状が181系DCの電車版みたいなのつくっていたら、
後々いろいろ便利に使えただろうになあ。 特急料金取るくせに、特急区間の末端では快速ないし鈍行並みに停車する、これでも特急か?と言われてたからなあ・・ 183系の1000(1500)台のクハってクハ481-300・1000・1500より25cm短いのは何故?
(クハ183-1000・1500は21000mm、クハ481-300・1000・1500は21250mm)
クハ183-0とクハ481-200は同じ21000mmだが。 確信はないけど、クハ183-1000の場合、ATC機器室と向かい側の座席撤去して
運転室に振り向けるような方針に変わったからじゃなかろうか(クハ481-300の時は
定員維持して且つ運転室広げようとしてた)…。
客室の一部潰すことで、運転室広げても全長は0番代と同じでいいって結論になったとか。 途中停車駅が多ければ、ひと駅あたりの乗降時間が伸びないことは重要だろうな それにしても、183系に萌芽した発想が185系に「発展」するとは…。
「ゴーロクトー」で「踊り子」が登場した折、時刻表には、
「一部の車両は従来の183系で運転」て表記があって、いかにも申し訳ないみたいな言い方だったが、
実際は、そっちの方がよっぽどましだったと言えた。「新しけりゃいいってもんじゃない」って感じだった。 そう言えば、クハ183-150(←サハ489)は全長21250mmで、他のクハ183より長かった。
これは房総へ来なかったと思ったが。 >>156
非鉄の一般市民様はそんなもんさw
社員旅行で183系の北斗に乗った時も工場のオバハン連中は「これが北斗星だ!北斗星に乗った!」と憚らない。
見るも聞くも触るもディテールは問わず、それと信じて疑わないからな。
ま、かと言って南チタの183系にあっては、白&///にしなかったのは何よりだ。 >>158 形式やディテールにこだわるのって、鉄オタだけだろ。 かつて183系がグリーン車連結の9両編成で快走した房総特急も、
来年3月の改正で「あやめ」は廃止、「しおさい」「わかしお」「さざなみ」は揃って減便。
中でも「さざなみ」は減便に加えて君津以遠が廃止という凋落ぶり。
特急らしくない特急と言われて評判が芳しくなかったけれど、
今のこの状態と比べたら、183系が走っていた頃はそれなりに風格はあったような気がする。 君津以遠廃止ということは、
(ホームエクスプレスみたいな特殊なのを除いたとして)
JR史上最短距離特急を
あやめから奪取するってことになるのかな・・・?
しおさい減便ショボ━━(`・ω・´)━( `・ω)━( `・)━( )━(・` )━(ω・` )━(´・ω・`)━━ン
それならせめて特急車両で快速走らせてほすぃ(´・ω・`) >>158
そのオバハンは死兆星に乗ったんだろうなw 房総特急に死兆星が見えているということだろ
もともと中途半端な存在 【高速バスに】富津・鋸南・南房総・館山・香取・潮来・鹿嶋【敗北】
【オワコン】富津・鋸南・南房総・館山・香取・潮来・鹿嶋【負け組】 結局、183系の頃が房総特急にとって華だった、という事か…。 東京オリンピックの一部種目を房総でやれば、また房総特急が帰ってくるぞ! でもさぁ、アクアラインの恩恵に預かれるのは東京都の城南より南方面だろ?
それらを捨てても北方面はアクアラインの開業は無関係だよな?
で、あれば一定の客数減少で止まるよな?
しかし、ほぼ廃止に近いほどの客数減少というのはアクアライン以外に原因があるからだろう。 房総に観光地としての魅力があまりないからでは?
ゴルフ場も以前ほどではなさそうだし >>169
>アクアラインの恩恵に預かれるのは東京都の城南より南方面だろ?
そんなことはないだろ
房総特急も高速バスも東京駅から出てんだから条件は一緒だわな 房総に観光地としての魅力がないだとーーーヽ(`Д´)ノ
春夏の南房とか、結構良いもの持ってると思うんだけどなぁ。
それ以外のシーズンは、実際に空気輸送であることは否定できんが(´・ω・`)
佐原辺りなんか、シーズン関係なく観光地やん。 例えば地元スポンサーを募って全国花火大会やるとか、もっとB級グルメで町起こしするとか、新たな起爆剤ないの?
つか、飽きられないようにどんどんそう言うものを創り続けなきゃダメなんじゃないん?
一回行ってオシマイじゃあ何回行っても面白いとこにするだろ、誰でも。
俺も十何年房総に行ってないよ、成田山ぐらいだよ毎年行くのは。 >>171
南房総ってすごくいいところだし、俺も大好きだけど(汐鯨食いたいぞ)、
観光型じゃなくて滞在型なんだよね。
それに、現地で足がないと動きようがない。
だからどうしても、電車じゃなくクルマで行こうということになる。
その点、箱根や日光を現地でクルマがなくても一通りまわれるようにした
(そこまでロマンスカーに乗ってもらえるようにした)
小田急や東武はすさすがだと思う。
館山なんか強羅同様、保養地銀座なんだから、もうちょっと小田急型開発ができなかったものかと
思うが、まあ国鉄じゃ無理だっただろうしなあ。 県内最高峰が東京タワー並みの標高で、険しい山がないから、比較的カーブが少ない道路をあちこちに造ることができる。
日光、箱根、伊豆は道路を造る場所が限られる。
尾根伝いの道路は、箱根ターンパイクのように急カーブ連続となる。
だから、日光等はいろは坂のような道路渋滞が起きやすい、ネックが幾つもあり、鉄道の競争力が高い
房総は道路整備が遅れていたから、特急の競争力があった。
南房総まで高速道路が延び、半島縦断して勝浦まで行く道路が整備されたから、特急の競争力が低下した。 観光資源にしても、高い山も火山も温泉もない。
海があるだけ東武東上線沿線よりはましで、茨城とどっこいどっこい。
こりゃ仕方がない。
西武が日光、箱根などの有名観光地に対抗して秩父観光を売り出しているが、横綱に対抗しようとする幕下のようなもの
房総もそれに近い 観光開発なら、
保田で鯨、館山で花畑、行川はナシ、鴨川はラグりん、勝浦は鵜原と勝手丼。
とかでライトレールみたいな手軽に乗れる多数運行の観光列車。
バリアフリーで高齢者が疲れず楽しめる観光地、お泊まりは最近掘り当てた館山温泉で演芸やカラオケ。日帰りさせない工夫が必要だな。
183関係ないわ。 一般に観光はビジネスと異なり、グループで動くことが多いのでマイカー利用の方が安い
しかも首都圏から近いので、運転の疲れも少なくちょうどよいドライブコース
君津まで残されることからも、ターゲットとする客層は観光ではなくビジネスとわかる みんな色々と興味深い考察をありがとう。
言われてみると確かな話だなー。
てか俺も思い返してみると、地元のしおさい以外では
わかしお1回しか乗ったことなかったわw
確かに都心を中心に考えたら、箱根伊豆辺りの方が魅力的だわなー。 >>176
吉高をCMに起用するほどの力の入れっぷりだけどな>秩父
でも、意外というか遅まきながらというか、川越観光は当たったね。
あそこもクルマじゃ動きにくい街だもんな。
交通裁判所があるわりには。 房総特急の企画戦略もほとんど対策を講じてなかったんじゃないのか?
100km強程度でビジネスユースなら、“かいじ切符”(今、あるかどうかわからない)みたく、往復運賃程度で
特急の自由席に乗れるような企画モンを出したりしたのかな?
例えば、平日はホットコーヒー引換券付きとか、休日は家族やグループ使用もOKとかね。 海がなくても、有名寺社ないし歴史的建造物、高い山、温泉があれば有力な観光地。
日光や長野・善光寺平、飛騨高山周辺には、これらが全部そろっている。それに引き換え南房総は・・
大多喜が房総の小京都として売り出しているが、萩、津和野とは比較にならないし。 いっとき問題になった、南房総にある某企業の犯罪的に素晴らしい社員寮に、
友人夫婦と4人で電車で行ったことがあるが、
どうせ183だし向かい合わせにしたらテーブルが使えないと思っていた俺は
意表を突かれた。
なんと、肘掛に小テーブルがしつらえてあるではないか。
千葉局らしからぬ配慮にちょっと感動した。 >>180
川越は旧市街地の中はクルマじゃ動きにくいけど、
観光用の馬鹿でかい駐車場が市街地に隣接してあって
観光バスや車で来てる人多いぞ
電車でも都内からじゃ東上線だ
そう言えば房総の企業とかの保養所って西武の分譲地が多いよな 職場(小岩駅が最寄)の1人が1991年生まれだと聞いたが、その時、
「この御仁は『さざなみ』や『わかしお』が総武線経由だった頃を知らんのだろうな
(仮令3月16日より早く生まれたにせよ)…」
なぞとつい思った。それだけの話だが。 交通裁判所怖ス、市原にあったな交通刑務所。
山梨は需要あるわ、甲府が新宿から100キロあるし。ビジネス需要見込める千葉は快速で45分位か、特急乗らんわ。
いすみ鉄道の社長がアイデア持ってるよ、きっと、多分、もしかしたら。 余りに非現実的な妄想だけど、
もし183系登場当時の東北本線並の速度(表定で90km/h弱)を出してたら、
東京と各列車の終点との間は1時間半以内って計算にはなる。
こうなってたら、もう少しは客も付いてただろうか…。 >>188
客がついてなかったという前提が間違ってる >>188
一時間半を切る、切らないの話になると、じゃあ上野から下りは黒磯以遠は客がつかなかったのか?と言う話になる。
もっと言えば東北新幹線なら上野〜仙台の客はつかない事になる。
大多数の利用者の到達地での滞在目的や滞在時間を調査し「ある壁を破る」ことにより、客の定着や増加を図れる事がある。
一時間半を切ったとすれば、商用や用務などのご用向きの利用者には「半日出張」が出来る列車として支持される。
「ある壁を破る」事で周遊観光が今まで2日かかるところを1日でまわれるようになったとか、飛行場まで行き飛行機に
乗らずとも、駅から鉄道を使っても時間的に同じくらいになり便利になったとかになる。
房総特急の場合はその点、それらの効果が薄いと考えられたんだろうな。 >>190
房総の場合黙ってても夏に海水浴客が集まった時期があるから国鉄も東も電化以外テコ入れ不要と考えていたんだろう 夏の房総ダイヤとかあった頃は、
房総特急も華やかだったよなぁ >>191 房州通ってないが、特急「あやめ」が満席になる時期は、5月〜6月の潮来のあやめ祭りくらいか?
成田線、鹿島線沿線に海水浴場ないし。 路線車両板でも書いたけど、1970年代は夏のレジャーと言えば海水浴という時代だった。
でも今は海水浴に行く人自体が大幅に減った。
房総特急の衰退は道路整備もあるけど、夏のレジャーの変化も大きい。
そういう点ではシュプール号の衰退と似ている。 >>194
とすれば、列車名称も観光客を意識した「さざなみ」「わかしお」は止めて
昔に戻って、「内房」、「外房」でいいんじゃないのか。
その方が行き先がわかりやすいし。 >>193
あっちは昔は釣り需要があった。直通バスが出来るまでは工業地帯に行くのも相応の客がいた。 >>194 夏の海水浴客が対象であれば、特急にしても大半はシーズン時の臨時とし、冬場は上越線等の支援に回せばよい。
定期で多数走らせたのは、オフシーズン時の旅客需要増大を見込んでいたためでは
房総の観光地も、オフシーズン時の観光客誘致が必要と考えていたから、マザー牧場に滑川アイランド、東京ドイツ村、そして首都圏で最も高密度といわれるほどのゴルフ場といった、レジャー施設建設が行われた。
しかし、バブル期が去り少子化する中で、これら房総地区のレジャー施設が伸び悩んだ。
箱根や伊豆のように、通年型のリゾート観光地とはならなかったということだと思う。 >>194 70年代半ば頃、外房はともかく内房の海水浴場は汚い、廃油ボールが砂浜に付着して非衛生的だと言われてたな。
内房でも、富津以遠、館山に近い方でないと、まともな海水浴場がなかった。
東京駅から大網付近の九十九里浜まで行くのと、バス乗り換えの時間を考えてもそう変わらないのでは? 総武快速線開業直後の1973年の特急・急行停車駅 休日ダイヤ
(▲=急行、△は普通列車としての運転区間 ●=特急。蘇我・土気は全て通過)
新宿▲●……………▲…………
秋葉▲●……………▲…………
両国↓↓▲…………↓▲………
東京‖‖‖●●●●‖‖●●●
錦糸▲●▲●●●●▲▲●●●
船橋▲↓▲↓↓↓↓▲▲↓↓↓
千葉▲●▲●●●●▲▲●●●
大網▲●▲↓↓↓↓▲▲↓↓●
茂原▲↓▲●●●●▲▲●●●
一宮▲↓▲●↓●↓▲▲↓↓●
大原▲●▲●↓●●▲▲↓↓●
御宿▲●●↓↓●↓▲▲↓●●
勝浦▲●▲●●●●▲▲●●●
鵜原△↓△↓↓↓↓△△↓↓↓
興津△●△●↓↓●△△↓●↓
行川△●△●↓●↓△△↓↓↓
小湊△●△↓↓●●△△↓●↓
天津△●△↓↓↓●△△↓↓↓
鴨川△●△●●●●△△●●● 総武快速線開業直後の1973年の特急・急行停車駅 休日ダイヤ
(▲=急行、△は普通列車としての運転区間 ●=特急。蘇我・五位・姉ヶ崎・君津は全て通過)
宿▲●…………●…▲………
秋葉▲●…………●…▲………
両国↓↓…▲……↓▲↓………
東京‖‖●‖●●●‖‖●●●
錦糸▲●●▲●●●▲▲●●●
船橋▲↓↓▲↓↓↓▲▲↓↓↓
千葉▲●●▲●●●▲▲●●●
木更▲●●▲●●●▲▲●●●
青堀↓↓↓▲↓↓●↓▲↓●↓
大貫▲●↓↓↓↓↓▲↓↓↓●
佐貫▲●↓▲↓●●▲▲↓↓↓
上湊↓↓●▲↓↓↓↓▲↓↓●
浜金▲●↓▲●●●▲▲●●↓
保田▲↓●↓↓↓↓↓▲↓↓●
勝山↓●↓▲↓●↓↓▲↓↓↓
岩井▲↓↓↓↓↓●▲↓↓↓↓
富浦▲●●↓↓↓↓▲↓↓↓↓
館山▲●●▲●●●▲▲●●●
千倉△●…△…●…△△…●… 15年位前、京葉線の夏ダイヤで東京駅出発基準で
0800・0815臨・0830
と15分おきに特急が設定された記憶がある。
入線時間調べたら、8時前の数分間に京葉1〜3番で
並びが見れたような覚えがあるんだけど・・・見間違え
だったんかなぁ。 >>197
ゴルフ場は内陸が多く最初からバスというケースが多い。 横須賀線と総武本線を直通する料金を必要としない便利な快速がオイシイ区間だけで運転されていたと言う現象は
房総特急にとっては繁栄を妨げた大きな原因の一つではないか?
横須賀線ルートで大船や横浜から集客し、房総の各地へ輸送する役割を快速ではなく特急に依存させるべきだったのでは?
東京駅を挟んで逗子、横須賀までと君津、大原までの距離を場合によっては直通し、100km前後を快速運転させている。
この手のサービスは当時の高崎線、東北本線をはじめ残りの東京4方面では行われていないものです。
この現象が房総特急の繁栄の妨げになってはいないでしょうか?
さらに、内房や外房特急は京葉地下ホームに追いやられ、直通する快速がより重宝されるようになりました。
昨今、東海道本線、東北本線や高崎線ではオイシイ区間だけを100km近く快速運転する列車がたいへん増え、
東北本線や高崎線にあっては、かつての新特急の座は完全に失われた。
仮に中央東線の甲府までこの手の快速列車を走らせたとすれば、中央特急(特にかいじ)もその座を失うこととなる。 >>203 横浜や大船付近の住民は、房総に行くのならアクアライン経由のバスに乗るか、観音崎からフェリーで浜金谷に行く方法を取るのでは。
直通快速は、東京都内で乗客入れ替わるよ。
以下、房総特急衰退の理由まとめ
1 急峻な山岳がない房総地区で、近年、道路整備が進んだため、自動車で観光地に向かう客が増えた。伊豆や箱根のような道路渋滞の原因となるネックも少ない。
2 温泉や高山がほとんどない房総地区は、伊豆、箱根のような通年型リゾートとなりにくかった。
3 将来の年間通じての需要増大を当て込んでいたが、発足当初から房総特急自体が中途半端な存在だった。 >>204
外房線・上総一ノ宮から先の複線化はますます必要なさそうだな。
利用者からすると、もともと東京から短距離の房総に特急は不要と思っていた。
E217直通快速(特快)に置き換えてくれた方がありがたい。 >>204
そもそも、「総武本線の複々線化、東京駅乗り入れ」と「横須賀線東海道線分離」という別の懸案があって
二つくっつけりゃ都合いいじゃんってなっただけだからね
陸地をぐるっと回っていくのが便利な筈がないし >>206
横須賀線は常磐線か高崎線につなげて総武本線は素直に中央線とつないだほうが良かったんだろうな。
錦糸町から御茶ノ水までもう一本複線作れば済んだ。 >>207
どう考えても難易度的に
錦糸町から御茶ノ水までもう一本複線敷設>錦糸町から東京(品川)まで地下線建設じゃね? 土地収用除けば
チュバも千葉テレビでくすぶってないでチュバニャンとか頑張ってみろと >>208
総武緩行線の両脇とかそんなに地価高くないかと。 「すいごう」の設定当初は、全列車両国発着だったが、
これは新宿延長ってわけにはいかなかったんだろうか?
国電のダイヤとの兼ね合いで無理だったとか…? さざなみは東京湾アクアラインのせいで滅多打ちにされたな
今度のダイヤ改正で君津以南廃止とか
あやめも消えるみたい 強電分野は良く知らんが201系以降の中央快速線も容量きつかったんの?。ホームライナーE257は半導体だからフルノッチじゃなきゃ余裕か、5両だけどさ。 房総特急は当初、1〜5号車が指定席だったものが、後年5号車が自由席に変わったとか。
矢張り、事前の想定程には客が付かなかったって事なのか…? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています