ED70【交流専用機関車総合スレ 】EF70・50/60Hz
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ED70、60Hz ED71、50Hz ED73・そして短命に終わったED74、
交流区間の標準となったED75、やはり少数派だったED75300番台
そして変わり種のED30、北陸地区無煙化のエースEF70、
ゴハチの引退に伴う直流機関車化候補だったが、あえなく廃車。
もし実現していたら形式はどうなっていたのか?
セレン・水銀・サイリスタと様々な整流方式が採用された。
初期の機関車では雲母の製造が大変難しく、初期不具合が多発した。
あけぼの牽引では重連で頑張った矢板峠のEF71。
磐越西線無煙化のエースED78、901号機の屋根上の特徴的なドームには
当時斬新だった。
青函トンネル専用機ED79、交流電気機関車では初めてシングルアームパンタ化された。
最大勢力を誇ったED75も貨物は全廃、残った旅客用も風前の灯に・・・
九州のED76も風前の灯にJT塗装のED76が懐かしい。
そんな絶滅危惧種に成りつつある交流専用機関車について語りませんか。
なお、交流区間専用であれば電機・蒸気・DLは問いません。 >>39
そう、曇り止め
熱線で中の空気温めるから防止にはなるだろうね
EF71は12号機〜から熱線入りガラスになってデフロスター廃止したよ ED75に牽かれた「はくつる」に乗ってみたかった
EF71に牽かれた「あけぼの」に乗ってみたかった >ED75に牽かれた「はくつる」
あったっけ?って思ったけど、20系の頃にあったか
って43.10の前じゃねぇかw ED75と言えば
ゆうづるとあけぼののイメージしかない
あとは津軽と八甲田とおがくらい >>43
申し訳ない
583から24系になって、北の方はED75牽引だと思ってた>はくつる
>>44
そうね、赤いED75の車体に赤いゆうづるのHMが印象的でした
東北のブルトレ、夜行客車急行、乗ってみたかったなぁ >>10
300番台は門司機関区のカマだから、博多あさかぜ、はやぶさ、あかつき、みずほ、明星にもED72/73と共用されてたな。 北陸から九州へとEF81に追い出されたEF70
2〜3年とはいえ、またブルトレ牽けたんだからまだ幸せだったかもしれないな >>48
老朽化したED72/73の代替とカマの運用減による統合で20両が門司に転属して来たんだな。 >>49
過剰出力、熊本以北限定で使い勝手はあまりよろしくなかったとか
出力に関して、余裕があるのはいいんじゃないかと思うのは素人考えなのかな? 過剰出力はあんまり関係ないんじゃね。それが理由なら先に九州いったED74の立つ瀬ない
ED72や73を同じ高圧タップの70で置き換えても、それの代替にしかならんよね。すでに使い勝手いい
ED76あるんだし、その76もすぐに余るようになったしな。合理化で80年代は機関車余りすぎ。 50,60Hz両用の交流機って作れなかったの?
まあ81作ったらそんなのいらんか 両用にするのは意外と技術的に難しいというのか妥協を要することみたいで、
交流電源で直接駆動する交流回路の冷却系で使ってるモーターとか、
50Hzで十分な能力を発揮し、60Hzで過回転にならないように設計するのは大変だったようだ。
415系すらJR東日本の末期車はあえて50Hz専用にしたぐらいだからな。
60Hz区間も走れる200系やE4はあくまで暫定処置で、数回の使用にしか耐えられないレベルだったらしい。 ほほーなるほど
昔の家電製品のように切り返スイッチでなんて簡単なもんじゃないんだね ED72の中間台車は規格の低い線路に入るためでなく、
ボイラーの水量加減による軸重調整のためだったの? 50Hz車は60Hzでも走れるけど逆はダメってやつだな
だから基本的に50Hz車をベースに共用車を作るんだけど、そうすると60Hzだと回転数が落ちる
デカイ変圧器使う上に性能が落ちるのを嫌ったんじゃないかな
交流電機は地域によって仕様違うから広域転配もあまりしないだろうし 考えてみれば交流50、60Hzのセクションなんかないですもんね
だから分断地帯(フォッサマグナ?)は直流ばっかりなんですかね?
新幹線はどうだかですけど…
そう考えると交流電化は九州はまだいいとしても
北陸は陸の孤島のような感じかな? >>57
新幹線は、東海道は強引に全線60Hz、長野/北陸新幹線は軽井沢で切り替わる。
北陸交流電化は今となっては裏目だろうな。技術開発の面でも東北と九州だけで十分だったし。 >>57-58
北陸は元々米原〜敦賀の煙害対策と勾配緩和に合わせて直流電化する話があったのを急遽交流化した辺りまあ… 北陸が全域的に直流電化されていれば、当然カマは敦賀前後の勾配と寒冷対策を考慮して、上越線と同じ機種が使用されていたかもな。 50年前の判断だからな。それを裏目って言われましても
っていっても確かに米原−田村のデッドセクションとか無茶苦茶だったからな。電化されてるのにD50使ったり
E10使ったり、変な交直機持ってきたかと思ったら、最後までDE10使ったりして
柳ヶ瀬と山中でヒデー目にあってたから最新の交流電化で楽出来ると思ったんだろうな
田村、ただの田舎の駅なのに側線にEF70溜まりまくってて面白かったけど 米原〜敦賀も今は直流だもんね
アーバンネットワークによるところが大きいかとは思うけれど
新幹線が通れば三セク化だろうし、これ以上直流電化の浸食はないかな?
敦賀機関区の交流電化発祥の地の碑も今はなんとなく場違いと言うか…
ま、これも歴史だね
>>60
ED16?EF64-1000? >>62
抑速制動装備が前提条件なら、最初は板谷峠と同じくEF16辺りからスタートして、史実通りに金沢、富山、糸魚川の順を追ってED61、EF64、64-1000に以降して行くと言う感じかな。 >>62
抑速制動装備が前提条件なら、最初は板谷峠と同じくEF16辺りからスタートして、史実通りに金沢から糸魚川の順を追ってED61、EF64に以降して行くと言う感じかな。
64-1000の投入は上越線と同じ時期に成りそう。 >>61-63
史実では板谷峠から追われてEF15に戻された一桁ナンバーのEF16もそっちに行きそうだな 柳ヶ瀬、中山越えなくなった電化後の北陸線とか普通に平坦機が入るだろ
EF70やEF81の単機で1200tいけるんだから まあ連続勾配って言っても北陸トンネルの11.5‰だったっけ?くらいしかないしな ED74が時速100キロまで飛ばしたことってあるのかね? >>69
当時は95`が最高じゃないかな?
日豊の20系牽引も最高95`だったみたいだし
回復運転とか試運転ではどうだったかわかんないけどね
ED74といえば初のDT129台車
ジャックマン装置は乗り心地がよろしくないとか 50Hz60Hzに分かれているのは当時輸入した変圧器の国がドイツのアメリカで違っていたから
どうして統一しなかったのか疑問だ。
電力会社も民間ではなく公営にすればこんなことはなかったのかもしれないな。
でも国鉄は自家発電だから関係ないとは思うけど、使ってる発電機が輸入だったからか? >>72
富士24系化が1968
ED74日豊本線運用離脱が1978
うーむ、24系富士も牽いてたのか?
日豊本線は24系なら最高100`だったのか? >>73
24系は向日町に配属された1974年頃から日豊では彗星に使用され、
富士の24系化は品川に転属した1975年3月ダイヤ改正からだよ。
1978年に大分運転所のED74は運用離脱したけど、当時廃車が進行していたED72の代替に門司機関区へ転属する方法も考えられなかっただろうか。 ヘッドマークも誇らしげなED74彗星
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=ED74#mode%3Ddetail%26index%3D0%26st%3D0
えっ?富士もやっぱあった? イベント?
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=ED74#mode%3Ddetail%26index%3D35%26st%3D1035 ・ヨンサントウで大分以北の120km/h対応
・14系か24系使用
この条件ならED74も100km/h運転の実績あった?
それにしても日豊本線の電化遅い・・・ ガキの頃、パワー厨だったのか
直流機はF級が主で概ね2.550kwなのに
交流機はD級が主で概ね1.900kwなのが腑に落ちなかった >>78
EF58は1時間定格出力1.900Kwだよ。 単純に、1.900kwの交流機をF級にしてしまえば2.850kwなのにって思ってました ED74って九州に来てからのほうが花形運用に充てられてるような。 >>81
モーターには直流専用機より電圧を高くかけられるが、変圧器、整流器、制御装置あたりの関係で電流の方に制約があるらしい。
EF71はあと一息届かなかったな(2700kw)。 EF71、モータを2個直列3並列の台車単位の制御にしちゃったからな。それで出力落としたんだよな
で、EF67がチョッパの6個並列でそれをやった、>>81
>>80
ED71とED72の1と2のMT101が最強なんだよな 台車単位は違うか。1-4 2-5 3-6 かな。それだと軸重補償やってるんだろうか。調べないとわからん EF70は?
あれ6軸駆動だけど2550kwでしょ >>85
EF71の主電動機接続は1〜13号機の新製時が1-4 2-5 3-6(+空転検出回路)で
14・15号機は空転対策上1-5 2-6 3-4に変更、13号機以前も後日同様に改造 どうしてED72とED73だけ先頭部、鳩胸なのだろう?
他の形式は皆、先頭部フラットなのに。 >>86
EF70はもっと弱い。端子電圧は直流機と同じだが、交流機器の容量が足を引っ張って2250/2300kwしかない。
D型では北陸トンネルでちょっと不安があるって理由でF型にしたから、あまり性能は追及しなくても十分だったようだ。 なかなかの良スレに育ってきましたね
やはり交流機それぞれにクセがあり
それを自由自在に操る職人があちこちの機関区に居られたのでしょうね
懐かしくもなんともないEH800
あれ、つべで観ただけだけどバケモンですね >>71
周波数統一はやる時期を逃したというのが最大の理由な気がする。
東日本大震災の際東日本と西日本の周波数の違いで電力の融通が思うように出来なかったことから統一出来ないかを考えたことはあったようだが。
もし統一するとしたらやっぱり東京に合わせて50Hzか?
でも有事を考えたらアメリカに合わせて60Hzにするほうが良さそう。 >>71
国鉄の自家発電分は東京でしか使ってないから、使う段では全部直流という罠。
交流電化区間は全部地元の電力会社から買ってるから結局民間に左右されるという。 >>88
開発者の話によると、全長変えずに運転室のテーブルを
広くでき長所があったらしい。
流線型もそうだったが、欧州のマネもしたのかも。
流行るかと思ったけど、ED74から再び箱型へ。 >>91-92
周波数によってモーターの回転数と消費電力も違うから、統一しない厄介なんだよな。
わかりやすく家電で例えると、扇風機などは60Hzの方が回転数が多く消費電力も少ないが
これがレコードプレーヤーになると厄介で、モーターの回転数が違うから東京から大阪へ
引っ越すと、レコードプレーヤーのモーターを交換しないと、きちんと33回転や45回転が出なくなる
トルクコンバーターやピッチコントロールで回転数を変える方法もあるけどね。 ED70の運転席って折りたたみ椅子に毛の生えた程度の陳腐な感じだな
交流機の汽笛って直流機より甲高い音な気がするけど何でかね? >>95
国鉄型のロングセラー、いわゆる労研型の椅子は昭和40年頃だからね。
それまでは社長の椅子(例 80系)とかモタレが高く座り心地の良い椅子(例 ED72)だったからね。
警笛は、雪の降る路線の電機はピーッと甲高い(ED75 EF81)
暖地の電機はポーと低め(ED76 EF66)
あくまでも個人的感覚だけど。 >>94
電動車の走行モータは電源周波数には関係しないよ。
直流直巻きにしてもVVVFの誘導電動機にしても一旦直流化してから使ってるんで周波数無関係。
影響するのは主トランスが周波数反比例だから、50Hz用は60Hzと兼用可。逆はだめ。
&交流をそのまま使う周辺機器に影響:コンプレッサーモータとか、冷却動力関係。
交直両用機は直流機に変電所を載せた方式だから、基本的には50Hz用は60Hzで逝けるはず。
あれは60Hz運転を試してない=未認定だけの問題の気がする。 新製した訳じゃないのにどうしてED79にしたのかな?
ED75-2000番台とかじゃダメだったのか?
そしてその次にD級の新製があったら形式名はどうなってたのか? >>93氏
ありがとうございます、
やはりテーブルは広いほうがいいですものね。 >>98
制御機器は勿論歯数比まで変えてたのを同一形式で括るのはさすがにな >>101 >>99
つVVVF方式へ交換の205-5000番代てのは?@武蔵野・京葉線。
担当の気分次第って気もするけどなぁ。
64の時は、同一形式じゃ無いと本社を通れなかったはず。
いつの間にか組合のせいとは!?
高速試験とか481就航前の試運転とかは国労組合員の運転士が担当してるよ。
瀬野八で1ユニット・カット起動試験とか、湖西線の高速試験とか。
保線が特に典型だが、自分たちの怠慢・エラーを「国労の非協力」という呪文ですべて免罪するズルがもう組織的にやられてる」。 >>98
サイリスタだけなら75や76みたいに番台区分だったかも知れないけど、79は軸重も歯車比も変わってるしな
DE11や72、73はSGと軸重で新形式だし、青函専用で当時は注目されてたから、81や61みたいに番台区分
ってわけにもいかないでしょ
>>99
どうせ新線だし訓練しなきゃいけないから64-1000みたいな組合のアホどもの縛りはなかっただろうね ED700とかEF700とかEH700は出てこないんだろうなぁ
EF72もないな あ、EH800がもう交流機なのか
今の形式区分がよくわからんorz 100、400、700が直流電動機、200、500、800が交流電動機、
100〜300が直流機で、400〜600が交直機、700〜900が交流機
700は直流電動機の交流機だからもうありえんね。ED79の次があったらED700だったかも知れん >>107
おお、ありがとです!
なんか国鉄型の区分が染みついてるオッサンにはややこしいね バブルの頃、青函トンネル開業ブームの頃、
ED76-550番台が登場したな。
たった一両しか改造されなかったが・・・。 ED94 デッキ型
ED70 跳び箱スタイル
ED71 EF60顔
ED72/73 ヨーロピアンスタイル
ED74 EF80顔
昭和35年前後の機関車の方が面白い EF64、ED74以降EF66を除き非貫通、貫通形共画一化されたね、特に交流機は。 >>110
いろいろ違ってね?
デッキ付きはED45とかだろ
パノラミックの二枚窓はED46からEF60へ。それをくの字にしたのがED72。72や73と同時期に二灯にしたのがEF80と
貫通つけたEF62。以下略 交流機でもEF66のような斬新なスタイルが出ても良かったね 空転防止には砂を撒くのではなく、力行しながら単弁を扱うのが最も効果的らしいね 仙山線のED78で
軸重設定14tで重い列車を牽き出すのに苦労して
16t設定で牽き出したという話があるとか
規制緩和後の大型トラックにも似たような機能があるな
他の軸重替えれた機種でもこんな話はあるかもしれないね あれ仙山線って以前はED16じゃなかった?
交流電化前ね。
米福線だったっけ? 仙山はデッカーとかED14。ED16は上越。福米はEF15とEF16 良く解らないんだけど、
>>119
の場所は上越線を除いて交流電化にしてしまったけど、
せっかく直流電化にしたのにそのまま直流電化を推し進めていけば、
東北本線の黒磯口も直流電化してたんじゃないかな?
無駄なことだと思うけどなぁ・・・
一旦直流電化にするとか意味がわからん、無駄な設備投資じゃないの? 直流電化と交流電化の長短調べて、自分の脳ミソ使え!
変電所が余計に必要になる、電車による過密ダイヤ運転が求められるか?
といった要因によるコストパフォーマンスの比較 だって最初に直流電化したんだぜ、
地上設備だってデッドセクションだって直流電化だろうが交流電化だろうが
必要なんだよ。
未電化区間から交流電化なら話は解るが、最初直流電化までしといてEF64まで入れてるんだよ。
それなのに、また交流電化にする意味がわからんっていうことだよ。 仙山線が全線交流化された68年頃、将来の奥羽線山形以北の電化が計画されていたわけでしょ
羽前千歳、山形間が直流のままだったら、山形以北は直流にするのかね?
それとも羽前千歳で交流直流切り替えて、電気機関車付け替えるの?
値段高くなる交流直流両用車両入れるわけ?
コストパフォーマンス考えようよ 直流電化したのは、直流電化しかできなかったから。長大トンネル、特に勾配のトンネルがある幹線は煙害で
乗務員バタバタ倒れたから優先的に電化されてる。
碓氷、関門、板谷、上越はそれで電化が早い。で、そこらが直流電化された後に交流電化が実用化された。
仙山の直流電化はトンネルある一部区間だけ。機関車もボロだから問題ないねw
福米は福島、米沢で交直切換する選択もあったかも知れんけど地上切換は設備が大がかりで機関区も
操車もある福島では無理。デッドセクションだと結局、EF81と同時期に勾配用交直機を開発しないといけ
ない。どっちにしろ64はお払い箱。まぁ行き先決まってたし、無駄になったのは直流変電所くらいじゃね。
それもなくて済むようになったんだから無駄ではないね >>124
いやEF71を新規に作ったんだよ。
それでも無駄ではないと思う?
EF71なんて30年使わなかったんじゃないの?
それに比べてEF64は旅客ではまだ現役。 EF71新製コストと、交直切替の大がかりな地上設備などのコスト比較、
それに車両運用の共通化の問題など、総合的判断ができそうにないヤツがいるんだなあ♪ >>122
板谷向けの64は最初から将来の交流転換→他線転属を見込んで製造した
(発電ブレーキ採用もこれ以上直流変電所を改修せず新型機入れるため)
ED78・EF71が25年弱で消えたのは国鉄解体と新幹線の都合で路線自体が梯子外されたんでまた別の話だ… うーん、まあなんつーかさ、色々試してみたかったんじゃないの?
メーカーとしても金のなる木じゃないけど色々皮算用して煽ってたとかさ 交流電化方式の開発試験の線区を、一部直流電化、残部機関車牽引の仙山線に選び、
3方式の開発比較試験を行ったから、意図的に3方式で運用した。
この試験結果でまず北陸線の交流電化を行ったから、
開発試験地が仙山線(ED45の三種)、初の実用化が北陸線(ED70)ということになっている。
当時の列車のは「機関車牽引」が常識で、特に蒸気機関車は水と石炭の補給で長くない距離で必ず停車したから、
その停車時間で機関車交換するのが当たり前の感覚だった。
北陸線米原−田村間を蒸気機関車牽引として南は直流機、北は交流機という原始的な方法を採ったのはその感覚だ。
いくら何でもと、黒磯は地上切り替え。
その間に急速な電車化で、通勤圏常磐線や関門の直通運転要求が強まり交直流車を開発。
電気機関車も長距離運転要求で交直流機を開発。
結果的に直流変電設備の2重投資になってしまった。
電車化・長距離化を見通せずに交流・直流それぞれのコスト比較を行ってしまったエラーではあるが、
もう一面は、交流電化成功が新幹線の基礎技術になっている。(直流では無理だった) >>125
タップ昇圧の段間を磁気増幅器による位相制御で無段化して粘着限界いっぱいの運転のできるED75が入線したら、
高圧タップ式のEF71では、水銀整流器をシリコン整流器に換装したけれど、メンテが面倒なだけで、
使い勝手の良い方に運用が統一されてやや短命だったんじゃ無いの?
直流機だって分割民営化前後に大量処分されてる。
大量の首切り合理化で手が足らなくなったから、傍流機から捨てられるのは当然。 高圧タップはED71。EF71は低圧タップのサイリスタ位相制御。水銀はED73までで、EF71は最初からシリコン
DとFを間違ってググっちゃった?もう一回やり直しw EF71は直流機に変更する計画は無かったのか?
車体だってED78の最終ロッドにしたって10年ちょっとしか使用していない・・・
いったい何十億無駄にしたんだか・・・
EF71はEF69にすべきだったような希ガス。 >>132
先に大量余剰になったEF70での計画倒れが影響してるのかも
まあEF62で誤魔化してるうちに荷物列車も廃止の方向だったし
直流機が足りない事態はそれで解消しちゃったのかもね というか交流機関車を造りすぎたんだろうね
直流車はほぼすべてEF級で、あとは平地用か山用しかなかった
交流車はその他、周波数の違い、動軸の数や遊軸の有無、整流素子の違い、SG搭載の有無で矢鱈に形式が増えた
EF級はED級の重連で、軽負荷なローカル線用はディーゼル機関車でもよかったのではと思う >>129 交流の方が電圧高いから、より細い電線で大量の電気を供給できる。変電所が一段階不要であることもあって、送電設備に要するコストを節約できるという利点がある。
60〜70年代、直流電化だけだったら、電化の進捗はもっと遅れていたと思うが。 EF70の高圧タップ制御は、抵抗制御、則ち直流電機の制御に近く、則ちEF65を交流にしたものと考えても良い。 俺が思うにEF71やED78の短命原因は使用路線の改軌が一番大きかったと思う。
そりゃわざわざ1067mmから、1435mmに機関車だけ変更しないからな。
救援機関車1両ぐらいは変更しても良かったと思うけど、
クモヤを改軌しておまけに逆に交流化してまで使ってるのは良くわからない理由だけど。
直流から交流、或いはその逆の交流から直流なんて簡単に出来るんだろうか? DD18とかDD19は改軌したけどね
交直両用じゃない限り、交流化も直流化も簡単にはできないからモーター以外の制御機器まるごと載せ替え
クモヤ743は改軌もしてるから車体だけじゃないか、流用してるの
EF71は改軌が直接原因だけど、ED78はその後も仙山貨物で使ってたから。客車列車の廃止と貨物の廃止が
たいていの原因。20年弱で廃車なんていくらでもある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています