東海道・横須賀・総武快速・房総各線の113系 2
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昔房総ローカルに、ユニット窓で冷房準備工事のみ、って車両を見掛けたのが妙に記憶に残ってる。
自分の出身地(長野)に投入された115系1000番代を連想させた。
「地理的には東京に接してても田舎」って扱いの象徴にも思えて。 >>3
それって総武快速線が開業した時は全部そうだったんだけど… >>4
房総用に投入された6両編成はJRになってしばらく経っても冷房準備車のままだったよ。 横総を通勤で使っていた頃、夏場以外は8号車狙いだった。
サハ2000番台も含めてシートピッチ拡大車の確率が高かった。 その8号車の「弱冷房車」は、横須賀線〜総武快速線で始まったと記憶してる(国鉄が消えた1987年の夏)。 サロ124組み入れでその両側のMM'ユニットをロングシート化、っていう対象は大船車だった。
それで「幕張車ならロングシートにぶつかるリスクは避けられるが、
反面、元特急車のサロには出会えない」
っていうジレンマ感じてた。 カレチがいない久里浜〜大船間をサロ113狙いで乗ってたわ >>8
東海道線東京口も同時(87年夏)に8号車が弱冷房車化されている。
(この両線がJR東日本初の弱冷房車) 横須賀総武線直通化してからも「横須賀線」の前面表示って掲げていたの? スカ線の113系と言うと、「クハ111-1111」を早い段階で思い浮かべるなぁ…
JR化後はマリ104編成の11号車だったけど、平成11年11月11日絡みのイベントに因んで
マリ「111」編成にコンバート?されたんだっけ…
見事な「1尽くし」で、引退の花道を飾ったんだっけ? >>13
確か113系末期の横須賀線の逗子チョン4連の久里浜方だけは正面種別幕に「横須賀線」と出してた
そういえば横須賀〜総武快速線で使用していたマリ区113系更新車や1500番台は東海道線に転出していたが
何故かその後房総ローカル転用時にマリ区に出戻った更新車や1500番台は無し・・
東海道線からマリ区に転属してきたのは房総地区を走破した事の無い0番台クハと2000番台だけ
これって理由あるの? クハ111-1455は横須賀〜総武快速線引退後は一時的にヤマ区に転属して宇都宮線で少し使用した後リニューアル工事をして
房総ローカル用にマリ区に来ていた。 >>15
その“1並びの”記念列車に乗りましたよ。
しかも指定券も当日に発券してもらって、発行日も「11.11.11」と、できる限り「1」を並べた指定券を今も記念に持っています。
あれは“号車指定”だったので、印字は「11号車」とだけしかなかったんですね。 >>13
東京行きで見たことがある。同じく東京行きで「普通」表示も。 あの記念列車自分も乗ったなぁ、何故かグリーン車の帯がドアまでかかってたっけ。
帰って速攻トミーのサロ110を2両帯だけ塗装して再
現したわ。 鉄仮面改造されなかった幕張区1000番台って
昭和何年製? 113 :名無しでGO! :1972/07/15(土) 20:32
そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
今朝、錦糸町駅行ったんです。錦糸町駅。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで歩き出せないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、祝・複々線化・東京開通、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、東京開通如きで普段来てない錦糸町駅に来てんじゃねーよ、ボケが。
東京開通だよ、東京開通。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で錦糸町駅か。おめでてーな。
よーしパパ新型特急で館山まで海水浴に連れて行っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、京成の回数券やるからその場所空けろと。
複々線化された錦糸町駅ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
快速線・緩行線相互の乗り換え客の間で通路でいつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっとホームにたどり着いたら、隣に立ってた奴が、何で方向別複々線じゃないの? とか
言ってるんです。そこでまたぶち切れですよ。
あのな、方向別複々線なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、方向別複々線、だ。
お前は本当に方向別を望んでいるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、方向別って言いたいだけちゃうんかと。
総武線通の俺から言わせてもらえば今、総武線通の間での最新流行はやっぱり、
両国発着、これだね。
特急や快速の両国始発または両国止まりを選ぶ。これが通の乗り方。
両国発着ってのは今回のダイヤ改正で多めに削減された。そん代わり客が少なめ。これ。
で、それに乗り換え駅である両国駅の快速ホームと緩行ホームの高低差。これ最強。
しかしこれに乗ると次から両国駅の駅員にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、黄色い電車でも乗ってなさいってこった。 昔の行先はメチャクチャだった。
1号車「鎌倉」,2号車「成田」,3号車「急行 安房鴨川」,4号車「横浜」・・・・ 同期進段式の欠点だな。
制御が一つ隣に進めか戻れだけで、それを数秒ごとに繰り返して目的の表示を出す方式なので、一度ずれたらそのまんま。
一応、先頭に一斉に戻すリセット機能はあるが、そんなに頻繁にやってられないからな。
今でも小田急とかには残ってると思うが、LED化でかなり消えた。
房総の末期はデジタル回線で幕の番号を指定する方式が主になってた(幕の方にもバーコードが印刷されてる)。 15両編成の音がよかったなぁ
6Mユニット+2Mユニットの抵抗器電動送風機の奏でる音が好きだった
・・ブーンブーン・・・ブーンブーン・・・ブーンブーン・・・・ブーンブーン・・・ >>30
快速113系は幕の回転スピードが早いからリセットも楽。
103系は実にスピードが遅かった。
初期の幕は西千葉発車後直ぐに中野や三鷹をセットして千葉到着にギリギリ間に合うかどうかのスピードだった。 >>32
中野や三鷹の表示が幕の先頭の方の中央線の中にあって、総武線の津田沼とか千葉は後ろに追加してたからな。
先頭と後ろの間をぐるぐる回って関東中を旅行((笑))してたわけだからそりゃ遅いわけだわ。
晩年は後ろに中野や三鷹を追加してかなりマシになった。
そして、183-1000とか189は正面愛称幕とも連動してたから、103よりさらに遅かったという罠 サボの時代に生まれた者にとって、電動方向幕はとても近代的に映りましたね。
今のフルカラーLEDは情緒の欠片もありませんが。 時々「行先表示器が故障しております。○○となっておりますが、××行です」
なんて放送もあったりした。 >>34
ですな。
直通運転開始以前の横須賀線にはサボすら無かったという記憶がありますが。 確かSF直通開始当初は分割する場合でも分割側も終着駅の行き先表示をしていた覚えがある。
営業系統からおかしいとクレームがあがり分割側は切り離し駅を表示するようにしたと思った。 >>37
最初は15両一括制御だったのかな。
方向幕の制御は基本編成と付属編成でぶった切っていてそれぞれの編成の指令器でないと動かせなかったから、
折り返し運転時は片方だけ切り替わってる姿を見ることが多かった。
ローカル用の晩年のデジタル制御の奴は相手の編成も同時に個別または一斉に指令できるようになったけど。 113系の方向幕で鎌倉、藤沢がありましたけど、
定期列車で鎌倉行、藤沢行の定期列車はいつごろまで存在していたのでしょうか。
横浜行については東海道線、横須賀線とも存在していたのは覚えています。
東海道線は湘南新宿ライン開通前まであったので当然ですが、
横須賀線の方も82年頃に昼下がりの時間帯に1本だけ存在していたのを覚えています。
平日のみか、休日のみか、両方かは忘れましたが・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています