【元祖】寝台特急あさかぜ【ブルートレイン】
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なぜか「あさかぜ」のスレがないので立てました。 「あさかぜ」と言っても青函航路のフェリーでなく、ブルートレインのあさかぜです。 グランクラスの客が車販を求めて車両を移動して 空いてるグリーン車で一服したら車掌に咎められそう。 >>513 はやぶさ・かがやきに自由席はない! やまびこ・はくたかの自由席は遠い! >>515 うん時代だね。ナロにも座らせて貰えたし乗務員氏の手が空けば電源車に案内してくれたしね。 旧客急行でネの客は寝るまでの時間 空いてる座席車自由席に移動して 飲んだり食ったりしたもんだ。 最後の経験は急行あおもりハネ利用の際 フリースペースの解放ロ座で過ごした。 ルーメットには給仕(今でいう、バトラー)を呼ぶためのベルボタンが付いていました。 このボタンを押すと給仕が来て食堂の予約を頼み、 食事中に寝台セットを完了して、就寝前に朝刊手配と靴磨を頼むことが可能でした。 ホテルと同じで特に給仕にお世話になるとチップも渡していたようです。 とにかく次元の違う存在が「あさかぜ」です。 >>518 とごのコピペだか? あさかぜが20系になった時代食堂車は予約制ではなかったし寝台設営時に食堂車に行くのは極々一般的なことでした。朝刊はルーメットじゃなくてもプルマンの乗客にも配られてましたよ。下り列車の場合、岡山発行の朝日新聞が通例でした。 >>518 あさかぜに限らない。呼出ベルは20系客車としての設備だし、ボーイも当時はまだまだふつうであさかぜに限ったことではない。 >>518-520 やはり戦後はアメリカに占領されたせいで、アメリカの風習を踏襲してたのだね。 >>524 車掌補?随分新しいねぇ…。2段ハネが登場してから出来た職制だね。乗務員1車1の頃はボーイって言われてたけど乗務員が2車1になってボーイが国鉄の正規職員になってからは乗客掛。 >>525 そうすると車掌補の職制は短かったのだな。 1976年10月改正で、東京口の三列車を二段B寝台化と同時に廃止された。 20系博多行きあさかぜ1号も、それと同時に東京駅で寝台がセットされた状態で発車となった。 2段B寝台の上段て格納できたっけ? 作り付けだった気もするし 24系25形の0番台は製造当初は格納 ただし固定型の100番台以降や14系15形に準じて 0番台ものちに固定化された >>519-520 「列車給仕」はいまでいう「バトラーサービス」に近い事をしていたけれど このサービスがいくら時代が違うとはいえ公共交通機関で提供されていた事実は凄い事である なぜなら現在のホテルでも「バトラーサービス」が存在するホテルは 超最高級クラスのホテルだけに限定されているからだ つまりどこのホテルでも やっている大衆的で庶民的なサービスではないのだ ここらへんを考えたら20系時代、昭和30年代のあさかぜが「走るホテル」と言われたのも納得できる…。か?! >>526 >>525 だけどついでに言えば1976年〜77年の年末年始のあさかぜ51号も24系25型の3車1の乗務員に合わせた為20系で運転ながら@号車にナハネフ23を組込編成でした。因みに編成はカニ21@ナハネフ23A〜Eハネ.増EハネFナハネフ23GHハネIナハネフ22。 バスには車掌が乗っていて駅には赤帽がいてセルフサービスやバイキングなどなかった時代 小田急ロマンスカーには大勢の女性係員が乗っていて扉を開けてた時代 「あさかぜ」がそんなに特別だったのかなあ >>531 東海道線全線電化と同時に新設の九州特急で、日本で最初の20系特急だったから。 人的サービスなら、客車時代の「つばめ」「はと」の方が上だったような。 >>529 前半はそのとおりだが、後半どうしてもアサカゼに結びつけたいんだな。 サービス面は当時の優等列車全般にあった話であって あさかぜが格別というわけではない 単に新型客車が最初に導入したのがあさかぜというだけ >>531 大勢の女性係員〜っと言っても1車1じゃないだろう? >>531-532 やっぱりそう感じるよね。なんか529はあさかぜが好きなのはよく伝わってくるが、何でもかんでもあさかぜだけ特別なことにしたい印象を受ける 20系時代がB寝台個室があればどうなっていたのだろうか >>525 2段ハネ登場時には車掌補は廃止されたのでは? たしか1975年頃の鉄道ジャーナルのあさかぜの列車追跡ルポでも車掌補と呼ばれていたはず >>534 小田急は走る喫茶室の女性従業員がおおむね各車両にひとり乗ってたみたい 座席に注文をとりに行って茶菓を座席まで運び 駅では扉の開け閉めと、お辞儀しての送迎を行っていた >>537 ジャーナルの76年7月号でしたね。この年の10月に東京口に2段ハネが登場した時に車掌補が廃止されました。最初の2段ハネが登場した74年4月の時には車掌補の制度は残っていました。いずれにしても短い間の制度でした。 RJ1974年7月号のルポですね。 白井朝子嬢が登場する熊本行あかつきだったかな >>540 RJ74年7月号は2段ハネ彗星の運転初日のルボ。 昭和47年(1972)7月の品川客車区の編成作業合理化の為ナロネ22があさかぜに集約されて俗にいう 殿様あさかぜ の登場と成る訳だがこれによって1人個室のルーメットの切符が取りやすくなった。この時以降にルーメットに乗車された方も多いのではないか? >>541 それ持ってたな懐かしい 引っ越しでどこかに行っちゃって無いけど あさかぜは25形0番台がほとんど使われていなかったな >>545 使われたのは昭和51年(1976)夏に運転された25型100の早期落成車主体のあさかぜ51号のJ号車に組まれたオハネフ25(47.49大ミハ)ゴールドラインになってからのオハネ25(37.38)さくら.はやぶさが併結後に運転された最後のあさかぜ81号の時熊クマのオール0番代の時だけ。 14系と24系時代の臨時あさかぜは結構意外な編成が多かったな 白帯とあさかぜのイラストマークの組み合わせもあった 大阪駅で見た上り臨時あさかぜは ヘッドマーク無しで格落ち感あり >>547 >>548 博多あさかぜ廃止直後の平成6年暮の臨時あさかぜ、14系8連絵入りマーク。九州内EF81には臨時にも関わらずヘッドマークを付けていた。何かの思い入れかな? >>547 当時定期運用のなかった熊本の14系15形も使用されていたんだよな >>542 72年当時のA個室料金は、5400円だったと思う。 今にしてみれば安い価格だが、他の料金と比べ敷居が高かった。 全般的に国鉄運賃・料金が安価で、三段式B寝台料金が1600円程度。 グリーン車は3000円出せば、打ち切り制でないので相当な距離に乗れた。 それでも300円の急行料金だけで乗れる、長距離急行の自由席が満員の日は多かった。 そんな世相から寝台料金だけで5400円は、結構覚悟の出費だっただろう。 >>551 ルーメットに5400円出すと東京〜福岡の航空機より高くなった。 時刻表の地方名産品の「時価」 一体幾らだったのか気になる 14系あさかぜってやっぱ黒歴史なのかねw まるで記憶も印象に残るものもない。。 さくら/みずほの間合いだったっけ?? >>555 黒歴史ではないがあさかぜと言えば博多あさかぜ1.2号に代表されて14系の2.3号急行安芸格上げの3.1号は地味な存在だった。寝台幅の広い14系にも関わらず切符の入手は20系の1.2号より容易だった。 >>555 多客期につかえるものは総動員した結果じゃないの? 一般の客は形式なんか気にしないだろう、気づくのは新車かボロか、ベッド幅の違いくらいじゃない >>557 定期時代の14系と臨時時代の14系で意味合いが変わる 臨時あさかぜの14系24系時代は様々な車両区の編成を使用していた >>555 間合いでなく、共通運用が適切だろ。 14系あさかぜ廃止後車両は、いなば・紀伊に転用。 14系・24系25形の「さくら・はやぶさ」も「富士」の間合い運用ということになってしまうなぁ 黒歴史とか使っちゃう子だから仕方がないか 「臨時あさかぜ」とはそのまま列車名だと思ってこのスレ読んでいた… http://i.imgur.com/9awR5B4.jpg >>560 富士はさくら・はやぶさの間合い運用で正しいかも 東京発着の寝台特急で間合い運用といえるのは 下関あさかぜの間合い運用の瀬戸 熊本みずほの間合い運用の長崎さくら 鹿児島・熊本24系はやぶさの間合い運用の宮崎・大分24系富士 長崎さくらの間合い運用の佐世保さくら 長崎さくら・熊本はやぶさの間合い運用の富士 14系はやぶさの間合い運用の14系富士 サンライズ出雲の間合い運用のサンライズ瀬戸 >>562 言葉覚えたからとりあえず、コスパ、コスパ言うバカに近いものがあるのぅ。 ただ>>562 の例だと車両基地の関係で間合い運用ともいえる 14系あさかぜといなば・紀伊は品川担当だから共通運用が正しい 結局、間合い運用と共通運用の明確な違いってなによ? >>567 大まかに都市圏の所属車両基地が基準は共通運用、終着駅基準で別運用にされるのが間合い運用になるだろう。 例えば新幹線博多開業前の20系「あかつき」は品川の車両だった。 「はやぶさ」で西鹿児島・長崎に到着してから使用するので、間合い運用だろう。 583系なら「しらさぎ」が「金星」の、「にちりん」が「彗星」の間合い運用時期があった。 14系「さくら」「みずほ」「いなば・紀伊」や、24系・25型の「はやぶさ」「富士」「出雲」については、 国鉄時代の品川客車区基準にして共通運用。 >>568 国鉄時代の終盤からJR化以降の「さくら」「みずほ」や「はやぶさ」「富士」は さくらとみずほの品川の付属編成運用以外は間合い運用になる また下関や広島に配置していた下関あさかぜと瀬戸や 出雲支所に配置されているサンライズは瀬戸が出雲の間合い運用であり 特に同一編成化後のさくらと富士ぶさとサンライズは運用の関係で 下りと上りが通常の分割併合列車とは違うパターンの編成を組んでいる >>569 しかし下関あさかぜと瀬戸は間合い運用の表現をされなかったな! 利用客の中心軸が首都圏だったせいか? >>570 こちらは間合いの表現だったな。 仙台〜秋田を181系気動車で走ったあおばは、つばさの間合い運用とされていたから、 同様の雰囲気。 >>569-570 下関あさかぜと瀬戸も確かに間合い運用にも見えるから これらは共通運用とも間合い運用でも両方とも正しい運用かもしれない 別の話題になるけど 博多あさかぜと東日本出雲の金帯ハネが臨時おがにも連結されていたんだよな >>570 568視点に立てば、所属機関区の和歌山発はあすか よってあすかが本運用。 終着駅の名古屋で別運用のくろしおに入る よってくろしおが間合い運用。 くろしおも天王寺発着で和歌山機関区入庫だが 何を基準にあすかを間合い運用とみるのか判断がつかない 結局、共通運用と間合い運用は外形では判断できないのでは? おおよどのためにわざわざ日豊線全線電化後もにちりんのキハ80系残したくらいだが >>568 の主張に基づいて50・3以前の大ムコ485を 雷鳥、しらさぎ、はくたか、しおじ、みどり、 つばめ、はと、にちりん、なは、日向等 本運用と間合い運用を明確に分けられるのか? >>568 14系いなば.紀伊は東京到着後もいなば.紀伊で折り返す単独運用。24系25型も編成は同一でも運用は各々単独運用だ。 >>492 カラーであれだけふんだんに撮ってくれてるのがいいよね 手動の扉とか動き出してから飛び乗れたりしてるのが今見ると新鮮 >>579 ロケの為に東京〜長崎にロケ編成まで特発させた国鉄全面協力の名作。 >>579 〜>>581 映画を観るとロケの特発編成の@号車がナロネ20だ。おそらくナロネ20が長崎まで入線したのは最初で最後だろう。 >>577 難しいだろうな。東北新幹線開業前に青森の485系「ひばり」「やまびこ」が、 間合い運用と言われなかったのと同じような感じ。 ただ当時の「にちりん」については、間合いの雰囲気w >>579-582 昭和30年代は、今のように高性能なCG合成技術があった訳でも 高性能な4K/60P対応デジカメがあったわけでもないからな 当然、高画質カラー映像は少ない この映画は様々な意味で貴重な内容だ もし特急「あさかぜ」に自動放送があったら 本日は日本国有鉄道をご利用くださいましてありがとうございます。この列車は特急あさかぜ号 博多行きです。 途中、横浜、熱海、浜松、名古屋、京都、大阪、姫路、岡山、尾道、広島、徳山、三田尻、下関、門司に停まります。 車内のご案内をいたします。前から 1号車 2号車の順で 一番後ろが 12号車です。 二等A寝台車は1号車、二等B寝台車は2号車と3号車、2等座席車は4号車です。 三等寝台車は6号車、7号車、8号車、9号車、10号車。三等座席車は11号車、12号車です。 食堂車は5号車です。弁当や飲み物を販売する売店は11号車にあります。車掌室は12号車にございます。 喫煙は 灰皿が備えてある場所で お願い致します。 次は 横浜に停まります。 Leadies and gentleman. Welcome aboard the ASAKAZE Limited Express bound for Hakata. We will be stopping at Yokohama, Atami, Hamamatsu, Nagoya, Kyoto, Osaka, Himeji, Okayama, Onomichi, Hiroshima, Tokuyama, Mitajiri, Shimonoseki, and Moji, All commutations are reserved. The Cars second class A sleeper are in cars No.1. the second class B sleeper are in cars No. 2, 3. second-class seat car No.4. The third-class sleeping are in cars No. 6,7,8,9 and 10. third-class are in cars No.11,12. The dining car is car No.5. selling box lunches and drinks is Store is in car No.11. The conducter's room is in car 12, Smokers are asked to smoke only in areas where ashtray are in stole. The next stop will be Yokohama. We wish you a pleasant journey. Thank you. 金帯あさかぜのデュエットとカルテットは 他の定期列車への転用をなぜしなかったのだろうか >>858 あるよっ! 星空バーで出張の帰りに数人でウィスキーの水割りで乾杯しながら スモークサーモン・特製ソーセージ盛り合わせ(サワークラウト添え)・ ポークヒレカツレツなどをツマミにしながら飲んだよ。 確か1989年くらいだったと記憶してるが当時はスターダストラウンジ とか呼んでる人もいたと記憶している。 星空食堂車やオリエント急行風食堂車もよかったけど国鉄消滅で長い 期間を担当してた日本食道門司営業所から新博多営業所に変わって メニューが大幅に減って関門定食・ちゃんぽんなどの郷土料理が廃止 になったので古い食堂車でも国鉄時代の日本食道門司営業所がよかった。 >>588 新博多担当の後は上野担当になってそして仙台担当の時期もあった あと>>588 が乗った頃に星空バーのあさかぜ乗った人は 星空バーがラウンジ席の関係で出雲に担当されるようになっていたから 貴重な経験をしたかもしれない 吉野家鮭定食って、かつてのブルートレインの 和朝食に似てるよね? 朝にトーストとハム目玉食えるのは食堂車くらい、自宅では朝食はいつもご飯に漬物 ということで寝台車の和朝食は知らない 586 もし特急「あさかぜ」に自動放送があったら 151系では録音放送があったな 20系ではなかったが >>587 カルテットは一般にはあまり知られてなかったのか空気輸送の日が多かった。 横浜国立大学も夜間募集停止か 大学の夜間部がどんどん無くなっていくなあ。早稲田も関大も無くなったし、 横国の経営学部も、改組と同時に廃止。名工大も縮小してきてる。 夜間大学廃止の1つの理由は、「就業形態の変化」。終業後に大学に通える環境がない。 もう一つおまけにカキコすれば 俺は底辺広島大夜間へ行ったので、周りにはアナログ時計の時間が読めないヤツもいた。 そんなヤツの多くがアナデジはめてたんだよなあ。 大きなアナログ時計はおまけで、下のデジタルで時刻を読む。 大学生になれば時計くらいはめてなければカッコつかないという雰囲気もあったし。 ある私立大学の経済学部で西島秀俊が小出恵介のような不祥事や事件を起こしたら、被害や損害になる総額が1000億円は軽く超えるそうだ。 日本最大の家電メーカーであるパナソニックのCMなど社会的影響力が大きいからである。 西島秀俊の社会的影響力はSMAP解散後、日本国内最大最高の男性キャラクターにのし上がったからである。 今では、木村拓哉、草g剛、香取慎吾、中居正広のマスコミ露出が少なくなった2017年現在ではCM、ドラマ、映画で見ない日は無いくらい西島秀俊は働いている。 今の日本国内の男性キャラクターで西島秀俊を見ない日は無いくらい活躍しているが、西島秀俊の次は長谷川博己あたりが出て来ているのも現実である。 今年から来年にかけて西島秀俊が公私ともに休まる日は無いくらい、活躍が期待されているのかもしれない。 ロシアの俳優でいうならば、西島秀俊と同世代でセルゲイ・ベズルコフが相当する存在である。 >>588 東京駅発車の寝台特急食堂車は1981年くらいまでがよかったと思われ 更に国鉄時代でも1983年くらいでは日食門司営業所のメニューから 沿線の郷土料理も消えていたと記憶する。 皿うどんとおこわ定食は上野時代もあったはず あときじの定食もあった >>586 >途中、横浜、熱海、浜松、名古屋、京都、大阪、姫路、岡山、尾道、広島、徳山、三田尻、下関、門司に停まります。 ちょっとバランス悪すぎだろwと思いきやマジだった。確かに20系客車で運行開始当初はこんな停車駅だった。 それにしても静岡、小郡はおろか、小倉までもノンストップにしてしまうとは… それなのに何故か小倉を飛ばしておいて、尾道、徳山、三田尻(現:防府)に停車するという だがしかし、当初東京=姫路、下関=門司以外の区間で牽引していたのは性能や燃料に制約だらけのSLで 広島→八本松の補機もSLだったはずだから停車駅設定に制約があったはず 少なくとも、当初は小倉に停車したくても無理だったんだろう >>597 上野営業所の皿うどんって餡はレトルトの奴だよ 長崎営業所や門司営業所は皿うどんの餡はフライパンで炒めて作ってたよ。 ここはあさかぜスレだから郷土料理的にはちゃんぽん(福岡市内にもちゃんぽん の店は多数あった)や関門定食になると思うのだが? きじ焼き御膳は郷土料理ではなく、コックが1名でも湯煎や電子レンジで 対応できる手抜き料理だよ。 皿うどんの餡が入ってるレトルトも同じ。 >>598 つばめ、はと、こだま、かもめと合わせて考えるとバランス取れてたんだと思われ 当時の時刻表表調べてみて >>599 あさかぜでグレードアップ後に旅路御膳と桜御膳があったよな >>600 当時の時刻表見たら納得した 当時、最小停車駅の東京・横浜・名古屋・京都・大阪をしていたのは 安倍川鉄橋上での乗務員交代をしていた「こだま」しかなかったようだ 最も戦前の「燕」は東京=名古屋間無停車・東京=大阪間を7時間30分で走行は「可能」だったんだが、乗務員の安全性を大幅に犠牲にしていた(炭水車と水槽車に渡り板と手すりをつけて、走りながら乗務員交替。どう考えても危ない) 京都、大阪停車が不可解すぎる 国電や地下鉄動いていたとしても誰がどっちの方向に乗るのだ? >>602 戦前の「燕」で東京-名古屋間無停車はさすがに無理だよ 御殿場まわり時代は東京や名古屋から補機連結しとかないといけないし 丹那トンネル出来てからは沼津で機関車交代は必須だ 丹那トンネル蒸機じゃ無理だろ? フォレスト風なんて書いてるのが昭和を感じさせるね 今なら直球でキノコハンバーグだ 〉595 うーむ 記憶とは大分違うな。 確かに配膳考えると、こういう幕の内弁当 っぽいお膳にしないと面倒だよね。 白ご飯と鮭の印象しか残ってなかった ということか。値段は800-900円位なの は間違いない。ひょっとしてはやぶさ だったか?だとしたらスレ違い。 なんにせよ今になってみれば貴重な経験 >>605 北斗星のメニューと比べたら、リーズナブルだった。 >>603 「あさかぜ」は戦後初の夜行特急として、1956年に登場したが、 大阪通過で大阪鉄道局と大いに揉めたからな・・・。 関西を深夜に通過する列車など、当時は前例がない、ありえないと。 そこで、大阪始発の急行を増発するのと、 深夜・未明ではあるものの、京都・大阪では客扱い停車するという妥協案と引き換えに、 関西深夜通過案は、採用されることになった >>584 あと渥美清主演の喜劇急行列車もロケがふんだんに入っていて貴重 昔の長崎駅や西鹿児島駅も出てくる もちろん東京駅も こちらもヒロインは佐久間良子 >>609 朝食がバイキングスタイルになって不評で止めた翌々年だと思う 朝食は中華粥・イタリアンスタイル(ミートソースパスタ)・洋朝食 のみで手数のかかる和朝食をやめて不評をかったので上りでは 静岡駅で幕の内弁当を仕入れてて車内販売で販売拡大してた。 東京発着ブルートレイン・食堂車の末期で完全に凋落していた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる