幸運な車両
他の車両より幸運な運命となった車両について語るスレです。 クハ165-3
ファーストロットの年寄りながら車両更新工事を施工され、首都圏の急行形の末期まで湘南色を堅持して活躍した。 オロネ24 2・4・5
全車が「日本海」引退後に譲渡された 北総7268
四半世紀前はクロスシートで話題あげ、あの京成が?みたいな感じだった。あの年、AE100、翌年は3700が今までの京成とは思えぬ、新型が入ったが
シートは2回変え最後は21世紀に変えた。
京成 赤電で最後まで生きた車両。 >>80
クハ167-2の事故廃車のお陰で廃車寸前から復活。
その後は165系全廃の年まで活躍、本当に幸運な車両だったな。 >>82
逆に京成で一番不幸なのは、生涯に3回も火災で燃えたモハ104かな? 153系の最後の生き残りはモハの1番ユニットだった・・・というが、サロ110-0〜とか、クハ164に改造されたやつ(番号までは知らない、フォローおねがい)こそ長生きだった >>86
2度目の事故で再起不能となり廃車され、永久欠番となった箱根登山モハ105…。 スロネフ25 501。
一介のオハネ25として誕生しながら
JR化後鷹取工場にてトワイライトエクスプレスの編成尾を飾る
スイート&ロイヤル緩急車に大改造される。
ブルトレのリストラが相次ぐ中、
大阪〜札幌間を結ぶクルージングトレインとして夢を運び続ける幸せなトップスターの日々。
イベントで東京にも四国にも九州にも行った。
青函トンネルと瀬戸大橋と関門トンネルを走破した「一本列島」のモニュメントでもあり、
このたび引退し京都鉄道博物館に永久保存の栄誉に浴す。 長崎160形168号
二軸単車置き換えのための繋ぎとして長崎にきたが、
そのおかげで福岡市内線全廃後も生き残り、
余剰車になり解体寸前になるも、動態保存予定の162が車軸損傷でリタイアしその代わり168が保存車に選ばれた。
その後塗装以外はほぼ登場時の姿に復元され、
100歳以上になる今も現役
幸運と言わずになんといえようか DD51-875
一度廃車になった国鉄清算事業団復活組はこの釜に限らず何輌か存在するがDD51自体の運用線区が減り更新車でも廃車された釜がいる現在でも未だに現役で運用中
そう言えば他には国鉄清算事業団復活組の現役釜って後何輌残っているだろう DD54-33
昭和53年8月に廃車後、車籍復活ののち、同年12月に再度廃車
その後、福知山機関区に留置後、昭和58年から交通科学博物館で保存展示
平成28年から京都鉄道博物館で保存展示 実働年数のわりに知名度がやたらと高い大阪市電3000 >>96
だったとしたらむしろ「不運」になると思うのだが ファンはともかく利用客は覚えてるのかね
引退してから半世紀近くになるのに 大都市の高性能路面電車は志半ばで運命を絶たれた感じ
幸運なイメージがない 875以外の事業団復活組を調べて見た所EF65は全車廃車済みでDD51も874・876・877が875と同じ時に復活したみたいですが全車廃車済みでした
愛知に転属した事が他の釜と運命を分けた? 牽引車として生き残ってる元クモニ143とクモユニ143は相当幸運だよな 紀州鉄道キハ605
もともとの常盤炭礦で活躍した程度。
次の働き場所の岡山臨海鉄道では予備車。
紀州鉄道では全くといって動かなかった。
大した活躍もなかった一生だったが,有田川町で保存されている。 ああ、あの四枚窓のか。
何かのついでに撮りに行ったな。
GW中ということもあって同好の士が他に数人来ていたと記憶してる。 格好良くはないが、一度目にしたら忘れられない車両。 言われてみると、あれもなんだかんだ流転の人生だが幸運な車両だな >>101
「大都市の公営限定」にしなければ、
阪堺のモ501形は現在でも活躍してる
しかも今でも静粛性と乗心地は抜群のまま 100年前の1915年に、東北本線の古真木(現・青い森鉄道の三沢)で
正面衝突事故を起こしたハチロクの8649号。 昨日やってた「恵俊彰の九十九里浜迷宮殺人ダイヤ」ってTBSのドラマで「キハ282346に会える!引退前にもう一度会いたかったんだよな〜」と恵さんが言ってたけど、山陰や北陸で活躍して千葉へ里帰りしたんだっけね
スレ違いかもしれないけど >>111
おっしゃる通り。
人間の寿命と相関してるように思える。 そもそも、車両に心、感情があるわけではないから、幸せかどうかなんて決まらない。
人でさえ、幸福そうに見えてそうでない人、その逆もあり、はたから判断すべきものではない。
下らないスレ 哲学的なこと言われてもなぁ
ここは鉄学を語る場所だから ゆとり以降の世代って心の貧しい人を作るよね。
ゆとり教育を見直したらしいけど
むしろさらに悪化したように思う >>116
後者のニンゲンなら
あんたの言う部分もそうかもしれないが
このスレは、もとより車両という物質に対してニンゲンが
どの車両が幸せだったかについて好き勝手に批評する性質のスレだ
つまりあんたの言ってる部分はヤブニラミの指摘でしかない。批判の観点そのものがズレてる。 ユニコーン書林 虚偽表示 ヤフオク 転売 脱税 質問欄 自演
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それはチミがそうだからだよ
最初から貧しさしか知り得ない人が豊かさを知ってるはずないわけだからな。笑 なぜ日本は米国との全面戦争へ突き進んだのか?回避する策は皆無だったのか?降伏のタイミングは?
史実に基づく主張・議論から仮想・仮定の後付けまで幅広く話し合ってみましょう
基本的に満州事変からの流れで行きたい処ですが(場合によっては)明治維新日露戦争まで遡っても構いません
※荒らしはスルーでお願いします 足回りを剥ぎ取られて支線で余生を送るところが一転特別仕様に改装されて
短期間ではあったが南大阪線のスターになれたかもしか号(元伊勢電) 115系1000番台ニイN-33編成
元々は長野総合車両センターに配置されていたこの編成だが、2013年に211系3000番台の
転入による置き換えで廃車となる予定だったが、2008年に越後線内で発生した踏切事故に
より損傷して使用不能となり保留車となっていたE127系0番台のV3編成が結局廃車となった
ため、その代替車として新潟車両センターへ急遽転属して命拾いした。未更新車のため、
E129系の投入による置き換えも予想されていたが、その後も生き残り、今回のダイヤ改正
でも新潟駅の高架化によるATS-Pの導入に伴い、ATS-P未装備の更新車が廃車となる
予定の一方で、このN-33編成は引き続き使用される予定となっている。
>>87
クハ153- 1・2・17〜20・25・26→クハ164-1〜8 (今月号のRP誌の車歴表から) 名鉄モ702〜704(残留組)とモ701/705〜710(北陸移籍組)
前者は最後までほぼ原型だったが、後者は大改造されて原型をとどめていなかった >>4
あれは重故障やらかして廃車になったらしい。 名鉄モ590
591と592は冷房改造されさらに美濃町路線廃止時もとさでんに譲渡され今なお現役で幸運な車両
593は廃止時保存されたまあ幸運な車両
594と595は美濃町線ワンマン化時ワンマン化もされずに車齢20年程で廃車。590のなかでは不運な車 相鉄5000系、5053F。
2005年に廃車前提で厚木駅に休車として置かれていたが、7000系が事故に遭いピンチヒッターとして復活。
全検を受けてシングルアームパンタに交換されて、床下機器もピカピカに化粧直しが行われた。
相鉄がファン向け(商い)のイベントに力を入れたことで、最期は撮影会や特別列車の運行で花道を飾った。 DF50 548
1962年に、羽越本線でカモレを牽引中、単回のD51 637と正面衝突。
車体の3分の1近くをD51に突っ込まれてあり得ないほどに大破。
どう考えても廃車という状態だったが、当時無煙化が始まったばかりの頃で、
件のDF50もまだ製造間もないということで、土崎工場の匠のてによって復活。 小田急7000系(LSE)
7000系より新しい10000系(HiSE)や20000系(RSE)が、バブルに乗ったハイデッカーやダブルデッカーで、バリアフリーに対応できずに早期廃車に追いやられたのに対して、古さは感じさせるものの、奇をてらわない内部構造が幸いして、さほど大きな障壁もなく、今まで生き延びた。 >>131
8707Fが何故か廃車になった影響でしばらく残っていたんじゃないの? >>131
2100系は最後の車もシングルアームにはせず終わったのに。 >>130
モ590は軌道線車両陣の中でも一際地味で目立ってなかった形式として不幸な車両 >>136
そうかな
580の方が不幸せムードあるよ 都電6152はラッキーだったんじゃないか 最後は走らせられなくなったとしても 西武401系
前年まで作られていた451系が製造開始からわずか25年で冷房改造さえされずに消えた(ついでに他社譲渡は一部のみ)のに対して、
こちらは411系時代を含めると33年のおつとめ。
冷房改造、カルダン化などもされ、廃車後は全社他社に引き取られた。 モハ181-29
モハ181-202が衝突事故で延焼して使用不能となったため廃車を免れ復帰。
151系として生まれた181系で唯一特急とき廃止まで使用された。 メトロ07系
たいていの車両が決まった路線を走り一部の譲渡車以外は井の中の蛙で終わってしまうメトロの車両の中にあって
この系列は自社だと有楽町線、千代田線、東西線で使用され、直通先では、東武東上線、西武池袋線、狭山線、
JR中央線・総武線・常磐線、東葉高速線も走った経験がある。
それに対して兄弟分の06系は夭逝してしまった気の毒な車両だった。 踏切事故で横転して大破したが配車されずに復旧され特急車の座を守れた西鉄モ2041 遮断機が降りてるのに突進してきたトラックに体当たりされるだけで十分に不運と思いますけど… でも復帰したは良いが調子悪くて
結局他よりも早くリタイヤしたんだっけ >>151
ネットの記事によれば復帰後は走行中に異様な振動や騒音がしていたらしい
乗客としては怖いだろうな >>153
ポルターガイスト車として運転すれば、その手のファンが全国から来たかも知れない。 >>154
事故復旧車や戦災復旧車は、ちゃんと治ってなくて具合の悪いのが多いようだ
自動車なんかモロそうだし 格下げされずに特急用のままで生涯を閉じた形式は幸運かもね
東武DRCとか南海こうやとか あのボディのままでドア増設と車内ロングシート化は難しかろう 阪神初代5001形
阪神時代よりも譲渡先での琴電でより長く使われて、1950年代製造のボディにしては長寿の
45年頑張って走れた。 >>159 本格的な特急用車両だから、格下げ改造対象とならないのでは?
3ドア化改造された西鉄2000や京急2000って最初からデッキ付ではないし、本格的特急用車両とは言えないだろう。
東武小泉線で使われた東武1800の一般車化改造といった例外もあるが、短期間の使用に終わった。 東武1800は本格的な特急用車両じゃない
というか急行用車両 >>164
サロ110形300番台というのも
まあ例外的存在だわな >>168
綺麗に保存されてるから幸運かもしれないけど
>万能型特急電車
とか
>在来線の交直流全ての電化区間で走ることができる特急用電車車両として製造された
という説明書きは1500番台的には「冬の北海道不得意でごめんなさい」な感じなんじゃないだろうかw 野上モハ23は明治生まれで平成まで旅客車だった。
阪急1形は原形の優美さがなくなって武骨な姿になったとはいえ、
事業用車もあったし他の同年代の車両よりも長く使われたね。 インドネシアのジャカルタに渡った車両達も幸運だったと思う。
205系も大量に渡ったけど、東北・日光線で使われたメルヘン顔は、インドネシアが
中古車両の輸入を禁止したため、先に廃車になってしまった。 クハ104-551
クハ105-7が側面に特攻をくらって廃車
↓
運転台部分は良好だったので廃車予定のモハ102にその運転台を再利用し先頭車化改造
地下鉄顔唯一のクハ104爆誕 格下げされても銀に輝くバンパーを最後まで残してもらえた京阪1900 でもトップスターの座を占められたのは僅か数年で終わったのは不運とも言える
すぐ後に3000系が来たから 京王2010系
伊予鉄に引き取られてそこで人生全うすると思ったら銚子で第3の人生を歩んで還暦超えるとは… これといって特徴があるわけでもないのにね
何が幸いするか分からんね キハ52
2エンジン両運転台が幸いし他の20系よりも長命だった
晩年は非冷房キハ58の置き換えにも回ったほどだ