幸運な車両
他の車両より幸運な運命となった車両について語るスレです。 >>4
あれは重故障やらかして廃車になったらしい。 名鉄モ590
591と592は冷房改造されさらに美濃町路線廃止時もとさでんに譲渡され今なお現役で幸運な車両
593は廃止時保存されたまあ幸運な車両
594と595は美濃町線ワンマン化時ワンマン化もされずに車齢20年程で廃車。590のなかでは不運な車 相鉄5000系、5053F。
2005年に廃車前提で厚木駅に休車として置かれていたが、7000系が事故に遭いピンチヒッターとして復活。
全検を受けてシングルアームパンタに交換されて、床下機器もピカピカに化粧直しが行われた。
相鉄がファン向け(商い)のイベントに力を入れたことで、最期は撮影会や特別列車の運行で花道を飾った。 DF50 548
1962年に、羽越本線でカモレを牽引中、単回のD51 637と正面衝突。
車体の3分の1近くをD51に突っ込まれてあり得ないほどに大破。
どう考えても廃車という状態だったが、当時無煙化が始まったばかりの頃で、
件のDF50もまだ製造間もないということで、土崎工場の匠のてによって復活。 小田急7000系(LSE)
7000系より新しい10000系(HiSE)や20000系(RSE)が、バブルに乗ったハイデッカーやダブルデッカーで、バリアフリーに対応できずに早期廃車に追いやられたのに対して、古さは感じさせるものの、奇をてらわない内部構造が幸いして、さほど大きな障壁もなく、今まで生き延びた。 >>131
8707Fが何故か廃車になった影響でしばらく残っていたんじゃないの? >>131
2100系は最後の車もシングルアームにはせず終わったのに。 >>130
モ590は軌道線車両陣の中でも一際地味で目立ってなかった形式として不幸な車両 >>136
そうかな
580の方が不幸せムードあるよ 都電6152はラッキーだったんじゃないか 最後は走らせられなくなったとしても 西武401系
前年まで作られていた451系が製造開始からわずか25年で冷房改造さえされずに消えた(ついでに他社譲渡は一部のみ)のに対して、
こちらは411系時代を含めると33年のおつとめ。
冷房改造、カルダン化などもされ、廃車後は全社他社に引き取られた。 モハ181-29
モハ181-202が衝突事故で延焼して使用不能となったため廃車を免れ復帰。
151系として生まれた181系で唯一特急とき廃止まで使用された。 メトロ07系
たいていの車両が決まった路線を走り一部の譲渡車以外は井の中の蛙で終わってしまうメトロの車両の中にあって
この系列は自社だと有楽町線、千代田線、東西線で使用され、直通先では、東武東上線、西武池袋線、狭山線、
JR中央線・総武線・常磐線、東葉高速線も走った経験がある。
それに対して兄弟分の06系は夭逝してしまった気の毒な車両だった。 踏切事故で横転して大破したが配車されずに復旧され特急車の座を守れた西鉄モ2041 遮断機が降りてるのに突進してきたトラックに体当たりされるだけで十分に不運と思いますけど… でも復帰したは良いが調子悪くて
結局他よりも早くリタイヤしたんだっけ >>151
ネットの記事によれば復帰後は走行中に異様な振動や騒音がしていたらしい
乗客としては怖いだろうな >>153
ポルターガイスト車として運転すれば、その手のファンが全国から来たかも知れない。 >>154
事故復旧車や戦災復旧車は、ちゃんと治ってなくて具合の悪いのが多いようだ
自動車なんかモロそうだし 格下げされずに特急用のままで生涯を閉じた形式は幸運かもね
東武DRCとか南海こうやとか あのボディのままでドア増設と車内ロングシート化は難しかろう 阪神初代5001形
阪神時代よりも譲渡先での琴電でより長く使われて、1950年代製造のボディにしては長寿の
45年頑張って走れた。 >>159 本格的な特急用車両だから、格下げ改造対象とならないのでは?
3ドア化改造された西鉄2000や京急2000って最初からデッキ付ではないし、本格的特急用車両とは言えないだろう。
東武小泉線で使われた東武1800の一般車化改造といった例外もあるが、短期間の使用に終わった。 東武1800は本格的な特急用車両じゃない
というか急行用車両 >>164
サロ110形300番台というのも
まあ例外的存在だわな >>168
綺麗に保存されてるから幸運かもしれないけど
>万能型特急電車
とか
>在来線の交直流全ての電化区間で走ることができる特急用電車車両として製造された
という説明書きは1500番台的には「冬の北海道不得意でごめんなさい」な感じなんじゃないだろうかw 野上モハ23は明治生まれで平成まで旅客車だった。
阪急1形は原形の優美さがなくなって武骨な姿になったとはいえ、
事業用車もあったし他の同年代の車両よりも長く使われたね。 インドネシアのジャカルタに渡った車両達も幸運だったと思う。
205系も大量に渡ったけど、東北・日光線で使われたメルヘン顔は、インドネシアが
中古車両の輸入を禁止したため、先に廃車になってしまった。 クハ104-551
クハ105-7が側面に特攻をくらって廃車
↓
運転台部分は良好だったので廃車予定のモハ102にその運転台を再利用し先頭車化改造
地下鉄顔唯一のクハ104爆誕 格下げされても銀に輝くバンパーを最後まで残してもらえた京阪1900 でもトップスターの座を占められたのは僅か数年で終わったのは不運とも言える
すぐ後に3000系が来たから 京王2010系
伊予鉄に引き取られてそこで人生全うすると思ったら銚子で第3の人生を歩んで還暦超えるとは… これといって特徴があるわけでもないのにね
何が幸いするか分からんね キハ52
2エンジン両運転台が幸いし他の20系よりも長命だった
晩年は非冷房キハ58の置き換えにも回ったほどだ