幸運な車両
他の車両より幸運な運命となった車両について語るスレです。 メトロの6000-1Fでしょ。
通常試作車なんて長生きできないハズなんだが・・・・。
対して当初から量産の真打で登場した5001Fは、保管場所確保難を理由に他界。 【ついに寝台特急あけぼのが廃止】
反社会的企業「JR東日本」が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&list=PLZFU6ES8QfYprxusuhSXsAQcvu5y6y40q 185系だな、
実力の差がない117系が、特急はおろか急行として走ったこともないのに、
登場時からずっと特急での仕事をもらってる 西武401系。
元は製造初年昭和39年の吊掛駆動車ながら新性能化され、
引退後も全車解体を免れ地方私鉄に譲渡。
現在も長年放置された419F以外が現役で運用中。 キハ28-2346も廃車の危機を幾度となくかわしてきてるよな(´・ω・`) >>9 確かに・・・所沢工出身の西武車の中で意外にも生え抜きカルダン車の生存率が低いのに
全車解体免除とは・・・三代目501系や新101系と較べ、けっして垢抜けた車体でもなく電気だって馬鹿食いの筈なのに・・・。 1号機関車に尽きる。
番号は後付けの1番というだけで、開業式に使った訳でもお召に使った訳でもなく、使い勝手の悪さから所謂「魔改造」のはて島原に流れ着く。そのためか長生きして50年後に注目を浴び・・・・そのあとは皆さんよくご存知の通り。 そう言えば、近鉄の保存車デボ1も、元の「大軌デボ1」ではないんだよね。
状態のいいのを選んだのか、元のデボ14→モ212が「1」として保存された。
こういう例も、幸運っちゃ幸運なのかもね。 近鉄は似たような例で電貨にされちゃったのがいるよね。けいはんな線車両牽引車のやつ。 小湊のキハ5801!一番最後まで残った旧型気動車と云うだけで、プロパー車ですらないどころか、
本来買収私鉄 三信鉄道の院電鋼体化の電車が化けたゲテモノ気動車。
別府鉄道に流れ着いた骨董品の客車、気動車たち
若い物に囲まれて肩身が狭そうに余生を送るより同じ時代を生き抜いた仲間同士最後まで第一線で仕事出来たのはスゴイ幸せだな。 C55だろ、全62両が戦災/事故に会わず、晩年まで急行牽引 事業用車から旅客営業車に転身した車両は幸せもんだ。 一度事業用にまでなった(あるいは、事業用として新製された)車両で、
旅客用に復帰した(改造された)車両って、何があったっけ?
いろいろ考えてみるけど、思い付かない。 自己レスすまそ。
クモハ123に、クモヤがタネ車のグループがあったのね。
忘れていた。 鉄博に保存された キハ41000(当方の無知で車号不詳)でしょ。
国鉄で廃車後 電気鉄道の遠州鉄道が二俣線乗り入れに用意した気動車で(しかも当の国鉄は老朽車として難色)
乗り入れ廃止後 北陸鉄道能登線へ 能登線廃止後 関東鉄道(→筑波鉄道)へ
トルコン改造を受けたり 大型車元国鉄キハ42000の5201や新造車のキハ5301後光で仲間が一両脱落する中、関鉄に無事移籍し生き残り
そして 最終的に筑波キハ461として最後まで生き残りマニヤ有志の力で生き残りそして鉄博へ。
波乱万丈だな。 >>18
展示用で営業運転してないけどリニア鉄道館の63電車だな。
クモヤ90から復元している。 それ、「甲種“回送”」並みによくある誤解。
荷物車や郵便車は「事業用車」じゃないよ。 リニア鉄道館の300系量産車は本来廃車してすぐ解体予定だったのが700系展示までの間の穴埋めとして展示されてた。
結局700系展示と入れ替えで解体されたけど3年間解体が引き延ばされたのだから幸運と言えなくも無いかも。 東武1819F
廃車や改造されることなく1800系で唯一生き残った編成 >>18
既出だけど飯田線でゲタ電として復活運行してたやつ
>>1
C571に尽きるのではと 事故に遭ったけど非貫通になって命永らえたクハネ581−7
(幸運な車両と言うより珍車と言った方がいいか) >>35 運転サイドにとっちゃ無用長物の貫通扉で隙間風吹くより良かった異端でも生き残れたんじゃね?
・・・無論 事故修復の後遺症も酷くなかったのだろうけど・・・。 トップナンバーというだけで保存されたり生き残った車両は数多くあるよね。
クハ111やキハ181、クハ86etc
165系のトップナンバー編成も、奇跡的にあそこまで残って幸運だったけど、
それ故には不運(災害にやられたんだっけ?)な最後になってしまった。
そういう意味では、クハ165-3は幸運な車両。 その流れで言うと、トップナンバーとして梅小路に残るはずだったのに、
人気の個体(C622)に取って代わられて、紆余曲折の末にようやく無火で梅小路にたどり着き、
でもいまだに庫内に入れないC621なんかは、かなりなnot幸福車両だよねぇ…。 名鉄ク6035は踏切事故で大破して車体を作り直し、挙げ句本線から瀬戸線に左遷されたけど瀬戸線で最後まで残った赤い電車と言う事で今日さよなら列車に起用された。 >>39
C621の場合蒸気機関車館を設立する計画段階では既に除籍されていたのも2号機にとって代わられた理由のひとつかも。
当時は機関車館に保存された車両のうち動態保存車両は本線で営業運転することも考えていたし。
そうなると廃車除籍状態の1号機は保存候補から外れるのも不思議ではない。 リニューアルやグレードアップ改造が施された国鉄型の特急・近郊型車両
特急型ではベンチシート車、近郊型ではシートピッチ非改善車がタネ車だったり
すると、余計に幸運に感じる。例えばクハ481-258やモハ113-328など 地方私鉄の新造車の場合(特に機関車)同形車があると大抵1号機が残った。
4とか(最初から飛ばし欠番の場合多い)2(特に3以降が製造が新しい場合)が真っ先に淘汰(特に売却)の餌食に。
そういう慣わしの中 戦前 九十九里鉄道のキハ101あっさり戦前に焼失で早期離脱。 京王2010系 2069 2070 2575 2576
京王で22年伊予鉄で26年そして銚子で4年 四国へ渡った111系
MT46装備車どころか、113系にも廃車が出る中で生き残った
しかも冷房改造、保全工事等まで行われるとは 九州に行った181系の先頭車なんか極めて幸運でしょ。
本来他形式編入想定で代替新造した中間車以外全車廃車の筈だったのだから・・・ 西鉄313系。2015年1月24日63年の生涯を閉じる。大手私鉄で還暦を
迎えた車両は稀ではないか。 JR東海211系0番台
他の国鉄形車両が全滅した後も無事走り続けてる。 >>48
大手私鉄で、他社へ移らず還暦迎えたって言うと、
名鉄510とか750とかの有名どころしか思い浮かばないかも。
あとは(少々禁じ手かも知れないが)近鉄220かな。 >>48 新車当時から地味な存在の癖に・・・
そういう意味(当然意図的に延命を図って来た訳ではない。後天的理由)から言うと極めて幸運だよな。 不運なのはEF5860
あと数年持ってればJRスタートのイベントで目玉になれた 東急8500系
オールステンレス狭軌で先頭車がデハなため地方私鉄に重宝され、
中間車は一部解体されたものの先頭車は全車生き残っておる。
なんという無駄のない設計だ、
素晴らしいな。 京王7000系
登場時は5連で各停運用専用であったが、6000系が引退するにつれて
急行 特急運用が激増。出世列車といえるのでは。2014年3月には
初期の車両は30年を迎える。6034Fの長寿記録更新は間違いなし。 8500一族はどのクルマも多く人々の血を吸っていそうだな。
長生きの秘訣か・・・。 >>22
dクス、04保存のボランティアに最後まで関わらせて貰って
良い経験をさせて頂いた、奇蹟の車輛だと思っている
筑波鉄道の他の車輛は、買い手もつかず皆スクラップにされてしまったから
ホロコーストを生き延びた人達の様に、今でも思っている >>48
さらに禁じ手の上塗りwっぽいと自分でも思うが、
近鉄生駒鋼索線・宝山寺2号線のコ3型が
ジミ〜〜に還暦突破してるらしいよ。
>>50で書いた近鉄220は、生き残ってる物については
サ120に形式変更されているし、派手な近代化改装で
タネ車の面影は感じに取りくい。
そういう意味では、コ3の方が、近年塗装の復元もされてるし、
まんまの姿で61年だから、より幸運なのかな? 近鉄と言えばモトの形式中に旧大阪鉄道の成れの果てがあるよな。
電動貨車化の後吊りかけからカルダンに変わったが。 旧大阪鉄道???
っていうと、片町線の前身のアレか?
それが近鉄に生き残ってるってか? 埼京線のハエ28
山手線唯一の大窓205系でもあり京浜東北線205系のラスト編成の経験もある >>61
それじゃなくて二代目大鉄(南大阪線の前身) そっちなら普通に「大鉄」でいいんじゃないか?
「旧大阪鉄道」と言われれば、普通は網島駅とかの方を思い浮かべると思う。
それより、>>60の出してる例って、ほんとに使い回されてる部分あるの?
電動貨車化の時に台枠流用してれば、足回りが更新されても台枠だけ残るけど、
もしその時に車体載せ替えで電貨化してたら、書類上だけの話で
何も引き継がれてない可能性もある。 南大阪線沿線住まいだけど、祖母の代から
やっぱり大鉄(ダイテツ)って言うね。
いまは名前違うけど、ガラ悪い高校名で長らく残ってたしw
たしかに鉄道板しかも懐かし板で「旧大阪鉄道」って言われたら
網島駅のほうを連想するかも。近鉄系のスレでもないし。。
でも>>60で「近鉄と言えば・・」で始まってるから、
そこまで噛み付くまでもなく、ああ大鉄のことなんだろうなで流せば 京阪72
急場凌ぎで作ったような車両だったが車庫の火事、昇圧などのピンチを乗り切って今でも健在 >>65
>>61は噛み付いたわけじゃなくて、分かってて混ぜ返しただけでしょうにw
それよりおれの>>64後半についてご存知の方、いたら教えてつかぁさい。 …っていうか。自分でもいろいろ調べてるけど、探し方が悪いのか、
今のところ、現役のモトの中には、大鉄との系譜がうかがえる車両が見付からない orz
エロい近鉄マニアの方、ご教示おながい。
そもそもの疑問としては、狭軌→標軌じゃ、台車が流用出来ないだろうし、
臓物だけ利用?にしては、大鉄系の電装品は魅力ありそうな気がしないし。
どんな事情でそんな事になったかを知りたい。 Wiki見る限り、どうしても見付けられない、現役のモトと「大鉄」との縁。
モト77・78 モ430(奈良電デハボ1000)がタネ車
1470系の足回りで新性能化
モト94・96 戦後に新製(モーターはモニ6251狭軌化時の発生品?)
90年代に車体更新、99年に8000系や1600系の発生品で新性能化
モト97・98 モ二2300(参急2200旧の一族)の改造車の電装解除発生品で製作
95年ごろ、1800系や800系の発生品で新性能化
「大軌」の名前が分からなくて、「旧大阪鉄道」だと勘違いしてる可能性も考えてみたが、
大軌由来のタネ車は見付からない(参急はあるが)ので、それも違うんだろうな。
としたら、このどれかが書類上だけでも、大鉄出身の車輌とつながってるという事か…。
うわ〜、こんなモヤモヤした状態のまま年越すんかよw
たのむ〜、年明けんうちに早よ教えて〜^^ 京阪電鉄5000系
一両を踏切事故で廃車にし、新しい車両に交換したことを除けば全編成丁寧な手入れを重ねることで全編成稼働中。
元京都市電1900型
広島電鉄に入線した15両は冷房化されたことを除けば全車丁寧な手入れを重ねることで全車稼働中。 富山地鉄のデ7000。
路面電車&LRTが見直されて好評稼働中。
水戸岡氏による内装リニューアルされたレトロ電車も好評。 >>70
踏切事故じゃないぞ。
馬鹿中学生による置石事故だ。
南海21201系は短命に終わったが、先頭車21201だけはしぶとく生き残り、貴志川線の増結車とされた。 置石ってのも、正確ではないよ、あれは「置きコンクリ蓋事故」だ。
排障器にかからない程度の石なら、たいがいのものは潰せる。
でも、カーブで鉄筋入りの側溝蓋置かれては、さすがに脱線するわ。
「置石事故」と通称されてるけど、誤解の元だと思う。 浅野川線8801号。井の頭線ステンレスカー1号車。まさか北陸新幹線金沢開業まで生き延びるとは。 8801 と 南海の魔王のトップナンバーは、引退後 東急7000と並べて総車で保管して欲しいなあ・・・ 東急5000系初代 熊本で最後の1両。62年もの大活躍。 クハ165-3
ファーストロットの年寄りながら車両更新工事を施工され、首都圏の急行形の末期まで湘南色を堅持して活躍した。 オロネ24 2・4・5
全車が「日本海」引退後に譲渡された 北総7268
四半世紀前はクロスシートで話題あげ、あの京成が?みたいな感じだった。あの年、AE100、翌年は3700が今までの京成とは思えぬ、新型が入ったが
シートは2回変え最後は21世紀に変えた。
京成 赤電で最後まで生きた車両。 >>80
クハ167-2の事故廃車のお陰で廃車寸前から復活。
その後は165系全廃の年まで活躍、本当に幸運な車両だったな。 >>82
逆に京成で一番不幸なのは、生涯に3回も火災で燃えたモハ104かな? 153系の最後の生き残りはモハの1番ユニットだった・・・というが、サロ110-0〜とか、クハ164に改造されたやつ(番号までは知らない、フォローおねがい)こそ長生きだった >>86
2度目の事故で再起不能となり廃車され、永久欠番となった箱根登山モハ105…。 スロネフ25 501。
一介のオハネ25として誕生しながら
JR化後鷹取工場にてトワイライトエクスプレスの編成尾を飾る
スイート&ロイヤル緩急車に大改造される。
ブルトレのリストラが相次ぐ中、
大阪〜札幌間を結ぶクルージングトレインとして夢を運び続ける幸せなトップスターの日々。
イベントで東京にも四国にも九州にも行った。
青函トンネルと瀬戸大橋と関門トンネルを走破した「一本列島」のモニュメントでもあり、
このたび引退し京都鉄道博物館に永久保存の栄誉に浴す。 長崎160形168号
二軸単車置き換えのための繋ぎとして長崎にきたが、
そのおかげで福岡市内線全廃後も生き残り、
余剰車になり解体寸前になるも、動態保存予定の162が車軸損傷でリタイアしその代わり168が保存車に選ばれた。
その後塗装以外はほぼ登場時の姿に復元され、
100歳以上になる今も現役
幸運と言わずになんといえようか DD51-875
一度廃車になった国鉄清算事業団復活組はこの釜に限らず何輌か存在するがDD51自体の運用線区が減り更新車でも廃車された釜がいる現在でも未だに現役で運用中
そう言えば他には国鉄清算事業団復活組の現役釜って後何輌残っているだろう DD54-33
昭和53年8月に廃車後、車籍復活ののち、同年12月に再度廃車
その後、福知山機関区に留置後、昭和58年から交通科学博物館で保存展示
平成28年から京都鉄道博物館で保存展示 実働年数のわりに知名度がやたらと高い大阪市電3000 >>96
だったとしたらむしろ「不運」になると思うのだが ファンはともかく利用客は覚えてるのかね
引退してから半世紀近くになるのに 大都市の高性能路面電車は志半ばで運命を絶たれた感じ
幸運なイメージがない 875以外の事業団復活組を調べて見た所EF65は全車廃車済みでDD51も874・876・877が875と同じ時に復活したみたいですが全車廃車済みでした
愛知に転属した事が他の釜と運命を分けた? 牽引車として生き残ってる元クモニ143とクモユニ143は相当幸運だよな 紀州鉄道キハ605
もともとの常盤炭礦で活躍した程度。
次の働き場所の岡山臨海鉄道では予備車。
紀州鉄道では全くといって動かなかった。
大した活躍もなかった一生だったが,有田川町で保存されている。 ああ、あの四枚窓のか。
何かのついでに撮りに行ったな。
GW中ということもあって同好の士が他に数人来ていたと記憶してる。 格好良くはないが、一度目にしたら忘れられない車両。 言われてみると、あれもなんだかんだ流転の人生だが幸運な車両だな >>101
「大都市の公営限定」にしなければ、
阪堺のモ501形は現在でも活躍してる
しかも今でも静粛性と乗心地は抜群のまま 100年前の1915年に、東北本線の古真木(現・青い森鉄道の三沢)で
正面衝突事故を起こしたハチロクの8649号。 昨日やってた「恵俊彰の九十九里浜迷宮殺人ダイヤ」ってTBSのドラマで「キハ282346に会える!引退前にもう一度会いたかったんだよな〜」と恵さんが言ってたけど、山陰や北陸で活躍して千葉へ里帰りしたんだっけね
スレ違いかもしれないけど >>111
おっしゃる通り。
人間の寿命と相関してるように思える。 そもそも、車両に心、感情があるわけではないから、幸せかどうかなんて決まらない。
人でさえ、幸福そうに見えてそうでない人、その逆もあり、はたから判断すべきものではない。
下らないスレ 哲学的なこと言われてもなぁ
ここは鉄学を語る場所だから ゆとり以降の世代って心の貧しい人を作るよね。
ゆとり教育を見直したらしいけど
むしろさらに悪化したように思う >>116
後者のニンゲンなら
あんたの言う部分もそうかもしれないが
このスレは、もとより車両という物質に対してニンゲンが
どの車両が幸せだったかについて好き勝手に批評する性質のスレだ
つまりあんたの言ってる部分はヤブニラミの指摘でしかない。批判の観点そのものがズレてる。 ユニコーン書林 虚偽表示 ヤフオク 転売 脱税 質問欄 自演
ユニコーン書林 吊り上げ 危険 埼玉 悪行 逃亡 税金
ユニコーン書林 経営者 泉智倫 住所 虚偽 出品物 ブログ
ユニコーン書林 特定商取引法違反 日高 泉 経営者 本名
ユニコーン書林 ヤフオク吊り上げ 不法 違反 古本 商取引法
ユニコーン書林 悪質 違法 申告漏れ 野球 鉄道 古書 犯罪
http://unicorn-syorin.com/index.html >>120
それはチミがそうだからだよ
最初から貧しさしか知り得ない人が豊かさを知ってるはずないわけだからな。笑 なぜ日本は米国との全面戦争へ突き進んだのか?回避する策は皆無だったのか?降伏のタイミングは?
史実に基づく主張・議論から仮想・仮定の後付けまで幅広く話し合ってみましょう
基本的に満州事変からの流れで行きたい処ですが(場合によっては)明治維新日露戦争まで遡っても構いません
※荒らしはスルーでお願いします 足回りを剥ぎ取られて支線で余生を送るところが一転特別仕様に改装されて
短期間ではあったが南大阪線のスターになれたかもしか号(元伊勢電) 115系1000番台ニイN-33編成
元々は長野総合車両センターに配置されていたこの編成だが、2013年に211系3000番台の
転入による置き換えで廃車となる予定だったが、2008年に越後線内で発生した踏切事故に
より損傷して使用不能となり保留車となっていたE127系0番台のV3編成が結局廃車となった
ため、その代替車として新潟車両センターへ急遽転属して命拾いした。未更新車のため、
E129系の投入による置き換えも予想されていたが、その後も生き残り、今回のダイヤ改正
でも新潟駅の高架化によるATS-Pの導入に伴い、ATS-P未装備の更新車が廃車となる
予定の一方で、このN-33編成は引き続き使用される予定となっている。
>>87
クハ153- 1・2・17〜20・25・26→クハ164-1〜8 (今月号のRP誌の車歴表から) 名鉄モ702〜704(残留組)とモ701/705〜710(北陸移籍組)
前者は最後までほぼ原型だったが、後者は大改造されて原型をとどめていなかった >>4
あれは重故障やらかして廃車になったらしい。 名鉄モ590
591と592は冷房改造されさらに美濃町路線廃止時もとさでんに譲渡され今なお現役で幸運な車両
593は廃止時保存されたまあ幸運な車両
594と595は美濃町線ワンマン化時ワンマン化もされずに車齢20年程で廃車。590のなかでは不運な車 相鉄5000系、5053F。
2005年に廃車前提で厚木駅に休車として置かれていたが、7000系が事故に遭いピンチヒッターとして復活。
全検を受けてシングルアームパンタに交換されて、床下機器もピカピカに化粧直しが行われた。
相鉄がファン向け(商い)のイベントに力を入れたことで、最期は撮影会や特別列車の運行で花道を飾った。 DF50 548
1962年に、羽越本線でカモレを牽引中、単回のD51 637と正面衝突。
車体の3分の1近くをD51に突っ込まれてあり得ないほどに大破。
どう考えても廃車という状態だったが、当時無煙化が始まったばかりの頃で、
件のDF50もまだ製造間もないということで、土崎工場の匠のてによって復活。 小田急7000系(LSE)
7000系より新しい10000系(HiSE)や20000系(RSE)が、バブルに乗ったハイデッカーやダブルデッカーで、バリアフリーに対応できずに早期廃車に追いやられたのに対して、古さは感じさせるものの、奇をてらわない内部構造が幸いして、さほど大きな障壁もなく、今まで生き延びた。 >>131
8707Fが何故か廃車になった影響でしばらく残っていたんじゃないの? >>131
2100系は最後の車もシングルアームにはせず終わったのに。 >>130
モ590は軌道線車両陣の中でも一際地味で目立ってなかった形式として不幸な車両 >>136
そうかな
580の方が不幸せムードあるよ 都電6152はラッキーだったんじゃないか 最後は走らせられなくなったとしても 西武401系
前年まで作られていた451系が製造開始からわずか25年で冷房改造さえされずに消えた(ついでに他社譲渡は一部のみ)のに対して、
こちらは411系時代を含めると33年のおつとめ。
冷房改造、カルダン化などもされ、廃車後は全社他社に引き取られた。 モハ181-29
モハ181-202が衝突事故で延焼して使用不能となったため廃車を免れ復帰。
151系として生まれた181系で唯一特急とき廃止まで使用された。 メトロ07系
たいていの車両が決まった路線を走り一部の譲渡車以外は井の中の蛙で終わってしまうメトロの車両の中にあって
この系列は自社だと有楽町線、千代田線、東西線で使用され、直通先では、東武東上線、西武池袋線、狭山線、
JR中央線・総武線・常磐線、東葉高速線も走った経験がある。
それに対して兄弟分の06系は夭逝してしまった気の毒な車両だった。 踏切事故で横転して大破したが配車されずに復旧され特急車の座を守れた西鉄モ2041 遮断機が降りてるのに突進してきたトラックに体当たりされるだけで十分に不運と思いますけど… でも復帰したは良いが調子悪くて
結局他よりも早くリタイヤしたんだっけ >>151
ネットの記事によれば復帰後は走行中に異様な振動や騒音がしていたらしい
乗客としては怖いだろうな >>153
ポルターガイスト車として運転すれば、その手のファンが全国から来たかも知れない。 >>154
事故復旧車や戦災復旧車は、ちゃんと治ってなくて具合の悪いのが多いようだ
自動車なんかモロそうだし 格下げされずに特急用のままで生涯を閉じた形式は幸運かもね
東武DRCとか南海こうやとか あのボディのままでドア増設と車内ロングシート化は難しかろう 阪神初代5001形
阪神時代よりも譲渡先での琴電でより長く使われて、1950年代製造のボディにしては長寿の
45年頑張って走れた。 >>159 本格的な特急用車両だから、格下げ改造対象とならないのでは?
3ドア化改造された西鉄2000や京急2000って最初からデッキ付ではないし、本格的特急用車両とは言えないだろう。
東武小泉線で使われた東武1800の一般車化改造といった例外もあるが、短期間の使用に終わった。 東武1800は本格的な特急用車両じゃない
というか急行用車両 >>164
サロ110形300番台というのも
まあ例外的存在だわな >>168
綺麗に保存されてるから幸運かもしれないけど
>万能型特急電車
とか
>在来線の交直流全ての電化区間で走ることができる特急用電車車両として製造された
という説明書きは1500番台的には「冬の北海道不得意でごめんなさい」な感じなんじゃないだろうかw 野上モハ23は明治生まれで平成まで旅客車だった。
阪急1形は原形の優美さがなくなって武骨な姿になったとはいえ、
事業用車もあったし他の同年代の車両よりも長く使われたね。 インドネシアのジャカルタに渡った車両達も幸運だったと思う。
205系も大量に渡ったけど、東北・日光線で使われたメルヘン顔は、インドネシアが
中古車両の輸入を禁止したため、先に廃車になってしまった。 クハ104-551
クハ105-7が側面に特攻をくらって廃車
↓
運転台部分は良好だったので廃車予定のモハ102にその運転台を再利用し先頭車化改造
地下鉄顔唯一のクハ104爆誕 格下げされても銀に輝くバンパーを最後まで残してもらえた京阪1900 でもトップスターの座を占められたのは僅か数年で終わったのは不運とも言える
すぐ後に3000系が来たから 京王2010系
伊予鉄に引き取られてそこで人生全うすると思ったら銚子で第3の人生を歩んで還暦超えるとは… これといって特徴があるわけでもないのにね
何が幸いするか分からんね キハ52
2エンジン両運転台が幸いし他の20系よりも長命だった
晩年は非冷房キハ58の置き換えにも回ったほどだ