今でも現役のタンク機関車 C12スレ
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相鉄出身のC12も存在したらしいですね。
買収国電ならぬ買収蒸機? 相鉄のC12は短命でした。買収蒸機というのは珍しいケースですか? 南薩のは全伝熱面積の数値が省型とは異なるから飽和式で正解かな ブーム末期のC12配置(昭和45年6月現在)と主な使用線区 ★は廃車後保存(のち解体も含む)
小樽築港 ★6、★38、★64 手宮入替
白河(支)11、82、207,★280 周辺入替
高崎一 41、46、47、★163、★187、263 足尾線
上諏訪 ★66、★67、★171 入替、岡谷まで小運転
木曽福島 82、★199 入替、上松入替
中津川 42、★74、209、★244 明知線、中央本線補機など
糸魚川 69、★88 大糸線
加古川 ★167、★225、★230 加古川線など
奈良(転) 226
西舞鶴 32、51、★60、194、215 舞鶴線補機など
小郡 285
厚狭 39、★164、204、219、293 宇部・小野田線ほか
南延岡 55、93 高千穂(日之影)線
熊本 ★222、252 高森線
鹿児島 ★208、★241、★287 入替、指宿枕崎線 品川の戸越公園の7号機は学研の月刊誌(○年の学習)に載ってたので知っていたが
キャブ等よじ登り自由だったせいかすぐボロボロになったな。
札幌の動物園の2号機も同様だったがその後どうなったろうか。 >>8
2、5、7号と一桁若番機が保存されたけど、7号は解体されちゃったね。
2は大事に屋内保存だし、5は甲府城から移動しつつも健在。 >>11
すみません、白河のは83でした。82は木曽福島の給水塔の横で休車(廃車?)
になって留め置かれている姿が有名でしたね。
木曽福島のデフ付の198・199コンビのうち198は早くに消えたけど199は遅くまで頑張ったね。198の代わりが82で、そのあと171とか164とかが勤めたのだっけか。 >>13
C11245は八部に有るよ、C12は無いが。 >>15
八部にあるC11の止まっているホームの国鉄風の駅名票はかなりリアルに再現されている 島原の霊丘神社に置いてあるC12 01はいつデフをつけたんだろう
1965年時点では05と06にしかついてなかったと何かで読んだが >>19
この鉄道のC12で国鉄編入後にC12269を名乗ったカマは
浜松工場で保管されて1972年前後の工場公開日に展示されていたけど
いつのまにか解体されてしまったようだね。
本格保存の時期を逸したのかな。 >>21 どうも。
ということは事後の改造はあったとしても、
構造には大きな差異は無かったのでしょうね。
画像探してみます。 元相模鉄道のC12の画像はどこかにないどしょうか? むかしレイルが月刊だった頃の買収私鉄シリーズが好きでねぇ
神保町では引き取ってさえくれなかったからその辺のゴミ箱へポイ 戦後混乱期南海が海南島流れで購入し片上でC13を名乗ったヤツはこのスレでは邪道? >>26
邪道でもいいから何かネタ持ってたら語ってみてよ >>30
その7号のいた戸越公園には今でも機関車が乗っていた台座が残っていて、横に
「ここにこの機関車が保存されていました」というレリーフのような説明板が立っていますね。 シングルナンバー繋がりの話だが、C129はナンバープレートが
サイドタンクではなく、テンダー機みたくキャブ窓の下に付いていた。 C12の国鉄現役最後は誰ですか?
僕の周りでは奈良区の167(入換機・いつも扇形庫脇で昼寝してた)
木曽福島の199(上松入換)なんだけど。 木曽福島の199はそのあと、中津川から来た230と交代して、そのあとはC56(ナンバー忘れた)になって、その後はとうとう篠ノ井からDE10が来ていた >>36
木曽福島に最後にやって来たのはC56124だよ、形式入ナンバーを付けていた。 例のデフ付199と198がいて、198が早く廃車になって82が来て
それも199より先に廃車になったあと、199が検査とかになると上諏訪とか長野とかからC56が応援に来てたよね。まあ同じような用途に使えるし。
その後C12171がきたのでそれもあまりみられなくなったけど、昔のネガには晩年のC56124以外のC56が写っているものがあります。
たしか1971年頃には木曽福島の配置表にはC12199とC56106?の名前もある。 >>6
昭和45年の時点で
これだけしかⅭ12は残ってなかったんですね。
小型で入替や小運転に重宝したと思うんだけど
Ⅽ11に比べて冷遇されていたのはなぜ? 39です。
変換ミスですまん。
C12とC11です。 >>38
木曽福島のC12・C56配置推移
'69年はC1282・C12198・C12199
'70〜71年はC1282・C12199
'72年はC12199・C12171
'73年はC1269・C12164・C12230・C5696・C56149
'74年はC12230・C56124
>>39
戦時供出や接収で66輌が引かれて293−66=227輌
このうち'57年11月ではまだ212輌が健在
それが、5年後の'62年4月には128輌に激減している
さらに'70年3月末となると55輌(55/227=約24%)
主な理由
1)DD13による入換機としての用途廃止(新潟・宇都宮・飯田町・田端・梅田等)
2)DC導入による支線混合・客車列車牽引機としての用途廃止(水郡線・千葉・加古川・小松島・西戸崎等)
3)余剰C11への更新(門司港)
4)盲腸線の利用客のバス転換・小口貨物のトラック利用による運用減
別にC11と比較して特に冷遇されたわけではなく、本来の用途自体が減っただけと思われる C12は簡易線向けのSLだが、簡易線規格の倉吉線ではなぜかC12は投入されず、
C11牽引の混合列車や客車列車が運行されていて、無煙化後もDLは簡易線向けの
DD16ではなくDE10が速度制限を受けながら客車列車や混合列車を牽引していた >>42
倉吉線は
戦前は?→230形→1070形→C11形
戦後はC12を'62年度まで使用
'62年秋から余剰の出てきたC11に再度移行 >>43
倉吉ではC12がC11に置き換わったんだね。
やはりC11の方が使い勝手が良かったのかしらん? >>41
木曽福島の73年以降がすごいな、車検が僅かでも残っているカマを寄せ集めたのがよくわかる。
>>42
DD16はSG付いてないからDE10を使うしかないよ。
>>45
日中線もC12からC11だったね。 >>35
C12208が熊本区で高森線無煙化により'75/3に廃車になったのが最後
高森線さよなら列車は'75/3/9付け運行
山野線のC56全検切れによりはるばる小樽築港から吉松に移った
C1264とC12225は'75/2/8付けで廃車になっておりこれがラス前の2輌
ただし山野線さよなら列車は'74/12/26付け
C12225は小松島区徳島支区、浜田区、梅小路区、加古川区、小樽築港区、吉松区と北海道・本州・四国・九州全てに在籍した国鉄全体を見渡しても珍しいカマ
C12新製配置や新線開通時の主な使用路線(入換専用を除く)
1)C11に更新 会津線・日中線・瀬棚線・名松線・石巻線・赤谷線・日高本線・石巻線・標津線・矢島線・越後線・弥彦線・阿仁合線・江差線・山田線・佐賀線・土讃線・可部線・越美南線・牟岐線・宮原線・日南線・大隅線など
2)早期にDC・DD13に更新 烏山線・久留里線・木原線・真岡線など
3)C56に更新 山野線(末期にC12に戻る)・宮之城線・木次線・小海線・大糸線(区間運転はC12併用)・越後線・可部線など
4)9600に更新 渚滑線・池北線・長井線・興浜北線・興浜南線・湧別線(名寄本線の一部)・羽幌線・舞鶴線など
5)C58に更新 信楽線・池北線・江差線・山田線・舞鶴線など
6)早期にEC・ELに更新 仙山線
7)無煙化までC12を使用 高森線・明知線・足尾線・指宿線・日之影線など >>47
その熊本のC12208って、ひょっとして大井川のC56にボイラー乗せ換えたやつじゃない?
見方を変えれば現役復活といえないこともない・・・かも >>47
やはりC12はC11に比べて冷遇されていたんじゃない?
真岡線は今や先祖返りしたってことか(笑)
久留里線もC12が似合うんだけどなぁ 飯山線戸狩スキー号は最大時客車5輌、中央東線岡谷の回客は客車7輌も牽引してるあたりがよくわからん >>50
飯山線戸狩スキー号は8620ではなかったっけ? あと10年もしたらSLに郷愁を感じる世代が減り、いよいよ過去の遺物化になるか。 加古川と西舞鶴で見たがデフ付きのC12を見たかった 加古川にデフ付きC12はおらんやろ
木曽福島には最晩年までおったが >>55
見たのはデフなしだからデフ付きを見たかったてことだろ
日本人ならそう読んでやれや デフの有り無しもファンには拘りのポイントになるのか、、
奥が深い。 誤爆してしまったよ
C11スレに書き込みたかったのに >>56
スマンな、読解力不足や。
デフ付きC12はC56と見分けがつかんなw 内地の民有木で一度も国鉄入籍しなかったのは? 神中(相鉄)、南薩(鹿児島交通)と島原(C11かも?)だけ
北海道の運炭とかでありそうなんだが・・・ 全国あちこちに保存されてるので
あまり有り難みが感じられてないのが残念 C12じゃせいぜい客車3輌しか牽けないから効率悪いな
重連なら問題ないともいえるが
客レはもうありふれてるから、東武がやるときゃ貨物列車運転してくれ 加世田に放置?されてた2機がいずれも赤みがかってたのが忘れられない
子供だから空気も弁えずホームに居た駅員さんに理由を聞くと、
あれは錆止め塗料の色だよと丁寧に教えて下さった
それにしてもなんで駅員に聞いたんだろ?自分でも分からんw 都心から一番手軽に見に行ける保存機は何処でしょうか >>70
C12なら大宮の29かね
あんまり状態よくなさそうだが
茅野の駅前の67は今でも構内入換しててもおかしくないぐらい美しいけど、ふらっといける距離じゃないな >>71
距離的には和光市の85も。成増駅からバスで
小学校の中なので外から見る あとかつて戸越公園にも7号があった。解体されたあとの台座とここに機関車があったことを示す説明板も設置されている。 今実物の前にいるんだが、小さい機関車だなぁ。
C56と共通要素が多いようには、ちょっと見えない。
誰か並べて展示してください。 撮影しようとしたが、
許可は要るかどうか分からなかったのでやめた
みなさんどうしてましたか >>77
道路から撮影するぶんには宜しいんじゃないでしょうか 呉線?で線路を歩いていた幼女がC12に轢かれそうになったが、通行人により無事救出されました・・
ってのが平均視聴率40%台だったNHK朝の連続区テレビドラマ「鳩子の海」の最初のシーン。
実は、大井川鉄道でのロケ。 最高50%超えたという、「鳩子の海」の視聴率に比べれば、真田丸や逃げ恥なんて大したことないと思ってしまう。 南薩の加世田で茶色っぽくなって佇んでいたC12が唯一の思い出 物凄く古い話で申し訳ないのですが、戦前の吹田機関区梅田支区と宮原機関区に
配置されていたC12の使用線区について、ご存知の方がおられましたら教えて
いただけないでしょうか。
また、C12についての詳しい資料がございましたら教えていただけないでしょうか。
なんかクレクレばかりで申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。 >>83
西成線じゃないの?
安治川口での事故は有名だが、朝ラッシュ時には駅員がポイント転換で焦るほど
ガソリンカーや蒸機牽引の客レが頻繁に走ってたというから。 >>82
私も見ましたがいわゆる戦時型だったような
最初に導入された通常型は加世田運動公園に保存されています
が状態はよくありません 関西人にとって
C12は加古川線と奈良区だな。
奈良は機関区のマスコットだったが。 >>84
あの辺りだと西成線の可能性が高そうですね。
先日福知山線を走るC12の写真を見かけまして、場所柄配置は宮原だと思うのですが
確証がなく、どちらの機関区の機関車か気になってご質問させていただきました。
ご返答いただきまして有難うございました。 国鉄(当時)甲子園口駅から阪神武庫川駅まで線路が敷かれていて戦前C12が使われていましたが。40年あまり前まで線路が残ってました。ただ吹田からやや遠いし関係ないかも >>83
梅田は入換専用機が8〜12輌、本線用はなし
宮原は当初から本線用が6〜7両、宮原の入換はB50
てことは梅田は操車場の入換
宮原は西成線や尼崎周辺の小運転と思われ >>89
ご教授頂きましてありがとうございます。
やはり梅田のは入れ換え用に使われていたようですね。
資料を色々当たったのですが、戦前の機関車の資料は極端に少なく、参考になりました。
本当にありがとうございました。 >>91
大阪局の配置表の受け売りなので
なお、1931.1現在では
吹田庫大阪分庫に本線用230形×8、入換用1850形×5
1933.9の宮原庫分離独立時に宮原庫大阪分庫に組織変更し
本線用230形×11、入換用変わらず
1934.6に宮原庫大阪分庫が吹田庫梅田分庫に改称?し
230形に加え本線用C12形×5は宮原庫に、入換用1850形は梅田分庫に分散
1939.4時点では梅田支区は入換専用で230形×3とC12形×8
宮原区は本線用にC12×5、入換は6700形と6760形各1
1944.3時点では梅田支区は入換専用でC12形×11
宮原区は変わらず 大鉄局の配置表をご覧になられたのですか。
詳細に調べて頂きましてありがとうございました。また、前後のタンク機の配置についても教えて頂きありがとうございました。
大変参考になりました。
ということは大ターミナルの大阪駅にもC12牽引のローカル列車が入線していたのですね。
なんか昔の福知山線、2両の113系の様に場違いな感じがします。
ところで大鉄局の配置表はどこで見ることが出来るのでしょうか。
教えて頂ければ幸いです。 >>93
ネットでは無理かと
当方は数年前まである程度の期間の全国各局のものを購入しました
(一枚数百円でも何十年にもわたり結構な金額でした)が
その方は今は頒布を中止している模様
また、個別の機関車の異動は大作「機関車表」CDを購入するのも手ですが、
誤りも多く各局の月次配置明細は載っていません >>94
いつもご丁寧にご返答頂きましてありがとうございます。
残念ながら戦前の機関車の配置表もう手に入らないようですね。京都鉄道博物館の蔵書検索にもかからないため今後見ることは難しそうです。
機関車表なら今からでも入手出来そうなので購入してみます。
この度は貴重なデータを教えて頂きまして本当にありがとうございました。
心よりお礼申し上げます。 >>82
あえて着色してるのかと思うくらいに
異様な空気が漂ってたな 気持ちは分からなくない
SL=黒ってのは刷り込みだけどな 現役末期のSLは黒というより汚れ過ぎて茶褐色だったり濃い灰色っぽいのもあった
今の復活動態機は黒光りしすぎ 全く同感
現役時代を知らない奴らなら、
ボデーを適当に黒光りさせておけば喜ぶだろ、くらいにしか思ってないのか >>101>>102
現役末期の頃はそれは汚かった。無理もない。明日が無いうえに使用線区も「ど田舎」の「どローカル線」とくれば・・・
国鉄の労使間のゴタゴタもひどかった。
全盛期の頃は見る由もないがさぞかし黒光りしていたと思う。 >>103
それでも熊本のC12とかはまだきれいだったよ
桐生や甲府のC12はもう哀れとしかいえない汚さだった 油で磨いてある保存機は好ましいと思う。
西尾市と安城市では近接した自治体にそれぞれC12があるという謎の土地だが保存団体に交流があるらしく、いずれも油で光っており状態良好。 いまC12の前にいます。フェンス越しの対面だけど。
小学生の前に蒸気機関車は、どう映るのだろう。
私が江戸時代の駕籠を見るのと、さほど違いは無いかも知れない。 >>105
たぶん草の根フレームが一番上手く機能してる例と思う
ほかでも草の根で運営してるところはあるが
口先だけで汗をかかない連中がのさばってるのが大半で空中分解寸前 安城市のC12に行ってきた。
寝坊したおかげで作業には遅刻してフェンスの中には入り損ねたw
しかしフェンスの中は綺麗に芝刈りがされており、機関車の維持については何人とも邪魔させないぞ、という気迫さえ感じた。
写生大会の案内さえあった。これほど綺麗に整えてあれば先生も寄って来るだろう。
贅沢を言えばフェンスの存在が残念だが、悪質な鉄ヲタという破壊者がいるわけだし受け入れるしかない。
公園機関車の理想形の一つだろう。 いい話です。
全国に散らばる鉄道保存車両がこのようなかたちで維持できればよいのですが・・ でもやがてSLに郷愁を抱く世代も亡くなり、物心ついた時からSLを遺物として認識してる世代が中心になると
いまのような保存フレームも遅かれ早かれ崩壊する・・・それは時代の流れだから仕方ないのか 社会がSLをどう見てるかが問題ではなくて、
遺産を保存する意義が見えなくなってるのが問題
今は利益を生まない物事はビシバシ切り捨てて行かないと生き残れない時代
余裕がなくなってしまった 安城のC12ですが、風下に立つとオイルの匂いがします。
梅小路の庫内と同じですので間違いない。
公園機関車としては最良のコンディションだと思います。 本来ならJRが率先してSLのみならず、DL・EL・PC・DC・ECの動態保存に真剣に対応するべきなんだろうけどまあ無理だな
真岡のC12は東武が買い取ればいいのに あれは半役人がいろいろ条件つけてるから誰も手をあげないだろう
ほっときゃ屑鉄になるだけだからあせっていいなりになる必要がない >>111
悲しいことだか頷くしかない
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