昭和30年代と40年代前半はローカル線は道路網整備遅れている&駅が基本有人駅で手荷物扱ってた&郵便輸送も鉄道依存大
だが輸送量自体は当然少ないので合造車の客車輸送を気動車化すると気動車も合造車に
戦後郵便・荷物気動車の新造がキハユニ25x7&26x59とキユ25x4と割と頑張って造ったけど圧倒的に旅客車優先だから不足分を改造車でまかなう方針だったよ
試作要素強い旧電気式やキハ15キハ50に接客面問題や少数派でもあった合造優等車のキロハ18やキハ26の300台(元キロハ25)は全車が改造されてる
なお使いにくいと各区所で散々不評の中間車キハ18改造が1両(キハニ15)のみで終わったのは謎扱いされてる