【東京急行】懐かしの東急沿線風景 Part.2
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>>68
廃車候補から見事に息吹きを吹き返した車両と言えば8039F、3450形のデハ3457も昭和56年に後に廃車された車両と一緒に休車になってたが後に3484Fの中間車で復活してた >>70
結局8039Fも3457も最後の方まではしったよね。
8039Fは帯無し、3457は旧塗装に復元されたよね。
さらに8039Fは2両が伊豆急譲渡、残りが解体予定だったけど
伊豆急の計画変更に伴い8両全車がインドネシアに譲渡されたもんな。 >>73
8039Fは2003年の廃車時は伊豆急行く予定だったんですね、初めて知りました。
ちなみにデハ3457は自分の調べた限りでは3470Fの中間車から外されて休車になりその後3485の代わりに3484Fに組み込まれたみたいです。
3457も8039Fも引退時リバイバルつながりもありますね >>73
ちなみに3457を中間に挟み最後は旧塗装になった3484Fはかつてこどもの国線専用だった3866も組み込んだ。
3484F調べたらかなり長い間池上線で走ってた模様。 小田藁線に63形はいったときはまだ大東急でしたっけか? >>82
ID:9lcZzSVlはお漏らし野郎。構うな。 そう言えば池上線時代の3452Fと7205Fは徹底的にコキ使われてたイメージある >>86
ID:9lcZzSVlはお漏らし野郎。構うな。 >>7205Fって最後に目蒲に転籍して2M2Tで目蒲線の最終期まで殆ど使わなかったヤツだっけ?
・・・だと、すればこの時点で走行距離を調整していたのか?
・・・な訳ないよな
・・・7200の3M1T目蒲線転籍も東急でありがな情勢の変化(当時も1000系新車導入凍結)? 小さい頃池上線の7205Fは冷房&側面方向幕と東横や田都に対抗できると思ってました せっかく7251Fに側面方向幕が設置されたのに7551だけが身売りされてしまったね ステンレス板で塞がれた7551の側サボ跡は無残であったな 長年疑問に思い続けていたのだが、
混血混用していた(可能)な7200系は日立・東洋で改番までして区分けしたのに
肝心の7000系は何故、改番変更による区分けはしなかったのだろう?
もう134両製造してしまい社内の混乱を回避したかったのだろうか?
昨今の5000系の編成差し替えや、以前の運転系統大変更に伴う車両交換、編成換えは行ったのに不可解? あくまで推測になるけど、7000系134両のうち先頭車が64両、中間車70両で、特に東洋製は中間車だけでも
50両(先頭車は42両)となり、7200系のように50番代で区切りよく分類するには車両数が多すぎたのかな? 単に7000生産中にそういう発想が無かっただけだったり
例えば京急1000も電装が東洋と三菱とで区分されてないし >>96
その通りだと思う
3450系も、日車・川崎で別れていないし、7000系の後輩7200系も、初めは日立・東洋混在の連番だった お前の論理は、矛盾していると思う。
製造メーカーの相違は、性能に無関係。
事実7200系は、手間を承知で途中で方針転換。
馬鹿が湧くから書きたくなかったが、戦災国電等復旧のクハ3670形と3770形は、
昇圧準備車と未対策車(無論後年昇圧工事したのだが、)でつまり電機部品的理由で区分けしていた。 ●●●100円で関節痛を直す方法●●●
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馬鹿に構うのは本意ではないが
>お前の論理は、矛盾していると思う。
どのレスに対するものか分らん
>製造メーカーの相違は、性能に無関係。 事実7200系は、手間を承知で途中で方針転換
だからぁ その理由が知りたいのだよ
>戦災国電等復旧のクハ3670形と3770形は・・・・
誰も話題にしてないのだが、
上から目線で読解力に乏しいキミは100年ロムの刑だ! >>98
読解力がまるでないな
>>97は>>96で7000系製造時には、番号を別ける認識が無かったとのレスに対してのものだろ
なんでそれを矛盾しているととるの?
頭悪すぎだろ
また、3670・3770については、そもそも走行出来る路線がそれぞれ限定されていたので、7000系や7200系のそれとは同列に比較するのは安直、というか具の骨頂 >>100>>101 馬鹿なの?
車両を管理保守する側からみれば、車体のメーカーの相違(機能的に)は無関係。
他社(京急)なんて例に持ち出すの論外だろ!
当初 3670,3770は、・・・それぞれ?・・・同じ線区で使っていたの分かる?
(一部の車体新造や大井町線の改修が進まない時点では目蒲、東横のみしかし 昇圧対応の準備の有無で区別)
車両性能、運用上異なり紛らわしい車に対して区分け行うのが、本来理想的であるのに、
7200系以上に性能や使用方法に相違のある7000系も後年改番区分けの対象にしなかったのは何故ということだ! >>103
>昇圧対応の準備の有無で区別
おまえバカだろ
昇圧対応の有無で区別されたんだから、それぞれ路線が限定されていたんだよ
東横線が昇圧された後、次の目蒲線昇圧完了まで、3年かかってんだぞ
その間、同じ元住吉に籍を起きながら、東横・目蒲線で運用が固定されていた訳で、そのための番号分けだ
それともおまえは、東急全路線が一斉に昇圧されたとでも思っていたのか?
それにだいたい昇圧対応準備車じゃない、昇圧対応工事完了車両だ
知ったかぶるのはよせ
7000系の件は>>96の言う通りなんじゃないのか 昭和50年代の3452-3451の下り先頭車の変化が頻繁
3452-3451-3671
↓
3452-3451-3672
↓
3452-3451-3860
↓
3452-3451-3861 >>98
> 製造メーカーの相違は、性能に無関係。
へー、永久直列60kWの東洋と直並列70kWの日立が
同じなんですかそうですか 7000系の東横線全盛時代、急行運用に日比直用の東洋車が入ることはあっても、ATC非装備の日立車(東洋車の一部も)
が日比直運用に就くことは不可能だったが、7200系のように明確な区別方法がないとすると、ダイヤ乱れのときなどの
運用調整は至難の業だったろうね。それとも番号以外でも一目で識別できるものがあったのかな? 車両に全く興味がなくて話についていけないので
出来れば東急グループの歴史とかの話をおながいします >>107
>明確な区別方法がないとすると、ダイヤ乱れのときなどの運用調整は至難の業だったろうね。
別にどうってことない
当時は種別が変わるなんてことは無かったんだから、乱れていても、急行は急行、日比直は日比直
ただ遅れるだけか間引きするだけの話しだよ
>それとも番号以外でも一目で識別できるものがあったのかな?
運行中なら運行番号見りゃ解るし、乗務員室に入ればATC装置の有無がすぐに解るし、東洋と日立ではマスコンの形も計器類の文字の大きさも違うし…
てか、そもそもそんな必要ない
番号見りゃ解るんだから
なのになぜ番号以外にと限定するの?
1番見易いし解り易いんだから、番号見りゃいいだけじゃん
レスの意味が良くワカランよ > それとも番号以外でも一目で識別できるものがあったのかな?
「109」にて語られてますが、編成そのものが少なかったので、現場では暗記してました。
8連になったころは渋谷側7023、7031、7033、7037、7047、7051が日立、7011、7013、7015、7019、7021、7025、7027、7029、7035が東洋で日々直対応、それ以外が東洋の地上専用といった具合. 私が一人で乗り鉄と撮り鉄できた頃の旧7000は東洋車は東横、日立車は大井町(東洋車の7001Fと7005Fは大井町所属)でした、一時期大井町線に東横から7027Fと7035Fの東洋車が走ってました。 自分も日立・東洋は暗記してたな
数字と音が紐付けされる記憶感覚が楽しかった 側面の急行板を一時 全車両に取付けない時期があった。
6両編成は2枚、8両で3枚だった、苦情が来たのかほどなく全車に取り付けに戻った 【不買運動】パルシステムは男性を侮辱した女性専用車両広告を使う反社会的企業です
パルシステは女性専用車両という卑劣な男性排除によって生じた女性のみの状態に広告を出して金儲けをしようとする反社会的企業です。
http://www.youtube.com/watch?v=fimLUILsMdI&feature=channel&list=UL
(パルシステの広告)
男性の人権を毀損したこの企業の製品・サービスに対して不買を心がけと情報拡散をしましょう! >>114
折り返しで列車種別が変わることは多かったのでしょうか? 急行は急行のまま折り返してました。
夕方ぐらいに本数が減って急行は21時ぐらいで終了でしたね 生まれて初めて乗った東急の電車は東横線の7200系の急行 東横線に7200が来た時は6両で 日比谷線は8連化されており、短い6両の急行はちょっと恥ずかしかった >>120
その頃はまだ5000系6連の急行がまだいたよ
それに、7000(7055F)の6連急行もたまにあった 7001F+7003F急行はよく利用した
東横が18m8連のみに固定された頃6+2組成が4+4組成に変更されていた
6連3.4号車を2連側に ただ移動させたようなものが多く番号が揃ってないのが気になった
V化や譲渡の兼ね合いがあったのだろうか? 東横線7000系の地上専用車(主に日立車)は、8連の急行と6連の各停のどちらにも就けるように、6+2だった(日比直用は8連固定)
ただし7001Fは、田園都市線及び目蒲線の区間運用用にも使えるように4+4だった
晩年のV化と同時期の、日比直用7000系6+2から4+4への組み替えは、1000系就役によって7000系が日比直車から順次目蒲線へ移行し、その過程においての共通予備車と使用するための処置 晩年の7035+7017は目蒲に1010+1011が行くと交換で東横線走ってた。
あと旧7000の7001こと現在の7910と7005こと7908、7023こと7903は旧7000時代から中間に回されたことなさそうな気した >>125
そう、目蒲線。
といっても、目黒ー田園調布の区間運用用ね。
あの頃は区間運用用として、7000系のほか、6000や5200も4連で目蒲線を走っていたんだよ。
ただし、5000系だけは使われなかったんだよね。
5000系は、寸法では7000系より小さいし、機器は5200と同一だなのだから、入線は可能なはずなんだが…
理由知っている方います? > 旧7000の7001こと現在の7910と7005こと7908、7023こと7903は旧7000時代から中間に回されたことなさそうな気した
その7005、1970年代に日立車4連の下り側に7005+7006の2連を加えた6連がしばらく見られた記憶が鮮明にある。
その時7106と7105は7003編成4連の中に組み込まれて6連となっていた。 > 5000系は、寸法では7000系より小さいし、機器は5200と同一だなのだから、入線は可能なはずなんだが… 理由知っている方います?
知ってます、5000系は車体長が1両につき50センチずつ長いので、目蒲線のホームに入らなかった。のちに5000系の3連を向かえるに辺り、一部の駅では1〜2メートルほどだけどホーム延長工事をしていた。 >>129
目黒ー田園調布間は当時7000系が営業運転されていたんだけど、5000系は車両限界を超えて不可だったんだ
つまり、5000系4連の方が7000系4連より長いって言っているんだよね? >>130
>>129ではないがyes 5000は全長18.5m
5200・6000・7000は18.0m
7200は先頭車が5cm位長かった希ガス なら5200系を池上線で走らせても良かったと思います >>131
それ、5cmじゃないだろ、50cmだろ(笑) >>132 そんなことしたら早くから5211が、あぶれる 放置か? >>131
それ連結器を含めた全長だろ。
5000系は車体長18.000、
5200系・6000系・7000系は車体長17.500だろ。 1988年頃8001F〜8005Fと8011F〜8015Fの先頭車交換で東横線走った8001と8003と8005はお気に入りだった。 > 先頭車交換で東横線走った8001と8003と8005
当時渋谷寄り先頭車に専ら冷房に使うためのMGやSIVを装備してましたが、冷改した1次車8001〜8009編成が170KVAのSIVを搭載していた以外すべて6両分まで対応の140KVAのMGでした。
ですから夏季のみ強力SIV搭載の先頭車に振り替えていたわけです。この処置も下り側から3両目のデハ8200に下り側3両分のSIVを搭載することにより解消しました。 「138」に附帯することですが、8000系列と8500系列では冷房電源引通線容量が異なり、容量が少ない8500系では編成端に設けられた電源からすべての車両に電力供給が出来ません。
ですから田園都市線8000系5連登場時にM車8100形を下り側2両目から4両目の電源搭載クハの隣に移し、もともと8100形だった位置に8500系M車8700を組み込むといった手法が採られました。 8640Fと8641Fは新製から大井町線走ってたが8090の大井町投入、大井町線から18m車撤退と同じ位の時期に田都に没収された 8500系の中間車に供されたやつか
かっこいいというよりは、無理やり引っ付けたゲテモノ感がたまらなかった 8035F(旧)は編成がバラされるまでの間 幌付きで営業してたけど
メリハリ感があって好きだったな
確かさいとうさんのホトグラに写真があったな 8035-8135-8218-8136-8036
↓
8619-8725+8035-8818-8135-8519
8620-8726-8036+8218-8136-8520 誘導無線を外した穴の跡 子供心にも、溶接ではなくビス留めでショボサというか、ステンレスの加工技術の限界みたいなものを感じた。 先日、東横線内で西武6000系に初めて乗ったが、中目黒〜祐天寺間など勾配登坂時の加速の悪さは相当なもので、
正直、往年の7000系東洋車の加速感を思い出さずにいられなかった。 東武9000はモーターの音程が7000の東洋車を彷彿とさせる 7001Fの一番最初のマスコン旧6000のにそっくり 東急線内に唯一残る
7200系と8001F〜8009F非冷房車特有の通風器積載で
旧5000形以降新性能車の証しであるフカフカでワインレッドの落ち着いた色彩のシートを搭載した
7200-7290解体ですか
先輩7000形より先に絶滅とは感慨深いっス >>155
あの通風機って現存してるのデヤ7200系だけだよね
それだけでも保存してくれないかな。車両一両置くのに比べれば場所取らないし マニアックすぎるwww
7000系のベンチレーターや8000系のクーラー着せも好きだな
あの造形と配列に「東急」のイメージを見ていたと言っても過言ではない 7000とかの非冷房車のベンチレータって外気を取り入れる所の網の部分に鉄板を
挿入する溝があって、昔は冬季になると鉄板を入れて外気を遮断してたんだよね。
末期は保守の手間の都合で、扇風機の所の外気取入れ口のシャッターを閉める
だけになってしまったけど。冬季になると扇風機にカバーをかけてたのも昔語りだね。
(日本興業銀行のリットー・ワリチョーとかの広告が付いてたね…) >>158
興銀はリッキーとワリコーだ。
リットー(ワリトー)は東銀
リッチョー(ワリチョー)は長銀
リツノウ(ワリノー)は農林中金 東京生命だったかの広告もあった記憶
・・・消えた会社ばかりだな TDA(東亜国内航空)
JAS(日本エアシステム)なんかのもあったよな。 TDA→JASは確か東急が資本参加していたんじゃなかったっけ。 >>163
その名残で、JMB機能付きのTOPカードや
TOP発行のJALカードとかがある。 確か7000系は、日比谷線に入ると回生ブレーキが働かないように、SWをオフしていたと思うけど、
アレを失念して中目黒を発車したらどうなるの?(発車できないの?)
マスコンキーのないツーハンドルだからブレーキ不緩解というわけでもないだろうし
、日比谷線は車内信号じゃないから出発信号の現時が出ないとか防止できるわけでもなさそうだし・・・
営団の変電所が飛ぶの?架線への影響は?
誘導無線が入らないの? 東急ATSから営団ATCに切り替えると、回生もカットされるようになっていたんじゃない? 唯一あった、営団のATO車両は中目黒で切って、東横に乗り入れてたの?知っている人いる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています