当時は、目蒲線はともかく池上線で5000系は車体を擦るから入れなかった。
昭和30年代中ごろは、目蒲線は3600形(戦災国電)の台枠流用復旧車が東横線と共に入線できる
限られた線区だった(大井町線も溝ノ口までのときは紛れもなく旧3000形&7200オンリー時代の池上線並に、元々車両限界が狭かった)


奥沢検車区が無くなり7700や7000の定期検査も雪が谷でやるようになり必要にせまられ
蒲田ー雪が谷大塚まで改修
やがて池上線での1000,7700使用開始のため五反田(池上線全線)まで改修。

・以前から気になる事だが・・昇圧の時期は一般記録で知られているが、車両接触限界の改修(入線可能車種の変化)の記録って無いよな。