【湯たんぽ】東急旧5000・5200系【青がえる】
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前面2枚窓の名車であった東急旧5000と5200を語るスレ。
他形式の話題もこの2形式に関連していたらOK!! 初期型登場時は前面窓ガラスがHゴムに支持なっていなかったこと
客室ドアガラスも同様だが、これは晩年まで変更はなかったこと
客室窓が全開するタイプとそうでないタイプ……くらいかな >>209
亀だが、博物館収蔵品を希望するとか渋谷区どれだけ厚かましいんだよ。
その挙げ句、産業遺産クラスをダルマとか…。
8000系だったら何も問題にならなかっただろうけど。 渋谷に行って、あの青ガエルの遺体を見るたびに悲しい気持ちになるのは俺だけ? >>215
悲しくなるから、極力見ない(視界に入れない)ようにしてる
しかし、明らかに往来の邪魔になってるし、撤去も時間の問題だな
長津田に戻して過ちのオブジェ(負の遺産)として恒久保存されたし スレチかもだけど、デハ5001をダルマにした京王重機っていい仕事するよなw
東京消防庁にある三田線6000形カットボディーはステンレス車なのにクオリティ高過ぎる。あれみたら本当8000系辺りでも良かったのにって感じ。 昨年松本のやつ見に行きました。
渋谷のやつは見ないようにしてるので。 スレ地ですまんが、タモリ倶楽部の取材で登場した小田急2600のシュミレターは、
本物の成れの果てでしょ?
こういう知れれざる(非公開の)本物の残骸各社の教習施設とかにありそうな気がする。
こういうカットモデルを個人マニア向けに販売してもイイと思う。
仕事がなくて事業を縮小したアルナとかは、コレで一息つくとかすればよかったのに・・・。
>>217 もしかして渋谷のBトレには京王重機の銘盤が誇らしげに加えられているの?(だとしたら嫌がらせ&皮肉レベルだな。) 熊本のは近年中に寿命が来るんかな?
オリジナル保ってるのは松本のやつだけで 寿命ならとっくに到来してるがクマ電の技術力で延命させてるだけかと 青ガエルのドアー窓って、
・Hゴム支持大窓
・Hゴム無し大窓
・Hゴム無し小窓
の三種類で、晩年でも形態統一はされてなかった…ですよね? 6000はたまに見たけど、5200は滅多に見なかったなあ。1973年頃。
田園調布には貨物ホームもあったし。新丸子は木のベンチだったし。
小杉の乗り換えは便利だったし。初乗りが30円かな。 >>224 ○です。
戸袋窓の塗装、無塗装(アルミサッシ化?)もあった。
確か上田は、Hゴム支持は居なかった。
・・・しかしHゴムって・・・マニア以外が聞くと勘違いする用語だな。 鉄道ファン2013年4月号(表紙が近鉄しまかぜ)を買ったらちょっと気になる写真。
以下長文スマソ。
同誌101頁のクハ5150の屋根上が分かる写真目当てで買ったんだが、100頁には変形
車が写っている。McTMcを2本併結した6連が山手線を跨ぎ東横線下りを走っているが
その写真のキャプションだと後ろ寄り編成に「サハ化したデハ5100形が組み込まれて
いる」とある。正直なところ初めてそんな変形車があったのを知った。
その写真だと屋根上しか分からないが、パンタを撤去しただけでランボードや配管に
パンタ台も避雷器などそのまま残っているように見える。「サハ化」ということは、
床下の制御器系統も撤去されたのだろうか?
多少資料を集めてはいるが、これまでデハ5100形のサハ化に触れたモノはなかった。
5100形のサハ化について御存知の方がいらしたらどうか御教示願いたい。 >>227 3Mじゃ強力だしコスト管理にシビアな東急だから一時的モーターカットとかじゃね?
東急は固定編成だけど(営業運行で分割、増結はあまり好まないけど※)マメに編成を抜き差しして転用とか試行するの好きだし・・・。
※開業時当初の鷺沼ー長津田 熊本の青ガエル今年のいつ位まで大丈夫なのですか教えて下さい お願い致します >>227
目蒲にも3両でパンタ3つ付いた編成があったよな確か。 5000って言うか目蒲だと3000シリーズのクハなしでデハだけ編成じゃなくて?。 >>228
まあデハ5100形のサハ化について触れた資料は件の写真以外、全く見ていないので
サハ化は短期的で軽い処置だったのかもしれない。
確かに東急は営業列車の分割併合と縁が薄く、編成組み換えが多いですな。
>>231-232
3000系・5000系末期の目蒲線には両方とも全M編成が居たと思う。3000系だとデハ
3450型のみで組まれた編成だったような? 5100のパン無し写真は何かで見たような…
ちなみに私鉄車両編成表'80を見ると、T車扱いで5100型が居る。
大井町の5連で中間が全て5100、内1両だけパン無しだった模様。
編成表'84だと同じ大井町の5連でも5Mが居る…
変電所容量とか、T化の手間とか天秤にかけて色々やってたのかね? >>234 8500系(8800)のコンプレッサー撤去車みたいなモノで
モーターカット状態で常用してパンタも撤去(予備品確保)していたんじゃない? カラーブックスに5000の3連3パンの写真が載ってたと思う 青ガエルのBトレが出るみたいだね。
えっ?!
実物大のBトレが渋谷ハチ公前にあるって?
確かにその通りだな。 Bトレなのかハチ公前のやつのNゲージ模型なのかどっちなのか
GMキットの5000を作ろうと思い店で探しているのだが、横浜で1袋買えただけ
6両にしたいので後2袋欲しいのだがなかなか売っているのが見当たらないな
やはり東京都心に出ないと無理か GMの青ガエル板キット懐かしいな。
小学生の頃挑戦したけど、難しかったなぁ〜
全然うまく出来なかった。 >>239 甘い甘い!アレで5200造ったヤツ(我鬼の分際で)こそ神!
俺は側板折り損ねで大山詣出(ハンパランナー買いに)を3回した。 爺のエコノミーキット初挑戦が青ガエルだったwww。前面と右側板の屋根肩の合いが
スゴく悪くて、あの丸みのラインを乱さぬようにできるまで手こずった。
動力入れるのに裾を切り落とすのも難儀した。前面ガラスの表に行き先表示器を貼る
のがイマイチ納得できず。余分なガラス板に表示器シールを貼り、前面ガラスの内側
に無理矢理くっつけた。昔のプレイモデル誌で見かけた?前面パーツにメンディング
テープを貼り窓の形をトレースし、そのテープをガラス板へ貼ってトレースした形に
切り抜いてはめ込み窓にする、なんてローテクなこともやった。
Bトレ青ガエルは今年6月予定。イメージ図を見る分にはドア上に水切りを追加した
仕様。先頭車+中間車のセットで両方ともパンタの有無を選べる構成。
最低6箱は買うかな。Bトレ用ブックケースは20両入るからもうちょっと買うか?
ついでに熊本の軍曹ラッピング車&青ガエル復元塗装も出るけど、側板が東急版と
共用だから改造運転室部分の側窓が原型のまま。改造運転室側の前面は付くが。 1967年4月から1970年3月まで日吉の箕輪町に住んでいた。線路沿いで
今は踏み切りが廃止されていて高架化されてしまったところである。
5000系105両全部が東横線にいた時代である。急行は7000系がほとんどだったが
日中でも1運用は5000系であったのは覚えている。 あったあった
確か昭和40年代までその運用はあったはず
その後7200が田園都市線から移籍してきて、時たまその運用に6連で入ったりしてたね 同じ一般公開形式の保存展示でも、京阪3505があんなに丁寧で大切な扱いを受けてるのには、少なからず
ゴミを再利用してやったんだと言わんばかりに台車等機器類をもいで車体をちょん切って渋谷の往来の邪魔に
なるようなところに置いた結果非難轟々だった事例が生かされたのかな、と思う(全く無関係ではないだろう)
勿論取り返しのつかない安易な愚挙には間違いないが、この犠牲もその意味では無駄にはならなかったと思う 熊本5000消える際には2両とも東急が引き取ってそれを改めて復元すべきだろw 243 1970年3月に東横線5000系の田園都市線に移籍開始。
それと同時に親の転勤で1973年まで札幌1977年まで福岡1977年に東京都
多摩市に住んで真っ先に思い出すのは新玉川線開通で田園都市線で活躍する
5000系。東横線とはまた違った意味で新鮮だった。 243に続く。と
新玉川線8500系統一とともに大井町線に集結。一時は過半数以上が5000系
5連のうんようだったことも。この状態が昭和50年代終わりまで続く。
そして目蒲線では登場時と同じく3連に目蒲線での最後の自身のお別れは1986年6月15日だった
5047+5354+5050だった。
上田、松本の甲種の時はお見送りをした。松本のカラーを見たときは唖然とした。
10系の旧塗装の方がしっくりする。
その後は譲渡先の6社はもちろん台車だけ行った伊豆急 西鉄にも行った。
最後に乗車したのは2009年12月31日。寝台特急はやぶさのお別れ乗車を兼ねて
の時である。 昭和40年代前半生まれの私は、5000系といえば『ハズレ』の電車だった。
加減速のたびに豪快なサウンド奏びかせ、心ときめかさせる7000系や、ダイヤモンドカットが美しい7200系。
悪魔の雄叫びヨロシクつるべ式窓の6000系、同じくつるべ式窓の超レアな5200系。
床が板張りだったり、窓に保護棒が付いていたり、バス窓だったり。スピードは出ないが、まるで必死に唸り声あげているかの様な吊り掛けサウンドを奏でる、個性豊かな3000系列。
そこへいくと、走行音も静かでこれといった特徴もない5000系は、CPの振動と音が煩わしだけの、子供にはまさに退屈そのもの車両であった。
特に車内更新した車両は最悪で、側扉は小窓になり外は見えず、窓はそれまでの上下段共に上昇式の全開出来る方式から、上段下降下段上昇の、全く面白みのない物に変わってしまい、退屈どころか混雑時の長時間乗車では苦痛でさえあった。
あれ、これってスレチですか? なるほど。247 248(自分)は1962年生まれで一回り違いの1974年生まれの
弟は音鉄だが当然のことながら5000系は東急史上最悪の電車といっていた。
7000系の特に日立製のサウンドが最高であるとの評価だ。
1984年8月の東急スタンプラリーの付き添いでいったが、東横線 目蒲線 池上線
大井町線は私が付き添ったが、田園都市線は8500系onlyでつまらなかったので
母親が私の付き添いの代打で弟のスタンプラリーの付き添いをやってもらった。 なるほど。247 248(自分)は1962年生まれで一回り違いの1974年生まれの
弟は音鉄だが当然のことながら5000系は東急史上最悪の電車といっていた。
7000系の特に日立製のサウンドが最高であるとの評価だ。
1984年8月の東急スタンプラリーの付き添いでいったが、東横線 目蒲線 池上線
大井町線は私が付き添ったが、田園都市線は8500系onlyでつまらなかったので
母親が私の付き添いの代打で弟のスタンプラリーの付き添いをやってもらった。 確かにパワフルかつダイナミックなサウンドを奏でていた7000系日立車と比較すると物足りなさはあったが、
スマートな外観とライトグリーン塗装がピタリフィットして、特に「急行」サボを取付けて走るカッコよさは
今でも忘れられない。もちろん更新前の前面サボ・ドア大窓時代の話だが… 旧5000は乗務員室直後の客室が夏場は暑くて息苦しかったのと、
乗務員室と客室間の扉の狭さを思い出す… もまいら↓コレには参加しないんでつか?
ttp://www.kumamotodentetsu.co.jp/news/20140328594.html 大井町線時代の5200系に1両5000系の入った編成と東横線の晩年の5200系4連+2連が
印象に残る。 ラッシュ時は掴まるところがないし、湾曲したドアは足で踏んで閉まりにくかった >>249
そうそう、5000系といえば、全開に出来る窓がよかった。
子供のころイタズラで、ガラガラの車内の一両すべての窓を全開にした事があった。
そのあと、その車両に乗車してくる人の驚いた反応を見るのが楽しかった。
乗車した人は驚いたあと必ずこちらを見るのだが、その時は必死に笑いをこらえて知らん顔をして、あとで隠れて一人ほくそ笑んだっけなー。
いい思い出だ。 最近の若い人は空気の入れ替えで窓をあけることをしない。小さい頃から
100%冷房化で育ったから仕方がないのかもしれないが、5000系の
前開窓は気持ちよかった。特に今の季節は最高である。 >>260 花粉だの髪型だの、他人フケが飛ぶだの 軟な癖に煩せーよなっ。
スレ地になるが、もし時代を遡ることが出来るなら先頭の車端までシートが伸びていた頃の510(後の3450形)とかに乗り
窓を開け展望風景を堪能してみたい。 元長電のレストランの前にある5000も見に行きたいが、屋代線が廃止になって最寄り駅がなくなってしまった
バスでも行けるのかな? 2004年に5000の保存されているところへ行ったが、須坂駅からタクシー利用が
無難である。 いよいよメトロ01系によって最後の5000系が置き換えか?? 今度Bトレで青がえるでるけど、ドア上に水切りがある仕様なんだな。
Bトレのように小窓・水切り付きの車両ってどれくらいいたんだろう?
全車そうだったわけではないようだし・・・。
誰か詳細知ってます?いい資料とかないかなー 熊電のクルマが引退したら渋谷区が弁償で引っ張ってきて復元しろ! ↑
そんなことしたら、またリアルBトレになっちまうぞ! あおがえるのTVドラマのシーンはTBSの沿線地図で等々力駅や白癬流しがあるが
その他にあったら教えてください。 仮面ライダーX 第7話 たまプラーザ付近及び宮前平付近 10月16日にあおがえるも還暦を迎える。熊本の2両は1957年製であるが >>269 青蛙は、映画の方が登場回数は多いと思う。 TBSドラマ「3人家族」の話数は分からないが、国鉄横浜駅ホームに立つあおい輝彦の背後で
島式時代の高架ホームを走り去るアオガエルが映っている。 >>273
東急横浜駅って島式ホームだったんですね 中村雅俊主演の俺はおまわり君の冒頭の歌の部分で鷺沼検車区に止まっている
あおがえるを見ることができる。 >>275 5000は、出ないけど鷺沼のプール側(プール過去だな。)辺りって
私鉄沿線87?分署とか出まくったな。
5200が、日本初のステンレス車として認知されているけど、
それより登場(改造だが)早い国鉄のEF10の関門用は何故無視されているのかね? >>276
最初からステンレス車体を持つ新形式として設計されたのと、既存形式の後天的な
(試験的?)改造の違いゆえと思うね。
ふと気になったが、EF10のステンレス改造のデータは、5200系の設計の際に参考と
いうか、何らかの影響を与えたりはしてないのか?自分が知る限りではEF10改造と
5200系の設計に繋がりはないようだが。運用会社も用途も違うから当たり前か…。 旅客車でないこと、外板に開口部が少ないコト(多いと難しかった?)とかもあるのか? >>273
三人家族の放送が1968年の10月からで
横浜駅が相対ホームになったのは1967年からだな。
上り専用ホームが新設されて旧島式ホームが下り専用(今の京急横浜と上下線逆のような状態)になったのは1962年。
まあ当時はホームが短かかったので国鉄ホームからも東横線電車が見やすかったかもしれない 横浜駅の番線が国鉄、京急と通しで無くなったのはこの時? >>280
1980年の東海道・横須賀線の分離運転で、国鉄の駅に9番10番線がつくられた際に、
通しの番線を取りやめている。 どの雑誌か忘れたが東急初代5000の記事あったぞ。 正月休みは久々に熊電へ乗ろうと思う。2・3日に熊本城と水前寺公園を絡めて最後の
青カエル訪問をする予定。まだ『はやぶさ』は熊本行だった頃だが2両とも乗って、
ディテール写真も一応撮った。今は両面から見える幕式の運賃表示機も貴重品だし。
今度は沿線も含めてマターリ撮りたいね。 87年だったかそのころに長電・松電・上田の3社へ
第二の人生を歩んでいた5000に逢いにいった
あの独特な断面形状ゆえに足元のステップが頼りない感じで
乗降時に注意喚起するアナウンスがあった記憶がある。どの社だったっけな? 昨夜に一往復、今朝と昼前に分けて乗って来た。どちらも動いてたのは5101A号。
相変わらず左右豪快に揺れる吊革は健在。改めて乗ると現在の運用区間は絵本に
なりそうな要素が詰まっている。新幹線・路面電車・鉄橋・トンネル・車両基地に
分岐点…。今のバスでは見かけない幕式運賃表示器も健在で数年前と変わらない。
流石に昨夜と朝の3番目の電車に客はほとんどいなかったが、今日昼前には十数人
乗っていて少し安心。とりあえず3800円の置物に200円の青ガエル飴でお布施…。 >>285 相変わらずコンプレッサーは、もっと古い3000形に付いていたヤツ?
RCP?D2N?D3N?ですか?
オリジナルの3ーYーSは、600V対応じゃないから・・・。 岳南はせめて有るピコみたいに蛙取っておけばファン引き付けられたのに 5001がリアルBトレ化されてしまった時って、7000系も廃車出てたよね
Bトレ化は7000だったらありとあらゆる意味でよかったのに…
5001が歴史 しまった、誤爆して途中送信しちまったorz
5001が日本鉄道史上貴重な資料的価値があったのは言うまでもない事だが、
7000系もまた、国産ステンレス製電車の黎明期の車両としての資料的価値がある
でも、稀少性を考えた場合、前者は現存数が少ないものの後者は各地で現役で、
池上線や多摩川線には機器更新して東急での活躍を続ける車両も居る
その裏付けになったのが強靭なステンレスボディという事で、日本の鉄道車両の技術力を
示す事も兼ねて7000系のBトレ化なら誰も文句は言わなかったと思う
屋根の冷房も撤去して通風機だけの姿に復元&家庭用エアコンにするとかしてさ
もし渋谷から撤去となった場合でも、どっかの会社が事務所として使いたいと手を挙げた
かもしれない
何も青ガエル、それも5001でなくてよかったのに…
大井川によるSE車第1編成解体も実に嘆かわしかったが、これはそれ以来の愚挙だった 外国人には日本の車両として新幹線以外で一番有名な車両になったのかな?ショート5001 >>290 Bトレダルマになり日本中で一番TVに出る(固体として)電車(残骸だが・・・)になったのは皮肉だな。
クレージーキャッツの映画に出たのは、5001にとっては、一番の晴舞台だったんだな。 >>280
>>281
相鉄も東急の続きだったような気がする。 東急5000 相鉄5000・・・・もしかして?電機品メーカー 東芝vs日立の代理戦争・・・
車両番号、車体様式(張殻、湘南顔)・・・偶然だろうか?
結果論だったしても関係者は、両者相当相手意識したに違いない
是非とも何処かで対面させたかった・・・
ジョイナス完成後(相鉄5000はマダ生き残っていたのだろうか?)に横浜でガラス越しに両者の出会いはあったのだろうか? >>286
>相変わらずコンプレッサーは、もっと古い3000形に付いていたヤツ?
>RCP?D2N?D3N?ですか?
↑
10日以上レスせず誠にスマソ。2chサーバーが落ちてた日もあったし。
さて自分には聞き分ける自信が全くないのでググったところ、どうやら熊電へ移った
当時のCPかその同型と思う。
池田駅脇のトンネル坑口直上を通る歩道があり、そこから見下ろすと同駅は山間部の
駅っぽく見える。個人的にはここが熊電で一番味のある眺めだと思うのだが。
異論は大歓迎。 >>294
ジョイナス開店 1973年
相鉄5000系引退 1975年
2年間はジョイナス越しの東急と相鉄の5000系同士の並びが見られた >>295 熊電は、600vだから東急時代の純正3YSは使えず譲渡にあたり
両電圧対応3000系のコンプレッサーに変えたハズだよ、(つまりコンプレッサーは、より旧型) 軽量化の限界を極めたのだろうけど、
他の事例の事故大惨事(コメット、韓国のデパート)を鑑みると結果論だな。
賛同しかねる。 じゃあカエルくんがメチャメチャに破砕された事例を上げてもらおうか。 >>301 だから結果論だと言っているでしょ。
1編成だけで暫く試用したワケではないし、
当初10年の寿命と考えていたワケだし・・・実際10年目のその当時財政状況で取替えの必要性が発生しても取替えられただろうか?
不測の事態を考えていないと云うコト。 結果論でいうならこんな地震大国に住んでいる事自体大変なリスクテイクではないかい。 熊本電鉄で問題になったがモノコックボディの構造上の問題から冷房化が不可能だったんだな
小田急SE車も同様の理由で泣く泣く床置き式冷房を積んだが >>305 鉄道伝説でも取り上げていた西鉄313 (地味ながら張殻構造のハシクレ?だったとは・・・)の軽量化加減
が、冷房化できた理由なのかな?
その気になれば 小田急2200は冷房化出来たのだろうか?
名鉄5000は、後継の5500は、冷房を積んだけど改造せず速くに引退
類似の長電2000は、冷房化して長寿
相鉄の5000は、その気になれば冷房化出来たのだろうか?
車体強度、構造上の問題より対費用効果、各事業者の当時の台所事情が理由の場合ようで興味深い。 完全に不可能ではなく補強材を入れれば屋根上冷房は可能だが重量が増大しせっかくのモノコックボディが台無しになってしまうはず モノコックじゃないけど、阪急1000系統の冷房化は意外だったな。
シル付車輌にクーラーはなんかアンバランスに見えた。 名鉄3400や西105みたいに車内に冷房を付けると言う考えはなかったのか? 床置式冷房装置、福島交通7000系(元・東急7000系)の一部にも付けられているが、冷房効率が高くないのでは?
福島の場合、天井にダクトをつけて側面ドア上の吹き出し口から冷気を出す方式だが、冷房機器本体と吹き出し口との距離が屋根上設置式の場合に比べて長くなる。
三岐鉄道の冷房改造車の場合、車体が小さいから冷気ダクトすらなく、車両の端にある冷房装置から直接、冷気を吹き出す方式。
これだと、車内の温度調節にむらが生じてしまう。
青ガエルに、福島7000の方式で冷房ダクトを取り付ける改造ができるか、それが効率的か?という問題だろうな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています