【湯たんぽ】東急旧5000・5200系【青がえる】
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前面2枚窓の名車であった東急旧5000と5200を語るスレ。
他形式の話題もこの2形式に関連していたらOK!! 長野に行ったやつは裾の尾灯が撤去されて、のっぺらぼうみたいで変だったな。 長野に出たヤツが一番原型を損ねた感じだな。
対照的に8500は、ほぼツルシのまんま。
5000系の中でも後期に作られ真っ先に譲渡対象になって
クハ5150形は、短命だな。東急線を20年過ごさず去ったクルマも存在する。 FKK譲渡車の無線アンテナの位置が独特だったよね。 もう30年以上前の鉄道雑誌に、地方に行った5000の事も含めた記事があって、最後に「東急5000系、未だ全車両廃車でず」の記事に感動した。 >>175
そうです。
岳南譲渡車も尾灯ありませんでした。 長野は本来の尾灯を埋めて急行灯を尾灯に改めたの。・・・長野既存の在来車はOS以外は尾灯は、下部配置なのに何故かね?
・・・余談だが、長野って塗装車の色は同じでも微妙に塗分けが各形式違ったし・・
岳南は急行灯を埋めたの! >>168
東急勤務中に宮田さんが書いた東急本は印税等はもらえたか謎? もらえたでしょ。あなたも印税もらえることしてみたら? >>180 宮田さんに限らず、鉄ファン等雑誌、文献への原稿は、仕事の筈。
明らかにマニアでないヒトも書いている。 ハチ公の横のはあんなでも、俺たちにはアルピコがある!! >>186
やっぱりケロロ軍曹のラッピングが終了したら廃車なの? 5000系は新造当時 経年10年ほどでの代替を想定してたらしいけど、溜める
本当にそうせざる得ないほど車両が傷んでいたら東急はどうなっていたのだろう?
田園都市線や新玉川線の建設でとてもじゃないが7000系以降の車両をその分手当てすることは勿論
相鉄の5000の様に車体をステンレスに改めるにしても、かなり財政的に厳しいことになっていたような・・・? 半切れのアレは窓にスクラッチさられたキズが…渋谷で野ざらしだけのことはあるな… >>156
> 熊本に乗りに行ったけど、走行中吊り革が棚にぶつかりまくってた。
> 線形や軌道も関係してるのかもしれない
> 関係ありません 台車の整備の状態で乗り心地が変わってくる。
車輪の矯正等は台車が老朽化していれば無意味 他は台車の整備する側の腕の問題。
最近は国鉄時代に比べて熟練の技術者が減少したので80年代の電車より乗り心地が悪くなっている傾向です。
しかも現在より軌道の状態が最悪の静岡鉄道駿遠線や鹿児島交通線気動車・客車よりは東武5000系列や
東急元5000系のほうが遥かに乗り心地が悪かったです。
その原因は皮肉にも台車の整備する人の技術が落ちたのが原因です。
熊電が国鉄?意味不・・・国鉄OBでも使っているのか?JR委託?
軌道と車両の論争 うちの会社でもよく揉めたよ。
保線は強いからなっ。
重軌条にして車輪がチョク磨だよ
運転側は滑走を嫌がりレール塗油器を付けさせないし・・・
確かに釣り掛けの頃の旧型車より軽いから軌道が安定しない!
空気ばねが、揺れを助長。
あとスプリングポイントがフランジを傷める。
経営の苦しい中小はタイヤをギリギリまで使うから(運転速度が速くないから、それでも無論問題はないが・・・) 追伸 整備も渇々 消耗品交換とか整備諸々(財政的問題。) >>193
財政的な問題ではありません。
それは技術者を会社が採用しない事や育てない事が原因だから 消耗部品があっても
交換できないのが実情。例えば最近まで熊電の5000系窓が割れていてセロハンで貼って状態で数10年以上走っていた。
国鉄民営化以降民鉄電車では窓ガラスにひびが入っていてもセロハンが貼ってあった状態で某社では何10年も走っていた
つまり窓すら外せない人が鉄道の最近の鉄道現場で多く働いていている。
それが国鉄の民営化以降の鉄道の実態。国鉄時代は鉄道はどこでも営業重視より設備のメンテ等に重点を置いていていたので
今より乗り心地もいいし空転やフラットも少なかった。
鉄道の保線や工場の人は職人堅気の人で占められていたが国鉄の民営化でその体質が変化して営業重視になった。
それだったら鉄道の現場の人は好きな人がボランテァでメンテをした方がコスト削減になる。
JR北海道の最近の事故も国鉄時代に比べて技術力が低下したのが大きな原因。
だから最近は鉄道車両の故障が国鉄時代より多い 問題な書き込みどうもすいませんでした >>194 俺と同属?中のヒト?
他所は、知らないけど ウチにはあたらないね?(財政 経費的問題が多い)
ウチはエライ奴が、本業以外にお金を使っちゃって備品や部品に到るまで社外品とか安い品に値切るんだけど・・・(呆)
中小は本当に厳しいんだよ。 どうもすいませんでした 外からでは中の実情は良く理解できませんでした
心から謝罪いたします。
さて5000系は以前 長野電鉄や松本電鉄・岳南で良くお世話になりました。
とにかく車体が軽いので横揺れがしたのが印象でした。
又長野の2500系はモーターの音が全然しないのが特徴でこれが俗に言う無音電車だと錯覚いたしました。
なぜ長野へ行った5000系はモーターの音がM車なのにしないのか今でも疑問に思っています。
でも平成7年頃長野の2500系で初めてモーターの音を聞く事が出来ましたが皮肉にもその車両は数カ月後廃車になりました。
松本でも平成10年ごろ激しく空転する音を聞きましたがその車両も数カ月後廃車になりました。
なぜ長野の5000系はモーターの音が出ないのだか知りたいです。 渋谷に出る度に、10分程時間作って乗ってる。ペコちゃん、持ってこれなかったのか? ペコちゃんはあれしか残ってないんだからやめてくれ。
屋外に置いてあった当時、パーツ盗難に遭ったと聞いた。
カエルならまだほかに残ってるから渋谷のは瞳悟空。 岳南のよく出来た先頭改造車持ってくればよかったのになあ >>199 あの頭の出来は素晴らしかったよな。(東急車輛に、細部までオリジナルの図面がバッチリ残っていたのだろか?
中古車の改造のために岳南が豊富に資金を工面したとも思えない)。
その後のステンレス車の先頭改造車を見ると素材の都合より割り切りを感じる。 お客様に品質精度の高い物を提供するのは、技術の高さをアピールする手段として当然のことであり、しかも現場でも職人としての喜びでもある。
どごぞの子会社にくれてやったような、平面ガエルなんてフザケた車両なんて、いくらなんでも失礼すぎて売ること出来ないでしょ。あんなもんで商売したら東急の恥だし、信頼信頼度も低下して二度とお客が付かなくなるだろ。 >>201 5116のハナシも知らんで勝手に・・・・ 松本か熊本から戻せ。
でもBトレになった5001の代わりにはならない。
保存するために5001と5201を上田に譲渡して廃車後戻したのに、
鉄道記念物並みの車両を渋谷区と東急車輌は何を考えてんだ。 >>203
鉄オタとパンピーの違いは悲劇やね
パンピーにはあれで満足なんだろうけどね
鉄オタには見るに堪えない生き恥地獄に思えてくる
貴殿の気持ちは解るよ
鉄オタだからね まあそこまで言うなら鉄オタ自ら買い上げるなり
手入れするなりすればよかったんだがな
現に松本ではずいぶん可愛がられているし
原型はあれが朽ちない限り大丈夫だろう >>205
いや
渋谷区:今度、渋谷駅前に保存します!
↓
鉄オタ:結構な事じゃないか! GJ
↓
渋谷区:出来ました!(今のダルマ状態)
↓
鉄オタ:ざけんなぁ! こらぁ!
こんな感じだから
怒るのも無理はあるまい
いつの間にかって感じであの状態は 東京都は山手線主要駅に車両を保存する計画だったが、
最初の渋谷で問題が起きたので中止になった。
ちなみに設置当時渋谷区はもちろん東急車輌製造や東京急行電鉄に、
クレームの電話が殺到し仕事にならないくらい大変だったとか。 テレビの天気予報で渋谷駅前が映った時に反応してしまうのは俺だけ? >>207
聞いた事ない。いつの話?私鉄の昔、昔の車両据え置き、良い事とは思うが。渋谷は区が玉川線のペコちゃん希望したが、カエルになったと言う話は聞いていたんだが。 5001は、文字通り初期車
松電の行った5000は、後期車ばかり。 初期型登場時は前面窓ガラスがHゴムに支持なっていなかったこと
客室ドアガラスも同様だが、これは晩年まで変更はなかったこと
客室窓が全開するタイプとそうでないタイプ……くらいかな >>209
亀だが、博物館収蔵品を希望するとか渋谷区どれだけ厚かましいんだよ。
その挙げ句、産業遺産クラスをダルマとか…。
8000系だったら何も問題にならなかっただろうけど。 渋谷に行って、あの青ガエルの遺体を見るたびに悲しい気持ちになるのは俺だけ? >>215
悲しくなるから、極力見ない(視界に入れない)ようにしてる
しかし、明らかに往来の邪魔になってるし、撤去も時間の問題だな
長津田に戻して過ちのオブジェ(負の遺産)として恒久保存されたし スレチかもだけど、デハ5001をダルマにした京王重機っていい仕事するよなw
東京消防庁にある三田線6000形カットボディーはステンレス車なのにクオリティ高過ぎる。あれみたら本当8000系辺りでも良かったのにって感じ。 昨年松本のやつ見に行きました。
渋谷のやつは見ないようにしてるので。 スレ地ですまんが、タモリ倶楽部の取材で登場した小田急2600のシュミレターは、
本物の成れの果てでしょ?
こういう知れれざる(非公開の)本物の残骸各社の教習施設とかにありそうな気がする。
こういうカットモデルを個人マニア向けに販売してもイイと思う。
仕事がなくて事業を縮小したアルナとかは、コレで一息つくとかすればよかったのに・・・。
>>217 もしかして渋谷のBトレには京王重機の銘盤が誇らしげに加えられているの?(だとしたら嫌がらせ&皮肉レベルだな。) 熊本のは近年中に寿命が来るんかな?
オリジナル保ってるのは松本のやつだけで 寿命ならとっくに到来してるがクマ電の技術力で延命させてるだけかと 青ガエルのドアー窓って、
・Hゴム支持大窓
・Hゴム無し大窓
・Hゴム無し小窓
の三種類で、晩年でも形態統一はされてなかった…ですよね? 6000はたまに見たけど、5200は滅多に見なかったなあ。1973年頃。
田園調布には貨物ホームもあったし。新丸子は木のベンチだったし。
小杉の乗り換えは便利だったし。初乗りが30円かな。 >>224 ○です。
戸袋窓の塗装、無塗装(アルミサッシ化?)もあった。
確か上田は、Hゴム支持は居なかった。
・・・しかしHゴムって・・・マニア以外が聞くと勘違いする用語だな。 鉄道ファン2013年4月号(表紙が近鉄しまかぜ)を買ったらちょっと気になる写真。
以下長文スマソ。
同誌101頁のクハ5150の屋根上が分かる写真目当てで買ったんだが、100頁には変形
車が写っている。McTMcを2本併結した6連が山手線を跨ぎ東横線下りを走っているが
その写真のキャプションだと後ろ寄り編成に「サハ化したデハ5100形が組み込まれて
いる」とある。正直なところ初めてそんな変形車があったのを知った。
その写真だと屋根上しか分からないが、パンタを撤去しただけでランボードや配管に
パンタ台も避雷器などそのまま残っているように見える。「サハ化」ということは、
床下の制御器系統も撤去されたのだろうか?
多少資料を集めてはいるが、これまでデハ5100形のサハ化に触れたモノはなかった。
5100形のサハ化について御存知の方がいらしたらどうか御教示願いたい。 >>227 3Mじゃ強力だしコスト管理にシビアな東急だから一時的モーターカットとかじゃね?
東急は固定編成だけど(営業運行で分割、増結はあまり好まないけど※)マメに編成を抜き差しして転用とか試行するの好きだし・・・。
※開業時当初の鷺沼ー長津田 熊本の青ガエル今年のいつ位まで大丈夫なのですか教えて下さい お願い致します >>227
目蒲にも3両でパンタ3つ付いた編成があったよな確か。 5000って言うか目蒲だと3000シリーズのクハなしでデハだけ編成じゃなくて?。 >>228
まあデハ5100形のサハ化について触れた資料は件の写真以外、全く見ていないので
サハ化は短期的で軽い処置だったのかもしれない。
確かに東急は営業列車の分割併合と縁が薄く、編成組み換えが多いですな。
>>231-232
3000系・5000系末期の目蒲線には両方とも全M編成が居たと思う。3000系だとデハ
3450型のみで組まれた編成だったような? 5100のパン無し写真は何かで見たような…
ちなみに私鉄車両編成表'80を見ると、T車扱いで5100型が居る。
大井町の5連で中間が全て5100、内1両だけパン無しだった模様。
編成表'84だと同じ大井町の5連でも5Mが居る…
変電所容量とか、T化の手間とか天秤にかけて色々やってたのかね? >>234 8500系(8800)のコンプレッサー撤去車みたいなモノで
モーターカット状態で常用してパンタも撤去(予備品確保)していたんじゃない? カラーブックスに5000の3連3パンの写真が載ってたと思う 青ガエルのBトレが出るみたいだね。
えっ?!
実物大のBトレが渋谷ハチ公前にあるって?
確かにその通りだな。 Bトレなのかハチ公前のやつのNゲージ模型なのかどっちなのか
GMキットの5000を作ろうと思い店で探しているのだが、横浜で1袋買えただけ
6両にしたいので後2袋欲しいのだがなかなか売っているのが見当たらないな
やはり東京都心に出ないと無理か GMの青ガエル板キット懐かしいな。
小学生の頃挑戦したけど、難しかったなぁ〜
全然うまく出来なかった。 >>239 甘い甘い!アレで5200造ったヤツ(我鬼の分際で)こそ神!
俺は側板折り損ねで大山詣出(ハンパランナー買いに)を3回した。 爺のエコノミーキット初挑戦が青ガエルだったwww。前面と右側板の屋根肩の合いが
スゴく悪くて、あの丸みのラインを乱さぬようにできるまで手こずった。
動力入れるのに裾を切り落とすのも難儀した。前面ガラスの表に行き先表示器を貼る
のがイマイチ納得できず。余分なガラス板に表示器シールを貼り、前面ガラスの内側
に無理矢理くっつけた。昔のプレイモデル誌で見かけた?前面パーツにメンディング
テープを貼り窓の形をトレースし、そのテープをガラス板へ貼ってトレースした形に
切り抜いてはめ込み窓にする、なんてローテクなこともやった。
Bトレ青ガエルは今年6月予定。イメージ図を見る分にはドア上に水切りを追加した
仕様。先頭車+中間車のセットで両方ともパンタの有無を選べる構成。
最低6箱は買うかな。Bトレ用ブックケースは20両入るからもうちょっと買うか?
ついでに熊本の軍曹ラッピング車&青ガエル復元塗装も出るけど、側板が東急版と
共用だから改造運転室部分の側窓が原型のまま。改造運転室側の前面は付くが。 1967年4月から1970年3月まで日吉の箕輪町に住んでいた。線路沿いで
今は踏み切りが廃止されていて高架化されてしまったところである。
5000系105両全部が東横線にいた時代である。急行は7000系がほとんどだったが
日中でも1運用は5000系であったのは覚えている。 あったあった
確か昭和40年代までその運用はあったはず
その後7200が田園都市線から移籍してきて、時たまその運用に6連で入ったりしてたね 同じ一般公開形式の保存展示でも、京阪3505があんなに丁寧で大切な扱いを受けてるのには、少なからず
ゴミを再利用してやったんだと言わんばかりに台車等機器類をもいで車体をちょん切って渋谷の往来の邪魔に
なるようなところに置いた結果非難轟々だった事例が生かされたのかな、と思う(全く無関係ではないだろう)
勿論取り返しのつかない安易な愚挙には間違いないが、この犠牲もその意味では無駄にはならなかったと思う 熊本5000消える際には2両とも東急が引き取ってそれを改めて復元すべきだろw 243 1970年3月に東横線5000系の田園都市線に移籍開始。
それと同時に親の転勤で1973年まで札幌1977年まで福岡1977年に東京都
多摩市に住んで真っ先に思い出すのは新玉川線開通で田園都市線で活躍する
5000系。東横線とはまた違った意味で新鮮だった。 243に続く。と
新玉川線8500系統一とともに大井町線に集結。一時は過半数以上が5000系
5連のうんようだったことも。この状態が昭和50年代終わりまで続く。
そして目蒲線では登場時と同じく3連に目蒲線での最後の自身のお別れは1986年6月15日だった
5047+5354+5050だった。
上田、松本の甲種の時はお見送りをした。松本のカラーを見たときは唖然とした。
10系の旧塗装の方がしっくりする。
その後は譲渡先の6社はもちろん台車だけ行った伊豆急 西鉄にも行った。
最後に乗車したのは2009年12月31日。寝台特急はやぶさのお別れ乗車を兼ねて
の時である。 昭和40年代前半生まれの私は、5000系といえば『ハズレ』の電車だった。
加減速のたびに豪快なサウンド奏びかせ、心ときめかさせる7000系や、ダイヤモンドカットが美しい7200系。
悪魔の雄叫びヨロシクつるべ式窓の6000系、同じくつるべ式窓の超レアな5200系。
床が板張りだったり、窓に保護棒が付いていたり、バス窓だったり。スピードは出ないが、まるで必死に唸り声あげているかの様な吊り掛けサウンドを奏でる、個性豊かな3000系列。
そこへいくと、走行音も静かでこれといった特徴もない5000系は、CPの振動と音が煩わしだけの、子供にはまさに退屈そのもの車両であった。
特に車内更新した車両は最悪で、側扉は小窓になり外は見えず、窓はそれまでの上下段共に上昇式の全開出来る方式から、上段下降下段上昇の、全く面白みのない物に変わってしまい、退屈どころか混雑時の長時間乗車では苦痛でさえあった。
あれ、これってスレチですか? なるほど。247 248(自分)は1962年生まれで一回り違いの1974年生まれの
弟は音鉄だが当然のことながら5000系は東急史上最悪の電車といっていた。
7000系の特に日立製のサウンドが最高であるとの評価だ。
1984年8月の東急スタンプラリーの付き添いでいったが、東横線 目蒲線 池上線
大井町線は私が付き添ったが、田園都市線は8500系onlyでつまらなかったので
母親が私の付き添いの代打で弟のスタンプラリーの付き添いをやってもらった。 なるほど。247 248(自分)は1962年生まれで一回り違いの1974年生まれの
弟は音鉄だが当然のことながら5000系は東急史上最悪の電車といっていた。
7000系の特に日立製のサウンドが最高であるとの評価だ。
1984年8月の東急スタンプラリーの付き添いでいったが、東横線 目蒲線 池上線
大井町線は私が付き添ったが、田園都市線は8500系onlyでつまらなかったので
母親が私の付き添いの代打で弟のスタンプラリーの付き添いをやってもらった。 確かにパワフルかつダイナミックなサウンドを奏でていた7000系日立車と比較すると物足りなさはあったが、
スマートな外観とライトグリーン塗装がピタリフィットして、特に「急行」サボを取付けて走るカッコよさは
今でも忘れられない。もちろん更新前の前面サボ・ドア大窓時代の話だが… 旧5000は乗務員室直後の客室が夏場は暑くて息苦しかったのと、
乗務員室と客室間の扉の狭さを思い出す… もまいら↓コレには参加しないんでつか?
ttp://www.kumamotodentetsu.co.jp/news/20140328594.html 大井町線時代の5200系に1両5000系の入った編成と東横線の晩年の5200系4連+2連が
印象に残る。 ラッシュ時は掴まるところがないし、湾曲したドアは足で踏んで閉まりにくかった >>249
そうそう、5000系といえば、全開に出来る窓がよかった。
子供のころイタズラで、ガラガラの車内の一両すべての窓を全開にした事があった。
そのあと、その車両に乗車してくる人の驚いた反応を見るのが楽しかった。
乗車した人は驚いたあと必ずこちらを見るのだが、その時は必死に笑いをこらえて知らん顔をして、あとで隠れて一人ほくそ笑んだっけなー。
いい思い出だ。 最近の若い人は空気の入れ替えで窓をあけることをしない。小さい頃から
100%冷房化で育ったから仕方がないのかもしれないが、5000系の
前開窓は気持ちよかった。特に今の季節は最高である。 >>260 花粉だの髪型だの、他人フケが飛ぶだの 軟な癖に煩せーよなっ。
スレ地になるが、もし時代を遡ることが出来るなら先頭の車端までシートが伸びていた頃の510(後の3450形)とかに乗り
窓を開け展望風景を堪能してみたい。 元長電のレストランの前にある5000も見に行きたいが、屋代線が廃止になって最寄り駅がなくなってしまった
バスでも行けるのかな? 2004年に5000の保存されているところへ行ったが、須坂駅からタクシー利用が
無難である。 いよいよメトロ01系によって最後の5000系が置き換えか?? 今度Bトレで青がえるでるけど、ドア上に水切りがある仕様なんだな。
Bトレのように小窓・水切り付きの車両ってどれくらいいたんだろう?
全車そうだったわけではないようだし・・・。
誰か詳細知ってます?いい資料とかないかなー 熊電のクルマが引退したら渋谷区が弁償で引っ張ってきて復元しろ! ↑
そんなことしたら、またリアルBトレになっちまうぞ! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています