【寝台電車改造】419系、715系について語ろう
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気がついたらひっそりと消えていた
581系、583系改造の419系、715系列について語りましょう。
※下らないので迷列車関連の書き込みはスルーで >>130
近郊形として、重たい車体を少しでも加速させる為では?
置き換え対象は95キロ制限の客車だし、普通列車での使用を想定するとそこそこの加速度は欲しいけど高速性能は必要ないと割り切ったのかも。
どうせ新型車を造るまでの繋ぎの車両だし、客車のスジを少しでも上回れるならそれでいいやと。
当時は近郊形は最高速度100キロという設定は極当たり前だった。
ただ、不幸な事に投入された殆どの地区は110キロ出せる急行形の世界だった…。 時速100キロと110キロなんて大して変わらないじゃん
って思うけど、たった10キロの違いでダイヤがおかしくなるんだね なんで715系1000番台だけ、両端とも食パンという編成がなかったんだろう?
不思議。 歯車比4.82だったら110キロ運転出来た上に413系や475系と併結可能だったのに >>134
485系と583系で速度種別が違っていたくらいだから、どうだろうね? >>135
何しろ583系は重いからねえ。その重さの為に、台車まで改良して形式を変えたくらいだし。
速度種別が異なる系列を併結した運用で思いつくのは、モーター出力が違った急行型が浮かぶんだけど、
オバケジャンパ線を作らないと、419/715と413/475とでは連結できないかな? しばらくしか使わない予定だったから急行型との連結なんて最初から考えてなかったんだな >>135
シュプールで485と583の併結が実現したけど
その時はどうしたんだろうか? クモハは583改造の419ではなくて、582改造の418だったらおもしろかったのに・・・
低屋根の前パンタで・・・ >>139
鉄道ジャーナル昭和60年3月号の485系切り継ぎ先頭車の記事でクモハ485について
「モハ484(←モハネ582と同じ足回り)を改造対象としなかったのは重量面での制約があったから」
という記述があったから
モハネ582についても重量面をクリアできたら「582改造の418」もあったかもね。 >>129 当時 地方区間のダイヤ拡大目的の改造だったような
101系が廃車が始まっていて廃車部品流用が容易だったのも101系歯車対応になったのではないのかな?
あくまでも憶測の域だけどな 先頭車化改造は台枠ごと切断という変わった工法を採用したんだな
通常は台枠を残して切断して運転台ブロックを取り付けるが419系の場合こうするとドアステップが残ってしまうので止む無く台枠を切断した? たしか、工程の省略と時間短縮の為、ユニット工法を取った為。あらかじめ、運転台部分を台枠を含め製作しておき、切り取った部分に取り付ける方法。 短期間の使用前提ならサシやサンパチの顔で十分だったのに 顔だけ大量生産?の必要性から、103系の設定部品の流用があったかも、運転台のガラスのサイズが解れば判明するのだが! 419系、引退してしまったのは本当に残念。もっと乗りたかったな。
まぁ、583系も485系も引退してしまったので止むを得ないのだが。 419系毎年乗りに行ってたなあ あんな趣のある車は2度と出てこないだろうな
いまや583系すら秋田にわずかに6両残るのみになってしまったか 三兄弟の中では、715系1000番台が好きだった。 ワインレッドに白帯の419系の初期もカッコ良かった。
なんで白地に水色の帯にしちゃったんだろう・・・。 九州の715系も緑帯から青帯に変更したんだよな。
意外にも、途中で塗装変更がなかったのは仙台の715系1000番台のみ。
厳密には車体の色がクリームからホワイトになっているけど。 419は空いてりゃ天国だけど朝夕ラッシュ等混んでる時はイライラしたなぁ… 客車は簡易ホテルとか活用されてるけど、電車のこちらはまったく残らないね。
センター通路じゃ仕切るのもままならないしなぁ。 >>155
そんなことないよ。老朽化や閉店などでほとんど残ってないけど、そこそこ引き取られてるよ、581・583系としては。 サシ581は廃車が早すぎて北斗星・トワイライトの登場に間に合わなかったのだろうか。 >>156
使われたのは食堂車くらいでしょ。
寝台車を宿泊施設化したケースは目にしたことがない。
サハネが旧仁宇布駅跡にあるけど、それも置き去り状態なくらいで。 >>157
というより当時481系のサシが残っていたので車体断面のやや近い方が
選ばれたというか >>154
やっぱり急行型とは乗り味が違ったよね。419系の方が重厚だった。
モーター音はやかましかったけどw 419系のわくわく感はもう二度と味わえないんだろうなあ
米原からあるいは近江今津から直江津まで全部419系だった時はうれしかったけどなあ
やたら長い運用たくさんあったし 歯車比は5.6ではなく4.82にすればよかったのに
こうすれば110キロ対応化改造出来て457系と共通運用可能だったはず
101系の廃車発生品のギアユニットを流用したために歯車比と運用線区がアンマッチになったとか >>159
冷房装置がパンタグラフ折り畳み高さまで突出していたので仮にもし客車化改造しても中央本線に入れないとかの問題があったはず >>163
なるほど。14系・24系より更に大きかったんだ。 >>164
485系も運転室上部の前照灯と静電アンテナがパンタ折り畳み高さまで突出している
このため「彩」では中央本線対策でパンタ交換だけでなく運転台上部の前照灯撤去の上で静電アンテナを客室の屋根上に移設している 小学生の時、毎年夏休みに大阪から「あかつき」で長崎のおばあちゃんの家に連れてってもらってた
諫早で降りて大村線のキハ58にのって大村まで
滞在中は長崎線の諫早から湯江まで、某普通列車に乗るのが楽しみだった
おかあちゃんに時刻表を調べてもらってた
湯江から先は本数が少ないから行かせてもらえなかった
我ながら変わり者の小学生だ 九州の715系ラストランに、千葉からわざわざ乗りに行ったな。
鳥栖発八代行だったと思うけど、先頭車にクハネ581からの改造車が充当されなくてガッカリした思い出が・・・
しかし583系時代の有明の雰囲気が味わえたのは良かったかも。
その後、定期運用を離脱した編成が門司駅構内の何本か留置してあったね。 715系乗れた人は羨ましいな
この715系電車の存在を知ったのは419系を知って社会人になってからの話だった
419系はこれ目当てに飽きるほど乗ったけど 仙台の715はトイレの芳香剤が強烈だった記憶がある。
455や719などの他形式には使われず、715だけのにおいだった。 客室内設備を取り払って、485系の座席を並べておけば、車体重量も軽くなり、
昼間の電車特急として使用可能だった
しかし、581系統を近郊化にしたため、急行用電車をその用途に残す必要が出て、
結局使いにくい車両を使いにくい用途のまま運用してしまった
所要で1回だけ佐賀から鳥栖まで乗ったことがあるけど、元車の通り普通電車にあるまじき超フカフカシートだった 当時財政難だったことと、電化幹線に普通電車が足りなかったことなどから
581系は近郊型に改造されたとか
そして485系の方も短編成化と先頭車化改造やってた頃やな 富山港線で使えば良かったのに
高ギア比で高加速だったので駅間距離の短い富山港線で重宝したはず >>158
亀レスだが、かつて宮城の「たかともワンダー
ファーム」という施設に、モハネ582・583の
1ユニットが団体宿泊用?で残されていた。
外から見る限り車内はそのままだった。
ここは他にもキユニ28やサロ455など、国鉄
末期に不要となった廃車体が使われていたが
、20年近く前の訪問時既に放置状態で今はもうない。 50系を作る金も無かったら20系を改造した近郊型客車とか出来てた…訳ないか 419系にしろ、715系にしろ、脱国鉄色の口火を切ったんだよな。
ワインレッドに白帯の419系は本当にインパクトが強かった。 >>176
脱国鉄色なら、身延用に増備された115-2000が先だろ。塗装も419に似た色合いのワインレッドに白帯。
インパクトさでは、車体の大きい419に軍配が上がるけど。 似た色合いじゃなくて同一だったな、どちらも。
ちなみに、身延用115-2000の登場は1981年、715-0は1984年。715-1000と419は1985年。 715系1000番台の”1000”は仙台と掛けてある・・・のは既出かな? 419系の9両編成は編成全体が非貫通3分割になってるために真ん中の編成に車掌を乗せなければならずごく短期間で終わったような
それに北陸トンネルに入れないという問題もあったはず
現在は非常通報装置があれば貫通させなくても長大トンネルに入れるとか 貫通扉あっても幌はつなげてない電車いっぱいありますやん 715系ってクリームからホワイトに地味に塗装が変わっているよね。
九州のも、仙台の1000番台も。 583系より715系が好きだった俺は異端であったに違いないw 583系はきたくにとあいづライナー、485系併結のシュプールで乗って
419系しか知らない俺の世代でも419系のほうが好きだったな
地元民には悪いんだけどね >>186
そう 419系も全車両最後の最後まで残ったままだった 583としては長崎/佐世保に入ったことは、なかったよね
415とか457が入るようになったのは何時からですか? 583としては長崎/佐世保に入ったことは、なかったですよね
電化しても急行はDCのままだったですし
415とか457が入るようになったのは何時からですか? 車体が重い上に歯車比が5.6で引張力が大きかったので救援用に機関車代わりに使うなんて事も可能だったとか 419系は本当に汚れていたけど、どうせ近いうちに捨てるからとメンテナンスを
怠っていたのかね。そう思えるくらいに酷かった。トイレも汚かった。
直江津でJR東日本の115系に乗り換えると、同じ旧型車両でもこんなにも
違うのかと驚かされたもんだ。
419系も、もうちょっと手を加えてきちんとメンテナンスを実施すれば
良かったと思うんだけどなぁ。 パンタ付き車両は床置き冷房でロングシートがぶった切られてたんだな
第二パンタ撤去跡に冷房機を付けて床置き冷房撤去とかすればよかったのに >>193
8年で廃車にするつもりだったのと、国鉄の財政が極めて悪化しているので
とことんコストを削って改造した結果なので仕方ない。 もし仮に登場時485と583が余ってたとしたら485の方を改造したのかね? 485系は使いどころに不自由しなかったので、そのifが成り立つのは難しいと思う。
583系を改造した理由のひとつは、赤字に苦しむ国鉄が使いどころがないといって
車齢が若い583系を廃車にするのは許されない状況だったというのもあって、仮に
485系が余っていたとしたなら、車齢の古い485系などを置き換えてしまうだけに
なったんじゃなかろうか。 >>196
実際に581より古い481ユニットは玉突きで57.11で全廃だったな
クハ481と483系末尾4ユニットは59.2のときわ→ひたち大量格上げ
で生き残れたが なんで715系は1000番台も含めて4連なのに419系は3連なんだろ。
東北線と比較して北陸線って需要が少なかったの? 715系1000番台の4+4の8連は何気に迫力あった。
当時583系も9連だったからね。 583系は日本一、静かな電車という印象があったので、
最初にこれに乗ったときの変貌ぶりに驚いた。
キア比の変更、デッキの撤去、一部ユニットサッシ化。
これだけで全く別物になっていた。
まあ115系並の騒音になっていた。 >>194
しかも洗面所は蓋を付けて塞いだだけとか手抜き工事満載だったな
デッドスペースがあまりにも多すぎたのとドアが片側2か所でしかも700o幅で詰め込みが効かずラッシュ時に不便だったという欠陥もあった >>194で理由をちゃんと説明してるのに、必要最小限の改造を「手抜き工事」とか言っちゃってるのが鉄ヲタだよな。
お前の理論だったら、切妻の前面も運転台ブロックを作らなかったことで手抜き工事になるんだろ。 >>203
かなり雑な改造だったから、手抜きと言いたくなる心情も分からないではない。
財政難の国鉄とはいえ、他の改造車はちゃんと作ってあるわけだし。
8年で使い潰すより、車体を載せ替えて16年くらい使った方が良かったようにも
思えるけど、それは素人考えなんだろうね。 手抜きとみるべきかコスト削減とみるべきか
俺は両方なんじゃないかなって思うんだけどね
ただ手抜きって言ってしまうと419系なんて25年も事故も起こさず運用を続けたのだから
必要最低限のところは結構大がかりに というより>>201で言ってる通り
もはや別物と言っていいくらい改造しているわけだしこれには齟齬があると思う
やっぱりコスト削減という意味合いのほうが強いんだろうね 419系と715系で注文をつけたかったのは扉の幅
ほんとそこだけ 九州で715系の臨時急行が走ってたな
しかもご丁寧にロングシート部分にまで指定席を割り当ててた
流石にあまりにクレームが多かったせいか短期間で中止されたようだが >>207
811系の「ふるさとライナー」や「ひのくに」では、ロングシート指定席はなかったの? 当時は小牛田まで8両、一ノ関まで4両だったな。
…どうしてこうなった! >>211
スレチだけど国鉄時代は福塩線も三次行くのまでなぜか常時4両だったよ
JRになって合理化がどこも進んで短編成化されていったんだから今の時代じゃ考えられないよね 715系1000番台がいちばん好きな車両だった時代もある俺だけど、
701系に置き換わった時に綺麗になった!と素直に喜んでしまった。
715系、乗る車両としてはちょっと頂けなかったんだよね。
固定窓は水垢が酷くてまともに車窓も見れないくらいだったし、開閉窓は4分割された
窓がそれぞれ小さくて車窓が見辛かった。
455系の窓は715系と違って綺麗だったし、何が悪かったのだろうか。
余談だけど、455系はシートが酷かった。座っていて直ぐにお尻が痛くなる。
なぜか黒磯以南を走っている115系の方が座り心地が良くて同じようなシートなのに、
何が違うのかといつも不思議だった。 おまえら、切妻型と丸妻型のどちらが好きなのさ?
俺はどうしてもクハネ581の面影を残す丸妻型の方が好きだ。 切妻の運転台も貫通構造にすればよかったのに
こうすれば元々クハネだった車両と貫通できたが >>215
さしずめ、クモヤ143あたりの顔を引き伸ばしたような感じになったかな? いっそ、両端ともクハネ581顔だったら、どんなに素敵だったろう・・・。 >>216
貫通構造にしておけば北陸で9両編成を組めない問題が解決したはず
中間の編成に車掌を乗せなければいけなかった上に北陸トンネルに入れなかったような
シュプール号で485系+583系の併結があったが485系でわざわざ貫通型の200番台にしたのは北陸トンネル対策のため 419系も715系みたいに4連にしておけば、4連×2の8両編成で運用できたのに。 金沢方面からやってくる419系6連が富山駅で切り離して福井行きと黒部行きに分かれるの結構好きだったな
毎朝同じ光景が見られた 4の倍数だと北陸本線全域を走ってた419系だと過剰輸送になる区間も多くなるし
他の普通電車3両基本単位だったことから停車目標揃えられなくなるってのもあったのかも >>221
座席数の少ない419系なら4連で丁度よかったんじゃ?
それに715系が配備された東北にしろ九州にしろ、急行型は3連な罠。
なぜに419系だけ3連?
不思議である。 モハのクーラースペースとかクハの機械室とか使ってない便所とか明らかにデッドスペースが多く定員が少ない上に扉も狭いのを都市部である仙台で使うので4連にしたのでは? >>223
長崎本線や佐世保線にも急行形3連は使われなかったから、仙台と似た使用目的が有ったかも。 419系だけ3連で登場した理由、資料を漁っても出てこないんだけど、どうなんだろ。 なんで419系はカラーリングを変更してしまったんだろう。
ワインレッドに白帯、すごくカッコ良かったのに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています