【おおぞら】キハ80系を語るスレ 2D【かもめ】
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北は北海道から南は九州まで、全国津々浦々を駆け巡ったキハ80系について語るスレです。
車両、運用、営業、記憶に残っているうちにどうぞ。
鉄道懐かし板に相応しくマタ〜リいきましょう。
【注意事項】
他系列車両と(動力性能等)の優劣比較の話題は禁止です。
他所でやって下さい。 キハ82って、最晩年に御殿場線に入線してるんだね。見てみたかった。 それ乗りましたよ。
アルバムに指定券が残っているはず。 昭和48年の春、親父の転勤により釧路から函館まで[おおぞら2号]のキロに乗車したことがある。
釧路駅では転勤で見送りする人がホームに沢山いて、発車前には「蛍の光」のメロディが流されていた。子供心に感傷的な気分になり、「これから遠くへ行くのだ」と思った次第である。
発車して暫くすると、左車窓に見えた雄大な太平洋が印象的だった。
車内では車掌が頻繁に空調調整していたことや、車内放送では特急ではなく「特別急行」でアナウンスしていたことを思い出す。
それと、夕方になると食堂車で調製したカレーライスか弁当を車内販売していことが記憶にある。
終点函館に到着し降り立つと、カーブしたホームに照らされた[おおぞら]の姿が今でも忘れられない。 >>4
本当ですか?乗ってみたかったです。
指定席は簡単に取れたんですか?
http://homepage2.nifty.com/ski-tetu/kiha80.htm
こんなサイトありました。
キハ80は静岡、神奈川に入線実績があるんですね。 >>5
子供のころ両親から「全国の特急」なる小学生向け図鑑を買ってもらいました。
その中で私が一番好きだった列車はキハ82(特急おおぞら1号)
北海道特急のエースナンバー(1D)を背負い、連絡船の乗客を受け早朝の函館を出発し、遥か釧路とを結ぶその使命。
キハ82の端正なマスクに(おおぞら)のヘッドマークがやけに似合っていて「本物のヒーロー」だと憧れていました。
キハ82の(おおぞら号)に「乗車経験のある先輩達」がうらやましく思います。
素敵なエピソードありがとうございました。 「おおとり」がどうしてあんなにかっこいいのかと言うと
あのベージュに赤のツートンカラーが重要なんだろな 両端キハ81の名古屋→天王寺「くろしお」も1D背負ってたなぁ。。。。 >>9
そうですね、あと(はつかり)もそうだと思いました。
地元が(北)なので贔屓しちゃいました、お気を悪くしないで下さい、スミマセン。 山陽の1Dはかもめ、いそかぜ、なは、かもめでいいのかな? 昭和39年10月改正が一番脂の乗った時期だな。
つばさ・白鳥・かもめが2方面両方食堂車連結で、最大14両編成。 本州でキハ80が保存されているのは、名古屋、大阪、青森の3ヵ所だけ?美濃太田の廃車体はまだあるのかな。 >>7
函館―札幌は13両編成。札幌で3両切り離しだったけど、
昭和55年まで全区間グリーン車2両連結の道内特急は、その1D・2Dだけだったな。
その憧れの編成だったので、「おおぞら1号」は全区間乗り通した。 >>7
昭和48年春だったが
札幌から東京まで行く時に元祖「おおぞら3号」2Dー「はつかり1号」2Mに乗りたかったのだけど
満席で「北海」12Dー「みちのく」12M。
でも初めて乗る82系でキハ82のサイドからのスピード感のあるフォルムを見た時の感激は未だに
忘れられない。
車内に目をやると殆どが乗り継ぎ客で長万部から赤帽も乗車して来た。
連絡船や青森からの乗り継ぎ列車までの手荷物を運んでいたようだ。
国鉄での本州〜北海道乗り継ぎも82系特急も盛況だったんだな。 >>15
昭和51年の国鉄大幅値上げで、そんな乗り継ぎ客も激減していったな。 >>14
キハ82おおぞら号、しかも13両編成に乗車経験あるのですね、うらやましいです。
>>15
(北海)ですか、私は幼少の頃(山線のある街)で暮らしていましたので、思い出深い特急です。12Dは乗車した事ないのですが、11Dには乗りました。
唯一の山線経由で名称も北海道らしくカッコ良かったですね。
そして、とても懐かしいです。 ageた方が良いのかな?そして連投すみません。
先日北海道は三笠クロフォード公園に行き、保存されてるキハ82の7両編成を見てきました。
屋外で保存されてますから傷みが進んでましたが、往年の貫禄はそのままでした。
しかし最後尾のキハ82のパノラミック・ウィンドが割られていて「酷い事する人がいるんだな」と少しさみしい気持ちにもなりました。
まぁ実物で編成が見られるだけでも、有り難い事なのかもしれません。 上りの13両編成、編成後方で海側の座席に座ると八雲〜森間で大きなカーヴに差し掛かった時に車窓から見える編成美に見とれたものだった。 キハ82は中間に連結された姿もいいですよね。
先頭車どうしの付き合わせや、先頭車と中間車の連結でも様になっている。
乗車の時、あの運転台の通路を通るが好きでした。 >>20
7両編成だと先頭と最後尾がキハ82でしたけど、9両編成以上だと中間にもキハ82入りましたね。電源車の意味もあったり分割、併結もありましたから必用な事だったのでしょうね。
若干スレチで恐縮ですが、模型で中間キハ82を再現してもなかなか見応えあって良いものです。
実車に乗車した時もっと色々観察しておけば良かったな…失敗しました。 クロフォード公園、出入り自由だから、これから荒廃していかないか心配。たたでさえ正面のガラス割られてるし。曲面ガラスだから高いのかな。せめて三笠鉄道記念館で保存できないかな。 まったくだ、せっかく保存されてる貴重な車両の窓ガラスを割るなど不届き千万。
クロフォード公園だけあってフォドフォドにしてもらいたいものだ。
三笠のクロフォード公園と鉄道記念館って、行く人多い? >>25
私が行ったのはゴールデンウィークでしたが、そんなに混んでいないと思いましたよ。是非行って見てください。
キハ82好きならクロフォード公園は結構感激しますよ、懐かしくて涙出ましたw おおとりの時代は、函館から網走まで10時間かけて走破してたんでしょ。しかもJR化の直前まで。どのくらい乗り通す客いたんだろう。 クロフォード公園のキハ82の編成って、どうやってあそこまで運んだんだろ? >>27
大半は札幌で入れ替わりだったろう。だから青函トンネル開業時に北斗とオホーツクに分割した。
おおぞらが函館〜釧路運転時代も、札幌で乗客が大半入れ替わっていたのは同じ。 クロフォード公園のキハ82系、復活させて臨時特急走らせたら、人気出そうじゃない?
>>5>>15
同じ頃、私も親父の転勤についてきて3Dおおぞら2号に札幌まで乗りました。
名古屋から新幹線〜山手線〜13M(583系)〜3便(松前丸)を乗り継いで函館駅の
4番線に停車中の3D車内へ。初めての北海道、初めて乗るキハ80系。
車窓から見える風景全て、(当時)小学5年生にはとても刺激が強すぎましたね。
沿線に点在する家屋のどれもがトタン葺きの屋根、煤けた煙突。内地で見慣れた
瓦屋根は何処にも見当たらない。まるで異郷。
手持ちのラジオのスイッチを入れ適当にダイヤルを回したらたまたま地元民放の
HBCにチューニングが合い、当時の流行歌が聴こえてきた。
4月初旬、“春のおとずれ”こそ感じられても“若葉のささやき”には程遠い
雪解け間もない荒涼とした風景の中を走るDC特急。
しかし乍ら、まだ蒸機が道内至る所で煙を上げていた時代、キハ80系13両編成の
特急には正に鉄路の王者と呼ぶに相応しい風格がありましたね。 >>5>>31
その当時は千歳線札幌口は旧線経由でしたよね?
どんな走りだったか気になります。 >>33
千歳旧線の記憶は残念ながらありません。
札幌での記憶は、方向転換するので座席下のペダルを踏んで向きを変えたことと、車窓から煤けた苗穂機関区を2度見たことぐらいですね。
話はそれますが、滝川から電化区間に入り線路の上には架線が張り巡らせて、電気機関車牽引の客車列車がホームに佇む姿が印象に残ってます。
生まれて初めて見る光景ですからね。
「今までと(車窓の)雰囲気が違うなぁ」 と当時我ながら思いました。
昔は、富良野にもキハ82が停車したというのは本当ですか? >>33
私も余りハッキリ覚えていませんが、北広島から単線区間に入って西の里(信)の
辺りはのんびり走っていたような‥‥あとは東札幌付近も。
そういえば新線切替で2.4km短縮したんですよね。
>>35
石勝線開業前の滝川経由時代は停車してました。
尤も1D/2Dだけは通過だったかも‥‥記憶曖昧。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています