【おおぞら】キハ80系を語るスレ 2D【かもめ】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
北は北海道から南は九州まで、全国津々浦々を駆け巡ったキハ80系について語るスレです。
車両、運用、営業、記憶に残っているうちにどうぞ。
鉄道懐かし板に相応しくマタ〜リいきましょう。
【注意事項】
他系列車両と(動力性能等)の優劣比較の話題は禁止です。
他所でやって下さい。 キハ82って、最晩年に御殿場線に入線してるんだね。見てみたかった。 それ乗りましたよ。
アルバムに指定券が残っているはず。 昭和48年の春、親父の転勤により釧路から函館まで[おおぞら2号]のキロに乗車したことがある。
釧路駅では転勤で見送りする人がホームに沢山いて、発車前には「蛍の光」のメロディが流されていた。子供心に感傷的な気分になり、「これから遠くへ行くのだ」と思った次第である。
発車して暫くすると、左車窓に見えた雄大な太平洋が印象的だった。
車内では車掌が頻繁に空調調整していたことや、車内放送では特急ではなく「特別急行」でアナウンスしていたことを思い出す。
それと、夕方になると食堂車で調製したカレーライスか弁当を車内販売していことが記憶にある。
終点函館に到着し降り立つと、カーブしたホームに照らされた[おおぞら]の姿が今でも忘れられない。 >>4
本当ですか?乗ってみたかったです。
指定席は簡単に取れたんですか?
http://homepage2.nifty.com/ski-tetu/kiha80.htm
こんなサイトありました。
キハ80は静岡、神奈川に入線実績があるんですね。 >>5
子供のころ両親から「全国の特急」なる小学生向け図鑑を買ってもらいました。
その中で私が一番好きだった列車はキハ82(特急おおぞら1号)
北海道特急のエースナンバー(1D)を背負い、連絡船の乗客を受け早朝の函館を出発し、遥か釧路とを結ぶその使命。
キハ82の端正なマスクに(おおぞら)のヘッドマークがやけに似合っていて「本物のヒーロー」だと憧れていました。
キハ82の(おおぞら号)に「乗車経験のある先輩達」がうらやましく思います。
素敵なエピソードありがとうございました。 「おおとり」がどうしてあんなにかっこいいのかと言うと
あのベージュに赤のツートンカラーが重要なんだろな 両端キハ81の名古屋→天王寺「くろしお」も1D背負ってたなぁ。。。。 >>9
そうですね、あと(はつかり)もそうだと思いました。
地元が(北)なので贔屓しちゃいました、お気を悪くしないで下さい、スミマセン。 山陽の1Dはかもめ、いそかぜ、なは、かもめでいいのかな? 昭和39年10月改正が一番脂の乗った時期だな。
つばさ・白鳥・かもめが2方面両方食堂車連結で、最大14両編成。 本州でキハ80が保存されているのは、名古屋、大阪、青森の3ヵ所だけ?美濃太田の廃車体はまだあるのかな。 >>7
函館―札幌は13両編成。札幌で3両切り離しだったけど、
昭和55年まで全区間グリーン車2両連結の道内特急は、その1D・2Dだけだったな。
その憧れの編成だったので、「おおぞら1号」は全区間乗り通した。 >>7
昭和48年春だったが
札幌から東京まで行く時に元祖「おおぞら3号」2Dー「はつかり1号」2Mに乗りたかったのだけど
満席で「北海」12Dー「みちのく」12M。
でも初めて乗る82系でキハ82のサイドからのスピード感のあるフォルムを見た時の感激は未だに
忘れられない。
車内に目をやると殆どが乗り継ぎ客で長万部から赤帽も乗車して来た。
連絡船や青森からの乗り継ぎ列車までの手荷物を運んでいたようだ。
国鉄での本州〜北海道乗り継ぎも82系特急も盛況だったんだな。 >>15
昭和51年の国鉄大幅値上げで、そんな乗り継ぎ客も激減していったな。 >>14
キハ82おおぞら号、しかも13両編成に乗車経験あるのですね、うらやましいです。
>>15
(北海)ですか、私は幼少の頃(山線のある街)で暮らしていましたので、思い出深い特急です。12Dは乗車した事ないのですが、11Dには乗りました。
唯一の山線経由で名称も北海道らしくカッコ良かったですね。
そして、とても懐かしいです。 ageた方が良いのかな?そして連投すみません。
先日北海道は三笠クロフォード公園に行き、保存されてるキハ82の7両編成を見てきました。
屋外で保存されてますから傷みが進んでましたが、往年の貫禄はそのままでした。
しかし最後尾のキハ82のパノラミック・ウィンドが割られていて「酷い事する人がいるんだな」と少しさみしい気持ちにもなりました。
まぁ実物で編成が見られるだけでも、有り難い事なのかもしれません。 上りの13両編成、編成後方で海側の座席に座ると八雲〜森間で大きなカーヴに差し掛かった時に車窓から見える編成美に見とれたものだった。 キハ82は中間に連結された姿もいいですよね。
先頭車どうしの付き合わせや、先頭車と中間車の連結でも様になっている。
乗車の時、あの運転台の通路を通るが好きでした。 >>20
7両編成だと先頭と最後尾がキハ82でしたけど、9両編成以上だと中間にもキハ82入りましたね。電源車の意味もあったり分割、併結もありましたから必用な事だったのでしょうね。
若干スレチで恐縮ですが、模型で中間キハ82を再現してもなかなか見応えあって良いものです。
実車に乗車した時もっと色々観察しておけば良かったな…失敗しました。 クロフォード公園、出入り自由だから、これから荒廃していかないか心配。たたでさえ正面のガラス割られてるし。曲面ガラスだから高いのかな。せめて三笠鉄道記念館で保存できないかな。 まったくだ、せっかく保存されてる貴重な車両の窓ガラスを割るなど不届き千万。
クロフォード公園だけあってフォドフォドにしてもらいたいものだ。
三笠のクロフォード公園と鉄道記念館って、行く人多い? >>25
私が行ったのはゴールデンウィークでしたが、そんなに混んでいないと思いましたよ。是非行って見てください。
キハ82好きならクロフォード公園は結構感激しますよ、懐かしくて涙出ましたw おおとりの時代は、函館から網走まで10時間かけて走破してたんでしょ。しかもJR化の直前まで。どのくらい乗り通す客いたんだろう。 クロフォード公園のキハ82の編成って、どうやってあそこまで運んだんだろ? >>27
大半は札幌で入れ替わりだったろう。だから青函トンネル開業時に北斗とオホーツクに分割した。
おおぞらが函館〜釧路運転時代も、札幌で乗客が大半入れ替わっていたのは同じ。 クロフォード公園のキハ82系、復活させて臨時特急走らせたら、人気出そうじゃない?
>>5>>15
同じ頃、私も親父の転勤についてきて3Dおおぞら2号に札幌まで乗りました。
名古屋から新幹線〜山手線〜13M(583系)〜3便(松前丸)を乗り継いで函館駅の
4番線に停車中の3D車内へ。初めての北海道、初めて乗るキハ80系。
車窓から見える風景全て、(当時)小学5年生にはとても刺激が強すぎましたね。
沿線に点在する家屋のどれもがトタン葺きの屋根、煤けた煙突。内地で見慣れた
瓦屋根は何処にも見当たらない。まるで異郷。
手持ちのラジオのスイッチを入れ適当にダイヤルを回したらたまたま地元民放の
HBCにチューニングが合い、当時の流行歌が聴こえてきた。
4月初旬、“春のおとずれ”こそ感じられても“若葉のささやき”には程遠い
雪解け間もない荒涼とした風景の中を走るDC特急。
しかし乍ら、まだ蒸機が道内至る所で煙を上げていた時代、キハ80系13両編成の
特急には正に鉄路の王者と呼ぶに相応しい風格がありましたね。 >>5>>31
その当時は千歳線札幌口は旧線経由でしたよね?
どんな走りだったか気になります。 >>33
千歳旧線の記憶は残念ながらありません。
札幌での記憶は、方向転換するので座席下のペダルを踏んで向きを変えたことと、車窓から煤けた苗穂機関区を2度見たことぐらいですね。
話はそれますが、滝川から電化区間に入り線路の上には架線が張り巡らせて、電気機関車牽引の客車列車がホームに佇む姿が印象に残ってます。
生まれて初めて見る光景ですからね。
「今までと(車窓の)雰囲気が違うなぁ」 と当時我ながら思いました。
昔は、富良野にもキハ82が停車したというのは本当ですか? >>33
私も余りハッキリ覚えていませんが、北広島から単線区間に入って西の里(信)の
辺りはのんびり走っていたような‥‥あとは東札幌付近も。
そういえば新線切替で2.4km短縮したんですよね。
>>35
石勝線開業前の滝川経由時代は停車してました。
尤も1D/2Dだけは通過だったかも‥‥記憶曖昧。 >>37
1D、2Dは富良野通過になってますね。石勝線開業前の野花南付近は絶景ですね。
その絶景も石勝線開業以降暫くは急行「狩勝」で堪能できましたが、滝里ダム完成以降完全に封印されてしまいました。 石勝線開業前、おおぞらは富良野線で富良野以外、どの駅に停車していましたか? >>34
札幌で座席下のペダルを踏んで方向転換した…
それってグリーン車ですよね?あの当時グリーン車なんか高嶺の花でしたよ。
何とか乗った普通車は、背もたれ倒して回転してました。
最初に80系グリーン車に乗ったのは、函館→網走の「北海」。夏場は延長運転していました。 >>39
滝川―新得で停車駅は富良野だけだった。
しかし青函夜行便接続の1・2Dは、根室本線は途中帯広だけ停車が長く、富良野・新得もずっと通過していた。
昭和55年10月からの末期1年でやっと停車になったような。
その前の昭和53年10月から池田停車が加わったけど、富良野・新得より前に何故池田停車?
と思った。
山線回りの「北海」は景色が良かったですね。羊蹄山、銀山越え、張碓〜銭函間の海岸線を警笛鳴らしながら右へ左へと。
「北海」廃止後も山線経由の臨時特急「ニセコエクスプレス」ってのがありましたね。そうだ!忘れちゃならない快速「スリッピ」 キハ187、確かに性能は良いんだけど
キハ80と比べると何か足りない。
何が足りないんだ?
>>44
床材のタールの匂いとおっさんのタバコの匂い
・・・違うか(´・ω・`) >>44
支えているものの重さ。
キハ80系の頃は、沿線全て、自動車も含めて、これ以上の設備を持つ交通機関はほとんど無かった。
また移動速度も、高速道路網がまだ無かったから、これより速く東京(あるいは大阪)へ向かうことは不可能だった。
(飛行機があったが、輸送規模及び運賃から一般的ではなかった)
特急が一つのステイタスであった時代、キハ80系の特急は非電化区間では最上の移動手段だった。
今、キハ187が他に比べどういう存在か、考えてみれば解る。
決してキハ187をけなしているわけではない、時代の違い。 あの頃、特急に乗るというのは非日常だった。
あの赤とクリーム色の列車は普段乗っている通勤電車と違って正装して
乗るもので、定期券や短区間利用もできずまさに「特別急行」だった。
現代の「特に急がない列車」とは時代は確かに違う。 187系や189系は外見が安っぽ過ぎ。性能は良いだけに勿体ない。 外見は183系が一番好きだったね。今では「オソーツク」「ボローツク」なんて揶揄されているが、
国鉄色には非常にマッチしていたよ。781系が横に並んでいても「ディーゼル」って感じはしなかったなぁ。
80系の「カランカラン」というリズミカルなエンジン音は、56系急行全盛期の様に「これから長旅かぁ」という哀愁に満ちたものがあった。
余談だが、北海道では遅いと酷評される「オホーツク」だけど、全国的には決して遅くはないんだよね。
189系のリミッター解除した走行には非常に興味があります。新快速なんか彼方に追いやる速さでしょうね。
【注意事項】
他系列車両と(動力性能等)の優劣比較の話題は禁止です。他所でやって下さい。 復活運転!
・・・なんて無理だよなぁやっぱ。
物心つくかつかないかの頃に一回乗った切りでそれ以降キハ183にばっかり気を取られてたのが今になって悔しい。 スレ違いで本当に恐縮ですが…
模型でキハ81買って来ました、なんだこれ?ムチャクチャカッコ良いんですけど。
私は北のモノですからキハ82しか知らないので、実車でキハ81の特急に乗られた方、また見た方はつくづく羨ましいです。
素敵な時代だったんですね、(特急くろしお)(特急はつかり)憧れます。 >>54
キハ81俺も好きだけど
格好良くはないだろ
>私は北のモノですからキハ82しか知らないので
これもよく分からん
はつかりって北海道連絡特急だぜ >>55
車両のデザインは好き好きで私は武骨な感じが好きなんだ、カッコ悪いって言って貴方何か得?
「はつかり」がキハ81の時代って1968年まででしょう、私は生まれてもいませんて。
紳士に振る舞っても、しょせん便所の落書きか…
しらけた。 >>56
まったくタチの悪いガキばかりでいやになるね
難癖つけるのがカッコいいとでも思ってるらしい
>>54を見ればはつかりを実見できる年齢ではなかったのだろうなと
容易に想像できる
かっこいい悪いも人それぞれ >>56
何言ってるのかよく分からん
車両のデザインは好き好きだって言うなら俺が格好悪いと思っても何ら問題無いだろ
>「はつかり」がキハ81の時代って1968年まででしょう、私は生まれてもいませんて
つまりキハ82しか知らない理由は北のモノだからじゃなくて若いからだろ
変な奴だな >>57
フォローありがとうございます。
以下スルーで行きます、しかしなんか更にシラケました。 クロフォード公園のキハ82って復活させられないの? >>59
お前恥ずかしい奴だな
お前以外みんなお前で白けてんだよ >>57氏に免じて勘弁してやるかと思ったが、少し相手してやる。
北、確かに東北も含まれるかw
私のトコは(おおぞら)や(北海)が走っていたトコなんでね、キハ81はいないんだわ。
要するに自分がスキル足りなくて、何を言っているのか解らなかったって話しか、なら黙って口つぐんでなさいな。
お前以外みんな理解してる。 >>51>>52
あれ?183もダメなの?(笑)お前の私怨だろうと思うけど、国鉄時代の北海道の特急は82系と183系でワンセットなのよ。
それに「おおとり」「オホーツク」の80系も話題に出したぞ?快速「スリッピ」もな。近文〜伊納間の旧線を走ってた80系特急は何か解るかな。
紳士な方もいるけどアホが大杉。シラケて来たからもー来ない。
なんかウンザリしたわ、しょせん便所の落書きだな… >>64
俺は>>51に>>1を読んでもらいたくてコピペしたんだけど。
アンタのレスは優劣比較ではないから何ら問題ないっすよ。
言葉足らずで申し訳なかった。
要するに、あっちのスレの不毛かつ醜い優劣論争をこっちに持ち込まないでくれ
と言いたかっただけ。 >>65
はいはい
もう来ないでね
君みたいのが荒らしっていうんだよ >>54は文章の支離滅裂さからして旭川の運転会に現れるC62重連ニセコではなかろうか? >>69
支離滅裂というほど酷い文章ではないと思うんだが 俺はキハ81はあまり好きじゃないけど、別に54氏の言ってることに関しては
引っ掛からないが、55氏の書き込みははっきり言って不快だね。 >>68が荒らし確定。82系の話題には何も噛み付いて来ない(笑)つまり何も知らないって事さ。 >>71
さすが全角数字
>>72
82系の話題なら過密かなくてもいいじゃん? >>74
お前が荒らし。80系で最速の表定速度をマークした特急は? 札幌から函館まで80系おおぞらに乗って、きっかり4時間で走ったことがあった。
少し遅れていたから回復運転。青函連絡船の深夜便接続だった。
もう少しで表定速度80km/h越えだったから、ちょっと惜しい。
知り合いの運転士の話では、青函連絡船接続列車の場合、回復運転のときには
80系気動車でも直線で110km/hくらい出すことがあったそうだし、車輪径が
あまり摩耗して減っていない限り、平坦区間力行で110km/h出たそうである。 >>77
キハ82の疾走風景、なつかしい。
子供のころ北陸本線で白鳥を何度か見ましたが、ワクワクしたものです。
逆に、保津峡、親不知、碓氷峠、、、、などの旧線をクネクネ
しながら超大編成のキハ82が走る姿を見る機会がなかったのも
残念に思います。どなたか、見た方はおられますか?
保津峡を通る「あさしお」は 181系に置き変わる 1982年ころまで
あったようですね。 >>76
お前が荒らしなんだよクズ。電車基地外は気動車を語る資格無し。お前何か80系の話題出せるのか?
俺と違い出せねぇんだろ?80系最高の表定速度ネタを振ってやったのに荒らしかよ(笑)お前北海道好きらしいな、喧嘩売ってるだろ。
いいか?ネタ振ってやるぞ。赤い愛称表記をした列車について語ってみろ。「スレ」の80系だからな(笑) >>77>>78
一部の馬鹿が雰囲気を壊してますが、私はスレに忠実な話題も語れるので悪しからず。
旧線と言えば、44年の複線電化前の函館本線近文〜伊納間も風光明媚ですね。景勝地「神居古潭」
現在はサイクリングロードになっており、ガーター橋やトンネルが当時のまま残されています。80系特急も石狩川の激流を望み非常にゆっくりと走っていたそうです。 北海道のハチマルは「赤サボ」が本当に格好良かった。
[函館ー釧路]千歳経由
[函館ー網走]千歳経由
[函館ー札幌]千歳経由
[函館ー旭川]小樽経由
函館は道内長距離列車の拠点でしたから、サボを見ると旅情を感じます。
急行宗谷が装着した
[函館ー稚内]小樽経由
唯一の急行赤サボは特別な存在でした。
旧線の話題がありましたが、昭和50年頃、石谷と石倉の間あたりで複線化工事が完成し、海側近くにあったかつての線路が山側へ切り替えられて風景が変わった記憶があります。
野田生ー落部の海側では、トンネルに入る直前に旧線跡を見ることが出来ますね。 >>84
上2枚の画像は書体からみて昭和50年代のサボですね。(千歳空港経由というのもありますが…)
そういえば、石勝線開業後の[函館ー釧路]おおぞらは札幌ー千歳空港間が重複してましたね。
3枚目以降は、昭和30〜40年代に作製された個人的に思い入れのあるサボです。
独特の書体と特急色の赤同様にくすんだ色合いが良いですね。
余談ですが、北海道の愛称・種別板は一般的には上部に耳(取っ手)が付いていますが、函館持ちでは耳が無い物もありました。 >>87
旭川駅はあさひがわだったよ
昔は北海道の国有鉄道は北海道庁管轄の北海道官設鉄道だったわけだけど
この自体はあさひかわだったのが、鉄道庁に移管される時、何故かしらんけど
あさひがわに読み方が変わったんだよね
で、国鉄時代はずっとあさひがわ
あさひかわに戻ったのは昭和63年だね
旭川四条、北旭川貨物駅は最初からあさひかわ
新旭川、東旭川は出来た時はあさひがわで旭川駅と同じ時に改称
http://ekisya.net/A-GENEKI/238-HAKODATE/238-ASAHIKAWA12.JPG >>87-88
その割には札幌駅では「急行かむい3号『あさひかわ』行き」などとアナウンスしてました>国鉄時代 「あさひがわ」は登記上の理由と聞いた事がある。国鉄時代は駅員が肉声で駅名を連呼してたのがよかったね。
函館駅のは特に好きでした。「は〜こだて〜」 >>81
死ねよお前。さぁ、話題振ってやってんだから答えろよ電力会社社員。 クロフォード公園のキハ82って、復活させられないのかな? >>95
スレを荒らさないでもらいたいね。電車命のお前はここに用が無いだろ?
80系の知識も全く無いから話題にも入れないか(笑)ほら、函館本線の近文〜納内間の旧線を走ってた特急を語ってみやがれよ電力会社社員。 >>95
お前、80系「おおとり」が北見で何故に増解結しなければならなかったか答えろよ。 北海道の80系運用末期、アコモ改善車が4両編成で臨時北斗に入ってたけど、
上の「函館-(小樽経由)-札幌」が刺さってたことがあったとかw
今から考えればおおらかな時代だったな。 >>98
お前巣に帰れよクズ。ここは電車厨が来る所ではない。
>>97の質問にも答えられないなら来るなよ、自演荒らしクズ野朗。
>>95はお前確定な。荒らしが80系話題にしてる奴を荒らしと呼ぶ件ww
ttp://www.youtube.com/watch?v=nXEzE6AEgaQ
ttp://www.youtube.com/watch?v=6MUWp_5lTsU&feature=relmfu
ttp://www.youtube.com/watch?v=5k83ptRhPeE&feature=fvwrel
まぁ貴様には無用の動画だなw
>>99
山線廻りの「北海」懐かしいですね。 北斗の前身で昼行のエルムって特急があったけど、覚えている人いる?
当時、函館発の特急はおおぞら、北海、おおとりで札幌が終着の列車は急行のすずらんとニセコしか無かった記憶がある。
エルムが出来た時、札幌までしか行かないなんて変な特急って思った記憶があるのだが・・・ >>101
たしかに現在の北斗と同じ区間だった訳だけど前身じゃないだろ?
元々札幌発着の北斗もあったわけだし >>96,97,100
【釧路・網走】キハ80系を語るスレ 1【西鹿児島】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1319900071/471-475
ID:s8JP6p6J ID:cq+3c38b は荒しなので早く出て行くように このスレにも少なくとも三人は良識の欠落した人がいるね、めんどくさいからアンカつけないけどさ。
コイツらがいるから、みんな「キハ80の思い出」も書き込めないんだな、俺も何言われてかわからんから書き込みしたくないもの。
バカは出て行け。 >>104
>>100を参照。100回読んでも理解不能なら、精神病棟に入るか今すぐ回線で首吊って氏ねや。
ほら、荒らしのお前では「エルム」ったら寝台特急しか思い浮かばないのか?
俺の質問、80系で愛称を赤文字表記した特急は?函館本線旧線時代の近文〜納内間を走行してた80系特急は?
特急「おおとり」が北見で3両増解結しなければならなかった理由は?
何一つ答えれないではないか。荒らし確定だな。気動車を否定する事しかできないただの電力会社社員はお呼びでないんだよ。
>>荒らし(こいつ)以外の皆様
特急エルムは、1969年10月1日ダイヤ改正まで函館〜札幌、函館〜旭川を運行していた「北斗」を、方面別に愛称を変更する目的で、
69年10月1日に函館〜札幌「北斗」を「エルム」として運行した経緯があります。しかし1971年7月1日、函館〜旭川「北斗」の2往復中1往復が札幌〜函館運用になったため、
函館〜札幌の「エルム」を「北斗」に統合し愛称消滅。80系「エルム」の現役時代は、当然ながら見た事ありませんね。
昔は、旭川に殆どの函館始発特急が乗り入れていたのですね。 >>105
電力会社君、自演はそれまでだ。お前さえいなければ、80系の話題は盛り上がるんだよな。
お前80系に何も興味無さそうだから、来なくてよくね? >>102,106
ああ、そうなんだ、ありがとう。
エルムには実際乗ったことがあるし、旭川行の北斗の記憶が無いんだよなあ。 >>110
>>258参照君、君死んだら?
別スレで飽き足らず、このスレでも荒らすのか?お前と俺じゃ勝負にならないから諦めろよ。
クズはクズらしくデッキの『くずもの入れ』で眠っとけ。80系「北斗」直系の283系「スーパー北斗」は在来線最速だな。
ちなみに国鉄時代の80系「北斗」も気動車特急最速だったな(勿論それより遅い電車特急もあった)
お前の「化石脳」でも知ってるだろ?「北斗」の軽やかなジョイント音、特急「北海」のエンジンが吠える銀山越え!
風光明媚な野花南付近を走行する優雅な長大編成の「おおぞら」
どうだ悔しかったら80系ネタで勝負してみろよカス。 >>108
電力会社社員の暴走には困りますね。「エルム」を話題に出したら荒らしなんだもんな(笑)
ちなみに荒らしの電力会社社員>>258参照君は、今の今まで質問に一つも答えれないばかりか、80系の話題を一つも出せてない。
彼はやっぱり荒らし確定。多分また来るよ(笑)あいつ80系ネタ出せなかったら荒らしな。 >>110
>>100を参照。質問に答えれてないので荒らし確定。
まず、俺が80系の話題を出してるにも関わらず荒らしと嘯いたお詫びをしろ、話はそれからだ。 オルゴールの「ブラームスの子守唄」「乙女の祈り」は転属元で異なってたみたいですね。
片やスレ違い
片や事実にもとずく部分もあるとはいえ、曲解や偏見に満ちた解釈を押し付け
そもそも、諸条件や環境の違いも無視した比較なんて、チラ裏レベルでしかない
こうなると、もうどっちもどっちだ
お互いにみんなの笑い者になってることに、気付け…ないから、延々と恥を晒し続ける
死ぬまで続けてろよww 私の北海道特急の一番古い記憶(昭和43年10月以降)。
曖昧な記憶なので事実と違っていたら正しておくれ。
おおぞら1号:函館→釧路
おおぞら2号:函館→釧路・旭川
おおとり:函館→釧路・網走
北海:函館→札幌
北斗:函館→札幌
途中でエルム北海(函館→札幌)ができて、すぐ北斗に統合されて・・・。
それより後か先かは記憶が曖昧だがオホーツク(札幌→網走)ができた。
おおとりの釧路行が、おおぞら2号になったような気もするが・・・。
本州に住む者にとってあこがれの的だった北海道の80系には3回乗った。
一回目はS54年9月、おおぞら6号に苫小牧から函館まで。
この時乗った車両は13両編成の12両目キハ80 159で、本州の80系では見られない
快走ぶりと、カーブにかかった時に遙か先まで続く長大編成に興奮した。
この後青函連絡船と白鳥に乗り継ぎ、本州に帰還した。
二回目はS61年6月、下りおおとりに函館から網走まで。
前日にはくつる〜青函連絡船と乗り継ぎ、網走まで24時間乗りっぱなしだった。
この時に乗った食堂車はキシ80 34で、少し前まで向日町にいた本州流れ者だが、
現在も小樽に保存されているらしい。
三回目は二回目と同じくS61年6月、上り北海に札幌から函館まで。
S54に乗ったおおぞらと違い、食堂車はなく編成は短いし速度も遅かったが、
特急券に指定された車両はなんと7年前のおおぞらと同じキハ80 159だった。
この後は一回目と同じく青函連絡船と白鳥で帰還した。
以上、北海道80系と青函連絡船乗り継ぎの体験談でした。
年寄りの懐古趣味で申し訳ない。 キハ80って、最後まで側面方向幕がなかったんだね。 >>116
電力会社社員君、ここは君が来る所ではないよ?何故なら君は『80系の話題』を『一つも出していない』
それを何て言うか知ってるか?『『荒らし』』と言うんだよカス。どうだ?悔しいか?『電車ヲタク』
感電しておっちねよ糞ビッチ(笑) >>122
お前荒らし認定な。ここで80系の話題を出していない。向こうで俺にやられてるからこっちに来るのか?無理無理、こっちでは尚更俺にはかなわないんだから。
こっちは残念ながら正統的に80系を語るスレだ。私怨で荒らさないで貰いたいな。一体何処まで泣きっ面を晒すんだ?電力会社社員君よ。
お前生きる価値ねえな。て事でどうだ?石勝線開業以降の根室本線滝川〜富良野間や富良野線を営業運転した80系を語ってくれないか?
荒らしの貴様には解るかな?(笑) >>123
キミも出て行ってくれ!
顔が見えないからと、言葉使いも知らない人間の書き込みなど見たくない。 >>123
お前もここに書き込む資格ないよ
>こっちは残念ながら正統的に80系を語るスレだ
向こうもそうなのにお前らが荒らしてるんだろう
そういう奴がこっちで平気な顔して書き込みとか不快過ぎる
せめて、向こうを荒らすの止めて、荒らし行為を謝罪してからにしてくれ もう相手にするのやめようww
>>123は一生ひとりで続けてれば?
789系もキハ281・283・261もスレ違い(そもそもキハ183あたりと関連づけても80系DCと関連づけるには無理がある)だけど…?
標準軌ながらイギリスには遥かに速いDCが約40年も前からたくさん走っているんだし、
「JR北海道のDC特急が速い」
と必死こいてわめかれても、関係者の努力には敬意を表するにしても、今さら驚きも感動もしない。
まだ続けたいなら、一人でやってれば?
そんなに論破が好きなら、80系DC全盛の頃の人気番組
「ロンパールーム(日テレ系で平日11頃から30分枠で放送の、うつみ宮土理司会の幼児番組)」
のビデオでも探して、見て楽しめばいいじゃないか?ww >>124>>125>>126>>127
あら、ついに脳糞崩壊しちゃったか?電力会社社員の涙目自演連投虚しいねぇ。
うん、君はついに一つも80系に関する話題を出すどころか、80系の話題を否定した。誰が見ても荒らし認定でしょうな。
>>126
いや、向こうでも荒らし始めたのは電力会社社員なわけだが。
気動車スレには、彼の様な「病的な電車厨」が必ず出没して荒らす。
謝罪するのならば、電車が絶対優位という国鉄時代の固定観念が崩壊した現実を認められずに、屁理屈で荒らし続ける電力会社社員の方だろう。
優良スレ 普通 クソスレ
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88彡ミ8。 /)
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从ゝ__▽_.从 /
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(二/ (二)
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| !/レi::: ' し' ::レ'´ァ'ハ| ,ハ !く
./レイ 7 ,, `'' ,!リ/|/ハレ' i っ
i i u ,.- 、,_ ゞ/ .iヽ! ノ て
/ /| |. / ヽ7 ! | Y. 言
/ //!. | ! / ,イ ハ i う
へ_r、_/ |ハ. ', ,、 ` ー- ' //.| / レ' か
__r'">へ `ヽ! /ヽ`i>=-ァ'´ ./ レヘ(ヽ/. 誰
ヽ`'、ー-、7 /ヽ、レ'、!/レ'::::::::、ノ が
`ヽ/(>)/ 7ヽ. ::::::::::::: ). こ 得
ヽ / ,. '´ ̄ヽ,'" ̄ン、_:::: ∠_. の す
ヽ. ノ´ ̄_ヽ'ヽノ/´,,. -、7::::::::ヽ. ス. る
ヽへ ヽ ,/´ /´ ´ /,. '´ ,. -'iハ::::::::::::i レ の
└へト、// i /,.、/」 |:::: ::::::| .は
ヽ>/ ノ // i |::: :: ノ !?
>>130-131
済みませんね。
悪うござんした。
m(__)m
ただ…127で指摘したんだが…
『標準軌ながらイギリスには遥かに速いDCが約40年も前からたくさん走っているんだし、
「JR北海道のDC特急が速い」
と必死こいてわめかれても、関係者の努力には敬意を表するにしても、今さら驚きも感動もしない。』
に関しては、どうお考えかな?
しかも同じ標準軌で、新幹線電車(さらに言えば西欧のおもだった国の超高速鉄道)は、それらをも凌駕する運転を日常的にこなしてきた事実もあるはずだが…?
ちなみに、自分にもキハ80系には乗車体験あり。
1978年以降、「ひだ」と「南紀」でキハ82&80に乗ったことが何回かある。
意外にも静粛(キハ181や183、さらにキハ85等も、残念ながら静粛性は劣る)で、当時まだ抵抗制御だった電車特急より挙動もなめらかに感じた。
椅子は貧相なT17系回転クロスながら、驚くほど快適に感じたことを付け加えておく。 >>131
お前荒らしてる自覚ないのかよ?
ダメだこりゃ >>138
あの場所から運び出して整備して復活させるのに何十億の金が要ると思ってんだよ 今から30年前に82系「おおぞら」に乗車出来たが、この時が最初で最後。 80系のシート(リクライニングしないヤツ)と青函連絡船の普通船室の椅子席のシートって同じサイズだったのかなあ?
とにかく、14系座席車の簡易リクライニングよりはずっと座り心地が良かった。 岩見沢までつながってる? って・・・
他のスレでも同じ質問してるな?
今直ぐ見に行けよ
自分の目で確かめてみろよ。
初めて九州に旅した時、まだたくさんSLが走っていた筑豊で撮り鉄をした。
ひっきりなしにやってくるSL列車に食傷気味だったところに颯爽とやって来た特急「かもめ」。
短い編成で大したスピードじゃなかったけど、とっても優雅に映ったね。
運炭列車ばかりの色彩に乏しい写真の中で、一際カラフルにアルバムの中で目立っていたよ。
でも、その色もだいぶ褪色が目立つようになった。それだけ時代が過去のものになっているんだよな… おいおいSL撮ってた人が撮り鉄なんてガキ用語使うなよ
だからガキがつけあがって荒らすんだよ >>142
座席の幅は全然違ったと思う。
確か座席中央に跳ね上げ式の肘掛も付いてたよ。 >>134
どうして外国の鉄道や新幹線が出てくるのか意味不明。あなたは東海の人??
でも昔から北海道の特急は動力方式に関係無く、割りかし速かったのは事実ですね。石北本線の都合上遅いオホーツクでも全国的には中程度です。
私個人で初めて見た特急は、石勝線開業前の80系「おおぞら」ですね。183系が最新鋭と言われてた頃ですが、食堂車があるので内装はともかく80系の方が特急らしかったです。
余談ですが、183系を初めて見た時、キハ182の側面は殆ど781系みたいな感じでしたので随分煩い781系だなと思う位衝撃的でした。
そして発車時の身震いする様な轟音で二重の衝撃を受けました。 >>135>>136
僕ちゃんは巣に帰りましょうね。 >>148
単に、キハ281・283・261が俊足なのも驚くに値しないディーゼル動力による超速列車がイギリスでは約40年前も前から存在していることや、新幹線をはじめ鉄道先進国による電気動力による超高速列車はすべからくそれらを凌駕していることを指摘しただけ
>>127に呼応
静かになってるんだからあまり刺激しないで…と思ったら、あっちでまた再燃してるわww
もはやモンスター級だわな >>142
確かに似てたよね。
あと座り心地も納得。
現代レベルで比べちゃ可哀想だけど
末期に乗ったけど思いの外悪くなかったと記憶してる 80系のDT31台車はブレーキ時の騒音や振動がなく、この点に限れば現在
北海道に多い耐雪形金属製輪子使用車両より勝っていると思う。
余談だが、たまたま減速時にキハ58から隣の車両に移動したら、まだ
減速しているのにブレーキの騒音と振動が消えたので、この車両はブ
レーキが壊れているのかと思ったが、車号を見て納得した。
移動した車両は、80系と同じDT31を履いているキハ57だった。 >>152
同感。同意。
鋳鉄制輪子の踏面ブレーキーは、ゴロゴロ、キーキー、ガガガと五月蠅いよね。 >>153
よう!電車男(笑)お前不要なんだよ。電力会社や建設会社に以来された荒らしか?
電化工事は儲かるからな(笑)悔しかったら伯備線の「やくも」の状況を見てみ?あれは電化失敗例の1つだな。
当初は速達化に成功したかに見えたが、現在では381系より格段且つ総合的に優れたキハ187系を投入した方が断然速いし快適。
しかし電化しちゃった手前、意地で何時までも381系を使わなきゃならんのよ。
まぁ時代が時代だったから、381系投入以外に高速化は果たせなかったのは認めるが。
皮肉にもその20年後、キハ181系+381系を足してもお釣がくる程の振り子式気動車が登場するとは夢にも思ってなかったんだろうな。
現在、山陰近畿地区は電化が遅れた側が勝ち組になってしまった(笑) さしもの>>155モンスターも、>>127>>134に対する合理的回答がまったくできない >>155
381系よりキハ187の方が速く快適とは言えないが。
187系の方が優れているのは、非電化区間でも走れることと制御振り子により
曲線通過速度が少し高い位だけだ。
187系はエンジンの騒音と振動がひどく、エンジンブレーキ力と機械ブレーキ力
のバランス(調整)が悪いため、気動車なのにタイヤフラットが多発している。
自然振り子のハンディーを考慮しても、381系の方が遙かに快適である。 こっちでやるな。ってか荒らしてる事に自覚無い奴多過ぎ。
スルーしろ、せめて向こうでやれ。 だいたい高性能とは無縁な車両のスレで高性能争いすんなよな
キハ82 特急南紀1号
http://www.youtube.com/watch?v=w2IUPaQ6mqY
こういうもたもた発車するのがキハ80系の特徴なんだからさ >>161
それは名古屋で始発駅
始発では、異常がないことを確認するため、ノッチ1で発進して約1秒後に一旦ノッチオフ惰行、数秒後に通常発進と同様の扱いに移行という操作が慣例
よほど延発だったとしても、始発からいきなりフルノッチで急加速してゆくケースは、特急でもまずない状況という点は考慮すべき
しかも元来飛ばさず、ダイヤに空きもある関西本線方面
いっぽう、「ひだ」の尾張一宮発車などは、80系DCとしては頑張っていた >>162
だからその手の話しは止めようよって言ってるのに >>163
??
162は1が禁止した動力性能等の比較ではなく、運転取り扱いの話題で、しかも80系DCにあてはまるであろう(つまりスレ違いではない)内容だと理解したけど、何か問題あるかな?
そもそも、比較をする趣旨で書き込まれてはいないよね?
そんなこと言い出したら、何も書き込めない雰囲気にだってなりかねない
要は荒らさなければいいだけの話じゃないのかな? >>164
向こうのスレ荒らしてる奴が何いけしゃあしゃあとこちらで書き込んでるんだよ?
みんなお前らから逃げてきてるんだよ
向こうのスレ荒らすのやめない限りお前はこちらでも荒らしなんだよ
出てってくれ >>165
80系の話をしないで、言い掛かりつけてる自分はどうなの?
向こうを荒らしてもいないし…
第一、向こうだって真っ向から延々とやり合い続けてるいるのは2人だけでしょ?
それでも意見があるなら、自分の正当性を示すために、まずちゃんと80系DCの話を同じIDでして見せてからにするべき
80系時代の上り「ひだ」名古屋行きで、53-10改正の前後に、岐阜で方向転換のため約5分停車の間に、後着の583系「しらさぎ」(のちに485系に変更)に先発されるものがあった
発着は同じホームの向かい同士
純粋な意味での追い抜きとは違うにしても、定期特急同士では珍しいパターン EC特急によるDC特急の追い抜きですか。
ひょっとして双方富山発? >>166
普通に80系の話題で話ししてるよ
その妨げになるから止めてくれと言ってるんだ >>1は
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`ー―--―‐' '´ └┘└' ┴┴” └'”─'''└'‐┴'`┘ 'ー―‐'−' >>168
80系の話は、161=163=165=168の中で161だけで、あとは自分に反論する者(=俺)を他(隔離)スレの荒らしと決めつけて、いきなりお前呼ばわりする無礼な文句の書き込みだけだろ?
>>167
この状況は、発生することになった昭和50年代初期(50-3以降53-10以前だったはず)は、しらさぎの方が金星の間合いの583系による金沢始発のしらさぎで、ひだは高山始発だった
その後この追い抜きもどきは時間帯が変わり、485系との組み合わせになったが、しばらく続いたはず >>171
金沢行きひだより後に発車したしらさぎの方が先に金沢に着いたと言う意味?
浅川社長ら19日にも逮捕=基金から数十億円詐欺容疑―AIJ年金消失問題・警視庁
時事通信 6月19日(火)0時16分配信
AIJ投資顧問による年金消失問題で、水増しした虚偽の運用実績を示すなどし、顧客
、詐欺容疑で同社の浅川和彦社長(60)を19日にも逮捕する方針を固めた。同社が顧客
からの受託金のうち1221億円を消失させた問題は、刑事事件に発展することになった。
捜査2課は、AIJ傘下の「アイティーエム証券」の西村秀昭社長(56)らも立件
する方針で、東京地検特捜部や証券取引等監視委員会と連携、資金の流れの全容解明を目指す。
捜査関係者らによると、浅川社長は2009年以降、関東近辺の複数の年金基
金に対して虚偽の運用実績を提示。「確実に収益を上げる」などと偽り、運用
資金として数十億円をだまし取った疑いが持たれている。
. 事通信 6月18日(月)16時24分配信
群馬県藤岡市の関越自動車道で7人が死亡したツアーバス事故で、観光庁は18日、ツアー
を企画した「ハーヴェストホールディングス」(大阪府豊中市、大屋政士社長)への
業務停止処分を前に聴聞を行った。同社側は陳述書で「
いずれも軽微で、処分理由にならない」と主張した。同庁は主張を踏まえ、近く停止期間を決める。
.【関連記事】
ツアー企画会社を業務停止へ=18日に聴聞、関越バス事故
ツアーバス200社を監査=関越事故受け
大型バスが壁に激突、7人死亡=関越自動車道、39人けが−窓ガラス割り救出・群馬
【図解】関越道で起きた高速バス事故現場(2012年4月)
〔写真特集〕関越道バス衝突事故
53-10での函館運転所80系運用がわかった(運用の切れ目は不明だが)
分割併合があり、結構複雑な運用だった。
・おおぞら1・6号の基本7両
函館→釧路(1Dおおぞら1号)釧路で泊
釧路→函館(2Dおおぞら6号)函館で泊
函館→網走(15Dおおとり)網走で泊
網走→函館(16Dおおとり)
(翌日1Dになる)
・おおぞら1・6号の札幌寄りキロ付き付属3両
おおぞら1号→おおぞら6号の繰り返し
・おおぞら1・6号の函館寄りキロなし付属3両
函館→札幌(1Dおおぞら1号)
札幌→函館(18D北斗4号に併結)
函館→札幌(21D北斗5号に併結)札幌で泊
札幌→函館(22D北斗2号に併結)
函館→札幌(17D北斗3号に併結)
札幌→函館(2Dおおぞら6号)
(当日おおぞら1号になる)
・おおぞら3・4号(7+6=13両)
おおぞら3号→おおぞら4号の繰り返し(滝川で旭川編成と分割併合)
・おおぞら5・2号(7+3=10両)
函館→釧路(5Dおおぞら5号)釧路で泊
釧路→函館(6Dおおぞら2号)函館で泊
函館→旭川(11D北海)
旭川→北海(12D北海)函館で泊
(翌日おおぞら5号になる)
走行距離が長く、保守には苦労したであろう事をうかがわせる。 >>177
S54,3だったがおおぞら4号(6D)が函館に着くと駅員がサボを「北海」に替えていたな。 >>177
旭川編成を付けていたのは3号(3D)と2号(4D)で、全区間10両編成で北海と
共通運用だったのは5号(5D)と4号(6D)だったような気がするが。
当時の時刻表がないので確認できないが。
クロフォード公園のキハ80って、どうやって持ってきたんだろ? >182
夜中に道路を自分で走ってきた。
俺は確かに見た・・・。 いくら魔改造王のコヒでもキハ82のDMV化は無理なんじゃね?w 模型が欲しくなった。
加トの16番で。
ヤフオク探せば6両編成で3万円位で揃うかな。 >>191
KATOのプラ完成品なら新品を定価で買っても6両で5万でお釣りが来るよ。 キハ82のヘッドマーク(53-10以前の文字だけのヤツ)
書体がいくつかあったみたいだけど、俺的には北海道のが好きだったな。 >>193
キハ82の北海道のヘッドマーク書体ってさ
平仮名と漢字って同じ書体だったのかな?
何だかテイストが多少違うようなきがするんだよなあ
あれ混ぜて使ったら何だかかなり不自然に感じるんだよね
エルムとかオホーツクのカタカナはゴシック系で明らかに違うから
書体全部違うのかなあとも思うんだよね 道内さよなら運転の時の大看板は萎えたな ひど過ぎた。 >>194
当時はヘッドマークや看板類は、たぶん手書きが基本だったろうから、
製作年次や製作者によって微妙に仕上がりが変わってくるんじゃないの。
よくわからんけど。 キハ80って、全面ライトの周りがシルバーなのとボディーと同じクリーム色なのがあったよね? >>197
キハ81もキハ82も両方前照灯周りはクリームだよ と書いたけど
「全面ライトの周り」って前照灯リングのことか
これは確かに画像見ると両方あるね >>195
あの巨大装置は183-0用のロール幕? >>194 >>196
北海道キハ82のヘッドマーク文字は、
ひらがな:毛筆体(おおぞら、おおとり)
かたかな:角ゴシック体(オホーツク、エルム)
漢字:明朝体(北斗、北海)
だよ。 >>202
>201は、昭和55年頃までの絵入りヘッドマークになる前の話だよ。
80系も末期には絵入りになってしまい、文字はすべて角ゴシックだった。 『鉄道伝説』
第2回「キハ181 〜高速鉄道網を全国に完備せよ〜」
BSフジ 2013年1月19日(土)23:30〜24:00
http://www.bsfuji.tv/top/pub/tetsudo_densetsu.html
キハ80系もやるって >>207
一時期そちらが荒れていたので“緊急避難所”として敢えて立てました。 >>203
昭和55年の80系前面マークは文字・ローマ字だったよ。唯一例外で絵入りが「ひだ」だった。
80系全面マークが絵入りになったのは昭和60年3月改正から。 >>210
言いたいことは分かるけど
昭和55年も昭和60年も今となってはどっちも昔だよな キハ80に限らず旧国鉄色特急はある意味『希望』『夢』を与えたな。『品格』もあるし。大げさにいえば、いつかは特急に乗り故郷に錦を飾る、てな具合に。 >>212
超同意。あのカラー以上に「特急」を印象付けたカラーはないね。 >>214
ブルトレや583系のことも思い出してあげて >>209
絵入りマークが見れたのは
北斗 北海 おおとり おおぞら オホーツク ひだ 南紀 >>195
Nゲージで今度それ再現した商品だしてほしいな 日曜日の朝の日本テレビの「遠くへ行きたい」というテレビ番組に、ステンレスっぽいキハ82みたいなのが出てるJRグループのCMが流れてワロタ。
あの番組も最近終わったみたいだね。
JRグループのCMが観れる貴重な番組だったのに。 >>220
既に>>208で述べましたが、一時期そちらが荒れていたので“緊急避難所”として
敢えて立てた、と云う経緯があることを何卒御理解下さい。
それでも運営側の方々に“重複・乱立”と判断されたのなら仕方ありませんが。 ここはキハ80系を語るスレなんでしょ
そしたら思い出話とかで良いじゃん知識もひけらかす必要も無いし
へんなやつはスルーでいこうよ キハ82に限ったことでもないが、気動車の正面貫通って寒冷地の北海道では、
組合の強い国鉄でよく改善要求がなかったよな?特急は分割列車もないし・・・
改造してキハ80を転用するとか、非貫通車創るとか貫通扉の機密性を改良するとか何故なかったのかね? キハ82に限ったことでもないが、気動車の正面貫通って寒冷地の北海道では、
組合の強い国鉄でよく改善要求がなかったよな?特急は分割列車もないし・・・
改造してキハ80を転用するとか、非貫通車創るとか貫通扉の機密性を改良するとか何故なかったのかね? >>226
おおぞらやおおとりは分割列車だったろ
分割でなくても付属編成の途中駅切り離しもあったし キロ改造のキハ82は901と902があったはず。他にキハ80 901もあった。
確か札幌と鹿児島に配置されていて、「オホーツク」と「にちりん」「おおよど」で見られた。
「はつかり」用のキハ81系のキロ80として誕生した車両を改造したんじゃなかったかな?
窓の狭い外観は、結構インパクトあったね。
残念ながら見て写真を撮ってあるんだが、この珍車に乗る機会はなかった。 >>232
オホーツクに使われたキハ82 902は脱線事故で廃車・解体になった。
(保線と運転の間の連絡の不備及び保線業者の手抜きにより、線路下の
枕木をまとめて抜いたところに特急が突っ込んで脱線・転覆。線路が串刺
しになった車両もあった) 鉄道ファンら1万人の人出 水戸・ひたち号50周年イベント
【写真説明】大勢の人出でにぎわった「みと鉄道ふれあいまつり」=水戸市三湯町の常磐線内原電留線
http://ibarakinews.jp/photo/13852210880123_1.jpg
弁天橋からキハ81を借りてきて一緒に並べて欲しかった。 そういえばキハ80に冷水器が設置されてたなぁ〜。
あの冷たい水、なんだか美味かったなぁ〜。 使用できるときには緑のランプが光っていて、
それが美味しさを保証してくれているような気にさせられた。 一応冷房付きであるが北海道では殆ど使用してなかったのでは?
特急オホーツクは冷涼な気候の路線を走るため夏でも暖房掛けてたのでは? 2年間はキハ81見れなくなるのか、見に行ける人は今の内。 元々名古屋生まれだが、何故か地元のキハ80系には乗ったことが無い。
キハ80系自体は少年時分に十数回乗ったが何れも北海道だ。
名古屋駅で出発待ちの天王寺行き“くろしお”のキハ81 3[天ワカ]の車内を
覗いてみたことだけはある。
その時は、がらんどうのカウンターがあるのにビックリした。
…いつ頃まで“売店”として機能していたのだろうか? >>245
売店スペースを持つ車両ってのは幾つかあったが本来の売店としてより車販準備室として
使われてたのがほとんどじゃないか。
乗客は一度座ってしまうと動かないし売店に行くより車販のワゴンに来てもらった方が楽だから。 旭川発函館行のおおぞら乗ったことある。乗る予定のL特いしかりが運休したため、変更し立席券だった。当時のL特いしかりは冬の寒さに負けて運休ばかりだった。全車指定席のおおぞらはL特急と違う雰囲気だったのを覚えている。 キハ80系は先頭車が1エンジンなので編成が短いほど速度種別が落ちるんだな >>248
北海道では電車特急よりも気動車特急のほうがステータスが上なんだよね。昔も今も。 発行黙るの船内のキハ80は北海道で走ってたのかな? >>245-246
はつかりに使われてた頃は売店営業もやってたらしい。
つばさやいなほの時期でも車販基地として使われてたらしいが、
くろしおに移ってからは全く使用されなかったという。 キハ80系はキシで引き通し回路がクロスする構造だったがキシなし編成ではどうしたんだろうか
キシを境にドア位置が反転するが >>249
そうとも限らんよ
キシ組み込み無し、8両編成が1両あたりのエンジン台数が一番多くなる
9両編成だとキハ82がもう一両必要だから、1両あたりのエンジン台数は8両の時より少なくなる
まあ、速度種別に影響あるレベルなのかどうかは知らんけど >>255
キロが両渡り改造されてるモノがあった。 >>258
キロは初期のは改造で、後期は新製時から両渡りだったようだ
キハ80で改造で両渡りにしたのもあったらしい 昨日、帯広郊外の音更町で最高気温37.8℃を記録したというニュースを聞いて
1973年夏に幕別駅でレールが暑さで曲がって通過中の1Dが脱線した事故を思い出した。 キハ82の両渡り改造は知っていたが、キハ80の両渡り改造車もあったのか!? >>261
無かったらオール普通車編成組めないだろ 583系もサシに配電盤があるとかで安易に外すことが出来ず食堂車の営業が休止されても1985年まで連結されてたような 片渡りにして途中で反転させる構造はやめたんだな
電車でも151系や157系は編成の前後で電動車の向きが逆転してたが
451・471系は最初両端クモハだったがクハが落成したためやめた
例外は215系で全車2階建てにする関係上両端の先頭車のMM'ユニットが157系のように背中合わせになってる キハ80はJR東海車はJRマークがオレンジ色だった
JR北海道車は白だったが
何か民営化初期の頃のJR九州の485系やキハ58みたいだな(他社が白だったのに対し九州だけ赤だった) ブルドックなキハ81がマジでカッコ良かった。
実車は見たことないけど。 ブルドックはつばさやいなほに使われたんだよな。
板谷峠や上越国境越えは大丈夫だったのかな? >>269
板谷峠はEF64を補機として連結
上越線は25‰勾配だから単独走行 >>270
板谷峠は自力走行は一応可能だったが20キロ程度しか出ないために補機連結してたとか
キハ58の急行おがは自力走行してたが凄まじく遅かった 板谷峠はキハ181でも結局補機使ったんだっけか
しかし80は全国かなりの幹線を走ったことになるんだね
北海道とか、今でも本当に悪条件のところをよく主力としてやってたと思う
最初は常磐線で火を吹きまくりだったのに >>272
火吹いてたのは奥中山越えだろ
さすがに平坦線の常磐線はないよ 上野駅地下ホームに「いなほ」入線するとき「ひたち」のHMのまま入ってきて、ホーム下によういしてあった「いなほ」に交換するのだが、少年オタたちはみな大喜びだった >>278
「エンジン」燃えちゃったら走れないだろ。 いなほのマークをはずすと下のガラスにひたちって書いてある
みたいな写真をみたことがあるけど
なんだったんだろ 「ひたち」の先頭車として常磐線に戻ってきたキハ81は連結器カバーはなく、
「ひたち」の編成も7両とあって、「はつかり」時代のような華やかさは感じられない
ように見えた 火を吹きながら走ったはつかりとか、当時は衝撃だったけど
今のJR北海道は、火災で丸焼けが普通だもんね 284
北陸トンネル列車火災後、「トンネル内で列車火災が発生したら停車せずに
そのまま走り抜ける」というように規定が改められたはずだが 「お湯を沸かす」のような間違った言葉の使い方が平然とまかり通るんたよなあ。 >>286
略されて成立した言い回しのことを
「間違ったことば」、とは呼ばないわけだが。 北海道を走ったキハ80系は晩年、永年の冬季雪の中を走行する事による
ダーメジも有り故障も多かったのだろうなあ。
それでもグリーン車・食堂車を連結し長大編成で函館本線・室蘭本線・
千歳線を走破するシーンは圧巻だったなあ。 >>291 何で、あんな低性能の代物をいつまでも使っているのかと思ってました。
80年代ころ。 >>291 何で、あんな低性能の代物をいつまでも使っているのかと思ってました。
80年代ころ。 起動時、加速時の騒音は大丈夫だったのでしょうか
昔某ローカル線で乗ったキハ58でさえ轟音だったもので… >>294
181系登場時に中央西線の「しなの」に乗った。
結構、エンジン音が大きかったのを覚えている。
それから九州に向かう80系に乗ったらびっくりするくらい静かだった。
あの時代、電車では151系、客車では20系、ディーゼルは80系が最も静か。
それは在来線車両では未だに破られていないと思う。 昔の列車はスピードが上がると床下からせわしないレールのジョイント音が響きまくってた JR東海のリゾートライナーはせめてDMH17を駆逐したJR東日本を見習ってカミンズエンジンに交換するべきだった
あれ末期はエンジン不調でキハ58を補助動力車として連結する始末だったみたいだが
但し変速機が原形のままだと250PSに出力が制限される 博多発のまつかぜに乗り福知山過ぎて食堂車に行くと、品切ればかり。
なんとかサンドウィッチにありつけた。
しかし車内の煙たさはすごかったな(当時は全車喫煙車)。 長距離運用で駅停車中に給油したという話は聞かないな
特急白鳥でも大阪〜青森間無給油で走れたみたいだが
高速バスははかた号のような超長距離便は途中でガソリンスタンドに立ち寄って給油する >>300
平時は途中給油はしなかったよ。
ただ、事故や大雪等で長時間抑止されると燃料が持たなくなるので、
途中の数駅に本線上で給油・給水できる設備があった。
防災上の観点から、今では本線上で(客を乗せたまま)給油するこ
とはなくなったけどね。 80系は美しいけど、海外の評価はどうなんだろう
日本のテツが感じる造形美を理解してる人は個々にはいるだろうけど 個人的にキハ82は美しくて好きがキハ81は醜くて嫌いだ
逆にキハ183-0番台は美しくて好きだがキハ183-100番台は醜くて嫌いだ
500番台以降のキハ183は美しくて好きなんだけどね >>303
151系電車のデザインを基本に必要なデザイン改造して行ったら何故か格好悪くなったでござるって感じだからな
まあキハ82も153系を特急らしくしてみました的な感じではあるけどもうまいこと行ったな
ところでARC第2回会議に間に合わせるためにキハ80速成してああなっちゃったわけだけど
輸出上何か成果あったのかな? >>306
いやだから303と同じで
キハ81は最初から脳内で蚊帳の外だったからさ キハ81,82って こだま型151電車より非電化で遠方の地方路線に向けて走るから
標準で寒冷地仕様なの?故に 専用番台が存在しないの? キハ82は、蝉顔 !
キハ81は、ブルドックと云うよりフィリピン辺りのオバちゃん顔! DD51DE10とかDLも寒冷地用で番台分けとかしちょらんね。 >>310
寒冷地仕様の専用車両は作られなかったけど、北海道へ配備された車両は
当然のごとく寒冷地対策を施していた。
ただ、キハ22やキハ27/56のような専用車両でなかった分、万全な対策が施され
なかったため、厳冬期には少なからずトラブルがあった。
ただ、現場の不断の努力により長期間ダイヤに支障となるようなことはなかったが、
そんな現場も485系はどうしようもなかったらしい。 L特いしかりが旭川で折り返せなかったな。北海で立ち席券に変更して札幌行ったことあったな。 >>310 その辺の違い(問題ハードルの高さの違い)が解からんのだが・・・
機関を用いる気動車のほうが、エンジン始動とか停まった場合のトラブル多そうだし
急行形に専用番台設け より上級で対策が万全であるべき特急形に設定がないのは?
・・・基本番台で十分な対策処置がしてあったと言うコト?
同様にあまり寒冷地に縁がなさそうなキハ181も何気に東北特急や山陰特急にも使われていたし・・・ キハ81は、まだ小さかった頃、上野でひたちといなほのマークの交換をじっと眺めていた記憶があります
そのあとは、くろしおの、名古屋−天王寺直通ですね
阪和線の旧型がなくなる直前に撮れました
天理にもしばらく留置されていたけど、荒廃がちょっと… >>316
キハ80系やキハ181系の時代だと電車だって耐寒番台とか無かっただろ? 《人をジロジロ見るおっさん》には敵意、否、【殺意】すら湧くわ。
いやらしい目で見やがって!俺はそういう猟奇的な趣味ねーから!
【最近、もてないから
電車内でオトコノコをジロジロ見る変態中高年が急増しています。
注意しましょう!】 >>318
キハ80系が誕生したのは1960年、でもキハ20の耐寒耐雪仕様のキハ21は1957年、その強化型のキハ22は
1958年にすでに誕生してたけど。電車は1963年の115系・165系誕生が端緒かな。その前の1961年に
新潟ローカルに投入されてた70系は特に改造されてなかったはず。 番台区分じゃなくて形式区分になっちゃって申し訳ないけど。
基本番台に対する寒地向け区分だと、1967年のキハ23-500・キハ45-500が最初になるのかな。このキハ45系列も
北海道向けは形式区分になって、それぞれキハ24・キハ46になっちゃうけど。
これも電車で見ると、1974年の485-1500と183-1000まで出てこないな。485-1000は1976年だし、
115-1000は1977年だし。 機関車だと、1966年のED75-501と1968年のED76-500だけかな。ディーゼル機は確か番台区分ではないし。 山陽線をキハ80が走っていた当時の時刻表を見ると、
たとえば大阪小倉間では、同区間の電車特急と到達時間に数分の差しかないんだよな。
電車特急のほうが若干停車駅は多いけれど。
キハ80って超絶低性能だったんだろ。車でいえば排ガス対策時のトヨタ車みたいなもの。
それが今のプリウスみたいな電車との比較で、なんで差がつかなかったんだ?
今の札幌旭川という短距離でも、電車と気動車(183はもちろん261でも)では到達時間に差があるというのに。 >>324
山陽本線の最高速度が120km/hになったのは「ヨンサントウ(1968年10月改正)」からで、引き上げたものの
勾配や曲線が多かったから、他線区よりも引き上げ効果は少なかったみたいだよ。
札幌〜旭川は直線も多く最高速度で走れる区間が長いから差が出るんだろうけど、短いと性能差は埋まることがあるし、
当時の山陽本線は電車の方が停車駅が多い=80系の方が停車駅が少ないことで、所要時間の差を埋めていたようだし。 >>322
いや、それらは基本番台に対して中身は全く別物。
ED75-501は半ば試作車両だったし、ED76-500は本来は新形式となるべきところ、
労組問題で新形式を増やせなかったためED76の派生型とせざるを得なかった
経緯がある。
(同様な理由で本来DD52となるはずだったDD51-800がある) >>324 >>325
> 勾配や曲線が多かったから、他線区よりも引き上げ効果は少なかったみたいだよ。
これはむしろ最高速度同じ時でも性能差が出易い条件だよね。
何より当時の山陽本線は線路容量が逼迫していて、
電車特急専用の俊足スジなんて設定できなかったのが最大の理由かと。
遅い車両に合わせて平行ダイヤ組まざるを得なかった。
それに昔は列車の格という物も重視されたから、特急同士で
あからさまな差は付けにくかったのもある。
なんせ80系列車は優先すべき最長距離系統だったし。 >>314
冬場は一晩中アイドリングさせていたとか。 おおとり用車両は冬場、網走で一晩過ごす際庫に収容できるよう
北見以北は編成を短くしてたと思う。 >>327
昔のRJだか旅鉄だかに、80系かもめ→481系しおじの乗り継ぎルポがあったけど、
かもめはぜいぜい、しおじはすいすい、みたいなことが書いてあった。
同一区間の所要時間はほとんど変わらなくても、その内容というか走りの質には大きな差があったみたいね。 当初はキハ60で試作された大馬力エンジンを搭載して151系電車と同等の性能を持たせることも目指してたが、
キハ80系の開発期間が短かったことや特急の全国展開で大量に製造する必要性が生じたこと、
さらに新設計の大馬力エンジンの信頼性に問題があったために結局見送られ、DMH17Hで落ち着いたといわれてる。
それにサービス電源用の発電装置も搭載しなければならないので先頭車は1台エンジンになって、
高速性能を多少犠牲にせざるを得なかったということになってしまったが。 キハ80は単独でセノハチ越え出来たが
181系や153系は機関車の手助けが必要だった 今でも走っているキハ40系統も酷いよな。短い駅間なら自転車に負けるレベル。
なんで新幹線をつくった日本の鉄道技術が、
まともなディーゼルエンジン一つつくれなかったんだろう? 大組織 システムインテグレーション的手法が通用しない>コンポーネント開発 でも、蒸気機関車を駆逐したのがディーゼル車なんでしょ。
当時は当時なりに優れていたのでは? 問題はその後なんでまともに進化できなかったのか、なんだが。 本腰入れて開発するメーカーが無かったからだろうな。新潟鉄工やダイハツが本業の片手間でやってたようなもんだし。
ディーゼルエンジンのノウハウを持ってるいくつかのトラックメーカーに国鉄が共同開発を持ち掛けたけど断られたらしいし。
その流れで世界のトップレベルから遅れてるのは未だに変わらずで。 採算性がマシなほうだと見込める路線は電化を計画。
不採算と見込まれるところは電化せず非電化で放置。
放置するような方針の未来のない非電化路線用の車両の
高性能化研究投資なんぞをやる理由が国鉄にはなかったのかもしれませんね。
無煙化・合理化さえ達成したら十分と。 まぁ電車と気動車が対等になるのはJRになって以降だからな。
国鉄時代はあらゆる面で電車>>>気動車という意識が部内に強かったのは事実だから。
もし未だに国鉄が存続してたらハイブリッド気動車なんて夢のまた夢だったのは間違いないし。 >>339
対等になったのは在来線の特急くらいじゃね? ガスタービンがオイルショックで頓挫、準動力集中式も検討されたが短編成の運用には向いていない、
結局、ディーゼルの動力分散式で行かなくてはならなかったが、方向性が決まらなかったかかなあ すでに在来線の電車特急はいかに動力性能手抜きするか、という段階だからなぁ。
目一杯のスペック盛り込んだディーゼル特急が同等の性能といっても、
>>330みたいな図式は変わってないのかと。 今発売されてる雑誌で見たんですが、ブルドッグのフロントガラスの上に棒がある車両があったんですね。 >>344
いなほ時代から付いてたのかな?ツララ切り? >>345
1970年撮影とあるが、いなほ・ひたち運用の車両。つらら切りだと思う。
http://www.geocities.jp/glock1320031/sub5-1.html
いなほに使われていた時期でも、これがない車両もあるようだし、試験的につけてみたのか?
この板の電気機関車スレで、つらら切りの話が出たとき、電車や気動車には何故、ついてないのかという疑問が出されたが、これが唯一のつらら切りつき気動車かも? >>346
写真を見ていると、気持ちがとろけてしまう・・・ しかし、あのブラインドは良くないな。
前後どっちかの席の客が下げると窓全部塞がっちゃうので、
こっちは景色見たいのにあっちは眩しいので下げるとかトラブル。
新幹線みたいに中央に分割していればいいのに。 >>348
(そのブラインド)ヨーロッパでは今でも標準スタイルです 80系はガキの頃、みんなで「泣き虫」て呼んでいたな。
今考えると、なんでそんなあだ名付けたんだろう? 北海道にはキハ82しか配属されなかったけど、もしキハ81が配属されていたら・・・
と妄想に耽ってみる。
高運転台でヘッドライトが高い位置にあるから厳冬期の吹雪でもキハ82より視界が
良さそうだし、運転台の前に機械室があるから、貫通路からの隙間風や雨雪の侵入に
悩まされなくて済みそう。
後年登場のキハ183系も0番台車は高運転台だったし、キハ81は北海道に
マッチしていたかも・・・
耐寒装備を強化し、売店をなくして座席数を増やし、細かい部分をキハ82と共通仕様に
した「キハ81−100番台」なんて登場してたりして・・・ >>354
ボンネットの上に雪が積もって見えなくなったり
しないのかな
DD51の場合どうなんだろ >>355
それは大丈夫じゃないかな〜
ボンネットの中は発電セットだからある程度放熱があるし、走行中は風で
後ろに飛ばされていきそう。
番台区部は北海道らしく「キハ81-500」でwww ブルドッグには運転室専用クーラーが設置されていたけど、
排気管が運転室内のセンターピラーにある故に暑かったんだろうな。
DD51みたいにすればいいんだけど、デザイン優先だったのか。 梅小路博物館開館時に
キハ81のヘッドマークを復活させて欲しい。 つばさ
いなほ
ひたち
もちゃんと候補に入れてやれ >>362
定期列車ではつばさで1年、いなほひたちで3年だから
大宮と縁深くはないのよね >>364
西九条が閉館したのが移籍の原因なわけで
まあ81は最後走ってた関西にいるほうがいいだろうて > 西九条が閉館したのが移籍の原因なわけで
閉館以前に西九条で開館なんかしてまへんがな。 >>362、>>363
特急型気動車は尾久区と大宮工場が育てた様なもんだよね。 山陽本線を走るキハ80系は、電化区間で有りながら輝いていたなあ。
特に特急かもめの勇姿は、今でも忘れられない。 84/6/3
北海
キハ82 61
キロ80 52
キシ80 23
キハ80 145
キハ80 161
キハ82 109↓札幌 くろしお、はつかり。
キハ80はこれに尽きる。
本当に格好良かった。 >>372
つばさ、いなほ、ひたちのことも思い出してあげて 正直くろしおはつかり以外のキハ80は知らなかった
知ったのはネット以後 福知山線のキハ82は本線に181が入ってからも割と長い間運用に入ってたのに、あまり話題に上らないよね。 おおぞら、おおとり
80系といえばまず思い出すのがこの2つ おおぞらの食堂車を新得〜滝川間で利用したら、
揺れる揺れる、食事をするのがすこぶる大変だった記憶が・・ チャイムがアルプスの牧場じゃなくてブラームスの子守歌だったんだな
何か数種類あったみたいである 全車指定席って憧れたな。子供の時旭川から札幌まで自由席特急券でおおぞらに乗ったことがある。L特いしかりの運休で立席で。空いてる席に座っていいよ、と優しい車掌さん。 2エンジンだから発進時のグォン…ゴォォという音は若干迫力があったな。
一方キハ183は停車中からただただ喧しいだけ >>300
DMHエンジン車の燃費がリッター2kmくらいなんで、標準の550Lタンクだと大阪〜青森と
前後の回送でぎりぎりですな
>>333
P誌だったか。181系のトラブル多発時に担当になった国鉄のお方のインタビューが載ってましたな。
電車はメーカーが超のつく大企業で予算が贅沢なのに比べてディーゼルはメーカーが
国鉄にエンジンの試験で燃料代下さいってくらいで… このスレ最初から読んだけど
半分くらいは北海道の話題だなw
キハ80系スレだからしょうがないか。
関西出身の俺にとっては
「日向・なは」「白鳥」「くろしお」が思い出に残る。
特に「日向・なは」は子供の頃、
先頭を撮影してから振り向いて
最後尾にもシャッターを切るスリルが
たまらなかったな。 余談だけど
「日向・なは」のすぐ後を走っていた
475系急行「つくし・べっぷ」も先頭と最後尾の2度
撮影できるおいしい列車でした。スレチですが。 >>376
博多まつかぜ以外は181系になったら、編成を短縮されて…
基本6+付属3の先祖がえりみたくなった。
それでもキシ80が営業してたから今じゃ考えられないw >>385
>>386
関東人にとっては何とも羨ましいお話
貴重な話を聞けてありがたや >>388
関東にも「いなほ」とか
関西人も羨む80系が走ってましたよね。
その後、キハ81が紀勢線に来たので
「これがあのブルドックか」と写真を撮りまくった思い出w キシ80 36・37は製造時期が遅く、民営化後も残ったんだよな。 親父の実家のある宮津線では82系のあさしおがクイーンだった。。
ローカル線に長編成特急がと。
しかし、置き換え後見た181系。
列車の通過で枕木がさ、ピシピシパキパキ鳴るんだ。
低規格路線に181系は無理じゃなかろうかと。
>>354
高運転台ゆえに、紀勢本線ではキハ81が転属してきた時に信号の見通し改良工事を
行ったそうな。 >>360>>373
あんたの想いはよく伝わるけどさ、
書く人書く人がはつかりとくろしおってことは
多くの人々にはその2列車の印象が強いってことだろ。
>>378みたいな人だっているんだから、
いちいち指摘しなくてよろしい。 >>396
6か月前にレスするあんたが真性アスぺを実証してるよ。 >>396>>398>>399
差別主義者は来なくてよい。
こういう書き込みする奴は
アスペルガーの実態を知らない事が多い。
お前らエジ○ンやビルゲ○ツに真性アスペとか言えるのか?
面と向かって。 >>401
そんなことを面と向かって言えるあなたも
アスペかもしれませんよ。 グリーン車は3両つないでもいいレベルの運用ありまくりだったよな
函館から札幌以北とかグリーン空いてないと諦めるレベル >>406
天王寺〜名古屋「くろしお」はグリーン車3両だった時代も。。
基本編成にキロ2両、新宮までの付属編成にキロ1両。
のちの付属編成はキハばっかりだったけど >>404
君はさすがだな
今どきのユトリとちがうわ。 81/5/22
キハ82 902↑釧路
キハ80 86
キハ80 75
キハ82 47↑
キロ80 18
キシ80 8
キハ80 77
キハ80 78
キハ80 79
キハ82 14↓函館
記録では池田駅とある。 別の日 同じ列車
81/6/25
キハ82 51
キハ80 79
キハ80 34
キハ82 901↑
キロ80 18
キシ80 4
キハ80 81
キハ80 80
キハ80 75
キハ82 24↓函館
やはり池田駅にて
滝川行き客レ422レ?から見た記録 >>408
ブルドッグの時代ですか・・・
意外なところにあったんですねえ 名鉄の同形車に乗ったことがあった
犬山橋の併用区間を今にも止まりそうなスピードでのろのろ通過したのを覚えてる
特急用だけあって低速で走るの苦手なのか、
本線を快走してるときと違うエンジンの唸りだった。 >>414
>名鉄の同形車に乗ったことがあった
同型じゃないよ
名鉄キハ8000はキハ58の走行系に名鉄特急仕様(よりちょっと豪華)の車体を載せた感じ >>416
エンジン 一緒
液体変速機 一緒だけど変速比が違う
台車 別 >>417
変速機は一緒、逆転機の最終減速比が異なる、制御電圧が異なる。 ファイナルが小さくて低速辛いのが82系か。58系他だと一速45km位が変速切替だあね、82系は少し高速と
特急北海が峠だらだら走ってたが、一速最大トルク付近で粘ってた訳だな >>418
ブレーキが
キハ80系・・・DARS
キハ58系・・・DAE
だが、どう違うの? 中間に運転台が来る編成など
よくヘッドマーク盗まれなかったな。 言われてみればおおぞら分割併合でそんなのあったようななかったような
運転台の連結部は五月蝿い記憶はある まつかぜ、白鳥、日向なは、かもめ等が中間に運転台あり。
キハ181の運転台に比べて面積が大きかったような記憶が
あるが思い違いかな? 両端がブルドッグで、中間にキハ82が差し込まれてる編成が、
子供の頃、謎だった
食堂車を発電能力を持つキサシから
動力車だが発機能がないキシに替わったことによる
電源供給の関連などでそういう措置が必要と知ったのは
大分、後になってからだったな 夏の多客期に特急おおぞらが2両増結されてたんだが、
基本編成の頭にキハ82が2両。
踏切待ちの時にたまたま見かけたので、頭が3両続いてきてビックらこいた >>426
9両編成で
駆動エンジン14台って少なすぎだろ 今30歳だけど181には結構乗れたが82には一度も乗れずじまいだったな
ただ181のあさしおに福知山から二条まで乗ったとき米子からきてた便だったせいで
指定席とれずにオヤジにグリーン乗せてもらったわ、グリーンもほぼ満席ですごい
タバコとヤニの臭い
北海道で82が全盛だった時代もこんな感じなのかと想像はついたな キハ82系はキハ181系のような男性的な力強さはなく、その曲線的なデザインもあってかクイーンとも言われていました。 1982年早朝の向日町へ行くとキハ82が3編成、
構内にアイドリングが響き渡っていた。
朝から壮観だったので思わず一枚。 新幹線博多開通の直前まで九州帰省した際、厚狭付近で台風が来て途中見合せ食らったとか言われたけど幼少で乗った記憶がありません。 平均速度が遅い特急の多くが、キハ80系の特急だったけど。
「おおよど」に「あさしお」とか・・ >>432-433
停車駅を極力絞ってあれだからなあ・・・ 関東の人間で田舎か電化されてると特急キハ
にはあまり縁がないように思う。オレ1度も
乗った事ないや。 >>436 1972年の羽越線全線電化、いなほ、ひたちの485系化以来、関東地方ではキハ80系が走ってないからな。
キハ181系も1975年11月まで。そういう自分も、キハ80系に乗ったことがない。181系なら何度かあるが。 昭和49年頃交通博物館で買った下敷きに
キハのブルドッグのいなほが載ってたな。
あと北海道のSLがあって同級生にもうすぐ
なくなるんだぜーと言ったの覚えてる。
新幹線博多開業ニュースは母親の膝の上で
見たな。 >>440 ブルドッグのひたちが、我孫子(取手だったかもしれない)を爆音立てて通過していった思い出がある。
確か、関東鉄道筑波線など乗りに行ったときだったかなあ。 京都鉄道博物館のやつってボンネットが開けられるようにしたんだな
当時を知る人が少なく「開かずのボンネット」と言われてたが鍵師でも呼んだ? 天王寺の阪和線ホームはブルドッグ居たころとほとんど変わってない
のがすごい 半世紀たつのにな あれから半世紀かよ、ホームにあった屋台のうどんが旨かった。 ホームにあった屋台のうどん ????
ホーム上に屋台 ???? >>449
工工工エエエエエエェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェェエエエエエエ工工工
大阪市内の駅うどんで一番美味かったのに・・・ >>451
今のデジカメがあればもっと綺麗に写しこめたのにねぇ >>452
いやいや、いい具合に色あせてるじゃないか
この方が昭和らしくて、俺はすきだがなあ 今の阪和線ホームって1〜3番線の存在感が無いのが寂しいよね
主を無くしたホームともいえる
くろしおがほぼ新大阪発着になったからね
天王寺にはよく行くけど環状線使ってる俺からすれば1〜3番線は隠しコマンド
みたいなイメージなんだよねw >>451
このブルドッグのボンネットの先に車止めがあってその前に天王寺うどんの屋台が出てたんよね
屋台越しにブルドッグを正面から写した画像がどこかのブログにあったんだが見つからない おおぞらとおおとりは文字マークが本州と同様丸ゴシックの物もあったな。
明朝体の方が多いけど。 天王寺の阪和線ホームのうどん食ってきた
経営が変わっただけなのかな
今はくろしおは臨時以外ここにくることは無いんだけど
ブルドッグがふと来そうな雰囲気が今も残っている まあでも実際にブルドッグあそこで見た人でないとそうは思わないかと
元々私鉄電車の終点ホームだからね ブルドッグ乗って、名古屋まで行った。
正確には天王寺〜名古屋〜下諏訪〜八王子 >>463
まあ俺も見たこと無いけどね
昔女に会いに行ってたときよく阪和線ホーム使ってて
ブルドッグが戻ってくるみたいに女も戻ってこねえかなあと
ほとんどの人が何でもない場所でも自分の中で時が止まったままの場所ってあるよね >>463
それ以前に、地平への連絡線ができる前の
活気ある特急ホームをまず知ってる世代でなければ
脳内回想はむずいだろうね。
特急改札があって駅弁ブースのあった1、2番の島式 「まつかぜ」で大阪->博多間を乗り通したときのこと
昼、食堂車へ行ったが混んでて落ち着いて食べられなかったんで
日本海が見えてくる頃、再度食堂車へ行っておやつ?タイムw
夕食も食堂車へ行って、都合3回足を運んだ
何を食べたか全く覚えてないが(汗)
一列車で三回も食堂車を利用するなんて、もうあり得ないないんだな… おおぞら、おおとり共に登場時は丸ゴシックマーク、1970年早々には明朝体マークが存在していたようで、
おおとりは絵入り化まで丸ゴシックと明朝体を併用していたのを見ているが、おおぞらの丸ゴシックを
実際に見たことは一度もないな。おおぞらはいつまで丸ゴシックマークを使っていたんだろう? >>467
俺も九州への帰路に大阪から「まつかぜ」に乗ったことがある(1981年の夏)
朝昼夕と三食を食堂車で食べたが、何を食べたのか思い出せないのも一緒だ...
キハ82の自由席、運転台寄の窓の小さいところ海側に陣取った
食堂車は遠かった、食堂車から戻るたびに席には誰かが座っていた
途中まで大阪寄に増結車があって貫通状態を観察できた
運転台と客室の仕切りドアが開戸なのに、取っ手の形状から引戸と勘違いする人が多かった
なお車両故障のため残り二駅くらいでローカル列車に乗り換えさせられて完乗できなかった(涙) このスレ見てたおかげでアポロケンタッキー単勝とれたわ
ブルドッグとアポロビルの広告ありがとな 大賞典馬複8-11取れたお
キハ80系か、石勝線開通後暫くおおぞらが千歳札幌を往復する運用
通しはあまりいなかったのだろう >>471
これ実際は距離・時間共に得なのに心理的にすごくイライラするのが人間
人間って欠陥生物なのかもな 1M2mで運転した事はある?
原形車で実用的な最短編成だが性能がキハ58よりもしょぼくなる
リゾートライナーや登場時のフラノエクスプレスは2M1mだった そもそも何両編成でもキハ58には勝てないんじゃね? キハ183スラントノーズで江差線の団臨とか真ん中がキロ182ハイデッカーの1M2mはあった
ただ発電エンジンが過剰になるので片方切ってた?
5両編成以下では1基で十分 >>475
発電エンジン装備車って他車から給電できるものなの? >>473
2m2Mは、臨時特急北斗や特急南紀であったのは知っているけど・・・。 ずっ〜と抱きしめ〜ていたい〜季節を越えて〜い〜つでも〜♪ オラが82系に最後に乗ったのが、名古屋から紀伊勝浦かな JR東日本に承継されていたらDMH17荘S廃政策でエンャWン交換の対象bノなってただろb、な
180PS→250PSに上がって5ノッチ5分が無くなるので使い勝手は良くなるかと
ただキハ82の場合発電エンジン(DMH17H-G)も交換しないといけない あすかは東和歌山とか意味不明だよな
名古屋から関西線回りで京都とかのほうがよほど需要あっただろう 当初は本数足りないくろしおの回送兼ねてたんでしょ。 梅田貨物線も慣れちゃってるけど当初は画期的だったのかな!? >>486
>あすかは東和歌山とか意味不明だよな
意味はあるよ
和歌山機関区への帰庫なんだから >>485
>>486
あすかは色んな文献読んだことがあるだけだが
どれも、走行区間に加え時間帯も最悪で空気満載だったと書いてあったなw
>>490が言ってる通り帰区が目的だったんだろう 俺も文献を読んだことがあるだけだけど
夜遅くに和歌山着、早朝に和歌山発ではどうにもならない
せめて逆なら救いようがあったかも 下り3D 名古屋1840→亀山1943→奈良2107→東和歌山2237
上り4D 東和歌山700→奈良844→亀山955→名古屋1055
もっと極端な時間にすれば利用増えたかもな
例えば下りは名古屋2040発
上りは東和歌山500発 >>493-494
確かに逆なら(名古屋から奈良へ日帰りできるようなダイヤなら)それなりの需要あったかもだね
でも奈良から先は…お察し…
そう言えば、あすか設定直後はG車2両にキシまで営業していて暫くはそれなりに需要があった
(もちろん直ぐ閑古鳥が鳴き始めたが)と言うのを何かで読んだな というより食堂なしの特急なんてなかったしな。
もし新幹線以前に東京から和歌山、そこから四国連絡なんて
列車だったならよかったんだろう。 あすかの食堂車
営業したのは最初の1年だけですぐ休止になったよ
その後は指定席もなくなり全車自由席になった
実質、回送のついでに客扱いだったから
それでもよかったのかも
JRは絶対やらない(できない)だろうねw 子供の頃時刻表旅行やってて、列車編成見て目に飛び込んだのが「ひだ」
短編成に食堂車なし。
「ああ、高山とか下呂って貧しいところなんだなあ。
みんな一所懸命お金払って特急乗っても、
家で作ったおにぎりしか食べられないんだなあ」 つまてずごい勘違いしてた。 今の新幹線や特急は(心が)貧乏人しか乗らないもんね?w 食堂車なしの気動車特急は「ひだ」以前に「やまばと」があったよ。登場は43.10の「ひだ」より3年前40.10だったかな。
キシ抜き基本編成6両、上野−山形・会津若松間で運転、上りと下りで編成位置を変え、
山形→上野→会津若松(泊)→上野→山形と循環させ山形持ちで運用されていた。 東京から紀伊半島方面へは夜行の大和等あったから、
36.10辺りで昼間に東海道特急補完で
関西本線経由なんて列車があれば客足がついたかもしれないね。
元つばめ用44系使った周遊列車なんてのはあったんだしな。 ところでキハ80の転換クロスシートや
リクライニングシートに交換された車両に乗ったことのある人いる? >>506
東阪間夜行急行大混雑
急行大和ガラガラだったから
昼行特急でも同じようなことになってたと思う
そもそもキハ82で当時の東海道電車急行より東名間で早く走れただろうか? >>508
新幹線開業前は大和もそれなりに乗ってたそうだよ。
>>507
転クロなら南紀等であるがリクライニングは知らない。 >>509
>新幹線開業前は大和もそれなりに乗ってたそうだよ
それどこ情報?
俺は終始ガラガラとしか聞いたことないよ 俺は国鉄時代、湊町時代の駅長から聞いたよ。
新幹線開業前はミナミから便利なので一定の利用客はいたと。 80系気動車のリクライニングシートって、北海道の183系500番台と同じシートに
交換された(定期運用は無し。臨時北斗に使用)以外にあったっけ? >>506
>>508
新幹線開業前だと、東海道線でキハ80系だと微妙かな、特急が最高110km/h運転やっていたから。
151系で表定86km/h、153系急行で表定74km/h、さすがにちょっと苦しいか。
もし実現したとすれば、ただでさえスジが足らないから、東京―名古屋は増結必須だったろうな。
食堂付き基本が総定員約300、食堂抜き付属が総定員約370、計670は結構な輸送力にはなっただろう。 まあ山陽ではかもめも延々80系で走ってたしな。
あくまでもIFの世界だが、伊勢湾台風の被害から
復興目的で特急設定、湊町行きと和歌山行き(四国徳島連絡)
なんて列車が欲しかった。 >>514
それならもう一息南海和歌山港まで伸ばしてくれたら。 まあでも貴重な80系気動車をそういう列車に回すことはなかっただろうね
四国連絡は富士で良いし
南海だって難波から自社線乗って欲しいだろうし でも当時関西本線は中央線等と同等の位置づけで近鉄と競合線区だからな。
気動車準急の投入も早い。でも日光行きに比べて貧乏くじ引いた感はある。 >>517
>当時関西本線は中央線等と同等の位置づけ
これよく分かんないな
どういうこと? 国鉄内で幹線の位置付けがあったからな。
関西本線は当時決して低くはなかったよ。
だから紀州一周くろしおも運転されたんだし。 >>519
その「幹線の位置付け」ってのを具体的に頼む 燃料タンクが馬鹿みたいに大きく白鳥でも途中燃料補給不要だったな
その気になれば青森〜西鹿児島間無給油走行可能?
高速バスでははかた号が途中でガソリンスタンドに立ち寄る >>520
勿論当時の線路規格だよ。
なので亜幹線でも関西本線は特急運転開始が昭和40年からなんだしな。
近鉄のせいで凋落のイメージが強いが
元々旧東海道を走る路線だというのもある。 >>517-520
>関西線の位置づけ
確かに気動車準急の導入は早かったが、位置づけ的にはどうかな。
本当に良かったならば、天王寺湊町口はもっと早く電化されてもよかったはず。
名古屋口も旅客は基本放置、「かすが」も準急の頃はとにかく、急行になってからも1等車は43.10までキロ25かキロハ25、
2等車→普通車はかなり後までキハ55・26、中央西線の急行が早くからキハ58系になっていたのに比べれば見劣りしていた。
これは「殿様紀州」以外の名古屋口紀勢本線急行も同じ。
客車の普通列車に関しては中央本線と同等か、それでもオハ61系が結構混じっていたから対したことはないか。
まあ、主に関西本線を受け持つ「天王寺鉄道管理局」の扱いは酷かったから、その流れだろうな。
「くろしお」は当時白浜温泉が相当賑わっていたから、増収策の一環だったんだろう。
長文すまん 紀勢、関西線にくろしおが走ったのは昭和40年だろ。
雷鳥やしらさぎと同時期なんだしな。
ちなみにこれは紀勢特急は昭和37年時点で噂されていたとされている。
関西本線は並行して近鉄、何より新幹線が出来たから凋落したので
本来は亜幹線というより幹線系だろう >>523
天王寺管理局の話だと電化の時にとき用の181系が転用される話もあった はまかぜもずっと播但線経由で運転されてるんだからあすかも1往復くらい残してもいいとおもうんだけどな
奈良まで大和路快速の代わりに座りたいって奴もいるだろうし
びわこエクスプレスにキハ投入する西なら0.1%くらいは期待できるw 1964年の時点で関西本線全線が乙線規格だった気がする。
甲線は東海道や山陽、東北等なのでつまり上から二番目。
勿論非電化でも特急運転適応規格だろう。 >>527
そもそも線路規格が高かったとしてもそれって伊勢神宮需要のおかげじゃね? >>526
って、ゆとり世代の君に妄想を言われてもなぁw >>531
1年ずれたかwすまんな。
俺はジジイというか
ブルドッグのくろしお知ってる世代。
乗ったし撮影したが、
あすかは知らない。 >>529
戦後伊勢神宮はある種のタブー扱いだから無関係。
関西本線は本来の東海道に沿ってる路線で
東北や山陽と同時期国有化された旧関西鉄道
なんだから元々の規格が高い。
戦前に燕とか天王寺まで迂回した話もあったしな。 >>533
うむ、ジジイだなw
けど国鉄の走らせてた特急って現代的な感覚だと全部中二病っぽく思える
583系なんて車両からして中二全開とも言えるしなあ >>534
>戦後伊勢神宮はある種のタブー扱いだから無関係
戦前からのを引きずってるんじゃないの? >>535
ここはジジイが集う懐かし板
ほぼ、ゆとり世代の君が来るのは
20年早いなww 名古屋線改軌前ならともかく、近鉄は名阪間では関西本線なんか相手にしていないだろう。
伊勢神宮参りも然り。
天皇陛下も近鉄を使っておられたぐらいだから。 >>539
「快速みえ」が頑張ってて、客足をJRに向けている。
もちろん、まだまだ近鉄優位は変わらないけど 電化前の頃、退勤時間でも名古屋発の旧客はガラガラだったな 関西線は乙線規格だけど線形はあまり良くないぞ。
ただ貨物輸送としては結構重要な路線だった。
四日市あたりからの工業製品や紀伊半島の農産物海産物を関西方面に流すのには重要路線。
亀山柘植の加太越えも、そこから奈良方面や草津線方面(こちらのほうが多かったかも)への貨物列車が
何本も運転されていた。 戦後に入っても近鉄のお召し運転は実は結構時期も遅い。
それに関西本線は線形もそんなに悪くないから
22m車体車両を運転出来たんだよ。 >540
JRが名古屋〜伊勢で近鉄と本気で勝負しようと思ったのは、快速みえの時が
初めてやろうね。
俺が子供の頃は、関西本線は大阪〜奈良でも使える代物ではなかったな。 昔の関西本線の中間駅見ても構内なんてかなり広いし中線もあったりする。
1964年の時点では非電化幹線として間違いなく線形はよい。
元々が標準軌論者の関西鉄道なんだしな。
無理やり80系の話に戻すとあすか廃止後にも
天理臨ではたまに走ってたよ。 新幹線開業前は近鉄だってかなりの区間が単線だしな。
当時の北陸本線や中央本線だって非電化単線も多く
スイッチバック有と似たり寄ったり。 >>545
亀山なんて優等列車無茶苦茶似合う駅なのにな >>548
それこそSLがいた頃は、なかなかのものだったよ >>548
くろしおもスイシチバシクしてたもんな。 >>551訂正
勝手に変換されてしまったw
> 伊勢線の開通が亀山を過疎化させたのか? 関西本線の凋落はあすかの失敗も戦犯の一つだろう。
単なる不人気での廃止はイメージも悪いし。 >>553
きみは頭でっかち君かな?
関西線凋落と「あすか」は何の関係もない!
by当時を知るジジイ >>554
当時を知っているとかは何の関係もないだろう。
利用者がつかず廃止は以降のイメージが悪いのは事実だと思うぞ。 ------------
------------
【日米首脳会談】
アメリカのトランプ新大統領に日本の高速鉄道を売り込めるか!?
https://www.youtube.com/watch?v=s2RQQhCwaCg
------------ 特急で新幹線開通もなく、ルート変更でもなく単に廃止なんて
国鉄史上初なんだよな、あすかの廃止は。 >>557
「へいわ」とか「ひびき」はちががったっけ? 奈良県が国鉄空白地帯なので
建前的に設定した面もあるのかな
役人、議員対策的な >>558
それは単に名称変更や系統整理への発展的解消だろ。
あすかは低迷のままスジが消滅したし。 >>558
初代へいわ→つばめ(公募結果による改称)
二代目平和→さくら(20系固定編成化に伴い改称)
三代目へいわ→つばめ(広島電化で電車化・東京発着化)
ひびき→東海道新幹線開通で廃止 >>557
>>560
後の北海ですらルート変更の形で北斗が増便されているんだよな 完全にスジが消滅したのなんて確かに聞いたこと無いな
あさかぜだって今もスジ残ってるんだぜ、上りサンライズが遅延したらあさかぜのスジに載せるんだよ 急行かすがが一応代替に該当するんだろうが、
それも年々減便してゆくんだしな。 いま阪和貨物線があったら
関空ー奈良の特急か快速ができてたかも 難波からひっきりなしに近鉄特急が出てる
補完の松阪行きがあれだけ埋まるんだからJRだって
圧力でもあるのか むかし 突然の大雨で室蘭線が不通になった時、
始発の特急おおぞらが小樽回りで運転されたとニュースで知ったが、
長万部から先、北海が先行か、おおぞらが先行か、
釧路に着いた編成がその後どうやって編成の向きを変えたかが
今更ならが気になる。 >釧路に着いた編成がその後どうやって編成の向きを変えたかが
>今更ならが気になる。
不通が続いて復路も小樽経由なら方転の必要はないな
逆編成で函館に戻った場合、五稜郭−有川操車場−五稜郭操車場のデルタ線を
利用する方法が考えられるけど、実際のところはどうだったのかな >>569
子供の頃だけど小樽経由迂回おおぞら1号見ましたよ、北海のスジで北海は運休でした。
その日の夜「上り」は北海でしたよ、方転は私も判らない。 そのころって中間キハの向きは
食堂境に逆だったりするんだっけか?
回す車両が限られてるなら転車台かも? 食堂車を境に中間キハが来ないように編成を組んでたよ。
例1961.10.1
←函館
DcDsDdDDDc ああそっか、ハハハシロハでしたな
中間車はぜんぶ回さないとだめか >>560
>>564
あすかのスジがどこの区間でも残らなかったのは
余程のことだったんだな
キハ80の特急で全く列車ごとスジ自体が廃止になったのもあすかぐらいかもしれないな あすか
和歌山区へ回送をかねて営業みたいな
説明をみた記憶があるが、
あすか廃止後の名古屋くろしおは
名古屋滞泊になったのかな? おおぞらの13連は凄いな、迫力が
グリーン車3輌、食堂車2輌で15連とか見てみたい >>578
いい加減な記憶だが、間合い運用の本体である特急型車両の
置き換えが廃止理由であり、列車廃止後は代替の急行列車が
設定された(特急格上げ後に戻った)のではないか。 >>580
かつて2編成併結。
白鳥とかも食堂車2両営業もありますたなあ。
ガキの頃乗ったまつかぜ。
13両編成の指定取ったら13号車。
食堂車(3号車)までえらく遠かったorz。
宝塚駅では8号車から後ろはホームに掛かりません状態で。
末期は6+3の9両編成になっちまったが。 東京から「富士」で出発して、翌朝下関で「まつかぜ」に乗り換え。
食堂車で晩、朝、昼の3食をとり、城崎温泉に投宿。
「まつかぜ」の車窓にひろがる日本海の眺めは遠い日の思い出。 >>583
乗り鉄にしては贅沢な旅だなw
お金持ちのボンなのか? 大阪からまつかぜに乗って博多へ。
すぐさまさんべ(ハネ)で米子へとんぼ返り。
なんてこともしたな。 >>584
レスありがとう。
小生はお金持ちのボンではなく、貧乏学生上がりの
薄給の社会人だよ。
基本は周遊券で座席夜行が定宿の旅だが、あの時は
乾坤一擲の旅だった。
ネット予約などない時代で、18時過ぎに城崎に
到着してから案内所で旅館を紹介してもらい、
2食付きで温泉旅館に泊まったのもよき時代
だったと思う。 >>586
城崎から東京へはどうやって帰ったの?
乾坤一擲の旅の続きが気になるw >>587
すみません。昔のことなので詳細は忘れましたが、
山陰ワイド周遊券の旅だったので、倉吉線などを
乗りつぶしてから、最後は「銀河」のB寝台で
帰ったと思います。
乗車当日に元町駅で寝台券を購入したところ、
当時はマルスがなく準常備の硬券でした。 食堂車付きの全盛時代の「まつかぜ」に比べると、
キハ82系末期の「南紀」はしょぼい転換シートに
改造されて、閑散とした車内で侘しさを感じた。 >>590
その通りです。
185系ECと同じこげ茶色の転換クロスシートになっていました。
青モケットの回転式クロスシートよりは上質と思って交換したのだと
思いますが、安近短の185系をイメージさせて、貫禄がなくなったと
感じました。 >>591
まつかぜ下関から城崎まで乗り通すのに青モケット2等はつらくないか!?
どうせなら1等でリクライニング自由に使ったらよかったのに キハ80はナゴヤ球場へ行くときに乗っただけだが、確かに末期は転クロだった
延命ついでに座席を交換したのは国鉄末期だったか?
全車改造したのか一部なのかは分からんけど >>592
乾坤一擲の旅なので、下関から城崎までキロ80の海側D席に
乗りました。今となっては味わうことのできない優雅な旅で
貴重な体験ができました。
食堂車はがらほどほどの利用者があり、昼食にポークカツ定食を
食べたと記憶しています。 >>594 スマソ
がらほどほどの利用者→ほどほどの利用者 >>593
東海の車は185系ECと同じ転クロで、北海道の車は183系DCと
同じ簡易リクライニングになっていました。
今ひとつ自信がありませんが、末期まで残った車両は両社ともに
全車改造されていたと思います。 >>594
おお、それはそうでないとねえ
上にもあったがおおとりおおぞらで札幌より先はグリーンでないと行く気しないですし
俺は181あさしおのグリーンしか経験ないんですがやはり雰囲気が違いますよね
20歳くらい世代が違うと思います >>597
151系ECに比べると80系DCはコスト節約のために
内装が簡略化された部分がありましたが、そんな中でも
キロ80の背もたれに高さが調整できる頭もたせがあるのが
優等車らしくてよかったです。 >>591>>596
185系は一応特急型だからまだ聞こえは良いが、JR東海の車だから
実態は、当時名古屋を中心とした
快速に使われていた117系と同じ
原型シートの老朽劣化も要因だろうが、たぶん
117系とのシートの部品共通化によるコスト削減もあったはず キハ80系の青い回転シートは背ずりがほぼ直角に近い角度で固定されていて、
最初は掛け心地が良く感じても、だんだん疲れてくるな ハザは直角シートではないけれど、リクライニングしないのは
否定しようがない事実。
キハ80系の登場当時は階級制だったことの表れだと思う。 ハザの座席もマイナーチャンジしてるんだよな。
頭のかかる部分が、平べったいのから、若干膨らんだ形になった、 登場時の回転シートは充分な設備だよ。
それまでの客車かもめなんて非冷房10系なんだしな。
スハ44も一方向きの転換しない固定座席だったし。 >>604
登場時のキハ80系の設備に対する評価は同意。
但し、スハ44の一方向きシートに対する評価は
展望車と一体の方転を前提とした設備なので、
不同意。 >>597>>594
下関→城崎がキロとか
函館→札幌以遠がグリーン車とか
かなり話を盛ってないか?
俺なんか「きたぐに」自由席で京都→青森だぞw キハ80系の「かもめ」とキハ181系の初代「おき」は山陽新幹線岡山開業まで新大阪〜倉敷間では同じ線路の上を走ってて、
キハ181系の方が馬力もあって、最高速度120キロ運転可能だったはずだが、同区間ではキハ80系「かもめ」の方が速く、
所要時間も短かったらしい 考えたら「かもめ」の走行区間は
ほとんどが架線の下だったんだね。
化石燃料の無駄使いw >>593
>>596
「ひだ」から撤退寸前の頃に名古屋から美濃太田まで乗りに行ったが、キハ80 98は青モケットの原型シートで残っていた。
他にも残っていたと思う。
>>592
昭和50年代までは特急の普通車(2等)なら上等、グリーンは庶民にはちょっとした贅沢品だった。
急行のボックスシートで上野―北陸東北や大阪―青森とかは普通の事だった。
九州から富士宮の有名な団体臨も12系客車だった。
急行のシート、ワンボックス占領出来りゃまだしも、4人びっしりで延々とだと・・・
正直、乾坤一擲の>>594氏が少々羨ましいw
(普通車乗り通しだと「しらゆき」の金沢―青森が最長か) >>608
連すまん、
急行だが、「全区間架線の下」だった「しらゆき」と「赤倉」、気動車「おが」がある。
長崎・佐世保直通という使命がある以上、気動車は仕方がない。 たびたびすまぬ、主語が無かったな、国語力不足申し訳ない。
『かもめ』は、長崎・佐世保直通という使命がある以上、気動車は仕方がない。 >>605
厳密には優等は編成順が厳格に指定されていただけで、
別に展望車と一体を前提にしてた訳じゃないよ。
はつかりやかもめでは展望車なし、
また一部は急行の指定席でも使用されてたしな。
そもそもスハ44のシートピッチでは狭すぎて向き固定だった。
後で回転式に改造されたが、それでも任意で回転させるには狭すぎ。 キハ80系とキハ181系は併結運転はできないが、国鉄時代の向日町運転所では、
予備車両か検査後か検査前のキシ80とキハ180が連結されて留置されたりしている光景が、
よく見られた >>604 >>605 >>612
>>605の書き方がぶっきらぼうで失礼いたしました。
伝わっているとは思いますが、言いたかったのは
スハ44の座席が非回転なのはそれなりの理由や
時代背景のためであり、それと比べてキハ80系の
回転シートが優れているという評価にはならない
ということです。
もちろんキハ80系登場時の座席は庶民には羨望の
的で豪華な設備でした。 ただ、キハ80系の青い回転シートは151電車の回転シートと異なり、
背ずりの裏側にはモケットが張られておらず、モケットの繊維も151系電車の
シートとは異なっていたとか 日よけがカーテンではなく、窓ごと(座席2列)に共通の
上下式だったのも、車窓重視の乗り鉄には難点だった。 国鉄時代に北海道で散々お世話になったが、
個人的には180以上身長があった俺には、80系の方が
14系のような簡易リクより背もたれも大きくてマシだったよ。 先頭車キハ82の給電能力は4両まで給電可能だが、食堂車を組み込んでるときは、
キシ80は調理設備などで多くの電力がいるから、キハ82+キロ80+キシ80の3両編成は、
キシ80がキハ80が2両分と換算されて4両編成という扱いとされ、最大で7両まで組成できたが、
8両、9両編成の時は、中間にサービス電源用としてキハ82を組み込まなければ入らなければならなかった。 >>596
東海の転換クロスシートは185系や117系と同じクロスシートだったけど
北海道のリクライニングシートはキハ183系500番台やキハ185系のキハ185に使用されているシートで
当時としては結構豪華だった >>599
117系と185系のシートは別物では? 117系はW16転換腰掛、185系はW17転換腰掛で一応別物
でも俺にはどこが違うのか全く分からんw 飛行機のコンフィギュレーションみたいだ、その記号w >>622
固定シートはT、転換シートがW、リクライニングシートがRで始まる。 >>618
変則編成として、「くろしお」
キハ82+キロ80+キロ80+キシ80+キハ80+キハ80+キハ82 キロを2両組み込む場合はキシの負荷をレンジとその他の機器に分けて分担するんだったな 最大キロを三両つなぐ観光特急だったくろしおも今や面影がないな。 キハ80系時代の「あさしお」は倉吉あさしお以外は9両編成だったが、
閑散期には8両編成で運転されることもあり、そのときは中間にキハ82が
入らない編成だった。食堂車を連結していなかったから、両端のキハ82で、
4両まで給電できたのだろう。
「あさしお」はキハ181系化されたとき、輸送量と編成見直しから、
全列車8両編成に改められた。 >>628
キハ82は出来るだけ少なくしたいだろうからね >>593
キハ80 133はオリジナルの回転クロスだったな キハ80系の「あさしお」などのヘッドマークに黒いすすのような物が付着してして、
汚れたヘッドマークが取り付けられているキハ80系の山陰特急の写真をたまに見かけるが、
エンジンの排気がすすも一緒に放出して、すすの混じった排気がキハ82の前面にまで回り込んで
それでマークが汚れていたのだろうか。 キハ181系の文字ヘッドマークには、前述のキハ80系のヘッドマークのように
なぜかすすらしき黒い物が付着してるのは写真では見たことないな。 無煙化と聞いて、SLの煙よりディーゼルの排ガスの方がよっぽど有害では?
などと勝手なことを思っていたなぁ 80系の時代はまだSL時代の名残もあったのかもね。
181系化後は特急ブームもあって盗難も頻繁した話もある。
新調しても追いつかず一部は簡易マーク付けてた位だしな。 キハ181系に置き換えられたばかりの向日町運転所担当の「あさしお」と「はまかぜ」は、
文字ヘッドマークが不足か、新調が間に合わなかったのか、一部の列車は、
キハ82の台形ヘッドマークがキハ181に取り付けられて使用されていたな あと80系当時労使問題の悪化も影響してたのかもしれないね。
手入れがあまりされなかったとか。 >>637
昔の80系「はまかぜ」の写真探してみたら。
大阪駅で撮ったキハ82の国鉄特急シンボルマーク無かった。
まつかぜで編成中間に入る運用もあったのでそれで盗まれたんだろうか… はまかぜ末期の一部181でもシンボルマーク盗られてたよ。
向日町は昔から悪質な窃盗団がいたらしく
481ボンネット車が外側でなく内側取付になったのもその為だしな。 キハ181系の向日町運転所所属車はヘッドマーク盗難防止のためにキハ181の前面貫通扉の
ヘッドマークの取り付け部にロック機構付きの重厚な開閉式の金属枠を取り付けて、その中に
イラストマーク板を収納し、枠をロックするなどしてマークを容易に外せないように改造されていたな >>641
確か181系ECにも、そんなタイプがあったような? 新幹線博多開業以前に存在した181ECや481ボンネット車のは
ロール式巻き取りタイプだから。
これは当時あまりに愛称が増えた為、交換手間の簡略化が目的だよ。
1990年代に改造されたタイプはボンネット内側に
板を取付する完全に盗難対策。 >>644
ロール巻きとりしきは、風格にいまいち欠けてたと個人的に思ふ。 >>644
勝田所属のクハ481で向日町や南福岡から転属してきた車両はロールマークを装備してたな。 >>618
キハ82は増備途上からAU12クーラー増設、既存車も改造取り付けだったけど
電源的には問題なかったのであろうか?出力に余力もあっただろうが
キハ81も運転台上にAU14増設してるけど。。 >>625
確か「はつかり」もキロ2両だったような >>646
もしあれを国鉄時代から全国的に採用していたらどうなっていたのだろうか 阪和線に特急あすかの痕跡が今も残っていようとは・・・ >>621
シートバックの上端がセパレートになっているのが185系で117系は
完全に繋がっている。 スレが伸びんということは、年齢が若い人が多いということか?
俺にとって「列車」といえばキハ82だなあ。
夏休みの度に乗っていたまつかぜ。
北海道に行くたびに利用したおおぞら、
どちらも10両以上の編成食堂車付きで、
立派な編成だった。 >>445
相変わらずお手抜きマークなので画龍点睛を欠いてるけどなw
これを契機に何故乾坤一擲と行かなかったのか、理解不能だ >>659
貫通型の美しさ、塗り分けもふくめたあのフォルムの美しさは、
世界的に見てもなかなかないぞ。 >>660
貫通型の美しさには同感しつつ
ブルドッグのダサさも好き。
要は80系全て好ましい。 ブルドッグも90点くらいかっこいいんだが貫通は100点満点の美しさ クリームと赤、クリームと青、緑と橙もええけど
俺は修学旅行色が一番好きだわ。 国鉄じゃなくなるけど、北海道のお座敷車の快速ミッドナイトっぽい塗装が好き
(基本的にミッドナイトと同じだが窓上の帯がピンク(ミッドナイト)と黄緑(お座敷車)) 熊本在住で小学生の時に鹿児島電化を迎えた俺にとって、485や583はあこがれではあったがよく見る普通の特急だった。
しかし佐世保に旅行中にみた続行する2本の「かもめ」は、極めて流麗で特別だった。 >>666
職場で今度 ミッドナイト に乗るんだと話したところ、列車名が怖い 民営化でカラフルな塗装は増えたものの趣味が悪いものが多過ぎ
特急ディーゼルだけを見ても西の181、北の183(とかち、オホーツク色)など爪の先ほどのセンスもない
そして今また261が犠牲に・・・
80系は変な色を塗られる前に引退してよかったと思う やっぱり国鉄特急色が一番だ 瑞風もある意味ブルドッグが現代に蘇ったような車両だわな >>673
ただ新塗装と国鉄時代からのマークの組み合わせや
旧塗装とJR化後のローマ字マークの組み合わせも結構似合うけど まさか気動車で非貫通のボンネット型先頭車が誕生するとはね>瑞風のキイテ 瑞風は、昔のローカル気動車についてた柵みたいのを
ゆふいんに取り付けた感じ 最後の乗車は、おおとり、と思いました
最初で最後のキシ利用、カニ飯の類を食べた記憶
30年以上も前のことです >>681
自分は食堂最後はオホーツクだった。北海定食もあったね
82系自体は南紀の92年まで・・とおもいきや
御殿場線60周年記年号に乗れた1994秋が最後 おおぞらだったか、まつかぜだったか。
両方とも食堂車も堪能したな。 そうそうカニ飯北海定食が押しの日食アナウンスだった
最後82系に乗ったのは小樽博臨、ちと寂しい客数だった 小樽博のスリッピ号、懐かしいな。
あの頃は夏休み旧客で張碓まで行って海で遊んだり出来た。
御殿場線60周年記念号、メモリアル6040ひだ号、
それからメモリアル南紀号。これが82系最後の運用
どれもプラチナチケットで乗るのは容易じゃないが。 三笠の近くのクロフォード公園は迫力ある編成で。苗穂の資料館には先頭カット。無理して行って良かった
ホームがディーゼル臭くて五月蝿くて北海道来たな・・・と思い出す姿 贅沢列車もいいけど、82系を復活してくれないかなあ。 >>685
まだこの時代はダブオクが定着する前だったから、何とか取れたけどね
前日にメモリアルひだ取れたが、モソモソと同じ車両だったから取り巻きが
五月蝿かったが(苦笑い) キシ80 37は窓が大きいといわれてたが微妙すぎて差がわからなかった^^; 583とか381系のベネシャンブラインド内蔵窓のテストをしたんじゃ?
で、寸法も変わったと ブラインドといえば583位しか知らなくて80系にブラインドが装備された車両があるなんて思っても
みなかったから、初めて乗ったときは驚いた
1970年代後半当時、趣味誌の気動車特急特集でもキシのブラインドに触れた記事はなかったような・・・ キハ80は通常タイプは国鉄色のまま活躍が終わったよな >>696
腐っても鯛のことわざを用いて、色が変わっても181と言って春秋の伊勢臨撮ってた俺って? >>697
えらい。
新津のキハ58が現役のころは40なんてと思ってたけど、今は只見に通ってる。 >>698
あざーす
伊勢臨はキハ58の頃から撮ってたからその続きであったのもあったし、
草津線沿線でこの時期は走りもだけど、三雲で柘植行きとの交換があったので運用次第では、福智山色や代走117との
交換撮影したり、定番の中在家やマイナーポイントで撮ってたりしましたわ
そういや、JR後関西線奈良ー亀山間80系が走ったのは天理臨の一回だけでしょうか? 旅のレストラン日本食堂からお知らせします
食堂車では北の味覚北海カニ定食をご用意しております
是非食堂車までお越しくださいませ
また、車内販売にて北海道産ミルクを用いました濃厚アイスクリームを250円にて販売しております
こちらも是非ご賞味くださいませ キハ80のエンジンを出力の大きいものに取り換えた車両がなぜ出なかったのだろうか >>701
そういう時代になった頃、最終増備車でも車令15年越え、車内も陳腐化。
使っていたのは北海道と名古屋持ちのひだ、南紀のみ。
北海道はすでにキハ183が主力、キハ80系は脇役。
名古屋の分はまだまだ主力だったが、更新して使うような内容ではなかった。
金をかけるまではなかった、ということじゃないか。 新宮電化の時点で初期車の廃車が始まってるから本当はもっと早く淘汰される予定だったんじゃないだろうか。国鉄の財政の悪化とか諸々の事情で一部はJR化後も残ってしまったが。 じりじりと低速で雪の山線を登る北海。ガキの頃は景色きれいだな〜位に思ってたが必死の力行だったんだなぁ 液体変速器なら下手な進段制御の電車よりは
時間さえかければ上りやすいとは
聞いたことある ガキの頃家のベランダから20系だいせんと13連まつかぜを見るのが休みの日の朝のルーティンでした
60.3以降の北海道のキハキシキロの並びはいまだに違和感がありますね
絵入りマークもひだ以外はしっくりこないのは頭が固いんやろなあ キハ82、戦前のモハ51以来の半流線型の完成された姿である。181系ではやや退化気味。 35年くらい前に図書館に「まつかぜ1号」のテープを
借りて来た記憶があってな。
大阪→博多?の車内アナウンスをひたすら録音しているやつ
復刻してくれないかな まつかぜの車内放送なら沿線の名所案内が盛りだくさんじゃなかった?
宝塚歌劇、武田尾温泉、玄武洞、城崎温泉、竹野海水浴場、余部鉄橋、
山陰海岸国立公園、湯村温泉、湖山池、東郷湖、三朝温泉、大山
これで半分くらいか。 >>713
どうせなら、
「特別急行まつかぜ号京都発福知山線山陰本線経由博多行」
がええのう。 >>714
そう!沿線案内が良かった。
最初は玄武洞、続いて餘部鉄橋、鳥取砂丘、大山。
食堂車で大山おこわを頼むシーン、車掌に「終点まで乗り通す客いるのか」など聞き取っていたり。
乗り継ぎ列車案内、食堂車営業案内も良かった。
どこのメーカーが出していたのかなぁ。 博多行まつかぜって下りなのに地平ホーム時代の
鳥取駅1番線に止まらなかったっけ?
東京行きいなばが上りなのに2番線だったのは確かだが キハ82同士が向かい合った連結面を真横から見る姿に萌えてしまう…俺って変? >>718
切妻面と運転席面が向かい合った連結面を見るとなおのこと萌えてしまう俺は変か? >>718-720
片や切妻面同士、片や運転席面同士が向かい合った3両のキハ82の連結面に萌える俺は変?w >>721
運転席のある 車両が続くと 、とっても萌える。特急車ならなおさら。 うんうん、皆で萌えよう!!キハ82って電車特急より特急らしさを感じてしまう〜何故だろう。 >>723
萌えるから、今度富から発売のキハ80系を大量予約してしまった…やっちまったぜw 下関駅にて
583のつばめは静々と発車
82かもめは轟音と多量の排気を残して発車
おれはかもめに惹かれた >>721
その後ろで何両もつながって頑張ってるキハ80のことも忘れないであげて 切妻面(後位)同士が連結されたキハ82を初めて目撃した時(1983年3月 おおとり)の感想は
「これ、制御回路や電源回路が繋がるのかよ・・・!?」
『80系はキハ82前位とキロ後位以外は片渡り』程度の知識しかなかった俺には衝撃的だった。
これが契機で北海道には後位が両渡り改造されたキハ82が存在することを知り、以前から持っていた
80系の編成組成の疑問は概ね解消できたが、それでも未だに疑問が残る編成があるんだよな・・・orz
>>726
憶えておきます・・・。キロやキシのことは絶対忘れないんだが・・・w >>727
13両編成おおぞらで札幌切り離し3両の中のキハ80も向きが違っていて違和感あった 山陽新幹線開業前のかもめ,なは日向はセノハチをどのくらいのスピードで登っていったのだろう >>729
かもめ乗ったけど、いかんせんガキの頃だったんで、
セノハチの存在は名前くらいしか知らなかったんで、
果たしで補機が付いていたのかどうか、どのくらいのスピードで走っているかチェック、
など全くせんかったなあ。すまんな。 >>730
貴重な証言ありがとうございます。
あの区間を13〜14両の長大編成で駆け上がっていく姿は迫力満点だったろうな >>729
キハ82系9M4m編成が22.6‰にR300が加わった換算勾配25‰相当の瀬野八を定員乗車で
上ると変速5ノッチで40q/h、5ノッチ5分制限で4ノッチ運転だと速度1割減といったところか。 >>723
キハ185系(^o^)v
キハ85系(^o^)v >>731
そいえば長大編成。
山陽本線の特急停車駅ならホーム長も余裕だったろうけど。。
13両時代のまつかぜで宝塚駅停車、「後ろはホームに掛かりません」
見に行ったら確かにドア開けっぱ。
オヤジ実家近い宮津線久美浜駅。
あさしおが停まってたがやっぱりホーム長足りない。
で、ドア位置に合わせてか階段がいくつかあった。
業務用だとは思うが誰か利用者いたんかなw >>735
ドアカットしてなかったのかw
スイッチ盤で車両単位でドアカットは可能なはずだが誤操作でホームに掛かってないドアを開けてしまう事故が起きる懸念がある >>729>>730
山陽新幹線博多開業前に瀬野八の第二トンネルの上で撮影をしたことがあるけどトンネル前のカーブを轟音と共に登ってくるが中々被写体に入ってこない。60キロ出てたかな?同じ80系でもローカルの電車の方が遥かに軽快に登ってきてたな。 >>730
80系はセノハチで補機なんてなかった。スピードは電車特急と遜色なかったような。
もっとも山陽本線の電車特急は、2つの勾配と曲線が多いので、東北本線や北陸本線よりスピードは遅かったが。 釧路→札幌の車内情景をノンストップひたすら録音
6時40分発 おおぞら1号 函館行き
このカセットテープまだもっている >>739
カセットの保管はしっかりね
油断するとカビ生えるぞ
出来ればデジタル化した方が良いですよ >>717
鳥取で後ろ6両切り離しがあった影響だろう。
その切り離した6両が、もう1本の大阪行き「まつかぜ」で折返していた。 臨時北斗のキハ80はテーブル付きリクライニングシート化されていたから
当時でも結構豪華な車内だった >>735
舞鶴・宮津線経由の「あさしお」は、80系時代10両→9両で、
京都〜倉吉運転の「あさしお」は7両だった。
そんな事情があったなら、こちらを7両にすればと思ったが、天橋立などの観光需要が多かったか? いちんちちんおうふくだけあった米子あさしおは何両だたん? 関西から城崎方面に直行するのは
まつかぜ、はまかぜと分担してたのもあるかと この時期、早朝の向日町へ行くと
まつかぜ、はまかぜ、あさしお、あさしお
と4本のキハ82が顔を並べ、夏場と比べて
噴き上げる紫煙に迫力があった。 >>710-711
リアル乗車では「南紀」しか知らん世代の近畿民だけど、
北海道の「おおとり」だけは唯一似合ってたと感じる。 >>748
711だけど、オレもリアル乗車は南紀とナゴヤ球場臨しか知らんよ。
南紀はS60.3から絵入りになったけど、そのときには似合わなさにガックリしたわ。 >>748
俺は北海道の80系全盛期(55-10改正以前)を知っている世代だけど、
見慣れた列車がすごく安っぽくなったように思えた。
一時期鉄道趣味から離れた時期があったが、これがきっかけだったな。 >>750
それは電車特急にも言えたよな。特にボンネット型 北斗とおおぞらとオホーツクはJR化後のキハ183系で採用されている
ローマ字タイプの絵入りマークにしていたら似合っていたかも 特急色は落ち着いた色だから
鮮やかな色のイラストマークが
似合わないのもあるな リアル世代じゃないが、文字HM限定で言わせてもらうと、
80系も181系もふくめて特急形気動車にかんしては明朝体のHMが渋くていいね。
北海とか南風とかさ。 >>753
逆に絵入りマークが負けちゃうんだよね。 でも、文字HMは、すぐ「くすんでしまう」のが難点。気動車なので。 >>756
オレはピカピカよりもくすんだ方が味があっていいなぁ >>758
リア充してない現状を強弁しているようだな。みっともない!! あすか廃止以降のくろしお編成は名古屋滞泊の
間合いを利用して臨時列車に活用されていたが
「りんどう」「はつひ」では食堂車は営業して
いたのかな? 広田尚敬「国鉄車両形式集2 気動車」図書館から借りてきた。80系の写真を見ているだけでエンジン音聞こえてきそう。 >>760
69〜70年冬臨の下り急行「のりくら52号」に時刻表だと食堂車があるってのはかなり有名な話だけど
キハ80系だったのかねえ? 臨時運行のみの路線で食堂車営業は
オペレーションが難しそうだな
客車であるところならまだ良いが >>762
当時1往復だった「ひだ」が最初から食堂車連結がなかったのに、格下の臨時急行が
実際に食堂車営業したのかな?
しかし写真でも80系「のりくら」を見た記憶がない。 一時期の臨時北斗のキハ80は定期北斗のキハ183初期型より座席良かった >>718
萌えたんで82同士の写真撮ってる@博多行きまつかぜ
が、13号車指定席→3号車食堂車まで歩く。
機械室→運転台→貫通路→運転台→機械室、長いトンネル脱出…
ガキ自分ながら、なんかヤバイ所だとは分かったw >>768
引き戸じゃなくて、押し戸だからな。客室〜機械室 なんか通っちゃいけんことなってるちゃろか?
って思ってまうわね。 キハ181は機械室がさらに長いので
狭さと相まって船の機関室に
紛れ込んだようだった >>770
押戸に窓がなかったけん余計に???だったとよ。 山線をエンジン回しっぱなし40キロ位のじりじり走り、小さな畳まれたテーブル、六花亭や白松がモナカの広告
アイスが250円の車販のアナウンス、そして降りたら雪で良く見えない北海の文字だけのヘッドマーク 無理すれば110km/h運転可能だったってマジ?
車輪が新品状態で下り坂を使えば可能だろうが摩耗末期だとオーバーレブでエンジンブロー起こしそう
キハ183スラントノーズが車輪を最後まで使い切らない(最後まで使うとエンジンの定格回転数的に107km/hしか出ないため通常780oで交換を820oで交換してた)事で110km/h運転可能にしてた >>775
110キロくらいは実際可能だっただろう。
「つばさ」の東北本線内や、「白鳥」の東海道・北陸本線内、「かもめ・なは・日向」の東海道・山陽本線や
東室蘭以東の室蘭本線・千歳線はやればできたと思う。
ただ組合、特に動労が反対して実現できなかったような。 >>776
タイヤが新品だったら可能じゃなかったかな。
限界ぎりぎりでは苦しかったと思う。
また、最大5M2mの割合ではちょっとの勾配でも厳しいのでは。
組合どうのこうのより、当局側が無理としたんだろう。
しかし室蘭本線あたりでは非公式に100km/h以上出していたかもしれん、想像だが。 >>777
性能の関係で速度を上げなかった可能性もありそう 計算上はエンジン回転数2000rpmまでぶん回せば摩耗末期でも112km/hまで出せる
キハ185系はキハ82系と減速比が同じ2.613である
JR東日本に承継されてDMH17H全廃政策でエンジン換装工事やってたらついでにブレーキ強化で110km/h対応化工事やってただろうな >>766
1991年ごろ臨時北斗で乗った記憶がある
なぜか砂原経由だったかな〜?うろ覚え >>780
砂原線経由なら上りだろう。
民営化後の定期北斗は上下とも砂原線経由はなかったが、臨時ならあった。
上りトワイライトも当初は違ったが、廃止までは砂原線経由だったし。
ただ91年当時の北海道は、既に80系はあぼーんされてなかったか?
(除く:フラノエクスプレス、トマムサホロエクスプレス)
翌1992年3月に、南紀の85系化で全国からオリジナルの80系は消滅したので。 勾配対策に難儀した形式ともいえよう
DMF31HSが成功してれば採用できたが故障多発で没になって仕方なく実績のある原設計が戦前のDMH17を横置きに改設計したDMH17Hを初採用した
はつかりも東北本線経由だと福島県・宮城県の県境の国見峠を回避するため常磐線経由にしてたが奥中山峠はどうしようもなかったため仕方なく走行し上り勾配が非常に遅かった上に故障が多発し「はつかり、がっかり、事故ばっかり」と言われる一因になった >>77
80系でもそこまで走れるんだな 110km/hの回復運転を体験してみたかった >>781
数両が在籍していて臨時北斗に担当されていた >>784
86年11月国鉄最後のダイヤ改正で、道内定期の80系が消えた後は、5両編成で臨時北斗に
使われていたけど、91年が最後だったか? 山陽本線の特急では瀬野八がきつかった?
40キロ程度しか出なかったはず こんにちは。
もしご存じの方がいらっしゃいましたら教えて頂けないでしょうか。
日向町所属時代のキハ82-901なのですが、白鳥に充当されて先頭に立ったこともあったのでしょうか?
いろいろ検索してみたのですが、都道以降の写真しかみつけることができず、諸先輩のお知恵をお借りできたら有難いです。
宜しくお願い致します。 ありません+あります=ありますん?
あいたー(^O^;; >>787
大阪駅で1969年に白鳥、まつかぜで使用されていた姿を見てたよ。 >>791
白鳥は13号車、まつかぜは7号車、あの当時の大ムコ82は中間封じ込めは
なかったから分割併合の都合上、必然的に編成両端には出てたでしょう。 >>792
なるほど
基本編成8両になって中間にキハ82入るようになったのもう少し後か
>>787は秋田時代のイメージもあるんだろうなあ 皆さまありがとうございます。
安心してキハ82−901にも白鳥のヘッドマークを付けさせていただきます! 昭和49年頃交通博物館で買った下敷きに色んな列車の正面の絵が
並んでいてひとつがキハ81のいなほだった。俺はその時点で
まだそれが上野駅に来てるんだと思ってたが、昭和47年時点で
紀勢線に全部いってたのね。小学一年生の俺にとっても
おっさんみたいなインパクトのある顔だったキハ81。
キハ82はのっぺり女顔、それを少し厳つくしたのが181ってかんじ。 鉄模の人は細かいよね、石北本線の手抜き保線中脱線の再現 まではしないか 昭和59年夏EF58を撮りに紀勢線に名古屋側から入って新宮まで行った。
青春18だったので確か4時間か5時間かキハ20でかかって、DMH17のエンジン
から入り込む熱気で死んだ 笑。途中交換で涼しい顔して走り去っていく
キハ82の特急のなんと羨ましかった事。いつかは金持ちになってあの
特急に乗りたいと思った涙ぐましい自分。中高生でもあたりまえにそういう
贅沢出来るようになったのはバブル以降の話だよね。 おらほのとおちゃとかあちやは、「自分のためた小遣いで大山のグリーン車乗りたいはあ」
と言っても「なーまいきいふんじゃねとのこわっぱ!一等車は議員さんとかお医者さんが乗るもんだ」
「でもよ、もう直グリーン車なくなっちまうでよ、オラ乗っときてえだ」
「まだ言うかこのフリむんが!」 >>801
なんとなくいい話、山陰?
>>802
四方に鳥居の付いた・・・・、やめれw キハ80が走ってるところは観光地としては
風光明媚でスレてなくていいとこだったよな
それが電化されて485あたりが走るようになるとスレて中途半端な都会を追い掛けるように
なり面白くなくなってく。 >>799
その頃の国鉄は大赤字の斜陽産業で、先行きの希望がなかったのもあるだろう。
国鉄=ダサいの感があった。
分割民営化と同時期にバブル経済になり、イメージチェンジもあって鉄道に対する観点も変わった。 日豊本線沿線住民だが昔おおよど間合い運用にちりんに
乗らなかった事が悔やまれる にちりんがメインでその間合いがおおよどじゃないの? >>807
昭和50年代初期はEC485系がメインでDC80系は1往復しか残ってなかった
当時おおよどの方が本数多かったんじゃないかな? >>808
おおよどは終始一往復
鹿児島電化でにちりん全列車電車化に伴っておおよども廃止されたのでも分かる通り
おおよどはにちろんの間合い運用 >>809
正確にはDCにちりん・おおよどの廃止は、日豊本線全線電化から1年後だった。
>>806
現実には485系が圧倒的に本数が多い時代で、1往復の80系にちりんを選ぶのはかなりムリがなかったか? 某国鉄車両運用サイトを拝見してると‘80.10ダイ改(キハ80九州運用撤退)鹿カコから一部を廃車、以外は名ナコに転籍するんですね‥ おおぞら51号(札幌−釧路)、北海(函館−網走 小樽経由(延長運転))、
北斗51号(函館−旭川 夜行)、北海51号(函館−札幌 小樽経由 夜行)
毎年この時期になると思い出す臨時列車たち
80系も北海道の鉄道もこれらが走っていた頃が最盛期だったな >>812
思い切り真夜中に発車してた臨時があったよな。
昔の方が遥かに利便性が高かったわ。 >>813
それ北斗51号だな 青函深夜便に接続していた
159便 青森21:45→函館1:35 8025D 函館1:55→旭川8:20
8026D 旭川19:40→函館2:20 158便 函館2:40→青森6:35
(1973/7の時刻) >>814
当時なら全車指定席だったろうな。
あと夜行とはいえ、当時の事なら食堂車もあったりしてw 北斗51号食堂車連結なし
北海51号食堂車の連結あり(非営業) 深夜の連絡船乗換などが便利と言えるかどうか
関東〜北海道の移動はどこかで夜を跨いだから、本州内夜行か深夜乗換かの選択だったが >>817
だからあくまで繁忙期の臨時列車・連絡船なんだよ!
1970年代半までは、上野〜青森の寝台券が取りづらく、繁忙期は秒殺だった。
全車指定席だった「はつかり」も同様。
そして定期夜行列車は相当な混雑だったので、多数の臨時列車の設定があった。
>>814の連絡船は「はつかり」の接続もあった感じだが、その連絡船に接続した臨時急行が
上野〜青森で走らせていた。 つかぬ事をお聞きしますが、本州・九州にいた車両で
裾の赤帯が妻面まで回っていたのはいつ頃までですか? >>818
列車もだけど連絡船もだよね
と言うか連絡船の方が都合の良い時間帯の増便なんて困難
だから何時もは乗客なんて見込めない時間帯に運行してる貨物便を旅客便に振り替えて対応したのが>>813,814 >>820
だから>>818は臨時列車・連絡船と書いてあるだろう >>820=>>822
だったら>>818に対して
>列車もだけど連絡船もだよね
はおかしいだろう! >>823
別におかしくないだろう
ちゃんと流れ嫁 >>824
流れって何だ?
オマエが勝手に言ってるだけだろう!池沼めが 無給油で大阪〜青森を走行できたのが意外
途中で長時間抑止食らって燃料が足りなくなったらどうしてたんだろうか? >>786
それでも151系とか153系みたいに補機の助けを借りなかったんだな >>829
そもそも151系と153系が坂道不得意過ぎなんだよ 無理もない
主電動機出力100kwで抵抗器も自然冷却だぜ 定期列車で走行したことのない県は神奈川、静岡、四国四県、沖縄だけかな 千葉県民だが、キハ80系が走っていたという
実感がわかない。
停車駅もなかったのかな >>836
当時の常磐線の特急は上野出たら次は水戸だからねえ なんかな、ナウでヤングな東京シティボーイな俺にとってはキハ80とか特急気動車は縁遠い。博多でまつかぜ見た時はこいつが関西からわざわざ日中山陰周りで来たことが驚きであった。 >>838
博多でまつかぜ見てる時点でおっさんじゃねえかw オレみたいなナウでヤング東京育ちにはキハ80なんて伝説の乗り物•́ω•̀)?。 田舎の博多で撮ったまつかぜのネガ見ると今でもよくこんなん撮ったなと思う。 鴬谷ではつかり、やまばと、はくたかを眺めてた中学生は完全な爺ぃになってしまったよ。 でも最近65歳定年も多いから新卒で入った会社で現役の人もいるんだろうな 838と841で似たようなこと書いちまってナウで
ヤングな東京シティボーイな俺は恥ずかしい。おじいちゃんさっき書き込んだでしょ? ってか
見慣れた485系や181系の美しく格好いい
クリームと朱色の気動車バージョンがあって
地方都市と東京名古屋大阪を結ぶ特急としてバリバリ活躍してるというのが国鉄車両の楽しみだよな。 車販のアイスクリーム250円は高い、と思ったもんだ。ラクトアイスしか知らないガキだったからである >>848
おいおいホームランバー食ったことなかったのか? 私が間近にキハ82系と対面したのは、1966年3月のことであった。
外出の帰りに母に頼んで札幌駅に立ち寄ってもらった時のことである。
入場券を買って改札口から1番ホームに出ると、「間もなくこのホームに特別急行……」という案内放送が耳に入って来た。
私は思わず興奮した。今まで列車ですれ違ったり、離れたところから特急が走っている姿を見たことはあるが、間近でじっくり見たことはない。もうすぐ特急を間近で見られる。
同時に特急とは言わず特別急行と言うんだと感心した。
〜つづく〜 >>850 その2
私が特急列車に深く関心を持つようになったのは、近所の従姉三姉妹のところに遊びに行っていた時のことである。
二女の従姉が札幌から函館まで特急に乗ったことがあるという話を聞き、途中どこに停車したか訪ねて見た。
すると従姉の記憶では2駅ぐらいしかなかったのではないかということであった。
当時私は夏休みなどに札幌から洞爺まで準急に何度か乗ったことがあり、函館までのほぼ中間にある洞爺までの状況はある程度わかっていた。
私は特急と言えども少なくとも人口16万人の室蘭、それに登別温泉がある登別、洞爺湖温泉のある洞爺には停車するはずだとい言うと、従姉が時刻表を持って来て停車駅を読み上げてくれた。
「苫小牧 登別 東室蘭 洞爺」
私が洞爺から函館まではないの?と尋ねると、無いと言うことであった。
私は衝撃を受けた。函館までのほぼ中間地点の洞爺から函館まではどこにも停車しない。特急ってすごい。それに急行が止まる千歳にも止まらない。
それから従姉に時刻表の見方を教わり 近所の本屋へ行って時刻表を買って来た。1965年11月号であった。
〜つづく〜 >>850
>>852
すごく面白いです
続きお願いします ガキの頃
特急>特別急行 と思ってた俺は
おおぞら、あさしおに乗った
昔は特急は高値(!)の花だった 函館から小樽まで北海に乗った。山線では唸るような喘ぐような感じで、峠に挑む80系はかっこ良かった。
峠を過ぎるとイッた時のような清々しい走りだった。 キハ81は、後年運転室に冷房改造していたけど、
夏場は窓開けている写真ばかりだな。 >>852
リクエストありがとうございます。ここしばらく休眠状態のスレでしたので、ぼちぼちカキコして見よう思い投稿して見ました。
今後もぼちぼち続編をカキコするつもりでおります。
共感されていただく方がいて、とても嬉しいです。 >>851 その3
時刻表を見ていると列車の時刻以外にも色々なことが載っている。
その中で特に私の目を引いたのは列車の編成表と主要駅の案内図であった。
この主要駅の案内図の中には残念なことに札幌駅はなく、札幌駅の案内図が掲載されるようになったのは、後の時刻表がB5判に大型化された1967年の10月号からであった。
この時刻表を見るまでは特急列車の知識はほとんど無かったが、この時刻表により北海道の特急列車の時刻、運転区間、編成の知識を得ることが出来た。
ちなみに当時の北海道の特急列車は、3本だけで[おおぞら]が函館ー旭川・釧路間 [おおとり]が函館ー網走・釧路間 [北斗]が函館ー旭川間でいずれも千歳線、室蘭線経由、全車座席指定のため改札口に早くから座席確保のため並ぶ必要がない。
各方面の全てに1等車 おおぞら と おおとり の釧路編成、北斗には食堂車が連結され、停車駅を必要最小限に抑えた正に特別急行列車であった。
特に おおぞら については、滝川〜帯広間の3時間近く客扱いの停車がなく、時刻表には通過印のレ点が連なっている。帯広停車後も上りおおぞらとの列車交換のための運転停車はあるものの釧路まで約2時間客扱いの停車はない。
〜つづく〜 >>857の追記
釧路ー帯広間で下りおおぞらを待避させた上りおおぞらであるが、帯広ー滝川間については下りおおとりとの列車交換のための運転停車がある。 >>858 その4
話はキハ82との札幌駅での初対面の時に戻るが、特別急行おおとりがまもなく到着する旨の案内放送が流れた。
このとき私は母と東跨線橋の階段昇り口付近に立っていた。5号車の停車位置のところになる。
ホームに向かって右手の苗穂方向を注視していると、数百メートル先の石狩街道の高架橋をくぐるキハ82が姿を現した。
それがだんだん近づいて来て1番線に進入し、ジョイント音を響かせながらぐんぐん近づいて来て目の前を滑るように通り過ぎた。
進入スピードが他の列車より1段速い。キハ82の先頭部のヘッドライトとパノラミックウィンドウ付近の予想外の風格ある姿に胸がときめいた。
さっぽうろ さっぽーろー さっぽーろー さっぽーろー
〜つづく〜 >>859
札幌といえば、カウベル(牛の鐘)を感じさせる発車ベル。
ジリジリジリジリーーーンが主流の時代、カラカラカラカラ・・・・・・と、
いかにも北海道と言う感じだったなぁ。
今は違うんだろうなぁ・・・ >>859 その5
次に目に留まったのは、食堂車の1段高い位置で連なっている窓、そして先頭車同士が顔を合わせて連結されている分割併合部分をであった。
やがて列車は停止した。時刻は15時50分定刻。1番ホームには12両で電源エンジンを含む24基のエンジンのアイドリング音が響く。
後に開発されたけたたましい強力エンジンの音とは異なり、ほどほどの気動車であることを感じる響きである。
停車時間は5分。まず母と西側に進み通り過ぎた8号車の食堂車の内部を見る。ホーム側の席でサラリーマン風の人が食事をしている。羨ましい。
それから札幌から進行方向が変わって先頭となる1号車へ向かって東側に向かって歩き出す。
食堂車のとなり7号車は1等車。グリーンの等級帯はないが、その代わり入口のそばに1の銀色に輝く金属製の切り抜き文字が貼りつけてある。
時間はあまりないが、思いきって1等車の車内に入って見る。車内は札幌から乗り込んだ人たちで混雑していたが、さすが特別急行、明るくとても綺麗な印象を受けた。
〜つづく〜 >>861 の追記
このとき1966年3月の北海道のキハ82系は、1961年製が21両、62年製が2両、
64年製が31両、65年製が23両と新しい状態で、その上この頃は車輌の手入れも行き届き、
晩年とは大違いで、車内も急行などとは異なり、別格の綺麗さで正に特別急行列車にふさわしかった。また車内の色調も急行などの汚れの目だたぃない濃い色のものとは異なり、明るめの色調であった。
ことに巻き上げカーテンを収納する窓上部に連なる座席番号の札が付いている銀色に輝く
カーテンレールはひときわ栄え、別格の特別急行列車という車内の雰囲気を盛り上げていた。 さっぽうろ さっぽーろー さっぽーろー さっぽーろーと
放送していた駅員さんを傍で見たことあるわ。 >>862 その6
駅員さんの案内放送のことがコメされたので、そのことについて触れてみたい。
当時の駅構内の案内放送は自動音声ではなく、肉声で行われていた。
そして屋外にも外部スピーカーが設置してあり、駅前広場にも案内放送が流れて、駅に近づきその案内放送が聞こえて来ると札幌駅に来たことが実感でき心がときめいた。
そしてベテランの人の案内放送には人それぞれ独特の節回しがあった。
最初に聴いたときは奇妙な感じがするが、その節回しを覚えてしまうと小学生だった私が聴いていても実に心地良かった。
私は今回の札幌駅でおおとりを見てからキハ82系の大ファンになり、母にせがんで特別急行を見るため札幌駅に連れて来て貰うようになった。
小学生だった私と母に都合の良い時間帯の特別急行は、土曜日の19時30分着35分発の函館行おおぞらであった。
同じ曜日の同じ時間帯に行くと、なぜか案内放送をする人も同じ人だった。
この人の案内放送にも独特の節回しがあり、台詞も丁寧であった。
この人の案内放送を何度か聴いているうちに、すっかり気に入ってしまい真似をするようになった。
ただいまから19時30分の特別急行函館行の改札をいたします。のりば1番 のりば1番です。
ホームには、特急なん号車と書いた四角い緑の札を掛けてあります。
1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車にお乗りの方は改札口を出まして右手の方にお越しください。
7号車は改札口のちょうど前です。
9号車 10号車 11号車 12号車にお乗りの方は、改札口を出まして左手の方にお越しください………。
各号車番号を一つ一つ丁寧に言うアナウンスを聴いていると長い編成の特別急行が目に浮かび、さあ、これから特別急行に乗るぞという気分になれた。いっしょに聴いていた母も「流暢な放送だねー」と共感してくれた。 >>864 の続き
この人の案内放送がいかに素晴らしかったかは、私が中学生のとき、ノートを丸めてスピーカーに仕立て、この案内放送の真似をする度に、友人たちは耳を傾けじーっと聴いていたことでもわかる。
〜つづく〜 >>864 の追記
この1号車 2号車……と連呼する際、号のところにアクセントとストレスが掛かり、全体的にも独特の節回しになる。
初めて聴いたときは奇妙な印象を受けるが、この節回しを覚えてしまうと、実に心地よく、心も浮き立つような感じになる。
他の人と交代して、この人が案内放送を始めた途端、札幌駅はにわかに活気づき賑やかな感じになり、駅にいるのが楽しくなる。 ブルドックの思い出、それぞれにありますな
カッコ良くないのに大物感がある、ドラマ映画の世界で言う性格俳優みたいなものでした >>867
俺はソースはデリシャス派なのでブルドックはあんまり 北海道の函館発特急に組み込まれたキシは料理がうまかった。フライはカラッと揚がって、ソースをかけるとライスはお代わりしたかったほどだった。 >>869
ヤッターワンのデザインのモデルは消防車らしい
ボンネットには違いないから似ててもおかしくはない罠w 北海道のキロ80の乗務員室の小窓化って、いつ頃から始まったのでしょうか? 晩年のキハ81に運転室専用冷房搭載されていたっけ?
発電機のエギゾーストパイプが室内通っているから暑いんだろうな >>874
ネット上に小窓化された1980年の画像と未改造の1981年の画像があったが
1980年頃からじゃないかな。 ミャンマーでキハ80らしきものが走っているらしいね
ミャンマーはぼったくりがあまりないし、地味だけど旅行しやすい国だよ
ただ、食べ物が油だらけなのがちょっとねえ
、日本人にはきついかもしれない
ミャンマービールはなかなかいける 道内のキハ82で、
屋根上車端の換気扇の排気口からダクトが延びて車内にリターンしている車があったけど、あれはなんの意味なんだろう? 京都鉄道博物館で保存されているキハ81-3
この車両は実車はキハ81-5で、高砂工場から交通科学博物館へ移送される前、
同工場でキハ81-3のナンバーを切り取って、解体待ちで留置中だったキハ81-5に
そのナンバーを貼り付けてキハ81-3に仕立てた車両だという。
当時、同工場には北海道に配置されていたキハ82-45も留置されていたらしい >>884
スカート形状からしてもあれはキハ81 5だよなぁ。
なんで付け替えたのかナゾ。 キハ81の連結器カバーは、「つばさ」転用後から廃車まで装着されなかったが、
廃棄処分されたか、尾久客車区で保管されていたのだろうか なんだかなあ
歴史遺産に落書きされてるようでいい気がしないわ >>884
高砂工場では決して受け入れることのできない事実・・・。 >>888
高砂工場、それは加古川から国鉄高砂線沿いに
あった工場? >>889
ttp://kokutetu.seesaa.net/article/448934528.html
業者が適当に車両を持ちだして高砂工場もそれに気が付かなかったみたい。
整備業者からすれば3も5も同じって感じでしょ。
今更5番だったなんては決して言えないだろう。 Kだ。重ねていうが、釧路東署に通報すれば、水嶋めぐみの キハ82のヘッドライトの周りって、クリーム色なのとシルバーなのがあるが、どういう違いなんだろう? キハ81の絵入りヘッドマークとか見てみたかったな。151系、20系と同期生のヘッドマークは大きいから見栄えしたかも。 80年代、本州から乗り継いで『北海』で旭川へ
80系のディーゼルの音、国鉄車両独特の重厚感が素晴らしかった 幌内線廃止時に撮影された映像だが、ここの38分30秒辺りにキハ82が映ってる
キハ82って幌内線入線実績あったんだ?
https://youtu.be/_NdaxoJZ52g 一回だけキハ80系の特急おおぞらに函館〜釧路をフル乗車した事がある
まだ183系が登場しない1978年で2回食堂車へ行って食べたよ
北海定食とかにめし定食だったと記憶する >>888
例のブログの人からも、ひしひしと伝わってくる。
でも「ひょっとしたらかもしれないですね」くらいはうわべだけでも理解を示してくれてもいいとは感じた キハ81はどちらかといえば東京以北のイメージが強い。
弁天町の交通科学博物館ならくろしおが走ってた旧天鉄管内だったからまだ許容範囲だけど、
京都はキハ81にとっては縁もゆかりもない地だし、弁天町閉鎖の時にいっそのこと大宮に移しても良かったと思う。
むしろ京都にはキハ181のほうが似合うと思うけどな。 >>899
もうわかってるかもだけど、クロフォード公園に置くためのものじゃないの? カランコロンカランコロン
旅へ誘う情緒あふれる機関音。 >>906
その音ともまた違った。
またキハ58・28のエンジン音とも違ってた。 カランカランカランという音の間にニチャニチャニチャという音が入った感じかな キハ80系がセノハチを自力走行できたのは食堂車にも走行用エンジンを2台積んでたからというのもある。
もし食堂車がキシではなくキサシだったらセノハチでの自力走行は無理だったと思う。 キサシとキシ組み込みで出力が変わるか計算してみた
81系10両編成(『はつかり』編成)
6M2m1T=2520PS
82系10両編成(基本6両に4両増結)
7M3m=3060PS >>911
奥中山を越えていたのに何故瀬野八ごときが越えられないのよ、アホ カランカランカランカラン
カランコロンコロンカラン
はい皆さん、口に出して言ってみましょう。
札幌駅旧地上ホームの光景が蘇りますよw バババババババドドドドドド
ドドドドドドドドズバズバズババババババババ
はい皆さん、口に出して言ってみましょう。
183Kに替わった直後の、車両脇ではとても会話が出来なかった頃の
札幌駅旧地上ホームの光景が蘇りますよw ↑
思わず口にして、ちょっと昔が懐かしくなってしまった人、
正直に手を挙げなさいw ♪カラッ_カラッ_カラッ_カラッ・・・
♪_キョロッ_キョロッ_キョロッ_キョロッ・・・
♪__コリョッ_コリョッ_コリョッ_コリョッ・・・
どうだ!違う! >>912
はつかりは9両だし、かもめは6+6だろ
キハ82にして基本を6両にするから食堂車も2エンジンにしないと1両当たりの出力は
はつかり9両編成より落ちるのは確か ♪プフゥォ────ウン
♪グォリョグォリョグォリョゴリョゴリョゴリョゴリョ!
♪グィリグィリグィリギリギリギリギリギリ・!
♪ギュリギュリギュリギュリギュリギュリギュリ・!
調子こいてやってみたけどダメだ!むずかしい゜゜(´O`)°゜ >>920
wwwwww
音描写が複雑w
本当にそう聞こえているとしたら貴方の耳は超高性能w なーにをややこしい表記で競っとんの。
キハ80系なんてゲロゲロゲロじゃ。 確かに、ゲロゲロゲロとも聞こえるな。
濁点の入る表現はアリかな。
DMH17は奥が深いなw >>915
スレチだけど札幌駅の「きーんこーんかーん」をメールの着信音にしたいw >>925
ガラケーの頃イヤホンで録音して着信音にしたわ >>927
調べりゃすぐ出るじゃん。
自分で調べてみてわかったところまで書いてくれ。足りなければ補足する。…オレも全容を知らんかもしれんが。 >>927 キハ80系北海道仕様の特徴
1 前面に線路に侵入してきたヒグマやエゾシカを突き刺して進むための金属製の銛を装備、極東ソ連軍の露助を突き刺して札幌まで走ってきたこともある
2 グリーン車の暖房が強化され真冬でも水着で過ごせる。その代わりに普通車の暖房節約、時折凍死者も出る。 >>933
南紀の絵入りヘッドマークは個人的には×だな。文字の方が思い出補正もかかってるが、ずっとよかった。
60.3改正で絵入りになったときはコレジャナイ感満々で落胆したわ。
あくまで個人の感想だから、気にせんといて。 ナウなヤングは興味を持ったときからイラストヘッドマークしか見てないんです。
雷鳥や加越のヘッドマークがお気に入り。 キハ81にイラストヘッドマークが入ったら……と妄想してみる。
クハ481ボンネットみたいに間の抜けた感じになるだろうな。 「南紀」でモチーフが那智の滝なのは言われればたしかに違和感あるな。
綺麗かどうかとは別の話ね。 そういう問題じゃねえんだよ。
南紀という言葉のイメージの問題 >>940
南海道紀伊国の略だから何の問題もない
紀伊国内を100kmくらい走るけど
その中でも超有名な観光スポットだし >>919
はつかりは昭和38年のダイヤ改正から1両増結されて10両になってる。 キハ80系の「まつかぜ1・4号」は、車両運用の関係から新大阪・大阪〜鳥取間は13両という
長大編成で、同じくキハ80系の「あさしお」と倉吉「はまかぜ」も9両編成だったが、9両では
輸送量が過剰ということもあり、あさしお、はまかぜ、まつかぜ3・2号はキハ181系化時に、
8両編成と6両編成に改められ、博多まつかぜ1・4号も新大阪・大阪〜米子間で9両編成となった >>944
国鉄全盛時代の昭和50年頃まで、博多まつかぜの大阪−鳥取13両はガラガラだったの?
関西との時間帯が良く、博多まつかぜだけは山陰特急で別格のイメージがあったけど。
中国自動車道開通や、国鉄大幅値上げ以降は13両は過剰だったかもしれない。 中国道開通後の昭和50年代で博多まつかぜが13両で満席になるのは、
週末(特に蟹シーズンや海水浴シーズン)やGW、盆、年末年始の大阪−城崎ぐらいだったけどな。
鳥取方面の需要が中国道に移ってからも、城崎温泉目当ての客でガラガラというわけではなかった。 博多まつかぜが米子発着になる数日前、博多方先頭車キハ82に文字ヘッドマークが
取り付けられていなかったが、マークが盗難にあったものと思われる。 >>940
「南紀」って紀伊半島とか広大な太平洋ってイメージがあるな。
ヘッドマークのイラストに向いてるかどうかは別にして。 >>943
>>>919
> はつかりは昭和38年のダイヤ改正から1両増結されて10両になってる。
御堂と小鳥谷でのクールダウンはその時にやめたのかな? 現在の気動車特急の走りっぷりは凄いな!
80系特急の時代をしってる者からは、キハ187、2000・2700系、スーパーはくとなど、
飛ばし方は隔世の感がある。北海道のキハ261・281・283系も。
80系のゆったり感が懐かしいが、裏返せば表定時速が低かったわけだ。 80系の時点でDMH17系エンジンは時代遅れだったわけで、キハ60・キロ60で大馬力エンジンを試作したものの失敗に終わる。
仕方がないのでDMH17Cを横型にしたDMH17Hエンジンと、ディスクブレーキを採用した。 キハ80って鉄道見本市に間に合わせるために無理したからね。トラブル多発はご存知の通り。 キハ181系を作るよりも、キハ65のようなブースター車両を作って入れたほうが良かった
キハ181系も勾配線区用と言っているのに、自然通風式ラジエーターを採用するとか意味不明なことをやったし
DF50でも夏場はオーバーヒートを起こしがちで、定数一杯の牽引が多かった紀勢・四国車はラジエーターに散水装置を付けたほど >>957
> キハ181系を作るよりも、キハ65のようなブースター車両を作って入れたほうが良かった
それだと急行と同じ性能にしかならないよね それはブースター車両の連結数で変化するよ
もっとも、発電機器搭載により走行用が1つしかないキハ82をブースター車両で置き換えるのがよいのは玉傷だけど
キハ82 自車を入れて4両供給 180HP
ブースター 自車を入れて5両供給 500HP(ただ実運用は450HPのような) >>959
> それはブースター車両の連結数で変化するよ
ブースター車両が多いならむしろそっちが本体だわな
馬力で181=65の時点で駄目だよな キハ65のプースター搭載で、東北線を電車特急並みの速度で跳ばせるのかなあ? 線形いいし、福島まででいいなら大丈夫なんじゃね? 勾配の難所は福島の先だし。 >>963 キハ82、特通気A0で遠軽・網走間1時間42分。現在、同区間をキハ183で1時間45分(下り、オホーツク1号)。ただし、前者は途中停車駅3駅(留辺蘂、北見、美幌)だが、後者は生田原と女満別にも停まる。
停車駅増加したのに所要時間があまり変わらないというのは性能の差だろう。
特通気C7の方も比較してみたが、まるでお話にならない。 >>962
キハ181でやっと達成してたのに無理だろ キハ181系化された特急「まつかぜ1・4号」は、新大阪・大阪〜米子間の所要時間が
キハ80系時代より9分ほど延びてスピードダウンしたが、なぜスピードダウンしたのだろうか。
キハ80系より強力なキハ181系なら逆にスピードアップによって「まつかぜ」の
新大阪〜米子間の所要時間がキハ80系時代より短縮できたはずだが >>966
単線区間の交換待ちがかえって多くなったとか?
または国鉄が揺れ動いていた時期だったので、その事情か?
「やくも」電車化で181系化された際の、「はまかぜ」「あさしお」はどうだった? >>967
キハ181系化された当初の「はまかぜ」はキハ80系時代のダイヤのままで運転されていたが、
のちに東海道・山陽本線内でスピードアップされた。
米子発着の「あさしお」は、キハ181系化後、倉吉〜米子間の所要時間がキハ80系時代より
3分早くなり、のち5分早くなり、米子7時発の発京都行上り「あさしお」2号のち「あさしお」4号は京都着が
12時21分だったのが12時18分と3分早くなった。 >>968
単線区間を長く走る特急なので、その程度の所要時間変動なら、交換する列車ダイヤによって
遅くなっても速くなってもおかしくないので、181系化された「まつかぜ1・4号」が
80系時代より少々遅くなってもおかしくないな。 181系はただただ、やかましくて嫌いだった。
80系の静々としたのが気に入っていた。 >>970
キハ80系で運転されていた特急「あさしお」「はまかぜ」「まつかぜ3・2号」が
キハ181系化される前、キハ181系の特急「おき」1往復が鳥取発着だったが、
鳥取県内の山陰本線の線路沿いで鳥取発着のキハ181系の特急「おき」の走行を見ていると、軽やかな感じのするキハ80系に比べ、キハ181系は力強いが鈍重な感じもしたな 設計最高速度が110キロと誤記してる文献が散見される
計算上車輪が新品なら110キロ出るが摩耗してくるとエンジンがオーバーレブする
キハ185系はキハ82と同一の減速比だがDMF13HSの許容回転数が向上したため摩耗末期でも110キロ可能 >>972
> 設計最高速度が110キロと誤記してる文献が散見される
例えば? 183系になる前の上りおおとりは長万部の次は函館だった
登別、伊達紋別、洞爺も停車
それでも約四時間で札幌と函館を結んでいた
今の北斗は停車駅が増えすぎた
停車駅を絞れば10分は早くなる 80系時代は「北斗」にも、東室蘭−函館間無停車の便があったような気がする。
今はあんだけ停車しても昔と同じかそれより早いくらいなのだから、凄いなぁとしか思わん。 >>975
初期の「おおぞら」はあったかもしれないが、昭和50年頃は「おおぞら」「おおとり」で
函館−洞爺無停車が最長だった。
>>976
単線区間の列車交換はあっただろうw >>977
昭和50年頃なら定期列車にはなかったけど、臨時夜行の北斗51号(函館−旭川)が
函館−東室蘭間無停車だった。乗ったこともないし、ダイヤを持ってるわけでも
ないから運転停車があったかまではわからないけど。
この北斗、幽霊騒動で急停車してニュースになったことがあったと思う。 >>981
その辺りだったか登別辺りだったか記憶が定かじゃない。申し訳ない。 キハ81の記録フイルム見ていたら、客室鴨居に現在位置示す指針パネルが付いていたんだね。海峡やスーパー白鳥にも似たようなのが付いていた。 それキサシ80のドア上のやつだよね?
初期のキシ80も付いてたのかな。 燃料タンクが非常に巨大で白鳥の大阪〜青森は無給油で走破出来たんだな
見込み航続距離2000km位で東京〜西鹿児島間無給油走破可能? >>984
タイマー式で運転見合わせ食らうと針だけが進んじゃって実態と乖離するので乗務員が調整してた? >>987
そこまでは分からなんだ
あの当時でこの計らいは洒落ていると感心 燃料タンクは走行用が550リッター/基、発電用が800リッター/基だったと思う >>989
となると、燃費は1基あたり2km以上/Lってことだね。特急ゆえ停車駅が少ないから成し得たんだろうな。 どうやって現在地を把握できるのか不思議だったが走行時間で推定するやり方だったのか
そりゃそうだよね ひだは特急食堂車全盛時代に誕生したのに、当初から食堂車がなかった。 このスレッドは1000を超えました。
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