常磐線 上野⇔仙台 直通鈍行
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「仙台」のサボも誇らしげに82年11月改正まであった、旧客を連ねて日暮里から松戸までノンストップ。
あの時代はもう巡ってこないのか? 上野発5:55だったな。
松戸から長町まで乗ったよ。ナハ10だった。 何故か東北本線経由より後まで残った、
常磐線経由の上野発仙台行…。
>あの時代はもう巡ってこないのか?
こういう長距離の各停(普通列車)は、営利企業が鉄道を
運行してる限り復活は困難なんだろう…。
第一、現在いわき以北は特急だってろくにない。 >>5
ダイヤ"改悪"の度に短距離ぶつ切りが増えてるね。東海道東京口でE仕立ての静岡行きが廃止になった時が一番衝撃的だったが、いずれ房総でも木更津、君津、茂原、上総一ノ宮、佐倉、成田で217須賀と糞ワンマンに分断になるのはビギナー鉄でも予想がつくな。 >>7
仮にJR甲信越が実在していたら境界は大月だったと思う。せっかく205系を富士急にやるんならパンタだけ小断面トンネル用にしてJR―FQ相互直通可能にしないとね。すれ違いゴメンズウォーカーだが 221レは青春18のびのびきっぷで、上野〜平間を乗りました。
水戸でED75に機関車交換したのもいい想い出です。
夕方の平行きは、松戸や我孫子まで乗ってプチ旧客の旅を楽しみました。 上りの仙台発上野行きに夜ノ森から乗ったことがある。
駅前の食堂で時間つぶししていたら高校生の男子が数名入って来た。
野球部だと言っていた。
みんなどうしているんだろう。駅で切符売っていたおじさんも元気かなあ・・・ 上野―仙台に限らず、スレタイのような列車では「旅」ができた。
今は、それをやるには特急料金を余計に払わされる時代…。
E531系で上野から仙台まで乗るって…。
まあ、「束」の幹部にさせてみたい気がするけど。
「あんたらはこうやって、客を客とも思わん仕打ちしてるんだ」って言いたくもあるから…。 >>11
「旅」の定義って、客車、長距離、鈍行の3つでOK? >>12
異論もあるとは思われるが、個人的にはそれらが重要なアイテムとという気がする…。
別な考え方があっても、それはそれで尊重すべきではあるけど…。 >>10
夜ノ森か〜
今、どうなってるんだろうなぁ・・・
死にたい >>14
今年もつつじは咲くでしょう。誰も見ないつつじが。 >>16
夜ノ森のつつじは植物が放射能の影響をどのように受けるかについて重要なサンプルになる。毎年咲いたつつじの花について線量を測定し記録を残す学問的価値はあるな。もしも異常な大きさや奇異な色彩の花が咲いていたら学会に報告する義務がある。 >>16
花は昆虫によって受粉し種子を形成するから昆虫の行動範囲いかんでは警戒区域外に高線量地帯が拡大する危険性がある。生物学者は植物に限らず、交尾期はあらゆる浜通りの生物についてアンテナを張り巡らす必要がある。 スレタイの鈍行が消えた頃、常磐線では既に他線区に先駆けて中電のロングシート化が始まってた…。
上っ面だけの「お客様」なんて台詞が飛び交うのと裏腹に「乗車券だけで乗るようなのは客じゃねえ」
って扱いが以後蔓延してくようになった印象…。
いまから35年ぐらい前に完乗しました。確か仙台着が14時ごろだった
と思います。友人と2人でしたが、車内で地元のおばちゃんから、パンや
みかんなどもらいました。高1の冬かな。よい時代でした。 ガキの頃、上野で東北線の冷房付き115系に乗って発車待ちの時、
隣のホームにいたのを見た覚えがある。
うちの親は冷房のないポンコツ客車で仙台まで行くのは大変だなと言っていた。 上野発1535の常磐線平行普通列車
一日三本あった客レ、これに乗って松戸まで、旅行気分
松戸で降りて切符を買いなおして今度は上りホームに行くと、なんと上野行きの客車が来る
帰りも同じく旅行気分
しかも最後尾は運が良ければ特等展望車
上野から松戸往復で、こんなに楽しめたこともありました 北への新幹線が東京発着になったと同時に失われた数十年が始まった。長野新幹線で碓氷峠廃止後は更にデフレが深刻化。昨年の原発事故で常磐線が広野−原ノ町間が少なくとも300年は復旧出来ない事態に…我々は上野駅高度成長期の生き証人を二つ失った。 初めて買ったRJが長距離ドン行特集の号だった
上野発常磐経由のドン行も載っていたな >>23 その上り客レには機関車の後に荷物車と郵便車、そして客車10両で
かなり長い編成だったと思う。
平行き客レは、古いながらもきれいに塗装され、手入れされていたのが
印象に残ります。
>>25
RJのS82.5月号だね。223列車のルポがのってたね。
あの頃までのRJは読みごたえがあったのにね… >S82.5月号だね。
「1982年5月号」ってこと?それとも「S52年…」?
まあ、「特集」になったってことは、長距離鈍行が稀少価値化してきたってこと
だろうから、とすれば「1982年」なんだろうと推測したけど…。 >>28
27です。間違えたよ。s57.5月号が正解。
乗車ルポは、常磐線223列車と磐越西線の郡山発新潟行き229列車。北陸線米原発長岡行き523列車。
根室線釧路発根室行き混441列車。筑肥・松浦線博多発佐世保行き1647D。京浜東北線大宮発大船行き。
それと山陰線の旧型客車の大型運用の詳細な記事。
連載記事では、車両系列シリーズで153系電車の特集。特定地方交通線シリーズで深名線。
今読んでも面白いよ。
自分の場合は常磐線最北部から仙台まで乗るだけ。
他の列車の変わりのないオンボロだったと思う。
>>5
東北本線よりも後まで残ったのはきっと
水戸鉄道管理局の最北部範囲が亘理までだったでしょう。
ここまでおれっちの範囲だって、示したかったんじゃないの。
実際、水戸発仙台行きの急行とかもあったし。 >>32
ただ、行けたのか、だけじゃ誰も答えようがないと思う。
その日のうちに、とか、青春18切符だけで、とか、そういうこと? いけた時代もある。
でも面白いもんでいけない時代のあといけた時代があったってことだな >>32 常磐鈍行使ってなら、昭和57年11月までなら、
上野発仙台行 原ノ町発青森行き 青函連絡船 函館発札幌行き又は旭川行
昭和42年ごろまでなら、ズバリ上野発青森行普通列車。そして青函連絡船。
函館からは稚内行なんて普通列車があったのではないかな。 >>36
スレタイがスレタイだから、それは或る意味不可避だろう。
常磐線に限らずだけど、今の、何処まで行っても「国電区間(車両の形態に関する限り)」
的な状況を嘆く向きが必然的に集まってくる。 川崎の生田緑地にある旧客は常磐線を走った旧客の最後の生き残り。 上野―仙台の客車列車と併走・離合していた経験のある車両はメトロ6000のみとなってしまった。
そのメトロ6000も引退の時期が近付きつつある。 >>47
最近の列車に限っても
モハ73・103・203・401・415・451・481・501・583・キハ56・キハ58
キハ82・12系、14系、20系の各客車・C62・EF80・EF81・EF65・EF15・DD51
DD13・DE11・営団5000 あたりが思いつく 203系はデビューの年と旧客廃止が同年だから、離合があったのはほんの数ヶ月 上野発仙台行きの旧型客車に乗って、友部まで行くと
水戸線経由の小山行きの旧型客車とすれ違うシーンがありました。
昭和54年くらいだったかな。。。
当時は、
中央本線の臨時の急行アルプスも旧型客車で運転されてましたね。
余談ですが当時の165系・急行アルプスのビュッフェで、
カツカレーを食べたのも、良い思い出です。 上野発の旧客って、常磐線以外はいつなくなったんだろ。宇都宮線や高崎線の運用も以前はあったんですよね。 昭和53年頃まで、東北本線経由の上野発一ノ関行きの旧型客車の鈍行があった気がします。
黒磯〜仙台間は、昭和60年代に入っても旧客天国だった気がします。
ただ、「急行まつしま」とかが廃止になって、急行用の電車に移行していきましたね。 >>51
常磐線の上野口旧客撤退後も水戸線の旧客は残ってくれたので、乗りに行ったな。
よく写真等でデッキのステップに腰掛けているのを見てたので、走行中にデッキに
行ったけど、走行中の扉開けっ放しのデッキは、怖くて、とても真似は無理だと
思ったなぁ。
走行中に扉全開なんてのは、今じゃ考えられないですねw
当時は、列車が止まる前に飛び降りるのが、カッコ良いと思ってましたww >>52
高崎線の旧客も常磐線と同様に57−11まで
早朝に1本だけ残ってたよ。最後の1〜2カ月は
12系で運転されてたけど。
改正を前に旧客の検査期限が切れたらしいが。
小学生時代、昭和54年ごろの夏でしたが、下館から我孫子まで移動するのに、
「常総線は古いディーゼルカーばかりで、冷房がなくオイル臭いから嫌」と母にだだをこねて
水戸線−友部乗り換え−常磐線で行きました。水戸線は冷房付415赤電だったのでご機嫌でしたが
常磐線がこの旧客鈍行なのでがっかりした記憶があります
今となっては旧客鈍行も、関鉄のごった煮DCも、もっと味わえばよかったと後悔してます 旧客の列車って、JRになってからもあったのかな。JRマーク付けた旧客が想像できない。 和田岬線とか平成初めまで残ってたみたい。
ある程度距離走る定期列車はどうだったか・・ 水戸線は1982年の改正後も旧客が残っていたんだね。首都圏で最後まで旧客が残ったのは何線だろう。 デッキのステップに座ってとか、怖かったろうな。
特にトラスのない水戸線鬼怒川橋梁とか。 今日で上野口の客レがなくなって三十年経ったのか…
(;つД`) 川崎の生田緑地の旧型客車は、この線で活躍した車両の生き残り? ID:j6r3tUYA
自分で撮影してきた画像でもないのに、得意げにベタベタ貼ってんじゃねーよカス。 ゆうづる
みちのく
ひたち
スーパーひたち
十和田
もりおか
ときわ
ひたち
上野⇔仙台旧客鈍行
これらの名だたる列車が走った幹線も、今や立派な廃線跡wwwww >>73
「そうま」が抜けている。たしかDC急行だったな。 16:00頃仙台を出て、23:00上野着。
そして、折り返し、最終列車水戸行。
上野発着にしては6両という中途半端な短編成。
地味だが、けなげさに思い出すたび涙が出る。
DCから電車のときわになっても同じパターン。勝田まで延びたが。
Sひたちになっても、18:15分仙台発で22:30分過ぎ、上野着。
上野を最終のFひたちになって、勝田行。 >>77
原町に住んでいおり母と仙台へ行く際にはもっぱら急行そうまを利用していました。
思い出深い列車ですね。
下りが原ノ町8:59発で上り仙台発は17:10だったかな?
上りは原ノ町で下り「みちのく」と交換だったので1番線・2番線両方で弁当売りの声が響いてました。
一応指定席とグリーン車が1両づつ連結されてましたがいつも空気輸送だったのを覚えてます。
そんな指定とグリーンですが、流石に初売りと七夕の時期はそこそこ埋まってました。
そんな時期には4時には仙台駅3番(5だっけかな?)ホームの乗車口札の下に並び始めてました。
その間、頻繁に発着する特急急行やホーム上にずらっと連なる「八甲田」や「ゆうづる」といった
未知の列車の乗車口案内の札を堪能できたのでまったく退屈はしませんでした。 確か、大昔には奥羽本線経由の上野発青森行の鈍行もあったように記憶
しているが・・・。 そういう列車って、どのくらい通しで乗る客がいたんだろ? 長距離バスも整備されていない時代なら、それなりにはいたんじゃないかねぇ。
特急はおろか、急行も高嶺の花だったりしたかも知れん。
逆に超長距離の特急なんかは無駄に空気輸送だったんだろうねぇ。
西鹿児島行の富士とか、大阪ー博多のまつかぜとか。
もちろん対抗相手にはやぶさとか、新幹線があったからというのが大きいだろうけど。 仙台行きのスーパーひたちも乗り通す客が意外に多くてびっくりしたな。 急行津軽が出世列車と呼ばれていたということは、それより格下の列車(準急?鈍行?)が
他にあったからでしょうね。 つばさは「出世列車」と言われなかったの?
…ああ、でもあの距離で昼行は利用しにくいか。
一般に「出世列車」というと「あけぼの」ないしは「津軽」だけど、山口県にも存在した。
あさかぜである。
時間帯から山口県へは利用し易かったのだ。
松田優作も庵野秀明も松村邦洋もあさかぜで帰郷したらしい。
逆にあさかぜは博多へは時間帯の関係上、実は利用しにくかった。
博多への人気ブルトレはさくらであり、はやぶさである。 「出世列車」なんて言葉を東北からの出稼ぎの人たちが使っていた時代に
あけぼのはまだ誕生していない。
それは、マニアの後付けでしかないでしょう。 451系は東北本線にはビュフェがついていたが、常磐線にはついていなかった。
東北本線が羨ましかった思い出がある。 昔は上野まで線路が繋がっていたことの証として廃止直前に原ノ町まで来て、
上野の方向幕を出したまま静態保存(実質放置)されている651系K202編成
http://archive.shinsai.c.yimg.jp/v1/resource/emgphoto-0483/081/72483.jpg
ーーーーーーーーーーーーーーーー
2011年3月11日10時00分、上野駅から「スーパーひたち15号」として、
651系付属編成のK202編成が、原ノ町駅に向けて帰らぬ旅へ出発した。
同日14時46分をもって常磐線の広野−原ノ町間と相馬−亘理間の廃止が決定しており、
K202編成は原ノ町駅構内に静態保存することになったからだ。
また、それに対応する設備改修のため、同時刻にいわき以北の全区間も
当分の間運転を停止することになっていた。
11時11分、勝田駅発車。
もう戻ることのない勝田車両センターを横目に見ながら、一路北に向かって走り出した。
12時07分、いわき駅到着。
基本編成に永遠の別れを告げ、12時10分にK202編成単独でいわき駅を発車した。
12時27分頃、広野駅通過。
ここから先、間もなく列車が走らなくなる線路を、K202編成は淡々と走る。
13時09分、定刻通りに終点の原ノ町駅到着。
乗客を降ろして役目を終えたK202編成は、
原ノ町駅構内の留置線に移動し、静かにパンタグラフを降ろした。 >>88
2年近く野ざらしでもはや廃車同然だな。このまま朽ちていくのだろうか・・・ フェミニスト政党の候補者を落選させ女性専用車両を根絶しよう
「未来の党と公明党は男性を差別した政策主」
石原慎太郎さんが都知事時代に的確な問題提起をされていますので、皆さんも視聴しましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=U04E6G2Cy8o&list=PLC6839F661C03104D 常磐線はグリーンの乗務員も特急の車内販売員もかなりキモイ。
性格が悪いからちょっとしたことで切れて
崩れた顔がさらに崩れて壊滅的になる
常磐線はどの企業にもある左遷場所なんだろうな。 昭和57年8月に乗ったぞ。原ノ町6:00発だ。
原ノ町発車時はなんと13両で後ろ補機がついた。
仙台と盛岡で切離しがあって、青森到着時は客車4両だ。 直通鈍行、EF81-300が牽引した実績や、それとわかる写真ってある?
ググったら実績は「あった」「なかった」正反対の記述が出てきて・・・ 首都圏における客車鈍行は近郊型普通よりも行き先は遠く、
また近郊区間は電車普通が停まる駅も結構通過して、
しかもデッキつき全席ボックスシートだったので
急行未満普通以上というワンランク高い普通という印象があった。 上野・仙台直通鈍行は、水戸、平(いわき)辺りで増解結していたんだろうけど
どんな編成構成だったんだろう?
例えば仙台行きが水戸で機関車交換時?(EF80→ED75?)に前X両が水戸止まりでEF80と
一緒に移動して、残りの後Y両の仙台行きにED75?を連結して、みたいな感じだったのかな? 増解決なし。機関車交替だけ。
下りは朝5:55分発が、客車10両程度に〒1両
昼12:25分頃発が8両に〒1両
15時15分頃発平行きが客車のみ10〜11両
原ノ町発上野12:35分頃着、のちに浪江発上野着11:30頃着が客車のみ10〜11両
仙台→平・平→上野 実質仙台上野直通16時頃着が 荷・〒・客車10両程度、
仙台→平・平→上野 実質仙台上の直通21時半頃着が、〒・客車10両程度
というところか。 そして、どの車両も車内はきれいな塗装で手入れも良かった。
冬は暖房がよく効いた。 ついでに、上野着16時ごろのなかの[荷]は、前夜急行十和田で〒と一緒に上野を出て
仙台で[荷]だけ解結、折り返しになったもの。 >>99-101
当時の情報どもです。増解結なしだったんですね。 平駅の上野寄り留置線に10両ぐらい平成元年に放置されていたのを見た。
写真も撮った。 今頃の日の出は6:50頃。
上野から仙台行221レに乗ったことがある。
上野を出たときはまだ真っ暗で街のネオンが輝いていた。
江戸川を渡るころ東の空が少し赤みを帯びた。
利根川を渡るころには東の空が真っ赤に萌え、車内も赤く染まり、佐貫、牛久、荒川沖あたりの車窓から
初日の出が拝めた。
誰も東側のブラインドを下ろさなかった。
座席のよく効く暖房が、今も感覚的な記憶で残っている。
もう、あれから30年以上経っている....... >>98 常磐線客車列車 で画像をgoogってみると、すばらしい写真が
出てますよ。
上野発平行きの11両、平発上野行きの[荷][〒][客]×10両が出ています。
運転席前面窓に庇のついた精悍なEF80が牽引するとても存在感のある写真です。
特急や急行の待避も、待っててやるから、さっさと先に行け、
お先に失礼させていただきま〜す、っていうような感じだったんでしょうね。
そういえば、上りの424レに乗ったことがあります。
20分遅れの到着となります、と構内放送が。
何をしてんだろうと待っていると、精悍なマスクのEF80と続く荷物車、郵便車、
そして重厚なくすんだ青の客車。途端に20分遅れに対する不満は吹っ飛びました。 >>97
情報ありがとうございます。水戸線ですか。EF81-300による上野・仙台直通鈍行牽引の実績の
可能性は高まりましたね。皆さん、続報気長に待ちます。 >>106
写真はないけど、当時の運用だと以下の区間が該当。
221レ、223レ、425レ:上野→水戸
422レ、426レ:水戸→上野
424レ:平→上野 1984年にはもう水戸線の旧客は電車に置き換えられていた。
1985年3月改正までは水戸以北に何本か旧客レがあった。
同ダイヤ改正による急行の特急格上げによって、その急行形電車を
旧客列車の置き換えに充当し、客レは消滅した。 川崎の生田のスハ42は上野仙台間の直通鈍行の生き残りだな。 そういえば、その列車番号記憶にあるかも。
スレ違いだけど、中央本線の441レとか、
山陰本線の824レとか、定番だよね。 >>109-112
生田の旧客はもう修復作業終わったのかな? >>114
中央線は441Mだろう?
客車のときは425レだった。 先日、元常磐線の生田緑地のスハ42見てきた。
すごく状態良かったけど、正直あのシートで上野から仙台まで行くのは辛いな。 京王線の女性専用車両内で起きた事件のスクープ映像
こちらがその瞬間です
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi
男性のお客様に対して接客精神に欠けた無礼な車掌と
下品な女の暴言をご覧ください 現在50歳
11才から18才まで毎日土浦7時11分発に乗って水戸まで通学してた
何千回乗ったんだろう,,,
懐かしい思い出 来月はサンライズ瀬戸 東京→高松
マリンライナー 高松→岡山 さくら 岡山→新大阪
トワイライトエクスプレス 大阪→札幌 札幌泊
北斗星 札幌→上野 1泊5日の旅に出発 BRT気仙沼線、バス専用道を年内に倍増
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFB13018_T10C13A6L01000/
じぇじぇじぇ!あまちゃん駅“誕生”
http://www.daily.co.jp/gossip/2013/06/18/0006085593.shtml
BRTの利用状況、平日は一便平均9人 陸前高田市議会 JR実施の4月調査示す
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws8751
三陸沿岸道路 陸前高田〜通岡IC間の4・1` 年度内供用へ整備進む
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws8757
新しい交通体系考える 大船渡市が検討会議設置 震災後の変化、従前の課題視野
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws8695
大船渡線と気仙沼線BRTの復興キャラ 愛称募集中
http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/1/6/1657.html
>平日利用者は約560人で一便平均では9人。
やっぱりそれなりに利用者いるんだな。
気仙沼〜大船渡なんてBRTになる前は1日たった2便しか無くて60人乗りの観光バスが補助席も使って満席で走ってたからな。あれは異常だったわ。
「BRTにします。鉄道復旧したいなら、土地を提供するので勝手にやってくれ。あんな閑散路線に巨額の復旧費用使えるかよ」→JRの本音
国やJRに出してもらいたいなら、自治体は相応の努力をしなきゃね。BRTの使命は空気輸送 客はおまけなんだろう
が、しあかの燃料が勿体無いな
東北の贅沢は化石燃料の浪費 北海道の真冬に暖房を真夏のようにしてアイスを食うくらいの無駄
世間のエコはここでは通用しないのか
なんか節電がアホらしくなってくるな
必要だからってBRT作ったのに自慢するためかと思うと「使われた空気 燃料 建設資材(鉄やコンクリート)に」大して失礼だと思わない県民性が問われる
赤字は県民税から徴収をお願いします 国費は使わないでください
足りない分は来年度分から、踏み倒しは許しませんよ
超閑散路線・復旧費用莫大となれば、復旧はせずにバス転換は自然な流れだが?
鉄道か無くなると町が廃れる? →既に鉄道も町も廃れている。「鉄道復旧」を口にするなら、最低限週一で使わないといかん。
全世帯に月2000円の回数券購入を義務付けるか? 鉄道は廃止で良いが、代替バスの運行はJRが責任をもつ。それで十分だよ。
JR東日本がJR関東とJR東北で別れていたら、JR東北は新幹線と東北線・羽越線・奥羽線(秋田以北)以外は全線バス転換だなw
東北民は東北のローカル線が残っているのが関東のおかげだという自覚がなさ過ぎ。
今は関東民のお金でローカル線を維持してるけどもしJR東北に分けられてもお金の出どころが国に変わるだけでしょ。北海道や四国と同じになるだけ。
国有鉄道→民営化→再び国有化→またまた民営化、を繰り返すだけだよな。
ただ、経営形態が変わるたびにオオナタが振るわれ不要路線は切り捨てられて経済合理性は貫徹される。次はいつになるだろうか、
果てしなき自由化・民営化の末に新自由主義路線が破たんするときか、それとも日本の財政がニッチもサッチもいかなくなって新円切り替えのときか だいぶ後年のことだが、一時期水戸まで717系が来ていたような気がする。
もちろんスレチ 確かにいたね。白い車体に緑のライン。
上野から乗ったステンレス車両も混じった白地に青ラインの15両は土浦で8両か7両切り離して、
水戸に着くとその緑ラインの6両がいました。電留基地の土浦とは違った、客車、気動車、機関車が留置してある
風格のある水戸駅でした。 ジジイの懐古趣味で昔は良かったと言いたかねえが
やっぱり昔は良かった 生田緑茶の旧客は常磐線の旧客の最後の生き残り?
こないだ見に行ったらかなりメンテナンスが行き届いてて良い感じだった。 末期だと上野→仙台は2本あったのに、仙台→上野は1本もなかったね。
どうしてこうなったんだろ。 >>126
子供のころ茨城北部のお婆ちゃん家行く時水戸で5〜10分停まる時
よく水郡線ホーム行って停車中のキハ見てたなw
あえて勝田止まりの中電に乗って水戸から455乗ったりとかw >>129
当時の時刻表が手元に無いのでただの推測なのだが、
上りは途中に長時間停車を挟んで、列車番号変わって上野まで走ってた、
ってことはないか? 230 仙台 6:38→10:05平 ⇒ 424 平11:10→16:00上野L
234 仙台12:39→16:32平 ⇒ 426 平16:55→21:45上野F
[230⇒424]には、[〒]と[荷] [234⇒426]には[〒]が組み込まれていた。 >>132
生田に銘茶の産地があるのかもしれないね 早朝に目が覚めて時計が5:55を指していると、仙台行きの出発する時間だなぁと回想する。
夜寝る前、枕許の時計が23:25を指していると大垣夜行を想い出す。 元旦、上野から221レに乗ったことが3回ある。
上野出発時は真っ暗。街のネオンだけが輝いていた。
利根川を渡るころ東の空が赤く染まり、牛久あたりで初日の出。
車内がオレンジ色に染まる。
重厚感のある客車で、座席と足元の暖房がよく効いていた。 >>140
水戸〜仙台を走ってたらしいね。
上野に来たことはあるのかな? >>128
高崎の旧客のうちオハ47とスハフ42に末期に水戸にいた車があるはず。 別な見方になるが、常磐線の駅って単線区間の駅でも、ホームも構内線路も
のびのびしていて、まるで複線区間のような錯覚をする。 長編成の貨物対応なので線路有効長は長いし、鈍行でも10両以上がザラだったので小駅でもホームは長いですな。 10両以上の客車普通列車と2両くらいの気動車も行き来してましたな。 旧客の夜行急行も上越新幹線開業まで沢山ありましたぜ。 >>148
203系のデビューも1982年だから、旧客と203系の並走も僅かながら見られたのかな? いわゆる廃線跡の写真は見たけど、常磐線不通区間の写真はなんか事態が
違いすぎるんだよな。
普通、廃線になるようなところは寂れているし、しかもちゃんと撤去作業も
行われる。
ところが常磐線は栄えていたわけだし、しかも撤去作業なんか行われずそのまま
放置され草がぼうぼうになっている。
だからこそこの世の終わりのように見えるんだよね。 そいつは自分が行って撮ったわけでもない写真を紹介しているだけだし
放射線の知識も決定的に欠けてるから相手すんな 【不買運動】福島県いわき市は男性を侮辱した女性専用車両広告を使う反社会的組織です
福島県いわき市は女性専用車両という卑劣な男性排除によって生じた女のみの状態となた場所に広告を出して金儲けをしようとする反社会的企業です。
「ハダカのおもてなし」の女性専用車両広告
http://www.youtube.com/watch?v=B7f381sHUnQ&feature=channel&list=UL
(音声はJR東日本中央線の駅員による女性専用車両乗車中の男子学生に対する暴言) 70年の時刻表を見ると
青森発上野行き(常磐線経由)の夜行普通があるな。
下りは無く上りのみ。
おそらく72年のダイヤ改正までに廃止された 青森→上野の最終運行日が迫ったころ、毎日新聞に乗車レポ記事が載っていた。
読んだ記憶ある人いるかなぁ.. 228列車。
青森10:30→仙台20:37→原ノ町22:25→平0:50→水戸2:40→土浦3:32→4:55上野Q 常磐線の客車列車は、北千住を通過して複々線区間に入ると
俄然スピードを出して疾走していたな 昔、上野で田舎帰るのに新しく出来たスーパーひたちに乗ってたんですが、仙台行きの鈍行とかに
これ乗ったらどんなんなっちゃうんだろう…どきどきわくわくで浪漫を感じてました
で、今乗れる機会が出来たので色々見てたらここにたどり着きました
今、放射能警戒区域で分断されてるけど解除されれば
上野発仙台着の鈍行ってあるんですか?
上野発青森逝き…そんなのがあったなんて…
そういえば上野ってまだ変な人多いんですかね?
何十回か帰郷してる時に一度だけどっかのトイレの近くで
おじさんと食事しておもちゃを買ってあげると魅惑な話に誘われたのですが、
電車が行っちゃったら大変と思いお詫びにブルーベリーガムとサクマドロップを一個ずつあげたら、良い子だねと言われそのまま終わりました。
今思えばヤバかったです。 誘拐じゃなく、ショタ目的だと思う。
自分も車内で経験ある
(中間連結の乗務員室助士側の開放部分が好きで乗ってたらジジイが来た)。
ずっと拒否ってたら諦めてくれたけど去り際にちんちん触られた >>47
>>48
JRにもまだあるだろ
103系1000番台改造の105系 川崎の生田緑地の旧型客車は上野仙台直通列車で走ったことあるのかな? 水ミトは基本水戸線と水戸以北、水郡線の運用
上野発着便は北オクの運用 >>165
57年の長距離鈍行特集の時は北陸の523レで駅弁食いまくり。223レは別の人が書いてる
他は知らん >>166
EF81の場合も結構あった。音が違ってすぐに分かったw 竜田〜原ノ町がバス代行開始したので上野5:10→仙台14:28と乗ってきた
時間帯だけみれば、懐かしの221列車とあまり変わらないな
震災前は上野5:10に乗れば12時少し回ったくらいには着いていたのにな…
原ノ町で1時間以上長時間待ちなので丸屋の立ち食いそばをゆっくり食べて時間潰し
亘理は代行バスから降りた人が大量に駅舎で仙台行き待ちだが椅子は数人分しかなくてみんな立ってた、中には上りホームのガラス張り待合室にわざわざ階段渡って行った人もいた >>173
あの歌、国鉄から文句言わなかったのかな? >>174
おまえいくつだ?
いちいちそういうことに目くじらたてる時代じゃなかった
ってことくらい知らないの? 駅員が動き出した汽車に乗るのを手伝ってくれた時代だしなぁ、、 ひのくれるさとで「飛び乗りはやめてください」絶叫してた記憶が(自分ではない) 川崎の生田緑地に保存されている客車がこの列車に使われていたんだよね? さらにゴーサントオ改正までは上野発一ノ関行きの客車鈍行もあった 上野から仙台まで常磐線経由で乗り通す人はいたのかな? 途中の追い越しが無ければ長旅の楽しみとして一興にもなろうがな
待避のための長時間停車は精神衛生上良くない 安倍が何かした訳じゃないだろ
手柄を自慢したいだけ >>198 あと、4年もかかるの?
よし、常磐線回りの十和田を復活させよう。
ついでに、上野発仙台行き221レもよろしくです。 2020年らしいな。もうEF81もED75もなくなってるだろ。大宮にEF80あるけど、やつは動かすには特殊すぎるしな
でももう一回モーター音が聞きたい。大出力3モーターのカルダン駆動 高崎の旧客持ってきてほしい
さすがにデッキ大開放は無理だけど >>187
時刻表で、この列車の存在を知った時、
上野〜仙台を走破する赤電を思い浮かべた
列車番号を見て客車と分かり
ちょっとがっかりした
結局、415系一族って四ツ倉が北限だったんだっけ? >>193
>>194
相馬で間違いないですね。ただし始発の上り1本のみで下りはなし。 20年ぐらい前だが415系で上野発原ノ町行きがあった記憶がある
上野を18時〜19時くらいに発車してたと思うがよく覚えてない 客レの頭にたまにEF81が入ってるときは思わず唸ってしまったww 1971年複々線化当時は無かった
快速103系は8両だったし
臨時の72系は7M1Tの強力編成
快速停車は1973年頃?
野田線はほとんど3000系4両だったが、54系が4本ほど残ってた
1973年、快速103系10両化の頃、53系4両2本が転入、最後の旧型となる
貨物扱もまだあり、田端区のDD13が東武のED5000と貨車の受け渡しをやってた
当時中学生だった
懐かしすぎる >>203
東武が醤油列車を廃止してくれたおかげでホームをつくるスペースが
できて、快速用ホームができたと記憶している。 >>203
臨時快速のモハ72と乗っていた営団6000の併走があった。
貴重な体験だった。昭和46年の事だ。 昭和47年ごろの朝の松戸駅。3番線にはDD51牽引の成田発上野行き。4番線には霞ヶ関発我孫子行
の営団6000系。そんな並びも見られた。
その当時の営団(現メトロ)6002Fがまだ現存なのは奇跡的な感じがする。 上野〜成田の客レが、上野駅に入ったSLの最後だったよね。 定期だとそうなんかね。臨時だと498が何回か入ってるけど >>211
その2年後には、営団地下鉄の乗り入れが始まった。
SL廃止があと2年間遅かったか、営団地下鉄の乗り入れが2年間早ければ
SLと最新鋭だった営団6000系の併走・離合が見られたはずだ。 千代田線の東武との交差地点付近から綾瀬駅の亀有よりは、営団が先に建設して、
国鉄が快速線完成させるまでの昭和43年から46年くらいの間の数年間は国鉄が
借用していたとのことだけど、そのあたりは重量のある貨物列車の通過も可能なように、
高架橋 も特別な作りにしたと思うけど、その費用はどうしたのかな? >>213
もともとは国鉄が建設する予定だったところ、営団が車庫の都合で「自身で建設する形にしたい」と
申し入れてきたわけだから、費用は営団が負担(ほかに国や地方公共団体の負担部分もあっただろうが)
でしょう。 昨日松戸駅で、駅員がいいのちの電話のティッシュを配っていた >>214
今は軽量の電車しか走らないけれど、その辺の高架橋は頑丈にできてるわけね。
電気機関車の重連なんてのもあったんだからね とりあえず定期+定期に近い臨時とイベント物(お祭り臨時)は別枠で考えたい >>216
ってことは綾瀬行きの甲種回送の牽引にはDE11が使われてるけど、EF65とかでも
問題ないわけね。 ↑
× 竜田・富岡寛試運転
○ 竜田・富岡間試運転 全線開通できても結局今のバスのように夜ノ森駅通過とかそういう事になるの?そういう事がある限りまだ終わらないな 車で夜ノ森駅に行こうと思ったが国道6号線以外の道は現在もすべて規制されている。
7月現在。 全線再開しても、放射線量の問題があるから富岡−浪江間はノンストップになるだろう。
今春から一部の普通列車が651系になったが、これは富岡−浪江間直通を651系で
まかなうための準備だろう。(固定窓車限定運用) 昔、夜ノ森の名前に惹かれて途中下車した。駅前の食堂でラーメンを食べた。駅には駅員がいて硬券の切符を売っていた。
やってきたのは客車の普通上野行き。懐かしいなあ。 昭和60年頃赤電夜ノ森行きとかあったなあ。
旧客浪江行きとかもその前あったみたいだ。
夜ノ森とかフクロウかよ?ってなロマンチック
な名前なのに、浪江とともに行っちゃいけない
近寄っちゃいけない怖い場所になっちまった。 >>227
今は夜ノ森に柵が設けられていて、これを超えて中に入ると捕まる。
国道6号線だけは、下車しなければ通れるようになったし、
常磐線も手前の富岡までは復旧の様だが。
富岡は駅から海側、津波にさらわれて何もないひどい風景。
ホームの上屋だけ残ってて、上下のホーム間には流された乗用車がごろごろ転がっていて、架線も盗まれたのか何もなかった。 でも、全線復旧の見通しがついたのはうれしいことだね。 平〜勿来間を各駅に停車する準急ときわに湯本で抜かれてたな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています