ポンコツDD54を無理やり褒めるスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
このスレではポンコツディーゼル機関車DD54を無理やり褒めていただきます。 >>170
性能も高効率変速機のご利益で1820PS 1台ながら1100PS*2のDD51と同等の牽引力が出たそうだから十分かと。
問題は国産化設計、製造技術、運用、三つ巴のまずさが負のスパイラルを構成してしまったこと。 【不買運動をしよう!】生活協同組合コープは女性専用車両広告を使う反社会的企業:
差別をしていることによって発生した要件で宣伝して金儲けする。
生活協同組合コープみらいの反社会的な広告をご覧ください。
http://youtu.be/81EyCIcfMho?list=UUMD829vhByJS8XkCVzfgZEA
______________ 出来の悪い子ほどカワイイというが、もっと愛されてもいい形式だと思う 弁天町では惨めな置かれ方だったが、今度は客車が後ろにいるよな。 機能的に問題がなく生き残ってたら
国鉄末期のジョイフルトレインの先頭にも立たせてみたいところ >>171
大阪駅の福知山線ホームに入れ替わりやって来た
DD54とDF50
SL専門だったのでスルーしていたんだけど
今思うともったいないことをした。 おいらにはあの独特な爆音と2−1−2ジョイントサウンドがもう、、たまんねー
東日本には配置されんかったから、関東の連中にはわかってはもらえんだろな。
西日本でも山陰、福知山、播但沿線と 尼崎〜大阪(宮原)に居た もう50代前後しか
その理解も得れない。故障が多いというのは趣味な人間には全く関係なかったしな。 >>179、>>180
忘れがたき機関アイドル時のあの低周波振動、30Hzのサインウエーブそのもの。
機関出力はあれど、動軸重量4軸で56トンの粘着力不足がたたりましたね。 DD51を箱形にしたDD53のほうがまともに走ったということだから、DD54は時代の最先端を超えていたんだよな。過ぎたるはおよばざるが如しってな。 出雲を牽けば、連日遅延
トルコンショックが大きく、機関車次位の客車に乗ると不快極まりない、未完成の感が大だった
最先端だなんて、とんでもない >>183
衝動がすごかった。
起動時から1速→2速→3速→4速までの全て変速時の衝動。
汽笛が鳴って引き出しでまずドッカーンときてたもの。 >>184
DD54は、日立が主導で開発したDD51に対して、三菱が対抗して開発した
最初の数両で欠陥は判っていたのに、三菱は政治力を駆使して33両も製造した
そんな経緯知って、我が家の白物家電は日立が多く次が東芝、三菱は1台も無い
もちろんハイアールも無いけど 従来の技術をそのまま使うか、組み合わせて使うかしかできないのが、国鉄技術陣だったな。 同時代の誕生で、EF66は20年後に再発注されるほどの成功作
一方、DD54は国鉄DL史上最大の失敗作
全く対照的なのが面白い
2-3両で製造が打ち切られれば、ここまで批判されなかった筈 DD54が鷹取工場へ回送されるときはEH10牽引の貨物列車に連結されて
回送されることもあり、ときにはEH10+DD54+DF50+貨車といった編成も見られた >>185
> 33両も製造した
DD54のラストナンバーは33号機ですか(爆笑) DD51の車体だけDD54デザインにすれば良かったと思う 中身はともかくガワは間違いなくEF66に並ぶイケロコ(←すみません今勝手に作りました)だと思う
京都でDD54⇔EF66のイケロコどうしのバトンタッチシーンが見たかったが、ELの方は地味なEF65 500だった
ELが1000になった時にはもうDD51に切り替えられて居なくなってたのかな… DLのボディは凸型の方がいいと思うのだが、
箱型も支持されてるのか・・・ 前方視界確保の点では、箱型の方が有利なんでは?
高速出さないから凸型でも良いということでは もう2度とDD54みたいな魅力のあるDLは出てこないだろうな。
そのうち出てくるDE10級の中型機もHD300みたいなしょうもない凸型で出るだろうし。
シーメンスのAsiarunnerみたいなセンスはないのかね。 はい、箱形の方が視界確保にはプラスです。
機関車の運転士さんからそう聞きました。 そうだなあ
デザインセンスよりも現場の声だろうなあ DD51やDE10では、3個の変速比の異なるトルコンに
オイルの出し入れを切り替えることによって、動力伝達を行うフォイト式。
起動時は大トルクを得て、低速走行するため、大きな方のトルコンにオイルを満たして動力伝達を行い、
速度が上がるに従って、中速用のトルコン、高速用のトルコンと、段階的に切り替えていく。
使用しない方のトルコンはオイルを抜いて空回しさせている。
フォイト式は複数のトルコンを載っける構造上、構造が複雑かつ大掛かりなものになる。 DD54のメキドロ式では、トルコンを介しながら後ろにある4速の遊星歯車機構で動力伝達を行うタイプだったっけな?
当時の電子制御装置はまだ未熟だったことも有り、大きなシフトショックを響かせながら変速操作が行われる四マツでした。
キハ110系における直結段はトルコンをロックアップした上に、後ろにある直結用の減速機(直結1段、直結2段)を
通じて動力伝達するんだったな。
なお、キハ40系の場合は、直結クラッチでトルコンをロックアップした後、そのままエンジンの動力を駆動軸に伝えるやつだった。 DD54まじカッコいい
こんな車両が走っているところ見たかった
最高! そんなオンボロがHMつけて
ブルトレを牽引してたなんて
奇跡のようですね。 >>206
キハ110と言えば「秋田リレー」廃止後に変速時の 4秒フカシ をやめている
郡山工から何か言われたのかな? この機関車カッコいいね
車輪も2-1-2で珍しいし
走らせないけど、部屋に飾っておくためにNゲージを買いました 引退してから人気が出たようだね
現役時代はデキの悪いドラ息子扱いだったのに たった5年弱で廃車になれば、国会で追及されるのは確実だと上層部でも分かっていたはずなのに。
DD51のエンジンや変速機に載せ換え、廃車電機を流用して電気式に改造しするとか、
廃車にしなくても何かいい方法はあったと思う。 >>206
遊星歯車ってことは車のトルコンに近いのか
>>212
DD51も行き渡ったこともあるし、これ以上金の掛かることは出来んかったんだろうねえ >廃車電機を流用して電気式に改造しするとか、
>廃車にしなくても何かいい方法はあったと思う。
これも同感。
箱型ボディDLが一形式でも永らえてくれれば… >>215
それ等のアイディアを、形式の増加や整備面が云々とゴネては全て潰したのが労組だった訳なのだよ。 当時を象徴するキーワードは「労働強化」
或る意味サボタージュに近いけどマル生運動の失敗から労使の信頼関係が失われた所に色々ややこしいのが入り込んだせいでもある 現実問題、DD54を開発する必要が本当にあったのかどうか疑わしいのも確かだし
DD51に比べていいことは特にないんだから DD51は機関車二台分の機関と変速機を内蔵してるとも言えるのでエンジン周りの整備コストが二倍
そして部品点数にも無駄が多い
と考えられてたんだよ 後にDE50を完成させたんだから、わざわざ海外のテクノロジーを導入して、多額な費用と大変な手間をかけてまでやるプロジェクトに意義があったのかよな
本当に潤沢に金をかける、スタートしたら止まらないバカ役所体質な国鉄らしいぜ 当時はメーカーが自主開発して売り込んでたでしょ
役人体質とかいうなら、それで作ったDE50や、それも面倒だから高くて
取り柄のないDD51を投入しまくったのを批判しろよw 今や日本企業が役人体質
イノベーションできず部門切り売りでガラだけ保つ
第三次世界大戦のきっかけにならなきゃいいが日本 >>204
俺もこどものころよく口真似したが、
誰にも解って貰えず変人扱いされた >>1
DD91とDD54は「日本で走ったマイバッハ」だからな。
創業者のヴィルヘルム・マイバッハは伝説の天才エンジニアであり、
ゴットリープ・ダイムラー、カール・ベンツと並び、ガソリン自動車の発明者の一人に数えられる。
飛行船ツェッペリン号に搭載されたV型12気筒エンジンを製作していたのはマイバッハであり、
これにより世にその名を知らしめることとなった。
第一次世界大戦後は自動車や鉄道車両用のエンジンを製作した。
1935年以降第二次世界大戦終結までドイツ軍戦車のガソリンエンジンは、ほぼマイバッハが独占していた。
DD54に搭載されたマイバッハ開発エンジンは実に多くのヨーロッパのDLに搭載されている。実績のあるエンジンだ。
“870”は排気量を示している。87000ccだ。このエンジンの国鉄名はDMP86Zだ。
過去においてこの排気量数は今もって国鉄、JRでは1機関としては最大のものだ。
・・・・しかもV型16気筒1820馬力だ。
当時の最新メカである、DOHC 6バルブ2サイクル16気筒ディーゼルエンジンだ。
試作車のDD91を開発した1960年代、まだ発展途上国だった当時の日本企業では
ハイパワーのディーゼルエンジン、またそのパワーとトルクに耐えられる駆動系パーツといった
設計・開発、製造をする技術が乏しく、西ドイツのマイバッハとメキドロからの技術供与を受けるしか術が無かったそうです。
まさに当時の日本の技術力では手に負えないレベルの超ハイテクマシンだった。
・・・だからこそ、短命になった。
国鉄も変なこだわりを捨てて、西ドイツ製を輸入してれば駆動軸破損なんて無かったかもしれないのにww 4サイクルじゃね。2ストロークとか酔狂なことに執着するのEMDくらいだろ
ドイツもメキドロ積んだディーゼルないだろ。イギリスにあるけどこれも短命
V160みたいにホイト積んどきゃよかったんだよ。あと変な従輪つけずにDE10と同じ5動軸にしとけば 大出力エンジンを直に伝達する(トルコン挟むにしろ)のって今でもあまりやらないでしょ
大抵発電してモーター駆動にしてる
根本的に無理があったんだろうね >>225
国鉄も変なこだわりを捨てて、西ドイツ製を輸入してれば結構安かったかもしれない。V160形の狭軌バージョンで・・・。
だがE501系や京急の2100系みたいにメーカーが儲けるために車輛は赤字覚悟の値段で売って、
消耗品やメンテサポート料で吹っ掛けられそうだけど ツインカムターボで、FZ750よりバルブ1本多いか
すげえな 国鉄にとっては悲願の「無煙化」
ファンにとっては悲劇の「全廃」 >>229
>>1の車両のエンジンはまぎれもないは幻のエンジンメーカー「マイバッハ」が開発したエンジンだからな。
マイバッハ社はヴィルヘルム・マイバッハが息子のカール・マイバッハとともに1909年に創業した会社だ。
ヴィルヘルムは、マイバッハ創業前にはダイムラー社のエンジン研究者で、ゴッドリーブ・ダイムラーとともにメルセデスの第1号車を設計している。
マイバッハは、歴史的にもダイムラーに近い。飛行機の原点となるツェッペリン飛行船のエンジンを作っていたのはマイバッハ社だ。
1920年代から1930年代にかけてマイバッハ社は超高級乗用車を製作していた。
代表的な車種はマイバッハ・ツェッペリンで、価格は36000RMで、グローサー・メルセデス770(41000RM)に次ぐ価格であった。
マイバッハ社は、メルセデス社とともにドイツの高級車の歴史を担ってきた。
第一次世界大戦後、マイバッハ社は鉄道車両向けディーゼルエンジンの開発にも着手し
ドイツにおける高速鉄道網の発展に貢献。1933年にはベルリン=ハンブルグ間で時速160kmの最高速度記録を樹立するなど、
再び世界の注目浴びることになります。
1935年以降第二次世界大戦終結までドイツ軍戦車のガソリンエンジンは、ほぼマイバッハが独占していた。
1952年のカール・マイバッハの引退を機にダイムラー・ベンツが 50%の株式を所有、
1969年にはダイムラー・ベンツに吸収合併され会社としての歴史は終焉した。
その後身であるMTUは鉄道車両、船舶、軍用車両、産業用などに向けたディーゼルエンジンの製造を行っている。
DF200の初期型エンジンもMTU製である。
2002年、ダイムラー・クライスラー(現ダイムラー)の高級乗用車のブランドおよび商品名としてマイバッハの名がブランドとして復活している。 >>231
敬体と常体の混じった、いかにも頭が悪い人の書いた文章だね。
わざとかな? >>232
「ポンコツDD54を無理やり褒めるスレ」だからだよ。正直言って「マイバッハ」しか褒める場所がない 1992年・・・。日本の鉄路にマイバッハが帰ってきた。それがDF200の初期型です。
国産では大出力ディーゼルエンジンの調達が見込めないと知ったJR貨物は、
新型ディーゼル機関車DF200のエンジンにMTUフリードリヒスハーフェン社製エンジンの採用を決定したのです。
そして、MTUフリードリヒスハーフェンは、DD54のエンジンを開発したマイバッハの後身企業です。
MTU社がマイバッハの直系企業であるとは、鉄道ヲタクでも知ってるものは少数です。
むしろ、今なおマイバッハ=故障しまくりの欠陥機関車DD54の悪印象を引きずっていたため、
JR貨物も、メーカーも、積極的にアピールしなかった、と言うほうが真実かもしれません。
DF200を見たらエンジンのサウンドを聴いてみて下さい。
運がよければメルセデスのブランド品ではない、
まぎれもないマイバッハ直系エンジンのエギゾーストが聴けるかもしれません。 >>234
JR九州のななつ星列車の牽引DLも確かDF200の仲間なんですよね? >>233
そうじゃなくて、君の頭がポンコツって話をしてるんだよ >>236
残念、MTU製エンジンが搭載されているDF200は、初期型の900番台と0番台だけ。それ以外はMTU製エンジンじゃない別メーカーのエンジンを採用。 初期のオデコ2灯はモヤモヤしちゃう(当時の)新性能電機の影響だから仕方ないけど >>240
いや、エンジンが違う
1966年登場のDD54とDF200初期型のエンジンは、
共通点としてマイバッハの設計思想で製作されたということです。
(MTUはマイバッハの社名が変わっただけの会社)
こいつを運転できる奴は日本にはそうたくさんはいない。 >>241
おいおい、DF200とななつ星列車用のDLの違いのことじゃない? >>1
公共交通機関に「エンスー」要らないしwww
日本企業って、アフターサービスを含めたいい製品だったら
国を問わず買っているような気がするんだけど。
日本の鉄道産業、閉鎖的な市場というよりかは国内市場のアホ臭いくだらねえ要求に
応えられたのが国内メーカだけだったというオチに収斂しそうなんだよな
そもそも法人向けは「5年目以降が本当の勝負」だからな。
大規模に輸入した例ってDD54とシーメンスインバータと広電5000ぐらいしか思い付かないけど、
最初のはお察しだし後者二つも結局は新技術の叩き台としての高評価であって
実際の運用上はアレだしなぁ
ヨーロッパから輸入した車両って有能ではあるけど長続きしないイメージ
(混雑するつくば号や東名高速で活躍したけど運用中にサービスエリアで
突然火葬されたメガライナーを思い出しながら) >>236
DD54のは、MTU(マイバッハ)のライセンス品で
MTU製エンジンが搭載されているDF200は、初期型の900番台と0番台だけ。
設計当初はDF200に必要な出力を持つ軽量エンジンを国産メーカーが作っていなかった。
そこで、12V396TE14型エンジンを2基搭載している。
マイバッ直系メーカーが持つテクノロジーとクラフトマンシップの粋を集めた
軽量でハイパワーなドイツ直輸入エンジンです。
だがしかし、DF200の場合は国内代理店の工場に送られてメンテナンスを受けるが・・・。
故障時の対応が遅いだけでなく、高い。
あと噂バナシですが、現在のMTUは船舶エンジンがメインの会社で、船舶エンジンは使い捨てしてポイするのが基本で、
鉄道みたいに数年後とのオーバーホールはイヤな顔するとかしないとか。
代理店経由で本国送りはシーメンス製VVVFの悪夢ですねえ。代理店がタコだとまた悲惨な・・・・。
だから、動けばいいやって理由で小松製作所がエンジンを開発してDF200-50以降からは小松製が主流になった >>225
メキドロ、当時のヘタレ国産ギヤオイル使っていて
トラブルのオンパレードだったら
泣けてくる・・・ 昭和40年代後半くらいの頃。 ミツワ自動車が代理店をしていたポルシェなんかのマニュアルには、
「日本製エンジンオイルを使用した場合は保証の範囲外」ってはっきり書いてあった。
当時の911のエンジンは空冷だったけど、実際にはエンジンオイルの容量が14リットルとか16リットルだった訳。
つまり、実質的には水冷じゃなくて油冷の液冷エンジンだった代物で、その指定オイルが
本国メーカーの指定したBPとかモービルなんかの100%化学合成だった。
・・・その理由を考えれば、当時の国産オイルがどの程度の性能だったかなんてわかるようなもの。 昭和50年代まで日本の市販のギア・エンジンオイルなどはシングルグレードが主流だった。
冬用と夏用で入れ替えていた。車検が短いからそれで問題なかった。
DD54の頃は
ttp://www.komeri.com/disp/CKmSfGoodsPageMain_001.jsp?GOODS_NO=72086
ttp://www.komeri.com/disp/CKmSfGoodsPageMain_001.jsp?GOODS_NO=834344
などのオイルが主流で、冷却水は無濾過の井戸水を入れただけ。
推進軸は石勝線の事故で解明されたけど、車輪にフラットが出来たまま放置したため、
付け根部分が金属疲労を起こして折れたらしい。DD54も推進軸に金属疲労が起こりやすい
構造だったのだろうか? DD54の外形をモデルにEF66がデザインされたっていうのは本当? ややこしい推進軸シャフトやめて、発電機に変えればよかったのにw ED72が一番最初だよね、二枚窓、非貫通、くの字。まぁそれ以前に151系があるんだけど
DD54サッシの前期型の方がかっこいいよな。Hゴムの後期、パノラミックウィンドウならかっこよかったのに
>>247
DD54はレイアウトと振動だと思う。疲労よりも強度の問題じゃね 1964>911型
1966>DD54
1968>EF66
非貫通、前頭くの字、正面2分割窓
ED72と上部2灯のDD541を比較すると屋根の見栄掛りに違和感あり
腰位置のヘッドライトが大事なポイント EF90(EF66901)も1966年だから腰ライトについてはEF90が先行してるんじゃなかろうかと 故障が多発した理由としてわざと壊れるようなエンジン本体の鋼材の配合比率を日本側に伝え、
壊れたところで、本国製の部品を買わせて、ライセンス料と製作料の二重取りを狙ったのではないかという説もあります。
DD54についてすこしまじめに考える
ttp://rajini-mokeisha.cocolog-nifty.com:80/blog/2010/12/dd54-3c13.html 自分は昔、福知山で大勢休車しているDD54を見た。悲しかったね。 >>255-256
実はライセンス生産の内容自体はマトモで機関区の作業員が当時の安物国産鉱物油使ってぶっ壊したというのが真相だったら 泣けてくる・・・ 梅小路のDD54は壊れて廃車にしたんじゃないから整備したら動くかもね。
構内運転でいいからあのヒューーーン音をもう一度聞きたい。 ディーゼル車の動態保存に取り組んでいる博物館は意外とない。
津山もあれだけ揃えて何も動きなし。
まともに動くのは西条のDF50くらい。 マスコンがELみたいにノッチ刻み板付きだったな
51より後なのに、コンパクトタイプにならんかったのが意外 力行出来なくてもいいから、とにかく機関始動してアイドル時の30Hzサインウェーブを
もう一度体感してみたいわ。機関車次位でも鼓膜が震えたあのド迫力アイドル音。 >>259
ディーゼル車用のエンジンオイル、ギア油、ATFの市販品の性能が向上したのって、石原都政以後の話だよ。
慎太郎がパフォーマンスした結果、排出ガス対策、DPF対策をしなければならなかったので、
ディーゼル車のオイルが最新最上級でなければならなくなったから。
性能が良くなったのは、環境対策上の理由が大きい。
ディーゼル用国産油は定価販売で CD 10w-30 しかない状態が平成初頭まで普通だった。
ディーゼル車への排出ガス規制が後手後手になり、緩いまま放置されたのは、
DD54みたいに整備上の問題だった面もある。
因みに、昔のエンジンに最新のオイル使うと、抵抗が少ないために回転数が上がり、
変速機はギヤが入らない、抜ける、滑るという現象がよく発生します。
旧車マニアなら良く知られた話です。
多分、ドイツがら直輸入したオイル使っても、日本の使用環境に合わなかったかもしません。 >>261
>まともに動くのは西条のDF50くらい。
全く動いていないのだが・・・・。 >>261
多度津工場公開で散歩させるだけでもかなりガタが来てたけどね お召し列車牽引した時、変速ショックどうしたんだろう? 人力で克服したらしい。
まあ、後に先にもこれ1回しかなかったから。
ttp://ks-roomette.jp/father/ 今日の朝日新聞京都版にDD54お召しと40号機の写真を載せた記事があったけど余程書くことがなかったのかな。
もちろん切り抜いたけど。 >>272
当時は廃油を処理した再生油だったらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています