ポンコツDD54を無理やり褒めるスレ
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このスレではポンコツディーゼル機関車DD54を無理やり褒めていただきます。 >>127
その通りだと思うけど、DE50用のDMPとトルコンの開発がもっと早く実現
していたら、わざわざDDD54が製造されていた事は無いっしょ?
その辺が悩ましいっすね >>128
うん。あとはドライブシャフトの脱落に注意するくらいかなあ? >>131
そうだけど、優秀なドライバーには優秀なメカが集まるんだよww 機関出力は1820psだね。DD51後期は1100ps*2機
ただ変速機効率の違いでDD54はDD51に迫る性能といわれたようだが、
動輪周出力のデータは持ち合わせが無いので具体的なことは分からん。 あの箱型ボディのデザインは良かったから、
別形式でも構わないから何とか残して欲しかったな。 >>131-132
実際に選ぶのはロードコンディションだったのかも知れない。 >>136
極限までチューンアップされたDD54パワーコンプリートは足回りも厳しく選ぶ
脆弱な新三菱の足回りでは推進軸の脱落など発生しても驚くには値しない
足回りをも厳しく選ぶ、それがDD54パワーコンプリート・・・ >>135
HOゲージ最盛期ならば、カツミ模型からDB54が発売されていたかもね。
俺が乗務していたカマはEB10というEH10の兄弟機だった。 DE50登場の翌年に旧西ドイツで世界初の誘導モーター(VVVF)を使った電気式DLを発表した。
4動軸の標準軌仕様と発展途上国向けで狭軌に対応して6動軸、総重量は確か80t。
DD54を作る(部品を輸入する)予算があったらDE50の実用化に力をいれて
こっちを1、2台試験導入した方がよかったのではないかと昔思った。 日独ともにそれが電車に応用されるようになるまでさらに数年要したんで砂 DD54を40両も造るよりは安上がりだったんじゃないの?という私の浅知恵です。 正面、ステン枠がcoolだったのにHゴムになってマヌケ顔へと後退したのが残念だよね。 三菱と三菱OBによるゴリ押し製造DLのスレはここですか?
ライセンスという事はある程度の受注数が必要だったとか?だから短期間に40両も… マイバッハのインタークーラーターボエンジンのエクゾーストサウンドが忘れられない
福知山の春の到来のサウンドだった 【不買運動】パルシステムは男性を侮辱した女性専用車両広告を使う反社会的企業です
パルシステは女性専用車両という卑劣な男性排除によって生じた女性のみの状態に広告を出して金儲けをしようとする反社会的企業です。
http://www.youtube.com/watch?v=fimLUILsMdI&feature=channel&list=UL
(パルシステの広告)
男性の人権を毀損したこの企業の製品・サービスに対して不買を心がけと情報拡散をしましょう! 車体は格好いいので、台車とともに再利用できればよかったのに。
中身取り替えてでも延命する方法は無かったのかな? >>150
あまりにもDD51の結果が良かったからだろう。 >>150
個人的に
まだ新しかった車体を流用してDD51のエンジンと変速機に交換して運用するじゃまずかったのか?
と思います デザインは別として、あの車体にしても必然があっただろうし、
中は別物といっても無理があったのだろう ドンガラを再利用できなかったのか?っていうのは
別に鉄オタのわがままってわけでもないように思うが
国会であんだけ無駄遣いと突き上げられた以上、
再利用して批判をかわす道を模索しなかったとは思えないからなぁ
検討してみて無理だったんだろうな >>158
さすが、懐かし板だ(w。
どっかからEF63も持ってこないと。 本物のEF63は運転室窓が少し上向いてて空が映ってたが
貫通扉の窓は垂直で相対的に黒っぽく見えた
結果的に抜いてない貫通扉窓は黒塗りでもそれらしく見えた
スレチなので説明はしないw この機関車は前がよく見えそうだな
ディーゼル機関車は真ん中に運転席あるの多いもんな 両数の割には顔付の変更が多いんだよね。
個人的に好きなのはSUS窓枠に腰ヘッドライトタイプかな。 この型?
tp://livedoor.blogimg.jp/kmy050367/imgs/1/a/1ae4c5c8.jpg 機関区の仕業検査台でDD54とEF63を見ている夢みた
乗ったこともないのに不思議だ DD54は小さい頃播但線ですれ違いに見たのが1回あるだけだったが
国鉄的機関車のテンプレをまったく感じない見た目ドイツの機関車持ってきた
かのような威圧感があった
同じく見たことはあるが1回こっきりてのは東海道線でのEH10てのがあったな 万一ポンコツでなかったら最後はどうなってたんだろう。
「出雲」も最後はDD51重連だったしやはり貨物牽引しか役目はなかったか。 性能こそアレだったが、スタイルは本当にスマートで、出雲の先頭に立たせたらそれだけでも絵になった
縦目ライトの顔つきせいかな
あれだけやらせてみたら絵になるから是非と熱望されながらもスルーされ続けたEF66によるブルトレ牽引より
10年以上も前にその役を担っていたが、その日を見る事なく逝ったのが今も悔やまれる
いやマジで京都で展示されて欲しいしされるべき貴重な資料だ
出雲のHMつきでな 浜田機関区見学中に見送った東京行「出雲」
ヘッドマーク付きDD54はかっこよかった。 それでも保存されているのだからいいよね
ED73は一時代を築いた電機なのに、一両の保存車両もない >>170
性能も高効率変速機のご利益で1820PS 1台ながら1100PS*2のDD51と同等の牽引力が出たそうだから十分かと。
問題は国産化設計、製造技術、運用、三つ巴のまずさが負のスパイラルを構成してしまったこと。 【不買運動をしよう!】生活協同組合コープは女性専用車両広告を使う反社会的企業:
差別をしていることによって発生した要件で宣伝して金儲けする。
生活協同組合コープみらいの反社会的な広告をご覧ください。
http://youtu.be/81EyCIcfMho?list=UUMD829vhByJS8XkCVzfgZEA
______________ 出来の悪い子ほどカワイイというが、もっと愛されてもいい形式だと思う 弁天町では惨めな置かれ方だったが、今度は客車が後ろにいるよな。 機能的に問題がなく生き残ってたら
国鉄末期のジョイフルトレインの先頭にも立たせてみたいところ >>171
大阪駅の福知山線ホームに入れ替わりやって来た
DD54とDF50
SL専門だったのでスルーしていたんだけど
今思うともったいないことをした。 おいらにはあの独特な爆音と2−1−2ジョイントサウンドがもう、、たまんねー
東日本には配置されんかったから、関東の連中にはわかってはもらえんだろな。
西日本でも山陰、福知山、播但沿線と 尼崎〜大阪(宮原)に居た もう50代前後しか
その理解も得れない。故障が多いというのは趣味な人間には全く関係なかったしな。 >>179、>>180
忘れがたき機関アイドル時のあの低周波振動、30Hzのサインウエーブそのもの。
機関出力はあれど、動軸重量4軸で56トンの粘着力不足がたたりましたね。 DD51を箱形にしたDD53のほうがまともに走ったということだから、DD54は時代の最先端を超えていたんだよな。過ぎたるはおよばざるが如しってな。 出雲を牽けば、連日遅延
トルコンショックが大きく、機関車次位の客車に乗ると不快極まりない、未完成の感が大だった
最先端だなんて、とんでもない >>183
衝動がすごかった。
起動時から1速→2速→3速→4速までの全て変速時の衝動。
汽笛が鳴って引き出しでまずドッカーンときてたもの。 >>184
DD54は、日立が主導で開発したDD51に対して、三菱が対抗して開発した
最初の数両で欠陥は判っていたのに、三菱は政治力を駆使して33両も製造した
そんな経緯知って、我が家の白物家電は日立が多く次が東芝、三菱は1台も無い
もちろんハイアールも無いけど 従来の技術をそのまま使うか、組み合わせて使うかしかできないのが、国鉄技術陣だったな。 同時代の誕生で、EF66は20年後に再発注されるほどの成功作
一方、DD54は国鉄DL史上最大の失敗作
全く対照的なのが面白い
2-3両で製造が打ち切られれば、ここまで批判されなかった筈 DD54が鷹取工場へ回送されるときはEH10牽引の貨物列車に連結されて
回送されることもあり、ときにはEH10+DD54+DF50+貨車といった編成も見られた >>185
> 33両も製造した
DD54のラストナンバーは33号機ですか(爆笑) DD51の車体だけDD54デザインにすれば良かったと思う 中身はともかくガワは間違いなくEF66に並ぶイケロコ(←すみません今勝手に作りました)だと思う
京都でDD54⇔EF66のイケロコどうしのバトンタッチシーンが見たかったが、ELの方は地味なEF65 500だった
ELが1000になった時にはもうDD51に切り替えられて居なくなってたのかな… DLのボディは凸型の方がいいと思うのだが、
箱型も支持されてるのか・・・ 前方視界確保の点では、箱型の方が有利なんでは?
高速出さないから凸型でも良いということでは もう2度とDD54みたいな魅力のあるDLは出てこないだろうな。
そのうち出てくるDE10級の中型機もHD300みたいなしょうもない凸型で出るだろうし。
シーメンスのAsiarunnerみたいなセンスはないのかね。 はい、箱形の方が視界確保にはプラスです。
機関車の運転士さんからそう聞きました。 そうだなあ
デザインセンスよりも現場の声だろうなあ DD51やDE10では、3個の変速比の異なるトルコンに
オイルの出し入れを切り替えることによって、動力伝達を行うフォイト式。
起動時は大トルクを得て、低速走行するため、大きな方のトルコンにオイルを満たして動力伝達を行い、
速度が上がるに従って、中速用のトルコン、高速用のトルコンと、段階的に切り替えていく。
使用しない方のトルコンはオイルを抜いて空回しさせている。
フォイト式は複数のトルコンを載っける構造上、構造が複雑かつ大掛かりなものになる。 DD54のメキドロ式では、トルコンを介しながら後ろにある4速の遊星歯車機構で動力伝達を行うタイプだったっけな?
当時の電子制御装置はまだ未熟だったことも有り、大きなシフトショックを響かせながら変速操作が行われる四マツでした。
キハ110系における直結段はトルコンをロックアップした上に、後ろにある直結用の減速機(直結1段、直結2段)を
通じて動力伝達するんだったな。
なお、キハ40系の場合は、直結クラッチでトルコンをロックアップした後、そのままエンジンの動力を駆動軸に伝えるやつだった。 DD54まじカッコいい
こんな車両が走っているところ見たかった
最高! そんなオンボロがHMつけて
ブルトレを牽引してたなんて
奇跡のようですね。 >>206
キハ110と言えば「秋田リレー」廃止後に変速時の 4秒フカシ をやめている
郡山工から何か言われたのかな? この機関車カッコいいね
車輪も2-1-2で珍しいし
走らせないけど、部屋に飾っておくためにNゲージを買いました 引退してから人気が出たようだね
現役時代はデキの悪いドラ息子扱いだったのに たった5年弱で廃車になれば、国会で追及されるのは確実だと上層部でも分かっていたはずなのに。
DD51のエンジンや変速機に載せ換え、廃車電機を流用して電気式に改造しするとか、
廃車にしなくても何かいい方法はあったと思う。 >>206
遊星歯車ってことは車のトルコンに近いのか
>>212
DD51も行き渡ったこともあるし、これ以上金の掛かることは出来んかったんだろうねえ >廃車電機を流用して電気式に改造しするとか、
>廃車にしなくても何かいい方法はあったと思う。
これも同感。
箱型ボディDLが一形式でも永らえてくれれば… >>215
それ等のアイディアを、形式の増加や整備面が云々とゴネては全て潰したのが労組だった訳なのだよ。 当時を象徴するキーワードは「労働強化」
或る意味サボタージュに近いけどマル生運動の失敗から労使の信頼関係が失われた所に色々ややこしいのが入り込んだせいでもある 現実問題、DD54を開発する必要が本当にあったのかどうか疑わしいのも確かだし
DD51に比べていいことは特にないんだから DD51は機関車二台分の機関と変速機を内蔵してるとも言えるのでエンジン周りの整備コストが二倍
そして部品点数にも無駄が多い
と考えられてたんだよ 後にDE50を完成させたんだから、わざわざ海外のテクノロジーを導入して、多額な費用と大変な手間をかけてまでやるプロジェクトに意義があったのかよな
本当に潤沢に金をかける、スタートしたら止まらないバカ役所体質な国鉄らしいぜ 当時はメーカーが自主開発して売り込んでたでしょ
役人体質とかいうなら、それで作ったDE50や、それも面倒だから高くて
取り柄のないDD51を投入しまくったのを批判しろよw 今や日本企業が役人体質
イノベーションできず部門切り売りでガラだけ保つ
第三次世界大戦のきっかけにならなきゃいいが日本 >>204
俺もこどものころよく口真似したが、
誰にも解って貰えず変人扱いされた >>1
DD91とDD54は「日本で走ったマイバッハ」だからな。
創業者のヴィルヘルム・マイバッハは伝説の天才エンジニアであり、
ゴットリープ・ダイムラー、カール・ベンツと並び、ガソリン自動車の発明者の一人に数えられる。
飛行船ツェッペリン号に搭載されたV型12気筒エンジンを製作していたのはマイバッハであり、
これにより世にその名を知らしめることとなった。
第一次世界大戦後は自動車や鉄道車両用のエンジンを製作した。
1935年以降第二次世界大戦終結までドイツ軍戦車のガソリンエンジンは、ほぼマイバッハが独占していた。
DD54に搭載されたマイバッハ開発エンジンは実に多くのヨーロッパのDLに搭載されている。実績のあるエンジンだ。
“870”は排気量を示している。87000ccだ。このエンジンの国鉄名はDMP86Zだ。
過去においてこの排気量数は今もって国鉄、JRでは1機関としては最大のものだ。
・・・・しかもV型16気筒1820馬力だ。
当時の最新メカである、DOHC 6バルブ2サイクル16気筒ディーゼルエンジンだ。
試作車のDD91を開発した1960年代、まだ発展途上国だった当時の日本企業では
ハイパワーのディーゼルエンジン、またそのパワーとトルクに耐えられる駆動系パーツといった
設計・開発、製造をする技術が乏しく、西ドイツのマイバッハとメキドロからの技術供与を受けるしか術が無かったそうです。
まさに当時の日本の技術力では手に負えないレベルの超ハイテクマシンだった。
・・・だからこそ、短命になった。
国鉄も変なこだわりを捨てて、西ドイツ製を輸入してれば駆動軸破損なんて無かったかもしれないのにww 4サイクルじゃね。2ストロークとか酔狂なことに執着するのEMDくらいだろ
ドイツもメキドロ積んだディーゼルないだろ。イギリスにあるけどこれも短命
V160みたいにホイト積んどきゃよかったんだよ。あと変な従輪つけずにDE10と同じ5動軸にしとけば 大出力エンジンを直に伝達する(トルコン挟むにしろ)のって今でもあまりやらないでしょ
大抵発電してモーター駆動にしてる
根本的に無理があったんだろうね >>225
国鉄も変なこだわりを捨てて、西ドイツ製を輸入してれば結構安かったかもしれない。V160形の狭軌バージョンで・・・。
だがE501系や京急の2100系みたいにメーカーが儲けるために車輛は赤字覚悟の値段で売って、
消耗品やメンテサポート料で吹っ掛けられそうだけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています