【K・T・R】京王帝都電鉄【K・T・R】-2
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創設期から5000系が優等に割り当てられていた頃までを語ろう。
玉南鉄道や、その他京王に吸収されたとこも可。
前スレ
【K・T・R】京王帝都電鉄【K・T・R】
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220271426/ >>900
あの時点でも一応サハだけ従来と同じ車体で作れたのが意外だった まだ東急車輌だったから出来たことだけど、総合車両になった今ではリピートオーダーも許してもらえないだろうね まぁ、前のと同じだから安く作って、っていうのが断られるだけで、治具とか金型とか初期費用を出すから作って、と言われれば断わる理由は無いような。 妄想を言うのもなんだが
狭軌なら京王線と井の頭線のレールはつながっていただろうし、八王子駅もJRの駅に隣接するような形になっていて新車搬入も八王子経由で行われていただろう 1948年以降明大前付近で連絡線を作れたかどうかは疑問だし
八王子に関しては駅の位置は軌間関係ないだろ >>904 戦前から狭軌だったら御陵線を中央線との交差部分、旧武蔵横山駅の辺りまで復活させて中央線との連絡線を造るというのも考えられる。
ただ、必要性があるかは疑問。この連絡線経由で大月から富士急に乗り入れる列車走らせるなんて、国鉄が首を縦に振らないだろうなあ。 平成初期の混雑対策車としては、京王は5ドアではなくセミワイドドアだったらもう少し違ったんだろうか 仮に京王線の軌間が特殊じゃなければ標準軌か狭軌かというと狭軌の方になっていたと妄想する 当時の軌道建設規定の軌間についての項目ってどうなってたっけ? 地方鉄道法による補助金得られないが、府中まで軌道で建設し新宿周辺は用地取得代節約のため併用軌道にしたということか。
その方が手っ取り早かったんだろうな。 大正8年(1919年)の地図。新宿・調布間全通の4年後。リンクしてクリック。
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?searchMethod=2&zoomLevel=11&listNumber=76-6-2-13#1
この時点で笹塚周辺まで甲州街道沿いはがかなり宅地化されている。まだ小田急開業前だが、代々木練兵場(当時)の西側、代々木八幡辺りは空き地が多い。
京王は小田急と異なり、当時でも主要幹線道路の一つである甲州街道に沿った路線としたから。仮に青梅街道と甲州街道の間、宅地化が進んでない地域を直線状に府中まで行くような計画だったら、専用軌道で造っただろう。その代わり、利用者が少なすぎて経営どん詰まりとなりやすいが。 >>912
専用軌道で作れても西口でしょ?
だったら併用軌道で東口まで行った方が良かったんじゃないか? >>912 東口までもう一本、併用軌道を造れる道路あったっけ?
新宿駅の北側を通る青梅街道には、戦前に既に西武の軌道線(後の都電杉並線)が駅東口まで併用軌道で走っている。
甲州街道か青梅街道にもう1本、併用軌道を増やす余裕なんてない。
小田急も開業当時、東口に駅を置くことを検討していたらしい。青梅街道経由のルートだが、西武の軌道線と路線共用でも考えていたのかね? >>886
不運にもその2両が当該になっちゃったのか…<松本電鉄の実質事故廃車 そもそも当時は鉄道といえば蒸気牽引で、電気で走るのは低速な軌道しか無かったのか。
軌道条例には軌間の規定は無さそう。東京市電への乗り入れを狙った私鉄各社が馬車軌を採用して開業したってことだね。 >>917 今の大手私鉄傘下の路線で東京市電への乗り入れが実現したのは、京浜電鉄(現・京急)の高輪・北品川間の相互乗り入れと、玉電(当時)の天現寺線経由での砂利輸送だけ。
京浜の乗り入れは9年間しか続かなかったし、玉電の方も16年間で終了。京王線に京成押上線は乗入れ構想あったものの実現していない。
京王線も戦前から新宿付近の併用軌道解消、地下化の計画があったわけで、路面電車状態を早期に解消し高速鉄道化することを考えていたようで。 918です。明治後期から大正にかけては1372oで東京市電乗入れの計画が有効と見られてたのだろうけど、昭和初めに地下鉄が開業してからは地下鉄との乗り入れないし地下線による都心延長を真剣に検討し始めたようで。
第三軌条にも対応できる車両が必要となるが、玉電や京浜電鉄など地下鉄乗り入れを考えていた。
その辺で1372oにする必要性が無くなってきたんだろうな。戦後、京王は新宿地下化に昇圧と大規模な改良工事が多かったから、1435改軌は放棄しているが。 戦後の話、現在線の改軌や輸送力大幅アップなどは無理と考え、バイパスとして中央線との中間に鉄道線を新設しようとしたと言えるのが三鷹線・立川線計画ですね。
先日 第二山手線が話題になったが、こちらの「副中央線」が開業してたら?と妄想するのも面白い。 >>908
その場合井の頭線は直接新車入らず京王線お下がりばかりだったかもな。 先に2両が廃車されていた7708Fの残りも廃車された模様
八幡山の留置線が使えなくなったことによる廃車? 後アルピコ交通の京王時代に車体載せ替えした2両だが、別の編成が落雷に遭ったためにそれを廃車することに変更して復活したらしい 更に言えば、今月中に北陸の浅野川線の元3702Fが引退する模様
これで元初期車は1本(浅野川線全体で見ても元京王車は2本)のみになる予定 あの留置線は、将来の高架・複々線のためものもと思い込んでた てか今やってる連続立体化で流用すると思ってたが
わざわざ一度壊して建て直すのは補助金が出るから? 八幡山の引上線を撤去するというのは線路(道床から上)の話で、高架橋(路盤)は再利用でしょ? 複線分の北側が新下り線で、南側は撤去して側道にするかもしれないが、今後の話は板違いか。
懐かし板的には10号線計画の終点 芦花公園駅と、千歳烏山辺りから分岐したかもしれないニュータウン新線の話でもしましょうか? つまり当初は芦花公園まで複々線になる予定だったのか 京王はあの事件の影響で非貫通編成を解消する方向になったのか 6000系→ATC化絡みで全廃
3000系→ATC化/20m車統一絡みで全廃
7000系→非貫通編成解消で今後廃車が進行? 2000、3000、5000は引退後各地に散らばり第二の人生を歩んでるものも多いが
6000、7000は引きが全然ない感じですか 7000系は現時点で廃車された車両は全て側面がコルゲート処理のものであるが、今後の非貫通編成解消に際してはビード処理のものも廃車が出そうだな
特に4両と2両 8000系の様な中間客室化改造はもうしないだろうし >>937
他社の廃車のタイミングと合わなかったのもありそうだが 20m車なんていくらでもあるからな。
台車を履き替えてまで買いたくなる魅力はないよね 6000系、7000系、8000系を一時期並行増備していたのも後の車両計画に影響を及ぼしているような気がする せめて7000系が登場したら7000系に完全に移行、8000系が登場したら8000系に完全に移行、という風にすればもう少し使い方が安定してたんじゃないの? 小田急は8000形〜2000形の時は完全に移行してて前世代車と並行増備は無かった なんで6000が並行増備という結果になったのかも考えないからそんなことが言える というか6000系はセミステンレス車として誕生していれば一番良かった、
それなら1983年頃からの増備車はオールステンレスとなり、
オールステンの編成はVVVF化で長生き出来たろう。
ただこの場合現実の7000系の分もすべて6000系として製造されたこととなるので、
車番が足りなくなりそうだが…
又現実の8000系が7000系を、9000系が8000系を名乗っていた可能性もある。
70年代は東急(総車)以外でのオールステンレス車製造は不可能だったが、
セミステンレスなら不可能ではなかったろう。
京王6000系と同い年生まれの京成3500形はセミステンレスだったしな。 6000
座席長さ…中央部3200mm、車端部1650mm
ドア高さ…1850mm
7000
座席長さ…中央部3010mm、車端部1720mm
ドア高さ…1830mm ドア高さについては車体構造の問題で若干低くせざるのを得なかったかもしれないが それにしても各停と特急で違う車両に拘っていた理由とは… 6000は好きな車だが、擦れ違いの時にドアや窓枠が爆音を立てるのがなぁ。
その辺、7000で改善されたけど、下回りは基本一緒で、台車は他社製の方が良いのは中の人も解っているけど値段が高過ぎて無理、 8000も短期間に140両も増備するとなると変えられなかったんだな。 6000が導入される10年も前から、井の頭線はオールステンレス車を入れた
南海高野線と本線みたいな感じ?
踏切事故、コストの関係? >>954
南海も関係的には近いね、
当時東急(総車)以外のオールステンレス車不可能だったのも影響しているんじゃない? 23年で5形式生まれた南海高野線
25年間同一形式を増備し続けた京王井の頭線 >>951-952
京王7000系初期車や京急800形等、
各停専用という位置付けだったら電機子チョッパ採用しても良さそうな感じだったのに、
そうはならず界磁チョッパとなったんだよな…
メンテ部品の関係とかもあって採用できなかったのか? >>957
電機子チョッパは界磁チョッパよりも高価だったとか 電機子チョッパはどうしてもという会社以外は入れなかったような
国鉄も高価で手を焼いて205じゃ抵抗制御もどきに戻っちゃったし 電機子チョッパは地下鉄というイメージ
だから少数派の私鉄車でプーンカツとか音がすると違和感があった >>956
車体が大きく変わった3F以降
回生ブレーキになった3010系
最初から5両編成のチョッパ電車3100系
軽量車体の3020系
のように分ければ5形式。
細かい事を言い出すのが昔の京王ファンっぽいかな。 今の車はあんまり分けないよねぇ。 今の5000系が30番台になったのは昔の5000系と区別するためだと思うが 都営新宿線が以前はATCの制約があったが、その制約が無ければ新宿線の車両方針の迷走もなかったと思う 動物園線は多摩モノレール開通の影響で減車になったと見られる 動物園線/競馬場線はワンマン運転に転換されたが、転換前は動物園線は新宿への直通も少なくなかったと思われる >>963
優等用新車の計画当時「7030系にすっか?」「いや30番台は地下直でしょ」「んじゃ、7020系」なんて会話をしてたりして。
(8000系が30番台に突っ込んでいることには目を伏せる) >>969
230系は、
昇圧改造した14メートル車の番号どうする
小さいから3桁で
じゃ、デ二 デトの続きで230にしよう、となった 8020は元々13本も作るつもりは無かったんじゃないかなと推測 8728までが(間接的に)旧5000置き換え用
8729以降が6000初期車置き換え用 6000初期車は合理化のために9000登場を待たずに置き換えになったものと思われる 7020が10連化された当初は、就ける運用が少なかったと想像 >>973
非回生抵抗制御車だったからでしょ。
京王は大手私鉄で最も早い1999年に非回生抵抗制御車全廃を完了した。
もう神奈川側の大手私鉄は全て営業車回生車に統一したが。 そもそも京王は車両数少ないからな
V車導入は西武に次いで遅かったけど、100%化は早かった 神奈川側の私鉄は一時期同じ東急だった時代があるから(いわゆる大東急) >>976 それもあるが、最大のターミナル、京王新宿が地下駅でスペースにゆとりがなく一日中混雑、そして笹塚まで地下線だから、駅やトンネルの温度上昇を防ぐ必要性が高かったからでは。
井の頭線はどうなんだ?と言われそうだが、京王線の複々線化を中断させる代わりに、1000系など大型で高性能な車両の大量導入に資金を振り向けたからでは。 でも、都内ターミナル駅の拡張が難しくゆとりがないのが京王の宿命だな。新線新宿ができて幾らか改善はされたが。
京王新宿発の座席指定列車が運行できるとは思わなかった。東武池袋でもやっているけど。 3番線しか8連の入れない時代がダイヤ的にも難しかったろうね 複々線化を断念した代わりに大型化と各停10両化をする事になって1992〜1996年度にコンスタントに車両を新造(8000系144両/7000系40両)した
同時期の小田急は複々線化に投資を集中していたのと既に20m4ドア車に統一されていた事が理由でその時期の通勤車新造は54両(1000形38両/2000形16両)に留まった 1987年頃は、井の頭線は6連化の構想だったとかなんとか 昭和30年代(京王では3000と旧5000を作っていた)当時の関東大手の4ドア新性能車は東武8000と小田急2600だけ 仮に旧5000が20m4ドアだったら2004年くらいまで残ってて、逆に8000の製造数は史実より少なかっただろう(逆に9000は史実以上に増備されていた可能性)し、それこそ複々線化が予定通り行われていたかもしれない >>984 笹塚・調布間複々線化のための土地買収費用及び工事費に幾らくらいかかると思ってる?複々線化のための運賃値上げによる増収分含めても、鉄道事業者だけでは負担しきれないわけで。
ちなみに小田急複々線化で小田急の投資額が3100億円、同社の年間純利益(2016年)274億円の10倍以上。補助金は含まず。電車1両=1億円として、310両新製分に相当。
京王もこれ位かかるんでは。 でも20m車の導入タイミングの違いも影響していそうだし
(小田急も中型の2400は同じ中型の京王旧5000同様に早期置き換えとなった) >>984
5000系全廃後すぐに6000系の廃車始まっているから関係ないと思う。
20mでも非回生抵抗制御車なら早々と置き換えだろ、
6000系1次車はそれが理由で9000系のデビューを待たず8000系増備車に置き換えられたし。
6000系も6734F以外30年以上営業現役だった編成はないし。 >>947
都営10-000が実際そうだったからね
最初はセミステンレス車だったが、1986年頃からは完全ステンレス車体となっていた レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。