分断された路線について
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
加越能鉄道と富山地鉄射水線、静岡鉄道駿遠線など諸事情で分断された路線について。
ベルリン地下鉄や京義線など海外話題もOK. 分断じゃないけど、北陸鉄道の片山津線と山代線が北陸本線動橋駅を挟んで対峙してました。
利用者の便を図るために両線を同一のホームに乗り入れさせたかったのだが
それと実現しようとするとどちらかの線を国鉄線をオーバークロスしなけりゃならんということで
諦めたそうでしゅ。 >>155 福井鉄道も南越線が在ったころは、ソレに近い状態だったけど統合の野望は無かったのかな? 温泉をハシゴする客がそんなに多いの?
北陸本線がまだ非電化の頃、福井と金沢の間を電鉄で結ぼうという構想はあったというが。
路線免許だけなら、東尋坊口〜吉崎〜大聖寺、粟津〜小松は繋がるからなあ。 電鉄が盛んに敷かれた頃の北陸三県の県庁所在都市の地域支配力の低さと来たら、謎だな。
突出した都市が無かったと言うべきか、農村が強過ぎると言うべきか。金沢にしても江戸時代は尾張名古屋に匹敵し関西では京に継ぐ出版文化を誇った筈だが。
平野部の奥行きの狭さが鍵かな。例えば濃尾平野では一宮市が北陸の中堅都市並みの拠点性を備えるに至った他は名古屋の独り勝ちでしょう。
県民性なのだろうな。
どこか一箇所に固まることを好まない性格なのだろう。
地形は関係ないと思うよ。 >>155
名鉄の神宮前は実際に統合やったんだっけ。 >>155
石巻、浜川崎、宇美、道路挟んで別なとこ
神宮前は国鉄の乗り越し線を2度つけかえてる。
分断といえば射水線の分断は無茶すぎる。
迂回させてつないでおこうという案はなかったのだろうか? どっかに射水線のバスがこの3月に廃止になったと書いてあった。
電車で残っていても、50馬力のモーター×2では気が遠くなる
ような遅さだったろう、現代の尺度からすれば。 大湊線下北駅
大畑線→下北交通に転換した時、連絡線ぶった切った。
そのまま廃止になってしまったが、万が一甲種回送なんて事になったらどうしたのやら。 >>1
>京義線
「鉄馬は走りたがっている」という意味の立て看板があったんだよね…
「チョルマヌン、タラゴシッポ」ってハングル表記で。 >>167 そんなモノ、隣接箇所があるなら仮設で亘り線も設けりゃイイだけ。
・・・松電や豊橋はそう。
貨物をやらない会社は、そうそう亘り線とか使わない設備を常設しても固定資産が嵩むだけなんだよ。
そもそもJR自体が甲種回送に両数、高金額とか色々制約をつけて難しくなってきた
最近は、全くJRを使わず完全陸送も珍しくない。 >>149>>150 インドしなの鉄道かと、思たよ。・・・ それを言うなら東武ですら北千住から久喜から伊勢崎から佐野から栃木から
池袋から川越から豚切っちまったからな。 >>169
南海なんて、阪和貨物線休止→廃止で一時期陸送or海上輸送してたけど、
和歌山線経由で甲種再開したけどな。
スレチすまそ。 大井川は金谷駅近くにわざわざ東海道線とのポイントを作って車両入れたよね。
つい最近では西武から購入したE31型とか。 日本人は「3大○○」が好きだからここの人に「3大分断路線」をきいてみたい。
・両側が現役な路線で
・片側だけ廃止&両側とも廃止な路線で
それぞれお願いします。
前者は西宮北口は入りますよね。都市に所在する主力電化路線の直角平面交差でしたから
“分断感”もハンパないですよね。 養老は、分社化前?から既に 桑名も大垣もJRとの亘り切っていたの? >>176 長野新幹線って、信越本線の新線という扱いではないのか?
東海道・山陽や東北、上越にしたって同様だろ。
まあ、「新幹線以外の在来線」の分断という意味では正しいけどね。 >>184
長野新幹線は信越本線の新線という扱いではないよ 信越本線の一部分ではなく、北陸新幹線という別路線だっけ? >>135
大牟田、果ては熊本進出のために目障りな存在だったので買収したということらしいが
買収しなくても当時の九鉄の力であれば十分に南進できたのにね
並行路線を開業させることについて当局はそんなに厳しかったのでしょうか >>190
阪堺電車の時刻表見てると天王寺駅前-我孫子道以外路面電車っぽくないよな 桐生駅の両毛線のホームだけ高架化した頃の足尾線
線路つながってたのかな? 信越本線は切り刻まれてしまったが、
そもそも(上野・大宮〜)高崎〜長野〜直江津〜新潟
を全線通して運行してた時期ってどんくらいあったんかな 能勢電鉄の川西能勢口−川西国鉄前間
元は貨物輸送のため妙見口方面とつながっていたがのちに分断、
単行が1時間に1本も走らない路線になり、そして廃止。 >>197 運転系統上の問題で、線路自体は、阪急今津線とちがい直接繋がっていたでしょ?
じゃなきゃ定期検査に車両運べないし・・・予備の60形と取替えができない。 駿遠線は別会社の路線を繋ぎ合わせて成立したので分断とは違う 近鉄道明寺線と長野線も道明寺〜古市が南大阪線の一部になったから分断されたことになるのかな >>202
道明寺線は間違いなくそう。
現在の近鉄を構成する最古の路線だが。 近鉄伊賀線の前身伊賀電鉄もある意味で伊賀神戸で分断されたといってよい 相鉄線はJR相模線だけでなく小田急線とも分断したんだったな。
(昔は横浜〜本厚木の直通があった) >>103-104>>112
確か5519Fが閉じ込められてたはず
当時は随分勿体ない使い方だなと思ってた
速度も遅い路線なので廃車が近いHLかALでも入れておけば良かったのにと思ってた >>205
西名張の代替地が見つからなかったため、だったっけ? 京阪京津線も昔は京阪本線と直通可能だったけど、昭和50年代半ば頃に分断されてしまった。 >>207
玉ノ井に5500を閉じ込めたのは、保守の都合などもあったのでは?
既に冷房化していたので、暖房車HLを入れるわけにいかなかっただろう
玉ノ井が分断された直後、震災で分断された阪急は孤立区間に新型を入れたが、これこそ保守の都合だ >>208
上野市の車庫は西名張廃止前からあったのでは? >>212
上野市車庫は1964年開設なので、西名張廃止と同時 車庫は街中から街外れに移転するパターンが多いと思うが
ここは逆だったね
それほど広大な敷地ではないから容易であったのかもな 名鉄西尾線も、西尾鉄道サイドからすると分断路線になるわな。
分断される前のことは到底知る由もないが。 もともと線名が違ったから、分断と言えるか知らんが、伊万里駅は見事にぶった切ってるな。 >>211
玉ノ井の5500は5511F5519Fの二本を使用してましたな。
一宮に仮説のピットを作って検査してた。
冷房の問題の他にも、HLの運用がほぼ三河線で車両数の関係も有ったと思いますが、さてさて…。 >>221
仮説ではなく、仮設でした、すみません。 >>218
いきさつを後世に伝えるためには、
西尾〜吉良吉田は西尾線、
新安城〜西尾は碧海線に
すべきたった でも電車が新安城・吉良吉田を直通するなら無意味だな
乗客は線名に由来など求めない
解りやすさ第一 牟岐線
言い換えればJRと阿佐海岸鉄道の線路が切られたんだけど スレタイの「分断」ってすっかり政治用語になっちゃったね 初めの方に出ている富山地鉄射水線などは港の工事のために分断されたというが
海縁を走れないのなら迂回になるかもしれないが陸寄りに線路を付け替える選択肢はなかったのかな >>233
今の万葉線で言えば中新湊-越ノ潟が廃線になっちまうぞ >>235
岩倉からひがし(一宮)およびにして(小牧)への両方向に分岐してる線形なので、一宮と小牧が一本の鉄路で結ばれてるわけではないよ 一宮線と岩倉線の廃線理由が『道路との交差のため』というのがひどすぎる。 15年ほど前、名鉄小牧線を乗り鉄したときに衝撃を受けた光景が
新たに建設している幹線道路を避けるために鉄道の高架化工事をしていたこと。
新設道路なら、道路が線路を避けるのが普通だろうに。
愛知県ってトヨタのお膝元だからか、何でもかんでも道路最優先なのかな、って思った。
そう考えると、>>239-240みたいな廃止の理由もなんとなく理解出来る。 本線や犬山線と比べりゃ「二線級」だしな
後年の上飯田よりマシとはいえ、東一宮は中途半端だったし
22号や41号の建設を名目に、名鉄としても上手く「処分」できた
立体化の費用負担ルールが確立したのは、
堀田や津島辺りの頃?
いや、もっと後だったか? 阪急千里線だってよく淡路で分断されずに済んだなあと。 名鉄三河線も、敷設者である三河鉄道は今のような使い方を想定してなかったのでは? 知立の構造をあんな風に変えてしまったのは名鉄になってからだな >>249
あまつさえ末端区間を廃止してしまってよ
三河線は西中金~吉良吉田だからこそ意味がある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています