国鉄湧網線
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昭和62年3月19日を以て廃止。
今、存続していたら「流氷列車ノロッコ号」を走らせて
いたのでは、などと考えてしまう。 刑務所のイメージが強かったけど、実際に行ってみたら「森と湖と流氷」の
イメージに変わった。 網走駅は淋しいものに変わっていた。
観光案内所は大幅に規模が縮小。
ちょっとした土産物を買えたキオスクもなくなっており、以前はもっと賑やかだったが。
駅前にあったコンビニ(その前は安宿があった)も消えていた。
人口も年々減少傾向にある。札幌1極集中傾向が続いている。
だが、それでも網走は網走である。また、この地を訪れることだろう。 網走でさえこの有り様だから他は推して知るべし
店がなかったら物資の調達もできず暮らして行けない 宮脇俊三氏も大絶賛の絶景路線として記憶しておきたい。 今年の秋は計呂地に泊まる予定
さんご草がみたいけど2週間早いんだよなぁ サロマ湖、能取湖、網走湖と湖に縁が深い路線。網走湖は塩分が薄い。
雨季には崇一郎 海産物美味しいけど
貝類は食べられないんだ、ホモだから (^_^;) 湧網線は自分的に残って欲しかった路線第一位だけど、石北本線の存続すら危うい状況では夢のまた夢だったのだろう
サロマのユースホステルを利用するのに浜佐呂間駅を利用したよ
送迎車がいつも発車時刻ぎりぎりで見学する時間も無かったので、駅についての記憶はほとんど無い 私は「船長の家」という宿がお気に入りですけど、もうとっくに湧網線廃止の後だったんで
残念ながら在りし日の湧網線の姿を知らないまま。ただ、この路線が間違いなく絶景だった
のは想像できます。冬の常呂駅など、是非見たかった。 常呂駅は40歳間近の種村直樹氏が流氷を見て喜びすぎて転倒。掌をケガした場所と
記憶している。 この路線もそうだけど、数々の赤字路線が集中的に廃止されてからもう30年ほど経つんだな
地方都市中心の駅前なども、久しぶりに訪れるとびっくりするほど衰退しているところが多々あって、心が痛む 廃止当日、流氷はすでに消えていた。流氷が見えれば、より劇的だったろうに。 昭和62年は暖冬。名寄本線エリアにも流氷は来なかった筈。 >>123
宮脇俊三氏の『時刻表2万キロ』にも記載があったな
手持ちの74年9月、79年7月の時刻表でも可能。
ただ、80年10月改正で、大雪6号が全区間急行化されたが、それ以降可能か否かは不明 >>128
急行が途中から鈍行に変身するのが、昔は結構あったみたいですね(その逆も)。 なんでloserの将棋ブログあんなに炎上してんの? >>116
湧網線と関係ないけど釧路の寂れっぷりも目を覆うばかり この状況で支那人500万人北海道移住計画があるとは、そら恐ろしい・・ ネトウヨが全員北海道に移住して守ればいいだろ
原野商法に騙されてるだけなのを「中国人が水脈目当てに土地買いあさってる!」と勘違いしてるくらいだもの 卯原内はちょくちょく行ってましたけど、さんご草の季節がなかったのが残念。
しかし素晴らしい景色ですね。 >>148
今、見ましたけど、ホンマ素晴らしい光景ですわ。行くのが大変ですけど、
こういうの見ると網走エリアに住んでみたいと思いますもん。 >>149
良いよね〜
群生地の標識の所が駅だったら
つくづく思う >>86
入場券買った方にホタテ貝の貝殻をペイントした
マスコットをプレゼントしていたんです
来駅証明書と一緒に >>153
計呂地駅前
現在の倍以上の水産加工工場があったので、貝殻の入手は容易だったそう
今の背の低い跨線橋は要らないなぁ 常呂で腹一杯ホタテを食べたことがある。やはりこの地方の特産品。 アサリの味噌汁感覚で、小さな帆立たくさんの味噌汁
大きな帆立はバタ焼きにして、身を食べたら汁にご飯を落としてリゾット! 観光で行くのならいいけど、仕事あるのかね?
役場や農協の職員なればしめたもの、なんだろうけど。農業や漁業の仕事といっても、新人の参入を排除しようとするからなあ リタイアしてから移住するとなると、介護難民必至。田舎は介護労働力不足。移動は車だから、運転できなくなったら在宅死するしかない。 若い頃、常呂で漁師のアルバイトがあるよ、と言われたことがある。 サテライトオフィス
もしくは高級終身介護の保養所を建てれば、家族や若い人たちもくるかな 若者を取り込まないと人口減に拍車がかかるだけだろう。
ただ、都会の生活に疲れた人がこういう地域に旅行すると真逆の世界が新鮮に映る。
旅人転じて住人、というのもあり得るだろう。 >>163
それやって挫折した、移住しようと思ったが現実の厳しさに諦めた、という人が結構いるんだよ 都会人の田舎転出で失敗する例は、田舎過ぎる場所に引っ越してしまうケース。
田舎に免疫がない。住むならば道南当たりのそこそこ便利な所に落ち着くのが
いいんじゃないかと思う。たまに道東あたりへ旅行するというスタンスで。 田舎の人は、意外と都会人を排除しようとするらしいです。
北海道は違うと思いたいですが・・・・・・ 都会人は隣近所にどういう人が住んでいるのか、よく分からない。
そういう点では面倒くさくないとも聞く。 >>153
入場券のオマケは湧別駅でもあったよ(中湧別から出ていた名寄本線の一駅だけの盲腸線)
今じゃ信じられないレベルなんだけど、1日たったの2往復だけなのにれっきとした直営有人駅だった
仕事内容はどんなんだったんだろう
2往復じゃもはや閉塞も要らないレベル 佐呂間町は公共交通の利便性を高くしないと所用客や観光客も来れないからな 今、佐呂間町と湧別町を繋ぐ公共交通が無いのがネック そう言えば少し前に太川と蛭子のバス旅で札幌から網走やってた時に見てたら
湧別から佐呂間方向のバス無いって言われてたけど勇網線転換バス無くなったの? >>169
湧別駅の入場券持ってる(1981年)
せっかくスケジュールを工夫して行ったのに滞在時間が5分くらいしかなかった
宮脇氏のように片道タクシー使えばもっと時間も取れたのだが
大学1年、ティーンエイジャーの自分にはそこまで余裕がなかった 羨ましい話です。乗ったことないですから。
今存続していたら30回は乗った筈ですが。 湧別駅は湧網線ではなく名寄本線
湧網線のイメージが強いのは何故だろう 私の残ってほしかった路線1位だよ
それはこの30年間変わることもなかった
今や石北本線の存続すら怪しくなってしまった
現実は湧網線の存続なんて夢のまた夢だったと思い知る 不便とかいう人に聞くけどさ、一日にそう何本もない国鉄ローカル線って便利だったか?
それ以外にない時代かから選択肢も無かっただけだろ。
そこに暮らす人ならば、自家用車が手放せないのは当たり前だよね?
交通弱者とやらはもっと優れた手段でカバーを考えるべきであって、最も劣る手段である鉄道に期待してはいけない。当然。
必要なのは手段であって、数ある手段の中でも劣る鉄道の出番はどこにもない。
ここを間違えると悪質なクレーマーになると思うよ。 >>180
駅の存在意義は地元住民の寄合でもあるところ
高校生や年寄りが集まることで、ついでの買い物や地域コミュニティが形成されていた。 >>172
結局他の街との行き来がかなり大変になったり
他の街から来る人が来れない事態になって
移動自体を止めてしまうか目的地を別の場所に変える
あってはならない事態になってしまうからな >>184
湧別町には遠軽から中湧別までバス
計呂地などの湧別町内の駅までは町営バス
佐呂間町の駅までは網走からバス
湧別町は救急病院として遠軽へ搬送 スイッチバックの遠軽駅からはあんがいオホーツク海は近い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています