国鉄湧網線
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昭和62年3月19日を以て廃止。
今、存続していたら「流氷列車ノロッコ号」を走らせて
いたのでは、などと考えてしまう。 湧網線は何回も通っていますが、冬場に乗ったことがありません。
夜行「大雪」で遠軽にやってきて、中湧別で乗り換えて乗ることが多く、
肝心の車窓が夢の中なんてこともよくあって、そんなに強い印象が残っていません。
その後廃線になった後で冬場に沿線を旅しましたが、夏場とは全く別世界のような景色に、
存続している時に乗ってみたかったと後悔しきり。
それから毎年冬場には常呂を足場に通ったもんです。
残念ですね。 おいらは逆に1987年2月8日に初来訪
1987年3月19日まで、北海道ワイド周遊券2回買って何回となく乗ったが、ほかの季節は写真でしか見ていない
景色は素晴らしいが、その壮大な眺めに劣らず、壮大な赤字線だったとか 末期は都会並みに混雑していた様子。
今、存続していたら、好きな路線のベスト10にランクインされていたのは
間違いないと思う。 なつかしいね
浜床丹の丘から撮った9600が思い出される 自分は結局末期にしか乗れなかったが、半端ない混雑だったな>湧網線
夜行“大雪”を遠軽で降りたらものすごい人の数で『おまいらどっから集まってきたんだ?』て言いたくなった。
いくつかの駅で乗り降りしてたら、車内で高校時代の同級生にばったり鉢合わせした事もあったしwww。
宮脇さんや種村さんも絶賛してた路線だったんで、観光メインでてこ入れしてたらそれなりに生き延びてたような気は
するんだがな。 たしかにサロマ湖の眺めとかは良かったが、国道も並走してて
鉄道ならではの絶景!って感じではなかった気がする。
四半世紀前にただ一度乗っただけだから、正直あまり憶えてもいないが。 卯原内駅は存続しているのが分かった。
今はどうなってるか分からないが、計呂地駅の跡も残ってた。
秋の、能取湖のサンゴ草の赤いじゅうたんのような風景も格別なことだろう。 >>9
能取湖のサンゴ草は見ていて美しいが、もっと近くで見たいと湿地帯に足を踏み入れたら、
まあ都会では見たことのないような大きな蚊の大群の襲来を受け、
ほうほうの体で逃げ帰った覚えがある!
よく漫画に表現されるような、ホントに“黒い塊”のように襲ってくるんだぞ!
そしてGパンの上からでも容赦なく刺すんだから参ったね。
あれは遠くから眺めているに限るよ。 網走湖→能取湖→サロマ湖、と魅力的な湖を抱えている路線でもある。 常呂駅の裏がすぐオホーツク。種村直樹氏が転倒して手のひらを怪我したこともある。 宮脇俊三氏も大絶賛したくらいだから存続していれば好きなローカル線のトップクラスを占めただろう。 月見ケ浜(芭露〜計呂地)のサロマ湖が
美しかったなあ…。
芭露駅、廃止後20年間は残ってたのに
2006年解体されて、残念。 その芭露駅は95年に通ったことがあった。解体されたとは・・・残念。 常呂の流氷の絶景のあと、サロマ湖にたどり着くまで微妙な間があって、
そこがまた渋い(そうだ) 計呂地駅って客車と駅舎が宿泊施設になってるよね。
バイクでツーリングした時に客車の方に泊まった。 宿泊施設に再利用というのは凄くいいなあ。
旧・湧網線ではないが、渚滑駅跡地で「駅寝しました」という落書きを見た
ことがある。道一つ挟んで、一泊1000円のライダーハウスがあるのだが。 昭和60年2月ごろ一度乗った
ただ白かった印象が強い
中湧別が乗ってサロマ湖から離れて山に入ったあたりで退屈して寝てしまって
常呂付近の流氷見逃した やはり常呂駅付近の冬の流氷が最大のビューポイントでしょう。 キハ22のトップナンバーに乗ったのと、常呂駅でなぜかホタテの貝殻を山のように貰ったのが思い出。
初めて北海道行った時がすでに廃止された後で
綺麗な眺めの湖ぞいに、錆びたレールが草に埋もれかけていたのが印象的。
昨秋、中湧別から網走までたどってみた時に
計呂地の駅長室にも泊まったよ。駅長室の方には温水シャワーもあるし。
あとは佐呂間、知来、常呂、卯原内などを見てきた。 流氷列車ノロッコ号を走らせていたら(網走〜常呂間)超人気路線となっていたかも。 >>25
いや流氷なんて2か月足らずで基本閑散期だし、収支係数が長らく4桁続きの湧網線にあっては根本的な収支改善にはほど遠かったはず
魅力的な路線だったことは事実としても、ローカル線の厳しい現実は見なければいけない 全国で8番目くらいの赤字路線だったからなあ。。。。 最終日のさよなら列車
羽幌線の時のようにキハ27 36を先頭にして欲しかった
実際の両端車両はキハ22 251とキハ56 119 おれ乗ったときは効率重視だったから景色みられなかったな。
もっとゆとりあるプランにすればよかった・・・といいつつ
同じお金払うならば1キロでも多く乗ろうみたいな感じだった
湧別往復して中湧別から網走往復→遠軽にいき「大雪」・・・>< 確か網走駅ホームの端っこ「0番線」から、ひっそりと発車していたローカル線 そうそう、あの時代に遠軽から乗ってくるヲタはほぼ間違いなくそのルートだった。 床丹管理駅長名での駅利用に関するお願いの看板、平成10年秋に駅前にあった西商店で見せてもらったのだが、
こないだ久しぶりに立ち寄ったら、遠軽に転出したよと近所の人に言われ、ショック
切符を販売していた店なので、他にも何か所有していたらしいのだが、今となってはわからなくなってしまった…
寄贈でもしたのかなぁ >>25
その流氷すら、懐かしくなりそうな勢いらしいよ、温暖化で。 朝一で網走から乗って常呂で降り、ここで数少ない9600の
貨物を待つ。鉄橋の向こうに流氷、天気は晴れ 最高の気分
だが列車は来なかった。ウヤだったのか駅で確かめなかったのが
悔やまれる冬の湧網線の思い出。 毛毛毛
毛毛毛毛
毛毛毛毛毛毛
毛毛(´・ω・`)毛毛 >>33
福島の踏切とあるだけで仮乗降場のそばの踏切かどうかはわからないけど、
心霊現象があったという場所にお地蔵様が立ってる。車の窓からも見えるよ。
遅レスですまない。 常呂港、能取で、常呂港のトロというダジャレができた。 改めて路線図を見てみると、駅名が読み難いものが多いね ここも、採算性が無いと判断したら撤退できたと思いますがね 存続を求める地元に対して、経営分析を委託したコンサルから出された報告書をもって
ゼロ回答した初めてのケース
湧網線だけじゃないが、見渡す限りの荒野のど真ん中を走ってる路線が
何の地元負担もなしに維持できるなんて幻想に、
もっと以前から国鉄はNO!と言えなかったのか 地元(選出の政治家含む)の反発が怖くて解析を引き受けないコンサルがあった中で、
よく勇気だしてゼロ査定したんだなぁ 地元の反発の矛先は廃止を決定した国鉄に向けられるのであって
採算性無しとの結果を出したコンサルには向かないと思うが、そうでもないのか こんな風景が昔は道内の至るところで見られたのになあ 鉄道資料等が残っているのは卯原内、計呂地、中湧別だけかな? >>60
昨年計呂地に資料(コピー)を寄贈したら、町でも充実させるかもしれないと仰っていた。
今は自転車やバイクの宿として有名らしい。
寄贈を募るなど、無理の無い範囲で集めていけば観光客も来るようになるかもね >>61
ありがとうございます。 今度行って見ます。 網走から中湧別へ抜ける国道を走ると、勇網線の遺構がかなり残っていて、悲しくなります。
今も列車が運行されていたら、きっと風景の良い路線として有名になっていたでしょうね。 >>61
計呂地に行ってきましたが、冬季休業中ですた。
雪融けしてから、また行ってきます。 >>64
冬季は閉鎖なんだよ、言えば良かったね
中標津のバスターミナル内、資料室なら見せてもらえるよ なんと難読駅の多いことよ
まあ北海道だから仕方ないけど 新設基準だと10億円/kmか。
誰か、90kmくらいポッケットマネーで出来ないか?w
サロマ湖畔の白い高架を 四季島 が走るとか。
もう少しリーズナブルに カシオペア とか。 通しの乗車とは別に、朝に大曲→網走で一度乗ったことあり
大曲のホームはとにかく短かった記憶 お金の面でも、時間の面でも、
最高の贅沢だね
一度やってみたかった 計呂地駅のSL、実働出来ないか専門家を呼んで調べたことがあるらしい。
釜を補修しなければならず、2000万は必要
湧別町でふるさと納税のクラウドファウンディングを企画すれば簡単に集まりそうだけどね。
珊瑚草の海岸線までを走らせて欲しいなあ 冬の湧網線もいいが、秋の湧網線もいい。能取湖のサンゴ草が真っ赤に色ついて、夕方に
なると夕日の太陽に照らされて美しい・・・常呂駅での駅寝は寒かったけど懐かしい。 >>76
計呂地交通公園は今月一杯で、
来年五月まで休みになるよ 湧網線のバス転換後は結構厳しい展開で
本来避けないとまずい展開になったよな
場所によっては陸の孤島になったり
他の街との行き来が極端に大変な状況にされてしまった 鉄道もクルマも使えないとなると
クマの冬眠のごとく積雪期間は自宅に籠るしかないか 石北本線を、当初の計画通り涌網線ルートで建設しとけば良かったんだ。
内陸部に入植した人が提案した山手線と海岸線で競争になり、山手線が軽便規格で作られることになった。
だから本線上にスイッチバックが出来てしまった。 その場合オホーツクやおおとりは北見行きになって結局網走でスイッチバックする事に
まあ路線名的には網走から変わるんだろうが https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1990/13/0/13_0_205/_pdf
この論文に詳しく述べられているが、当時お決まりの政友会VS憲政会の争いの産物らしいですね。
最初は海岸線で決まりかけていたものが、山手線案へと変更された。
「もしも」が通ればローカル線らしさは失われることになるが、現時点でも存在していただろう。 初めて北海道に旅行したのが93年。残念ながら間に合わなかった・・・・・・ 鉄道に関して言えば「昔のほうが良かった」となる。特に北海道。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています