大分交通
大分交通、耶馬溪線、国東線、宇佐参宮線、別大線を語るスレです。 >>98
非電化3線区の中でも国東線が一番鄙びてたという話だ。
気動車客車機関車の陣容も推して知るべし、だろうか。 >>101
普通は神殿のあんなに近くに駅を造るのはNGのはず
宇佐八幡も鉄道に投資してたんだろうか 神社や寺院が地元有志に求められて出資することはあったと思う。
特に田舎の場合には。
参拝客の増加にも繋がることが期待できるし。
ただ宇佐の場合は、伊勢神宮と同様、そんなことをする必要はなかったかもしれない >>102 国東線だけ極端に鄙びてたワケじゃないでしょ。動車数も総車両数も耶馬溪線と対等に600形だって入ったし・・・
宇佐参宮線は規模の所為もあるのか業務成績が悪く途中で動車数を削減された。
市街地の路面電車の別大線は、別格として・・・。 >>106
宇佐参宮線はいつ頃から赤字になったの? 九州で最後に観光に行ったのが大分
大分交通の定期観光バスに連続で乗ったけど
ガラガラで可哀そうだった
でも運転手もガイドさんも凄く良い仕事してたよ
2日連続の運転手さんは百戦錬磨のブラインドタッチ運転
1日目のガイドさんは百戦錬磨の話し上手な「東洋の魔女」
2日目のガイドさんは新人で緊張してたが「博多人形みたいな佐賀っ子」
特に好印象だったのは新人ガイドの人かな
ガイドの話を一生懸命聴こうと思ったのは初めてだった 宇佐参宮線はすでに昭和30年には下り坂だったらしいよ 日祝しか運航されていない耶馬溪観光に
一度行ってみな
風光明媚だしガイドさんは高卒1年目の
博多人形みたいな激白平安美人だぞ 西鉄系だったのに、観光バスの塗装は、国際興業の塗り分け色違い・・・何故に?
国東線、宇佐参宮線廃止後 最後に残った耶馬溪線に古いクルマも含め必要数以上に車両を集めたのは何故?
耶馬溪線で使うにしても 国東線に居た分の600以外そのまま使う見込みないし・・・
旧型DCは、機関が共通で予備品になるかも知れないが、そのうち骨董価値の出そうな古典客車や旧型GC機関撤去の客車などは、回送費用、保管経費、固定資産を考えたら不経済だったような・・・
廃止後に車庫をスグ明け渡したり、解体都合(設備、環境)でもあったの?それとも古いクルマもまさかの転売計画?
・・・まあ いずれにしても余剰とった古いクルマでも、なるべく大事に活用しようとした姿勢は経済性はともかく好感が持てる。 >>109
路線が短すぎたからね。
なんとしても高田から国東方面には延ばしておくべきだった 大分交通と北陸鉄道
なんか似てる
向うは鉄路は残っているが 万田抗楽しかった
筆頭の遥ちゃんガイドも良かったけど
いずみちゃんの「震える声オドオドガイド」は最高だったぞ
甲乙つけがたいが51対49で加藤に軍配かな >>112
でも当初の目的が宇佐八幡の参拝客輸送だとしたら、宇佐−豊後高田は蛇足じゃなかったのかな >>115
それこそ短すぎて鉄道の存在意義が薄まってしまう ほほうこんなスレがあったのか
高校三年間耶馬溪線上ノ原から中津まで通学で利用してたわ
もうその頃は野地までになってたが。
600は新しくて好きだったなあ 紀州鉄道での乗車体験でしかないが、
床が板張りだったのが印象深い 別大マラソンで思い出した。日豊本線の車窓から国道との間に廃線跡が並行して
たかすかな記憶は別大線か?
その後のマラソン中継では、通過した客車列車の荷物車のドアが空いて乗務員が
手をふるシーンがあった。 昨日
地元OBSで創業120年記念の番組やってた
鉄道部門も一通りしてた 国東線の跡を辿ってきた
杵築バスターミナルから奈多辺りまでが
橋脚とか一番色濃く残ってた
今まで生き残ってたら大分空港シャトルとかで
そこそこの規模になってたのかなと
妄想してた 1960年代の九州には島原・大分・南薩の非電化私鉄が点在していて楽しかったね
大分はJR(国鉄)ローカル線の廃止は僅かだったけど私鉄は壊滅的だった 非電化区間は元より期待してないが、別大線は残してもらいたかった
また、残す価値がある路線だった 鉄研の旅行でお世話になった中津のNPOの方にうかがったところでは
朝の一、二便は通勤通学でそこそこ乗ってくれるにしても
他は空気輸送で、早晩ダメになると見られてたそうだよ
昭和40年代になって急に減ったとか マイカーの普及と、道路の整備が原因だな
大分含む九州地方で1960年代後半からの約10年で舗装率が3割から7割に急上昇した
東北北海道と違って冬季の積雪がないのが
有利に働いた >>126
当時は乗って残そう耶馬溪線!みたいなムーブメントを起こそうと言う発想はなかったかあ
行政が補助金出すのも制約多いしね 別大線の黒字で他の線を養うやり方は無かったのか‥‥?
別大線が行政の要請で廃止させられた経過も納得し難い 高速バスは速くて快適
80のところとか120でてそう 高速道路のパーキングエリアで我が物顔でゼブラゾーンにとめるなよ。
しかも他の車が通るところでベラベラ喋ってよ。
悪い大人の見本だな。 >>126 耶馬渓線、国鉄乗り入れの計画、構想なんてなかったのかな?
耶馬渓の観光地があるし、桜や紅葉のシーズンだけでも。筑波鉄道のように国鉄の客車をDLで引っ張るとか。 >>133
車輌規格的に入れないんじゃね?
そもそもあのあたりは中津自体が中心だし
大分だと80kmくらいあるし キハ28、58も乗入れ運転してたんだな。耶馬渓線内では速度出せなかったのだろうけど。 耶馬渓線跡の自転車道は全国トップクラスだ
景色もいいし、勾配も意外なほど緩やか
ちと長すぎるのが欠点か >>129
納得したくないのは利害関係者とマニアだけでしょう
利用客はバスで代替できるのなら何の不都合もなかった 耶馬溪線の最期の頃、乗り合わせた車両の室内灯が玉切れになってしまって乗務員があわてて取り替えてたが
あとちょっとしか使わないのにな、とポツリ。
グッときてしまった。
今となっては形式さえ覚えてない
紀鉄に行ったやつか、廃止と共にお釈迦にされたやつか。 紀州鉄道に移ってからしか知らないが床が板張りで歩くとミシミシ音がした
キハ600 2月のマラソン大会のテレビ中継ではありし日の別大電車が紹介されるのがお決まりだったが
いつしかそれもなくなった
大分に路面電車が走ってたことを知る人も少なくなり始めてると感じる だってもうすぐ廃止から50年経つんだもの
そりゃ知らない世代も増えるわ >>144
職場は変わったが車番も色も変わらずに半世紀以上走り続けてきたのは奇跡 あれはナンバーを変えたり色を塗り替える手間さえ省きたかったのが本音
ほどほどに動けば良いという基準で出物を探してた 地方私鉄の車両図鑑のような本で、キハ600は
当時としては見た目はまあまあ近代的だが機構的には一世代前の古いものと紹介されていた 気動車が小さい客車を引っ張ってる姿がとてもシュール >>152
それがつい10年ほど前まで普通にお客を運んで走ってたんだから ドアが閉まるのがすごくゆっくりなのが2chのスレはもとよりNHKのテレビ取材でも取り上げられていたな<キハ600 次の日曜のマラソン中継で別大電車の在りし日が紹介されるかな
昔は定番だったが取り上げられなくなって久しい
今年は廃線50年 >>152
総勢4両だが第二の職場を得られたのは2両だけ
車齢はまだ若かったが性能が過渡期的と見られたので
買い手が付かなかったのか キハ600より別大線の戦後新製車の方がもっとたくさん引き取られて良かったはずなんだが
岡山へたったの二両しか行けなかった 1067ミリ軌間がネックか
九州一円は西鉄北方以外はすべて1435ミリ
高知か松山にも引き受け枠があれば良かったが‥ 熊本電鉄に広電宮島線や筑豊電鉄の様な車輌政策が有れば
受け皿に成っていたろうに
実際は南海和歌山軌道、呉市電、下関山陽電軌等の廃止で
狭軌車輌はダブ付いてたからなぁ 南海和歌山は車体が小さくて収容力に欠け、ここからの中古に手を出した伊予鉄が後悔したという
別大電車ならキャパシティも十分なのに 大分→松山なら海は渡るが和歌山から取り寄せるよりも近いね 耶鉄日田と耶鉄森(豊後森の付近)まで有ったのはいつまで。 >>171
なんとも縁起の悪い地名での大事故
現代の基準だったら抑止かかってただろうか そう思う
あとはハード面の整備として危険個所に防御フェンスなど造ることだが
自然の力は人知を越えることが往々にしてあるから… >>172
耶鉄日田や耶鉄森の正体がよくわからない
Google検索でもろくに情報がない 「耶鉄」を駅名に冠せるということは同名の駅との混同を避けるため? 耶馬溪線
中津-大貞-洞門-羅漢寺-耶鉄柿坂-守實-耶鉄日田
└┐
耶鉄森 >>181
それは行政に言ってね
大分交通は何も悪くない 要請しただけで受け入れるかどうかは会社次第じゃないの