懐かしの雲仙・西海、阿蘇・くにさき
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彗星に乗れた時の嬉しさは格別だったな
本物の寝台車だし 彗星って芸能人には嫌われていたらしいからな
彗星のごとく現れるというイメージもあるけど
すぐに消えてしまうイメージもあって 芸能人は乗りたがらなかったらしいわ
スレチすまない >>853
確かに新幹線博多開業前までは、583系オンリーだったw
このスレにある新幹線博多開業の3急行設定で成長したが、国鉄大幅値上げ・旅客離れで
衰退の一方だった。 >>855
中坊の頃、乗り物は鉄道と飛行機以外酔いまくっていたのだが、
九州旅行の計画を立てた親父が、
行きの大阪~長崎以外、全行程を観光バスとフェリーにしようとしたんで、
親父、せめて帰りの別府〜大阪だけは寝台にしてくれ、
と頼み込み、何とか許可を得たことがあった。
まだ新しい2段B寝台に乗って、心の中で手を合わせたのも遥か昔。 くにさきって大分ついたら
乗換はいなかったな 他優等列車に >>857
宮崎方面は後続の「にちりん」だったような。
この山陽夜行急行が健在の頃も、大分〜宮崎と、八代〜西鹿児島は急行の本数が少なく、
周遊券利用客には泣き所だった。 >>859
むしろ小倉・大分間の普通列車の少なさが今では考えられない
当時は単線だったしな 正月とかのUターンは、客は疲れている
寝台ではないでギスギスしたムードだったな
阿蘇 大雪?
後に、500番代改造で、「大雪」に使用されたと思うけど。 雪での遅延はあったな
くにさきが 52年の冬の下り
柳ヶ浦で1時間半停車 それでも払い戻しにならない2時間以内に到着して
逆に客に文句言われていたな
大雨の時とかも 国鉄は、とにかく二時間以内の遅れで運転する努力は凄くやっていたな。 んで客が不満顔で駅員に詰め寄ると
夜行列車の場合は特にだった
特急・急行関係なく 大阪では新快速に抜かれて文句言う客もいた
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Rock54: Caution(BBR-MD5:fc5433912aa55592f73f2dda4d43bdf8) 小倉と博多の間は今はなき特別快速に邪魔者扱いされていたし
博多で追いつかれていた その点 くにさきは割と余裕あるダイヤだったな 日豊本線内は 当時は単線だったからね
にちりんの追い抜きはなかったし 小倉から大分のほうがスピード出していたような
くにさき 雲仙・西海も長崎本線 佐世保線に入ってからのほうがスピード出ていた
ような どうせ肥前山口で解結・待避で長時間停まってたんじゃねーの むしろ下関と門司駅の機関車取り換えが時間掛かっていたような 併合は時間かかってただろ
相手待って、客車ごと転線してたんだから 14系になったときに自由席と寝台車も連結しても良かったのでは >>890-891
当時あかつき・明星が一部14系で運転されていたから、本数をまとめれば不可能でもなかった。
ただ583系の明星・彗星も、一部寝台をセットせずに座席指定で運転してたから、夜行の座席需要を
読み切れなかったかもorz >>892
寝台をセッテングする人が足りなくて、座席で走らせていたと聞いた。 人手不足ならゆうづるみたいに
編成丸ごと座席車で運用するんじゃない?
1両や4両だけ座席車というのは旅客の
選択肢を広げるためかと思ってた。 ガキの頃めいせい(変換されん)の座席仕様のに乗ったけど、乗り心地悪かったな。向かい合わせになったリーマンさんが、
「こっち側に脚を伸ばしていいよ」って気を使ってくれたけど、ボックスのみんな、ほとんど寝れなかったよ。
彗星だったかもしれん。 関西〜九州の内海フェリーと対抗していたので、寝台では料金的に拮抗できず、
ハザなんだよ。 連休中は混雑していたな
ただし明星とか彗星の切符取れなかった客で不満ぐうたら
寝られないとかで 寝られない原因は、簡リクにも原因があったけどな。
夜中にずっと、ばったん、ばったん、たまったもんじゃなかったよ。
安眠妨害。 >>901
長崎佐世保の港まで直通してなくてもフェリーはライバルになりうるわな 関西九州西部の夜行列車にとって
瀬戸内海フェリーは競合相手になりうるの? >>905
なりうるよ
門司に着いたら好きに長崎まで移動すりゃいいだけ >>909
お前がな
乗り換えの方が便利な場合だってあるんだぜ なんで「居ない」って断言するかね。
ここに門司上陸ルートを年1で実行しているもんがおるんだが。
港に着いたら駅までバスで送ってもらえるから大して面倒でもない。
博多まで出て高速バスで安くいってもいいし、JRなら途中下車できるから太宰府や武雄温泉なんかに立ち寄っても面白い。
旅ってのは効率だけが要素じゃないんだよ。 車利用ならフェリーに乗るのは充分ありと思うけど、
徒歩での利用は少数だと思うよ。 >>912
必死になって否定する理由を知りたいね。 普通にフェリーから鉄道乗換なんてないわ
九州方面で長崎方面に行くのに
居たらそのデータ出してよ 変なのが必死になって
否定するからじゃね
データ出せとか言うし この時代にユーチューブがあったら撮影してかも
前面展望ではないが くにさきが国東と書くことを知ったのは小6のときだった 「さいかい」と変換すると、最下位が出て来るくらい、西海はマイナーな名前である。
「西海」がでてきたところで、一体どこの海なのか普通は、分からない。
まあ、西の方じゃないの?いいんじゃね?
トンヘの西じゃね?そんな、感じ?
で、普通は終わるよね。
だから、終るわ。 >>924
東京では、そんな細かいこと習わなかったな。
普通の中学では、そんな無名な湾のことを習わない。
長崎ローカルのことじゃないの? >>924 それは大村湾ないし佐世保湾ではないのか?
西海国立公園や西海市はあれど、西海湾という地名はない。 ないだろうけどさ、西海って名前を付ける時点で推して知るべしなのでは 大阪・佐世保間の急行で平戸もあったが、松浦線には乗り入れないんだし。
弓張や九十九島は九州以外では知名度が低い。終点、佐世保は長崎ほどの観光地ではない。
西海が最も無難ということなんでは。 そりゃわかるわ
西海なんかどこ行くのかわからなかったし 大分行きに「九重」の名称がつけられなかったのは何故だろう。
九州島内の急行として短期間、この名称で走っていたが長続きしなかった。
国立公園の名称にもなっているし、観光地としての知名度は高いはず。国東半島は国定公園だからな・・ >>933
九重は阿蘇と比べるとマイナー過ぎて、関西人もどこへ行く列車か分かりづらいからでは?
でも新幹線博多開業で「阿蘇」「雲仙・西海」は名称を存続させたのに、「くにさき」だけ
何故名称を変えたのか?
「べっぷ」のままで変更しなくて良かったと思うが、大分市の感情が嫌がったのか? スレチではないだろうが
ただ関西から大分方面は彗星も含めて早くから客はフェリーにとられていて
閑散期の平日はガラガラで車掌に聞いたら、みんなフェリーに乗ってしまいますと語ったと
宮脇先生の本にあった 当時から船にとられていたのか
お客さん マイカー族って昔から居たのかね あと日豊本線方面は、飛行機に対しても不利。
本州から宮崎・大分は、飛行機の直線距離が福岡や長崎より短いので、通常運賃が割安。
なので国鉄大幅値上げ後の「彗星」で関西〜大分・宮崎は、飛行機より高額だった。
そして日豊本線は単線区間がほとんどなので、スピード面でも不利だし。 大阪港の近代化で1965年に弁天埠頭が開業して約10年が関西汽船別府航路の黄金期だな。
新婚旅行ブームもあって昼行便も設定されていたし。
衰退の原因は、直接的にはやはり75年の新幹線博多開業。
あと大阪の港湾地区の都市計画が迷走し、
フェリーターミナルを辺鄙な南港へ持って行ったのも旅客メインの航路にはマイナスだった。 今は夜行バスしかないから
客足奪い返しているよ 関西汽船
スレチすまない 弁天町の内回りホームに立ち食いそばがあるのは
弁天埠頭の名残り。 >>946
そいや大阪〜博多のムーンライト無くなったんだっけ。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。