【うんたん】運炭線の思い出【うんたん】
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国鉄ならば歌志内線から夜須原線まで
旅客輸送も熱かった夕張鉄道等も。 # 角田線の電車について少し
ttp://wapedia.mobi/ja/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E7%82%AD%E7%A4%A6%E6%B1%BD%E8%88%B9%E5%A4%95%E5%BC%B5%E9%89%84%E9%81%93%E7%B7%9A?p=3 新二岐駅分岐 角田炭砿(株)専用鉄道 新二岐 - 角田坑 (4.6km) 1934年4月1日 - 1970年
北炭角田砿への専用鉄道で、石炭輸送のほか、夕張鉄道から客車を借入れ旅客輸送も行っていた
1949年から1965年6月19日まではDC600Vで電化され、元旭川市街軌道の路面電車(1929年川崎車輌製半鋼製単車)2両が新二岐駅 - 事務所前駅間で通勤輸送用に使用された
角田も北炭系列だったんだ。
鉱区全域を掘りつくしたわけじゃないのに閉山。 後に東幌内炭鉱と一緒になって北星炭鉱となったが、B6や8100の活躍した反対側の美流渡も北炭だな。 >>103 >>104 >>105 レス有難うございます。
しかし、国鉄線と連絡しない山間部の街に数キロをたった2両の電車のために、変電設備まで調達し電車を走らせるとは、・・・・
幾ら駅間の短い小区間運転向けとはいえ、既存の蒸気列車で事足りるような・・・
ココに限らず、一時期 地下資源産業に所(松尾鉱山・軍艦島 等)は、本当に羽振りがよかったんですね。
三井美唄の職員さんで、昭和25年頃、
給料が3ヶ月位毎に上がったなんて話もあったり
ttp://www.sorachi.pref.hokkaido.jp/so-tssak/html/kioku/kioku_case_shigoto_rodo2.html まあ朝鮮戦争による好景気って要素もあるがそれはインフレじゃないんだろうか? >>111
三笠トロッコ鉄道
ttp://www.karamatsu-train.co.jp/mikasa/mtr.html
三連発すまんね >>114
ボディーは骨董品、足回りは手造り。まあ大変。 >>114
「札幌から車で40分」なところに鉄道廃線が当然だった臭いを感じるな
岩見沢からバス30分三笠市民会館より市営バス乗換8分って書いとけおw >>59
羽幌炭鉱鉄道の8620形SL「58629」は、2009年の6〜7月頃解体。 Googleストビュー・三井芦別鉄道・炭山川鉄橋付近?
43.480486,142.168891 >>95
こういうのもうんたんの史料だ
ttp://www.youtube.com/watch?v=ubapfNXOIUc どなたか九州の貝島炭坑にいたアルコとコッペルのその後を教えて下さい。
昔、筑前宮田から歩いて炭坑へ行ったら各2台元気に活躍してました。 >>123
真谷地と夕張。DL+貨車+SLでドラム缶に突っ込み炎上した夕張21号は、
しっかりと栗山に保存されている。 夕張・大夕張・真谷地・鐵原(運炭じゃないけどコークス運んでた)と貝島にかろうじて間に合いました。
いい写真は撮れなかったけど日本の産業を長く支えてきた石炭産業の繁栄の最後の姿を目にdけいたのは貴重な
経験でした。 岩見沢の元町方面石炭置き場線へトラ+DE10がゆっくりのそのそ行くのを見たことある。 九州の炭標、札幌局の石炭車票について、ご存知の方はいらっしゃいませんか。
wikiレベルの情報しか持ち合わせていません。
色々調べているのですが、資料にたどり着けすら出来ないといった状況です。
歴史、標記の意味、様式の変化等を知りたいのですが・・・。
ご存知でしたら是非教えて下さい。 唐津線西唐津の先、大島まで行っていた線。
港のところでは高架になって石炭を船に落とすようになっていた。
西唐津には9600が12両いたな。 石炭車
ttp://www2.ocn.ne.jp/~iseskido/kasya7.html 北海道や筑豊の炭田の運炭線、佐世保あたりの運炭線は比較的記事になったりブログになるけど、唐津あたりの炭坑はあまり取り上げられないね
廃線関連の本でもあまり取り上げられない気がする
もともと資料が少なかったのだろうか BS1で放送された『思い出の鉄路』が次の通り放送されるようだ。
NHK総合 2月13日(日=土曜深夜)午前2:40〜3:00 「北海道編T(手宮線・夕張
鉄道・美唄鉄道など)」、午前3:00〜3:20 「北海道編U(三菱大夕張鉄道など)」。
いまNHK見たら過去のNHK特集やら新日本紀行の蒸気のカット
流しまくってるな
つか、今C62 2とC62 3のニセコの空撮でてた さらば蒸気機関車だったな。
これには山口百恵も乗車してた 次は折尾か
新JR直方駅舎完成
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/239667
1910年建築の旧駅舎は、市が5月から約2カ月をかけて
構造や材料を調査した上で解体される見通し。跡地には、
西鉄バスやJRバスなどが発着するターミナルが造られる。
香春も放火されてなければ、今頃は...
JR採銅所駅舎保存へ
ttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/news/20110523-OYT8T01295.htm >>148
何かのDVDのやつですかね?いい映像。 もし戦後の石炭産業黄金時代が昭和50年ごろまで継続していたら
夕張鉄道は全線の電化くらいしてかも。
ただし旅客列車はすぐにECに置き換えられるが、貨物列車は国鉄より遅い時期までSLが使用されるか >>152
その場合、運炭廃止(平成改元のころ?)の時点で
沿線開発が期待できる野幌〜南幌間は存続したかもな。場合によってはJRとの相互直通もあったかも。 >154
国道の切り替えは来年以降に延期だって@大夕張掲示板 >>152
勝田線はかろうじて特定地方交通線の基準を回避できれば(77~79年の基準値でもまだかなりの運炭があったと思われる)
通勤路線として大成長して、電化や地下鉄とのドッキングもあったかもな。 >>156
勝田線自体の貨物なんて、たいしたことなかったはず
優良炭の志免炭鉱は香椎線支線の酒殿志免短絡線がメインだったらしいし、
その短絡線も、末期は本州からの自動車運搬のク5000が主だったらしい 思い出じゃないが、羽越本線の羽前大山から、竹野浦というところまで
戦後一時期、運炭線が出ていて、B6が活躍したそうだ。
農地整理でもされたのか、跡形も無い。 ttp://www.youtube.com/watch?v=5kNDrWbisUk >>120
コッペルが筑前宮田駅近くに静態保存されている姿を1980年に見たけど、その後は知らん。
長井鶴への路線跡には、2011年の今でも遺構が見つかる。
これ(↓)は、八木山川を渡っていた橋の袂の遺構。
http://2ch-dc.mine.nu/v2/src/1323392747174.jpg
>>152 夕張市が、まだ破産していない。
定鉄との札幌急行電鉄構想が実現していたかも。
夕張は札幌の通勤圏内になっていた。 >>165
夕張は微妙だけど栗山まではなっただろうね >>120,164
なんかよくわからんけど1台は直方の石炭記念館に持って行かれて安泰
1台は筑豊本線の脇から町民グラウンドに移されてその後どうなったのか知らん >>155
結局12月16日で道路切り替えになった。
新道以外は一切除雪してないし、どこだかの補強のために旧道が一部埋められるとか。 原作の脳内イメージ1コマをよくここまでネタにしたものだ。 STV(札幌テレビ放送)のDVD「スイッチバック〜北の鉄道〜」第3弾の発売 芦別油谷炭鉱資料
ttp://yuya.saloon.jp/ 貝島は国鉄蒸機消滅後、いつごろまで健在だったっけか。 >>183
あの大きい立坑櫓残ってれば文化財級だろうな リリー・フランキーの本「東京タワー」にでてくる、小学生の頃の話。
友達とうんたん列車に忍び込み、
友達が死にそうな目に遭った場面。
あれは貝島の長井鶴らしい。 貝島といえばあの事故
門鉄局の機関区立ち入り制限にも少なからず影響あったのかな。 平成24年8月18日(土)、正午前後から30分程度。
KBC九州朝日放送でリリー・フランキーが宮田町を訪ねるという内容の番組をやる。
鉄道の跡も訪ねるらしい。 ちょっと蛇足
戦前の北海道関係映画フィルム〜No.6「北海道の産業 工業及鉱業編」〜
http://www.youtube.com/watch?v=qnU3kk8ri1s うんたん列車って9600とかD51牽引の700t-1000t単位が大多数だというイメージあるけど
小規模炭鉱からのうんたんだと二軸石炭車四両程度を30t級Cタンクで牽引とか
(船木鉄道)日鉄自凸型電関で牽引とか(旧宇部電気鉄道)混合列車に併結とか
(室木線)とかがあるけどあれで収益出たのかな? 東北だと宮脇俊三が1945年8月15日前後に乗った山形交通尾花沢線が
亜炭輸送を主な目的にしてたよな >>193
俺も亜炭積載の貨物列車を見たことがあるけど、
道外禁止のセキだと、「だたんだたん だたんだたん」っていう音も
亜炭だと積載量が軽いのか走行音も
「あたたん たんたん あたたん たんたん」 って軽く聞こえる。 三菱大夕張鉄道保存会のCDはお薦め!素人の録音だが3軸ボギー客車の走行音
や、国鉄最後の蒸気列車貨6788列車の発車シーン等、人々の息遣いが聞こえてくる
くる時代の記録となっている。 戦後昭和30年代に、そもそも幾ら炭鉱事業の羽振りよかったといっても
何故鉄道車両の動力を石炭(SL)から軽油(DC)に改めたのだろう?
その時点で自分達の産業の行く末や将来性に関係者は、疑問を薄々感じていなかったのだろうか? >>199
関係者を馬鹿だと思ってるだろ?
石炭産業の行く末は戦後すぐから大問題だよ。 >>201 馬鹿とまでは云わないが、そのときの稼ぎを将来を見越した投資をおこなったり、
石炭を石油のように使いやすい資源に加工する手段の開発を模索するとか・・・。
常磐炭鉱みたいに新規事業をはじめるとか・・・・ いよいよ解体ですか。
JR折尾駅、解体前に調査
ttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/news/20121112-OYT8T01243.htm ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています