【うんたん】運炭線の思い出【うんたん】
国鉄ならば歌志内線から夜須原線まで 旅客輸送も熱かった夕張鉄道等も。 鉄道ファン(交友社) 通巻412号(1995年08月号) 探そう探そうと思ってて、まだ見つけてないや。 藤田炭鉱・北拓炭鉱専用軌道(北海道猿払村)が載ってる号らしいけど。 私鉄では珍しかった、C56の同形機、雄別鉄道の1001号… 見たことはないけど… ,r;;;;ミミミミミミヽ,,_ ,i':r" `ミ;;, 彡 ミ;;;i 彡 ,,,,,、 ,,,,、、 ミ;;;! ,ゞi" ̄ フ‐! ̄~~|-ゞ, ヾi `ー‐'、 ,ゝ--、' 〉;r' `,| / "ii" ヽ |ノ 't ←―→ )/イ ヽ、 _,/ λ、 _,,ノ|、  ̄//// \、 /N::::_:::::/::| ` r ' //:/: ‐く うんたん♪ うんたん♪ ` /::::::://:::/:::::| >< /:::丁´:::::::::::::V゚}∩ * /::::nんh_::∧:::::}/八. ∨::::::」::::::::::〈ヽ.ノ///〉 . /:/| ! // 〉:::::>ヘ.ノ八 ソ::::{::::::::::::/:::} っ //:::::::\__ノ〉::〈:::::::|/ ∧〉::::〉::::::::/::::∧ , ィ´ /:::::::::::::::::::::/::::::::\::! /:::::>'´::::::::/::::/:::い.ノ):〉 !:::::::::::::::::::/:::::::::::::::::ヾ厶イ:::::::::::::/:::/:::::::ヽノ:/ |::::::::::::::/ヽ:::::::::::::::<>:::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::::/ * `ー七:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::/ //:::::::::::::::::::::::<>::::::::::/::::/ ヽ:::::::::::/ /⌒〈:::::::::::::::::::::::::::::::::::イ::::::::/ `ー‐' * 夕張は国鉄と私鉄両方があっただけでなく 両方に有料急行が走っていたんだな。 http://nrb-www.mlit.go.jp/Air/photo400/76/cho-76-2/c3/cho-76-2_c3_38.jpg この時点で弥生炭鉱、奔別炭鉱のホッパーが残っているが、幾春駅別構内に入る直前、 貯木場線が分岐する付近にコンクリートの構造物が、これもホッパー? 万字線を撮影にいったとき、見慣れた九州の石炭車に比べてでかいことに驚いた。 三井芦別のC58同形機は 船底テンダーの戦後型がモデルだったが やはり給水加熱器が無かった。 もしこのスレが1000まで逝ったとして、 うんたん♪の元ネタがアニメのけいおん!だったって覚えてる住人、 そこ頃にどのぐらいいるだろう? 左利き用のエレキベースが日本中の楽器屋で品薄になる原因を作ったアヌメ 俺が間に合ったのは夕張・大夕張・真谷地・貝島ぐらいだったなあ。まあそれを体験できたのだからよしとしようか。 筑豊に行けばごまんと見れたのになぁ…30年くらい前だが。 路線がそもそも運炭線がルーツってのもあるし(添田、上山田、幸袋線等) >>22 長井鶴に居たお弁当箱みたいなアルコがいいんだよね。 昭和32年10月改正の列車運転時刻表の歌志内線に 「歌神炭鉱側線分岐点」「歌志内炭鉱側線分岐点」があるけど、どういった施設だったんだろう? >>6 国鉄からはちろくを譲受したのは羽幌炭鉱鉄道。 >>7 C58がいたのは天塩炭鉱鉄道。 北海道や九州もいいですが、昔の常磐線も川尻(現十王)〜内郷の各駅から運炭線 が分岐していましたよね。石炭専用線には国鉄から直接、水戸機関区や平機関区 配属のハチロクやC50などが入線していたような。過去に十年くらい前かな?鉄 ピクに特集が組まれたしね。 >>27 「蒸気機関車」誌上に掲載された「重内炭礦専用線」のレポートが印象的でしたね。 >>10 幾春別に、おととしくらい行ってきたけど 駅周辺はまったく跡形がなかった... 奔別炭鉱のホッパーは残っていたけどね... 常磐炭鉱は地元の人が出した 集大成みたいな本が最近出たと思う 炭鉱じゃないけど、個人的には電気機関車使っていた鉱山が気になるね 五能線のどっかに金属鉱山ですごいとこなかったっけ? スレ違いになるがけいおんってP-MODELが以下略 >>29 なにって・・・運炭に悶える少女じゃないか。たぶん俺たちと趣味が合うぞ。 常磐地方で運用された国鉄の石炭車って、軌間に落とすヤツだったんですか? >>30 五能線にあったのは八森。G=610だったので。 >>33 九州や北海道では、専用の石炭車(セキ・セム・セラ)が使用されたけど、 常磐だけは、最後まで普通の無蓋車に石炭をバラ積みして輸送していた。 基本的に(当然例外もあり)石炭車は炭鉱から積み出し港へ石炭を運ぶものですからね、 常磐炭鉱なんかは無蓋車で消費地直送だったでしょうし。 石炭車は、北海道向けのは石灰石運搬用のホッパー車のように 線路の左右に積み荷の石炭を落とせるようになっていた。そして 九州のは、レールとレールの間に中身を落とすような構造だった、で桶? 石炭車は物資別の専用貨車で、石灰等に転用された例はあるけど基本的に石炭しか積まない。 煮降しには大掛かりな設備が必要で、事実上港湾に限られる。だから石炭車のみの専用列車を組む場合が多い。 無蓋車は石炭も積めるというだけの汎用車。特殊な荷降し設備がなくても対応できるので小口顧客向け輸送に向いている。 と、いう事でしょ。 だから戦時中に筑豊から本州の需要家へ直送することになったときは石炭車ではなくトキ900になった。 需要家は石炭車でこられても対応できないから。 アメリカのストラクチャキットの定番にコールデポというのがある。 日本と違ってアメリカでは石炭車の荷降し設備が、簡単なものだが石炭問屋ごとにあったらしいんだな。 だから戦前のアメリカの長い長い貨物列車には石炭車がポツリと一両か二両混じって連結されていたりする。 小口顧客向け輸送も石炭車で行っていたわけだ。 消費量の差もあったんだろうが、商習慣の違いは面白い。 こんなところにまで、けいおん!厨房が沸いているのかね? ならば、私が始末してやろう。 見せてあげよう。宇宙戦艦日光号のイカズチを! そろそろ北海道の保存機関車たちもビニールシートに身をつつむ季節… >>3 雄別のC56、あれ1941年の三菱製ですね。国鉄のC56は最終番号のC56160が1939 年の川崎の製造であり、そのあと2年後に、天下の三菱がD51なんかの製造で 忙しい最中にたった1両だけというのはなにか不自然さを感じます。 雄別炭鉱は当時も閉山時も三菱の傘下にあったわけですが。 その辺、何か事情があるのではないでしょうか。例えば、軍関係の注文流れと か。ご存知のかたいらっしゃいましたらご教示下さい。 ちなみに、C56はその後、日車が樺太向けに4両製造していますが。 この前、古い友人に会ったのだが、何故か中間〜水巻間の運炭線(廃線)の研究に ドップリと漬かっていた。 本来、鉄分が全くゼロな奴だったのに、何が彼を突き動かしたのかは本当に謎だ。 話を聞いてると内容は、この運炭線限定なのだが濃い〜事、濃い〜事。 自分は元から鉄なんだが、これにはちょっと引いたw 日炭高松ですね。あそこの頃末の車庫、一度だけ行ったことがあります。 もう5700はなく、C11とC12だけでがっかりした。今なら贅沢いうなという ことになりますね。木造の客車もありました。かなり強烈な客車でした。 48様のご友人と一度お話がしてみたいですね。 三菱夕張の客車は5両すべて形式が異なっていたんだよな。 茨城県北部からいわき市にかけてのエリアは運炭線が無数にあったんだな 遺構はあまりないみたいだが >>50 客車といえば、三井奈井江の客車がよかった。6両くらいあったか、すべて、美しく 整備された木造ボギー客車でした。いわゆるブドウ色のきれいな塗色でした。 ちょっと脱線しますが、客車の塗色ということで、やはり木造やリベットのゴツゴツ した初期の鋼製客車はあのブドウ色が一番いいように思います。一部の私鉄などでは いろんな色を塗ったとこもありましたが、どれも私的には×でした。 スカ色の木客なんてまったく何を考えてそうなったのかなどとおもいます。せっかく 貴重な古典客車を。 オレが高校生の頃は石炭列車の末期で当時は幌内無き後、それ以北で残るは空知炭鉱・住友赤平だった。 毎朝、ED76+50×4と光珠内で轟(ぶぉぉぉぉぉ!)音を立ててハイスピードで走るDD51牽引の石炭列車とすれ違ってた。 国鉄/JR線内での石炭列車の牽引機って、動力近代化以降はDD51のイメージが強くて 電機牽引列車って輸入炭専用列車以外ではピンとこない。 末期の三井三池からのセラだとED76だったっけ? >>54 ED73-1000だったよ。 赤間で特別快速の通過待ちで止まってるのを良くみかけた。 >>54 常磐線だと主に内郷機関区のED75初期車やEF80が充当されてた 夕張鉄道は若菜〜夕張本町を電化して、夕張市内便(67年の旅客列車削減までは多数あった)を電車化する構想があったらしい。 羽幌のハチロクや昭和のクラウスが残っているのはなにげにスゴい。 石炭の行き先だが、江別火力発電所の車両ヤードが当時6線くらいあっただろうか。 セキが並んでるところを337から見えたりしてた。 江別駅西の貨物留置線にセキがいたりもした。 江別王子製紙工場線を含めて、車両が走行していたりする画像(無煙時代)はネットでは見たことないんだよなあ。 誰かうpして欲しい。 リアルで操業中の炭鉱を見ているのは空知炭鉱、三井上砂川、住友赤平、北炭幌内、北炭真谷地、北炭清水沢 閉山直後のは北炭夕張新、夕張2は見た記憶がある。美唄の常盤台や我路の廃アパート群も小さい頃ながら強烈だったな。 意外と走行中の石炭列車の記憶はなかったりする。 電機牽引の石炭列車なら新日鐵のくろがね線にも走ってた。 積み荷は石炭じゃなくてコークスだったかもしれないが、D級の凸型か箱型の電機と 貨車はホッパ型だったりトラ型だったり。 それと、最後尾には緩急車代わりのD級凸型DLをぶら下げた編成がデフォだった。 今や単線化され運行本数も激減してしまって、本来の鋼さい運搬列車中心になったが、 昔は茶色い電機に牽かれた貨物列車が製品や鉄くず等の原料を積んで頻繁に行き かってたもんだ。 ごくマレに人車らしき謎の車両や、トラに作業員を乗せた除草作業列車とか珍しい 列車も走ってたり。 旭川市高砂台、ニュー温泉 三井芦別、C58-2 昭和24(1949)年汽車会社、 舟底テンダー、昭和45年退役 うんたん♪ http://www5f.biglobe.ne.jp/ ~kousha-_-/clip2/img/1148.jpg 室蘭本線苫小牧〜岩見沢も電化する案があったというのだが真偽不明。 運炭鉄道で使用された蒸機については、諸先輩のみなさんがたの手で、いろいろと 発表されてもいますが、ここにいた客車たちについてはあまり発表されたものを見 ません。わずかに地方鉄道となった線区については、P誌の私鉄車両めぐりに記載 が見られる程度です。 私はそのほんの一部を見ただけですが、美唄や大夕張のようなれっきとした鋼製客 車もあれば、明治の面影をつたえる木造客車も、またどうも自家製らしいなんとも 珍妙な車両もありました。 どこかの雑誌などで、これらをまとめた記事がでないものでしょうか。 やるとすれば、P誌か、R誌あたりでしょうか。 やるとしたらRMライブラリーかな ピクトリアルで特集を組むにももう昔の話になりすぎた なぜプレスアイゼンバーンのレイル、北線路を読まない? 門司港のセムフは端の方過ぎて観察するのが大変。 他の車両の位置を詰めてもう少し手前に持って来て欲しい。 それと、現在は全車山側からしか見れないけど、海側に猫走りみたいな観覧スペースを設けて欲しい。 現在の展示方法だと足回りや床下の観察が困難なので。 セムフの床下をもっと良く見たい! 三井芦別鉄道は旅客輸送にかなり力を入れていたな。 旅客列車が30分間隔で走り、都市鉄道並みの短い駅間距離と芦別の市内線としても機能していた。 三井芦別の蒸機はDLに駆逐されたんじゃなく、当時すでに 産炭量が減少趨勢にあったからなんですね… >>74 私が書き込んだ不謹慎な書き込み…。 こりゃ、削除を喰らうと、やっぱり悪いことは出来ません。 ※私は削除されるとおとなしくなります。 ttp://www.kajima.co.jp/news/digest/jan_2009/tokushu/toku01.html 沼田町昭和 廃墟写真で有名な昭和のアパートの現役時代と思しき写真があったので。 鉄道からは外れるけどすまんね。 九州の炭鉱各地にあった電化炭鉱構外軌道も気になるね あとネット上では佐賀県の炭鉱はなぜか情報が少ない 日炭高松炭鉱はものの見事に跡形無く、消滅しましたね... 炭鉱跡の保存状態がいいのは九州だと筑豊よりも大牟田だと思う あと宮古島の炭鉱軌道の詳細もさっぱりわからんな.... しかしいまだに炭鉱への補助処置がずっと取られていたらどうなってたんだろう? 近代化されているのかな 三井三池とか10年も使用しなかった最新の炭車もあったんだよね もったいない 環境問題で、石炭使用自体が止めさせられるだろうから、助成は途中で打ち切りかと。 >>80 いまだに輸入炭を大量に消費しているのにそれは無いだろう ifを妄想するには面白い題材だと思うぞ 一昨年見にいった めったに走らないと聞いていたので動いているのを期待していなかったが、 なんと日曜日にも関わらず港で石炭を落としているのを見て感動してしまった 日本で石炭岸壁残っているのってあそこだけじゃないかな 昭和30年代石炭景気に沸き 羽振りのよい北海道の私鉄各社は、こぞって ディーゼル車の導入を始めたが、その事実を鑑みて(石油資源の利便性)も自分達の将来の暗雲を予見し 設備投資を控え、他事業転業を何故 早くから模索しなかったのかな・・・。 現在でも石炭は多量に輸入されている。夕張等の原料炭は海外炭との価格競争に敗れた >>90 価格交渉で資源メジャーに振り回されてる現状を思うと、石炭政策の転換は果たして正しかったのかどうか…… 鹿ノ谷に夕鉄の庫が残っているけど、ここを拠点に動態のSLを走らせて欲しいものだ >>92 残念ながら 今の夕張にそんな、エネルギー(人材・財源)無いんじゃないのかな・・・ もし定鉄と夕張の札幌急行電鉄が実現していたらどうなったかな。 石炭で寂れるにしても利便性向上でココまで、衰退しなかったと思うのは希望的推測かな。 夕張鉄道が途中駅 新二股で接続していた 角田炭鉱専用鉄道ってどういう存在だったのですか? あまり情報がないのですが・・・。 一般旅客営業はしてなかったのですか? 旭川市街鉄道の電車が持ち込まれたようですが、使った((国鉄から分岐した夕張鉄道線の沿線途中山間部?で(何故に必要性があり・・・)単独で電気運転してたのですか?)) >>101 通勤「電車」があったようですね。 ttp://blogs.yahoo.co.jp/ooyubari9201/folder/488584.html このスレに出てくる「チンチン電車」がそうでしょうか http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/4406/1112403541/l50 # 角田線の電車について少し ttp://wapedia.mobi/ja/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E7%82%AD%E7%A4%A6%E6%B1%BD%E8%88%B9%E5%A4%95%E5%BC%B5%E9%89%84%E9%81%93%E7%B7%9A?p=3 新二岐駅分岐 角田炭砿(株)専用鉄道 新二岐 - 角田坑 (4.6km) 1934年4月1日 - 1970年 北炭角田砿への専用鉄道で、石炭輸送のほか、夕張鉄道から客車を借入れ旅客輸送も行っていた 1949年から1965年6月19日まではDC600Vで電化され、元旭川市街軌道の路面電車(1929年川崎車輌製半鋼製単車)2両が新二岐駅 - 事務所前駅間で通勤輸送用に使用された 角田も北炭系列だったんだ。 鉱区全域を掘りつくしたわけじゃないのに閉山。 後に東幌内炭鉱と一緒になって北星炭鉱となったが、B6や8100の活躍した反対側の美流渡も北炭だな。 >>103 >>104 >>105 レス有難うございます。 しかし、国鉄線と連絡しない山間部の街に数キロをたった2両の電車のために、変電設備まで調達し電車を走らせるとは、・・・・ 幾ら駅間の短い小区間運転向けとはいえ、既存の蒸気列車で事足りるような・・・ ココに限らず、一時期 地下資源産業に所(松尾鉱山・軍艦島 等)は、本当に羽振りがよかったんですね。 三井美唄の職員さんで、昭和25年頃、 給料が3ヶ月位毎に上がったなんて話もあったり ttp://www.sorachi.pref.hokkaido.jp/so-tssak/html/kioku/kioku_case_shigoto_rodo2.html まあ朝鮮戦争による好景気って要素もあるがそれはインフレじゃないんだろうか? >>111 三笠トロッコ鉄道 ttp://www.karamatsu-train.co.jp/mikasa/mtr.html 三連発すまんね >>114 ボディーは骨董品、足回りは手造り。まあ大変。 >>114 「札幌から車で40分」なところに鉄道廃線が当然だった臭いを感じるな 岩見沢からバス30分三笠市民会館より市営バス乗換8分って書いとけおw >>59 羽幌炭鉱鉄道の8620形SL「58629」は、2009年の6〜7月頃解体。 Googleストビュー・三井芦別鉄道・炭山川鉄橋付近? 43.480486,142.168891 >>95 こういうのもうんたんの史料だ ttp://www.youtube.com/watch?v=ubapfNXOIUc どなたか九州の貝島炭坑にいたアルコとコッペルのその後を教えて下さい。 昔、筑前宮田から歩いて炭坑へ行ったら各2台元気に活躍してました。 >>123 真谷地と夕張。DL+貨車+SLでドラム缶に突っ込み炎上した夕張21号は、 しっかりと栗山に保存されている。 夕張・大夕張・真谷地・鐵原(運炭じゃないけどコークス運んでた)と貝島にかろうじて間に合いました。 いい写真は撮れなかったけど日本の産業を長く支えてきた石炭産業の繁栄の最後の姿を目にdけいたのは貴重な 経験でした。 岩見沢の元町方面石炭置き場線へトラ+DE10がゆっくりのそのそ行くのを見たことある。 九州の炭標、札幌局の石炭車票について、ご存知の方はいらっしゃいませんか。 wikiレベルの情報しか持ち合わせていません。 色々調べているのですが、資料にたどり着けすら出来ないといった状況です。 歴史、標記の意味、様式の変化等を知りたいのですが・・・。 ご存知でしたら是非教えて下さい。 唐津線西唐津の先、大島まで行っていた線。 港のところでは高架になって石炭を船に落とすようになっていた。 西唐津には9600が12両いたな。 石炭車 ttp://www2.ocn.ne.jp/~iseskido/kasya7.html 北海道や筑豊の炭田の運炭線、佐世保あたりの運炭線は比較的記事になったりブログになるけど、唐津あたりの炭坑はあまり取り上げられないね 廃線関連の本でもあまり取り上げられない気がする もともと資料が少なかったのだろうか BS1で放送された『思い出の鉄路』が次の通り放送されるようだ。 NHK総合 2月13日(日=土曜深夜)午前2:40〜3:00 「北海道編T(手宮線・夕張 鉄道・美唄鉄道など)」、午前3:00〜3:20 「北海道編U(三菱大夕張鉄道など)」。 いまNHK見たら過去のNHK特集やら新日本紀行の蒸気のカット 流しまくってるな つか、今C62 2とC62 3のニセコの空撮でてた さらば蒸気機関車だったな。 これには山口百恵も乗車してた 次は折尾か 新JR直方駅舎完成 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/239667 1910年建築の旧駅舎は、市が5月から約2カ月をかけて 構造や材料を調査した上で解体される見通し。跡地には、 西鉄バスやJRバスなどが発着するターミナルが造られる。 香春も放火されてなければ、今頃は... JR採銅所駅舎保存へ ttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/news/20110523-OYT8T01295.htm >>148 何かのDVDのやつですかね?いい映像。 もし戦後の石炭産業黄金時代が昭和50年ごろまで継続していたら 夕張鉄道は全線の電化くらいしてかも。 ただし旅客列車はすぐにECに置き換えられるが、貨物列車は国鉄より遅い時期までSLが使用されるか >>152 その場合、運炭廃止(平成改元のころ?)の時点で 沿線開発が期待できる野幌〜南幌間は存続したかもな。場合によってはJRとの相互直通もあったかも。 >154 国道の切り替えは来年以降に延期だって@大夕張掲示板 >>152 勝田線はかろうじて特定地方交通線の基準を回避できれば(77~79年の基準値でもまだかなりの運炭があったと思われる) 通勤路線として大成長して、電化や地下鉄とのドッキングもあったかもな。 >>156 勝田線自体の貨物なんて、たいしたことなかったはず 優良炭の志免炭鉱は香椎線支線の酒殿志免短絡線がメインだったらしいし、 その短絡線も、末期は本州からの自動車運搬のク5000が主だったらしい 思い出じゃないが、羽越本線の羽前大山から、竹野浦というところまで 戦後一時期、運炭線が出ていて、B6が活躍したそうだ。 農地整理でもされたのか、跡形も無い。 ttp://www.youtube.com/watch?v=5kNDrWbisUk >>120 コッペルが筑前宮田駅近くに静態保存されている姿を1980年に見たけど、その後は知らん。 長井鶴への路線跡には、2011年の今でも遺構が見つかる。 これ(↓)は、八木山川を渡っていた橋の袂の遺構。 http://2ch-dc.mine.nu/v2/src/1323392747174.jpg >>152 夕張市が、まだ破産していない。 定鉄との札幌急行電鉄構想が実現していたかも。 夕張は札幌の通勤圏内になっていた。 >>165 夕張は微妙だけど栗山まではなっただろうね >>120 ,164 なんかよくわからんけど1台は直方の石炭記念館に持って行かれて安泰 1台は筑豊本線の脇から町民グラウンドに移されてその後どうなったのか知らん >>155 結局12月16日で道路切り替えになった。 新道以外は一切除雪してないし、どこだかの補強のために旧道が一部埋められるとか。 原作の脳内イメージ1コマをよくここまでネタにしたものだ。 STV(札幌テレビ放送)のDVD「スイッチバック〜北の鉄道〜」第3弾の発売 芦別油谷炭鉱資料 ttp://yuya.saloon.jp/ 貝島は国鉄蒸機消滅後、いつごろまで健在だったっけか。 >>183 あの大きい立坑櫓残ってれば文化財級だろうな リリー・フランキーの本「東京タワー」にでてくる、小学生の頃の話。 友達とうんたん列車に忍び込み、 友達が死にそうな目に遭った場面。 あれは貝島の長井鶴らしい。 貝島といえばあの事故 門鉄局の機関区立ち入り制限にも少なからず影響あったのかな。 平成24年8月18日(土)、正午前後から30分程度。 KBC九州朝日放送でリリー・フランキーが宮田町を訪ねるという内容の番組をやる。 鉄道の跡も訪ねるらしい。 ちょっと蛇足 戦前の北海道関係映画フィルム〜No.6「北海道の産業 工業及鉱業編」〜 http://www.youtube.com/watch?v=qnU3kk8ri1s うんたん列車って9600とかD51牽引の700t-1000t単位が大多数だというイメージあるけど 小規模炭鉱からのうんたんだと二軸石炭車四両程度を30t級Cタンクで牽引とか (船木鉄道)日鉄自凸型電関で牽引とか(旧宇部電気鉄道)混合列車に併結とか (室木線)とかがあるけどあれで収益出たのかな? 東北だと宮脇俊三が1945年8月15日前後に乗った山形交通尾花沢線が 亜炭輸送を主な目的にしてたよな >>193 俺も亜炭積載の貨物列車を見たことがあるけど、 道外禁止のセキだと、「だたんだたん だたんだたん」っていう音も 亜炭だと積載量が軽いのか走行音も 「あたたん たんたん あたたん たんたん」 って軽く聞こえる。 三菱大夕張鉄道保存会のCDはお薦め!素人の録音だが3軸ボギー客車の走行音 や、国鉄最後の蒸気列車貨6788列車の発車シーン等、人々の息遣いが聞こえてくる くる時代の記録となっている。 戦後昭和30年代に、そもそも幾ら炭鉱事業の羽振りよかったといっても 何故鉄道車両の動力を石炭(SL)から軽油(DC)に改めたのだろう? その時点で自分達の産業の行く末や将来性に関係者は、疑問を薄々感じていなかったのだろうか? >>199 関係者を馬鹿だと思ってるだろ? 石炭産業の行く末は戦後すぐから大問題だよ。 >>201 馬鹿とまでは云わないが、そのときの稼ぎを将来を見越した投資をおこなったり、 石炭を石油のように使いやすい資源に加工する手段の開発を模索するとか・・・。 常磐炭鉱みたいに新規事業をはじめるとか・・・・ いよいよ解体ですか。 JR折尾駅、解体前に調査 ttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/news/20121112-OYT8T01243.htm 岩波新書 「追われゆく坑夫たち」 昭和35年刊 取材場所と時期はレイル16号北九州の専用鉄道に重なる。 末期症状を示し始めた中小炭鉱の労働の実態、閉山とは具体的にどうなるのか。 写真に写りこんでくる人々の身の上について、今までは全くの無知であった。 もうセラ、セフの群れに呑気な気持ちで手が出ない。 鉄道史に切り込んでゆくときには時折起こる出来事だが、どうしようか。 >>204 岩波独特のスタンスというかバイアスを考えて読んだ方が良いよ。 _,. -???- 、 /: : ‐: : : : : : :‐- 、: :\ /: : /: : : : : : :\: : : : \: :\ /: :/: :.|: : : : : ! : : : \: : : :.ヽ: : ヽ /: /: : 八: :!: : :|\: : : : ヽ: : : :',: : :.', ,': /ニ7⌒!:.!: : :| ⌒ : : : : : : : : |: : : :! /: :.|: :./ V\: ! ヽ: :!: :.|\|: : : :.\__, /: : :ハ: :| ヾ ∨!∨: : : : : : : : :ヽ /: : : : :.V:! x=ミ x=ミ. !: : : : ハ: : : : : :.ハ /:/: : : : /: :! 、、 、 、、 !: : !: : :!: : : : : : :.} // |: : : /| :八 - 、 ,ィ: :/: : /: :ハ: : :|V {! 从: i'´ ̄::::>、 `ー ' イ!V /: : /: / |: :/ _人_ /N::::_:::::/::| ` r ' //:/: /‐く V うんたん♪ うんたん♪ `Y´ /::::::://:::/:::::| >< /:::丁´:::::::::::::V゚}∩ * /::::nんh_::∧:::::}/八. ∨::::::」::::::::::〈ヽ.ノ///〉 . /:/| ! // 〉:::::>ヘ.ノ八 ソ::::{::::::::::::/:::} っ //:::::::\__ノ〉::〈:::::::|/ ∧〉::::〉::::::::/::::∧ , ィ´ /:::::::::::::::::::::/::::::::\::! /:::::>'´::::::::/::::/:::い.ノ):〉 !:::::::::::::::::::/:::::::::::::::::ヾ厶イ:::::::::::::/:::/:::::::ヽノ:/ |::::::::::::::/ヽ:::::::::::::::<>:::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::::/ * `ー七:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::/ //:::::::::::::::::::::::<>::::::::::/::::/ ヽ:::::::::::/ /⌒〈:::::::::::::::::::::::::::::::::::イ::::::::/ `ー‐' * 三菱大夕張の混合列車に乗ったことがある。カーブの際に石炭車のはるか前方に見える 蒸気機関車の力闘を思い出す。 読売 > 北海道 夕張を走ったSLカレンダー…石炭採掘最盛期の8点 2013年10月24日 1960年代に石炭や旅客の輸送で夕張市内を走った蒸気機関車(SL)など鉄道車両の写真を 使った2014年版カレンダー「Memory of the 60's 汽笛の響いた街」を、三菱大夕張鉄道保存会 (奥山道紀会長)が製作した。 同保存会は、同市南部でSLなど鉄道車両の展示と保存維持活動などに取り組んでいる。同市の JR清水沢駅で11月中旬まで鉄道写真展を開いており、出展作品から8点を選んでカレンダーを 作った。いずれも石炭採掘の最盛期で、同市の人口が11万人を超えた1960年代の写真で、 道内外の写真家ら7人が撮影した。 国鉄夕張線、夕張鉄道、三菱鉱業大夕張鉄道、北炭真谷地炭鉱専用鉄道を走る雄姿を捉えている。 明治時代に米国から輸入され、60年代半ばまで石炭を運んだ古い機関車の写真もある。 同市出身で釧路市在住の奥山会長(54)は「カレンダーを見て繁栄した頃の古里を思い出す人も 多いと思う」と話した。 カレンダーはA4判大で、500部製作。1部500円で、郵送で販売している。申し込みは代金 500円分の定額小為替と送料として200円分の切手を同封し、〒069・0855 江別市大麻宮町 4の6の502 三菱大夕張鉄道保存会事務局へ。問い合わせは、奥山会長(090・8635・5207)へ。 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20131024-OYT8T00052.htm http://www.asahi.com/articles/HOK201310230003.html Rail Archives:炭鉱(ヤマ)のSL(夕張、大夕張、北炭前谷地、美唄)撮影・録音:1970,1971,1974年 http://www.youtube.com/watch?v=NKz9XDasfZ0 _,. -???- 、 /: : ‐: : : : : : :‐- 、: :\ /: : /: : : : : : :\: : : : \: :\ /: :/: :.|: : : : : ! : : : \: : : :.ヽ: : ヽ /: /: : 八: :!: : :|\: : : : ヽ: : : :',: : :.', ,': /ニ7⌒!:.!: : :| ⌒ : : : : : : : : |: : : :! /: :.|: :./ V\: ! ヽ: :!: :.|\|: : : :.\__, /: : :ハ: :| ヾ ∨!∨: : : : : : : : :ヽ /: : : : :.V:! x=ミ x=ミ. !: : : : ハ: : : : : :.ハ /:/: : : : /: :! 、、 、 、、 !: : !: : :!: : : : : : :.} // |: : : /| :八 - 、 ,ィ: :/: : /: :ハ: : :|V {! 从: i'´ ̄::::>、 `ー ' イ!V /: : /: / |: :/ _人_ /N::::_:::::/::| ` r ' //:/: /‐く V トクトヌン ウリタン♪ `Y´ /::::::://:::/:::::| >< /:::丁´:::::::::::::V゚}∩ * /::::nんh_::∧:::::}/八. ∨::::::」::::::::::〈ヽ.ノ///〉 . /:/| ! // 〉:::::>ヘ.ノ八 ソ::::{::::::::::::/:::} っ //:::::::\__ノ〉::〈:::::::|/ ∧〉::::〉::::::::/::::∧ , ィ´ /:::::::::::::::::::::/::::::::\::! /:::::>'´::::::::/::::/:::い.ノ):〉 !:::::::::::::::::::/:::::::::::::::::ヾ厶イ:::::::::::::/:::/:::::::ヽノ:/ |::::::::::::::/ヽ:::::::::::::::<>:::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::::/ * `ー七:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::/ //:::::::::::::::::::::::<>::::::::::/::::/ ヽ:::::::::::/ /⌒〈:::::::::::::::::::::::::::::::::::イ::::::::/ `ー‐' * ♪売れずに積んだ 在庫が痛い 部品のカスの 在庫が重い 昔のストーブ列車でよく客車の屋根から煙突出しているヤツがるけど、アレって 車両限界とか建築限界とか竣工図面(この容疑は濃厚)とか何気に無視そうな気がするのだが・・・ 三弦橋どころか白銀橋もほとんど沈んでるし、 旭沢橋梁も橋脚が6割ほど水に浸かってるわけで _,. -???- 、 /: : ‐: : : : : : :‐- 、: :\ /: : /: : : : : : :\: : : : \: :\ /: :/: :.|: : : : : ! : : : \: : : :.ヽ: : ヽ /: /: : 八: :!: : :|\: : : : ヽ: : : :',: : :.', ,': /ニ7⌒!:.!: : :| ⌒ : : : : : : : : |: : : :! /: :.|: :./ V\: ! ヽ: :!: :.|\|: : : :.\__, /: : :ハ: :| ヾ ∨!∨: : : : : : : : :ヽ /: : : : :.V:! x=ミ x=ミ. !: : : : ハ: : : : : :.ハ /:/: : : : /: :! 、、 、 、、 !: : !: : :!: : : : : : :.} // |: : : /| :八 - 、 ,ィ: :/: : /: :ハ: : :|V {! 从: i'´ ̄::::>、 `ー ' イ!V /: : /: / |: :/ _人_ /N::::_:::::/::| ` r ' //:/: /‐く V うんたん うんたん♪ `Y´ /::::::://:::/:::::| >< /:::丁´:::::::::::::V゚}∩ * /::::nんh_::∧:::::}/八. ∨::::::」::::::::::〈ヽ.ノ///〉 . /:/| ! // 〉:::::>ヘ.ノ八 ソ::::{::::::::::::/:::} っ //:::::::\__ノ〉::〈:::::::|/ ∧〉::::〉::::::::/::::∧ , ィ´ /:::::::::::::::::::::/::::::::\::! /:::::>'´::::::::/::::/:::い.ノ):〉 !:::::::::::::::::::/:::::::::::::::::ヾ厶イ:::::::::::::/:::/:::::::ヽノ:/ |::::::::::::::/ヽ:::::::::::::::<>:::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::::/ * `ー七:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::/ //:::::::::::::::::::::::<>::::::::::/::::/ ヽ:::::::::::/ /⌒〈:::::::::::::::::::::::::::::::::::イ::::::::/ `ー‐' * 大夕張線も運炭だよね? 1987年の廃線直前に乗りに行ったが、南大夕張の駅前に、その少し前にあった炭鉱事故の補償問題に関する 宣伝ビラが貼ってあって事故の傷跡の深さを感じた。 事故のあった炭鉱の会社と大夕張線の会社(三菱)とは別だったけど、住民にとっては夕張全体の問題だったのかな。 >>234 一応別会社だけど、単に分社しただけで、実質は同じ会社。 最新鋭の技術を導入し「これでもう事故が無く安定操業ができるぞ」と言われた後だったからね 余計に落胆してたという感じだったね >>235 炭鉱本体と鉄道を分社化したのはいくつかあるね 雄別は一旦分社化したけど閉山時にそのままだと鉄道の方が交付金の対象外になるからってまた合併したとか これから美唄まで焼き鳥食べに行くんだが、 ついでに運炭線の遺構でも探してこようかな。 熊が怖いので市街地だけだけどね。 当たり前とはいえ運炭線は炭鉱と運命を共にするんだな 鉄道とは無関係な炭鉱事故でも、鉄路の寿命にトドメをさすこともあるわけか 石炭に限らずセメントや金属鉱山にも言えることだけど ヤマと共に活きてきた鉄道は運命共同体だからな セメントを失った樽見鉄道が生き残っているのが不思議でならない。 最近は地元でも話題にならない。 貝島炭鉱鉄道の本に感動してage ・・・こんなすれしかないのかよぅw 貝島の鉄道の目的が運炭よりも砂運びであったという事が驚きだった。 そういうえば変な貨車を持っているとは思ってはいたが、まさか坑道とは砂で埋めないといけないものだとは知らなんだ。 放置しても別に害はないものだとばかり。 そういうえば別の書物で、筑豊では田に水を張る季節になると水没する坑道が多かったとあった。 突然陥没して稲作を台無しにすることも。 掘った傍から砂で充てんするというのは、筑豊でしか通用しない事なのかもしれない。 北海道などで聞いたことがないもの。 >>250 普通は放置する。だから市街地では指摘の通り大問題になる。大谷石の採石場も同じ問題を抱えている。 ところが貝島ではわざわざスティームシャベルまで揃えて埋めていたわけです。 大正時代の半ばに埋める努力を始めている。 さらに末期では露天掘りに移行した。坑道掘り自体を嫌う何か特別な要素があるわけです。 北海道で今露天掘りをしているのは坑道技術者が雇用できないことと、建設機械がますます高性能化したからだと思います。 貝島の露天掘りは、そこら辺に長年坑道で働いた失業者がゴロゴロしていた時代です。 不思議だ。 亜炭って昔はかなりあちこちで出て、ストーブとかで需要もあったらしくかなり炭鉱があったらしい 未だにバス停の名前で残る東京炭鉱とか あと横浜の上大岡辺りにもあったりとか あと群馬は高崎周辺にかなり亜炭炭坑があったようだ これは詳しく調査してるページあったはず 横浜は亜炭ではないが、保土ヶ谷の天王町裏山は結構大きなガラス炭鉱でトロッコとかあったらしい 戦前はトラックなんかもあんまなかったから、こういうのは荷馬車か、トロッコや索道で駅に運んで貨車であちこちに運んでいたのだろうか 戦前の貨物輸送とか想像できないな >>204 産業鉄道追ってくとどうしても同和問題とか在日問題とかリンクしてくるよ あと東映ヤクザ映画とかな 昭和30年くらいの有名なヤクザで夜桜銀次っているんだが、大手ヤクザの抗争で殺されたと思ったら実は中小炭鉱の経営者に借金がらみで殺されたなんて話もある あと筑豊の炭鉱労働者上がりでそのあと国会議員になった人なんかもいたかも あと橋本愛が出てくる今度公開されるホラー映画で残穢というのがあるんだが、これも中小炭鉱がらみだな >>252-253 亜炭は全国で浅い地層から採れたし商品価値も低いので、鉄道を使うほどの長距離輸送はほとんどなかったみたいだよ。 常磐炭が品質悪くて亜炭寸前のところもあったらしいけど、その常磐炭も貨物輸送は近距離でしょう。 労働問題は背景としてサラッと押さえて通り過ぎるのが好ましい。 労働条件の厳しいところに当時の社会の矛盾のしわ寄せが集まったと考えるべきで、卵と鶏の順番を間違えてはいけない。 同和というよりも定住民(ほぼ農民)と非定住民(いわゆる余所者)の感情的問題、らしいよ。 地元の役所は定住民出身者なので、行政的な対応や言葉遣いは定住民サイドに立ちやすい。 東京のような都市は非定住民のほうが多数派なので、なおさら想像しにくい。 >>254 月ケ瀬口から湊町へ亜炭輸送がありまして、ごく小規模な無蓋車輸送はあったようです。 無蓋車ですか。記録があるって珍しいですね。 小規模な鉱石輸送は無蓋車で行う事が多くて、実態が掴みにくい。 荷受側に特別な設備も要らないし。損耗率は高くなると思うけどね。 名鉄が広見線で運んでたりして。 俺は北九州の住人だったから、セム・セラ・セフの運炭列車 2軸貨車の炭、炭、炭、というジョイント音と9600のポヒーという汽笛が一日中 聞こえてきました けむりプロの貝島炭鉱の本買ったけど、これはなかなか凄いね 貝島炭鉱自体も露天掘りとか大規模な採砂線とか、他の炭鉱とは大分変わって大陸的な趣がある しかし一番凄いのは今となっては開発されまくってほとんど跡形が無いということだ、、、 北海道だと結構放置されてんだけどね 「なんかる」ですね! 今年は「北海道のBLW」のようです。 10月9日発売 「北のOld American」 http://nankaru.info/ >>256 亀レスだがNRAの会報に広見線でモ7x0に亜炭満載のトキ15000牽引させてたと記されてる 空制が電動車だけにしか作用しないので下り勾配で走行させるのは ガクガクブルブルだったとの事 釧路臨港鉄道 雄別鉄道 明治鉱業庶路専用線 雄別炭礦尺別鉄道 明日「報道ステーション・サンデー」で大夕張の映像が! >>256 先日所要で御嵩町に行ったときに、地元の方から広見線沿線が亜炭の一大産地で、 規模は大きくないが炭鉱街も形成されていたのだという話や、 また前身の初代東濃鉄道や後継の東美鉄道の使命の一つに亜炭輸送があり、 いわば運炭線の端くれであった話を聞き、驚いたものです。 炭輸送といえば北海道と福岡が定番ですものね もしやこのスレに何らかの投稿があるかも・・と思って覘いてみたらやはりありました さすが2ch、侮れません サッポロビール園の日曹炭鉱9643が消えた。アチハか? >>276 玉石混淆 いまは石の方が多くなってしまった 道東なんてマイナーなところは止めて夕張、美唄なとで廃線跡ツアーを設定して欲しい! 数年後には廃止となる夕張線=石勝線支線 昭和45年以前はデゴイチと言うよりD50とキューロクが主役だった。 周辺の私鉄・専用線も末期はキューロクだけとなったが 9200や8100・4110、コッペル・11形とSL天国だった。 >>267 自衛隊駐屯地やトヨタの工場敷地になったんだっけね 露天掘り後とか私設小学校跡はあるが エネルギーとしての石炭の地位はもう再浮上することはないのかな ひところは石油がいずれ枯渇するからまた石炭の時代が来るかもしれないなどという 声もあったようだが 発電電力量のうち世界の四割、日本の三分の一は石炭だから今でも重要な資源であることは変わってない 安価な海外産に切り替わって運炭線はなくなっていったけどもね もし運炭線が復活するとしたら技術革新で外国産に負けないくらい安く掘れるようになった時ですかねぇ。 まぁ、その時は外国でも同じ技術使って安く掘れるでしょうから、現実味はないですね。 輸送手段としての鉄道の優位性がなくなってしまったからなー >>257 私は北海道中央部の住民で、 歌志内、上砂川、美唄、夕張、万字などを控えていて、 セキ(30トン積み)をD51が1両で千トン牽引していたよ。 北海道の炭鉱鉄道ってキハ22コピー車入れるくらい金持ってたのに申し合わせたように昭和40年代に廃線 金銭感覚がおかしかったのか? >>297 札幌とか大都市界隈でも残して通勤路線にしようともせずあっさり廃線 夕張とか三井三池とか >>298 野幌界隈でさえ札幌のベッドタウン化したのもうちょっと後だから 筑豊の電化率悪かったのは石炭は蒸気機関車で運べばいいと思っていたからか? 江別市は当然のこと南幌町はその後ギリギリ札幌通勤圏に組みこまれもしたから 夕鉄の野幌-栗山間くらいは残しておけばと思わぬでもなし 札幌まで直通出来なかったから客が直通するバスを選んだって記述を見たような 戦後直後から札幌乗入は悲願だったようだが、札幌急行鉄道や炭鉱閉山による収入の 大半を占めていた貨物収入の喪失などにより幻に終わった。実現していたなら三菱大夕張 鉄道・夕張線・夕鉄経由、大夕張発札幌行なんかもありえたかも! 夕張今はヤクザすら寄り付かないからな。 昔は組長が保険金殺人とかやったのに。 >>305 そこの組事務所も今は廃虚 盃交わした組員とかもういないだろうな 夕張鉄道 雄別鉄道 三菱鉱業美唄鉄道 三菱鉱業大夕張鉄道 三井芦別鉄道 釧路臨港鉄道 留萌鉄道 羽幌炭礦鉄道 天塩炭礦鉄道 北炭真谷地専用鉄道 角田炭鉱専用線 三井鉱山奈井江専用鉄道 三井鉱山美唄鉱業所専用線 雄別炭礦尺別専用鉄道 雄別茂尻炭鉱専用線 北星炭鉱美流渡専用鉄道 茅沼炭化鉱業専用線 日曹炭鉱天塩鉱業所専用鉄道 藤田鉱業小石鉱業所専用線 明治鉱業庶路専用線 鉄路に刻んだ94年、「釧路石炭列車」まもなく運行終了 https://hre-net.com/keizai/kotu/35809/ これも終わり。 残るは扇町駅→熊タ位かな 北海道色々 大夕張 美唄 天塩炭鉱など https://www.youtube.com/watch?v=8-IzCzS-sH8& ;fbclid=IwAR08Dr0dxB8TqLartro-BL9JYeYS1JiQLKYWXj-dJY2PJ3rud63aqimXwDs >>296 そだね 後先考えてたらあんな太っ腹に新車入れたりできない 単に政府のエネルギー政策が変わったからだよ 実際儲かってたんだよ 採掘し尽くした山にしか交付金を払わないようにしとけばよかった 途中下車は認めねーよ!とな もう石炭がエネルギー源の主役に戻ることはないのだろうか >>322 だったら最後まで国が買い取ってやらないとね >>323 火力発電所は今でも石炭がメインだったんじゃ 国内炭がと言われたら無理ゲーだけど いまや脚光を浴びる化石燃料よ つい昨年までは過去の遺物呼ばわりだったのに 世の中はどうなるか分からんね いま60代以上のマニアの人は北海道各線に撮りに行けたのかな あまりにも広すぎて手に負えないと思うのだけれど 昔は北海道内を走る夜行があったし周遊券で乗れたからなぁ 化石燃料の値段が上昇すればEVシフトがさらに進みそう。 >>333 カネはなかったが時間はあった、 ということらしい 熱カロリー値の高い夕張あたりならどれだけ露天掘りしてもOKだから、コスパが見合う 逆に夕張は露天掘りしないとガス爆発で経営が傾く せっかく会社が努力してくれたのに 国内の引き取り手は難しいだろうし残念な話 考えようによっては、海外で乱暴に扱って捨てられるよりは、そこまで大事にされた主の元で終わるのは悪いことではない だいたいお古の輸出先は途上国で消耗品みたく使われてしまうからな 現車と共に保守のノウハウも提供しないといけないのかな 中古の取引にそこまでやる?、という気もする read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる