マンモス電機EH10
>>122
なるほど
確かに吹田に近いのと
近くを貨物線走ってましたよね
JRFは博物館ないんですよね
ぜひ梅小路移転の際は
展示車に入れてほしいものです EH10, 思い出深いですね。
沼津駅の旅客4番と5番の間に停車して,豪快に引き出し発車。
1980年当時は沼津区に数機がいつもいて,パン上げすると舟が
バウンドし凄い火花が出てたっけ。
忘れられないのは,お袋と東京に遊びに出たんだけど,東海道線
(確か80系だったと思う)の車内から,EH10と併走した思い出がある。
国府津の出発で並んで,藤沢あたりまで抜きつ抜かれつ。
今でも記憶に鮮やかだよ。。。国府津に扇形庫が有ったなあ。
スポーク動輪と,釣り掛けの盛大な音に興奮したっけ。。
当時お袋40そこそこ。今や70過ぎてお婆の領域。なつかしや。
デザインが良かったよね。EH10をデザイン、カラーコーディネートした人はネ申だよ。 萩原デザイン事務所?だったっけ?EH10のデザイン担当。 >>124
国府津の扇形庫にD52が一輌だけ入ってる時代、
同じく東海道線を走るEH10を眺めていた。 >>127
『鉄道ファン』69年9月号に萩原氏の対談記事があってそこで触れられていますね。
DD50二次型、ED72から新幹線まで携わったとのこと。 EF66もそうなの?
国鉄型のデザインって日本の沿線風景に溶け込む EF60などの新性能電機と比べても遜色ない高性能機。
こいつが旅客列車を牽引して120km/hで走る姿を見てみたかったな。 >>124
沼津区は1980年だとほとんどEF60に占領されてるよw
1979年に品川でブルトレの展示会があった時当時の現場の人に
聞いた話だと、「もう東京口にはEH10は来ないよ」と言われ走行写真
とうとう1度も撮影出来ませんでした、残念でしたな。 >>132
旧型のEF58も許容速度が120だから侮れない >>134
高速性能だけなら、EF60以降の新性能型よりEF58の方が上だったんでしょ?
地味に凄いよなEF58の性能も。 直流機=茶
だったからねぇ。交流機が登場してから直流機も垢抜けして青塗装に。 EF60と共通運用されてて、回送兼ねて重連もあったな〜、EH10末期って一番テッチャンが少なかった時代だよね、まったりしてた。 >>142
少なかったことはない。
ガキを含めて、L特急やブルートレインに流れていた。
当時、EF58ですらあまり話題にならなかった。
ましてや一般貨物に目を向けている人はごく少数。
皆の目がEF58に向いた時、EH10は既に退役済み。
50.3改正頃は、吹二・稲二とも、配置両数=使用両数で運用を組んでいた。
検査時の代走は両区ともEF65、当時、どちらもEF60の配置は無い。
揚げ足を取ったようで、ごめん。
たしかに貨物に関しては、まったりしていた。が、変人扱いもされたw >>143末期だよ、昭和55年頃の話。次位回送が毎日のようにEF60になったりEH10になる運用が当時あったよ、俺は消防だったし列車番号は知らなかったが、見てたんだからね。
>>135
EF58(最大運転速度100キロ)はEF60〜63(最大運転速度100キロ)よりは確かに高速運転に適してはいたが、歯数比の下がったEF64・65(最大運転速度110キロ)には及ばない
また、引張力が国鉄の全EL(ED級も含む)中でも最低だったため、平坦で高速運転が維持しやすい線区での、牽引定数の高くない列車(旅客・荷物列車)のみに特化した運用以外にはほとんど使えなかった
EF級でEH10に劣らぬパワーを備え、しかも最大運転速度も85キロから100キロに向上させたのがEF60だといえる(クイル式は結果的に失敗ではあったが…) なんでEH10は早々に引退の憂き目にあったのかが不思議。 >>144
すまんが、どこの話だろうか?
一寸興味がある。 >>146
53-10改正以降、およそ1年に1回のダイヤ改正ごとに、貨物列車の削減が順次進められてゆくにあたり、EH級がゆえに幹線系でしか使えず、それで最高速度85キロは遅すぎ、EF65PFの増備とともに車両数に余裕が出たEF60・65(一般型やF)に置き換えられた。
10代形式電機のほとんどは最高速度85キロどまりだが、小型だったりして軸重も軽めのものが多く、ローカル線の貨物輸送に進出したものも多かった中、EH10はそれには大きすぎたといえる。
>>147
桂川橋梁の少し大阪寄りに小さな踏切があってムコ操に繋がる高架線を16時頃だった?に上り方向に向けて、次位回送の重連が通ってた先頭は必ずEH10で次位がEF60又はEH10のぶら下がり。あとク5000の専貨も末期はEF60と日替わりだったよ。
>>150
有難う。EH10は晩年稲二・吹二からは出ていないから、どこかのEF60と
変則的な運用を組んでいたのかな。
当時EF60を持っていたのは 沼 浜 米 岡 広だが、岡山あたりだろうか。
そういうこともあったんだな。 >>149
マンモスというと大きいという意味合いで使われるが、実際のマンモスはアフリカ象と比較しても
決して大きくなかった。これ豆ね。 懐かしいね。
中学時代だったかな。EH10が現役で走っているところを見ていたのは。
東海道本線藤沢ー辻堂間や藤沢ー大船間、そして根府川ー早川、根府川ー真鶴間
あたりでブルトレ取りながら真っ黒いしかも黄色いラインの入った大型でいかにも大パワーを思わせる
モーター音で走ってくるこの電気機関車に魅了されたものだ。
ほかにも、多数の電気機関車のオンパレードでフィルムがいくらあっても足りなかったよ。
今では考えられないわ。 広すぎる運転室の意味はなんだったのだろう?
一番狭い運転室はEF63かな 単純に長距離運用のある機関車の運転室は広いということでは?
EF63はその意味で広くする理由はない。 ただ単に片方の運転台スペースが余った分、広くしただけだったりしてw もと戸塚住人です。
あったよねえ、EH10とEF60の重連。あれって後ろのは回送だったのかあ。。。 EF65 500F+EH10の重連が懐かしい(名古屋地区) EH10のぶら下がりで浜松工場入場の稲沢配置のSLが定期貨物に
ムドだけど三重連だった いかんせん最高速度85キロは遅すぎたな
東海道・山陽の貨物削減以後、転用先がなく、廃車開始後わずか3年足らずで全廃の憂き目に… 東海道・山陽筋専用
ほかはEF15を除き、すべて100キロ電機化
電車も新性能化され、特急は120キロ、急行・快速は110キロが標準 歯車とりかえて高速化ってわけにはいかなかったのかなあ。 それでもEF60よりは高速性能は良かったという話は散見するな。
(RFのEL特集や当時の現場の人の話など)
>>161-163
当時の貨物列車はまだまだ2軸車やボギー車でも最高速度75km/hの車両が主流。
よって機関車だけ高速化しても、牽かれるほうが追いつかない。
EH10が牽引出来なかったのは最高速度95km/h以上の特急貨物のみ、
急行貨物(→直行貨物?)最高速度85km/hには、よく充当されていた。
吹田の車は、他区のEF60よりは急行仕業の割合が多かった気がする。
>>164
ということで、高速化する必要は無かったろうな。EF65でも、75km/h貨車で組成された
列車に結構充当されていたから。まずEF65を転用するだろう。
50.3改正頃の東海道線貨物列車の運転時分は、特急貨物B(最高速度95km/h)はEF65
最高速度75km/hの貨物列車はEF60の性能で策定して引かれていた。
EH10はこのスジに乗っていた。
最高速度が低いだけで使用上はEF60=EH10、同等といったところか。
長文すまん ってことは、最高速度の遅さがEH10短命の理由ではないってことだね。 直並列組み合わせの制御段が少なすぎたからでは?
EHだと8S→4S2P→2S4Pだっけ?
いや,たしか二段階しかなかった気がするが。。。
4S2P→2S4Pかな。
おかげでセノハチもF級と協調が取れなかったんだよな。
運用が岡山以東に制限される原因だったとのことだが。 EH10は、ほとんど見かけたことがないんですが。
わずかに見たときに、「かわいい電気機関車」と思ったという記憶がございます。横に
いた父親の部下の鉄ヲタだったかな、が「でっかいだろ」とか言ってて、ガキのおれに
は何を言われているのだかがよくわからなかった。
今にして思えば、そんしとは「EH級=でかい」という一般的知識を持っており、しかし
おれは「ED級の重連」と思っていたのだろうと。なつかしーなー。 貨物機と言いながらEF66と並んで秀逸したそのデザインは大いに評価できる。
公園に保存されている64号機を是非新梅小路に寄贈してほしい。 >>36
2年も前のレスにあれだけど
国鉄の頃ってのは、現場の人がみんな、自分の職場に誇りを持ってたんだ。
だから、そんな自分たちの職場に興味を持ってくれる子供には優しかった。
その頃のガキどもがそのまんま大きくなって「アソコを見せろ」「ここに入らせろ」
と我儘放題するから、JRの方も、態度を硬化するしかないんだと思う。 なんかものすごい唸り音を上げて走行してたのを覚えている。 いつもEF10や13・15ばかり見てたから、たまに東海道筋でEH10
を見ると運転室が余りにも広いのが印象的だった。
東海道では よく見かけたカマだったけど、当時はカモレに全く興味がなかったので、一枚も撮っていなかった。
今思うと、撮っておけば良かった… EH10の牽く貨物にヨ2000や緑のヨ5000、タキ5000が繋がってると嬉しかった少年時代。あれから30年経つんやな。 なんでバ関西塵ってネット上でも見苦しい関西弁で書き込むわけ?
目障りだから死ねよ。 >>170
その後の世代のガキ共が、サボやら方向幕を盗んだり、大人になっても無断で立入禁止の鉄道施設に入ったり。じゃね?
EH10は大好きだったけど貨物専用だから、なかなか駅のホームに停まっていないんだよな。
なので、機関車細部をじっくり見る機会や、機関士の方に話し掛ける事ができる機会も少ない。
だから運転台を見せていただく機会もなかなか巡ってこないんだよなあー。 EF65などの新性能機と比較すると風格が凄くあるよな。 RMライブラリーでEH10型を2部でやるみたいです。
又EF13型を除く国鉄の全ての電気機関車も1つ残らず紹介する事が100
パーセント決まったみたいです ID:gx7blveLはマルチで妄想投下してる電波系 じいちゃんと平塚競輪に行くと、必ず海岸線に出る手前のガードの所で
EH10来るまで粘った。博徒のじいちゃんも、あの力強さが好きだったようだ。 >>182
じいちゃん、多分EH10を見たある日大勝ちしたんじゃないかな。
孫に見せたいのと、ゲン担ぎの両方でEH10を待っていたんだろな。
じいちゃんにはEH10が競輪勝利の神様に見えたのかもしれん。
いい話だな。 色が茶色くなくても旧型の扱いというのが、ガキの頃ふしぎだった。 子供のころ、岐阜駅でよく見た。EF60とくっつけたり
していたな。2両で一セットだから長いという印象がある。
EF58も近くで見ると長い感じがした。稲沢だけかもしれないが
当時の貨物機は洗車がしてなくてみすぼらしい感じだったよ。 幼稚園時代、園児が遊ぶ場所は、神社、廃墟、線路、その周辺だったな。
とくに線路は貨物マンモスの姿が見えると急いで線路に一円玉や針金を置いたな。
ペシャンコになった姿を皆、面白がって置いていたな。
さすがに石は脱線することを、みんな知っていたので置かなかったが。
うちの親父が子供の頃、横浜に住んでいたんだが、やっぱり市電で同じようなことしてたと。
親父なんかの子供達はボルトなどを線路に置いていたんだとか。
やっぱりと言うか、親父じゃ無いけど、親父の友達は市電を脱線させたそうだw 岐阜の市内線で学校に通っていたが、カーブとかで
脱線することはよくあったよ。転覆はしなかったが。
EH10で不思議に思うのは、なぜ黒なのか?ということ。
黄色い線が入っていて、なんか雷とか、工事現場のイメージなんだな。
なんで青く塗りなおさなかったかも疑問。 >>189
黒に黄帯はかつての急行貨物(ワキ1、ワキ1000その他)に合わせた色
塗装規定の例外扱いで廃車まで同じ塗り分けだった >186
なんと、私とご近所w
私もちいさい頃、岐阜駅を通過していくところをよく見ましたよ。今でもはっきり覚えてます。懐かしい。
当時既にEF65等の青い機関車が主力になっていた中で、黒色黄帯重連編成は存在感(威圧感)あったなぁ。
おそらく岐阜駅を過ぎた後、関が原の急勾配を登っていったんでしょう。まだ新垂井駅があった頃ですね。
年齢も近そうですね。新垂井は寂れた感じの
田舎駅でした。まだ岐阜西駅ができるまえで、西陸橋の
あたりで貨物の入れ替えをやっていました。
当時は高山線にも貨物があって、子供が貨物につかまって
高山で発見されたという事件がありました。ぶらさがって
半日位旅してたようですが、お知り合いですか? >192
子供が貨物につかまって高山まで行った話は知らなかったです。おっかないですね。
新垂井ってプラットホームだけはやたら長いんですよね、典型的田舎駅なのにそこだけは東海道線クオリティというか。
駅廃止後しばらくして立ち寄ったことあり、プラットホームはまだ残ってましたが、今もあるんでしょうか。久しぶりに行ってみようかな。
駅が作られた線路自体は今も現役で、廃駅となったところの脇をしらさぎ等の特急や長い編成の貨物が走ってるので、
EH10の頃のような迫力が楽しめるでしょうね。
当時貨物扱いしてた旧西陸橋のあたりは、今オーキッドパーク(複合商業施設)や、結婚式場等になってますよね。
今近所に住んでて、オーキッドパークには買い物でよく立ち寄りますけど、
もはや当時の面影はないですねぇ。わずかに日通の営業所があるくらいかなぁ。
西陸橋周辺には日通の倉庫がたくさんあって、
あれが当時の岐阜貨物ターミナルだったと思います。
現在は西岐阜の貨物駅にその機能が移ったのかな。
学生時代、引越しのバイトで貨物駅にコンテナを運んだ
ことがあります。巨大なフォークリフトがうなりをあげていました。 東淡路南公園のEH10が夜な夜なトランスフォーマー化したら・・・ EH10を見に行く時はついでに新幹線公園のEF15と、赤川鉄橋の桃太郎も見て機関車三昧で楽しんで下さいませ。 忘れてた...神社のDF50。あそこガラスが汚くて見にくいすね。 今はEH200が幅をきかせているけど、EH10の貫禄には及ばないよね 駅前商店街の密集地の隙間から見える、黒い車体はかなり迫力あった 柴島の桜を見に行ったとき、近所をうろうろしてたら
あんな公園にEH10が置いて有るので驚いた。
昔、黒い貨物列車引いてたときを思い出して
なつかしくてしばらく見ていた。
>>200
全くですな。EH200を見かけるたびにEH10のことを思い出すけど、迫力が全く違う。
保存されているEH10を見に行きたいのだけど、当方関東なので土地勘が無く、今ひとつ場所のイメージが…最寄り駅はどこでしょう? 京都に新鉄道博物館が出来たらEH10を保存して欲しい >>205
JR貨物が博物館作るってんなら
真っ先に保存機に挙がるんだろうけど
何とか博物館で保存&補修してほしい >>205
権利は確か西が持っていたはずだが、やはり貨物で保存して欲しい。 >>206
九州新幹線だって路地の中をトレーラーに引っ張って貰った。 EH10って話題に上がるけど、保存機は1セットしか無いんだよな。
個人で旧国鉄機関車を所有してるのは話題に上がることもNGワードだしな。 >>204さん、200ではありませんが最寄り駅は阪急京都線・淡路駅です。 ちなみに、住所は大阪市東淀川区東淡路2丁目になります。Googleのストリートビューでも写っていました。 EH10の長大な貨物とEF58・クモユニ74の郵便列車は好きだったな EF65PFのブルトレと並ぶと逆にEH10の方がカッコ良かったりする。 あの威圧感というか、得体の知れない存在感ね。
EF66もイカツいと思うが、EH10には及ばない。 >224
立ち読みだけした。
なんか物足りない内容。 >>214ー215
亀ですみません。ありがとうございます。
他の方々の情報と合わせると、住宅街の中のようですね。
再会を楽しみに、下調べしてみたいと思います。 >>226
お気を付けて行ってらっしゃいませ
いろいろ物騒なご時世ですので
すべて自己責任で >>227
そんな物騒なところにありますのか…了解、心して逝ってきまつ! EH10が牽く旅客列車も見てみたかったよね。151系の登場で実現しなかったけれど。 子供のころ、モアイに似てると思って見てた。(^◇^) 今朝、EH10のプラモを買う夢を見た。
でっかいEH10のプラモって現実に売ってるような気がする。 >>234
蟻から出てなかったっけ?
1/50で
それはEF65か
昔作ったけど、やっぱり出来は蟻だったorz アオシマ 電気機関車1/50シリーズ
ttp://www.aoshima-bk.co.jp/scripts/shouhin/series_index.aspx?cl_id=3&ot_id=10&si_id=146 昔の写真では何故機関車の存在感が凄いのか、
これはレールが細いからってのもあるんだろうな
貧弱なレールに乗っかる大型機関車ってのは今じゃなかなか見られないよね
今や弱小私鉄や路面電車までもが50kgレールを使う時代だし >>236
窓の天地が大きくない?
そう見えるだけか。Nゲージが如何に出来がいいことが分かる。 プラモがあるだけでも幸せな電機
大多数の機関車は無い カラーリングもいいよね。国鉄のセンスはお世辞抜きで秀逸だと思う。 大阪は駅構内以外ほとんど出歩いたことがないからどうも迷ってしまいそうで…えーと、淡路駅を降りて商店街…淡路駅ってどこ? >>243
ありがとうございます。現地に向かっている途中の出先で、自分の携帯では容量不足で表示できませんでした^^;
淡路駅まではなんとかたどり着いたものの、雨に加えて暴風で傘は飛ばされ道には迷い、明るいうちに果たして行き着けるか…。 EH10はいずこ…ウロウロ。
そして雨と暴風の中、ついにたどり着きました!
雨と感涙で機関車が良く見えません…。
と思ったら、目の細かい網で厳重に囲われていて良く見えないんですね。まあ、いたずらされてしまうよりはいいか。
61号機、現役時代に何度か見かけました。埃を落としてきれいにしてあげたいな。 台風か?何らかの原因による遅延でダイヤがグダグダ
EH10が客車をひいたという記事か写真を探しています
どこかにないでしょうか?
EH10が保存されている公園の近隣住民です
現役時代を見たことはないですがこうして本線走行してる写真を見ると
大きな異形の機関車ってのがよくわかりますねえ ついでなのでEH10に会いに来る人へ淡路駅からの順路を書いておきます
阪急京都線淡路駅の出口から坂道を上がると商店街内の十字路に出ます
お肉屋さんがある十字路を右折して直進
方向が合っていれば阪急オアシスというスーパーが進行方向左手に見えます
商店街を抜けてもひたすら道なりにまっすぐ進んでください
道が途中カーブしたりしますが保存されている公園にたどり着きます >>247 ありがたくいただいた
C21だから 1974年以降か
C35どころかJR貨物発足時の水色コンテナも全滅した >>250
昭和51年(1976年)6月くらい。
名古屋地区に夕方上がってくる2本のEH10牽引急行貨物のうちの1本で、あとのほう。
列車番号は852か854のどちらか。 EH10は、なぜか若番より後期車が先に廃車になっていったんだよね。 >>251
C35って青い国鉄コンテナの事だよね?
2日ぐらい前に見かけた
まだ有るのかと思って調べたら業務用などで少数残っているみたい コキに載っているコンテナだけで何年代に撮った写真か分る。 京都に鉄道博物館作る予定だけど、EH10も是非展示してほしい。
しかし、重機も入られないだろうな。
最後の晩餐の絵画のように分解して運ぶしかないか・・・ EH10やDF50廃止後
もう電気式DLやEHタイプの電機は日本では使用されないだろうと思った
21世紀になったらこのザマですよ 読売新聞にEH10を京都の新博物館に保存せよと投書が有った >>261
EF65PF型最後に貫通型は製造されていない >>261
デザインはEH10の方が断然カッコいいけどな。
懐古趣味ではないのだけど、どうも機関車は国鉄時代の方が遥かにデザインが良かった気がする。 当時では唯一かつ初のH級という存在感。
その上に、あの重厚で個性的な塗色。
決してポップでなくライトでなく、ヘビーで重厚な色かたち。
イメージ通りの見た目か、見た目どおりのイメージか?
当時なら見た人の誰もを惹きつけた事だろう。 金太郎は初期車の正面デザインの方がまだ良かった。
ブルサン・・・
(スリッパって言うのか?)は今一つだな。
EH10の現役車は餓鬼の頃見た記憶がある 確かに8号機 12号機あるいは22号機とか初期車が遅くまで残ってたね。
午前中の吉原駅で上り貨物
夕方の茅ヶ崎駅で下り貨物
の入れ換え作業があった。今となっては何列車だったのか?検討もつかない。 >>269
巻き上げた雪が付着するから途中からライト上げたんだろ?
走行区間が短いEH800は下に戻ったじゃん。 >>268
国鉄電気機関車としては珍しく、スタイル・カラーリングとも
外部の工業デザイナーの手が入った存在だったはず。
のちにパノラマカーもデザインした萩原政男の作品。
カラーデザインでは戦後国鉄は黒岩保美という逸材を自前で抱えたわけだが、
機関車に外部デザイナー活用というのは最初の例だったんじゃないか。 年間平均1600万の年収ですよNHK職員ちなみに。
私も30歳で1000万以上越えてもらってました年収にして。
そんなにヌクヌクとやっていけるのは、
今受信料払ってる人から、本来取るべきよりも沢山の受信料取ってるからです。
元NHK職員が語る 『恐るべきNHK内部の実態』
http://www.youtube.com/watch?v=P_4V8FYkNTY EF15の電装でEH型だからね
でもEH10は車体もシンプル・スマートだったね 最高速度85km/hはいかんせん本線専用機関車としては遅すぎた EH10のカラーリングは急行貨物用として当時の貨車と揃えたものだと思う。
なんたってまだワム80000もない頃だからねぇ。 >>279
貨物列車の制限速度が65km/時だった時代。 これこれ、黒ワムや「ト」が100km/hで走ってたと思ってる子供の夢を壊しちゃいけないよ? コンテナ特急「たから」すら知らないお子ちゃまは黙ってなさい。
ヘッドマークをつけていた時代もあった。
新幹線開業までの過密ダイヤの東海道本線において、普通列車にも劣るスピードの貨物列車が多数あることは、ダイヤ設定上ネックになった。
80系電車や111・113系電車が許容速度が本来100Km/hなのに、実際の規程で95Km/hに抑えられていたのも、ひとつには75〜85Km/hという鈍速の貨物列車が多数あった影響かも…。 >>284
最高速度が95km/hに押さえられたのは主に保線関係からの要求。
たった5km/hの差と言わないでくれよ。これだけで列車が軌道に与える影響が
約1割違ったと言われていたんだから。
ちなみに、東海道線で151系の100km/h→110km/hにする際に、東海道線だけで
2億以上の軌道改良費が掛かったそうだ。
(まあ、重軌条化も併せて行われているんだが) たから号はコキ5500だったよね。あれは茶色だから最高速度85キロだっけ。 85km/h対応
ヨ5000・6000・8000
コキ5500・ワキ5000・ク5000
他にワムフ1000・ホキ2200が対応していたと思うが、ホキ2200の専用列車は65km/hの設定だった記憶。
またワムフ1000も、貨物列車組成方では85km/h列車には充当されていなかった。
(昭和50年代前半の名鉄局管内) なぜ「ヨ」は茶色くならなかったんだろう??
想像するとカッコ悪いけど。((^◇^)) >>290
すまんすまん、素で間違えてたわ。
ワムフ100が正解。 EH10は男性的ですか女性的ですか?と問われたら、男性的と答える方が
多いと思う。
でも細部を眺めると、何とうか「優雅さ」がある気がするんだよね。
どうでしょうかねえ?
ageてみる >>293
お前あっちこっちで下らない事書いてんじゃねぇぞ。 >>293
機関車全般は男性的
ボンネット型の181系や485系は女性的
C57かDD16は女性的かな >>294
こら、くそ馬鹿野郎。
てめえにカキコミ規制されるいわれはねえんだよ。
ドン百姓はこれだから困る・・・ >>295
>C57かDD16は女性的かな
なるほど同意・・
8620あたりだと(個人的には8620大好きなんですが)、
女性的、でもやり手ばばあ。ってなっちゃうんですかね〜?ww
DD13なんかは、がっつりドカタ系、でもしっかりした漢。って感じかなあ?
俺が女ならDD51よりDD13の方が信頼できるかな?、SGとかチャライもん
積んでないし?ww
スレチすんまそん、
EH10は、ケンタッキーのカーネルおじさんみたいなスマートさ?
があるよね??(安心して信頼できそうなじいさん) 街中の有人踏切を勢いよく駆け抜けてく、巨大なEH10に惚れました。 >>262
自分もそう思いますが
あれは貨物だからなあ・・・
JRFがそういう博物館作ればいいのにと。 EH10は当時のマンモス電機だったな。
今はEF66やEF210や巨大機EF200もいるが。 当時、待避で止まっていたEH10のウテシがマスコン付近に足をのせて思いきり
踏ん反り返って新聞を読んでいるのを見て「EF15じゃ絶対できないポーズ
だ!」と感心したりはせず、「なんて行儀の悪い大人だ」と思った消防の俺で
した。 駅横の有人踏切で待っていると目の前をEH10やEF60が通り過ぎたのはいい思い出 >>48-51:『阪急京都線・淡路駅近傍の市立公園に静態保存されてる【EH10-61・東芝製】でしょ』
『あれは大阪に行った時に、フェンスの隙間から覗いた事有るけど、屋根が有るだけの屋外展示だからね。』
『外板下部にかなりの赤錆が浮いていたけどな。内部は相当腐食が進んでいるかもよ。』
『もうかれこれ30年以上経過しているでしょ。今から稼働状態へ復活させるのはちょっと無理かもよ。』
>>52:『俺は鉄道博物館は行った事無いけど、EF66が保存されているEF66なんざ、
まだ現役で働いているロコでしょ【何で御蔵入り】なんざしてるのかね』
>>54-55:『因みに参考迄にJR東日本・大宮工場がレストア復元したC61の場合』
『完全動態保存復元に費用3億円かかったそうだよ。これは大宮工場の技術者から直接聞いた情報だから間違い無い。』
『ボイラーが完全に腐食していて全く使い物にならなかった…らしいよ。』
『ボイラーは設計図からやり直して、丸々新製したと言っていたよ。』 >>307
何なんだ、この『』は・・・?
伝聞を書き込んでるのかと勘違いしてしまうような意味不明な『』の使い方だ。。。。 『EH-10の…1時間定格出力は確か…2530[kwh]じゃなかったかな…』
『この数字…8で割ると小数点以下迄行くんだよね…。何て言う型式のモーターだったかな…』
『2530÷8で合っているのかな…』
『まあ…DCの場合は【消費電力量=電圧×電流×時間】だからよ…。』
『よく電気回路の専門書では【P=VIt[kwh]】なんて業界特有の専門記号で書かれているね…。』
『これがVVVFインバータ制御装置で動くACインダクションモーター(=交流誘導電動機)だと…』
『交流電圧Ve&交流電流Ieは…【実効値表示だから】
即ち微分積分学で言う所の【二乗平均平方根】になる訳だからよ…』
『Ve=√1/T∫(0→T)v2(t)dt』
『電流実効値Ieも全く同様に誘導可能』
『P=1/T∫(0→T)Vmsinωt・Imsin(ωt+θ)dt=(積和公式を使用すると…)=VeIe・cosθ』
『sin(ωt+θ)は交流電圧V(t)交流電流I(t)間の初期位相を意味しており…』
『cosθは交流電力Pの電力効率=力率(power factor)を意味している訳やな…。』
『まあ…そう言う事や…。』 誘導電動機の世になって、以前の運転理論が通用しなくなったまでは読んだ。 EH10は耐候性高張力鋼板がない時代なので
腐りやすいのかも。 >>310
全くのスレの無駄つかいだ。
もったいない。。。。 『お前等は…表面的な上っ面の知識だけは豊富に持っているんだよ…。』
『そんなもん…幾ら持っていた所で…現実社会じゃあ…クソの役にも立たねえし…一円の金にも成らねえ…。』
『所詮はアマチュア&トーシロの御託・能書き・戯れ言か…』
『トーシロの浅知恵・トーシロの知ったかぶり…とも言える…。』
『俺見たいな【その道のプロ】が出て来て【ガチに&本気で…
@力学
A電気磁気学
B電気回路
C電子回路
D量子力学
E物理数学
を語り出すと…】』
『最初は威勢が良いんだが…2ちゃんねる上で張り合っている内に
やがてメッキが剥がれ&馬脚を現わすと…スレッドを畳んで一目散に逃げて行く…。
(うんうん…その通りや…。)』
『世の中社会&世間てのは…【本物と偽物しか居ない】やらせて見りゃあ…、白黒なんざ…一目瞭然ではっきりと決着が付く…。』
『要するに&詰まる所世の中には…如何にトーシロが多いか…言う結論に辿り着かざるを得んわ…。』『こんな社会状態&社会情勢だからよ…。
俺達【特殊&特別な…エキスパート・スキルを持った…科学技術者は…幾ら働いても…労働雇用需要が減少しない】』 『特殊専門学識を持った科学技術者サイエンティスト&エンジニアてのは…常時慢性的に不足しており…』
『如何なるデフレ経済的不況下でも常に一定レベルの人材雇用需要が存在する…。』
『大体が…
@医師 だの…
A科学技術者 だの…
B航空パイロットだの…
いわゆる【理数系の人材】なんて物には常時慢性的な人材雇用需要が有るからよ…。それが現実や…。』
『【その道のプロ】が2ちゃんねる上に投稿してはいけない法律は…有るまい…。』
『合法的な行為で有れば…、後は本人の自由よ…。例え検察・警察と言えども阻止する権力は持てぬわ…。』
-以上- 誰だか知らぬが、いちいちそんなこと書くために来てるとは、噴飯ものだ 2車体間の永久連結器の画像をググったが、
なんか貧弱だった。
永久連結器・・・分離は前提していない
半永久連結器・・・検査時に分離
EH10だって検査時には分離していただろうけど、
なんか定義が曖昧だなぁ。 外れるものは外れるからなあ
連接車だって手はかかるが外れるわけだし
そもそも検査の時に外れない永久連結などあるのかと・・・
ただEH10は片方では機能しないし組み換えも前提にしてないから
そういう意味では永久連結でしょうな
DD50とは似て非なるもの
広義には棒連結器くらいで永久連結
狭義には車両の寿命を全うするまで相手が変わらないもの
てとこでは?
蒸機もテンダー換えたりはあったようだけど 近くまで行ったついでに
淡路の61号機見に行った
相変わらずな感じだったが
これ梅小路の新博物館のリストに入ってるのかな?
新博物館のプレスリリースでは電機4両とのことで
イラストにはEF58らしきものやEF66は見えるが・・・
EF52をここで切らないとすれば
残る枠は1両・・・
歴史的には当然資格がある筈だが・・・ なんで後期車の方が先行して廃車になっちまったのかね? >>320
残り一枠は宮原に残るEF651じゃないの?
勿論、個人的にはEH10キボンヌだが。 >>320
博物館の収蔵物は時代時代の主流を優先する傾向があるからなぁ。
EH10が進化のミッシングリングであるのは確かだけど、
ある時代の主流だったかと言うと微妙かも。 黒に黄帯・・・国鉄のセンスの良さには脱帽せざるを得ない。
JRになってから、しっくりくるカラーリングというのが殆どない。
キハ100/110なんかは良かったけど。 >>329
黒に黄色帯は、当時の急行貨物色(制限速度75キロだっけ)。
EF66は特急色でなければならない。 EF66はEF60以来のブルトレ色あってのあの塗装だろう
牽かせる気あったのかは知らんが >>331
急行で75キロか
特急こだまで110キロだからなぁ
レールカーゴで130
高速貨物Aで110/100(特急貨物)
Bで95
Cで85
専用貨物で75(これが普通貨物) 俺より詳しい人がいっぱいいると思うが、貨車は制限速度ごとに車体の色が決まってたんだよね。
黒い貨車は制限速度65キロ(ヨンサントオ前の改造で75キロ)。
ワムハチとかコキ5500とかの「とび色」が85キロ。
コキ10000なんかの青が100キロ。 >>334
残念ながらワムハチは最高75km/h、あれはパレット貨車を区別するのが目的じゃなかったかな。
>>333
昭和50年代前半だと
特急貨物Aで100km/h コキ・ワキ・レサ10000系列
特急貨物Bで95km/h コキ・ワキ50000系列
急行貨物で85km/h コキ5500・ワキ5000・ク5000 ヨ5000・6000・8000
その他貨物・・・普通、快速、地域間急行、専用など・・・は75km/h
その他貨物のうち、一部は車両等の制約により65km/hに制限されている(例・石炭列車)。
解結貨物(駅毎に貨車を1両単位で切り離したりくっつけたりして集荷配達をする列車)は基本65km/h。
普通貨物や専用貨物等は、列車番号10の位が90番台が65km/h制限列車。
当時の東海道本線の場合、
EH10は急行貨物以下に充当可能、EF60より高速に余裕があるということで、結構85km/hのコンテナ列車を牽いていた。
逆に解結貨物にはほとんど充当されていなかったと思う、車体長の関係だろうか。こちらはEF60が多かった。
間違いあったらすまん。 どんな事情があったか知らんが最高75キロなんてあまりにも遅すぎね? >>336
当時は貨車のサスペンションが今程優れてなかったんだよ >>335
65km/hって道内の石炭列車しか思い浮かばないけど、
美祢線の石灰列車も黄色い帯の貨車だったね。
>>336
>>337
>>338
それでも二段リンク改造で75km/h化したんだよね なんだかんだ言ってもEH10だからねえ
EH50じゃなかったんだから EH10の時代はまだ茶色全盛だけど
せいぜいEF60一般色じゃないかねえ 弾丸輸送列車計画段階ではH級の標準軌電気機関車が提案されていた 同機の高速試験でも時速120キロ代
C62で129キロ
国内の機関車で130キロ出したのは皆無なのね 911「・・・」
それはともかく技師長が動力分散推進派だし
C62越えは優に可能でも
そこに技術的な意義を認めなかったんだろうな ディーゼル機関車で言うと、DD51を重連にしたような感じの機関車だな。
DD51、DE10などは総括制御を取り入れており、後ろにつながった機関車のエンジンをコントロールすることも可能です。
ただし、プッシュプル運転では、総括制御に対応していないため、後ろの機関車に運転士が乗っており、専用の電話で
連絡を取り合いながら手動で運転することになる。 単体じゃ動かないからな
前と後をずーっと引き通すのか胸熱 街中で建物の間を走ってるのを見ると結構大きく見えた >>351
外国には無線で後補機(や中補機!)を総括制御してる貨物列車もあるけどな >>354
実は、マンモスはそんなに大きな動物じゃなかった・・・とか言ってみる。
象と同じくらい。 超大型機がマンモス電機
EF66は大型機だけどマンモス電機ではないな 愛称はやっぱりブラックサンダーになるんかな
OLに人気出そうだな >>356 > 象と同じくらい
それって巨大ですけど
地上最大クラスの生物です >>358
愛称なら、ホーネット(ススメバチ)とか。
アメリカの戦闘機みたいな感じ。
それか、そのままマンモス。 >>358
EH10の時代なら、OLではなくBG(ビジネスガール)と呼ばねば。 >>355
いやだから、EH10はEDが2両つながってるのとは違うので。 ED500が出たとき、「コレの重連仕様でEH10復活しねぇかな、色もKいし」なんて妄想しましたw でかいでかいといっても
長さだけだからね
ここ意外と忘れられてる 黒のBRレガシィってEH10っぽくて、カッコいい。 >>369
ここでも何度か出てるが
本来なら西ではなくて貨物が博物館作って
展示してくれるといいんだけどね
図体がデカいだけに運び出すのも大変そうだ 貨物は保管しておいたEF30やらEF70やらDE15等消した過去があるよね… もし、EH10が竜華機関区に転属していたとしても、車体が大きすぎて
使いづらく、阪和紀勢線では軌道を傷めてしまってたかも >>373
吹田にEF7077とDD13保存していたらしい 結局のところEH10が新型に分類されないのは何故だろう 省電(一発変換出来なくなった・・・)はともかく、
国鉄型って飽きのこないデザインだと思うよ。
今現在でも景色に溶け込んでいる。
これがミトーカデザインだと想像してごらん。
二十年も経てばダサく感じるよ。 >>378
電機の場合はモハ90程の飛躍もなかったし
ED60登場後に溯って仲間に入れるわけにもいかなかったのだろう EH10っていろいろな意味で注目を集めたのだろうけど、結局はプロトタイプの域をでなかった車だよな。 >>381
その後の電機への試行だった
それはそれで意義ある存在 まあ、なんちゅうか、生物の進化におけるカモノハシみたいな。 クイル式で区分される筈が
クイル式がこけたのでry 「きかんしゃやえもん」にも前面スタイルからEH10と思われる電気機関車の
挿し絵が描かれている >>387
意地悪電気機関車がEH10
特急電気機関車がEF58
一郎と花子がキハ01系
だったような気がする EH10+DD54+DF50という鷹取工場への回送のDLを連結した貨物列車も
ときおり見られた >>390
よく擬人化しているなぁw
奥目で鼻筋通って西洋人顔だな 特急つばめ青大将とか
時代設定は丁度昭和30年頃なのかな 刊行が1959年
Wikipediaによれば刊行当時の様子が反映されてるらしい
青大将は151系に置き換わるギリギリ前か 鉄博のクハ181は搬送時になんか抜いたから、
二度と線路走られないらしい。
いかんせん復活は無理でも、そういう処置だけは勘弁。 各地の保全蒸機
利府駅のED71
宇都宮のEF57みたいに
有志やボランティアの手によって維持管理していれば綺麗なんだけど
どうやらEH10に関しては無頓着だ 鈍足で図体がでかいだけで
十分その理由になってると思うが
それでも30年くらいは走ってたろ 氷河期末期の気候変動に伴う植生の変化を原因とする説がある。
温暖化に伴って湿潤化し、大量の雪が降り積もる大地へ変貌していった。
食料となる草木は激減して、マンモスは消えていったという説だ。 つまりEH10が寒冷地仕様だったら上越線に転用されて今でも走っていたに違いないと、そういうこと? >>404
無理。
車体が重すぎて、当時の地方幹線への入線はできなかった。 >>404
無理。
なぜなら絶滅の有力な説のひとつは、人間の狩猟が原因とする説より。
人類がマンモス猟に使用した石器が登場する1万1000年ごろと前後して、
マンモスは地上から姿を消し始めたとの検討結果がある。 EH10は、カラス天狗とか熊ん蜂とか言われるけど、乗務員の側から言うと東京音頭と言われる。
トンテ トンテ トンテ トンテと東京音頭のイントロの様な独特のジョイント音が聞こえるから。 実はマンモスはアフリカゾウはおろかインドゾウより小さい EH10って何故 単独形式で専用塗装だったの?(しかも旧型だし)動輪がHだから・・・そういう規定だったの?
それと旧型電機でもEF58の新型は、新型直流機と同じ色が一般的な一方で客車と塗装をあわせたり、お召し専用機はぶどう色だし・・・
電機に関しては国鉄は塗装規定が少し緩かったの? >>409
EF58はブドウ色2号がデフォ
60,.61号機は通称「ため色」でブドウ色にあらず
直流電機の青15号化は1965年らしいが
既に新性能機は登場していたので
EF63までブドウ色で落成したものがある
それ以前でブドウ色以外に塗られたものは
実験的なものや専用機のような扱いと解釈できる
ずっと下ってEF67でまた変り種が登場したが
これも特殊用途の専用機ではある 一度だけ品川あたりで動いているEH10を間近に見たが、こんなに馬鹿デカい機関車があるのかと
子供心に衝撃を受けたことを覚えてる。地元で見たのはデッキ付の茶色の機関車ばかりだったから。 稲沢や吹田辺りじゃ回送を兼ねたEH10の重連が走ってたから賑やかだったよ。 EH10の末裔のEH500ですが、
門司駅を通る時のブロワー音は相当やかましい、まるで石油バーナーの様だ。
ED76のブロワー音の方がもっと静かですね♪♪ EH10の接続連結器って永久連結器なのか半永久連結なのか
どちらにせよ検査時には切り離すだよな
JR型電車だって半永久連結器主流だし 博物館入りは無理やな
大宮鉄博のクハ181みたいに解体して二度と走行出来ないハッタリモノにするか 運転席の前後スペースあり過ぎだろw
車の運転席外して後部座席から運転する感じだろ? パノラミックウィンドーじゃないし、
座席も奥まって前面窓までの距離が長いから視界悪そう。 パノラミックウィンドーの機関車は世界的に見ても少ないし、視界は他の旧型電機とあまり変わらなかったのでは。 >>414
オレその両方で見た。親の転勤で引っ越した先が偶然線路の近くの団地ばかりだっだ。 電気機関車特集集成(上)(鉄道図書刊行会)何回も読んだことあります。
直列 並列 切り替えで「急騰」して負担がかかってたことなど
「目からウロコ」のオンパレード。「うなり」の原因も納得!
茅ケ崎に住んでいたから111系15連との並走よく観た。
松の木と一緒に撮るとよく映えた。 線路脇にいて、ちかずいてくるとよく「モアイがきた、モアイがきた!」っていってた。
ほんとに重たそうに走る釜だった。 EH500はブロワー音がすごいが、EH10もあんなもんだったのかな? >>429
走ってるときかパンタ下げてるときしか見た(聞いた)ことないからなぁ 小学生時代、近所の東海道線藤沢駅周辺で連写一眼CanonAE-1にネオパンSSを装填し、スーパースターブルトレの合間にひっきりなしに通過する貨物列車を撮りまくっていた。
一番大好きだったのはEH10!!(・ω・)理由は当時真っ黒い塗装に黄色い稲妻ライン、デカい車体、姿が見えないところから重低音で地響き立てて迫り来る恐怖感だった。EF15、EF58、EF60、EF61、EF65 500番台、1000番台、EF66など錚々たる面々のなかでも一際、目立っていた。 EH10のブロワー音、モーター音はEF80の女性の悲鳴のような甲高いブロワー音、モーター音の対局に位置する。
言葉で表現できなけど、EH10地響き重低音の迫り来る恐怖感は今でも忘れない。 煩さの要因はMT49?
つりかけMT52のED72も五月蠅かったらしいけど。
惰行したらNFB切ったとか。 クハ181-45みたいに搬送時に二度と鉄路走られないようにするのはゴメンな なんで早々に廃車されてしまったんだろうか・・・。
今更の話だが。 EF60・EF65・EF66と平坦線用の新性能機が続々と出てきたからね。
(6軸で十分、8軸は無駄という思想)
EH500の成功で、8軸も実用に耐えうる事が見事に証明されたが。 機関区の公開などで、「あさかぜ」とか「さくら」などのヘッドマークを
付けたEH10も見てみたかった EH10は当時のモーター出力の限界から8軸化。
JRになってからの8軸は粘着力の向上とコスト削減が目的。 >>436
貨物輸送量の大幅減少のため、53.10〜55.10で列車本数がかなり減らされた。
よって貨物用機関車余剰→EH10は他線に転用できず(東海道・山陽専用車のような物だったので)
そのまま廃車、かな。
ただ、当時EH10より古いEF15が首都圏を中心にかなり残っていたが、
それを東海道・山陽筋から転用したEF60で淘汰したのがもう少し後だったが、
53.10〜55.10のとき、EF60を残しEH10をつぶしているので、案外ガタガ来ていたのかも知れん。
ただ、乗務員には評判が良かったとのこと(当時の関係者談)。
>>437
EF60よりは足が速かった(最高速度は別、RF76年10月号等にその旨の記載有り)。
最高速度85km/hの急行貨物列車だと、EF60よりもよく充当されていた。
東海道中部管内の場合、75・85km/hの貨物列車の基準運転時分はEF60で査定してあり、
その筋でEH10が充当されていた。 ガキの頃のブルトレブーム、仲間と集まっては沼津・三島間で写真撮ったり眺めたりしてた
さくらが通過し興奮冷めやらぬガキどもに「祭りは終わった帰れ帰れ!」と、のんびりやってくる
EH10牽引二軸貨物、解散の合図だったw
当時仲間内で不当に嫌われていて可哀想だったな、自分は色々な貨車が見れて好きだったけど その列車担当は吹田のEH10だっけ?
8号機とか12号機とか比較的若番を見ている。 雑多な編成が奏でる不規則なジョイント音(最後はヨのトントンと軽快な音w)
懐かしい、今じゃどこで聞けるやら…
肝心のEH10走行音、記憶の中では「モ゙ォォォォ」みたいな低い唸り音だったような覚えだが
余りに時がたち過ぎて定かではではない 小学校のグラウンドが東海道の土手したかぶりつきだったので
貨物といえばコレだった
くすんだ黒にタレた水垢ですんごい汚かったのをよく覚えてる >>443
実物は見た事ないけど、黒い車体に黄色の細帯を纏った姿は
子供の時にかっこいいと思ったけどなぁ。
逆にブルトレには魅力感じなかった。
熱烈な583系ヲタだったし。 実物みたことないが、写真で見て
怖いというかぐろいというか、子供心にそういう印象だった 黒くてゴツいんだけど、顔にどことなく愛嬌があったからちっとも怖くなかったよ。 小学生の頃、撮り鉄で東海道線に日参してたが
こいつが外線を長い貨物を曳いてやってくると
遅いこと遅いことw
後ろを走る優等列車の邪魔になるんじゃないかと
心配していたくらい。 やはり全般的に低めの汽笛が魅力的だったな
EF5876とか最後までブルトレ牽いてたEF6653とかは近い音色
お召機の5861なんかは音がデカく高め 子供の頃、構内で停車する機関車の側板や銘板に触れるのが好きだった
でもEH10だけは艶もなく汚れた感じで、触ると自分の手が真っ黒になるんじゃないかと敬遠してたw 最近まで現役だったDE10-1042とかの方が汚く見えるけど実際どうだっただろう >>442
某区のウテシさん方々に好きなカマを聞いたら、
声を揃えて「エッチト-はヨカッタナ-」と仰っていたのを思い出しました。
もう四半世紀前の昔話です(遠い目) 今月のRMはEH特集だ
EHが旧型電機と新型電機のどちらにでも分類できないような記述 >>463
元東京機関区で機関助士やってた人から聞いた話だけど、東海道本線に運用されていた電気機関車の中では1番乗り心地が良かったそうだ。
ちなみにその人はEF58〜EF66まで乗務経験ありです。 >>463
そりゃ出力の割に粘着重量が大きいから踏ん張りがきくし、
8軸だから空転にも強かったそうな。
>>467の理由もある。 >>471
ベッドかわからんが後ろに長椅子みたいなのはある 大阪東淀川に残されてるEH10なら公開はかなりの期間されてないよ クリスマスぐらいに東淀川のやつ飾り付けされてたのか… 40代座席格差40代ニュース報道春文教授立会人そていFX博奕「ニューヨーク砂漠ソルトレイク」センター50代野村光金しゅっちょおしょくじけん
https://www.youtube.com/watch?v=jET485MS1Vw宇ドナルド)マック張内戦中華
40代座席格差40代ニュース報道春文教授ディズニーちゃくふく春分解雇FXさんどりしゅっちょう[ヘルシアノートン緑茶]
https://www.youtube.com/watch?v=oMbYLIPZQ6c寸止講演会自主責任
40代座席格差40代ニュース報道巨樹グルテンそてい十代FXセーブデータ遠隔消去KAR-Dローン(シュッ)しょうきょ家賃滞納決算20代かふぇまなー銀行光金動画蓄物牧場
電力自由化上野坂個人ニュー酢駅員サービス不足ホテルバイトワインパワーギャンブル
マンハッタンシチリア無料モニターパリ横浜人事部新橋飲酒運転チャイナタウン共済義援金とうせん★大阪人横取り★ライブマネー
適正価格詐欺のうぜい国立ラスベガススーダンエクアドルチャイナタウンブックオフル流経営費福祉沖縄中華旅行絶句ロス九月決算ディレクタークビ30代不正労働ビザ
ぼったくり春文インフラ時事ネット遊園地たかが監督(しん原宿あっせん安保上納金決算ドーピングニュース)井野頭3月経歴査定
虎の門20代無許可監督者保証池上横浜ポセイドンニュース外国人秋葉原情報(ブフランス札幌羽田西村ソフトバンク仏師アドバイザー退会処分NYダウ9月振高値ビジネス) H級蒸機は8軸固定でカーブを曲がれずそのままあぼーん
(生産量を目指すと巨大なネジが1本、生産数を目指すと規定よりも小さなネジが多数生まれるお国柄) >>474
61号機と言うナンバーは保存公開されない不遇なナンバーorz
ゴハチ本線走行キボンヌ!
EF1561廃車解体orz 管理者のフェイスブックあるやん。
直近では3月にも公開してたみたいだけど? > (生産量を目指すと巨大なネジが1本、生産数を目指すと規定よりも小さなネジが多数生まれるお国柄)
すいませんもう一度・・・ 大阪にあるやつヘッドマークつけてんのな保存会やるやん EH1015の最高速度記録124km/hだっけ?
C62にも負けている・・・
というか日本での機関車の最高速度記録はなんと蒸気機関車なんだな
未だに記録は破られていない・・・ 後出し禁止
動力分散化で新幹線も出来て
狭軌の機関車が速度を目指す理由自体がなくなったしな 欧州の電気機関車は腰が低くてかっこ悪い
ゲージが広いからモーターの架装が日本と違い、
そのため動輪を小さくできるのかしら? このスレタイを目にするといつも酒井法子を連想してしまうわw 70年代は幸せだったな
その気になれば毎日でも見れたもの 名古屋機関区から稲沢まで便乗した時,走行音に驚いた。 >>499
多分その頃ぐらいだけど、金谷駅にEF18が停まってるのを見た
静岡地区はデッキ付機関車がもうかなり珍しかったから新鮮だった やはり黒のボディに黄色のラインという出で立ちはインパクトあったな
この配色を考えた人は偉い 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
トランプジョーカー切り(創価大学消防庁コストカットアイドルマスターパイナップル株式会社)30代好評人気連載漫画「ヒカルの碁スキンケア」
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京ギャンブル依存症顧問職員稲田籠池豊田
40代社会人集団ストーカー対策ーhondasouichirouー 横浜マドリッドスペイン上西フライングトルネードオーバードライブシュート西口
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース 淡路の見てきたけど、窮屈な場所に閉じ込められて可哀想だった
涙が、出てしまった たからのヨ5000が後生大事に保存されてるなら
という気はする ギリギリギリ!
猫娘
「すごい歯ぎしり…。
トランスミッションくんと一緒に寝るのは間違いだったわ…。」
※リンクと猫娘の耳は神の声を聞くことができるエルフ耳なので感度が高い。
このため、歯ぎしりなどの不快音は頭痛を感じるほどである。 淡路は地元の有志がきちんと保存できてるのが素晴らしい
EH10に因んだイベントもやってる
草の根保存の成功例 淡路は屋外とはいえちゃんと屋根付き、金網付きで保存してるからねえ EH10は急行貨物
EF66は特急貨物
EF15は普通貨物 大昔、EF15とEH10の運転台に入らせてもらったが、狭隘なEF15の運転台に
比べてEH10の運転台がとんでもなく広くて解放感もあってびっくりしたよ。
EH10の機関士は運転席に座ってインパネに足を乗せてのびのびと週刊誌を
読んでたっけ。。。 後ろに跳ね上げ式のベッドなかったっけ?
EH10とEF58の運転室 >>522
ベンチみたいなのならある
あれがベッドなら狭すぎ 今東北線は次から次に貨物が来るけどみ〜んな金太郎。。。
でもEHだけにF級のカマより相当な騒々しさと重量感たっぷりに走りすぎて行く。
EH10もこんな感じだったんだろうなと思う。 全長が2メートル半くらい短かったけど迫力はあっただろう。 今は亡き0系で冬の関ヶ原付近を通ると、白い背景に角形ブラックのEH10がズラズラ。
特急料金払い戻しを楽しみに、停まっては徐行、停まっては徐行の車内から眺めていた。 今のEH級に比べると、図体の割になんかちょこちょこした感じで結構可愛かった。 JRおおさか東線淡路駅開業記念EH10両エンド車内公開見学会が開催されましたよ
地元自治会商店街の手作り感満載の微笑ましいイベントでした >>530
行って来ましたよ
運転席に座れて感動
あの当時の運転席には灰皿があるんやね
タバコ吸いながら運転してたんかな?今では考えられへん事やな。 >>533
昔は長距離も国電もタバコ吸いながら運転が当たり前だった。 俺は25年前に東京で某観光バス運転士だったが、あの頃はバス車内は喫煙OKは
もちろんのこと、運転士も実車中にタバコ吸いながら運転してたぞ。 25年前は職場で平気で喫煙できたからな。
自分はやらないが、昨今の排斥は異常に感じる。
喫煙者がいても、お菓子を食べられるゆるさがいいw
次に排斥されるのは炭酸(糖分)か?コーヒー(カフェイン)か? 【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@高添・沼田(東京都葛飾区青砥6−26−6)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
A井口・千明(東京都葛飾区青砥6−23−16)
※犯罪首謀者高添・沼田の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
B宇野壽倫(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
異臭を流し込んでくるなどの嫌がらせを何度も繰り返ししつこく行ってくる嫌がらせ犯罪者である
C色川高志(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
D清水(東京都葛飾区青砥6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
E高橋(東京都葛飾区青砥6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青砥6−23−20) 近年はEH10の模型は1/150から1/50まで売られているが、一時期殆ど出回らなかった時期があった。中古の
KATOの中古品がプレミア価格で取引されていた時期もあった。
鉄道ファン2007年9月号1/80量産車形式図
とれいん1993年7月号
RMM 1999年7月号16番 キット
TMS 1969年1月号16番 改造
TMS 1971年6月号16番
TMS 1972年3月号OJ
TMS 1999年12月号16番
TMS 2000年12月号Oゲージ
TMS 2005年2月号16番
TMS 2008年11月号OJ
TMS 2007年11月号16番
TMS 2012年12月号16番
TMS 2013年4月号16番
とれいん 2012年11月号16番 >>547
KATOのEH10は1/150よりも大きい
はやくファインスケールのを作り直してほしい >>553-556
Youtube動画に、10年ほど前に、
福岡〜札幌の直通高速貨物列車の
機関車に女性リポーターが添乗して、
2昼夜をロケする番組があった。
機関士交代で停車するその場所に、
電話ボックス形のトイレがあって、
彼女はそこを利用する場面が。
機関士は3時間くらいで交代するけど、
ずっと添乗するのは本当に大変そう。 それにしてもどうして一般的に知名度のあるSLや特急車ではなく、地味な電気機関車に惹かれたのだろうね >>561 ブルトレ好きが牽引機たる電気機関車好きでもあることが多いというが。 レス563だけど、EH10、高速試験以外で臨時かピンチヒッターで旅客列車牽引したことってないのだろうか?
ブルトレには無縁な車両だな。まあ、ブルトレとの並びを撮影したマニアはいたかもしれないが。 >>557
大きいほうもそこでしてたのかな、、
てか、二日二晩寝ずにロケしてたの? >>564
DRFC-OBのブログに京都駅で撮影された客車けん引の画像がある
昭和34年9月撮影、牽引機はEH1059、説明によると営業列車とある >>566
助士席で寝てたw
お姉ちゃん丸2日同乗もすごいし
それを10分余りの尺に納めちゃう編集もすごい
いろんな意味で30年前だね >>569
模型で再現してるのを見たことがある
あれだけ揃えようとしたらかなりの投資が必要 >>577
だよなぁ・・・、一両じゃ「クモハ52と同じ出力(Wiki)」ってくらい非力で、
重連運用じゃないと使い物にならないやつだからねぇ。。。
これを”マンモス”っていうのもなんだかなぁ。。。 >>574
模型趣味の真髄はそこだね
現実にない、機関車と客車の組み合わせを実現できる 金太郎が来ると走行音もモーターの唸りも地響きも他の列車とは全然違う。
EH10もきっとこうだったんだろうなと思う。 おおさか東線のうめきた乗り入れで淡路駅の客が増え、駅界隈は活況にわいている
61号機を見に来てくれる人も増えたらいいね 学研の図鑑ではスタイルは新型機の部類だが機構的には旧式に含まれるという解説だったのが印象深い 大阪で保存のDF50 4が撤去とのこと。
EH10は無事でいてほしい…
ttps://news.yahoo.co.jp/expert/articles/c93eafc4d86c6ae9fafc0779ae45bc47e822e3f8 たとえ屋根付きでも長期の保存には耐えられないわけね
淡路のほうは地元の皆さんの熱意でどうにか持ってるが人間の寿命といっしょでいずれ覚悟を決めないといけなくなるかもしれない 日本の高度成長を支え黙々と働いた功労者のEH10.
淡路の保存機は早いうちに京都鉄博に移すべきだ。 急行便貨車と一体感を出したかったんだろう。貨車の方の帯はオレンジ色だけど。 >>597>>598
日本の大型電関では唯一では? 電関って玩具のようなフリーランスのHOゲージ鉄道模型のことじゃないの?
EB66とか
鉄道に興味がない人でも「あの黒い機関車どこ行ったの?」って聞く人がいるらしい
それだけ存在感あったのか
自分はその現役時代に見たことなかったのに 電関って昭和の頃に非鉄の人間が使っているのを時々見た。
趣味誌も電気機関車を略す時、普通は”電機”か”EL”で「電関」とは使っているのは見たことないな。 じゃあ、蒸気機関車は蒸関でディーゼル機関車はディー関かよと大人気ないことを言ってみるw 加山雄三と石坂浩二の゙対談で電関って言葉が出てきたな 古いピクトリアルの私鉄車両めぐりなどの記事で、電関を目にしたことがある >>604
芸能界用語を使ったのかも知れない
実は「感電」 >>608
対談時、模型の電気機関車を手に持ってたんだが
電関以外にもデッカーって単語も出てきたな >>614
加山雄三は生まれ育ちが東海道本線沿線という事でSLより電関の方が馴染みがあるって対談の時言ってた 小さい頃の記憶で鮮明に残ってるのは名古屋市電と急行比叡の車窓から見たEH10だな 加山雄三は鉄道に限らず
たまに言ってることが怪しい
誰も一々訂正しないからそのまま流れる 加山雄三はあの歳でガチゲーマーでもあるらしいぞ
前に「マイゲームマイライフ」という、ライムスター宇多丸とゲストが
本当にゲームの話しかしないっていう番組にゲストで出てきて
しこたま語っていったときはけっこうびっくりしたものだ 一部ではEH10同志の重連運用もあったらしいですね。
凄い迫力だったでしょうね。。。 後ろは回送でぶら下がってるだけだから出力は1両(?)分w
まぁ、ジョイント音は16軸分有るからそれはそれで迫力あったけどw 街中の商店街の踏切をEH10が爆走する姿は迫力あったなぁ なんか断面小さいのはなんでですか?
長いから細く見えてるだけ? いただきマンモス
ごちそうさマンモス
兄貴の食べ方変じゃない? 次は 加 須
Next Kasu
次は カ ス
葛 生 行き 子供の頃に豊橋駅で先頭の電気機関車が無く黒塗装のワムなど貨車だけ連なって走る貨物列車を目撃
子供の頃の妄想かなと思いつつ過ごしてきたんだけど黒い車体のEH10の存在を知り、きっとEH10牽引の貨物列車だったんだと思うように
自分にとって1度っきりのEH10の目撃談 黒く怖い機関車なので私は大嫌いでした。
保育園が東海道線の土手下にあり、ジャングルジムから眺めているのが日課でした。
しかし黒く四角い機関車だとわかると降りて室内に逃げておりましたな。