DF50総合スレ
>>98
「だが、おれは許さねえ!認めねえ!!」
概ね自称「DF50ファン」はこういった感じだな。
嫌っておきながら後になって撮っていなかった事を後悔するとか。
今一つ愛着心は感じられない。 >>92
子供心に、発電機から先は電気機関車と同じと思ったよ。 下は四国でしょうか
電化複線というと高松〜多度津のどこかかな >>103
四国とちゃうわい。
完全に考察間違ってるぜ。 >>102
大感謝です。大内山-梅ヶ谷間 でよろしいですかね?
>>103
下も紀勢線です。西寄りが電化される直前の夏休みに。
だんだん思い出してきた。でも場所は、うーむ。
>>105
上はそうですね。大内山の梅ヶ谷側の腕木信号が立ってた先ですね。
下も紀勢本線ですか。
私もポール立ってからは行かなかったし、
あっち側は古座あたりの海沿い区間専門だったので、わかりませんでした。
複線ということもあり四国かなと思ったのですよ。
紀勢本線の複線区間はそんなになかったですよね。
冷水浦あたりは複線だったかな。 >目的地に向かう途中の道すがらに
んじゃ、目的地の写真出せばもっと分かりやすいだろが。 >109
和歌山駅どころか和歌山市まで入ってましたよ。 西駅まではED76なのに、そこから先はDF50・・・・
DF50は格好悪い。
そんな風に考えていた30数年前も有りました。 非力さをはじめ、いろいろな点でスペックが辛くて、
6軸全軸駆動の粘着力と、直動でない電気式の長所だけで保っていたようなところはあったなあ
ともかく90km/h出せるにも関わらず、定格速度の低さにはあ然とする。
後継形式がDD51じゃなくてDE10で間に合ってしまう路線が四国などけっこうあったのも、笑うに笑えない……
(1060PS/1200PSで100kW主電動機6基駆動、最高90km/h、というDFのスペックなら、
1250PS・連結5軸駆動……つまりエンジン動力直動としては空転しにくい……
で伝達効率8割、最高85km/hのDEでも、軸重が若干軽いことを差し引いても代替できるだろうな) >>110
ありがとうございます!
S47、8年ごろ和歌山駅近くの病院へ通ってまして病院からの帰り夜20時ごろ和歌山駅で海南方面から轟音立てて入ってくる列車(貨物だったかも)を遠目に見たような記憶がありまして・・・確か箱型の機関車だったかと。
市内の路面電車がまだ走ってた頃です。 >>112
内燃化の胎動期なんだから仕方なかろう。
当時、電気式は構造が複雑でコストも高かった。
液体式は逆に構造も簡単で低コストだった。
因みにDD51が箱から凸型に変更したのも、コストやメンテを考えたからという(走ルンですの元祖?)。
コストやメンテを考えるのはどの車両も同じでしょ。
蒸気全廃へのカウントダウンが始って失敗は許されないし。
ってここはDF50スレか…。 初期コストが高いはずのDF50は長年大切に使われ
時代の徒花なのかDE11あたりは製造後数年で雨ざらしも多数… DE11って登場直後にいきなり「導入反対」て落書きされてなかったっけ?
誠文堂新光社の新車ガイドブックの写真で見たような SGなし死重積んでる貨物機がDE10だっけ?
DE10の番台変更でもよかったんじゃ? 違う違う
軸重13tで本線列車牽引・入替汎用仕様が原型のDE10で、貨物専用タイプはSGの代わりに死重で調整して番台区分してある
ラッセル対応バージョンがDE15で、これにもSG有無あり
最初からSGなし、死重を更に積み増して軸重14tにしたヤードの重入替特化仕様がDE11 marunouchi.OCNの規制に引っ掛かってカキコできんかった・・・
撮影地に関する考察、皆様ありがとうございました。
モノクロの方はジャギ氏の言うように切目−岩代間、ただし岩代駅の
スグ近くのような気がしてきました。なんも考えてない逆光構図と線形
からの推測です。
海沿いの定番地に行く気力が途中で萎えたものと…今も昔もヘタレ鉄w
DF200の活躍を天上にいるDD54やDF50はどう見ているんだろう…
「ワシらは世に出るのが早すぎたか…」 >>121
もはやDF200なんて興味ない。
天上にいるDD54やDF50もそう思っているだろうよ。
むしろ、こう言ってるだろう。
「いまさらもう少し撮影しとけば良かったなんてふざけるな。」 >>114
昔に較べて客車列車はほぼ壊滅、貨物も少なくなったとくれば、DEでなくても
間に合ってしまっただろう。
本来電気式は広い速度域でエンジン出力を有効活用できるから、同一出力なら
液体式より機関車性能は上のはず。それでも液体式で間に合うのは需要自体が
激減してしまったためだろう。 当方、山口県だがDF50は地元では見られんものと諦めていた(30年位前)。
でも、山陰側に行けば長門市辺りでまだ見られたかもしれんかった。
山口県ではいつまで走っておったんだろうか?
家の近所では石灰石積んだのをDD51が引っ張ってたが、つまらんかった。
DF50とかDD54とか見られる土讃線や播但線が羨ましかったなあ。 >>98
前原大臣の、DF50への熱い思いが伝わってくるね。名作だ。
それにしてもこの文章、鉄ヲタにとってはどうということない
が、一般的にはかなりマニアックな文面に映るな。前原大臣、
マジで鉄ヲタだわ。これだけの文章書けるんだから、間違ない。
政治的思考が自民党タカ派のそれに近い前原大臣だけに、今まで
はどちらかというと嫌いだったが、この文章で、少しは嫌悪感が
薄らいだ希ガス。
筋金入りの鉄道ファンですね。今の状況では、とても趣味を省みる時間は無さそうですが。。。 >>126
マニュフェストと現実との板挟み状態だから、長続きしないと思うよ。
八ツ場の決着を付けたら辞任、その後は小沢寄りのお年寄りが引き継ぐっしょ。 あの人は鉄だけに交通事情の現実もよく分かってると思うが、
国交相の守備範囲は広いから、喫緊の課題があまりに多すぎて、思うように動きがとれんだろうな。
127の言うとおりになりそうな気がする。 >>112
DF50とDE10ではどちらが伝達効率は良いのだろう。
機械式が最も良いのは分かるが、電気式と液体式もいい勝負な気がするが。
旅客用みたいに使用速度域が広い場合は電気式の方が効率が良く、入替用のように
専ら低速の場合は液体式が良いのかな。
>>127
つか高速道路無料化では理と情の間でかなり悩むんで無いの。 >>124
1974年にはD51に混じって走っていましたね。
1979年に行った時にはDD51ばかりだった気がします。 >>125
「だが、おれは許さねえ!認めねえ!!」
「赤ブタとほざいてた弟にDF50を語られてたまるか〜!!」 >>129
伝達効率だけで言うならDF50の方が効率が良い。
液体変速機は流体継手による「すべり」を利用して1次側と2次側の回転数差を吸収
するので、滑った分のパワーは熱になって逃げて行くが、DF50の電気式の場合直流
モーターの特性により回転数の差はトルクの反比例で吸収され(一応)無駄にならない。
また、多段式液体変速機の場合は段切替えによる変速ショックが出る場合が有るので
場合によっては空転の元になるが、これも当然エネルギーのロスになる。
DF50の場合も直並列切替えはあるが、液体式よりは無段変速に近いので、同等の
性能の液体式より重い列車の牽引が可能になる・・・・・・・理論的には。
DF50の癌はとにかく重い事。部品が高価な事。エンジンと電気動力の両方を整備する
必要が有り、整備の工数が多い事。
北九州地区に電気式気動車が投入された時、電気車両を整備できる技術者がおらず、
大いに持て余したのは有名な話です。
当時、近くに電化区間なんかありませんので。
>>129
よくは判らないが、四国のDF50重連で運用していた斗賀野−多ノ郷間の石灰石列車、18両だったのだが、DE10重連では16両に減車し、1往復増発した。
軽いDE10ではけん引力がDF50より落ちるからだったらしい。 >>1
DF50を語る言葉は概ね出尽くしたようだ。
皆、今月のJトレのように追いかけただけで終わったからな。 ._____________ ._ ___
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>>135
死ぬほどかっこいい!!
鉄道のフェラーリだ。 >>136
オイラは銀帯は写真写りが悪いんで好かんな。
やっぱ、白帯がよろし。 138両突破!!
「国鉄遺産名車両100選」という雑誌?
製造両数間違ってるぜ。
DF50ってその程度の認識なんだな。 土讃線を行き交う赤くて四角い箱型の機関車が牽引する黒っぽい貨車列車・客車列車に夢を乗せて… >>141
ハレパネで手作りとおぼしき「いい日旅立ちいいニュース(ニュース、の部分がこれまたNHKっぽいロゴタイプ…)」、
黒と朱の墨で「亀山が誇る美女3名(!!)ミス亀山と準ミス亀山さんによる(中略)多数のご参観をお願いします」…
この素朴な賑々しさが時代を感じさせてなんとも素晴らしい!
もちろん、写真も良いですね。初期型の車体形状の違いもよくわかる。フィルムの26コマ目なんてオチも懐かしい。 1950年代の本線用ディーゼル機関車の電気式vs液体式勝負って
西ドイツと日本以外は電気式圧勝なんだよね。
(あとは中国の北京形が頑張ったほうか)
まぁ西ドイツもDE2500試作してから電気式に流れていったけど。
DD51/DE10(或いはDE50)辺りの機関で純国産の電気式作ることが検討もされなかったのは
残念というか意外な感じもする。
1960年代ならDD51の対抗作として。1970年代なら今のように交流化・チョッパ化などの
ハイテクてんこ盛り機として。ダイナミックブレーキ(発電ブレーキ)目当てで
電気式という選択もありえたんじゃないのかな……。
以上妄想含みチラ裏スマソ。
DF50自体はよく活躍し、天寿を全うしたと思う。
>>145
内燃化が急がれて、値段的やメンテ的にも液体式が有利ということになった。
DD51は箱ボディーも検討されていたが、メンテフリーを考えて凸ボディーになった。
DD53はその箱ボディーの発展系だったかも。
その後の後継機は労使間に「大人の事情」があって、DD51とDE10、11の一つ覚えになり、
DE50や計画していたDF51が割を喰ったのだが、当時の「大人の事情」を考えても、機構が複雑でカネもかかる電気式はありえなかったろう。
と同時にDE50はともかくDF51は実現してても、無駄遣いに終わっていたろうな。 メンテナンスフリーは違うだろw
コストの問題。DD53は駆動系が複雑になったから箱形になった
今みたいに小型高速のモーターなかったから狭軌で軌道が弱いと電気式は辛いだろうね。 DD51があの形になったのは軽量化とコストダウンもあるが、一番大きいのは主要機器へのアクセス性を高める為。
最悪、機関の主要部品等を交換する事態になってもボンネットを外してしまえば機関はむき出しになる。 >>141
子供の頃の俺様が写ってないか探したじゃないか。
残念、写ってなかった。 >148
初期不良だらけのエンジンへのアクセス度を高めるのが
目的だったら 笑える
そこまでして「国産」のブランドが欲しかったのかなぁ
>>147
日本の機関車は狭軌ということを差し置いても、異常なほど軸重制限が厳しいからね
海外のレベルならDF50もDD51も従輪なし四動軸クラスでしょ
>>148
でも運転室を中央に置く必要はなかったんでないかな
主要機器へのアクセスというのなら、両端運転室で中央部をボンネットにする
組み合わせもあったんでないの
海外の鉄ヲタも、入替機関車然とした姿に疑問を呈しているのを見たことがある >>150
1ドル360円時代だぞ?
国産でないと安く出来ない。 釧路臨海鉄道DE601のスペックをDF50/DD50と比較しちゃっていいんだろうか……。
機関出力はDF50より小さいくらいなのに、主電動機出力はあっちの方が高い。
諸元表に載せる前提条件が違うような気がしてならない……。
或いは、電気式も(本場のアメリカで)1970年までに大幅な効率向上が為されたと
いうことか?
DE601がほんとに諸元表通りのスペックなら、当時あのクラスを国鉄が借入して
DE10/DD54と比較評価してたら……?と妄想してしまう。
>151
日本と線路条件変わらない台湾鉄道管理局ではアメDLガンガン走ってるんだよね。
6軸全駆動ばかりだが。
>148
運転台中央というと、フランスの交流電機が異様に凸型に固執した時代があった。
(1950年代、BB12000など) 日本のディーゼル機関車の技術提携先がドイツ・スイスばかりなのは
(DD41は別だが。あの機関車の機関はほんとに東芝で造ったんだろうか?)
ライセンス生産の契約を結べたのがあっちの会社しか無かったからという
仮説はどんなもんだろ?
DD12でアメリカ製ディーゼル機関車のできの良さは認知されたたはずだし、
当時のことだからアメリカの情報は大量に入っていたはず。
だから本線用ディーゼル機関車導入する際にはアメリカ流儀の機関車も
検討・試作くらいはされても良かったはずなのに。
で、検討にも至らなかったのはアメリカのメーカーは製品輸出しか考えておらず、
日本の望む技術提携(=ライセンス生産)は望めなかったからじゃないかと。
その中、ドイツやスイスのメーカーはライセンス生産での契約にも応じてくれたから
準国産でDD50/DF50/DD54などが生まれた、と。
まぁ、飽くまで仮説だが。
日本で1950-60年代にアメリカンDLの時代が来なかったのは趣味的には残念だけど、
国産大型機関の開発・発達が阻害された可能性も高いから、
結果的にそれでよかったのかもしれないなぁ。
ただ、国産機関が落ち着いた1970年代以降は外国製品も「競合品」として
真面目に検討する必要はあったと思うけど。 >>152
エンジン単体で完成品輸入するなら360円は痛い
でもライセンスだとどうなのかなぁ?
国産エンジンには莫大な開発費がかかってるハズ
イクラかかったのかは語られいない
コスパはどうだったのか?
DF50 発電ブレーキでググルと一件だけCL14 と発電ブレーキ付き
とあったけどホント???
>>151
いや、カバーを取り外せばそのままエンジン露出、という点ではボンネットの方が整備性がいい。
箱形は既にDF50で経験していて、損得勘定はできるだろう。
ボンネットレイアウトを指示した近藤恭三さんの功罪は、DD51に限らず、国鉄内燃車技術の面で相半ばするよなあ。
DML30HSとその自然冷却器の一件といい……
>>152
当時の「国産」は、「ブランド」じゃなくて「国策」、意固地なまでの国家的産業政策&費用節減策だもんな。
で、国鉄に付き合って鉄道エンジンの国産開発に携わってくれるエンジン屋が、新潟、振興、ダイハツディーゼルと
どうもぱっとしない。
新潟鉄工の舶用エンジンが1960年代まで二流三流のレベルだったのは、
マイバッハエンジン付きのドイツと新潟エンジン搭載の日本との、保安艦艇の性能差でもわかるし。
先端技術のある自動車メーカー系は、
こんなに儲からない、偉ぶったユーザーが一方的に条件を押し付けてくるビジネスなんか関わりたくもなかったから
鉄道省以来腐れ縁のある二流エンジン屋が残ったんだろうが。 >>151
さあ、目をつぶって想像してみるんだ。
両運転台はノーマル箱型なのに車体中央部がDD51な凹型機関車を。
どう考えてもノーマルDD51の凸型の方がマシ
冗談はさておき、それの類似型はDD54の初期型(現存セズ)がやってる。
あの車体は真ん中だけ取り外しが可能だが、最終型では普通の車体に戻ってるから
使い勝手がよほど良くなかったのだろう。
まあ、あの機関車の場合それ以前の問題が有るが。
前方監視の問題を考えるとアメリカ型に多い高ボンネット端キャブ型も踏切や急峻な
地形が多い日本では論外(DD14だけはロータリーヘッドの関係で必然だが)。
結局低ボンネットの凸型か箱型しか選択枝は無いので整備性で凸型に落ち着くわな。 まさか? 二流エンジン目視監視用に運転席の前にもってきたんじゃ
ないのか
だとしたら
二流エンジン専用ボディ 乙!!
ただDD51は国鉄のEF60以降の本線形機関車では特殊な例を除き唯一のデッキ付きになった。
DD53を見てもわかるとおり、箱型にしていたらおそらくデッキなしになっていただろう。
デッキは構内作業などでは重宝するからね。 >159
話題それるけど、デッキ付き電機や箱形ディーゼルって世界的にも近年は
造られてないよね。
本線機でも入換やるんだから、デッキ付きでカッコいいの造りゃいいのに。
(近代型なのにデッキ付きの予定だったED95/ED63はカッコいいぞ!
あとEF67の小さなデッキもいい! 大井川ED90の素晴らしさときたら!!)
DD51のDF200置き換えで入換などで不便は起きてないんだろうか?
いや、絶対に不便なはずだ!
DF200もEH200もEF210もEF500もEH500もみーんなデッキ付きになっちゃえ!
というわけで妄想暴走スマソ。 >>161
デッキなしの機関車だと小さなステップに足を乗せ手摺につかまって手旗信号振る
わけだけど、特に雨とか雪とかの時はちょっとやりたくない作業だろうね 箱型デッキ付きディーゼル機が好きなら、くろがね線のDD70がマジお勧め。
もちろん未だ現役。
初めて見かけた時のインパクトは強烈だった。
牽引してる貨車も強烈だったが。
ただ最近、列車本数が激減してるから今後が心配でもある。 確かにかろうじてデッキありますた
でもなんで? なんで ライトがないの? >>166
DD10の竣工直後?を写した写真にはライトがあった気が… 1947年に車籍が消えてしまったのか・・・
ライトが着いてる写真はナイだろなぁ >>168
いや、竣工時のメーカー公式写真には前灯が付いてるから 別にDD10やDD50の話題出てきても構わないけど。DF90やDF91新旧ならさら可。
DF200はちょっと違うとおもうが。 この機関車って西日本だけかと思ってたが、長野・新潟から青森まで走ってたんだね。
あの矢立峠越えの写真見て驚いたわ。 >>124
昭和53年9月下旬までは、下関に入っていたはず。
小串折り返しの筋があった事を、はっきり覚えている。
一旦引退して、10月だったか、重連さよなら運転を行った。 DF50が京都まで来なくなったのはいつだったっけ? 走行音が聞いてみたいね。
さぞかしうるさかったことだろう。 どっかで録音されてるのを聞いたら、
ガルガルガルガルみたいな感じだった。 親の実家が日豊線の脇にあり、毎晩夜行列車を牽く音を子守唄にしていた。
蒸気とは違う「キーン」という音なのに何故か悲哀を感じた。 お召機だったのか・・・
修復後だとしたら、お召機には充当されていないだろうなぁ。 DF50の運転士は、突然現れたD51を確認する時間もなかったでしょうね・・・
頑丈に見えるDF50がこんなに粉砕されてしまうとは…。 <br> しかも破損範囲が少ないD51の方は実は単回。 <br> <br> 恐ろしい事故ですね。 やっぱSLって頑丈なんだな。
乗用車と大して大きいとも思えない2屯くらいの
小さいトラックがぶつかると、乗用車だけが粉砕される様を思い出した。
どうでも良いけど、時々見かける<br>って何?タグでも使おうとしてるん? 頑丈だろうな。電気やディーゼル機関車は引張力がかかる台枠は強固だけど車体は鋼材を組んで
鉄板貼り付けてるだけだからな。16mm(だっけ?)の板厚あるボイラーには敵わんだろ
ただしSLは足まわりにシリンダとか重要部品が露出してるから意外ともろい部分もあるよ。
城東貨物線で車を跳ね飛ばしたD52142が、結局それが原因で三ヶ月後に廃車になった。
本体は何ともなかったけどシリンダが痛んだそうで。 確かにこの事故でも一見小破っぽいD51の方が廃車になってるな。 まぁ時代の需要もあったんじゃないかねぇ。
D51なら掃いて捨てるほどあったんだろうし、
これからディーゼルだから、是が非でも直そうみたいな。
・・・と言ってもウテシが亡くなっている機は、やはりこわひ。 DF50の車体外板は非常に薄く2o程度しかない。
だから四国では積極的に全面補強したんだよ。 D52142が事故に遭ったころはSLがどんどん淘汰されていく時代だったからな。
ちょっと調子悪いSLは優先的に廃車されたんだと思う。
事故が無くてもいずれDLに置き換える計画が間近かだったんだな〜
ただし、廃車されたのは吹田から北海道の五稜郭に転属してからだから、一応は
修理してまだ使うつもりだったみたいだけどな。
DF50の話題じゃないけどすんまへん。
DF50は後継のDD51との馬力の違いがあまりにも甚だしいので、
集団でお払い箱になっちゃったけどね。
四国での後継はDE10かな。性能的にはDE10のほうが強力やろね。
スルザーのDF50はちょうどC58と同じくらいのけん引力やったよ。
501〜のマン型は強いて言えばちょっと強力で坂道ではD51クラスかな。
「富士」が24系になった時の夏に西鹿児島から東京までシンデレに乗ったけど、
宗太郎あたりでDF50オーバーヒートで停まってしまった。
やはり20系より重たかったのかな?
10分以上ラジエター全開で再スタートしたが、蒸気が圧を上げるのに停まったのに似ていた。
(狙いはまったく逆だけどね)
ちなみに余裕時間が多くとってあったようで大分では定時発車。
宮崎近辺でリニア実験線を見た記憶が残ってます。 すまん、シンデレって何?ツンデレとは関係ないよね・・・?