DF50総合スレ
>>201
DLDC開発を担った近藤恭三氏が「大型液体式も構造が簡単になるから凸型にしろ!」と命じて
DD51が凸型になっちゃったんだよな。
そりゃ簡単にはなるけどさ……オサレではない。 凸型だとエンジンの点検修理、部品交換なんかが箱に入ってるよりはるかに
簡単にできるからな〜。バック運転も簡単だし。
しかしあの凸形が本線まで出回ってきた頃は、「車両」というより
足まわりのついたエンジンと言う感があったが、、 でもラジエーターの熱気が視線に入るんだよな。
陽炎がゆらゆらと視界を乱してる気がする。 陽炎は確かだが、踏切事故の時の乗務員の安全には凸型の方が有利やな。 >>204
何か自分の言葉じゃないよね
本の受け売りか、学校の先生が言ってたそのまんまって感じ 別に箱の見た目が好きだからって凸をdisる必要もないだろうに。 DD51維持費に金かかりそうなんだよな
エンジンルームが狭いと空気の通りが悪くて熱がこもりそうだ
オイルもヘタリやすくてマメに変えなきゃならないし
エンジンも熱で歪みが出てメンテにカネがかかる 琴電がDF50に遠慮して警笛の音をわざわざ変えたくらいだからね。
四国にはウヨウヨいたんだろう。 というか四国には長らく電化線区はなかったのだから
DLがたくさんいるのは当たり前なんだけど。 小学生の時、亀山機関区で見ました。もう名古屋までは
来なくなっていた。キハ81とか、流電とか、豊橋の
EF10とか消え始めていた。国鉄の電車はトイレとか汚くて
サービスが悪かった。アニメでは宇宙戦艦ヤマトが流行っていた。
3億円事件とか、山口百恵の引退とかもそのころ。 DF50が四国に集結してた末期、おれ、高校生だった。
高松機関区に撮りにいくと、管理室?でJNRと書いたヘルメット貸してくれて、
(以下、リアルに讃岐弁で再現)
「どこでも好きに撮ってかんまんきんの、ほなけんどレールを渡るときには気ぃつけまいよ。
突放貨車やこし、音も無う走ってくるけんの」
「マニアの人がこなな立派な写真パネル贈ってくれてのう、ほれ、ここに飾ってあるがい」
「おまー、これ(ダイヤ表)見てんまい、xx日のこの昼の列車はDF50の1が引くんぞ。
これ撮りまい、あ、ほうか、おまー、高校生なきん、授業サボっては撮れんわのう、がっははは」
高松機関区の中でおれがDF50撮ってると、運転士のひとに声をかけられ、
「おまー、ワシが今から運転するキハ30も撮らんか!機関車もええけどキハも珍しいんぞ」
だが、鉄ちゃんに理解があり過ぎるほどあった高松機関区も、
ある時点から部外者一切立ち入り禁止になってしまった。
鉄ちゃんを快く機関区に入れていたのが仇になり、
DF50の製造所銘板を外して盗んだ大馬鹿者がいたからだ。
どこの誰だ、あれから何十年もたつけど、その大馬鹿者、ブン殴ってやりたい気持ちがいまだにある。 >>217
そうだな。
今なお俺もそいつらを探し続けているぞ。 >>218
岡山支社スレで有名な赤じゃないのか?。
ヤツは宇野駅で「瀬戸」のヘッドマークを盗ろうとしてつかまったことがある。 当時「高松まつり」に高松機関区のひとが屋台出したことがあって、
DD13のピストン(ひっくり返すと灰皿になるとか)なんかも売ってたけど、
あまり売れてなかったなあ。
いまみたいに鉄道部品に高値がつくご時勢なら、あっという間に売り切れたかもわからんね。 そもそもDF50は無煙化推進計画で量産されたもので、
結局蒸気の置き換えようだった。SLファンにとっては
あまりうれしい車両ではなかっただろう。北海道意外
ほとんど走っていた。最終的にSLを絶滅させたのはDD51と
DE10だった。性能が良かったから。当時SLファンには目の敵に
された。 >>221
ミンス盗の真栄原なんかがこの部類だよな。
撮影するものが無くなって鞍替え。
二転三転する政治家にぴったり。 DF50 急勾配トンネル区間のウテシ窒息対策だったような 国鉄DCスレで、DF50の悲惨な事故の話で盛り上がってる。。。 しかも酷い低レベルな流れになってて笑った。
おっさん以外もいるんだな、この板。 子供の頃、石見大田で鈍行の車内から、急行出雲を牽引しているのを
見掛けたことが印象に残ってます。 なにかのサイトで
EF65+EH10+DF50+DD54+カモレ
なんて言うすごい列車の画像を見たよ。
確か、本務機+回送+入場+廃回だったかな…。 今月のJトレでしょ。
3483レね。
関西では廃回を撮影する元祖的な列車だった。 そうだ、Jトレだった!ありがとう!!
しかも今月号…。
ボケたか、俺も…。 日豊線南宮崎電化の時に、定期列車のDF50の前にED76を付けて訓練運転を盛んにやっていたのを思い出しました。
見た目は同じでしたが、鹿児島まで電化完成で今度はそのDF50がED76貨物列車の機関車次位に連結されて小倉工場に向けてひっそりと回送されて行くのを時折見かけ、ああ、お疲れ様DF50…と思ったのも遠い思い出です。 DF50って軸重15tなのに亜幹線、すなわち乙線区間で走ってたのが
多いけど、線路傷まなかったんかいな?
おらが村の小野田線でも走って欲しかった。DD51、DE10しか見とらんでな。 >>236
軸重は14tじゃなかったかな(確か満載で84t強) >>237
236でつ。ほんまや。軸重14tね。失礼した。
最高速度90km/hを重量90tとずっと勘違いして覚えてた。 D51と正面衝突したり、土砂崩れに巻き込まれたり、ミキサー車とぶつかったりと
事故に遭ってばかりの印象のDF50。 DE10に比べて最高速度が5km/h速い以外、実質性能で負けてるな……
軸重制限のために、泣きたくなるほど非力だ 粘着力じゃ上だろ。降雨降雪連続勾配のような条件じゃDE10より使いやすかっただろうと思うが。 DD50は語っちゃダメ…?
かく言う俺も精々米原で長いこと野晒しになっているのを新幹線車内から見れただけなんだが…。 >>242
気持ちは分かるが、やはりスレ違いになるからダメですね。 DD50スレ作っても伸びないだろうし、ここも過疎化してるから少しくらいは
良いとも思うが、果たして語れる住人がどれほどいるものか・・・?
ここの住人の書き込み見てると結構語れそうな年代のお歴々も少なからず
居そうな気もするが、そもそもDD50でそんなに沢山話題があるかのかな? じゃあDD50に関する話題を一つ。
DD50に「日本海」のヘッドマーク付けている写真を見た事あるんだが、
これは何の企画で撮影されたんだろう?
単機での写真だったので、米原〜坂田の継走運用の際に特別に付けた
という感じじゃなさそうだし。 そもそも定期運用でDD50のブルトレ牽引ってあったのですか? むかし米原あたりにセクションが有った時に、交流直流の橋渡しに使ったらしい
>246
客レ、貨レは米原〜坂田をDLで継走していた時代、
DE10とDD50は共通運用だったので、どっちも短区間
ながらブルトレ牽引した。 >>248
もちろんその際はいちいちカン付けたりしてないですよね? ググるとDE10がブルトレ日本海を牽いてる画像は出てくるんだけどねー
DF50よりDD50の前期型のほうが好みになってきた
何やら共産圏の機関車みたいな危なっかしいニオイがしてw 軸重が無闇に大きい
エンジンがズルツァー直8の900PSで低速堅実指向、おまけに馬力がないのを最初からわかっていて重連運用前提で片運
確かに共産圏あたりの試作車っぽいな
そこから考えると、同じエンジン(チューンしたが)を使いながら
乙線仕様、暖房用ボイラー付きで中間台車の横転動対策まで整えて両運貫通型としたDF50は、非力ながら随分まともになった感はある 確かに茶色のDD50一次型はなにか異様な雰囲気すら漂うなw この流れなら聞ける。DD50ってさ・・・
重連運用専用って事は前と後の製造番号って違うんでしたっけ?
「DD50 1」+「DD50 2」みたいな感じで。
もし違うんだとしたら、永久連結のペアなの?
EH10は前後の番号って一緒でしたよね。 >>253
当然です。
1両でも運転実績あります。
初歩的内容です。 製造番号書き出すのじゃまくさかったんで下記参照。
製造年はwikやバケネコの本が間違いで正解は27・30年。
ttp://www.jnr-photo.com/DD50/DD50-No1.htm >253
1輌で運用した事もある。
四国に1輌だけ持ち込まれた時、終点ではターンテーブルで方転という、
DLとしては噴飯ものな使い方をした。
尤も、SL全盛時代の事なのでターンテーブルでの方転は日常茶飯事だから
手間とは認識されていなかったのだろう。 >>257
土讃線で借り入れたDF91が不調(レールへの横圧が過大)でメーカーに
戻しての修理の間、ピンチヒッターで4号機がただ一両四国に行ったんですよね。
D51の65%しか出力が無いDD50一両で満足な運用が出来たのだろうか? >258
ここの記述が正しいなら、当初はC58を補機にして運用したようですね。
次のページには、客車をはさんだプッシュプル運用した事があったという記述も。
ttp://www.geocities.jp/mochihamochiya23/zdd50no2.html
豪雪期は通常の気動車列車をDD50×1+客車+DD50×1に置き換えて運転
なんて運用もあった。
重連総括できないDD50だから、進行方向最後部のDD50は死重扱い。
>>259
ゴメン、よく読まなくて書き込みがダブった。
でも厳密には「プッシュプル」ではなく「プル」だけだったようだ。 DD50+客車+DD50だと英国のHSTみたいな雰囲気になるな
そういう形態の気動車特急にするつもりはなかったのだろうか?
>>258
>D51の65%しか出力が無いDD50一両で満足な運用が出来たのだろうか?
…やはり成績不振だったんだって。 DD50の実車の動画ってありませんね・・・。
あるのは模型のものばかり。
エンジン音聞いてみたかった。 >>260
後ろの機関士と無線通信で協調運転とか出来たら・・・・
機械式のDCだとそれで動かしていたんだっけ? あれは無線どころかブザーで合図ですよ
江若鉄道の長編成なんか、誰かが合わせそこなうと大変だったらしい >>265 >>266
そうですね。無線なんていうハイテク機器ができたのは近年の話で、汽笛の合図で判断したりしてましたね。
自分が体験した最後は、鹿児島交通のキハ07で、先頭の運転士のブザーの合図で後ろの運転士がタイミングを合わせて、ガッコンガッコン揺れながらの楽しい乗り心地でした。 >264
音だけなら
っttp://mahoroba.kir.jp/sepia/oto-dl.htm DF50って紀州と四国と山陰で最後まで残っていたけど、
洗車や塗装で一番綺麗だったのって紀州地区だった? >>272
単に見るだけなら普通に見られますが、
貴方が何処までお望みかわかりません。 >>273
あ、どうも。
一目見たいだけですが(二、三目は見たいですが)、神社とか幼稚園とか聞いたので、私有地で普段は立ち入れないとか平日は不可とかあるのかなと。 >>275
物凄く厳重な保存(保管?)だな。
1枚目の写真の機関車の説明板に記載してないが、所有者及び管理者は個人?
市?なにかの団体?(菅原天満宮?) この機関車を最後に電気式DLは一旦「絶滅」した…。
30年前「国鉄機関車全ガイド」を著した高橋摂氏はしきりに
「もっと電気式を見直すべし」的な主張してたが、
液体式と比べてのメリットとは何なのか、もう1つ分かり難い気もする…。 >>277
直巻モーターは発電した電力を常に速度と牽引力とに分解して使えるから、どの速度域でもムダがないんだろう
これに対し液体式ではトルコンを介しても直結状態でも、一定の速度域以外では効率が悪化するのではないかと
前の方のレスにもあったが、エンジンの出力がほぼ同等のDE10とDF50(MAN型)ではDFの方が性能は高かったらしい ついぞ生きてる姿を目にすることはなかったが、山形生まれ育ちのお袋が結婚のため上京する時、
「急行で、米沢までは赤いジーゼル、そのあと茶色い車が先頭について福島に向かった。その後生まれて初めて食堂車に行った」
と言っとったから、秋田マン引き『たざわ』だったんだろう >>278,>>279
Thanks
それにしても、実際に電気式が復活する(DF200)まで長い道のりだった…。
まぁ、これをDF50の「後継車」と呼ぶには余りに違いがあり過ぎると思えるが…。 DF50→DE10の置き換えがあったって事は、その線区ではDF50も
最高速度は出してなかったって事になるんだろうか…。
85km/h未満でいいからDE10に代わった、って事だと思ったんで。 DF50の最高速度は90km/h。
DE10の最高速度は85km/h。
当時の予讃本線の最高速度は高松−多度津間95km/h、多度津−宇和島間85km/h。
当時の土讃本線の最高速度は全線85km/h。
差が出る区間がわずかだったのと、5km/hの差だから大したことはなかった。
ただ、重い貨物列車では、けん引力がDE10 1000番台でも、DF50のスルザー形
よりもないので、斗賀野の石灰石列車ではDF50重連でホッパー車18両けん引
だったのが、がDE10 1000番台重連でホッパー車16両けん引になってしまった。
あと、DF50では暖房時期にSGを扱う要員が乗っていたが、DE10では乗らない
という違いもあった。 電気式はエンジン→発電機→モーターという変換をやっているから非効率なように思えるけど、
モーターの特性から牽引力と速度の両方の性能を狙えるといことなんだろう
しかしDF50が目指したC57の最大速度は100km/h、D51の粘着牽引力は14.5tと性能面では完全に
DFを凌駕していた。大型蒸機に性能面で太刀打ちできたDLはDD51とDF200だけだろう
>>284,>>285
レスに感謝。
DF50は大型のSLに及ばず、って話は聞いたことがあったけど、
結局やっぱりまだ「発展途上」の機関車だったということか…。
エンドキャブの見た目は、DD51やDE10辺りより立派だと思えるんだけど…。 DF50のエンジンって2サイクルエンジン?
ポンポン音してたとか >287
DF41の三井バーマイスタエンジンが2ストだったのは有名だけど。 × DE10 1000番台重連でホッパー車16両けん引
○ DE10 0番台重連でホッパー車16両けん引 >>285
DF50トンネル勾配区間の無煙化対策がターゲットだから
100km/hなんていらない
あってもどこで出すの? 往年の亜幹線運用なら、よほどの高規格に恵まれた路線を除けば、85km/h巡航ができりゃ御の字だろうな。
蒸機なら石炭焚きまくって猛ダッシュで駆け上がる区間を、6軸駆動の粘着力でゆっくり登り、
牽引力が足りなければ補機を付ければ良し、とするのは、方法としては正しい。 現代の便利な世の中で当時を考えてる輩が多いんですよな。 >>287
DMH17系エンジンのエンジン音をもっと重々しくしたような感じの爆音。
8気筒のディーゼル機関だから似たような音だ。
一方、MANのやつはドドドド…というサイクルの短いエンジン音だ。
ちらっと聞いただけでは、Sulzerかマンかはエンジン音の違いはわかりにくい。 四国で起きた土砂災害でまだ川底にDF50二両埋まったままなんだっけ?