【市電トロバス】大阪市営交通黄金時代【地下鉄】
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万国博を機会に市電・トロリーバスを廃止し地下鉄網を完成させて躍進した大阪市交通局。あの時代の大阪文化や世相も交えて語り合おうでは有りませんか。 大体、救援車が活躍できる局面って限られてるんだよw
救援車が出動する大事故って、該当区間は第三軌条を停電させてる可能性が高いから
救援電車は現場直前まで到達できない。直前までに他の編成が本線上で立ち往生してたら?
その編成が移動できたとして、それは事故が発生してから如何ほど時間が経過してるだろうか。
よく考えると510号は訳の解らない代物だった。
今は事故編成を何とかして、推進か牽引で転がせる状態にすることを考えて復旧訓練をしている。 510は我孫子車庫の廃止と同時に廃車解体されたの? 廃車の日付なんて手続きだけの問題だからそんなもの車庫の廃止と一致しなくても無問題。
ところで、このスレはいつの間に教えて君へのお答えスレになったんだ? ケチケチしないで教えてよ。
情報の継承は、後世の愛好家の為、必要だと思うよ。
俺は、駅員や乗務員やっていたけど、子供でもマニアックな事を聞いて来る子供には、
真面目に分かりやすく、教えてあげていたよ。
俺も、会社の守秘義務に関わらない事(時効の事とか、公になっている以外と知られていない事
事)については、疑問カキコがあれば伝えているよ。 >>46
大阪市って路面も高速も新技術に意欲的なのに全国的に全く評価されへんなぁ〜。 OECブレーキとかね。
20系は第三軌条初のVVVFだし。 昔の学研の「○年の科学」だったかで,大阪市の電気バスいうのがあった。
万博開催といい,あの頃の大阪は輝いていた。スレチ失礼。 いんや、スレ違い違うで。
電気バスはあおぞら号だったかな?大都市では初の電気バスで昭和47年4月1日に2両デビュー。
所属は九条営業所だった。
電気バスが大阪市に残した遺産は、
この年秋に導入された路線バス新車体塗装の先駆けとなったことかな。(車体下部の緑のライン処理や黄色帯の有無など多少異なるが。) >>60
その後春日出に転出。厄介者だったらしいな そりゃバスの購入費だけで当時のディーゼルバスの2倍強の970万だったからな。
バッテリー交換も一日2回やってたし。 大阪市の電気バス、知りませんでしたありがとう。
電気バスって、昭和50年代に京都市にもあった(桂駅からどこか?)。
神戸市の初代ハイブリッドバスは、走行距離の9割でエンジンが
回っていたことが判明し、あぼ〜ん、、 大都市圏なんとか調査?モデルバス?方々数社点々として試用された。
って覚えている? >49
> あと、電車連動信号(トロリーコンダクター)は大阪市が
> 特許を持っているらしい。すごいね
一方、軌道回路式は京都市が特許を取った方式だそうな。 >63
京都市交の電気バスは、大阪、神戸と同時期にも1台いた。
それも、廃車になったトロリーバス改造という変わり種。 >>65
京都には連結車計画があったから、トロコンではまずかったのでしょうね。
無人の交差点での市電のポイントの切り替えはどうやっているのか
長いあいだ疑問でしたが、京都市電末期に、漏れた都市ガスが軌道の下で爆発する騒ぎがあり
TVニュースで、黒こげになったポイントマシンの写真を見て納得…
大阪の話ではなくでゴメン… なんとも何も戦前の電気バスは全国的に代燃化の選択肢の一つだった訳だが・・・。 うむ。自動車登場の黎明期は電気自動車の方が
シェアが高かったと言う、ウソのような本当の話がある。
しかし、自動車の内燃機関が高性能になるにつれ、
航続距離が短い電気自動車は消え去ってしまった
というわけで、戦中前後に登場した電気バスは
「うわ〜、何あの古いバス。電気バスだって〜!。
電気バスって許されるのは小学生までだよね〜」
とか言う会話がされたとかされないとか 代燃化の問題と言うのは機関のメンテナンスの苦労以外にも、燃料の木炭を自家生産或いは如何に安定的な供給先を確保するかに掛ってるんだよね。 岡山の山奥まで行って、山を1つ買ったらしい。
でもって、その山の木を木炭にするために職員を
住み込みさせて生産させたと。(交通局40年史より)
すごい時代だ 大阪万博の影響か、30系が今だに未来の電車に見えるwww
しかし御堂筋用アルミしか知らなかったところに旧7000+8000を見た時は正直萎えた。
どことなくバランスの悪い前面にRの無い(四角い)側扉窓。
20年ほど前、2年半 だけ 大阪近郊に住んでいた私が来ましたよ。 >>73
あー、運行番号窓埋めた奴ね。
あれは希少価値があったので、知り合いはアレに当たると
嬉しかったとか言ってたな。
私は1号線に乗る機会がめったにないので知らなかった。
そういや10系の試作車はひっそりと消えて行ったな。 10系試作車が保存されなかったのは意外だね。
まあ高性能鋼製車も50系が1両保存されているだけなので仕方ないが。
でも保存するなら最末期の姿じゃなく、出来るだけ初期の美しい姿に戻して欲しいなぁ。 15年ぐらい前、谷町線の都島―守口間の各駅の駅名票が少し変わったものだったような記憶があるんですが・・・
ヒゲ文字と普通のゴシック体を合わせた感じで、横長のものだったような・・・。 都島〜守口の開業(昭和52年)から地下鉄駅のサイン類のデザインや規格が一新(例えばホーム壁面の駅名標が横長方形から横細長に変更)されたのを機会に、ヒゲ文字も止めました。 もう一度、森之宮の保存車を見られるチャンスが!
しかも、新型車両30000系の試乗会つき! 35年も前の幹線支線分離開始時期
支線系統用 オレンジ塗装にメトロ窓のB623Eが懐かしい・・ >83
最後は中津に集中配置されてたヤツね。
幹線41で時々大阪駅に来てたけど、歌島橋バスターミナルにいる方が多かったね。 確かに!
ゼブラバスリバイバル塗装(あるいはラッピング)を見てみたいですな。 >>85
空気読まない交通局は、先代の旧塗装を復活!
→誰も気づかなかった。
というオチが頭に浮かんだ。 おれ最近まで今のバス塗色は1972年式がベースだと思ってたもん。
今のバスは1972年式より色が明るいんだね。 市電は残っていたらバスと同じ塗装になったのだろうか?
それとも地下鉄のようにラインカラー導入したのだろうか? >>89
市電は複数で操車しているから、ラインカラーなんて無理
で、なんで電車とバスのカラーを同じにするんだ? >90
塗料代節約で一緒にするとかはあるんじゃないか?
ラインカラーは市電全体で1カラーという手があるね。 末期の市電はワンマンの帯の有無だけで色は皆同じだったんだが。
市電とバスを同じ色にしたら利用者は遠目でどっちが来たか分らんではないか。 バスが(同じ色に)塗り替えることってあるのですか?
おおかたの自動車と同じく廃車までずっと新車時の塗装のまま
かと思っていました。sage 大阪市は知らんが民営では塗り替えは普通に有る。
京都交通(京阪京都交通)のみたいな貧乏ったれでも頻繁に色が変わったし。 基本的には数年に1度塗り替える
塗装って経年劣化で色褪せてくるから、
結構みすぼらしくなるからね 大阪市交通局の場合2002年くらいまで再塗装をしていたけど
今は新車時から廃車までずっとそのまま。 阪神国道線の塗色しかり
南海大阪軌道線の車両デザインしかり
何で大阪市電と同じにしたのか分らん。
>>95-96
目からウロコですありがとう。
関係ないですが何年か前に広島で元大阪市電の2600に乗りましたが
窓も大きく、内装も当時としては綺麗なのにびつくり。
もう大阪に居た時より永い時間を異郷で過ごしているのですね、、 >>98
3001型のデザインは秀逸だと思う。
広電では江波の系統で使ってるんだよね
冷房化もしてるし、まだ主力でいけそうだけど、
中型車なのでラッシュ時の運用は辛いかも。 鹿児島からパーツを貰ってきて3001形をフカーツ
なんてことはしてくれるわけないですよね… 3050の保存車があるだろ。
もう数メーター長く作ってくれたら南海が大量に引き取っただろうな。車体だけ。 万博なんてついこの間と言う感覚だったのに、当時の現役車両0だもんな。
阪急は一杯居るけどw >104
大阪万博と言えば、30系だな。
デザインと座席がボロクソ言われるが、あの当時、万博にふさわしく、
未来は大袈裟にせよ、最先端の電車に見え、衝撃的だった。
今でもあれが斬新に見えるのは、トラウマと言うものだろうかww
いやいや、60系もすごいよ
前面ガラスを意味もなく天井にまで伸ばしたデザインは
この60系が最初。このあと他社局の電車にも続々と採用されて、
鉄道車両のスタンダードになった。
大阪市交はいつもパイオニアなのだ 60系はラインカラー化以前の「ほおべに電車」の頃の方が可愛かったなあ。 5→6連になったときに中間車となったやつは、
最後の最後まで赤かったよな 万博 アルミ車 近未来って感じだったもんね。
30系アルミ車はあのどうしょうもない安っぽさが逆に新鮮だった。
でも最初からヒーターくらいは付けて欲しかったぞwwwwww 本当に、ほおべにから日本の電車の顔が変わった様な気がする。
市電と言えば、台風の時、今里車庫の全車両が浸水被害を避けるため上町台地に上げられていました。
小橋と上六の間に新旧車両がずらっと並んでいたのを思い出した。圧巻でした。
大阪の60系もそうだけど、営団の6000系のほうが電車の顔としては革命的だったんじゃないかな。
前面の中央以外に貫通路(非常口)を持ってくるという発想がこれ以前には無かったのだから。 ところで別スレに一番好きな都電の車両・系統があるが、みなさんの一番好きな大阪市電の車両・系統は? そんな質問答えられる年齢層が何人このスレを見ていることやら。 初めて大阪入りしたのは万博の年なので
市電をリアルで知るヨシもないけど、3001形はすごいと思う。
わざわざ鹿児島まで乗りに行ったが、連接化されてもあの走り。
タネ車を60`くらいで思い切りトバせたらと考えると、萌える。 >>112
特にないな
まあ、実家が都島車庫の近所だったので
15あたりを挙げておこうか
これがあれば梅田・難波・天満橋どこでも行けるからな 言い出した私も。
乗ったことはないですが4系統ですかね。
阿部野橋・上本町・天満橋・梅田・なんばと国鉄・私鉄のメインターミナルをつないでいたんですよね。
循環系統というのも大阪市電らしいと思います。 >>116
俺の亡き親父が通勤に使ってた系統だわ。南海平野線→恵美須町→長堀橋だったな。 写真で見ただけだが2011(868)形はいいね。
戦前に正面が左右非対称というデザインにドアより高めのところまである窓。 世界恐慌のあおりで中型車を作った時期があったのですね。
数年前の朝の連ドラであのあたりの電車が古い写真をCG合成されて
昔の大阪の街並みの中を走っていたような。 バス・タクシーに客を奪われて、電車に金がかけられなかったからじゃない?
まあ、確かにこの時期の数年間の新造は11m車しか増備されてないけど、
開業区間も支線区間しかないし。
大型車を増備する必要がなかったと
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
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>>120
戦後も戦前ほどの大型が作られることは無かったしね。
3001型や2600型がもう少し大きければ南海が買っていただろうね。 >>122
大型が増備されなくなったのは、二人乗務制にしたからかな?
戦後、トロリー線の1線化・ビューケル化・車掌一人乗務っていう
効率化を進めた結果、大型車では停留所で乗客を捌けなくなったとか
詳細はよくわかんないけど >124
輸送量が減ったというのもある。
とはいえ14m級の3001とかネタ半分でも作ったほしかった気がする。 大阪市電の中型車には熊本に引き取られたのがありましたが
路線の大縮小までのつなぎだったのか短命だったらしいですね。 >>123
南海車両サイズと同じ1601型が導入されているから、
3001型はともかくとして2601型が大型なら車体くらいは買ったかもしれませんね。 >126
900は車体が特殊構造だったから傷みやすくすぐ廃車だったらしい。
ワンマン用に大改造したのもあったのだが、10年持たなかった。 >>125
100年史に詳細があった
経営合理化のため3人制から2人制にする必要が
迫られたため中型車が登場した
とある
中型の中扉が車体中心ではなく、やや後にオフセットされているのは
大型の中扉と位置を合わせるためなんだよな 側面非対称、上から見ると点対称のドア配置の元祖ですね? >129
厳密に言うと最初の801は車体中心だった(正面の中桟も中央)。
801の実績を元に修正したのだろう。 なぜノーシル・ノーヘッダの3001型を採用した後に、
シルヘッダ付きの2601型を作ったんだろ? 2601型にシル・ヘッダーつきのがあったのですか? 2501形のことを言ってるのでは
形は1801とかと同じで方向幕は大型
4両ぐらいしかなかったような >134
とりあえず2100を改良した、と言う感じで作ったのだろう。
レイアウトは3000・2600に引き継がれたが。 2501形は、1001形の車体更新の試作的な要素が強い車両ですが、2201形が登場(昭和29年12月)してから
3ヶ月後に2501形が登場しているので、製造した大阪車両が、2201形の車体で製造する準備が整わなかった
のかも知れません。
2601形は昭和30年11月に最初の車両が登場していますが、こちらの製造も大阪車両でした。 2201形=新製
2601形=木造車の改造名目じゃないのか?
つまり、当初更新車は2101形ベースで製作予定だったけど、
3001/2201形が好評なので、更新車も同じボディーにしようと あのまま市電を縮小してでも残っていたらどうなったんだろうな。
鶴町線と松屋町筋線、あみだ池筋線あたりが残っていたらかなり楽になった気がする。 海外のトロリーバスに乗ると、結構な速度も出るし、侮れないとは思うけど、日本の交通事情だと、やはり厳しいかも。 都市部のNOX削減には効果があるのかなあ。
まあ、これからは電気自動車かハイブリッドカーの時代になるんかいなあ。
サラダ油の廃油でもバスは走るらしいけど。 暑い大阪の、暑い扇風機の地下鉄は強烈だった。
開けられた窓からは、爆音と生暖かい風が入ってきていた。
淀川を渡るときは少し臭っていた気がする。 小さなドアの窓と網棚がほとんどない30系電車がなつかしい。
50系電車の千鳥配置の扇風機と3列カバー付き蛍光灯も強烈だった。
週刊誌の吊り広告、つり革に付いている広告、階段ステップの広告。
これでもかというくらい広告だらけ。
しかし、都市の活力が地下鉄にはみなぎっている。 都会の高架駅であっても、経済性を重視するあまり男女兼用のトイレがあった。 わりと最近まであった10系のパァァァーンは大好きだった
運転手も景気良く鳴らしまくってた
自分の車にドルチェホーンつけて我慢してるが
今のぼへぇぇぇぇは好きじゃないな
京津線の足元にも及ばん(好きな人ごめんね) >>144
西中島南方は今でもそうじゃなかったっけ? >>146
残念だが聞いたことが無い。今現役ので例えて言うとどこのが一番近いかな?
パァァンなら嵐電にも土電にも近鉄ナローにもあるから聞けるけど 30系独特のあれほどの大音響は最近の電車に類例は無いね。
あぁ、そうかもう何処もかしこも電気笛ばかりなんだな・・・
昔は入線時と発車時に駅のホームで必ず吹鳴していたものだが。 音の記憶は忘れやすいと聞いたことがある気がするが、
昔の音を良く覚えていてうらやましい。 音といえば、30系・60系が減速するときに「ピュ〜〜〜ッ!」と鳴るのが
好きだったな。 鳴ってた鳴ってた。大阪の地下鉄の一大特徴の音だったな。 >>151
あの音、結構好きなんですよね。そろそろ聞けなくなりそうなので、今度大阪に行った時には、30系に乗って聞き納めを
してみようかと思ってます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています