大隅・志布志線
垂水というと、やっぱり「たるみ」じゃなくて「たるみず」ですよね? >>431
宮崎から急行日南になる客レに乗ったら西都城到着前の乗換案内が
「志布志線志布志行は翌朝5時xx分…」だったような。
「大隅」は朝、西鹿児島方面に向かうから暗くなるまでにはどうにか戻れてただろ。
さすがに暗くなるまで西駅で彷徨ってたら涙目になろうがw >>431 懐かしいな 桜デパート。あとマルハセンターな。
二つとも潰れてしまった。おれが子供の頃、食いに行ったとんかつやは
無くなっていた。
おそらくあの時「無駄な公共事業」が問題になっていれば、多分、国分→鹿屋
は残っただろうにな。
そして鹿屋や垂水がこんなにも寂れることもなかった。 >>432 当時、まだ小学生も低学年だったので、あれは大隅でなくて、
急行佐多だったんだろうか。
とにかく夕方だったと思う。だけど、駅を出て地理もわからずさま
よってたから、そうなったんだろうか。
とにかく急行券を握りしめて乗っていたのは覚えています。
でも、子供の目には、大きな駅だったですよ。鹿屋駅は。
貨物列車に、座るとでこぼこしたシートのグリーン車みたいな
ディーゼルカー。
たくさんの側線(たくさんに見えた)そして、きついカーブのホームと
腕木信号機。
三角屋根の駅舎と改札の時間がくると、照明がつく
箱型回転幕蛍光案内板。
>>433
もう、無くなってしまったのですね。
そんなに寂れたのか。P2Jが飛んでいた時は、とても栄えていました。
>>429
錦江湾沿岸は危険ということで県庁所在地は薩摩国分寺のあった川内に移ります。
で、県庁所在地から遠く離れる大隅は今以上の衰退へw 鹿屋体育大学の学生がもっと大隅線を利用していれば存続できたのに
廃止路線の沿線にある大学は他に道都大学(名寄本線の沿線の北海道紋別市にあったが現在は北広島に移転している)しかない。 >>437
体育大はともかく、垂水や福山の中学生が
フェリーのある鹿児島はともかく
公共交通が決して便利とは言えない現状で
霧島、鹿屋への志向が強いとすれば
もし大隅線が第三セクターに転換されていたなら
もっとそういう傾向が強まっていた鴨。
い〇さ〇のやってる事はどうしても
大隅半島の事は考えてないな。 >>439
確かに南国や宮交は転換路線を何とか守ってるよな。
い〇さ〇は何がやりたいのかサッパリわからん。
他の事業で上手くいってるのも無いみたいだし。 志布志中卒だけど、修学旅行の時、貸切列車で熊本まで行った事を思い出した。 志布志港から垂水港まで(鹿屋経由)、最短ルートで鉄道を敷いて欲しい。
大隅半島最大の復興策。 志布志港から垂水港まで新線を作るとすれば費用はいくらかかるのだろうか? >>441
体育大学設置(1981年)→大隅線廃止(1987年)
>>444
もはや大都市圏近郊鉄道と新幹線以外、新規での鉄道建設は無理だ。 鹿児島駅と桜島の間に橋を掛けて鉄道を通せば大隅線の垂水以南は生き残れただろうに >>447
垂水以南が残るなら垂水以北も自然と残るやろに 俺は国鉄の人間ではないから、どんな事情があったかは知らんけど
大隅線と志布志線は第三セクター化してでも残すべきだったと思う。
県や市町村が鉄道維持に消極的だったのかもな。
どうせなら大隅線、志布志線をまとめて大隅鉄道にでもしたら良かったのに >>450
行政側も赤字確実の路線なんて運行したいとは思わなかったんだろう
少なくとも赤字だったからこそ廃止したんだろうし >>451
それは他の3セクになった路線にしても基本的には一緒だろ。
ただ、それでも鉄道を残そうという熱意があった。
鹿児島県は他の赤字対象線も全滅したし、おれんじ鉄道のゴタゴタを考えると
鉄道維持に対して消極的なのは間違いないよ。
いわさき、南国と地元バス会社が強すぎるというのもあるのだろうが。 下北交通大畑線みたいにバス会社が引き継いだら良かったのに
名寄本線は当初紋別〜遠軽間だけ第3セクター化するはずだったのに興部町長が全線存続を主張するなど駄々をこねたせいで全線廃止に追い込まれた。 >>453
地元バス会社=いわさき=南薩線全廃したばかりで鉄道には興味なし
名寄本線も部分存続決まりかけから一転して全廃とは悲惨
形ばかりになっていたとはいえ「本線」が全線消えたのは衝撃的だった
かわりに整備したオホーツク紋別空港も今や羽田便が1日1往復するだけでこれまた悲惨だし >>452
鹿児島県は大隅のことなんてどうでもいいって思ってんだろうな
これ指宿枕崎線が廃止するってなったら維持でも残すだろうよ
まあ指宿枕崎線は需要があるけども 指宿枕崎線も山川〜枕崎なら県も廃止同意していたかもしれん。
国鉄再建法当時は基本的に路線単位で存廃を決めていたんで、
稼ぎ頭の鹿児島中央〜指宿・山川のおまけ扱いでその先も残っただけの話。
仮に今、JRが山川〜枕崎を切り捨てると言い出したとして
果たして県や地元自治体は積極的に存続活動をすると思うか?
枕崎なんて川辺経由のバスがあるから鉄道はいらんと言う市民の方が多そうな気がする。 >>450 志布志線は第三セクターが真剣に検討された。
流れは第三セクターでの存続で固まっていた。
しかし調査したところ線路の痛みが激しく今後数十年鉄道を走らせるには
保守に数億円かかるという見積もりが出た為、断念した 数億円が払えないくせに何百億と金かけて高速道路作っている矛盾
ちほく高原鉄道も4億の赤字で廃線になったが
並行して建設中の高速道路の建設費用は1000億円・・・単純計算で250年補填できる額 >>458
その計算は、各地で言われるね。筑波鉄道も廃線跡をサイクリングロードとして
整備しているけれど、その金があれば何十年も存続できたと言う計算だったよ。
もっとも筑波鉄道は代替バスさえ廃止になってしまったが・・・。そう考えると
ガソリン税は偉大だな。 携帯が普及して有線電話が危機になったら「ユニバーサルサービス制度」ができて、携帯電話に有線の赤字分補填させてる
鉄道も車に対してユニバーサルサービス制度適用すべき
志布志駅って、昔はもっと海に近かったのではなかったかな。
大昔(昭和の40年代終わり頃)行ったとき、すぐ裏が海だったようなきがするが。 いやいや、若干上り方に移動しただけで変わらないよw >>462
そうですか。情報ありがとうございます。
志布志のC58印象に残ってます。
.
志布志のキハ52、きれいになったよなぁ。
一応現役路線があるからなんだろうか?
東串良や吾平の保存車は朽ちかけてるし
鹿屋も手入れしてるのかな? 志布志線の代替バスに乗ったとき、岩川が意外に賑やかな街だったので驚いた。
>>469 鹿屋は表面はキレイだったよ しかし車両に、「中に入るな」とか「落書きするな」とか書いてあって、残念ながら施錠の上中には入れなくなっていて、ガラスが割れたままだった
記念館はおばちゃんが管理していて入るたびにおばちゃんが出てきたな。 岩川はかって栄えた街。曽於郡の中心にあるから県や国の出先機関がある。
確か財閥岩崎Gの出生の地だと思う。 >>473
都城〜志布志のバスはそれなりにあるが
志布志線三セク化断念の理由が老朽化とか
宮崎鹿児島両県の同意云々じゃないのが
何となく分かってきた。 志布志線は第三セクター存続の為、見積を取ったら保守・維持管理に10億掛かると分かり廃止したんだよな 志布志も市制施行がせめて昭和40年代であれば少しは発展していたと思う。 >>473
その通り。
ただ現在は曽於市の中心地。 >>9
寂れたのは鉄道を冷遇した天罰では?
しかし、沿線の人口規模などを考えると、鉄道が存続していてもかなり厳しい情勢だったと思う。残念なことだが。 >>460
ガソリン税で公共交通の維持を図るといった制度は必要だと思う 鹿児島〜垂水間に鉄道連絡船があったらよかったのに
陸路だとどうしても遠回りになるが。 大隅線。志布志−垂水間は残したかった。
志布志港−垂水港間があれば面白い。
新若浜埠頭の埋立地は何か作るのだろうか?
分譲地にすれば良いと思う。 志布志港まで線路延びていたら…貨物需要見込めて志布志線が生き残り…なんて妄想。 まだ東九州道が鹿屋に達していれば違ったろうけど
県本土でも鉄道が無い分新幹線開業でも宮崎以上に
大隅半島への効果が小さいのが残念。
>>483
志布志と同クラスの日向にある細島港へ
日向市から分岐してた細島線も廃止になって
日豊線も南延岡以南は鉄道貨物止めちゃったから
どのみち厳しかったんじゃないかな?
「さんふらわあ」と垂水フェリー間の
列車による旅客リレーならまだ有り得たかも試練けど。 少なくとも国分と垂水の間では、大隅境だけが離合できる設備があった。
垂水にあったかは覚えていない。 >>485
垂水は交換可能だったと某サイトにあるが
国分と垂水の間で大隅境しか交換出来なかったのは
線形以上に残念。
三セク転換や単行ワンマンにしても
高頻度運行出来ないのが存続断念の理由の一つかも。 大隅線は需要予測を誤ったとしか思えない。
白糠線に次いで2番目の短命路線になってしまったが。 >>484
宮崎は鉄道が貧弱な分、
高速バスや観光バスの運行でカバーしようと
宮交やJRQバスがいろいろと計画練ってるが
大隅を独占するい〇さ〇としては高速は無いし
フェリーで我慢しろゴルァとしか言えんのだろうな。 長 長 長 長 長 長 長 長 長
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長 長 長 長 長 長 長 長 長 大隅・志布志が廃止になってなかったら志布志にあった現業機関も多少は残っていただろう。
志布志運輸センターなんて感じで国鉄型車両オンパレード!! そもそも需要予測は誤りがあるものと思っておいた方がいいね
鉄道でも道路でも空港でも当たった験しがない。 >>491
激しく同意。
こんなに当たらなければ
漏れみたいな素人でも出来そうやな。 >>491
路線名で廃止・存続を決めたから大隅線は廃止されたけど
志布志〜鹿屋は残しても良かったと思う。 いわさきが志布志-鹿屋-垂水港まで延伸し私鉄として残していれば。 垂水駅は山陽本線の垂水駅と区別するために「大隅垂水」にしても良かったのでは?
混同する客がいた可能性が有る。 山陽線垂水のすぐそばの大久保駅だって東京にも秋田にも同名駅があるんだから問題なしw もうすぐ九州新幹線全線開通だが
仮にこの二路線が残ってても大隅地区は宮崎同様
取り残されるのは変わらなかったのかな? >>495
今更レスだがそういう事いうなら国分も「大隈国分」になってしまうw ぐは!
よくある凡ミスやったった。
「大隅国分」ね。(汗) 大隅線
鹿児島中央〜桜島〜垂水〜鹿屋〜志布志
・鹿児島中央〜鹿屋(一部志布志)に特急おおすみを運転
・はやとの風姉妹特急おおすみの風を運転
・鹿児島中央〜油津、宮崎に特急佐多を運転
・鹿児島中央〜鹿屋はこれらの特急が毎時一本運転
偉大なる誇大妄想。 九州新幹線を桜島経由で鹿屋、志布志まで延伸しよう。 もし残ってたら、観光特急が走ってるんだろうな
特急と言わずとも、なのはなDXみたいのが 九州新幹線・大隅ルート
鹿児島中央〜桜島〜垂水〜鹿屋〜志布志〜串間〜日南〜青島〜宮崎空港〜南宮崎
九州新幹線・都城ルート
鹿児島中央〜隼人〜西都城〜都城〜南宮崎〜宮崎
>>507
国分新線区間からの桜島の車窓だけでもかなり売りになったと思うが・・・
廃線がささやかれていた肥薩線の人吉─吉松間が
新幹線開業による「いさぶろう」「しんぺい」リニューアルで息を吹き返したり
「はやとの風」や「指宿のたまて箱」が好調なのを見ると
大隅線が残っていれば、新幹線効果を大隅半島にも呼び込めたのになあ。
3セク化検討した時あまりにも赤字がでかくて沿線自治体じゃ耐えられんてことで流れたって 鹿児島駅と目の前の桜島を直結する鉄道橋を経由するルートだったら、残っていたのにね。 当時の技術で橋は無理でも、
大隅線の海潟温泉と大隅麓駅の間から分岐して桜島港へ至る支線造って、
鹿児島駅と桜島港を鉄道連絡船で結んでいれば、どうだろうかな・・・。 東九州新幹線が出来れば良い。
志布志始発-日南-宮崎-延岡-佐賀関-松山-鳴門-洲本-明石ルート 記録によれば、下小原、論地、永野田、荒平などの駅は、昭和30年代まで有人駅だったそうな。
駅舎など本当にあったんだろうか。 >>512
海潟温泉駅から先は昭和47年の開業だったから、
その時代なら、すでに長大橋梁を建設する技術はあったはず。
何でわざわざ国分につなげたんだろう? 長大橋梁の予算がつかない
同一県内で鉄道連絡船は県主体になる
戦時下ならば少しは
港湾は建設省、国鉄は運輸省、縦割り関係で別 橋梁とトンネルは金食い虫だからな
鹿屋大橋みたいなのは特に
再び線引くにしても旧ルートみたいに緩いとこ通さないと無理でしょうな 今も残る国分新線区間の高架橋からは、たった14年半しか使われなかった怨み節が聞こえて来る。
もはや列車が走っていた期間より、廃墟っぷりを晒している期間の方が長くなってしまった。
鹿児島中央から山川まで電化開業してきりしまを指宿まで延長運転させれば良いのに >>520
書き込むとこ間違ってるな、貴様。
こんな阿呆はどうしようもない。 九州の廃線、未成線にはいろいろ残念な路線が多い
まあだからって当時の判断が間違ってたと断じるつもりもないけどね 話は変わって今月のRMの「SL甲組」の肖像は志布志機関区 現実は日南線短縮or廃止の方が現実度高いわけで…
でもたまーに乗ると意外と乗車率が高い志布志-串間 >>529
えびのの吉都線もそうだが無くなると隣の県に行けなくなるし
えびのは高速もあるがそれが無く
宮交バスが撤退してしまった串間市にとって
日南線は唯一の対外公共交通機関だしなあ。