部分開通、工事、拡張前
半蔵門線単線開通、地上ホームだけの小田急新宿駅、嘘クーラーの赤羽線
など不便さを懐かしむスレです。
>>74
千鳥橋のこと?
もう駅の高架ぎりぎりに建物が建てられてるので二面四線化は無理です。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
そういうのとは違うけどりんかい線は大井町線と結べば面白かったのに。
JRが出資を拒むわりには、過分な10連とかJRに利用されてしまっている。
新木場と池袋を直結するルートが2つも必要だったろうか。 昨日ストだった相鉄いずみ野線、いずみ野→いずみ中央→湘南台
湘南台は横浜市交は終着、いずみ野線は部分開通で
平塚(相模線の倉見に変更説強し)迄の延伸計画があるので、
地下鉄の下に駅がある KFCのために用地を売却したってのはネタ?
線路の分は残してあるのかな?
いずみ野線ができる前の電車内の路線図には
平塚まで点線が描いてあったらしい。 >>79
KFC=もと車庫用地って聴いたことがあるけど。 >>79-80
>KFC=もと車庫用地って聴いたことがあるけど。
KFCってカーネルおじさんの揚げ鶏屋?
慶応大湘南藤沢キャンパス(SFC)敷地は相鉄から買った車庫用地
しかし、平塚市内と違い線路用地は売ってない 快速種別誕生から湘南台延伸までのわずか9日間しか走らなかった、快速いずみ中央行き。 日暮里行きの京成電車。引上げ線は東北線をオーバークロスする陸橋上。 >>85 覚えてる… 世代近いね。
大手町〜北千住だった頃の営団千代田線。
全線北綾瀬支線状態、つまり5000系3連。
西日暮里だけ工事中で3連分のホーム、あとは10連のホームをもてあまし気味。
日曜の午後によく乗ったんだが、湯島北方の中線に3連が3本、直列で寝ていた。
>>72
朝一番の上りと、最終の下りが、堺東〜汐見橋の運転だったな。
列車番号は確か今の難波〜堺東の各停と同じ6001レに6002レだったかと。
平面分岐(渡りじゃない)、確か35km/h制限でゆっくりゆっくり走って、上りはカーブ抜けてすぐ、
下りはホームに編成が入ったくらいの所から、猛加速してたよなw(特に急行)
今も登録上の高野線は、汐見橋〜極楽橋で、岸里玉出〜なんばが南海本線ってのが、また・・・
そう言えば高架工事中の玉出上りホームと岸ノ里本線上りホームの近さは異常だったなw
北馬場と南馬場の高架化に伴う統合は片方ずつ行われたと思うんだけど
上下線で駅が異なる間、営業上(運賃計算とか)どういう扱いだったんだろうか? 東北新幹線大宮〜上野が開通直後、
絶賛工事中だった埼京線。
子ども心には新幹線を複々線にしてる所かと思った。 >>29
練馬まで全線開業したときは、単線での開業だったから、
(池袋線は下り線のみ高架)
違った意味で「部分開業」という感じでした。 京王新宿の4線を3線にする時は、あの狭い地下でどうやってさばいてたんだか・・・ 赤坂見附は最初から対面乗り換えが可能なように造られていたという。 >>22
3年以上前の書き込みに今更のレスだが。
40年位前に子供向けの本で、「『沈埋函工法』で作りました」というのを読んだ覚えがある。
(トンネル本体部分を分割して地上で作り、海に沈めて連結する) 武蔵野線新松戸や根岸線洋光台は開業時には日中は40分間隔くらいだった 大阪市営地下鉄の千里中央が仮駅だったこともあったぞ。 有楽町線開業当初は、五両編成だった。
開業に伴い、池袋駅に南側地下通路ができ、木造で狭い跨線橋が廃止された。 地下鉄の仮設駅って結構あったんだね
都営本八幡も当初は京成八幡寄りが未完成だったし >>95
その本持ってた気がする
最初はモノレール羽田整備場手前のトンネルが沈埋工法だったとか記述があったような?
学校の推薦図書・・・?いや違ったかなぁ 開通したばかりの全線高架の新線と、非冷房の中古車両のミスマッチ…?
実態はローカル線。
小田急多摩線に武蔵野線、北総線もそうだったか? 北総には新車もあったけど、新京成の電車も入ってきてたな >>106
>>108-109
その当時新京成も冷房車があったが、元京成の超中古車まで北総線を走っていた。
モーターも吊掛けで悲鳴か絶叫のようなモーター音でぶっ飛ばしてたな。
ちゃっかり当時新型の8800形も北総線を経験してたりもする。
先頭車に京成と同じアンテナがついてたのがその印。廃止されたけど後にそれがまた千葉線の直通で
使われるとは。 開業したばかりのころの半蔵門駅は、退勤ラッシュ時にも閑散とさていた >>108
北総は一時期日中他社の旧型車両ばかり走っていたよな >>106
北総の当初開通区間に高架区間はあまりない気が。 当時 新規開業路線で斬新な7000形を新調したのに
乗り入れ先からの車両特性の全く異なる雑多な新京成の車両を扱うハメになるとは
悲劇だな。(まあ 閑散路線で距離が短いのが不幸中の幸いだが・・・) >>106
田園都市線も、新玉川線に直通する前はそんな感じだったか
ステンレスカーも居たが、木の電車が多数派 部分開業間もない頃の大阪市営地下鉄中央(西)線 地下鉄なのに高架区間ばっか。 >>123 東京メトロの東西線の高架区間と同様、低湿地帯だからトンネル造るのが難しいし、高くつく。 拡張されてはいないのだが、PePeができる前の西武新宿駅は、仮設のようなぼろっちい駅だった。 >>125
確か、国鉄新宿駅東口へ乗り入れる前提で、線路を伸ばせるように仮設の
ような駅舎としていたんだっけ?
しかし、新宿駅東口に乗り入れると、ホームの長さが6両編成分しか確保
できないため、乗り入れを断念して正式に西部新宿駅をターミナル駅とする
ことにして、駅ビル(PePe)を建設したという話を聞いたことがある。 >>127 新宿駅東口乗入れの話、信ぴょう性に乏しいとも言われている。
当初から本格的に検討していたのであれば、6両編成分しか確保できないような構造の駅ビルなんて、建設しなかったと考えるのが自然だろう。 名古屋市交の東山線 第一期開通区間 名古屋−栄も、部分開通ですね 名城線も栄〜市役所でスタートしたが、
このようにちまちまと部分開業を重ねる手法が無駄だと
当時は随分叩かれたらしいよ >>130
名城線の栄〜市役所開通時は単線並列だったみたいですね
国内で単線並列は珍しいような気がします >>131
部分開業での単線並列というと
・営団有楽町線の銀座一丁目開業
・都営新宿線の船堀開業
・営団南北線の溜池山王開業
・都営大江戸線の新宿開業
地下鉄ばかりなのは渡り線設置箇所の制約が大きい故なんだろうね >>130
そもそも地下鉄を通すことに反対の人間が多かったらしい
穴を掘ると地盤沈下するとか、洪水になって地下に水が入ってきたらどうするんだとか、
懸念というか不安というか難癖というか、東京大阪のように推進する空気に乏しかった
ま、伊勢湾台風の被害の記憶も生々しかったことと、東京は五輪、大阪は万博と、
地下鉄整備のお題目があったというのは大きいかも 新宿は西口の小田急、京王も
当初の地下化で有効長が足りなくて改造したんだっけか >>130
名古屋だけではないよ
営団も都営も似たり寄ったり 結局どちらの方が経済的なのよ
チマチマ開業は少しでも運賃収入を稼いで償却していこうという発想でしょ >>133
福岡市地下鉄の陥没事故を見ると強ち妄想でもないような >>130
工事費を削るためにトンネル断面を小さくしたのは良いが
特に東山線は利用者が増え過ぎて供給が追い付かず、
結局フル規格の別線をバイパスとして作らざるを得なくなった
小金をケチると大金を失うことになる好例かな その別線が駅の立地の不便さが災いして
全くバイパスとして機能していないこと いや、桜通線ができて楽になった
当時、朝の改札止がほとんどなくなった
バイパス線がデカ過ぎるのは確かだが 地下を掘ること自体が大ごとで大金が要るのに、
断面を小さくしてどうにかなるものでもないじゃんね
役人の考えることは本当に分からん一世 >>145
東京マガジンのナレーターでお馴染みのタレント乱一世とかけてる >>148
これからCMに入るのでトイレに行きたい人は行ってもいいですよ!
と、広告主の逆鱗に触れることを言ったら?
案の定、番組から降ろされた・・・ >>149
もっと過激な発言しててものうのうと出続けてるタレントなんかたくさんいるけどな
要は弱小事務所だから守られなかったんだろ
JやYだったらお咎めナシ、そんな世界だ 大都市地下鉄がチマチマ開業するのは仕方ない気がする
大阪も名古屋も、予定地区の住民から
早くしろ!なにをモタついてんだ!という圧が物凄かったらしい >>143 地下深い所にトンネル通す場合、断面積小さい方が強度面で有利だしトンネルの壁を薄くできる。用地買収最小限で済むように、なるべく道路の下に地下鉄のトンネルを造る。ただ昔はほとんど開削工法だったから、シールド工法に比べ周辺私有地や地表への影響は大きくなる。地表の道路交通を開削工事のために長期間制限したくもない。部分開通繰り返したのはそれが一因と思う 設計者としては強度と安全性確保のためにも、なるべくトンネルを小断面にしたいのではないかな。大江戸線の都心環状区間の大半は、ほぼ一気に開通したけどね。 >>152
だからといってハイハイと言うことを聞くのはどうかと思う 半蔵門線って一番はじめの頃は自前の車を使わず東急車だけで運用してなかった?
8000系はその後登場したとか >>159
その8000系は登場後一時期、東西線で運用された。
もちろん、JRにも乗り入れた。 鳥羽線開業前の近鉄志摩線
たとえば上本町から賢島まで通しで切符を買えたのだろうか? >>163 宇治山田の高架ホームに乗り入れる特急接続の賢島行き連絡バスがあったそうだが。 志摩磯部駅は、三重電鉄になった頃から入口付近に自社に加えて近鉄の路線図が貼り出され、鳥羽と宇治山田の間を点線で結び将来の直結をアピールしていたという スレタイが「拡張前」だから駅の拡張も当てはまると考えてよいのかな
西鉄福岡は拡張して発着線数は減ったが分かり易くなった好例 大阪市地下鉄中央線が一時期東西に分断された状態で営業していた