明星なは彗星あかつきの時代
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2008年ついに消滅してしまったこれらブルートレインを中心とする
関西発の九州方面夜行列車の話題をしてみませんか?
呉線経由下関行安芸とか雲仙西海、霧島などの急行夜行の話題も可で
現役のML九州に話題ついては板違いですのでほどほどに
(でも頑張れ、板違いにならない日が遠い将来でありますように)
関連スレ
さくらはやぶさみずほ富士あさかぜ瀬戸出雲の時代
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220165746/l50 しかし、当時の583系では分割編成にしようとすると、編成中に食堂車が2両はいるな。 >>369
>長崎線電化後じゃ関西夜行の利用者数は右肩下がりだったからなあ。
まさしくおっしゃるとおりですね。
この後55年10月、57年11月、59年2月と、改正ごとに激減していき、
そのうち「明星」という列車名を必要としないところまで減ってしまう。
その一方で、二段ハネが普及してくると、583系はもはや不人気車両になってしまい、
長崎・佐世保行の「あかつき」(上りは逆)がクハネ581を突き合わせて走る姿なんぞは、
当然ながら見ることなく終わってしまいますた。
で、その後、583系が姿を変えて長崎本線・佐世保線にやってくるのでした…orz 早い時間帯に出発する明星か彗星で、暮れなずむ明石海峡を見てみたかったものだ 明石大橋の案内はいつからやってたんだろ
橋が出来てからずっと? 898712158203124
【画像あり】「同級生の女の子に頼んでみた」中学生ハメ撮りAVが流出 ★14
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1256707678/
394256591796874 はやぶさが今小惑星イトカワから帰還中だけど来年は金星にあかつきが旅立つんだってね JALの福岡〜関西・大阪便も廃止されるようですし
そろそろ九州〜関西を結ぶ夜行列車にも復活してほしいものですね 明星・あかつきの併結はあかつきが明星(金星)へ行くことの暗示だったわけだ 明星・あかつきを乗務していた車掌区を教えて下さい。 昭和48年4月の大阪駅発 九州方面夜行
1812 急行桜島・西鹿児島 急行高千穂・日豊経由西鹿児島 ※東京始発
1836 特急あかつき1号(客車) 長崎・西鹿児島
1840 特急あかつき2号(客車) 熊本
1900 急行雲仙 長崎
1905 特急明星1号(電車) 熊本
1940 特急彗星1号(客車) 都城
1944 急行西海2号 佐世保
2006 特急明星2号(電車) 熊本
2014 急行日南2号 宮崎
2036 特急きりしま(電車) 西鹿児島 ※京都始発
2043 急行天草 西鹿児島
2106 特急あかつき3号 西鹿児島・佐世保
2123 急行日南3号 都城
2136 特急あかつき4号(客車) 熊本・長崎
2206 特急明星3号(電車) 博多
2222 急行阿蘇 熊本 ※名古屋始発
2236 急行明星4号(電車) 熊本
2240 特急彗星2号(客車) 大分
2314 急行音戸1号 下関
2329 急行鷲羽2号 宇野(寝台なし)
2332 急行つくし2号 博多
2341 急行音戸2号 広島 ※京都始発
2358 特急さくら 長崎・佐世保 ※以下東京始発ブルートレイン
012 特急はやぶさ 西鹿児島・長崎
029 特急みずほ 熊本
121 特急金星(電車) 博多 ※名古屋始発
1505発(だったかな?)の急行屋久島1号・西鹿児島行も、ぎりぎり九州方面夜行に入るかと・・・ >>388
それもありました。
1505 急行屋久島 西鹿児島
停車駅は三ノ宮・神戸・明石・加古川・姫路・和気・岡山・倉敷・笠岡・福山
尾道・三原・西条・広島・西広島・宮島口・岩国・柳井・下松・徳山・防府
小郡・宇部・厚狭・下関・門司・小倉・博多・鳥栖・久留米・大牟田・熊本
八代・水俣・出水・阿久根・川内・串木野・伊集院・西鹿児島 スレ違いではあるが
大阪の大学に行っているときに、帰りに大阪駅から明石駅まで急行屋久島によく
乗ったものだ(通学定期で)兵庫駅を通過してから列車線を通るのが新鮮だった
この区間だと検札にはこなかったから出来たんだけど >>391
昼下がりの大阪駅に停車中のロネ、ハネ、ロザに
平日だととにかく客が乗っていなかったのと
大阪>三宮間の快速との並走が懐かしい・ いつやったか、「あかつき」に乗った時に「B個室寝台空いてます」の放送があって
車掌氏に申し出て変更してもらった覚えがある。 “あかつき”でさぁ、今で言うトワイライトのBコンパートっていうやつ?
当時はそんな言葉はなかったけど、初めて乗った関西ブルトレがいきなりこれで関東人の漏れは
西日本が快適な開放型B寝台を目指す取り組みに敬服したもんです。
寝台も勿論バラ売りですから男も女も個室内に混乗となりますから、閉めている人なんて
いませんでしたけどねw 学生の頃乗った時に、知らないおばさんと二人きりだったけど、ドア閉めてたな
どっちが閉めたのか覚えてないけど
目が覚めて扉開けたら、もう有明海の側をゆるゆる走ってたのをよく覚えている
「あかつき」に乗る前に京都駅で飯食ったとき、
最初にウェイトレスに「お飲み物は?」と聞かれて、
絶対にアルコールを頼まなきゃ行けないルールでもあるのかと思ってちびりそうになった。
当時はまだ一人で外食なんてほとんどしたことなかったし
慣れない土地で小心者の自分は緊張していたのだ >>401
大分から先の気だるい事といったらorz
朝飯食って眠くなるから横になって寝ようかと思ったら上段の客やらヒルネの客が腰掛けるから
それもかなわないしさぁ、「え〜これだけ乗ってまだ二駅かよ〜orz」みたいなw
マターリつかグッタリするよな、彗星の下りはさぁ。 大分ー延岡は単線で運転停車多いし
PCだからECみたいにスピードでないし
よくいえばまったり あの区間はにちりんももっさり運転じゃないか
併走する10号の車にもばんばん抜かれるし・・・ あの区間は線形も悪いから、
通過駅でも構内入場時に減速してた。
延岡ー宮崎間は線形改良したから、通過駅がバンバンとばす。 京都発なはのアナウンス「発車し〜ま〜す〜」
妙な京都訛りの、あれ懐かしいなあ。 >>387
急行「しらぬい」「しろやま」は昭和48年時点では既に名称が消えてしまってたの?
昭和47年の新幹線岡山開業で
「しらぬい」は「玄海」に統合、「しろやま」は「屋久島」に改称。 玄海はいいけど、屋久島は個人的にチョット・・って感じだったね。 「屋久島」は島の観光局あたりが上京して命名を陳情したのだとか。
そこはほら、先立つモノが必要なのですよ。
おぬしもワルよのう的な。 西村京太郎「ミステリー列車が消えた」のドラマを見たのですが、今いちトリックがよく分かりません。
どうやって列車をジャックして、乗客を移動させたのか? トレインジャックって聞いたことがないな
海外の国際列車だとありうる? なぜ鹿児島本線系統だけ「なは」「明星」と愛称が2つあったのだろう?
しかも「明星」が先に廃止されたけど
「なは」よりも夜行にふさわしい愛称だと思うのだが 「なは」は、沖縄返還運動の意味合いもあって設定された列車名だから、
別格扱いだった。
そう、簡単に廃止できない愛称名だったのではないか。 昨日テレビ見てたら、長崎観光をやってた
「あかつき」が走ってたら、ちゃんぽん食いに行くんだがなあ それは、ちゃんぽんを食いに行くんじゃなくて
あかつきに乗ったついでにちゃんぽんを食う、じゃないのかw >>420
なははもともと山陽〜九州の昼行特急だったのが、新幹線博多開業による山陽昼行優等全廃のときも
つばめやはとなど伝統的な列車名が葬られた一方で夜行としてコンバートされ生かし続けた経緯があるしな。
まぁでも最末期に熊本までに短縮された後でもなはという名称を使い続けたのは違和感あったがw
最後くらい明星を復活させてもよかったのではないかと思う。 ここまでなはの名を引っ張るならみずほじゃなくてなはにすりゃあよかったのに>新幹線 トワイライト日向路を離れた頃かな?
無理だと分かっちゃいるけど毎日じゃなくても
彗星あかつきの血筋は残してほしかったなあ… >>237俺もそう思うよ!彗星あかつき、なんてびっくりするほどかっこいいよ!ブルートレインを愛してる人が
作ったのかな? >>425
熊本の名物に「せんだご」(芋団子)があるけど?
それに元々、ナハ×3回は、せんだの親友・湯原昌幸の持ちネタ。
関係ないけどこれ豆な。 初めて見た寝台特急が上りのあかつき。(EF65P+20系)
大阪着の時間帯が遅かったので、小学生でも無理せず見に行けた。 「なは」が無くなったせいで、熊本にいきなり団子を買いに行くこともできなくなってしまった いきなり団子みたいな消費期限の短いなまものを買って帰るなんて
同日中に帰れる新幹線じゃないと駄目だろ >>436
まあさくらで行って帰ればいい話だなw
少し前までは博多駅の土産物屋にもいきなり団子があったんだが無くなってしまった 飾らない
言葉を運ぶ
夜の汽車
こんにちはいっとろっけんの川柳コーナーより >>426
ムーンライト九州or山陽も復活して欲しいな 「明星」から夕闇の不知火海を見てみたかったものだ
「なは」だと時間的に無理だったから 関西〜九州ブルトレ(明星など)では25形になっても電源車がカヤ24となってたのが多かった気がするけど何故?少なくとも国鉄時代はカニ24が入り綺麗に銀帯で揃ってたことは殆どなかった。
(東北のゆうづるもそういう傾向があった) 白帯のカヤ24は銀帯の25形に
銀帯のカニ24は白帯の24形に
っていうのは、確かに多かった気がする
車両配置の巡り合わせかな?ぐらいにしか思ってなかったけど、
ちゃんとした理由があったのかな
>>443
関西〜九州ブルトレ(明星・彗星)にカヤ24が入ってたのは昭和55年10月改正まで。
それ以降はカニ24のみだったよ(予備役のカニ25は覗く)。
この改正は両列車のオハネフ25とオハネ25は100番台の方が多数派になった改正でもある。 カニ25だけど、もし今かブルトレ全盛期なら青20号に塗って帯も銀テープにして極力25形に外見を合わせてただろうね。
カシオペアのカヤ27とか大昔のマヤ20なんか見てたら極力見た目を揃えようとした努力?が伺える。 レガートシートなつかすい。
ライバルであった夜行の高速バスを意識して1人掛け腰掛けが1脚ずつ配置された3列シートになっていて
リクライニング角度も相当深かった。しかも寝台料金なしで乗車できたので新幹線よりも割安となりお得感があった。
西鹿児島行き『なは』に連結。しかし、高速バスとの価格競争には勝てなかったようで、新幹線も『のぞみ』の充実でスピードアップしたし、
夜行需要そのものが減少して末期は本州内で『彗星』や『なは』との併結運転となっていましたがレガートシートは『あかつき』に連結されてた。
しかし、さらなる乗車率の低下を受けて、2008年に廃止の憂き目に。 >>443-
日本人って画一化や統一化が大好きなのに、車両に関しては全くやらないよね。
帯色だって全検入ったらキッチリ白帯は白帯、金帯は金帯のままで廃車までそのまま。
バカ正直に個々に継続させようとるし。
名義上「改造しました。マル。」扱いでない以外は例えどんなに些細な帯色だけであろうが
絶対変えられない、みたいな律儀なんだか頑固なんだか、
まあそれを日本人らしいといえばそうだが。 DD511043が良い例で模型みたいに全て組み立ててから塗るのでなく扉1枚全て外して別々に塗ってから組み立てます。だから誰かが気づくまであの塗装だった。指示が無いとしない。
オリジナル白帯とオリジナル銀のステンレスと少数で終わった白帯⇒銀塗装が同じ扱いになってしまった。
おそらく国鉄時代は節約のためしばらくがまんしようぐらい、平成に入るともうすぐ廃止されるみたいだからまぁいいかーてな感じで帯が統一されないまま時が過ぎたように思う 長崎本線電化後も「あかつき」には583系の導入がなかったのはなぜか?トンネルの建築限界の問題からか? 長崎、佐世保、もしくは鹿児島系統との分割運転が前提になるから。
長崎で昼間運用するにしても佐世保系統っとの分割が必要。
さらに、電化は山陽新幹線開業後で、客車寝台も開業前より逼迫しなくなった。 新大阪─(雲仙・西海)→長崎・佐世保─(かもめ・みどり)→博多→長崎・佐世保─(雲仙・西海)→新大阪
McMM`TsMc×2(大ムコ)
でどう? 関西九州間の電車寝台で1972年以降はクハネ583が加入したけど、クハネ581との定員の違いは
問題にならなかったのかな? 定員の少ない581に合わせて販売してたんじゃない?
余った寝台は振替対応とかの予備で確保してたっけ。 女性専用車両を利用する男性客に暴挙謀略しまくりのおばさん
東急東横線より
http://www.youtube.com/watch?v=Jf0qxSGr7fs&list=PL1k4xaNSVVuMH4s3w1YOTynHcO6CM1cgp スレチだが583が東京口に入らなかったのは不思議。
理由は耳タコだが。 最近は九州新幹線やLCCの影響で、関西と九州を結ぶ夜行バスでさえ廃止する路線が出てきた。
東九州には安くて横になれて設備がよく、鉄道と所要時間があまり変わらないフェリーもある。
それを考えると9年前まで彗星が残っていたのは奇跡な感じ。大阪から宮崎へは彗星よりフェリーの方が速かったのに。 大阪〜佐世保の南海バスや、大阪〜長崎・鹿児島の阪急バス 長距離特急は三ノ宮・神戸振り分け停車で、三ノ宮通過神戸停車のものも多かった。
その伝統を2000年まで維持してたのが「彗星」 ヤマトと佐川の事業拡大が全て悪い
荷物列車に積み込み荷物たちが邪魔だった大阪駅3番4番ホーム
まあ、雲仙西海、阿蘇くにさきにも補完の荷物車が1両ついてましたね
だから、大阪駅でも馬鹿停していた
宮のEF5847や53が充当されて日には、当時でも2番線に20人ぐらいのマニアが
いましたよww ★高校入学時★
上杉「今のうちから、学校以外の勉強しなさいよ」
生徒「...」
府中明星高校・上杉剛は真剣に進路指導をしています。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています