国鉄の急行列車・準急列車を語る
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今は準急全滅
急行も指で数えられるほどにまで減ってしまった
そんな急行・準急について語るスレを試しに立ててみる >>341
東京行のハネがどの列車も取れず仕方なく王寺で「大和」併結の和歌山市発
スハネフ30に乗車。頭に連結されたので加太のトンネルで煙たくてイガラッポクて
閉口したことがあった。殆どの乗客がゴホンゴホン。
>>380
「大和」があって「武蔵」が無かったな。 「ムーンライト東京」は、下りに乗ろうと思うと
どこ行くのか分からない列車だったなぁ。 準急ちよだ…。
地域ネタも入れれば快速メルヘン立川、朝夕の通勤ライナー系も入れれば新宿、高尾、青梅モナーw >>385
だから下りのみムーンライト東京からムーンライト仙台になったんだろ >>392
イクスピアリは臨時だったし、今はもうない。
(わくわく舞浜・東京号に改称の後、快速へ格下げ)
定期列車はきたぐに、はまなすの2本のみ。 >>388
補遺すれば国鉄では
準急料金の収受はs21.10から全廃されるs43.10まで。
函館から蘭越まで急行、そこから各停、倶知安から準急って・・・
札幌までどんな切符を買えばいいんだろう? >>396
札幌までの乗車券、蘭越までの急行券、倶知安から札幌までの準急行券。
>>388>>394-395
昭和36年10月当時
列車指定及び座席指定無し
一等・・・240円
二等・・・100円
列車指定・座席指定
一等・・・440円
二等・・・200円
(南海難波発着の第2きのくにのみ)
連絡準急・座席指定料金・・・210円
準急末期は準急行料金も急行料金も同じだったね。
始発〜終着まで100キロ以下だと準急,それをこえると急行だったから
同じ愛称で準急と急行が両方あるのもあったね。 あるいは「くなしり」「らうす」のように運転区間は同一なのに併結相手の関係で
急行と準急に分かれてた例もあったそうだな
ヨンサントオ前の愛称氾濫時期と相まっていびつな状態になっていた 43年10月改正の直前の時刻表みると
「第1○○」「第2○○」は由緒正しき急行
「○○○1号」「○○○2号」は準急あがりのボロ急行
とすぐわかったけどな。
釧路〜根室標津直通列車のほとんどが急行「しれとこ」併結だったこと
あれって、釧路〜標茶間のために急行料金払うことになるぼったくり急行だったのではないかと思う。 >>400
電車急行だとビュフェの連結の有無でもわかった。
1等車2両にビュフェを連結してる列車は元からの急行で、
ビュフェもなく1等車も1両しかないという列車は準急上がりという感じだった。 >>400
おっと、「きのくに」の悪口はそこまでだ。
・準急あがり
・「第1」「第2」(後に第4)
・一等車(グリーン車)連結(2両連結の日もあった)
・全車指定席。
「きのくに」に限らないが、準急時代に「第1」「第2」となっていた準急あがりの急行はボロですかそうですか。 >>403
きちんと実績をひっさげて出世した「きのくに」と
呼称整理のために急行を名乗るようになった列車は違うだろう。
急行あじがうらが走ってた頃は
茨城交通の駅や国鉄の切符や急行券が買えたんですか? >>406
茨城交通の駅で国鉄の切符が買えたかということ?
結論から言えば、連絡運輸の範囲であれば乗車券・急行券が買えた。
(もちろん、乗車券は茨城交通内の駅発になるが)
当時の連絡運輸範囲はおおむね関東圏内。
(なお、現在のひたちなか海浜鉄道の運輸連絡範囲は都区内及び松戸〜日立間のみ)
中央快速(東京口)が急行電車と呼ばれていたころには
それは日中は走らなかった。 急行ひめかわ(新潟−青海)
キハ58系で急行らしい急行だった。
新潟はわかるが、青海って、、、今では考えられない。 県庁所在地で国の出先機関もある新潟市へのビジネス・所用向けな設定、と考えればわかりやすい。
何しろ信越線経由でも新潟−糸魚川170km越えだろう。
気動車準急が普及した時代には、それなりに速達需要があったであろうルートだ。
糸魚川の一つ西の青海からなら、セメント関係者までカバーでき、
糸魚川と上越と柏崎のビジネス客を拾える。
まあ今なら北陸道経由でミニバン飛ばして2時間で走っちゃう距離だけど。 柏崎ってぇ〜と、ブルボンとコロナですかいな?
それと・・・東京電力? 湯檜曽って昔は急行停車駅だったらしいが、今は急行券どころか乗車券も買えないのが寂しいな。 >>415
一度は急行が停まっただけいいじゃないか。
一度も急行が停まらず、線自体が
廃止されてしまった駅もある。
まるで416の人生みたいだけど。 根北線みたいに準急すら走ったことなく廃止された線は気の毒だ >>382
「おくたま」は、東京都心から山の中の終着駅である奥多摩駅へ
・家族で楽しくハイキング
・夫婦でのんびり散策
・若い男女が大自然の中で青姦
に行くための電車だよw
話は違うけど、ガキの頃「かいじ」号が「甲斐路」号である事が分からなかった
今の特急かいじ号には、ドア脇に武田菱の紋が入っていてカッコいいね >>419
快速や普通の特快のつもりで中央快速線内だけを利用すると、
なんとなく「普段着の自分」が浮いてる気がする不思議な列車ですなw
中央線と言えば末期の183系アルプスはHMが「急行」だけで味気なかったな。
特急型使用の急行なんてそんなもん、だったはずが、
いまや急行能登がムーンライトえちごまでもが絵入りHM付きだもんな。
妙高も末期は189系だったよな?あれもHMは「急行」だけだったかな、よく覚えてない。
銀河とか客車急行はJR化後あたりには絵入りテールマーク付きだったよね。
特急型で運転されてて専用絵入りHM付きだった定期急行って他に何かあったっけか。 >>422
サンクス、文字HMだったんだ、全然記憶にないw
これはこれで珍しいね。 連投スマン
気になって画像検索してみたら、アルプスも妙高と同じく急行アルプスの文字HMだった。
あれ、記憶違いだったかな…イタリア国旗みたいな色の頃も、長野色の頃も「急行」だけだったような気がしたんだが…。 >>421
もうすぐこの板の仲間入りをする、583系「きたぐに」が絵幕だね。 >>421
「きたぐに」陥落で、とうとう最後の急行になる「はまなす」も特急車両で絵幕。ついでに機関車にもヘッドマークあり。 上野発(小山経由)高崎行の「急行わたらせ」と
上野発(高崎経由)小山行の「急行あかぎ」が走っていた時代は
両毛線は上りも下りも上野行の列車が存在していた。
両毛線内は快速(末期は普通)であったが準急時代の「わたらせ」は
桐生〜(小山経由)〜上野間を全区間準急運転をしており両毛線唯一
の優等列車であった(前橋、新前橋間の急行あかぎは除く)。
その後急行に格上げされるも1年位で両毛線内は快速になってしまった。 >>421
きたぐにの臨時版、急行越後や急行シャレー軽井沢にもイラストマークが用意されていましたね。 >>427
紀勢本線(新宮以西)にも、上下両方に、名古屋行き急行があった。
他にも、上り下り両方に同じ行き先の列車が走ってた路線はあるだろうね。 >>429
そりゃまあ昔は循環急行とかもあったからね >>427
しかし、真ん中へんの桐生、足利、佐野からは、
館林経由で東武急行に乗る方が早かったという >>427
両毛線内快速化後も暫く両毛線内の定期券での利用が出来なかったんだよね 自分がまだ小学生だった頃の東北本線は、長編成の急行が普通に走っていた。
特にグリーン車は、クローバー印と緑色の帯、普通車とは違う窓の配列が
とてもかっこ良かった。
冬になると雪だらけの長距離列車が上野を目指して走っていく。
色々な電車が色々な行き先を目指して走っており一日中見ても飽きなかったな〜
時刻表を見ると列車により微妙に停車駅が異なっていたりしてとても面白かった…
でも東北新幹線が開業し現在は周知の通り。 >>435
お前の年齢なんて誰も知らんのよ
「自分がまだ小学生だった頃の東北本線」ってのが何時頃を指すのか分からんではないか 言いたいことは分からんでもないが、小学生だった頃、の方がノスタルジックでいいんでね?
情報価値がないからチラシの裏に書いとけ、とまでは言わんだろ
中学高校と眺めた記述がないから昭和50年代前半が小学生時代、
グリーン帯が総じて消えた最末期には鉄道趣味を離れていたと推測できるかと 単発IDならノスタルジックレスでも構わんと思うけどな。
一人でノスタルジックに浸って何度もレスだと飽きるけど。
了見を広くもとうぜ。 >>435
よくわかります。
特にこの季節はどれだけ雪で遅延しているのかと想像したりさ。 >>442
日常的に走っていた情景の回想で特に情報価値がないから時期を書く必要が全くない
なのに時期を記せと固執するのはただのアスペ
そもそも知識があればおおよそ1970年代の10年間と推測可能でしょ
細かい知識があればさらに詳細な絞り込みも可能
53.10以降順次消されて行った帯がだいたいある時期に見てる
窓配置に言及しながらサハシ無視してるんだから脱車後
結局、書いてなくても53.10前後の数年間と絞り込めるわけ
チラ裏の思い出話に興味はねえよって立場は理解できる
趣味研究的に厳密な立場ならそう思うことはあるだろう
たださあ、その立場なら、時期を特定するだけの知識は持ってなきゃいけないわけ
自分の無知を露呈しながら、他人の思い出話に食って掛かるんじゃ、
ただの迷惑なアスペとしか言いようがないでしょ
早く精神科に行ってらっしゃい 「語る」スレだしなぁ、「いつの時期でしたか?」とか
質問されて思いで語りだと見当違いな気もするが、
別に良いじゃん。
頭が固いぞ m9(`・ω・´) >>447
何時の時期ってのは大切な要素だぜ
人に理解されるように書くのは当然のことだよ
ひとりよがりな文章ほど迷惑なことはない 俺が小学生の頃は上野に気動車急行が乗り入れてたなぁ
今の感覚であの時代に戻れたら一日いても飽きないだろうな うずしおの自由席で「徳島までの急行券」と言って車内券買ってた老人いてた。車掌も特急券と言い直すことなく発行してた。老人の感覚では特急=急行なんだろうか? 老人の感覚では「うずしお=急行」なんだろうけど、車掌の立場として「特急料金ですが、
よろしいですか?」という確認をしなくてよかったんだろうか。 >>449
同世代ですね
東北筋ではおが1号、いいで、出羽が三羽烏と言われていた
いいでは磐越西線経由新潟行き、出羽は陸羽西線経由酒田行きと今では考えられないような経路でしたね >>446
をいをい、爺さんはねぇべ。
逗子、保土ヶ谷と住んでいましたので堀之内がホームグランドです。 >>455
爺さんがダメなら、
ジサマだな。
トルコ風呂でオスペは
最近見なくなった光景だろ。 上野口の中距離急行の看板列車といえば
常磐線→ときわ、東北本線→なすの、だと思うが
高崎線→あかぎ?それとも、ゆけむり?
水戸、平、宇都宮、黒磯は各線の主要駅だが
前橋、新前橋って微妙な存在だよね… たまたま前橋が1駅ズレていたから「ゆけむり」と「あかぎ」にわかれていただけで
両者まとめてってことでいいだろう。平と黒磯は鉄道的には主要だけど町自体をみると
たいしたこともない。特に平は地図だけみると30万都市の玄関にみえるが
実は「いわき市」ってのは複数拠点合併地方都市の典型例なんだよね。 「草津」も忘れないで下さいね。。。
高崎線は東北本線と違い上越・信越・吾妻・両毛と行き先が多いので焦点ボケしてしまってるんでしょうかね。
個人的には「ゆけむり」かと思いますが。
>>458
前橋は利根川がネックで今の前橋駅を通せなかったらしいですね。
結果、高崎が宇都宮・水戸以上と言える位の主要駅になってしまいましたが。
旧平市自体の人口は10万あるかないか程度ですが、前橋にすらない駅ビルがあったり
その駅ビルの開業が水戸や高崎より前とかなり優遇(?)されてましたね。
>>459
利根川がどうこうってのは後になって言われた話だと思うよ
前橋駅通してたら大迂回になるから最初から考慮してないと思うぞ JR各社は急行列車を復活させろ。
周遊券で無条件に急行乗れる特例を出せよ 急行という言葉の響きからは、何故かキハ58系のDCと寝台車と座席車と荷物車を
連結した旧型客車の夜行列車を連想してしまいます。
ex.『みまさか+但馬』、『越後+ゆのくに』、『雲仙2号』、『きたぐに』・・・。 >>461
急行列車の衰退は、高速バスの普及も一因だな。 昔に比べて特急停車駅がかなり増加したから、今の特急と昔の急行
はほとんど同レベル。
以前から他スレでも書込みがあるけど、急行全廃による実質急行料金
の値上げ。
高崎線系統の特急なんて昔の急行より停車駅が多いし…
「ひたち」「あずさ」(スーパ−系は除く)なんてモロ「急行ときわ」
「急行アルプス」だし… >>464
料金設定の妥当性などを別にすれば、
新宿〜松本間
●現行あずさ3時間以内(定期)
●全廃ずみアルプス3時間40分以上(塩嶺ルート最速を含む)
同格と安易に断じるのはどうかと思う
ちなみに「あずさ」はJR化直前の61-11改正の183系時代に、すでに現行に準ずる速さになっていたことも申し添えておく 北陸本線の場合国鉄時代は雷鳥白鳥しらさぎゆのくに
立山快速電車客車鈍行と実にバリエーションがあった
今はサンダーバードしらさぎ521系普通電車の何れか
サンダーバードしらさぎはモバイル用のコンセントが
あるがこれを除くとやはり今の時代車の方が快適だな >>466
MT54モーター+CS15制御器+DT32台車、の組み合わせは、線路条件さえ良ければ手堅くいい走りをするからなあ
実用上のポテンシャルがかなり高い
無論、MT比とギア比は重要だが >>468
往年の「六・八・九トリオ」みたいなものだね。(^◇^) >>466
急行が特急に遠慮して、わざと遅く走っていたこともあることをお忘れなく。
高山線に80系DC特急「ひだ」を新設した時、走行性能は58系DCの方が上だか
ら、特急は停車駅削減と急行のスピードダウンで何とか面目を保っていたら
しい。
中央東線でも165系の方が181系より速く走れそうだから、同じような操作が
行なわれたかもしれない。 >>471
165系と181系はモーター一緒だしギア比一緒だし、165系の「ほうが」速く走れたってことは
ないんじゃないかなあ。どうだろう。 >>471
らしいとかかもしれないとかお前いい加減すぎるだろ >>472
181系と165系はモーターは同じだがギア比は181系3.5、165系4.21で、中央東線
のような勾配路線では165系の方が有利じゃないかな。
話は違うが、昔の韋駄天急行と言えば仙台青森間「くりこま」の全車指定席便だろう。
455・457系で特急並の所要時間で走っていた。
停車駅は特急よりかなり多いため、駅間でかなりとばしていたと思われる。
この列車だけは特例で110キロ以上出していたのかもしれない。
誰か乗ったことのある人、いかがでしょうか。 >>474
参考まで
仙台発7:00くりこま1号1511M→青森着11:49(4時間49分、16駅停車)
同区間の「はつかり」は約4時間30分〜4時間35分。(はつかり11号を除き8駅停車)
夜行も含めれば
仙台発5:38十和田5号205レ→青森着11:41(6時間3分、八戸で15分停車、退避なし、17駅停車))
因みに上りのゆうづる4号5008レの場合
青森発18:54→仙台着0:05(5時間11分、8駅停車)
1979年8月号時刻表より
>>475
詳細なデータをありがとう。
最速はつかりと比べると所要時間は19分増、停車駅は8駅増ですね。
一駅停車による所要時間で駅間の走りを推定できますが、2分とするとくりこまは
はつかり並の速度で走っていたことになります。
でも、急行の駅停車時間は30秒が普通なので、加減速ロスを加味しても2分も
かからないような気がします。
結局、全車指定席のくりこまが特別速いのではなく、全車指定席便以外が遅い
だけなのかもしれません。 >>474
乗ってはいないが、上り「たざわ2号」で通過待ちくらったことはある。 で、急行と準急の違いって、何だったの?
急行は長距離運行に対応した車両を使うけど、
準急は適当な車両使うよ、って事だったの? 夜行の急行佐渡って、どのくらい混雑していたのですか? 準急は103系やキハ30での運行実績があるというのは本当ですか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています