ディーゼル機関車スレッド鉄懐版
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DD13が好きでした。
昔はその辺にいくらでも居たのに、いつの間にか消えてしまった。
もっと写真を撮っておくべきだった。
鉄博でDD13の1号機に感激。
何年ぶりだろう。久々の再会。
確かにこれだったよ。
KATOのDD13を重連にして遊んでるけど、これは後期型なんだよね。
模型板じゃないけど、初期型きぼんぬ。 今でも思うが、ズット横向いたまま運転するの辛そー、と子供時代(凸 =3) DD13って、やっぱり貨物レのイメージ?、それとも客車(混合)レのイメージ? >>6
東京近辺だとやはり構内に必ず待機しているイメージだな。
品川区、田端区には初期型が集結(新製配置?)、1号機から40号機くらいまで連番でいた。
もちろん、中期型も、後期型もよく見かけた。
時々、短い貨物を牽いていたり、貨車の入換作業を見かけたり。
連結、開放、突放などを飽きずに見物していた消防〜厨房だった俺。
DD13はSGついてなかったから、客車牽くのは例外的。
清水港線とか尼崎港とか。
片上鉄道の同形車なんかは客車にヴェバスト式温風暖房つけてたが
他ではどうしてたんだろう。 停車中のDL、カランカラン音が好き。EL(直流?)と音色が違う警笛が好き。 >>9
操車場や駅構内で延々とアイドリングを続けて待機してたね。
入換機は夜、尾灯を片側一つだけ点灯させてた。
貨物が大幅削減された時、大宮操や新鶴見にずらりと並べられて廃車を待つ大量のEL、DLを見て悲しくなった。 電機より、ディーゼル機のデッキにつかまって、旗を振ってみかった子供時代。
(今でも?w 凸 =33)
>>11
凸=33
↑これ、いいな。ディーゼル機が走っているように見えるw
入換作業を終えて単機で待機場所に戻る時、よく飛ばして帰っていったな。
その時、デッキで誘導する操車係が振り落とされないよう、しっかりしがみついていたっけ。
俺もやってみたかったけど、ちょっと怖いかな。 >>5
入換えの時は横向いているのが一番楽なんだよね
DE10のように列車牽引して長い距離走るのは辛いかもしれん
列車牽引が主任務のDD51は正面向きに座るね JRのOBなんだろうな、転換直後に錦川鉄道に乗ったら
運転師が体は横向けて前見て運転してたよ。慣れって恐ろしいな。 >>6
DE10系?が殖えるにつれて、DD13が本線貨物ひくケースって減っていったのでは。
俺が見たことあるのは相模線で、だったが、あれも末期は
牽引定数が一時的に増えてDE11(時折2000代)に代わってしまった。 >>15
元々DD13は操車場の旧式蒸機の淘汰を目的に大量生産されたから本線の貨物列車の運用は少なかったようだね
それにまわせるほど余裕もなかったからDE10が増備されるまでは蒸機が貨物列車を牽いていたパターンが多い >>10
昭和40年代ぐらいにはそこで同じく大量のSLが解体されたんだろうが時がたって
DLやELが同じく大量に解体される事になるとはSLの解体作業に携わった人たちも
予想はしてなかっただろうな。 >>16
旧式蒸気=C11なんかのタンク式SLの事だろ? >>18
違う違う!
C11やC12などの「新しい」蒸気機関車じゃなくて明治生まれの通称B6型、2100〜の各形式だよ。
昭和30年代初頭まで品川や田端などでしぶとく生き残っていた。
齢70年を越す、鉄道車両としては限界まで酷使されていたのがいた。
最後のB6が田端で廃車になったのが昭和33年だという。
DD13の増備時期に合致する。
>>19
そうだったのか…要するに純国産化する以前の型って事だな?
そんなのが昭和30年代初頭迄首都圏に生き残ってたってのも意外だな…。 戦後も残ってた非制式蒸気機関車というと
B6、A8のほかには、900、5500、6200が主なところですっけ?
DD13は、まずは都会のヤード無煙化を狙って投入されたんですね… >>19
そだよね
9600や8620から蒸機が存在するんでなくて
当然それ以前のものも大量にあったわけだからね
当時都会のど真ん中でモクモク煙を吐いていた旧式の蒸機は
外国人の目に触れると恥ずかしいとかそんな感じで相当問題視されていたみたい 電気式は、ほとんど電気機関車だと思うけどDLなんだよね。今も現役なのかな? >>22
まさにそれこそ、童話機関車やえもんの元になったんだろうからな。 >>23
懐かしくはないけどDF200、
車籍はあるのか知らんが四国のDF50 1号機、
あと釧路の、現在の路線名なんて言ったっけ、あそこのDE 601 >>24
機関車やえもんナツカシス
時代設定はちょうどこの頃だよ。
レールバスや意地悪な電気機関車EF58www
やえもんはとうとうEH10に連結されて廃回されそうになる・・・涙(俺、このシーンで本当に泣いた) S50年代前半にはDF50やDD13の淘汰を目的として、DD51・DE10等の過剰なまでの増備
が繰り返されたが、その結果はS59.2改正前後には各地で用途廃止のDD51・DE10が累々
たる屍を晒すことになった。
ひょっとするとDF50なんかも、手の入れ方によってはもう少し延命させることも可能であった
のかもしれないと思ったりもする。 >>23
東能代に留置後、ひっそり消えていったDF91は? >>23
米原に配置されていたDD50は古い機関車だけど
電気機関車と同じような整備で都合が良かったといわれているね
重量も重く引き出しも容易だったからおおむね好評だったらしい >>27
支線における貨物輸送がS59.2以降事実上廃止され、幹線の貨物輸送更にそれにも益して
客車列車なんかも大激減となりDLは殆どお払い箱になってしまったからな。
SLが一気に廃止されだした昭和40年代、非電化区間に於いてはDLがその後にとって
代わられ出してた頃にはDLが20年もしない内にSLと同じ運命を辿る事になろうとは鉄オタ
ならずとも想像出来なかった事だろう…ただSLと違って計画的に全廃させられるなんて事は
当分幾ら何でもあり得ないだろうが。 >>29
1977年には、まだ米原に背中合わせの重連の姿で
廃車体が置かれていた。>DD50 >>27
然しDLの場合、SLの時と違って廃止されても極一部の鉄オタ以外には気にも
止められなかったからな。尚且つSLと違って動態保存された機種なんて聞かないし…。 DF50 1くらいか、動態保存。
わたらせや真岡、嵯峨野などが保存運転と呼べるように
なるにはまだかなり時間を要しそう(保存してるつもりじゃないだろうが)。
埼玉県のどこかの学校に、C58 363とトレードで保存展示された
DE10かなんか(←ほらナンバーすら覚えてない…ゴメソ)は
産業文化財保護のバランスからいうとなかなかの試みだと思った。 >>33
SLとDLの交換なんて、どう考えても反対する奴の方が圧倒的に多そうな気がするんだが…? 国鉄もDD51では過剰となる線区も多い(というか大部分の亜幹線がそう)のは承知していた
はずで、それ故に液体式が主流になってからもDD54やDE50といったクラスの開発を継続し
てたんだろうね。 >>34 そのとおり。
鉄道文化財に対する世間の認識なんとそんなもの。
>>35
大型エンジンは日本ではなかなかうまくいかなかったんだね
(DD54のは外国製だったけどお守りがダメぽだったんだろうか)。
最近でもDF200はコ○ツ製積むまでは輸入機関載せてた。 >>36
DD54はお守りの問題で済むレベルじゃなく、設計がマズかったみたい。
ピクの別冊だったかで見たよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています