【F1】1987~1993年のF1を語ろう 97laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987~1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987~1993年のF1を語ろう 96laps
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1652999047/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured それにシューマッハーの全盛期(2001~2004)はロリー・バーン、ジャントッドがそろっての成績ではあるが
それをチートというかは難しい
シューマッハー以外には実現できなかったことではあるし >>565
去就はっきり決めなかったセナが、ハッキネンを遠回りさせたよね。 >>572
あれはロンデニスの手際の悪さも起因していると思う
さらに言えばハッキネンがすんなりウィリアムズに乗れていれば歴史は大きく変わった気がしなくもないかな セナプロピケマンセルの四天王時代を知ってると、その後のシュー兄時代は物足りないってのは分かる。
年間複数回(出来れば3回以上)勝てるドライバーが4人以上いて、それが3~4チームに分散してるなんて贅沢な時代だよな。 ヒルもビルヌーヴも悪いドライバーじゃないけどさ
能力以上にマシンに乗せられている感は否めなかったよ
特にシューマッハが駄馬のフェラーリだったから
何のハンデ戦だよって感じがした
そのままベネトンに97年まで乗ってたら連続タイトルでしょ ↑と書いといてなんだが、そんな時代は87年まで遡らないと無いんだな。
87
マンセル6勝
ピケ3勝+タイトル
プロスト3勝
セナ2勝
ベルガー2勝
ウィリアムズ9勝
マクラーレン3勝
ロータス2勝
フェラーリ2勝
惜しいのは99年か。
マクラーレン、フェラーリ、ジョーダンが星の分け合い。ドライバーも複数回勝利が5人?
にしても見劣りするけど。
2000年代以降は調べてない。03年あたりはフェラーリマクラーレンベネトンウィリアムズあたりで分け合ってるイメージだが。 >>578
2000年時点でベネトンはルノーになってる。 シューマッハは同時代に強力なライバルがいなかったとしても伏魔殿のような
不振の責任のなすりつけあいが主要業務だったイタリアンだめチームで5連覇したことに
凄い価値があると思うわ ピケマン、セナプロは同チームでバチバチにやり合っていたからねえ。
シューがチームメイトとバチバチにやり合って、
結果タイトル数や優勝数を減らしても、その方が後年評価されたと思う。 ライバル関係がある時代は接戦を見ることができて面白いという意見は分かるけど、
一人が飛び抜けている時代について、その一人の選手を非難したり、楽してるから価値がないというのはおかしいよ
とりわけ能力を低く評価するなどと言うのは論外ね
なお、ドライビングそのものに注視できるなら、シューが飛び抜けて高度なドライビングをしていることは画面を通しても分かるものだったよ。
年までは忘れたが、フェラーリのバリチェロがアンダーステアの出るギリギリのところでスロットルを調整して走ったメルボルンの最終コーナーで、シューはアンダーステアを出しながらもスロットルを開けきってリアタイヤを外に振りだすことで向きを変えて、戻すことなく立ち上がったりね。なお、そのセクターだけで0.5秒くらいの差をつけていた。
自分が楽しく見られなかったからその時代の選手はクソ、などという論理は幼稚園生かと 日本GPの予選で、シューのS字の走行ラインを見た、鈴鹿をよく知る日本の関係者が言葉を失ったりもしてたよな 俺はそういうのが面白かったから、シューが独走しても楽しく観られた >>581
あの時代を振り帰ると、フェラーリでそれをすることはムリよね。
>>580 が書いた通りフェラーリは伏魔殿なのだから、そんなことをしたら足元掬われても不思議じゃないしな
フェラーリで圧勝するということそのものが偉業よ
なお、自らの意見が通る環境でジョイントナンバーワンを受け入れたのは、その4人のうちではプロストだけよ セナと顎が嫌いなのは卑怯だから
セナは汚いブロックで閉めまくったり、ブレーキテストや、わざとぶつけたり、あんなのはレースじゃない。バトルではマンセルの方がずっとクリーンだ
顎が本当に傑出したドライバーならヒルやジャックに特攻仕掛けたりしないよな
ラスカスで停車してアロンソのタイムアタック妨害したり
こんな卑怯なやつらのどこが偉大なわけ? >>586
セナとシューにダーティムーブが多かったことには同意するし、そういう部分は俺も嫌いだが、
だからと言って能力が低いということはないだろ
ヒルやビルヌーブに当てに行ったのはシューの悪いところだが、あのときのシューのクルマで最終戦までタイトルを争えたことは驚異的だと思うわ >>589
え?何言ってんの?w
全然意味がわからないwww 君が馬鹿なのは十分わかったから自慢しなくてもいいよ >>591
アンカーも付けないで誰に言ってんの?
腹話術かな?w >>527
日本で二戦開催された1994年は、前年に既にバブル崩壊不況が深刻化していて、新卒、特に女子学生の大卒就職が氷河期と言われていた年だったんだが。 >>497
87イギリスGPは、マンセルのブチ抜きをピケが引かなかったら仲良クラッシュしてたな、で中嶋が初年でいきなり2位ゲットできてた。
ホンダ的にはがっかりだったろうが、良くなったか駄目になったかは微妙だが、中嶋のF1キャリアも変わっていたな。 >>594
なるほど確かに…
ただ、ウィリアムズの同士討ちがあると、1周遅れのつもりで走っていたセナが最後にガス欠、
2周遅れのつもりで走っていた中嶋以降は言わずもがなでターボ勢はガス欠祭り
という1982モナコもビックリな大荒れ展開かもなw
走りきれたのはNAのみで、優勝がジョナサンパーマー、2位がパスカルファブル、完走は全2台、というのもありそうで怖い 中嶋っていい走りする時はいつも予選悪かったり、スタートミスってポジション大幅に落とす時なんだよな… そういった運も含めてね…
キャリアの3/5はワークスエンジンなのに3位周回が一度も無いってのも凄いよ。 この時代、中嶋を平忠彦と比べてた
平のほうが世界で通用して結果出してた反面、中嶋の遅さにムカついてた
てか四輪の奴らクソだよな
二輪は平、原田、岡田、伊藤、坂田、上田、ノリック、青木兄弟、大治郎
みんな世界で結果残したじゃないか
日本人F1ドライバーダセえはマジで >>598
二輪の場合、日本のメーカーが多かったのが大きいとは思う。 >>598
二輪は四輪ほどの腕力が要らないのかな? >>598
凄い馬鹿だなお前w
比較対象が別ジャンルじゃんw 中嶋は何で91年鈴鹿で引退しなかったんだろう。最終戦あわや予選落ちレベルの抜け殻状態なら出なきゃ良かったのに。 >>602
F1ドライバーが、シーズン途中で引退はあまりないケースだろ。
よっぽど成績不振で肩たたきされたとかならまだしも。 >>603
長年シートがあったドライバーが、地元で引退したケースだと、
ブーツェンのベルギーGPでの引退くらいしか記憶がない 中嶋のようにスポンサー山ほど抱えてたら残り1戦といえシーズン途中で
いなくなるのは色々面倒だろうな、引退後もレース界で仕事続けるわけだし
なによりアデレイドで89年の奇跡再びと念じてたファンが多かったし
ちょうどグラ特の91年の最終号を見たら最終戦のオーストラリアgpは日本からの
観戦ツアーだけでバス数十台という盛況だったらしい
鈴鹿のチケット取れなかった人たちが大挙して一番近い外国のgpに押しかけたとか >>605みたいに考えると、>>602がいかに短慮なのかがわかるなw しかし急ごしらえでポルシェ→DFRに変えたようなフットワーク2台より予選が遅いってどうよ?開発終わってたとはいえ相方モデナは予選9位だぞ。 オープニングの映像が雨だったので「おっ」となったが既に廃人レーサーみたいになってたな でもあのクラッシュの後の総集編のナレーションとBGMと中嶋の歩く後ろ姿の組み合わせが感動的になってたんだよね そもそも中嶋は全日本F2で本当に星野やリースより速かったのか疑問
ホンダが鈴鹿貸し切って中嶋だけ専有して思う存分テストできたんでしょ
ホンダエンジンも中嶋の方が優先して最新バージョンが提供されてたし、86年は選手権で星野が中嶋に迫ってくるとエンジンの割り当てをさらに中嶋有利に操作してた。翌年F1デビューが決まってたし、やはり日産のエースに勝たれるのはまずいと
ホンダエンジン使えないGCでは星野の方が強かったね f1日記読むと中島はロータス時代にろくにテストさせてもらえないことの不満を
しょっちゅう書いてたけど現役最終年は息子の七五三だ入学だ中嶋企画の大事な
会議だ、としょっちゅうテスト日程キャンセルしてモデナに丸投げしてたな
けっこうはやい段階でやる気みたいのは切れてたのかも 「今回も申し訳ないがタイヤのチョイスはモデナ君にお任せして僕は一路日本へ〜」
みたいな描写が度々あったと思う 去年連載してた日経の俺の履歴書では90年の段階で辞める予定だったって書いてあったな。 だから、元朝日の女性記者が1年密着して本出してたよね >>612
>>614
ワロタ
そりゃ遅い訳だわ。 ティレル移籍でテストでロータス以上に走りこめる環境は実際実現したんだろうね
ただ90年は経験浅いアレジに比べ詳細なフィードバックをあげてくる中嶋は思った以上に
チームに重宝されて次から次へと(特にタイヤ)テストさせられて疲れちゃったのかもね フットワーク時代のアグリなんか俺はテストドライバーじゃない とか言ってモナコでクルーザー乗ってるか、ゴルフしてたんたぞ あとティレル020は個体差がけっこう大きくて明らかに1台だけ剛性が段違いで
しっかりしたやつがあってそれが中嶋のクルマだったんだけど「モデナ君も遅まき
ながらそれに気が付いて当然そっちで走りたいと言い出して〜」結構すんなり
譲っちゃったみたいね、さすがに引退発表したドイツgp以後の話だったと思うけど >>623
モデナがモナコでその車体使えたら2位だったかもな
モデナは本当に惜しいドライバー モデナも「ギャラはゼロ」と言われても92年もティレルに残るべきだったね 91年の時点で翌年のシートをジョーダンかティレルで選べるなら
まあジョーダンを選ぶだろうなと思う あのジョーダンの1年目の勢いに騙されちゃったんだろうかね
「若いけど経験豊富な伸び盛りのチームと思ってたらf3000のチームだった」
金欠ブラバムでもあんま文句言わなかったモデナにそこまで言わせたんだから
よほどないぶはとっちらかってたんだろうな、あと勝手なイメージだけどエディも
アンダーソンもあんまドライバーの話を真剣に聞かないで適当に流しそう 91年ジョーダンの速さってHBの要素だけ?
モノサスはクソアンダー出たらしいし。
空力はサイドポンツーンの下をえぐっていて現代F1の先取りっぽいし、フロントも良さそうな気がするけど。 >>624
エンジンブローだったから関係ないんじゃね? ジョーダン191はいわゆるフレキシブルフロア(ディフューザー)でそれが結構効いたとかなんとか ランボルギーニV12って意外と重くないのね
長いけど 94年のマクラーレンランボルギーニ見てみたかったな 重くはないかもしれないけど90年のベルギー見るとパワーなさげやで
コスワースエンジン搭載車をなかなか抜けずにいる
https://youtu.be/TXT7RArpD-Q?t=1063 >>615
でも90年移籍後早々、翌年ホンダエンジンは決定してたよな?どういうことなんだろう。 ランボルギーニは93年あたりは当時の親会社のクライスラーが力を入れてきてだいぶパワーが上がってきていたらしい 本気でマクラーレンと組むつもりだったみたいね、クライスラーの一方的な夢想で
完全な思いこみだったとフォルギエリが言ってたな、ところでフォルギエリってまだ
ご存命なんだね 天下のセナ&マクラーレンならクライスラーもその気になったかもしれないけど
現実問題V12は時代遅れでどこまでリザルトに繋がったか疑問
結果的にプジョーがダメエンジンだったからタラレバの期待値が上がるけどね テストで感触がすごく良かったかもしれないけど開発予算が期待できない
エンジンをマクラーレンが選ぶわけはないよね
ロンにしてみれば無償供給は当然で青天井で開発予算と人的バックアップ体制があって
さらにその上でマクラーレンにいくら援助してくれるか会って話なんだろうな その結果プジョーなんか選んじゃってあの体たらくだもんなー ワークスエンジンを獲得できなかったのでセナは乗らないと想定して予算を組んだが
結局乗ることになったので、マルボロに増額の交渉をしたが却下されてしまい、マクラーレン社内の内部留保でセナにギャラを払ってたんだっけ?
で、プロストがアクティブサス未経験な上にウェットレースがあってコケる中で
セナが好成績を残したためマクラーレンは破産しそうな状態だったとか。 プジョーはジャントッドがいてこそのあの大躍進だったんだろうね
デニスはそこら辺読み違えたか?プジョーならプロストも帰ってくるとか思ってたんかな ジョーダンと組んでからのプジョーは信頼性を確保したし、パワーもかなりあってストレートスピードはトップレベルだった
マクラーレンの我慢が足りなかっただけ
空力が特にそうだけど、お粗末な車体の出来を棚に上げる資格あんのかと
MP4/9はドライバビリティ悪くて前年のMP4/8がパッシブモードで走った時に走行困難とまで指摘された不安定さがモロに出てた >>646
でもまぁ、結果としてF1で1勝もできなかったから、メルセデスにスイッチしたのは正しかったんじゃないか >>644
まぁ交渉の中でワークスエンジン以外にもセナに約束してた体制面の準備を失敗してたみたいだし、
金積んで納得してもらうしか無かったんだろ。 >>644
ターボ時代のMP4/4にまではシャシーポテンシャルも高かったが、NA化からニール・オートレイデザインになって、ホンダエンジン頼みなチームになってしまったな。
当時のMP4/5のリヤウイングの巨大さをつべなんかで見ると、1000馬力ターボ時代並だな。
低速サーキットだと更にダブルウィングにして、よくホンダっても非力なNAであれだけ速かったと思う。
発売されたGPカーストーリーズ最新号、MP4/6はレギュレーション変更もあったが、逆に小型化されたがな。
93年にワークスエンジンを獲得できないくらいマクラーレンが落ちぶれた最大の戦犯は、ニール・オートレイだな。
ロン・デニスは二番目。 >>651
そうは言ってもチームへの忠誠心(移籍の心配ほぼなし)やギャラの安さ(推定で
ニューウェイの25分の1)を考慮すると得難い人材ではあったんだろうね
オートレイとニューウェイが揉めた時もウィットマーシュは「どちらが正しい以前に
私はニールの肩を持つしかなかった」と言ってたし 津川氏が何かにつけて小馬鹿にしてたなマクラーレンのウィングの大きさ
ベネトンメカニック時代さんざんムカついてたんだろうなエンジンパワーだけに頼っただけのマシンに太刀打ちできなかったのが 昨日の鈴鹿のタイム見ると雨のフリーで1分41秒台で走るんだね
トップのラッセルの41秒935って89年の中島の予選通過タイムとほぼ同じで
10位くらい相当か ホンダの大きいて重いエンジンを運用できたのは、マクラーレンのチーム力があればこそだと思う。 まあ、シャシーで劣っていてもエンジンパワーやドライバー手腕で勝っていたことが
技術進歩を鈍化させていた要因だと思う
負けないと問題点に本腰を入れないものなんだろう ロン・デニス時代のマクラーレンでいい結果を出せたのは
バーナード、ゴードン・マーレイ、ニューウェイがいたときだけでしょ? マーレイはロードカー部門に移動するまで3年くらい(87~89?)レース部門に
いたけどmp4/4以外はマシンに関与した痕跡というか独特の意匠みたいのを感じられないんだけど 空力部門で遅れてたとしても、
クソ重いホンダEGでトップ争いしていたマクラーレンはやっぱり凄いよ
ティレル、フットワーク、ロータス
はホンダEGの高重量に対応出来ず
マシンバランスを崩し燦々たる結果
セナですらホンダEGの高重量には
手を焼いていたってんだから gpカーストーリー次回12月はBGP001、意外なとこついてきたな MP4/4はBT55の発展改良型みたいな所があるからマーレーの考えが反映されたモデルだよね マーレイは傾けた直4を載せたBT55は失敗したが、V6なら大丈夫なのか知りたかったのだろうね。 >>664
そんなマシンあったなーと思って写真見たら本当にぺちゃんこだな 星野がB190に乗れば鈴鹿で入賞できてたかもだが
中嶋がMP4/4に乗っても表彰台ムリだろうなw プロストが16戦14勝という空前絶後の記録打ち立てそうだからそれもあり >>666
なにかのイベントでmp4/4ドライブした時「シフトのスムーズさが異次元、これ乗ってたら
優勝は無理でも表彰台いくらでも上がれたわ」と感想を言ってました ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています