【F1】1976〜1986年のF1【鎖国〜開国】2lap
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あの頃のF1は・・・どんなだったの?
・76年F1日本初開催,翌77年観客死亡事故により鎖国
・くさび形〜ウイングカー〜フラットボトム
・3000cc〜1500ccターボ〜給油・タイヤ交換作戦〜燃料規制
・不死鳥ラウダ,壊し屋ハント,円熟ピケット,韋駄天プロスト,成り上がりロズベルグ,新星セナ,暴れん坊マンセル
・そして念願の鈴鹿開催,中嶋レギュラーシート獲得,フジテレビ全戦放映決定で開国へ
F1そのものが過渡期で技術的・商業的にまだ未熟な面も多々ありましたが、良くも悪くもそれが各チームの
マシンやドライバーの個性として光輝いていました。
日本におけるF1認知度はものすごく低く、リアルタイム情報なんぞ皆無に等しくTVはたまにモナコGPがやるだけ、
AS誌やAT誌などで1〜2ヶ月遅れでレース結果を知るのがやっとの時代でした。
前スレ
【F1】1976〜1986年のF1【鎖国〜開国】1lap
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1321855727 この頃のデザイナーは空気抵抗を減らす事しか考えてなかったんかな? >3 の 2枚目は 昔は F1 ドライバーも、
F2やFPなどの下位カテゴリに参戦していました程度なんだけど
1枚目は、判る人は "あ〜!" となると思う。 間瀬カメラマンの解説のTBS数戦ダイジェストを見てたわ
この時代 >>5
1983年からしか知らないけど
ルノーとマクラーレンはドュカルージュとジョン・バーナードで
フェラーリはポスルスウェイトさんだったけど
空力的にはフェラーリは遅れていたね
なんかカクカクしていた ピケ父とロズベルグ父が、ラウダがマールボロで
年500万ドルで契約して、世界ちゃんぽんは
年俸200万ドル以上じゃないと契約しないとか
やってた頃。
ピケ父 ブラバムと180万ドル
ロズヘルグ父 ウィリアムズど80万ドル その後フランク・ウィリアムズにロスベルグ父のサラリーアップを
ホンダさんが支払って下さいといわれて(促されて)
桜井淑敏がテストも禄にしないケケになんで支払うんだよ
ネルソン・ピケ(ピケ父)なら支払うよって契約 ピケ父
1986-87 年200万ドル
ロータス
1988-89 年350万ドル
マンセルはテストをすっぽかしたケケに
自分座っていたシートをミーティングロスベルグ父に
進んで譲る ピケ父は1981年にちゃんぽんになったときに
飛行機移動がうんざりでいやだからブラジルに戻ると言った。
ラウダに(ラウダエア)ビジネスジェットを買え
と言われてf1残留 >>10,12
てことは、ロズベルグ父と中嶋父一緒にウイリアムズホンダをテストした時期はなかったんだな
ロズベルグ、ピケ、中嶋の親子6人は、ウイリアムズとホンダを介して複雑にからんでるんだな テストは全部が全部公開されているわけじゃないから判らないけど
中嶋とマンセルは一緒にテストしたことはある。
ロズベルグとは、同じF2レースに、ピケとは 同じF3レースに出場したことはあるけど
見学レベルだったらともかく、ロズベルグと一緒にテストはないと思う。 変わった組み合わせで
ヨハンソン スピリット201 F1仕様
中嶋 マーチ 822 F2 というのがある。 マンセルと、ヨハンソン、ブーツェン、アルボレート、
鈴木利男、ジョーダンが同じ時期のF3ドライバーなんだね。 >>6
子供相手のスーパーカー・ショーに008持ってきました‥で、多分後ろの方が大人気なんやろな。
後に小改良、鼻先にウィング付けたやつにカウーゼンが連れてきたケイジョさんでテスト
フジで結構早かったんよね確か、その時のアクセルワークが「カートみたい」って言われたりして。
2枚目の方も十分楽しい‥2人のドライバーも車もスポンサーも、ついでにその他の参加外人ドライバーも乗ってる車もスポンサーも
まだまだ日本人は‥ってな時代、’76〜’78のF-2(6、7はまだF2000か)特に最終戦はホント豪勢。
F-1行けなくても米に渡ってインディ500で一回転優勝な人とか。 >>6 の2枚目は
KE がスーパーカーショー用に作らせられたとされるF1もどき
KE 007,008,009 のパーツが入り混じっている。
現在ある KE007 は、これをベースに製作された説がある。
>>19
誤 >>6 の2枚目は
正 >>6 の1枚目は F-1は009だったか
でも最初から色々お着換えできますぜ‥な車だったし
下の写真のピローニのが純008か、こんなに小っこかったっけ
まあ当時のお笑いラルトF-1なんて基本はF-3のだもんね
パトレーゼのB48は前の型に比べておもちゃみたい‥失敗作だったわけだわ。 オートスポーツ1975年〜の電子版が一年分24冊1980円セールやってますね それのカラーリング違い。
※テスト時は、実戦には出てこなかった シビエ カラー コジマで思ったのだけれど日本でレストアしたマキ F101のDFVだけどいつの時代のDFV何だろうか?
タミヤのF1モデルを見ても結構外見が違ってるけど
レストアにあわせて外見を1974年辺りのスタンダード仕様にしているのでしょうか? 1977年日本GP、グンナーニルソン車かな?違って
たらスマソ >>25
マキのレストア車は判らないけど、
部品の関係で DFV ではなく DFR・DFL を積んでいる可能がある。
>>24
82-83年のオフシーズンテストで シビエ カラー になったかというと
所属チームが 生沢 から 原田に変わったから
原田のスポンサーというか シビエ の代理店なので シビエ カラーになった。
実戦では、EPSON がメインスポンサーとなる。 個人的にはJPSが好きなんだけどサイドポンツーンに
日本のメーカー名が入ったマシンも見ていて心地よい
https://pbs.twimg.com/media/Cb5bchEWwAASdWC.jpg >>29
カラーリングが好きなJPSカラーでサイドポンツーンに
日本のメーカー名が入ったマシンが理想なのね。 メディアも
3連戦には角田のついては
なかなかいいコメント
が出ているもんだな
ならほんとこの
3連戦は角田は
上位にいってほしいもんだな >>30
カッコいいJPSカラーリングに日本のメーカー名が入ったマシンが圧倒的な速さで完勝し
チャンピオンになる姿を誇らしく鑑賞する事こそ日本人F1ファンである俺の理想とロマン
https://i.pinimg.com/originals/b8/93/42/b89342b88353a2942ab1a7f282964d5a.jpg 理想とロマンが実現したのは70年代後半の短い間だけ僅か1年で終わって
暫く低迷し復活するのは6年の時を経た80年代中盤になってからだな >>35
いろいろと面白い時期‥金、物量よりも”アイデアとハッタリとチョットしたインチキ”で勝負のプライベーター全盛時代、
でもあったんだけどね70年代中盤から”再び日本で”‥の時期。 日本のカメラメーカーの名前がサイドポンツーンで金色に輝くマシンが6年振りに優勝
前年に予選でポールを獲ったり決勝で3位になったりして既に復活の兆しは見えていたが
ウイングカー開発失敗で低迷したチームが普通のコンベンショナルなマシンでやっと復活
だがエースが1回ポールで1勝したのに対しセカンドが7回ポールで2勝した為に立場が逆転
居心地が悪くなったエースは移籍するが低迷しシーズン中のテスト時の事故で死亡した合掌
https://i.pinimg.com/originals/d9/81/56/d981567a7ee846c12d7d5d280df3c4ae.jpg スレ見てると、やっぱこの時代は観てた人ほとんど居ないから、
思い出はミニカー等のクルマそのものなんかな? 富士の日本GPをTVで見た世代が60代位だろうしな 知ってても書籍とかダイジェスト版のTV番組でしょ。
現地で見ていたとしても、
自分で観戦記を雑誌に投稿していたようなレベルの人ならともかく
そうでない人は、覚え違いをしている可能性もあるし >>38
下にCAMERASと入ってるように日本のオリンパス本体じゃなく欧州の代理店がスポンサーしてたという
話だとどこかで見た >>43
可夢偉とペレスがいた頃のザウバーのマシンにある日NECのロゴが追加されて
日本のNECがスポンサーに付いた?でもアンタそれ・・実は子会社のNEC
メキシコですから〜残念!というのと似たような感じなのかな?
https://pbs.twimg.com/media/DyWoBilVAAIaGS-.jpg 代理店だろうが子会社だろうが日本のメーカー名が
付いたマシンが活躍してくれたらいいんだよw >>30
JPSっぽいカラー+サイドポンツーンに日本のメーカー名の
マシン+日本人ドライバーがポールポジション獲得と大活躍
https://pbs.twimg.com/media/E4PHJQ4UYAIOCoe.jpg >>38
ポールを獲るほど速いJPSっぽいカラー+サイドポンツーンに
日本のメーカー名のマシン+黄色いヘルメットのドライバー
が雨の中を走る姿を見ると天才F1ドライバーを思い出す
https://pbs.twimg.com/media/E4PFzFUVoAUPOKA.jpg 名前の由来通り本当にF1ドライバーを志してしまう子供も凄い ただ志すだけでなく実際にホンダ系ドライバーになった所が凄い ちゃんとホンダ系ドライバーとして戦力になっている所が凄い 実は元ネタの天才F1ドライバーも英国FF1600で圧勝してタイトルを決めたが
F3に行く為のスポンサーを獲得出来ず失意のままシーズン途中で残りの
レースを放棄して母国に帰国するという挫折を味わった事があった だがFF1600時代のチームオーナーのラルフ・ファーマン親父に電話をかけて
開幕前ギリギリセーフで別のチームのFF2000のシートを得ると今度は
フル参戦して圧勝しタイトルを決め翌年は念願のF3に進出した >>58
ホンダのサポートを打ち切られ途方に暮れるがトヨタ系チームに移籍して
GT300で3戦2勝し代役参戦したF3でも上位入賞して這い上がった所が凄い 今では日本のトップフォーミュラで活躍するまで成長したがトヨタは既に
F1から撤退済なので天才F1ドライバーの名前がF1に復活する事は無い残念 F3で8戦連続ポール・トゥ・ウィンを達成するとF1マシンをテスト走行するチャンスを掴み
ドニントンでウィリアムズをシルバーストンでマクラーレンとトールマンをポールリカール
では同郷の先輩ピケが同年にチャンピオンとなったブラバムをテストし好タイムを叩き出す
https://i.pinimg.com/originals/b1/70/d6/b170d60edcc6dc03ab9ff4d7f05950d3.jpg 当時のウィリアムズとマクラーレンはターボエンジンを確保出来ず低迷していたけど
ブラバムはBMWターボパワーで強かったから契約の第一希望だったんだろうな。
※テスト後にマクラーレンはポルシェをウィリアムズはホンダターボエンジンを確保 BMWもブラバム以外のATSやベネトンにアローズと複数供給していたのは良かったね ウィリアムズは若い未経験者は不要と拒否され断念しマクラーレンはテスト時にエンジンが
不調なのにブン回して壊し交換して好タイムを出すがエンジンを壊した事でデニスを怒らせ
断念しブラバムはチャンピオンのピケに拒否され残ったシートは弱小トールマンだけだった
https://i.pinimg.com/originals/5b/9f/78/5b9f78670a9cec4ad5d4163bb679e54d.jpg トールマンは弱小というイメージがあるけど83年終盤には
4位や5位に入賞して終盤だけ見ると中団グループ入りしてた 83年のコンストラクターズランキング
1 フェラーリ(V6ターボ)
2 ルノー(V6ターボ)
3 ブラバムBMW(直4ターボ)
4 ウィリアムズ・フォード(DFV)
5 マクラーレン・フォード(DFV→DFY・ラウダは第11戦までワトソンは第12戦まで)
6 アルファロメオ(V8ターボ)
7 ティレル・フォード(DFV→DFY)
8 ロータス・ルノー(V6ターボ・アンジェリスは第2戦からマンセルは第9戦から)
9 トールマン・ハート(直4ターボ)
10 アロウズ・フォード(DFV)
11 ウィリアムズ・ホンダ(V6ターボ・最終戦のみ)
12 セオドール・フォード(DFV)
12 ロータス・フォード(DFV→DFY・アンジェリスは第1戦のみマンセルは第8戦まで) ファンジオ時代は別としてアルファロメオが中々良い成績なんだよね。確かチェザリスが表彰台の時かな。 偽マクラーレンのマシンは紛らわしいと思ったのでバッド
復帰したホンダのマシンは赤白青のホンダカラーでグッド
でもあくまでも実戦テスト用でウィリアムズが本命だった
俺はホンダカラーが好きだったので短命に終わり残念無念
https://pbs.twimg.com/media/EUVsrwoXYAYn-eZ.jpg ロリー・バーンが設計したトールマンのマシンを見て
パクった方のマシンは正直言って不細工だと思った
https://pbs.twimg.com/media/DuJ-YIjX4AAXyBP.jpg >>70
このアルファロメオ、ドゥカルージュは
絶対にマクラーレンをパクったよなw 偽マクラーレン紛らわしいウゼぇと思っていたらドゥカルージュが
途中でロータスに移籍したので翌年は落ちぶれてランキング8位に
ダウンして逆にロータスが活躍し始めてランキング3位にアップ
(翌年は偽マクラーレンが緑と赤のベネトンカラーになってた)
https://pbs.twimg.com/media/ExLEJ0kVcAkZ0Qq.jpg ロータスを最終的に破滅に追い込んだのはセナの才能にかまけてロクに開発しなかった
ドゥカルージュだと思ってるよ、セナが離れた後はもう取り返しがつかないくらい他と離されてた
107が最後っ屁になったけどもう遅い オレは航空宇宙工学の専門家だから、みたいな
プライドを鼻にかけていたフシがある
部下も育たず成功したとは言えずとも
チームに変化をもたらしたのは
フランク・ダーニーやクリス・マーフィーといった
外部からの人間だった >>71
バーンのアイデアをパクるのは勝手だが空気抵抗デカそうだな。 >>74
この頃は、会社の台所苦しくどうなるか‥でユーロレーシングに運営から何から
丸投げ状態たから、まあしょうがない。 ユーロレーシングと言うとバブル期にCカーチームのW・ブルンと組んで再挑戦したけれど、
後日ブルンのマネージャーが言うには、ブルンを騙しやがってとユーロレーシング側を非難する発言をしていたね。 >>73
こっちがバーナードが設計した本物のマクラーレン
違いはウイングの色とリアカウルの形状で上部も
後部も絞ってリアウイングに多くの風を導いてる
https://pbs.twimg.com/media/EHt6X8dXkAAt8p5.jpg >>80
ありがとうMP4/1Cだよね
コークボトルシェイプでディフューザー上面の正圧の空気流を増やし
結果的に下面の負圧も増やすことが出来た
アルファロメオの183Tは前年の182Tのサイドポンツーンの形状ほぼそのままに
フラットボトム化しているのでMP4/1とMP4/1Bに似ている
>>74の画像を見る限りディフューザーも付いていないね >>81
本家マクラーレンはTAGが資金を出してポルシェに開発させた
V6ターボエンジンを第12戦からラウダ車に搭載し第13戦から
ワトソン車にも搭載したがトラブル続きで殆どリタイアした
実戦テストでトラブルを洗い出し信頼性を高め翌年は全16戦
中プロスト7勝ラウダ5勝でコンストラクターズタイトル獲得
雨のモナコがハーフポイントになった為にラウダがプロスト
に0.5ポイント差で勝ち3度目のドライバーズタイトル獲得
https://pbs.twimg.com/media/EnhoeUGW4AIzCl5.jpg >>77
バーンが設計したトールマンのツインウイングは強大なダウンフォースを発生したが
当然ながらドラッグが増えてしまいストレートが遅くなりエンジンの燃費が悪化した
フロントの巨大ベンチュリーフロアノーズも強大なダウンフォースを発生したが強大
過ぎピッチングによる姿勢変化でダウンフォースが増減するポーパシングが発生した
そこで翌年はフロントノーズを一枚翼のカイトウイングに変えポーパシングを緩和し
ロングフロアディフューザーを採用した新型を投入ラップタイムが1秒以上向上した
天才バーンもまだこの頃はフラットボトム規制下での空力処理に試行錯誤していたが
その時もう一人の天才バーナードはコークボトルラインというトレンドを作り出した
https://i.pinimg.com/originals/c5/b0/da/c5b0da9729bad83c231f1464dfde8f38.jpg マクラーレンはいいけどトールマンのマシンはイマイチだな ぽーぽしんぐはロータスと一緒、失敗作一杯、多分アローズの金魚雷も強度不足のみならず
それが有ったはず、ウィングデカすぎダウンフォース付けすぎ、折り合い付けなさすぎ。
なおサイドのカバー?後ろの跳ね上げ(始めたのはリジェ辺り)リップ延長して
ウィング支持付させるのは、殆ど素人が設計して同様の失敗したカウーゼンの最初の車が元祖なはず。 >>64
エクレストンは契約を希望したがピケは経験者のモレノを推薦メインスポンサーでイタリア
の乳製品会社はイタリア人を要望し断念トールマンはバーンが若き天才との契約を希望した
トールマンはリタイアばかりしていたが6月にセオドールから津川哲夫が移籍して2ヶ月後
初入賞すると4戦連続入賞し(チームオーナーは津川が来てから上昇機運だラッキーボーイだ
と褒め称えた)ランキング9位になり弱小から中団チームに躍進し若き天才は3年契約を結んだ
https://i.pinimg.com/originals/9d/ee/43/9dee4341050785049046e8a1387e7631.jpg >3年契約を結んだ
モータースポーツの世界で複数年契約はアテにならん 最近2年契約を1年で終了して離脱すると発表したMotoGPライダーがいたなw GP2エンジンメーカーとの10年契約を3年で打ち切り他のF1エンジン
メーカーと契約したが未だに優勝出来ずにいるF1チームもいるなw F2 用エンジンを売ると言いつつ、
結局、限定的にしか供給しなかったメーカー >>64
トールマンはロリー・バーンが翌年途中に投入した(ミシュラン用でピレリから契約を変更
するまで投入出来ず)新型シャシーとハートの電子制御点火式一体型エンジンの出来が良く
意外と戦闘力が高くNo.1ドライバー待遇も約束されていたので実はベストな選択肢だった >>64
参考画像貼るの忘れてた
トールマンはロリー・バーンが翌年途中に投入した(ミシュラン用でピレリから契約を変更
するまで投入出来ず)新型シャシーとハートの電子制御点火式一体型エンジンの出来が良く
意外と戦闘力が高くNo.1ドライバー待遇も約束されていたので実はベストな選択肢だった
https://i.pinimg.com/originals/55/72/11/557211f9072b73ddc2f4c5a72fba5f08.jpg ティレルやスピリットやトールマンを乗り継いだヨハンソンに
よるとトールマンのマシンは戦闘力が高かったそうな(4位入賞) インタビューでヨハンソンがマクラーレンMP4を除けば
自分が経験したF1マシンの中でシャシーもエンジンも
トールマンがベストだったと言い切ったのが凄い 日本で走ってたし、単身でよく遊びに来てて
フェラーリにも乗って、周りがアッと言うようなスゴイ大出世したのに
一般道じゃギア、ガリガリ鳴らしまくりでシフトするんで
「ウチの商品壊すんじゃないだろうな、ホントにこれがフェラーリのワークスのドライバーなんか」
と隣に座った店のオーナーの兄弟にボヤかれてたリトルリーフさんが? 83年はF1スピリットに乗り84年は全日本F2参戦とF1ティレル&トールマンに乗り
85年は第1戦がティレルと下積みを経て第2戦からアルヌーの代役でフェラーリに
大抜擢され2位が2回など活躍アルボレートも優勝2回2位が4回3位が2回など活躍
86年もフェラーリに乗り3位が4回などの活躍により翌年はマクラーレンに移籍
だからフェラーリもいいマシンだったはずなのにそれを差し置いてベストマシンは
前年に乗ったトールマン(87年に乗るマクラーレンMP4を除く)だと言うヨハンソン
それほど84年型トールマンは85年〜86年型フェラーリを上回るいいマシンだったのか?
https://s3.observador.pt/wp-content/uploads/2016/11/23163317/479762009.jpg ヨハンソンもSベロフが事故死しなかったら、フェラーリとの契約を済ませていたと言われてるのでシートを奪われてたんだろうね。 >>98
GPCars見たらトールマンのマシンは意外とイケてたんだなと感じた
フェラーリのF156/85もクイックな動きができそうな
コンパクトにまとめられ戦績も上がった良マシン
ところがドラッグ低減狙ったF186は見た目鈍重なマシンで実際戦績も悪化
ポスルズウエィトは名デザイナーだけど
ウルフの前ラジエーターやフェラーリのダブルフロア然り
成功した良いマシンの後に
素人が見てもダメなのを作る人の印象が強い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています