【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 81laps
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
前スレ
【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 80laps
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1597906764/
-
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured >>78
プロスト小物〜
セナを揶揄するピケも小物〜
セナにすぐ暴言吐く殴るマンセルも乱暴狼藉男〜
>>82
バレストルに散々いじめられたからね >>88
フライングはフライングだよ
ベルガーみたいに一分ペナルティー受ければ良かったのに
>>89
それはプロスト信者でしょ
鏡買いなよ >>90
プロスト信者はこわかったよ
被害妄想ばかりで根暗オヤジばっかりだった
女の子にもてなさそう
スターのセナを応援したくない逆貼り天の邪鬼しかいなかったしね
>>91
そう言って逆側からたたこうとしても無駄
いつまで経ってもプロスト信者はしつこくて汚いね 今年41になるオッサンのセナ信者だけど、当時の鈴鹿のTV放送を見ると89年はプロストはWCの為に手荒な手段で最悪の手段を選んで、90年はセナも同じくWC保守の為に確信犯で突っ込んでっただけって感じで思ってる。
当時小5の俺はドン引きだったけどね。
セナのやり方が悪いと思うなら94年最終戦のシューマッハなんてあからさま過ぎてさらにドン引き。
そこからF-1に冷めていった。
でも94年はセナが死ななくてもWCは多分シューマッハだったと思うし、結果的にその後はやっぱシューマッハ時代だったしね。
自分がセナ好きになった88年の鈴鹿はセナオタじゃなくても魅力的なレースだったと思うなぁ。 信者同士の言い争いは不毛だからこの辺で辞めようぜ
どうせならB級チームのエピソードでも語ろうや マンセルに限ってたられば当てはまらないでしょ。92カナダやメキシコ予選の自滅振りはアレジと双璧。ほんと91年組んで欲しかった >>59
複数回王者のピッロとダルマスも忘れないであげて >>103
過大評価アレジ盲信キチガイしつこ
死ねばいいのに アレジはハマればそこそこでも安定感なし、テスト嫌い、セットアップ能力皆無だから例えFW14Bに乗っててもチャンピオンは無理だっただろう
良くてパトレーゼに勝てたかどうか >>106
速さ、上手さともにパトレーゼの方が格上でしょ >>108
だよね
書いててつっこまれると思った
地味だけど乗れてるときはマンセルとも良い勝負出来るしまさにベストナンバー2ドライバーだよ アレジオタの勘違いがすごいからはっきり言うけど
金も人材もそれなりに揃ってるフェラーリベネトン7年間乗って1勝って普通にゴミだろ
そんなに時間あったらブーツェンだってもっと勝ててたよ
マシンを速く出来ない
チーム強化に貢献できない
要するにアレジはレースしてる時以外の能力がゼロなんだよね
レースにしたって4強がしばしば演じたような圧巻の速さ強さもなかった
91年のウィリアムズに乗ったらマンパトのどっちかを食ってチャンピオン争い出来てた?
甘い
多分逆だったね
フランクとパトリック・ヘッドに愛想尽かされて途中解雇まである アレジの出てくる前の数年間は新人が不作だったからなあ
そして同期までの中では確かに優秀だったし、その後もその中では優秀であり続けた
シューマッハが出てきてからは、(トップドライバーの中では)ただの人になったよね。一気に色褪せた
日本では後藤久美子が居たからか悪く書かれることは無かったけど、イギリスの書籍てはこの時期
辺りからソコソコの上位ドライバーという扱いになった。 フランクからは交渉した90年までは期待されてたかもしれんがね
ウィリアムズのあの二人と仕事して気に入られる、認められるって相当のことだからな
この時代以前ならジョーンズ、マンセル、パトレーゼ、ヒル、あとはせいぜいケケくらいじゃないの アレジとジャックビルヌーブの開発能力はゼロ
せいぜい自分好みのマシンバランスを伝える位
タイム短縮につながる様な開発が出来ないから
両者ともデザイナーからの評価はイマイチだったよね ウィリアムズって当時はドライバーの言うこと聞かないことで有名だからね
ただでさえ速く走れるレンジの狭いアレジ好みのセッティングで走らせてもらえたとも思えず
そうなるとウィリアムズでキャリアを潰してた可能性が高いんだよね ヒルもマンセルが居なければチームに潰されてたかも知れないってね
マンセルには感謝してもし切れない的な事を言ってたよね >>99
新コンコルド協定、新規参入希望チームが手を挙げたら
上納金200億を収めてそれを既存10チームで分配する取り決めになってるらしい
こんなルールじゃ今後ネタ要素に溢れた泡沫F1チームが現れることがなくなってしまう(´・ω・`) 96年
ポンコツフェラーリで3勝できるシューマッハ
チャンピオンチームで0勝の、あの二人w アレジは年齢的にも脂乗り切ってた時代にほとんど勝てなかったからな
レースディスタンスを常に高次元で走る力がなかった
って言うかマシン開発力ゼロってことはレース前にすでに負けていたようなもの
5歳年上だったベルガーとは晩年の五年間一緒だったわけなのに、ベルガー以下の一回しか勝てなかった
特に96年97年にまったくの未勝利は酷すぎる
アレジオタに同等扱いされてるマンセルだが、同じ状況なら94-97年の間に何回となく勝ってただろ
セナプロミハエルならもちろんのこと 土曜予選後に他の上位陣があまりアレジ個人に言及しないんだよな
と言うか普段からトップドライバー連中に適当に持ち上げられてた感がすごかった
最終的にこいつは敵ではないと舐められてたと思われる アレジオタってネタだろ?
相手してくれるから、面白がってるだけでしょ? アレジは普段は実力あるけど、いざ本番の試験になるとダメなタイプ。 91年、決勝はともかく予選でもプロストにぼろ負けした時点でね。
予選一発の速さは若手の見せ場なのに。 95年にタナボタの一勝のみってのがな
顎ならタイトル獲ってたかも知れんレベルの車だよね 中嶋だって10年早くF1に乗れていたら引退までに優勝できたと信じているよ アレジが輝いていた90年は、ピレリが市街地「だけ」強いタイヤ持ち込んでて
実際フェニックスやモナコ「だけ」注目の走りをしてた。 トッドやフラビオがアレジからの度重なる待遇改善(ナンバーワン要求)に閉口してたよな
トッドやフラビオからすれば、勝てないアレジを絶対的ナンバーワンにしたところで、いったい何をもたらしてくれるんだいって不信感しかなかったであろう アレジのキャリアハイは91年アメリカGP予選1日目 あの暫定ポールのせいで一部が更に勘違いした
当時の川井のもちあげっぷりと言ったらなかったな セナの再来と言われたアレジも、例のヘリコプター墜落事故で腕切断のケガがなければWCとれてたかもな ナニーニにそこまでの腕があったかといえば、残念ながらない。
ピケとくらべても、ナニーニの1年後にシューが来てピケがかなわなかったわけだし >>130
キャラ的には一番フェラーリに馴染むタイプだからな
それにドライビングの腕はそこそこあるので
今のグダグダなフェラーリに居てもルクレール並みに
何度か表彰台乗ってくれそうな期待感あるのでティフォシに嵌るタイプ ナニーニの事故が無かったら、鈴鹿ではピケとバトルになってたんじゃね?
91年も1勝ぐらいしたかな。
その後はどのチームで走るかによるよな。
92年はピケもまだ走っただろうか?
そして顎はあのダメダメのジョーダンヤマハに乗る事になったんだろうか? ナニーニも冬の時代真っ只中の人だね
良い若手が全然いないので、化けてくれる期待や願望の分を含めての高評価って印象だなあ
PLマルティニがミナルディでとんどキャリアを潰しかかったところに代役で出てきた感じ
ミナルディでは、チームの状況を考慮すればチェザリスに対して充分に戦ったことで一定の評価をあげて、翌々年にはベネトンへ
ベネトンではブーツェンを脅かすことはできなかったけどナンバーツーとしては充分な働きで、ブーツェンが抜けた翌年にナンバーワン昇格
ピケが来たら(外から見る限りでは)ナンバーツー降格
それでも、ナニーニを明らかに超える同世代ドライバーは居なかったんだよね。彼に期待するしかなかった。 ピケ、ナニーニだったら顎のベネトン入りはなかったのかな? 顎さんはガショーとモレノに足向けて眠れんな >>125
モンツァも
あの年のアレジは本当に凄かったのは間違いない >>139
あれはなぁ。
翌年のアピールのために空タンで走ってただけだし。 >>137
ナニーニは晩成型の人でしょう
初期は本当にぱっとしなかったが事故に合うまでは少しずつ成長期を続けていた
デビュー2年目までが頂点で以降成長が見られなかったアレジとは真逆かな アレジって今実業家として成功してるらしいのに、この前息子のレース活動継続のためにF40売るってニュースあったよな?
親バカだよなあ。
ピケの息子もセナの甥も大した事無かったのに、あの逝ってヨスの息子が今の若手ナンバー1だもんな。
しかしモータースポーツ程才能が発掘されにくいスポーツもあまりないよな。 2世で成功したと言えるのはヒルとビルヌーブくらいかね
両方とも親父を亡くして苦労したという共通点がある でもピケもf1まで来て表彰台登ったから成功かと
マンセルとかデイモンの息子に比べたら… モントリオールでのアレジとセナの並走は美しかった(´・ω・`) ナニーニは90年のラスト2戦で優勝出来たかどうかでその後が変わってきたと思う
91〜92年はベネトンに在籍して、まあブランドル並みの成績は >>150
誤送信したから続きを
ブランドル並の成績は残せたと思うし、93年にフェラーリ入りした可能性もある
まあそうなってくるとアレジとベルガーの去就が変わってくるんだけども >>142
確かにずっと成長は続けていたと思うけど、どこかで一段飛びに化けないと、何度かでも自力で勝てるようなトップドライバーにはたどり着けなかったとは思うよ。
いつまでも20代ではいられないんだからね。 正直ナンニーニの走りにそこまでの印象は無かったな
頭に残ってるのはハンガリーでセナに弾き飛ばされて怒ってた事くらいだな まあこの90年代あたりを境にしてドライバーのデビューも早くなったような気がする。
21世紀入ってからだと25歳以降のデビューも珍しくなった感じ。 >>147
マリオの息子はマイケル。
ジョンはマリオの双子の兄のアルドの息子。 >>150
>>151
そう言えばブランドルとナニーニは同世代だな
59年生まれのベルガー世代
セナやヒルとも近い(セナは60年3月生まれ、ヒルは同9月)
ここから68年生まれハッキネン、69年生まれミハエル、71年生まれクルサードやジャックと来るので、この10年の間にチャンピオン争い出来るような逸材が出てこなかったんだな
それが上で言うところのルーキー冬の時代つてことか 96年辺りのモナコGPの予告CMでフジが「モナコはアレジに注目」とかやたらアレジをプッシュしてたのを覚えている。
なんでちょっとアレジに期待してみてみたら(略 >>154
となると93〜95年のフェラーリは
27.ナニーニ
28.アレジorベルガーで
93年のリジェが
25.ブランデル
26.ベルナール
94年のマクラーレンが
7.ハッキネン
8.アリオー
95年のリジェが
25.アグリ
26.パニス
96年のジョーダンが
11.バリチェロ
12.ブランデル
って感じになったのかしら >>148
ピケの息子は何号か書かないとわからないというw
とりあえず1号は初代FEチャンピオンだから一応成功
2号はようやくF2まで来たけどまだミハエル息子やアレジ息子よりも下
そういや中嶋息子は一応ルマン三連覇だから成功になるのかw 正確には
ネルソンJr.は2号
ペドロは4号らしいスマソ あとアルファタウリのクビアトもピケの義理の息子だったw
どんだけいるんだピケ一族 F1チャンピオンじゃない方の ジャック・ビルニューブ って
F1乗ってたっけ?
(F1チャンピオンの おじ) >>165
乗ったけど予選落ちで決勝には行けなかったはず >>157
ハーバート(64年生まれ)がレース中の事故で重傷を負ってなければ間におさまるな。
それでも1人しかいないけど。 >>160
ペヤング先生ファンもアンチもいないイメージだったから意外 ピケ 52.8.17 78年25歳
マンセル 53.8.8 80年27歳
パトレーゼ 54.4.17 77年23歳
プロスト 55.2.24 80年25歳
アルボレート 56.12.23 81年25歳
ブーツェン 57.7.13 83年25歳
ナニーニ 59.7.7 86年26歳
ベルガー 59.8.27 84年24歳
セナ 60.3.20 84年24歳
アレジ 64.6.11 89年25歳
こうやって見ると、この頃の主力ドライバーは大体25歳ぐらいでデビューしてる。
シューマッハ、ハッキネンは共に22歳でデビュー。
今はマックスの17歳は特別として、19歳ぐらいが普通だから本当に低年齢化してるよな。
それでいて引退年齢が早まったわけでもない。 F1見始めた頃は、四天王の時代だったので30代のスポーツってイメージだったな。
当時28歳くらいだったセナやベルガーが若手扱い。 逆におっさんは乗れないんじゃないのかw
ボタン多過ぎて、あれを使いこなせないと速く走れないんだろうな。
昔のF1は操作に関しては普通車の延長だったけど。 アレジは27でフェラーリ行ったからね。
この頃だと20代でトップチームに乗ってるのもそんなにいないから余計に期待されたのかもしれない。
ブルースマクラーレンの最年少優勝記録なんかこの頃だと破られるとは思わんかった。 25歳でF1上がって5年位掛けてタイトル狙えるチームへ移籍してタイトル挑戦
ってな感じかな
>>172
予選とかコーナー毎にデフの設定変更とかまでやるっぽい
チームに加入してまずやるべき事が分厚いマニュアルと格闘してステアリングのファンクションスイッチ覚える事
その為、シミュレーターに乗らずにレースするとかまず不可能だそうで 昔は昔でミッションシフト+パワステなしだから体力的な要求は今の比じゃないと思うけどね
ターボ全盛に42歳まで現役してたジャックラフィーとか化け物だと思うわ ラフィーとあとアルヌーも40過ぎてもやってたな。
フランス人はアリオーも40まで走ったしデビューは遅めだけど息が長いね。
デパイユもあれがなければ40まで走ってたかもね。 この頃のコックピットを見ると裸の配管みたいのにシフトノブが付いてるだけ、アナログのタコメーターとあわせてかなり無骨で凄いな >>172
ニコ・ロズベルグが一回しかチャンピオンになれなかったのはあのスイッチ群をちゃんと操作出来なかったからでしょ。 70年代のフロントにラジエター置いたマシンなんてドライバーの脇を熱々の配管が通っていたりして更に地獄 >>177
Gに関しても昔のほうが辛かったろうな。
今みたいにヘルメットをサポートしてないからドライバーの首をGがまともに直撃していた。 ウイングカー+ターボ時代とかはサスペンションをガチガチに硬めた影響で
肉体的な負荷がかなり厳しくて、さらにGとかも加わっての体調不良で
レース欠場なんてのもあったしな。 コーナリングスピードは今の方が全然速いだろ
Gも強いよ 昔のドライバーの体力や体調管理なんて先日に
飲酒したりピットでタバコふかしたりする
意識の低さ加減でお察しだよ 今よりずっと死と隣り合わせな仕事だったわけだから享楽にふけるのは当然だったのかな
予選でポールとるとご褒美にチョコレートに濃いエスプレッソに葉巻とかおとぎ話のように感じる 昔の車は今より運転が厳しいでしょ。空力はアバウト。パワステなどアシストはなし。タイヤはプア。走る棺桶。 昔のドライバーの体力や体調管理なんて先日に
飲酒したりピットでタバコふかしたりする
意識の低さ加減でお察しだよ 結局ランボルギーニエンジンって今まで未勝利で鈴木亜久里の三位表彰台のみ? 首は昔のほうがキツそうだ、ヘッドプロテクターがないし。 昔ルノーがあんまりマスコミがチーム批判ばかりするもんで記者何人か集めて本当にマシン運転させたら誰一人発信すらまともにできんかったとか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています