【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 81laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 80laps
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1597906764/
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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured >>492
リジェはパッシブだよ
92年シーズン前にピケもプロストもテストして
乗らないって決断してるから、それなりのチーム事情たとは思われる
93年には体制結構変わったけど
他所からアクティブ買ったのはフットワークだけのはず
アレで5000万とか超お得だよね >>505
平服で葬儀に来てもピケは許されちゃうというか誰も何とも思わないんだろうな
つくづくいい立ち位置にいると思う GP CAR タイレル030
発売したから買ってね
モナコGPで快走したから馬力下げられたってマジかよ >>492
そういう考えもあるか。
車の速さそのものではベネトンの方が上だろうけどね。
リジェはアルヌーとかブーツェンとか、かつては優勝も経験したベテランが中盤以降を走ってキャリアを終えるイメージが抜けない。
ブーツェンは一応その後ジョーダンに移籍したっけか。
>>493
ブランデルに差を付けられなかったら周りも本人も潮時だと思うだろうな。
いや、決してブランデルをディスってるわけではないけど。
>>494
ベネトン移籍が決まった時点でその懸念は皆感じてたよな。
>>496
負けるとは思ってたけど、あそこまでとは思わなかったな。
予選だけでなく、決勝でも同じぐらいのペースで走れた事なかったし。
ただ予選で0.2〜0.3秒ぐらいの差の時も何度かあったよな。
毎回大差が付いたならまだしも、そういう時と2秒ぐらい差が付く時って何が違ったんだろう? >>504
96年頃に今のF1運転させてよってフランクに電話してテストドライブさせてもらって、イギリスGP予選5位相当のタイムだったとか。
アクティブ禁止になる時、「パッシブなら俺はまだ一線でやれる」ってのは負け惜しみでもなかったんだろうな。
体力の衰えはあっただろうけど、元々運動神経抜群だったって言うし。
>>505
ピケってあのインディーテスト事故以降今も歩くのが不自由なの?
左の奴ハミルトンだろ?
葬式っぽくない格好してるよな。
日本だったらボコボコに叩かれそう。
>>507
アーバインもフェラーリでは完全に子分だったけどな。
何かの雑誌で顎と並んで歩いてる写真に「いい天気でゲスね」とか吹き出し付けられてたし。
あんなに従順になるなんてなあ。 アーバインは例えシューと同待遇でも勝てないと認めていたからね。
「シューマッハー以外の全員より俺の方が速い」って。 >>507
というかトップチームでシートもらえる悪童タイプがそんなにいないから
あのモンモンさえいつのまにか変にぶっつけるような事は控えてクリーンファイトしてるし
あの猛犬アーバインが、それなりのギャラ渡しておけば上位争いせずにシューの部下として汚い仕事も忠実にこなす忠犬に成り下がると
判断したフェラーリの人事部がすごいわ アーバイン曰く、速い奴が高待遇 遅い奴がセカンド
になるのは当然だと。自分がチームオーナーでも
そうする。だからフェラーリ時代の待遇には納得
していたらしい。 >>505
かつてのスタードライバーたちが老けているのを見ると
自分も年を取ったんだと思って悲しくなる 92年のホッケンハイムで
顎と延々とやりあってるパトレーゼが印象的だったので
こりゃベネトン行ったらボッコボコにされるわと思ってたら案の定。 アーバインがシューマッハより先にタイトル取ってたら面白かったんだが。取らせなかったのかなんなのか。 セナプロ、シューマッハーは10年に一度レベル
の才能だから並のドライバーは太刀打ち出来ないよ
しかし余りにも一方にボコられて見てられない
とは思った デビュー年で言えば
プロスト80
シューマッハ91
なんで約20年で3人出てる事になるけどな >>523
ずば抜けた才能を例えるのに「10年に一人の逸材」と言う表現しらんの?
キリの良い数字10や100が使われるだけでしょう ティレル020本を、興味あるところを中心に読んでみた。
・ジョージ・ライトン曰く「モナコGP後にホンダV10は20〜30馬力パワーダウンさせた仕様になった」
・無限の坂井典次氏曰く「モナコではシェルが相当尖った燃料を持ってきていた」
「モデナは速いだけではなく車の理解もしていて、おかしな部分があったら細かい部分までしっかり言える人」
・モデナ曰く「モナコのエンジンブローはオーバーレブではない。オーバーレブだったらヘッドのバルブが損傷しているが壊れていなかった」
「92年はティレルに留まる可能性もあったが、ケン・ティレルから『サラリーは払えない』と言われてジョーダンに行った」
「セナとは顔を合わせれば雑談を交わし、いつも冗談を言い合っていた仲」 >>528
パワーダウンした途端表彰台に上がるのも皮肉なもんだな >>521
勝たせてもらってチャンピオンとかしらける
じゃあシューマッハーはどうなのかと言われると困るが >>528
タイレル020って20年くらい使ってた良うなインようがあったのに、中嶋以外のは素っ気なかったな。片山のがちょっと載ってたくらいだった
あと、ウインタートリムのカラーをみせて欲しかったがこれも少なかった。前年と同じ青いマシンで大きなクラッシュしてたと思うんだけどな >>520
ホッケンハイムでパトレーゼとやりあってたのは寧ろセナじゃね?
それよりモナコだろ。
セナとマンセルが良く話題になるが、パトアゴの方が実は凄かった。
パトレーゼはスタートでセナに抜かれて、序盤から明らかにペースが遅かったが顎をブロックし続けた。
残り数周で例のマンセルのピットインでカメラがセナとマンセルに切り替わるまでずーっと、3位争いを映し続けてたからな。
最後は顎が諦めたのかフィニッシュ時は差が付いてたけど、ほぼ全ラップテールトゥノーズだった。
あれは顎は相当イラついたと思う。 >>534
アレジのマシンを撃墜した後パトレーゼを煽りまくってたね
初モナコとは思えない暴れっぷり >>534
パトレーゼはなっかなか顎を抜けず
やっと抜いたらセナがいて、最終週にスピン、コースアウト。
あの時点ではパトレーゼがアクティブ苦手とか、マンセルのセッティング情報をパトレーゼに渡さなかったというのは知らなかったけど
高速のホッケンハイムで、FW14Bに乗ってベネトンの顎(当時未勝利)とずっとやりあうなんて…と
ボコボコにされる絵しか想像できなかった。
まさかパワハラめいた発言で、文字通り泣かされる羽目なるとまでは思ってなかったけど。 決勝レースはともかく、前年にピケが1勝3敗、
92年にブランドルが常に0.6-1.5秒差をつけられたわけで
シューを舐めすぎたよな
パトレーゼ
まあ予選は分が悪いのは分かっていたとは思うが
そういう所も妙に人が良いんだよな >>536
セッティング情報に関しては、渡さなかったと言うより嘘を教えていたんだろ。
例え契約で序列が付けられていても、セッティング情報を共有しない事ってあんの?
流石にそれはチームとして損失じゃないか? ハーバートが顎にやられた
それがなければあそこまでは差がつかなかったはず、と思っている
シューマッハーもやりすぎだと感じたのか、フェラーリに移籍してからはセカンドドライバーにも餌をやるようになった >>536
結構忘れがちだが1992年シーズン終了時
マンセル39歳パトレーゼ38歳
アラフォーで明らかに衰えが出るお年頃
その中でも2人はキャリアベストが1991〜1992年という中年の星
パトレーゼはベネトンに請われてアクティブサス開発エンジニア兼ドライバーだから
本来ならライコネンのアルファロメオみたいにマッタリ余生の道もあったが
あえて老体に鞭を打って老醜晒してベネトンに何かしらのノウハウ残したかったんだろう
パトレーゼのおかげでベネトンはチャンピオンドライバーチャンピオンチームを輩出と妄想 >>528
モデナはカート時代のセナのチームメイトだからね まあ、でも92年の成績を見たらリジェよりもベネトン選ぶわな
93年のリジェがあそこまで走るとは予想つかなかったし、4強の一角のベネトンのシートの方が印象はいい。 >>538
マンピケとか明らかにセッティング隠してる仲とかあるし
ハーバートもシューの情報隠されていた。
マンセルは車降りたら設定ダイヤルというのを回して情報わからないようにしてたってのを
何冊か本にあったからチームのドライバー同士共有していないのは間違いない マンセルは手動でアクティブを操作してたからいろんな発見があったらしいが
もちろんミーティングでは一切報告しない、もしくは嘘の報告をするので
オート操作をしていたパトレーゼには情報が伝わってないとニューウェイが言ってたな
ミーティングの後自室で担当メカと二人っきりで詳細な打ち合わせをしてたらしい てかこいつの書き込み読めば読むほどパトレーゼのヘボさばかり伝わって来るんだが
本当にアクティブ開発してたのかっていう >>528
モナコ好走からパワーダウンの件、よく今まで漏れなかったね。
ホンダとの関係があるとはいえ、中嶋の口の硬さは大したもんだな。 91年に王座を逃したマンセルは誰よりも92年の王座獲得に懸けていた
パトレーゼとの差はそこだと思う パトレーゼの素晴らしい点は引退まで一回たりとも予選落ちがなかったことだと
言う説を読んだことがある、確かにピケもセナも予選落ち経験してるし >>548
本家のV12のためにホンダV10がシーズン半ばでデチューンされてるって今だったら大事件だよなぁ シーズン前から中嶋は ティレル020 は、
駆動系がエンジンに負けると考えていたようだから
パワーダウンは歓迎だったんじゃないかな 中島とホンダにタイレルから一台ずつ与えられてて、鈴鹿の最後のレースに好きなのでレースしていいって言われて、一番のお気に入りを選んだら壊れたってのも皮肉やねえ >>553
それは壊れないように対策することを求め、パフォーマンスを下げたことを喜ぶわけないやろ >>549
あそこまでコミットする事が出来るならデビュー当時からやっとけよと思ったな
あの年のマンセルはシュッとしてて別人みたいだった パトレーゼは名大関みたいなポジションだよな
ギリ綱取りまで行ったくらいの貫禄はある
ベルガーは綱取りまで手をかけたことはないけど毎年優勝した名大関なもんか >>556
むしろマンセルこそデビュー当時から必死な狼タイプやん
他の3人みたいな狡猾さ、能力パラメーターのバランスがなかっただけ >>528
これ、思い当たるよね。
モナコ以降は明らかにパフォーマンス落ちたもん。
あの中嶋引退祭のバカ騒ぎはなんだったのか?
衝撃の事実だわ。 まだ一大手メディアの仕掛けに他の中小メディアや多数の企業が乗ってくれた時代だったんだよ
バブル時代はどうしようもない負の遺産も残したけど、F1も楽しかったのは確か >>559
それな。>パフォーマンス低下
V10にV12が負けるわけにいかないからV10をデチューンしてたりしてな。後年になって、最適解はV10と当時から分かっていたとホンダのエンジニアもゲロってるしな。
さすがに深読みし過ぎか。 >>559
明らかにパフォーマンス下がったよね。
ミナルディとか >>559
途中でかきこんでしまった。
ミナルディやベネトンの周りを走ってたのに、後半はリジェやロータスとどっこい。
そういう理由があったのか。 V12でワールドチャンピオン取った車つて結局MP4/6だけかね(´・ω・`) 中嶋の場合、ロータス99Tでも
ブースト 2.5〜3 位にしておいて、
必要に応じて オーバーテイク・ボタンで
パワーアップした方が良かったらしいからね >>528の話ってモナコどころかサンマリノでいい成績残してたら前倒しで実行された可能性もあるよね 鈴鹿スペシャル=シーズン序盤の仕様
こうですねわかります >>567
そうな。
モナコなんてエンジンのパフォーマンスはそれほど大きくないだろうから、最初から計画されていたことの体の良い理由付けだろうかね。
そういえば、ホッケンハイムで中嶋とモデナが予選13位と14位だったっけね。期待はずれでがっかりしたのを思い出した。 >>555
ティレルが開発費を しゃぶしゃぶ じゃなくて
じゃぶじゃぶ使えるようなチームに見えるかね? >>560
いんたーねつとがあるわけでもなく、調べること一つとっても大変な時代、つまりみんながF1を知らなかった時代だから、脚色なんていくらでもできた時代だわな。
地上波ガーって悪口言いつつ、いつまで経ってもその地上波テレビとマスゴミ様が作り上げた脚色F1をありがたがってるのが日本のF1ってことやね >>556
オフを利用して減量してたね 髭剃って頬が痩けてた。
14Bはかなり速いとなると攻略すべきはセナと
パトレーゼ、同僚に情報隠したのもそんなところだろね。
年齢的にラストチャンス、なりふりかまっていられない。 パトレーゼの弱点て意外とメンタルな部分にあったんじゃないだろうか
俺らの世代には後年の鉄人と言われた時代が印象深いが、若い頃は相当に荒削りだったらしいし
全盛期と言われる89年-92年頃も、乗れてる時は本当に速いんだけど出遅れると一気にアクシデントメーカーになるレースがあった
不調なレースで混戦に巻き込まれると他のドライバーからはマンセルに比べて明らかに舐められてるのが分かる(そう言えば亜久里もそんなこと言ってたな)
90年イモラのひさびさの優勝も、前年のランキング3位で気を良くしたのと、ジョイントNo.1待遇で勝てると確信したことが大きかったと思う >>572
だから雑誌や本読み漁るしかなかったんだよな
大手の本屋の洋書コーナーで一冊しか入荷しないautosportやF1 RACING(?)を見つけては買って辞書片手に貪るように読んだよ
日本の状況の特殊さも、個人的にあれで少し俯瞰して見れるようになった >>574
91年の快進撃も、90年の地元優勝で大いに気を良くしたのもあるって自分でも認めてたはず
上で話になってる93年ベネトンでの惨憺たる成績も、よく言われるイモラテストの事故に加え、
92年マンセルに叩きのめされて自信喪失したのは原因としてあるだろうね >>575
俺もにたような感じだわ
月曜日の英字新聞もな ブリアトーレが「あいつ(パト)は本当に使い物にならなかった、おまえをクビにしたのは
間違いだったわ、ゴメンネ」と事あるごとにブランドルに言うらしいね >>550を読むと
マンセルの引退発表後ウイリアムズから残留
のオファーがあったみたいだね。
しかしベネトンとのサイン後だったという。 その後ウィリアムズはベネトンのシートを失ったブランドルと交渉するんだよな
ブランドルは英国メディアの後押しもあってウィリアムズ入りは有力と見られていた
でもサイン寸前の土壇場でウィリアムズに蹴られる(提示された契約金は高かったらしい)
ブランドルは同国のフランクとヘッドに裏切られた格好だったが、それまで縁のなかったルノーのディレクター、ベルナール・デュドのまさかの推薦もあってリジェへ >>550
長文英語で大変だけど、文章や単語はそれ程難しくないので頑張って全部読んだわ。
全て解決するかはともかく、今まで知らなかった事も多くて面白いな。
ハントやブリアトーレが人としてクソなのが良くわかるw
70年代のF1では若い新人に対して、ベテランは結構イジメて来た。
モンツァでの事故で、ピーターソンと接触したハントはパトレーゼが幅寄せして来たからと主張。
パトレーゼは否定するが、ハントの主張が通った形になり、次戦ハント、ラウダ、アンドレッティ、フィッティパルディ、シェクターがボイコットを主張し、パトレーゼを出場辞退に追い込む。
後に映像や写真でハントがピーターソンと接触した時にはパトレーゼは本人の主張通り、既に前にいて関係ない事が確認される。
ハントはその後謝罪もせず、コメンテーターとしてもパトレーゼを不当に批判し続ける。
後にバーニーが仲直りの機会を作るも「何も言う事は無い」と言って立ち去った。
いや、いくら何でも酷過ぎない?
こいつの嘘のせいで人殺し扱いされて、潔白が証明されるまで3年も裁判なんて、逆に訴えていいぐらい
他の4人はちゃんと謝ったのかな? この記事ではそれには言及されてない。
ブリアトーレのクソさは今更言うまでもないか。 >>579
それでも契約撤回してウイリアムズに行く事は出来たっぽいね。
ブリアトーレから「頼む、どうしてもお前が必要なんだ」と言われ、ベネトンに行って何戦かしたら「お前遅いからイラネ」って言われたんだよな。
ベネトンの車には問題だらけで、それを訴えたが「ミハエルはちゃんと走らせてるだろ」と聞き入れてもらえなかったと。
シューマッハはダメな車でも速く走らせられるもんだから、シーズン半ばまで問題が改善されなかった。
これも550の記事に書いてる。
つーか、フランクもパトレーゼをキープしつつプロストとマンセル両方取ろうとか、セコ過ぎる。
パトレーゼからしたら他のチームと契約しないと、まともなシートが残ってない可能性もあったしいつまでも待たんだろ。 >>561
当時のV12はホンダ、V10は無限が運用してたらしいから、力関係を踏まえてそう考えると辻褄が合っちゃうんだよね。 >>548
まだ020本読んでないけどモデナは外に漏らさなかったんだろうか?
翌年ヤマハだったり後年BSのテストドライバーになったりと日本には縁があるけど
そこまでホンダに義理を立てなくてもいい立場なのに >>561
ホンダの中でも
V10正解派とV12正解派がいるんだよな
市田さんはRA122E/BをRA165E並みに自画自賛してるし >>585
市田さんは「自分のエンジン」だからかもな。
「成績だけを考えたらV10。でもエンジニアの性や夢という意味ではV12をやりたい」って言ってたのは市田さんじゃなかったっけ?安岡さんだっけ? ファン感謝デーとかで走るけど、大昔の葉巻の頃のV12を見て知ってたら、V12やりたいってのはド素人のオレでも分からんことはないなと思ふ 2年作って1年はダブルタイトルだからまあ良かったんじゃないの?
鈴鹿で1-2も決めたし >>583
予算の都合もあるんじゃないの?
無限が本田と同じくらいのカネを使えるわけがないだろうし。
「このペースでカネを使ったら最終戦までもたないから信頼性確保のためにパワーを落とすしかない」って
ことになったんだと思う。 駆動系トラブルが多発して完走できないならしょうがないだろ
それでもまともに完走できなかった時が多い >>574
<全盛期と言われる89年-92年頃も、乗れてる時は本当に速いんだけど出遅れると一気にアクシデントメーカーになるレースがあった
91年のマニクールが良い例だな
それまではタイトル争いに絡める走りしてたのに、あのスタート大失敗で何かが狂って結局ランキング3位
>>581
舐められないようにする為には、89年頃のジョニーのような態度をとり続ける事が大切なのかも
ましてや日本人ドライバーがF1で成功するなら尚更 補足
<70年代のF1では若い新人に対して、ベテランは結構イジメて来た。
これを人種差別と結びつけて上手くのし上がったのがセナ(新人イジメにエマーソンが加担してたのは別として)
まあ後年ベテランになった時にそのツケがシューやハッキネンやアーバインから来たのは皮肉と言うべきか >>570
モナコの中嶋予選11位は良い意味で驚きだった。苦手中のにがだったし。 >>590
いやいや、それは無いでしょ
成績≒金なんだから
特に当時はバブルだったし、モナコまでの勢いで最後まで走ったらもっとスポンサーも集まったはず
下手したらフェラーリより速かったんだから
V8からV10になってバランスが崩れたことが020の失敗の原因だと言われてたけど、それだとモナコ、カナダあたりまでの快進撃の説明がつかなかった
でも、パワーダウンされたとすると説明がつく V8マシンにポン付けだったからバランスがダメだった
ピレリタイヤがダメだった
が定説だったな ティレル020は
ハーベイがシーズン途中で居なくなって開発が停滞
夏場にピレリタイヤが悲惨
他所の開発が進んだ
とかが主要因で相対的に落ちてきたのだと思うんだけどさ
RA101E自体シーズン中はそんなに開発してなかったハズだし
その間RA121Eの開発はガンガン進む訳だから陰謀論パワーダウンは不要だと思うのだけど
ベネトンにはアクティブ開発を期待されてパトレーゼは呼ばれたけど
蓋開けたらシューマッハで問題無いやん?
って事で割と早期に蚊帳の外扱いになってた覚えある 俺もピレリタイヤが絶望的にパフォーマンス不足だった印象。
ベネトンの軽いフォードV8に合わせたタイヤだったとはいえ、そのベネトンすら苦戦していた それなのにtyrellは翌年、失うだけ失って、まだ信頼性のなかったイルモアV10を買わなくてはならず、マルボロ支援ドライバー2人を雇わなくてはならず財政的にはまったく好材料ないままシーズンインしたのにチェザリスが8ptも取ってくれた
軽量なエンジンとみんなと同じグッドイヤータイヤと計算できるベテランドライバーがいれば、モデファイしただけの実質型落ちマシンでもじゅうぶん戦えたという
やはりあのシャシーの設計は見事だったんだな
欲を言えばグルイヤールじゃなく(グルイヤール好きだけどw)グージェルミンとかタルキーニでも乗せとけばもっと行けたかもなという モントリオールは公園内の実質半公道サーキット
しかも緯度が高く比較的涼しい カナダもモデナは2位とれたけどモナコと比べると内容的には劣ってたな。 >>600
部外者の作った陰謀論なんじゃなくて、関係者の証言なんじゃないの?
俺はまだ読んでないから詳細分からんのだけど >>602
いや〜タルクィーニとかモレノとかヴァンデポールみたいなのは地味だしハゲだし雇いたくないだろ
カペリもフェラーリ入ったあたりから急速にハゲ散らかしだした
F1はハゲルト駄目になる法則 バリチェロってデビューした時からハゲかかってたっけ? ジャッキー・ブラバムの、『髪の毛が一本抜ける度にドライバーは0.0001秒ずつ遅くなっていくんだ』は至言 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています