【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 73laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 71laps
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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured 91年の中嶋は走りとして良かったのはサンマリノとモナコぐらいなんだよな。入賞した開幕戦のアメリカは内容はあまり良くなかった。 >>361
当時フジテレビの夜中にやってた「TVブックメーカー」の賭けの対象になった
「中嶋悟のサンマリノグランプリの結果は?」
松尾貴史:10位以下
相良剛:4位〜6位
栗本慎一郎:10位以下
結果:リタイア オッズ18倍
全員外れ
栗本慎一郎の弁
「少し雨が降り 中嶋有利になったが 私の言った通り10位を狙えば確実だったのに
4位に上がった時点で2位から3位をふと夢見て失敗したのだ
しかし 男としては仕方ない ただ リタイアは10位以下に一番近いのだから
少しでもカノッサをいただけないだろうか」 いちばんもったいないことしたのは
87年のホッケンハイム
悪くても 6位、うまくすれば 3位に入れたと思う。 そういうタラレバが十回くらいあったら実現したときもあったろうにね >>353
何年か前のレーシングオンに書いてあった
元昭和の寺本さんもフェラーリ加入後そういう話を聞いたってさ >>365
放送始まって現地が雨の映像を見たときは
「おおー!」ってなった
…なんというかもう限界を超えてたんだろうな
レースでのスピンを見てそう思った >>270
87オーストラリアGPは、鈴鹿に続いて大川アナが担当。
ベルガーF187の澄んだターボサウンドが心地よい、やたら放送音質がよかったのと、迫力あるチェザリスのBT56後方車載カメラ映像が印象的。
>>308
炎上したのに、ベルガーも640が一番美しいマシンと言ってるね。
641/2好きが多いけど、640のエッジを丸くくしたダルくてデブいデザインで嫌い。 >>369
確かあのレースは12周ぐらいで打ち切りになって
レースをノーカットで見せても放送の尺が足りなかったから
急遽穴埋めとしてレース前のオープニングを撮り直したんだよね
「結果がもうわかっているのにこれからレースが始まるという体で長い時間喋らされるのはやり辛いものがあった」
とは今宮の弁 個人的には88年メキシコ、88年ベルギーが悔やまれる。特にメキシコはフェラーリと互角以上の走りだったし。 >>372
ピケはベルガーに、中嶋はアルボレートに追いつけず負けてたと思う
しかし今見ても悔しいレース メキシコをフェラーリと互角以上は言い過ぎかなあ…
スタートが決まって前に出ただけで、レースペースはフェラーリのほうが速かった印象 91アデレードはテレビで観たはずなのにすっかり忘れてるなぁ
鈴鹿のタイトル決定でシーズンが終わった気分になっていたのかも >>327
ヒルが最終ラップシケインでフレンツェン抜いたのは痺れた >>376
98年のウィリアムズはヒルにしっぺ返しされて
99年のウィリアムズはフレンツェンにしっぺ返しされてるのがウケる >>377
ヒル放出から呪われたパターンか
97年はチャンピオンとれたけど 91オーストラリアというと確かに大雨で「これは!」と一瞬思ってあっという間に夢は消えた。
あとはマシンを降りようとしないアルボレートとモデナ。そしてそれに対して「冗談じゃない!」という感じで直接抗議に階段をかけ上がるパトレーゼが見せ場か? 89年と91年のアデレードを立て続けに見ると
立場が逆だからか、レース続行に対するセナの態度が180度逆で
人間臭くて実に好感が持てるではあるw >>379
階段を駆け上がってたのは94年鈴鹿でのハッキネンでしょ。
91年アデレードでのパトレーゼは傘ぶん投げてブチギレてた。 いやいや、F特の91オーストラリアのリポートのページでも絵で書かれてる。 >>361
91年イモラはトラブルなければ表彰台やった。フジの放送はかなりカットされてた。
海外のノーカット版観ると序盤かなりいいペースでトップやモデナからあまり
離されずにれずに走ってる。
でも個人的にはベストレースは90年イタリアかな。後方からスタートして
6位入賞。1位〜8位まで中嶋のティレル以外全て4強。 >>383
90年のイタリアはビデオ何度も見返したなあ。最初のワーウィックの
クラッシュも衝撃的だったし。あれで無傷だったのも含めて あのドネリーが助かったのって本当に奇跡だったな
あそこでもっと安全に対して深刻になっていればその後も色々違ったかも 実際ドネリーはあれで終わったもんな
命が有っただけラッキーってレベルの事故だよ
もうモノコックの形が変わる様な事故は見たくない 元F1ドライバーのマーティン・ドネリー、チャリティ参加中の事故により片足切断の危機に瀕する
https://www.as-web.jp/f1/501090 ドゥカルージュは何でいきなり糞マシンしかデザインできなくなったんだ
直近までヘッドやバーナードと並ぶ名デザイナーだったのに そのヘッドやバーナードもヘボマシンをデザインするようになったし仕方ない。 コースに投げ出されたドネリーの体は衝撃的だったな。どうなったらあんな体の向きになるのかって。 カーボン製造技術と空力がトレンドだったことに気付けなかったのが全てかと
ミシェル・テツと組んだLC90で大幅に近代化したの見てるとなあ モノコックで思い出したが
91年の亜久里も悲惨だったな
火事になってモノコックに焼け跡の残った車で残りシーズン戦えとか
さすがに無茶苦茶すぎる 鈴木がメキシコのホームストレートで突然スピンしたのって結局何だったの本人はすごいふてくされてたけど あの頃は普通にF-1の記事がスポーツ新聞の一面に載ってたからトップ記事が「亜久里炎上!」だったな。確かスポニチ? >>397
トーチュウは今でもわりと。
可夢偉のデイトナ二連覇もトップだった 当時のトーチュウはまるで競馬の枠順発表みたいにスターティンググリッドがマシンのアイコンで一覧になっててワクワクしたなぁ
フォンドメタルのカラーリングが10番クリッドに入ってた時は鳥肌がw >>400
でも結局フォーメーションラップでエンストしてピットスタートになったんじゃなかったっけ?? >>346
そのレース、プロストがフォーメーションでスピンしてそのままリタイヤ。
これは会社員ならば始末書レベルではすまされないチョンボ。
スタートしたアレジもスピンしてリタイヤ。
イタリアのフェラーリファンはレース序盤で帰って行った。 >>403
アレジはだれかを抜いたはいいけど、曲がり切れずにズドンだった気がする
早々に店じまい >>404
モデナだよ
なので上手く行けば表彰台の可能性は十二分にあったではある
勿体ない アレジはフェラーリドライバーでありフェラーリファンでもあったよね。ベルガー優勝したときに最後まで残って嬉しそうにしてるとこほんとに好きだった 今宮「アレジ!いやもうこれ!ああああ!あああああ!」
古舘「あーっ!ランオフエリア!フェラーリ全滅!フェラーリ全滅!」
城達也「フェラーリ 地元で最低のレース
人心掌握と采配能力が問われるフィオリオだが 最大の失態である
まずいことになってしまった」 総集編で初めてエジプト以外にもピラミッドがあるって知って、それから
四半世紀してテオティワカンに行ったときは感動したなあ 右京が1年目にダッシュで上ってたアレか
四半世紀って人生の重みを感じるね >>401
F特でそのことについて別のやつが動けないような挙動を見せたからグルイヤールが手を上げたのにスタートやり直しがグルイヤールのせいにされたみたいに書かれてたけど本当の犯人は誰? 調べてみたけどその時のグルイヤールの斜め前がモレノ、前がモデナ
斜め後ろがチェザリスだったのでその辺かなぁ
確かグルイヤールはインタビューで「フェアじゃないよ!おかしいもの!」って言ってたな
この年のグルイヤールは色々災難だったよ
フランスで予選中にオイルが漏れてタイムアタックを邪魔されたセナに胸倉を掴まれたり
(ちなみにセナはカタロニアで全く同じ事をやった
スペイン直前でAGSにトレードに出されて1レースでチームが消滅したりで >>402
城達也だよ。
窪田等がナレーションをするようになったのは94年から。
>>412
ただティレルでチャンスをモノに出来なかった時点でその程度のドライバーだったってことだと思うわ。 >>413
それは94年のベルギーでポールのバリチェロがオープニングラップで抜かれた時の窪田さんのセリフなんだよ >>414
そういうことか
フォンドメタルの話してたから91年の総集編で窪田等??ってなったわ グルイヤールは髪型がお洒落だったよね?
あれは天然だったのかな グルイヤールというとAGSで一度だけ走ったときもバルバッツァの予備予選のアタックラップ邪魔して怒られてたな。
さすがにそのときはマンセルのときみたく言い返したりしなかったけど。 >>419
やべえオゼッラ格好いい
テレビで一番目立ってたのが昭和シェルのCMという悲しいマシンだが プロスト、セナのドキュメンタリー映画を“偽物”と批判「素晴らしいストーリーを伝えていない」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200216-00564183-rcg-moto
「あの表彰台でのことがあった後、アイルトンは私と再び話すようになった」とプロストは振り返った。
「彼は週に1、2回電話をかけてきたものだった。特に用事がないときもあれば、アドバイスを
求めることもあった。それはイモラまで続いた」
「我々は親しい友人になった。実現するとは思っていなかったような、新しい年月の始まりだった。
私にはそういう素晴らしい思い出があるのだ」 プロストの気持ちわかるなぁ
犬猿の仲だったのがいきなり親友になるってのは現実的にある事なんだよ
だからフィオリオとも仲直りしようね プロストも時と場によってコメントが変わる。
引退して居なくなる相手となれば仲直りも和解もしてやろうと
寛大な気持ちになるんだろうさ、なんていう皮肉をつい最近も言ってたよ。
いずれにせよドキュメンタリー映画程度じゃ描き切れない関係なんだと思う。 死者との美しい思い出以上のストーリーはないからね
プロストは最上の選択をしただけ
セナにしたって引退したプロストと争うメリットは皆無だから関係が改善したのは事実だろ、プロストが言うほどかどうかは知らないけど >>421
ああ思い出したそれ
予選中にセナのマクラーレンに道を開けて一瞬映るやつか 連投失礼
>>424
そういやアレジとの仲は修復したのかな >>428
アレジはチームの運営に関わってないアランなら大丈夫みたいなこと言ってた。
貯めたストレスを一気に爆発させるプロストの性格には慣れたのかも。 突然話変わるが今更ながらFW14はどこが優れてる車だったんだろうか?
ルノーが回った、とか燃料、とかはなんとなくはわかるが具体的にここの処理が凄い!と言える程にはよくわからない
ニューウェイの空力が凄いと言っても過去2年は失敗でそれとどう違うのか等 セナ自身も94年に無線でアランがレースにいなくて寂しいよとかリップサービスできるほどの関係性にはなってたんだよな セナは92年にも、プロストに対して
アランがいないとやる気出ない
みたいなこと、電話で話してたんじゃなかったかな。
実は頻繁に連絡取ってたとか、プロレスみたいなとこあったのかもね。 マクラーレン時代もカメラのいない所では割と普通に
喋ってますよと今宮が本に書いてたね プロレスといえばマンセル!
92年のカナダ クラッシュは自爆なのにデニスに猛抗議
判らないのがオーストラリアのセナとのクラッシュ
マンセルがブレーキテストしてセナをビビらせよう
として結果接触した様に思ったのですがどうなんですか? プロストを叩きのめすことが生きがいだったセナには永遠の敵役だったな ライバルはお互いを高め合うし
見ているほうも高次元の争いが見れる
いい時代だったよ >>430
過去2年ってレイトンのマシン?
兎に角空力が過敏でスイートスポットが狭かった
そう言う過激な特性をある程度ダルにして扱いやすくしてあるのがFW14
その辺はヘッド手腕とか。
レイトンのマシンが空力特性を重視する余りに足がガチガチで動かないセッティングだったのが
FW14はフニフニほんとよく動くし
CG901もニューウェイ離脱前に改修案残して行ったんだけど
フランスで投入されたCG901Bの快走はそれが関係してるのかもしれない
平らなサーキットだけだけどねw
クリスマーフィーが使ったかは判らんが クリス・マーフィーなんてレイトンでニゥーエイさんの車の改良版みたいなので凌いでそのまんまロータスに持ってちゃったかんだよな 一年に二回ぐらいしか快走しないなんてクルーも大変だな >>439
あの当時なら年に二回も表彰台乗るレベルの活躍してくれたらサイコーよ アレは空力マシンだから、ではなくて、単にニューウェイが指定したサスセットがおかしかっただけじゃないか。
改良版と言っていい91年は、モナコを除けば1,2を争う低速コースのハンガロリンクで初入賞、その後はコンスタントにシングルフィニッシュたからな。
シーズン中にスズキが介入して、ハンガロリンクからカヤバが作ったショックユニットとスプリングを投入したら見違えるほど速くなった。 あの年のレイトンというとイルモアのデビューの年か。
翌年もヴェンドリンガーの頑張りがあったとはいえ資金ほとんどなく改良もろくにしてなくてあそこまで快走できたからね。 惜しかったドライバーNo.1だな>ヴェンドリンガー なぜか昔のドライバーはフルネームで言えてしまう 今のも言えるけどw オレは無理。
アラン・マリー・パスカル・プロストとかパッと出てこねーわ。 アイルトン・セナ・ダ・シルバ
ミカ・パリス・ハッキネン
ぐらいしか知らない。 イルキ ヤコビレック レート
ネルソン ピケ マイオール サルト
だっけ? >>439
逆に1年に2回に賭けているように見えたよ
あの頃の小規模チームに16戦フルパワーで戦えるチーム力はなかったんじゃないかな その一発で凄かったのが89年のイギリスGPのミナルディだな。入賞出来なきゃ次戦より予備予選組に廻される所を、マルティニ5位、サラ6位の奇跡のダブル入賞で回避。 ミナルディはセナもキャリアの最後に乗ると決めてた憧れのチームだからな。 ミナルディ と言えば キティちゃん
バリラ パスタ、ナニーニ製菓 だったか 90年のフェラーリはエンジンも結構よかったように見えたのに
91年からエンジンパワーもサッパリになってしまったのは何でなんだろう?
94年だかは、ベルガーの仲介でホンダに技術提供してもらってたよね。 >>456
相対的によく思えただけじゃない
90年は全メーカーしょぼかった
翌年からはるのと本田が進歩した フォードvsフェラーリを観に行って思ったんだが
セナプロが映画化される事はないのかな?
ハントとラウダは映画化されたけど >>459
もう散々エピソード類が語られてるし、昔よりも映像もしっかり残ってるから今更ないんじゃない?
それよりもピケの半生を映画化したほうが面白そう。 >>451
セナが93年に浪人するかもって時にギャラは払えないけど、カラーリングをセナの好きにしていいってミナルディがオファー出したんだよな。セナは丁重に断ったけど、嬉しかったみたい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています