【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 68laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 67laps
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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured 追うより追われる立場って辛いよなしかも シューマッハ ハッキネン アーバインみんなセナに敬意を払わない様な自分の若い頃に似たドライバーが出てきたし 93後半戦のセナのストレス大きそう ハッキネンは下の世代じゃねーよ
マカオで当てて泣かしてるし ここに来てセナ信者が発狂するようになったけどなんかあったの? >>433
ジョーダン192が最初だからゲイリー・アンダーソンじゃないの。
ある意味で192における唯一まともな要素ともいえる。 別にファンじゃないけど、嫌いだからって過小評価して貶める必要もないと思う
凄いところは凄い、でいいじゃん >>436
シューやハッキネンみたいな速くて野心的な若手に焦った結果がアーバインとの殴打事件
ポルトガル予選後もハッキネンと一悶着あったらしいし自分の衰えと若手の速さに焦りはあったと思う >>443
ただ、一発の速さがなくなった分レースディスタンスは神憑り的な凄みを見せてたよね。総合的な完成度では93年のセナが最強だと思う。 >>443
アーバインでの殴打事件では
セナは6ヶ月の執行猶予つきで2戦出場停止処分受けてるんだよな
ペナルティ執行猶予期間中に殉職したF1ドライバーはセナぐらい? しかし最近アーバインみたいなの他にいたっけ?
30近くで中堅チームからデビュー、2年中堅チームでフル参戦、後にトップチーム移籍、チャンピオン争いに絡む。
モントーヤは最初からウィリアムズだし。 >>443-444
でも、セナが、HBエンジン唯一のポールを獲ってるんだよなぁ。
キャラミの予選も、スーパーラップだったよね。 >>309
ちなみにマルティニは89年のポルトガルで予選5位で決勝5位(3位には12位スタートのオニクスヨハンソン)
雨のアデレードでは予選3位で決勝6位(4位には中嶋)
決して表彰台が狙えなかったわけではないんだよな。。 まあ当時はトップチームの車もバカスカ壊れてたからな
もうワンチャン有ればお立ち台に乗れたかもね >>448
あと鈴鹿でも予選4位だったね。
雨のアデレードは、ピレリのレインタイヤがどうしようもなかったから、
ポイント取れただけでも御の字だと思うよ。 今ハンガリーGPのFP3を観てる。来週帰省するけどハンガリーといえば帰省先で
観たことが多い思い印象あるわ。 夏休みのF1は思い出深いな
お盆のハンガリーと晩夏のベルギー >>451だけど、先ほど観ていたのは昨日のFPだったw。FP3は今放送してるね。
オイル処理の石灰?の白煙が凄すぎ。 挙動が神経質な初期型FW16でポールを取れること自体
↑
あれはリアサスがパワーを完全に受け切れてなくて
エンジンパワーが活かせなかったけど
予選使用で軽くしていれば楽勝でポールは取れる車
ただ確かに神経質だから薄氷を踏むようなドライブをするけど
決勝よりは楽だったはず
ミカはセナに弾き出されたけど結果テストドライバーになったし
セナよりも車には詳しかった筈だからエストリルでも特に驚きはなかった
93はデーモンだってプロストより速いことも多かったし 91年のF1バブルの時に地元のビブレにF1ショップができたんだけどすぐ無くなった >>455
希少性こそがブランドだったからな。
ベネトンの店に入るときの興奮と緊張凄かった 93ヒル 恵まれたマシン乗ってるのに鈴鹿のダメっぷりにほんと才能ないと思った >>456
どんな商品があったかあんまり覚えてないけどELFの2万くらいするジャンパーが記憶に残ってる
で、俺が買えたのはフェラーリの帽子
当時ネットとかなくてF1速報とかでしか情報得ることができなかったんだけどBPってオイルメーカー?の事を調べたかったんだけど結局情報を得る事が出来なかった
BPってなんの略なのかな?ってずっと思ってて調べてたけど解決方法はなかった 91年だとF1速報の裏表紙にBP広告出してなかったか? >>459
BPの広告とかはあったけどBPの正式な社名は無かった >>456
昔はめちゃくちゃF1ショップあったよな
FORZAグループなんて最大で全国に10店舗くらいあったんじゃないかな?
MONZA、Mr.クラフト…ネットも無かったし、雑誌の広告を見るだけでも楽しかった。 マシンには恵まれなかったが、何だかんだF1の世界で中堅ドライバーとしてもまれていた鈴木亜久里を評価したい。 >>454
ヒルやクルサードがあのクルマでポールを取ることに驚愕していたんだし
素直に凄いでいいと思うよ >>463
93年プロストより速い事も多かったヒルがシューマッハに予選3タテ喰らう車だしな
ブランドルによればヘッドも驚愕していたらしい
うちの車はポールをとれるような車じゃなかったとかなんとか >>461
Mr.クラフトはちょうど通学途中にあったから、学校帰りにしょっちゅう
行ってたな、見た事無い海外のF1プラモ等たくさんあって、買わなくても
見てるだけで楽しかった。
あと、家の近所のF1ショップで、3000円でマンセルのポスター買ったわ。 >>466
90年代前半ってF1公式で各チームのキャップ出してた。
そのチームのスポンサーロゴとか散りばめられてて…93年のマクラーレンキャップ、めちゃくちゃ気に入ってたわ。 1988年頃からF1が日本で認知されてきて、バブルと共に絶好調になったからな。
書店やコンビニでは複数のF1雑誌が販売されて、大都市ならばF1ショップもそこそこあったかな。 ティレルはドライバーもスポンサーもコロコロ変えてたような印象
89年途中にキャメルがついたのに翌年なくなってたし >>450
マルティニは89年の鈴鹿を欠場して代役としてバリッラが乗ってるんですけど…w >>450
多分予選4位だったのはヘレスだったはず。決勝は
>>452
91年のことか。
本田さんが亡くなって喪章をつけて挑んだハンガロリンクとシューマッハが鮮烈デビューしたスパ。 失礼。
マルティニの予選順位が5→4→3→2となっているのだけ知ってて勘違いした。 90年のミナルディは新型に切り替えなくても良かったんじゃないのか 90年は前年に佳作車を作ったチームが軒並み外したイメージがある
ブラバムとかミナルディとかアロウズとか >>470
90年のティレルにはマルボロが付いたし、中嶋のスポンサーもいくつか付いたしな。 >>458
クルマかバイクを持ってればよかったね…
British Petroleum 英国石油 F3000やツーリングカー、ラリー辺りだとQ8ってのもあったよ。
クウェート石油
クウェートの英語読みがQ8になるから… Q8ってイモラに看板あったから今の今までイタリアのオイルメーカーだと思ってたよ… >>476
というか90年自体失敗作の多い年だったじゃん
ティレルは中嶋曰く「乗りにくい」
オニクスもゴタゴタが相次いだし >>481
019を失敗作呼ばわりは流石に無いだろ アレジもモナコん時、フリー走行か予選かで
レースカーの019を調整だか修理する必要が生じたから
その間Tカーの018(サンマリノで中嶋車が全損したからモナコではまた足りなくなってた)で
走って来いと言われたら、そっちが気に入っちゃったんで
019の作業が終わってピットインの指示出されたのに戻って来なかったんで
ハーベイさん怒っちゃったとかいう逸話が。
というわけだからドライバーにとって気持ちよく走れるのは018の方だけど
空力とかで積み増した性能向上分で速く走れるのは明らかに019の方であるってところなんじゃないの。 >>483
速いんなら失敗作ではないな。
チームもドライバーも、乗りやすくて勝てないクルマよりは乗りにくくても勝つチャンスのあるクルマを選ぶものよ。
モナコのアレジはその辺がおかしいから怒られただけで。 89年のカペリが同じような状態だったな。
結果の出ないCG891に変えて前年の881を出す案もあったが、「でもタイムは891の方が出るから、こっちに乗らざるを得ない」 >>470
そう?それよりも初期のジョーダンの方が酷いよ 91年のジョーダン強かったじゃん
車体も丸くて速そうには見えなかったけど
俺はマルティニから表彰台を奪ったJJレートは今でも嫌いだ
でもやっこさんって逮捕されたよな? スポンサー集めはティレルよりジョーダンのほうが上手かったと思う
カラーリングをスポンサーに合わせて大胆に変えるのも厭わない点とか
新興チームのほうが柔軟性があったかも >>487
ティレルはコロコロドライバーやスポンサー変えてたってことに対してのレスだよ >>470
91年のジョーダン
セカンドドライバーがガショー、シューマッハ
、モレノ、ザナルディと二転三転。
92年のジョーダン
なんとドライバー二人、エンジン、スポンサーまで全てを変えてくる暴挙。
勿論カラーリングも大きく変更。
93年のジョーダン
またまた二人のドライバー、更にエンジンを変えてくる
セカンドドライバーに至っては何と五人も代わる。
94年のジョーダン
珍しく変化の無いシーズン。とは言え、アーバイン出場停止の間に亜久里とチェザリスの2戦で二人の代役。
95年のジョーダン
ドライバーは固定ながらエンジンメーカーをプジョー変更。スポンサーもサソルからTOTALへ。
勿論カラーリングも大きく変更。
96年のジョーダン
セカンドドライバーをブランドルに変更。メインスポンサーを変更。その結果カラーリングを大きく変更。
97年のジョーダン
なんとまたもや二人のドライバーを変更。
ラルフとフィジケラ。
98年のジョーダン
なんとまたしてもドライバー二人とエンジンを一気に変更。
99年のジョーダン
またもやドライバーをラルフからフレンツェンへ変更。この年のテストドライバーは中野。 暴挙と斬り捨ててるけどさ
そのまま継続できないから試行錯誤して一新するんだと思うけどなあ
91年のフォードHBの支払いはかなり財政を圧迫したらしいし
不変でないとダメとは自分は思わないな
チーム継続のためにやりくりをしたと評価したい >>491
暴挙とは言い過ぎたかもしれないけど、大きなスポンサーが一つも残らなかったのは何でだろうとか
まだ二年目三年目のチームなんだからドライバーは一人くらい残していてもいいんじゃないかとか。
当時は「何だこの軽いチームは」って思ったけどね ドライバーやスポンサーに統一感を出そうとして消えていったチームが数多ある中
ジョーダンみたいなプライベーターが90年代のF1で生き残っていくためには
ひとつの最適解だったんだと思うよ
軽いチームにならざるを得なかったんだろう
バブル崩壊でジャパンマネーも渋くなってきた頃だし、スポンサー交渉も大変だったんじゃないかな
当時は俺も91年のカラーリングが一番好きだったけど、今はちょっと見方が違うかな >>490
アンドレア・デ・チェザリスのF1人生
(1980〜83は割愛)
1984
リジェに移籍も目立った成績を残せず16戦中9回リタイア
1985
3戦連続でクラッシュをしたことにオーナーが激怒しシーズン途中でクビになる
1986
ミナルディに移籍も15戦中14回リタイア(10回連続リタイアを含む)
1987
ブラバムに移籍し第3戦のベルギーで3位表彰台を獲得するがそこから12戦連続リタイアを喫し最終的には16戦中14回リタイアという結果に
1988
リアルに移籍し第7戦デトロイトで4位になるも結果的には16戦中11回リタイア
1989
ダラーラへ移籍し第6戦カナダでは3位表彰台を獲得、この年初めて完走したレースが半数を超えたが、第5戦アメリカでは周回遅れにされる側にも関わらず2位走行中のカフィに特攻しリタイアへ追い込む
1990
16戦中12回のリタイア、1回の予選落ち、1回の失格となる >>491
確かあの年の予算八億だったとか?
HB確か五億だからそりゃ厳しすぎる。
翌年はヤマハ負債全額払ってくれたけどB&H来るまで相当カツカツだった? >>495
プジョーのワークスエンジン+トタルが入った95年までは相当ギリかと
漸くドラチェン無しで年間乗り切ったからね
(94年は交代の理由が異なるとはいえ) でもフェラーリエンジン20億だっけ?
ミナルディパイオニア失ってどうしてたんだろ。
モルビデリ乗せてる分割り引きとかしてもらってたっけ? >>495
バリチェロがアリスコから数億ほど持ち込みかな。3戦目のドニントンの快走は素晴らしかった。
ただ後日「どうせ完走できんと灯ってガソリン少なく入れた」とかいうのは本当? フォードHBの金喰い虫ぶりって、そもそも何が原因なんだ?
92年からDFRに代わってカスタマー供給されて下位のチームも導入したけれど、
貧乏チームはこれによってトドメを刺されて撤退に追い込まれた所もあったし。 >>499
金食い虫ってより他のカスタマーに比べて高かったってことじゃないの?
それに高いなりの性能だったし
ジャッドってフォードHBに比べると劣る印象がつよい そりゃまあ元々ワークスエンジンクォリティみたいな、3.5リッター時代においては
事実上の「究極のV8」って言っても良いようなやつだから高価いのは高価いよ。
ニューマティックバルブ版と金属スプリング版で値段違うのかどうかとかは分からないけど
「それ以外の内容は一緒でバルブスプリングの仕様だけ違う」ってのは確かあった。
逆にこの時期のやつではジャッドGVが性能の割に意外と安いとか、
イルモアはイルモア自社メンテ版とマーダーメンテ版(94年にパシフィックが使ってた方)と
2種類あって、当然にしてマーダーメンテの方がバージョン古い方。
92年のティレルが実際イルモア積んだら資金状況や体制の割には案外うまくいったみたいなもんで、
この時期にはHB選ぶよりはジャッドやイルモア行った方が良かったチームも多そうな。 >>500
V8時代のジャッドの「同等品」って言ったら要はタイプEV
(レイトンハウスというかニューウィ先生のオーダーでバンク角狭くした他に色々改良した方)
だからね。
CVと比べたら多少軽くなって馬力も上がってたとはいっても
ロータスが102Bの時に予算とか「物理的に積めるか積めないか問題」
(ランボルギーニV12用に作ってあった102系のモノコックに90度バンクのCVとかDFRじゃ付かない)
からEVの方を選んで何とか91年シーズンを乗り切って、
翌92年の序盤に「およそエンジン以外はほとんど何も変わってない」ってレベルで
HBに積み替えた102Dをジョニー・ハーバートが評して
「全く素晴らしくなったよ!何しろ今年のやつはきちんと前に進むようになったから!」
っていうくらいには違ったってくらいの性能差はあった。
V10のGV(91年時点では実際の供給キャパが幾らあったかは知らないけど
使ったのはスクーデリアイタリアのみ)だったら、「V8と大差ないサイズと重量」って言われながら
当然DFRやジャッドのV8系よりはパワフルだったんだけど、それでもHBより高性能だった様子ではない。
マツダやヤマハの手が入ったバージョンでもあのくらいだし。 俺、90年か91年から見始めたて94年か95年に観るの引退したんだけどあの頃フットワークアロウズのミケーレアルボレートが優勝経験あるフェラーリドライバーだったって聞いてかなり驚いた
だってあの頃のアルボレートってただの遅いオッサンだったんだもん >>503
プロストとタイトル争いまでしてたと言うのにw
ティレル最後の優勝ドライバーでもあるし。 今でいえばライコネンを見て遅いオッサンと思うようなもんかな >>503
フットワークの頃はそんな遅い印象無かったろ
日本の期待の星をボコボコにしてたじゃないか >>503
ミケーレはタイレルで優勝してエンツォに認められてフェラーリでチャンプ争ってた
イタリア人だったから国内は凄い熱狂だっただろうな でも実際アルボレートはプロストとのタイトル争い以降は急速に成績が悪くなったし
後から加入したベルガーの存在もあって評価が著しいんだよね、でもティフォシは熱狂的な声援を送ってた ブーツェンとかアルボレートは見た目がもうチョイ良ければレース人生も違ってたろうな >>506
あれはアグリさんが……
俺も91年から見始めたから、アルボレートは粘っこくて上手いけど「速い」っていう印象は無いんだよね。
93年はバドエルにやられてたし… フジの中継始まってからF1観るようになった人はアルヌーを同じように思っただろうな >>497
佐々木さんが「こんなことして大丈夫なの?」ってジャンカルロに言ったら
「ウチはここが正念場なんだ。グダグダしてる場合じゃねえんだよ」と言われたってなんかの雑誌に書いてたな。
>>509
ブーツェンは91年以降一気に没落した感があるな。
92年はブラジルでコマスに特攻してジョニーを巻き込みリタイアへ追い込んだし
ハンガリーではスタート直後に再度コマスに特攻してタルキーニやカペリを巻き添えにしてリタイアしてたような気が。 アルボレートにフルボッコのアグリにガッカリした記憶 エンツォは60年代にイタリアの未来ある若者をレースで何人も死なせていると非難されてそれ以来
フェラーリにイタリア人ドライバーを起用しなかったんだよな、その禁を破って起用したのが
アルボレート、そのくらい特別なドライバーだったんだよ >>508
プロストとタイトル争ってる85年の途中に突然ターボをTAGポルシェと同じKKKからギャレットに変えて失速
86年はクルマの出来が悪くて開幕前からお手上げ
ここから日本でF1中継が始まる
ベルガーが鈴鹿で優勝
日本で影が薄くなるわけだ。 >>503
同じ!
アルボレートがフェラーリのイメージゼロだった。
けど92に組んだ亜久里が勝てなくてやっぱりスゲーなと アルボレートって、そんなに特別感を出していたドライバーだったのか!
83年もティレルで優勝しているけれど…、リタイアもそれなりにしているし、リザルトだけ見てると、アンジェリスをちょっとマシにしたくらいにしか見えない。
当時のF1をリアルに見てなくて、80年代終わりくらいから見始めたから、その時の印象とかイメージはもちろん知らないんだけど。 アルボレートやワーウィックみたいな古豪と組ませたのは何でだろう
ベテランの味を覚えろみたいなこと? >>503
貴方のアルボレートのそれが、私にとってのルネ・アルヌーかな。
1987年からF1を毎戦観ていますが、当時は1986年以前はことは何も知りませんでした。
あとからアルヌーの経歴を調べたら、プロストとチームメイトだったり、ポール獲得やトップを走行したり、
優勝回数7回とA級ドライバーと知りました。
でもいかんせん、当時のエンジンはパワーあっても耐久性や信頼性が低かったから
トップ走行中でもエンジンブローでリタイヤも多かったのですよね。アルヌーもその一人。 フジでF1を放送する以前にも、東京じゃTBSでたまにF1放送して
たんだろ、自分が住んでた所ではやってなかったが。
その代わりと言っちゃ何だが、BBCだかが出してるF1総集編を
買って見てたわ。 当時ホンダのディーラーでフジ中継以前のF1流してたから
学校帰りに観に行ってたわ 2000年代後半から見始めたやつはミハエルが凄かったってのが信じられないのかな
「どうせ勝つんでしょ」の空気は今のハミルトン以上だった… 2000〜2004年あたりのF1は自分の熱も停滞していたなあ
見たり見なかったりが続くうち、全然見なくなった
次に見るようになったのはシューマッハが引退した2007年だった
F1に群雄割拠が戻ってきたと思ったよ >>518
そのアンジェリスだって今で言ったらリカルドくらいの存在なんだぜ? 2000〜2004年のフェラは顎があまりにも強すぎて、アンチ フェラーリになってしまったな。
オーストリアではゴール手前でバリチェロが顎を先に行かせたからなw
これ以上ない茶番劇だったわw たしかどっかのレースじゃゴール直前ではスゴい僅差になって、F1の
僅差勝利記録を危うく塗り替えそうになってたな
例の、86年スペインのセナマンセルより僅差だったww >>524
ミカハッキネンが引退せずにフェラーリでマイケルシューマッハと走ったりしたらセナプロ伝説みたいになってたかもとか想像するよ
強いチームには拒否権とかなしにしね張り合えるレベルのドライバーを組ませるとかなったら面白いのにね >>528
自分もそう思う。
全盛期に自分と同じレベルの相手とジョイントナンバーワンをやって欲しかったよね。
プロストが記録よりも伝説に拘ったように。
たとえそれで勝利数が減ったとしても、F1自体は盛り上がったし
もっと高次元なタイトル争いが見れたと思う。 セナとシューマッハは、自分を絶対的ナンバーワンと扱ってくれるチーム体制で初めて最大限の力を発揮できるタイプだから、
ジョイントナンバーワンでなくてもいいかな…
あれまでの強烈な強さと速さは完璧なナンバーワン体制でしか見られなかったと考えたら、あれで良かったと思うよ。 セナもシューマッハも、他のドライバーと比較などせずとも、本人の走りだけで素晴らしさが伝わってきただろう? >>530
当時は強すぎてつまらないと思っていたけど、今となっては伝説をリアルタイムで見ていたんだなと思う >>372
レーシングオンのF1熱狂期2のハーバートインタビューによると、ロータス消滅数年前からピーター・コリンズに、恩義はあるが何度もチームを出たいと嘆願したが、結局拒否されたとのこと。
>>374
同じくレーシングオンマンセル特集で、当時の本田技研所長川本氏は、ホンダF2エンジンのマンセルの開発能力を高く評価していたんだが。
しかし熱狂期2号は本当に面白かった。
モナコ疾走のBT58モデナ写真が超かっこよく、たまに表彰台の有力中堅チームに焦点をあて、ミナルディ・ダラーラ・オニクスが興味深かった。 しかし92年のダラーラの記事。
「マルティニはイタリアではカペリと同じくらい評価が高くダラーラではものすごく尊敬を集めている。」
だとしたらアルボレートなんかマルティニとはくらべものにならないくらい崇められてた? >>533
ハーバートが例の大事故で両足が砕けた時にコリンズ率いるベネトンが医療費を負担してくれたからな
マクラーレンのオファーを勝手に蹴飛ばしたのを知ってかなり険悪になった
結局ブリアトーレが契約を買う形で晴れて自由の身になれた、待ってたのはシューマッハのNo2だけどね >>529
ステファンヨハンソンみたいになると想定してたんだと思う
自分より速いのは想定外でだからこそ伝説になったんだろうけど
88から91までチャンプだった可能性あるけどアランプロストの価値も知名度も今ほど高くなくF1自体も欧州のローカルスポーツで日本のブームもなかったかもね
ミカハッキネンとマイケルシューマッハは伝説になりえたのにもったいないよ
バースタッペンとルイスが組めば伝説が生まれる可能性あるね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています