【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 67laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 66laps
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1556552335/
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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお もうスレは不要だろ。
同じ話、どこかで見聞きした話を何回転させるんだよ・・・ 前スレにあったPOV開かない細工の質問、ホンダはそういう事はやっていないです。6連スロットルをlog前シングルスロットルへ変更したくらいですね。これもPOV開放対策ではありますが。 遅い優勝記録をあの当時に持っていたのがタイラーブートセンとか言う奴だっけ?
ユーチューブでパトレーゼのでFW13だったかな?
コーナー曲がって行く時に音が鳴りながら回ってる変な動画を思い出した
その後にコーナー飛び出しクラッシュだったかで
あの当時に雑誌でピケとマンセルが「あんなにサスペンションを動かしては駄目なんだよ」と FIA支給のPOVが割りと雑な動作で、これじゃ駄目だとホンダが
下請けに発注したPOVを使うように工作したんだっけ? いちおつ
>>3
この当時だと12,000回転くらいかな? 前スレの最後のほうとも関連するけど、ブーツェンは89年にウィリアムズで走った時に、チームメイトのパトレーゼと、予選決勝ともほぼ互角だったのがな…(優勝こそしたけれど、トータルのポイントではパトレーゼがわずかに勝ち)。
なにかで見たけれど、「パトレーゼが89年ブーツェンと互角に走って、自分の評価が上がらずに、ブーツェンの評価が下がった」みたいな内容。
この時にパトレーゼに圧勝できなかったのが、実力なんだろうと思う。 パトレーゼの予選は普通より速い
VSエディ・チーバー19勝11敗
VSデレク・ワーウィック 8勝2敗
VSエリオ・デ・アンジェリス 4勝0敗
VSティエリー・ブーツェン 19勝11敗
No.2でコスワースノンターボV8ばかりあてがわれてたNAターボエンジン積んだ時代に、
No.1の全盛期ピケにすら10勝19敗もなかなか侮れない
予選のコンスタントさはベルガー以上
アレジもウィリアムズに来ていたら相当やられてたかもしれない
ダメなのは88年&92年のアクティブ時代対マンセルと(88年は2勝12敗、91年9勝7敗)、
衰えたベネトンでシューマッハにズタボロにされたくらい >>9
当時はそういう記事を結構見たねえ。
支給品は4bar以下で開いてしまうこともあるから自社品を前に置く、
排気→自社品→支給品にして確実に作動させる、みたいな記事もあったよ。
あれってガセだったのか。 88年の2.5barだと燃費は
フランスは終盤までのデッドヒート、イギリスは雨で転がり抵抗と空転で厳しかったみたいだけど
あとは結構余裕で満タンにせずにスタートしたこともあったとか。 >>12
あまりそういうイメージがないだけで、パトレーゼって、かなり一発の速さを持ち合わせたドライバーと言えますね。相手見てると。
ただ決勝では、優勝こそなかったけれど、2位をかき集めて選手権3位になった89年くらいが安定していた感じで、あとはムラがあったり、結構ミスで自滅することも多くて、結果につながっていないですよね。 その通りだと思うよ
古館の有名な「200戦錬磨の鉄人」と言うほどには安定感ないんだよね
すごいポカも多いし
ベルガーと同じようで早いけどレースIQが高くないというか
91年ブラジルでリタイヤ続きから二位を確保したかったのは分かるけど、ペースの落ちていた首位セナを攻略しにいかないなど(後からギアほとんど壊していたと知り、しまったと後悔していた)
マンセルみたいなとことん勝負しにいく姿勢がなかったりする
ただそれでもセナマンに割って入り1991年を盛り上げたのは認める 2段落目訂正
誤)ベルガーと同じようで早いけどレースIQが高くないというか
正)ベルガーと同じで早いけどレースIQが高くないいうか レースの組み立てや判断力も一流ドライバーの条件たらしめるところ ブーツェンは遅咲きだけど、ベネトンで表彰台の常連になった気鋭のドライバーのように言われていた
マンセルの後任に迎えられただけあってマンセルほどではないにせよ期待は大きかったと思う
だからジョイントナンバーワンとよく言われるウイリアムズだけど、
それはドライバーどちらかに肩入れしないだけで、ブーツェンにナンバーワンの働きを求めていたはず
それが蓋を開けてみたら2勝はともかくポイントはパトレーゼ以下
翌年もパトレーゼより後方からスタートする事が多く、ミスも少なくない
そのくせ紳士的な見た目に反して、
高慢で切れてヘルメットやステアリングたたきつける事しばしば、
エゴむき出しでキレる事もしばしば
タイプは似ているが一発で上回り、温厚なパトレーゼを残したのは分かる ベネトン時代のロスブラウンが昔ナイジェル・ルーバックのインタビューで、
パトレーゼへの失望を婉曲に述べてたな
ブランドルを切った事も『失敗だ』とはっきり言ってたね(実際に切ったのはブリアトーレなんだけどね)
ブランドルは脚のせいで予選に苦労していたけど、レースでの速さはピケやシューマッハに劣るとは思わない、ベネトンに必要な人材だった、
リジェは彼の力に見合ったマシンを用意出来るのだろうか?とこれまた彼らしく婉曲に答えていた 92南アフリカのスタート、セナベルガーの間をすり抜けて2番手に浮上したパトレーゼには痺れた たしか、ブランドルも93年プロストのチームメイトとして、ウィリアムズの候補に上がっていましたよね? >>22
プロストが拒否して実現しなかったけどね。
あの年のプロストは手当たり次第に拒否権を発動しまくって、結局テストドライバーのヒルが抜擢されたんだよね。 プロストにあと二年やって貰ってハッキネンかハーバートをウイリアムズで
ガチンコバトルして貰いたかったな
なんでハーバートでもいいからウイリアムズから誘いが有ったのに行かなかったんだよ〜
行ってたら又違った人生だっただろうに 確かフランクがブランドル寄りで、デイモンとどっちにするかヘッドと相談していた
プロストサイドがデイモンを指名して来てヒルに決まりという流れだったはず
恐らくプロストからすると長い不運のトンネルから覚醒したブランドルは、復帰後の相手としてはちょっと怖かったのかもしれかい
ブランドルも後はサインするだけ、という所まで来ていた所で突然フランクからの電話一つで交渉を打ち切られて呆然
皮肉なことにルノーの担当者がブランドルをリジェに推薦→契約 ハーバートも自分を拾ってくれたピーター・コリンズに義理を立てたのが徒になったね
ピーターはピーターでハッキネンは売ったがジョニーは売りたくない
そこでそれもこれとは別、とばかりに非情になるようなドライバーじゃなかったのがハーバート
今思うと完璧に期を逃した >>25
あの当時だったら、レースでの実績のほとんどないヒルと、予選ではちょっと歯が立たなかったけど、シューマッハにひけを取らない成績を残したブランドルとだったら、そうなるか。 >>25
恐らくだけど、ブランドルはブーツェンと並ぶ、親セナ派だったのでプロストが警戒したのでは、と邪推してしまう。 ブランドルはジョーダン入りの時もマクラーレン時代にブランドルのフィードバックを評価していたプジョーの後押しがあった
イギリス人なのにルノープジョーとフランスのサプライヤーに救われたブランドル ハーバートがもしウイリアムズ入りしていたら93年からだとヒルは居なくなるんだよなぁ
イフだけどワールドチャンピオンを96年と97年は獲っていたかもしれないんだよなぁ 確かに当時のブランドルは勢いがあったね
シューマッハ相手にあそこまで迫れたチームメイトは後にも先にもブランドルだけ。
まあ、ベネトンがまだシューマッハ1カー体制を敷く前だったのが大きいけど。
セナやシューマッハとの対比でブランドルが未勝利で終わったのが残念でならない。 ジョニーの93年ウィリアムズ入りはなかったんじゃないかな
ブランドルやヒルと違いなんせ本人がロータスとの契約遵守を望んだからね
ピーターが自分を売却するなら、というスタンス >>30
ハーバートなら、94,95年もタイトルのチャンスがあったかもね。
少なくともヒル、クルサードほど無様な負け方はしなかっただろう >>7
ありがとうございます
POBの細工の件はホンダアンチみたいな奴の戯言かと思ってましたが当たってました >>27
プロストからすれば圧倒的に経験不足のヒルが無難だよね
>>28
ブランドルはレースにおいてはセナには容赦なかったけどね
92年を除いて殆どバトルがなかったのが惜しまれる
>>31
後年のバトン・ハミルトンの幸運を分けてあげたいくらいだね
>>33
本人の尻に火がついたのがロータス空中分解寸前の94年開幕前で、ブランドルのマクラーレンのシートをジョニーも狙っていた
精神的に強くないジョニーだから、気の知れたミカと組みたいのもあったと思う
でもあの時マクラーレンプジョーに行ってたら初勝利は更に遅れただろうな >>20
ベネトンでのパトレーゼ
ベネトンでの初完走時 「こんなに死ぬ気で走ったのは初めてだ」
(すでにこの時から「ベネトンがパトレーゼを追い出して マクラーレンからハッキネンを借り受けて走らせる」とのうわさあり)
シーズンが進んだ頃 「毎レース毎レース一生懸命走ってるんだけどね…」
モンツァ(だったと思う) シューマッハにモーターホームを追い出されプレスの前で涙
後年シューマッハが「あの時はすいませんでした あの頃の私は若く あなたに迷惑をかけているとは思わなかったのです」
と謝罪に来たそうだ >>33
凄い強いと思うよ
最強マシン載らせたら多分シューマッハですら敵わない圧倒的なレース展開をするだろう
こいつの本当の姿を知ったら痺れるよきっと プロストからしたら、一年間の休養後、絶対にワールドチャンピオンになるべくウィリアムズ入りしたのに、まさかのチームメイトにそれをさらわれることは避けたかったということか。ましてやウィリアムズはチームオーダーのないチームだけに。
でも、ヒルにしてもあのタイミングでウィリアムズで走らなければ、3流ドライバーで終わっただろうし、運も実力のうちとはよく言ったもんだ。 >>36
三つ目の件に至る経緯は何だったったっけ
確かに中盤以降は誰も助けてくれなくてどうにも追い込まれてたと言ってた
マシンの感触もチーム文化もウィリアムズ時代とあまりに違いすぎて、
ドライバー人生で初めて契約したことを後悔したチームって言ってたよね ハーバートがチャンスあったのは94年のマクラーレンじゃなかったっけ。
ブランドルに決まったのは開幕直前だったそうな。 マシンはアルファロメオ時代の方が酷いけど、居心地は悪くなかったのかな
相方のエディ・チーバーを完全に、No.2に追いやってのエースだったからなのか
腐ってもイタリアチームだからなのか
ベネトンはオーナーがイタリアなだけだからな
奇しくもアルファロメオ時代もベネトンカラーだったな
とことんベネトンと相性悪かったパトレーゼ… 当時はプジョーがアリオー推しでマクラーレンはアリオーもテストしてたんだよね
ブランドルも白いレーシングスーツでテストしてて、92年開幕前のリジェをテストしてたプロストのようだった
アリオーは40のくせに衰え知らずで前年10歳近く若いコマスを粉砕してたからな >>24
ピーターコリンズを裏切ることも出来なかったし、92年のロータスの調子を考えると93年も良くなると思ったんじゃないかな。
しかもハッキネンがいないとなると完全にチームのナンバー1の待遇も受けられるし
95年の右京もそうだったけど、前年が上向きなら今年はもっと上手く行くって思いがちだよね フィリップ・アリオーのF1予選
〜F1人生前半〜
VSジョナサン・パーマー 4勝5敗
VSマイク・サックウェル 0勝1敗
VSマンフレッド・ウィンケルホック 2勝6敗
VSなんとか(名前忘れた)・アチソン1勝1敗
VSルネ・アルヌー2勝5敗
〜F1人生後半〜
VSヤニック・ダルマス14勝3敗
VS鈴木亜久里1勝0敗
VSエリック・ベルナール2勝0敗
VSミケーレ・アルボレート 4勝
VSニコラ・ラリーニ9勝56敗
VSエリック・コマス 10勝5敗
VSマーティン・ブランドル0勝1敗
アリオーなんと35超えてからの方が一発が速い笑
スポットで出たマクラーレンのVSブランドル以外全部勝ち越し
同国フランス期待のABCDの内BCDを叩きのめしているという
なかなかすごくイヤなベテランだなアリオー 底辺チームの実力者ラリーニと当時のアルボレートに勝つのはなかなか大変だわ
アルボレートと組んでたのはスポンサー問題で二度目のティレルを出た89年かな
>>44
逆に一度目のベネトンでトップチームの恐さも知ってるからね
居心地のいいロータスでポディウムの常連になってから、という楽観的な未来予想も描いていたのかも アルボレートの離脱でアレジがティレルからデビュー出来たんだよな
ついでにアルボレートはフェラーリを放出される事が決まった後ウィリアムズ入りするはずだった
確か大詰めで(F1では良くあることとはいえ)ブーツェンに持って行かれた記憶
アルボレートとパトレーゼのイギリスチームのイタリアンコンビは(結果の是非はともかく)ちょっと見てみたかった アルボレートがタイトル獲れてたらドライバー勢力図が変わったのかなと思う。
余談だけど、最近でいうとタイトルを獲ってハクがついたのがバトン。
獲り損ねて凋落していったのがマッサ。 パトレーゼは名ドライバーだと思うけど、チャンピオン獲る器ではなかったかな。勝負所では脆いし、レースやライバルの状況読み取る能力がイマイチだったし。 POVの件は、少なくともCARTで起きた話についていえば
要はサージタンクの中でも圧力分布は完全に均等じゃなくて、CARTで当時認められてたレベルの圧力なら
性能的に明らかに効く程度に差が出るのは分かってたから、わざと
「ルール上ポップオフバルブが取り付けられる範囲に来るところ」が低くなるように設計して、
最初にそれをやったところがバレたから逆ギレして泥沼化したという顛末だった記憶。
F1の場合はこの90年代末のCARTの時(しかもこれはスプリング式じゃなく電子作動式)とは
比較にならず圧力が高いとはいえ、まあ「圧力分布を解析したら高い低いというのは多少ある」
というくらいは掴めれば、POVの取り付け位置として規則で指定された範囲の中では
一番低圧になるところを狙って付けるとか、「あえて取り付け位置が一番低くなるように設計する」
とかいう発想はそりゃ当然出てくるでしょうね。
もちろんそれでも、POVがチェックするのはあくまで開弁圧でしかなくて、「それが開くところまで」という規則だったら
それ以外の箇所でもっと高い圧力が掛かってたって違反でも何でもないわけです。 >>48
はじかれるのはブーツエンじゃなくパトレーゼの方 >>45
忘れたの所はケネス・アチソンかな?日本のレースでもけっこう馴染み深かった 自分の中では、アリオーは「速いが荒い」感じ。
ミニチェザリスのイメージがある。 >>8>>タイラーブートセン
日本語のカタカナ表記ではティエリ−・ブーツェン。大昔の車雑誌ではタイラーブートセンと
書かれていたのかな?セナはダ・シルバ、ピケはピケットと記載してた雑誌もあったね。
まあ、この話題も無限ループしてるけどね。 >>20>>36
パトレーゼが乗った時期のベネトンってのは相当空力的にピーキーになってたやつで、
要はウィリアムズはじめマルチシリンダー勢に対してパワーで劣るところを
全部空力のマージン絞ることで取り返してるようなやつなんで。
B193Bになった時点でアクティブが付いて、最後は4WSまで付いたとか、
リザルト引っ繰り返すと「確かにシューマッハがパトレーゼを圧倒してるというようには見えても、
そのシューマッハとてランキング4位にすぎず、『フォーミュラ・フォード』のチャンピオンは
本来HBユーザーチームでNo.2格であったはずのマクラーレンのセナに大差で持って行かれた」
という残念な現実まで浮き彫りになるので、要はチームの身の丈超えた車だったんだよ。
2人のポイント足してもセナ1人で稼いだ分にすら届かない、
しかも「向こうのマイケル」も7点、ミカは4点稼いでるとなると、信頼性と安定性がどれだけ大事だよという話に。
エンジン押さえる都合上仕方なかったとは聞いてるけど、
マクラーレンがアンドレッティじゃなくてパトレーゼ乗せてたら歴史が変わってたレベルかもしれん。
逆にそうなるとミカは93年に出番が無いが。
余談だがアンドレッティがマクラーレンのテストしてたちょうどその時期に
アル・アンサーJr.がベネトンをテストしてる。 最近ですら、ベッテルやらフェテルやら
表記に揺れがあるな ラフィット→ラフィー
ミハエル・シューマッハ→ミヒャエル・シューマッハ
コマス→コマ
媒体によって、この表記でいこうとか決めてた感じ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています