【Gr.C】グループCを語るスレ其の26
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↑本文の一行目に書く
古き良き時代、懐かしのグループCについて語るスレです。
現代車との比較は構いませんが、あくまで話題はグループCについてにしましょう。
グループCに対する批判、煽りなどは極力控えてください。荒らしはスルーしましょう。
※前スレ
【Gr.C】グループCを語るスレ其の25
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1497963603/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured 全部妄想かと。
全部妄想なのかね。
全部妄想だろうし。
全部妄想だったのでは。 >>206 転生したらGTP-ZXTだった件」とか書きますかw
二次オタか救いがないな スレチだがフォーミュラよりもそれにカウル付けたGCの方がダウンフォースが強いのは当たり前
だって空気抵抗減るもん 空気抵抗より平面投影面積とか真空引き効果とかの方じゃないのかと。
ウィングカー禁止規定以降のGCマシンは事実上モノコックの下とかフロントアンダー部、
一部の補機類の下回りとか比較的限られた範囲以外には床は無いですけど、
カウルの下に溜まった空気のほとんどは後ろから引き抜けることに違いは無いんで
そりゃー結構な力で地面に張り付きますって。
ウィングカー時代と比べると低い位置で掛かるダイレクトな地面効果が得られないから
路面状況やら姿勢やら、挙げ句は進行方向とかに過敏に反応しないだけで
ダウンフォースの絶対量自体はそんな減ってないんじゃないですかね。
で、「絶対的に影響するのは面積の方」だから、フラットボトム化してみたところで
迎え角がついちゃったりスピンしたりすると結局スポーツプロトの方が
圧倒的にフォーミュラより被害がでかいんですよ。重いはずなのに実によく飛ぶ。
逆に元々アメリカ向けプランの焼き直しってことでウィングカーであるはずの
フォーミュラニッポン・スウィフトが、それに起因して空飛ぶようなアクシデントも
ドライバーが重傷負うようなアクシデントも起こして無いですよね?
あれ、最初の散々な評判の割には全損レベルの事故も数えるほどあったかどうか程度なような。 >転生したら 意味が判らん。
88年時点エレクトラモーテイブでは、T810のローラのオリジナル部品は
リア・アップライトのみ。よってシャシ名はローラを名乗らず。
この流れは、R89C→R90CPでも再現される。 仮に サスやタイヤのトラブルが主因だったとしても
レースカーが飛ぶ事象が発生していたのも事実なのだぁ >>212
実際その通りで、だから何故座間保管庫にある「元々はローラT810フェアレディZ-C」
だったはずの車を、エレクトラモーティヴが北米王座を獲得した時点の
日産GTP-ZXTに色だけ塗り替えてるんだか全く理解出来ないんですよ。
オリジナルを尊重してレストアするのなら85年の全日本耐久やWECinJAPANで
実際纏って走ったキヤノンカラーもしくは86年のタカキューカラーであるべきだし、
「ローラ純正仕様時代のエレクトラモーティヴのマシン」ってのもこれも日産トリコロールではなく
何度か変遷したスポンサーカラー纏ってるので、北米レプリカならそうなるはず。
「GTP-ZXTのハリボテ」ならカウルだけでも取り寄せて載せ替える程度の手間は掛けるところですよね?
だからexセントラル20のローラT810からすれば「俺何でこんな事に?」じゃないのかとw
世界中のどこにも走ってなかった出来損ないコスプレ状態ってそりゃ余りにも酷いとw そーいえばR86Vの#23は日産自ら事実上のレプリカであるような解説をしてますが
あれはどういう履歴の車両なんでしょう。
Wikipedia等では日産仕様のマーチ86Gは4台が生産されて1台がチームルマン購入分、とある訳ですが、
このチームルマン購入分っていうのが例の赤いパーソンズカーで、87年になってから新車でおろした物なのか、
それとも86年のパーソンズカー自体がそもそもチームルマンの所有で、翌年は塗り替えただけって事なのかと。
それによってニスモが86年開幕前後に度重なったアクシデントで1台大破、1台炎上
(いずれも#23ニチラの星野/萩原車)という事態が起きた上に#32のハセミモータースポーツは
開幕時点で86Gが間に合ってなくて、パーソンズだけ86Gという状況の見方も変わってくるし。
パーソンズカーが日産所有の3台のうち1台ならホシノレーシングが乗り替わりするか
ハセミモータースポーツが86G、パーソンズが85Gの布陣も有り得たかとも思えるんで、
実は開幕時点ではニスモ所有の86Gは2台しか無いものが2台とも使い物にならなくなっていて、
3台目は少なくとも開幕戦には間に合わず、ルマン24時間までに揃うかどうかというのも最初っから分かっていたこと、
で、パーソンズカーはチームルマン所有分だったから開幕戦でのスライド使用が出来なかったというような話だと、
実はルマン24時間で使った車両そのものは「チームルマン所有のパーソンズカーをニチラ塗装にしたもの」
だったという可能性が。
それだと座間にあるやつはルマン24時間終了後に準備出来たハセミモータースポーツの86G
(赤帯付き赤ルーフの車)だったり、損傷した2台のどちらかを修復したホシノレーシングの86Gを
外観のみルマン24時間仕様に改装したもので、
「本当に86年のルマン24時間を走ったR86V」は蓮池レーシングサービスでレストア→保管されてる
レストア前には赤パーソンズだったあの車両、ということになりますか。 もしくは日産は当初は3台あれば足りると思っていたものが
(順調にいけばハセミモータースポーツも開幕から86Gが間に合ったはず)、
立て続けに2台が大ダメージを受けた上に、少なくとも1台は完全に全損になったか
部品取り程度にしかならない程度の被害状態にまで及んだために
1台は後から追加発注することになって、それで全日本用#32の86G化が物凄く遅れたとか
そんなレベルの理由でも?
所有名義の内訳は良く分かりませんけど、これだと確かに3+1の総数4台という辻褄は合って、
「輸送や部品確保の手間まで含めるとルマン24時間の時点で間に合う車両は
開幕戦時点のパーソンズカー1台しか無いはず」というのも合いますね。
その後どれがどこに行ったかという話までいくと分からなくなりますが。
一番距離を走ってないアマダカーをチームルマンに払い下げる(もしくは最初からルマンからレンタル)線か、
最初っからパーソンズカーがチームルマン所有ならそれがそのまま赤く塗り替えられるか。
ただ、開幕戦パーソンズ→86年ルマン24時間のニチラ車(→その後は3台のどれに割り当てたか不明)
だったそのものを日産が手元に残していて、それをルマン24時間当時の仕様に復元したのなら
そりゃー単にレストアしただけであって、サルテを走った本物には違いないんですけどね。 おいおい、ひょっとして推敲したら増えたとかそういう話か!? >>218
記憶を整理したらどんどん枝葉を思い出した現象ですw 長文さんの今回の考察は正しいの?
俺は理解不能だが プレシーズンテストでのタイヤトラブルに起因する大クラッシュに続いて
開幕戦で火災事故が起きたために、「もはや86Gに関する部品は使い尽くしていた」
という事情で修復すらままならなかった、とは当時のモーターファンの開幕戦レポートにありました。
実際、決勝で走っている86G(R86V)はパーソンズの1台のみ。
ワコール86Cやワープゾーン85Cと混戦を繰り広げる写真が載ってます。
皮肉にもこの号のニュースページには萩原選手の事故の速報が。 当初R86V 2台で ル・マン計画するも 冷却に問題有りで断念。
1台は、実績有るR85Vに変更。
86G-01 鈴鹿500`→マーチに送り返す→ル・マンテストデー参加(アマダR86V)
86G-02 富士1000`-No.8 松本車はチームル・マン所有→ニスモ借用→テスト。 光の話が出てたけど、86年のF2を代走したカペリはマーチ・ヤマハだったはず。GCの代走のほうは覚えてない、関谷だったかな。
長い 知ってるか
長文さんは現場経験者でも何でもなく本やwiki知識で語ってるんだぜ
しかも一方通行とか俺ならとっくにメンタルやられてるわw 萩原光の後任はF2がカペリ、GCが関谷。カペリ不在時はF2も関谷。 >>230
光はGCもヤマハだった?
星野がBMだったのは覚えてるけど。
赤城明が亡くなってるのを最近知ったよ >>232
そうだよ。ホンダ使ってないトップドライバーはみんなヤマハ。
星野と国さんはBMW。
ヤマハユーザー
リース
松本
亜久里
健二
関谷
長谷見
舘
和田 金曜はテスト走行やってたんだね。905いい音してた。
自分は今回行けないけど楽しんできて。 GCカーの真空引きってなんだ?
シャパラルかブラバムみたいにファン付けて引き抜くのか?
フォーミュラカーとプロトタイプカーではグランドエフェクトカーが宙を舞う原因が違うぞ
プロトは今はタイヤハウスの上に穴が開けてあるだろ >>226
86G-01の方が燃えちゃった車(開幕時点でのホシノレーシングの#23)で
マーチに送り返して修復後サルテサーキットに持ち込み。
86G-02のパーソンズカーの方は最初からチームルマン所有だった、という事ですか。
で、一応はどちらもサルテサーキットに持ち込まれているんですね。
86G-01の方がルマンテストデーでは#32アマダカラーで走行、
86G-02パーソンズもニスモが借用してルマンテストデーに持ち込まれた(#23?)
ということは、
・ルマン24時間の本番で使用された85Gは開幕戦で使用した#32アマダ85V(前年のマーチ・トミカスカイラインターボC?)
・同じく本番で使用された「86Gの方」は86G-01を再度#23カラーに衣替えしたものか
チームルマン所有の86G-02の方を一時的にニチラカラーに衣替えしたもののいずれか
…ということになりますね。
本番で使用したのが86G-01の方だと#23塗装に戻ったのでまたニチラカーとして全日本を走ったのか、
#32にまた戻して、つまり「最初は星野車だったものが後半は長谷見車になっている」、
そして後半のニチラカーは新車の86G-03もしくは04(プレシーズンテストで大破の1台が全損の場合)という
両方ありうる訳ですね。
ルマンで使ったのが86G-02だと「蓮池レーシングで赤パーソンズ→ニチラでレストアされた方が
本物のルマン24時間本番使用車」ということになって
日本に送り返されたにせよTカー登録されたにせよ決勝では使われなかった86G-01か
シーズン後半に新車で補充された車両にせよ、「シーズン後半にニチラカーとして使われた車両」
の方が座間で「ルマン24時間仕様車」として保存されているそのものという事に。 >>236
あの種の所謂ファンカーみたいに強制的に負圧掛けて引き抜こうとしなくても
床側はそもそも開いていて、「冂」の形になったテールエンドが開口してる時点で
100km/hとか200km/hとかいうスピードレベルでの走行時には
ボディ外側を流れる気流との風速差を考えたら相当な圧力で引き抜いてるも同然じゃないですか?
ラジコンカーですらボディのテールエンドをどの高さまでカットして良いかとかは
結構小うるさく規定で決まってて、その理由はそこなんです。
あの大きさと速度でもダウンフォースとかバランスとかがかなり違ってきてしまうので。
「ワールドドローム(現ジャパンドローム)」っていう、自転車競技のオーバルコース借りて開催する
超ハイスピードラジコンレース(1/10スケールで100km/h前後に達するという)があるんですが、
これだとストックカー系のカテゴリは「原則は規定で認めたNASCARのストックカー・ピックアップのボディを
規定通りのカットラインで使用。ただしリアパネル部のカットは可能」となってて
それをやるのは当たり前になってます。この速度レベルまで来るとダウンフォースどころか
溜まった空気が抜けないこと自体が、普通に進行方向向きに走る時点でも危険ですらありますからね。 俺も鈴鹿行きます。実ははじめてのプジョー905です。楽しみ。 >>229
関係者ガーとかスペシャリストガーとか言うんなら
誰か例えばGCカーとかグラチャンカーとか、いや無ければRSカテ辺りでも良いけど
テールエンドを側面と同じ高さまでぴったり塞いで、サーキットデモラン程度のスピードレベルで
走るのを誰か試してみて下さいよw
それは空気溜まってまともに走らなくて、建て付け次第で車ごと浮くかリアカウル吹っ飛ぶか
運が良ければそんな速度に達する前にスピン出来て終わるに決まってて、
間違いなくリアウィング外して走るどころじゃなく酷いもんになりますよ。
>>234
で、R86Vはどっちのが来ててシャーシナンバー何番でした? ラジコンで後部をカットするのはリフト抑制が目的
あれだけ姿勢変化する車体では床面のダウンフォースなんて期待できない
シャーシの前後左右に接地した跡があるくらいロールやピッチングが大きい
そもそもシャーシが軽量化と剛性のバランスを取るために穴だらけだし
実車のハコでもバンパーカットはするけどダウンフォースが目的ではなくリフトとドラッグの低減
草レース好きのチューニングショップのオヤジの戯言でした >>240
そんなに好きなら語ってないで見に行きなよ鈴鹿
金ガーとか距離ガーとか言い訳に過ぎん
本当に好きなら実物見たいのが普通
毎度そんなだからウザがられるんだよ
オーナーなら得意のウンチク聞いてくれるんじゃない?
それともレースカーでなく語ってる自分が好きなだけかな?w >>241
どっちにしろ「そのままだと確実に空気溜まってリフトはする」てのは事実ですよね?
そのうえ車重が軽いところにパワーだけは物凄く、電動のダイレクトドライブなら
大抵は後輪駆動だからリアを食わせるのに常に苦労するものだし。
トゥエルブとかプロテンみたく幅広なシャーシだとエアトンネルになるべき面積が足りなくて、
例えば細身のフォーミュラ系シャーシにスポーツプロトのボディを載せたような
例外的形態(それこそF1用を想定して作られたTRG社のロイスやMCS-IVみたいな)だとして
数値としてそんな強大に掛かるとは思えない訳ですし。
それこそリアルガキの頃にドライヤー(無論冷風w)とキッチン秤で雑に
当時のワイドF1シャーシのリアウィングでどのくらい掛かるか計測してみたら
ピアノ線ステーだから曲げて角度を弄れたから衝立みたいに立てた状態のところに
強風モードで当てても50gも掛からないって程度でしたからねぇw
当時の吊るしのタミヤF1は装備重量で1kgちょっとだから、そこで後輪側に50gあったとして
ほんのちょっとの味付けくらいにしかならないくらいは分かりましたよ。
ただ、「少なくともリフトしちゃう(アナログ秤だからそうなるとマイナス側に振れますw)よりは絶対マシ」
という点では意味はある訳ですが。
タミヤツーリングのドノーマルとかだと実際そういう荒っぽい計測したら
ホントにマイナス値が出てるかもしれませんし。
これは古い車で高速走ると、「現実的に捕まらない程度の速度」でも浮いてんのが分かるというか、
明らかに頼りないグリップ感になるみたいなもので。
>>242
実際モータースポーツジャパンくらい近い時には行くこともあるし
筑波や富士なら足も伸ばしますよ。車バイク系だけでも興味の範囲が幅広過ぎると
注ぎ込める予算なんて無限にあるわけじゃないですよ?
鈴鹿に1回行ったら「リアルで観に行く系活動」のワンシーズン分全部飛ぶくらいには逝きますから。
だから「伊勢参りみたいなもんで一度は行きたいとは思ってるけど、それをやるなら一大決心」
って話になるんです。 フォーミュラだと星野が速かったけど、Cカーだと長谷見の方が上手だったよな
タイヤがBSとDLに別れてからは星野組が勝つようになったけど
タイヤのおかげでしょ 父方の実家は鈴鹿からさほど遠くないところにあったもんですが
盆暮れの帰省を一式やったらそこでもうその年の一家の娯楽費全部吹っ飛びましたよw
そのくらい「縦横変換したら宇宙より遠い場所」への移動・滞在コストってシャレにならないのを
感覚麻痺してる人が多すぎじゃ?
>>244
カーグラの松浦賢さんのインタビューで「僕が面倒見てる中で長谷見くんが一番壊さんかったね。
彼は自分でお金の都合付けとるから。そういう人は壊さない。
エンジン壊れるいうのは大抵が壊れとるんやない。壊しとるの」って評してましたよ。
そもそもがそういうレース始めた時点のバックグラウンド的なところの違いがあるのに加えて、
津川さんが言う「ピケの車のミッション開けると全然傷んでない」に相当するような
ドライビングスタイルの素質自体の違いと、その両方に起因するんじゃないですかね。 細心なピケも、不用意なインディ500へのエントリーで足を壊してしまったよな
それが無けりゃ、まだF1に戻れたかも知れんのに。。。 ルマンも昔のつてでBMWワークスのシュニッアーから1年だけ走ってたね >>244
年齢が違うので全盛期は違うと思うが、フォーミュラーは中嶋悟の方が
遥かに速かっただろ。 >>243
> 鈴鹿に1回行ったら「リアルで観に行く系活動」のワンシーズン分全部飛ぶくらいには逝きますから。
お前どんだけ稼ぎ少ないんだよw
>>977
おぅ、出来るんならやってみ。ネット弁慶卒業すんのか。 >>251
最早定年で貯金無しの年金暮らしで金が無いのかもね 244
90年のルマン予選は長谷見さん、92年のデイトナの予選は星野さんの方がいいタイム出してたと思うので甲乙つけがたいですが私もCカーは長谷見さんの方が速かったのではないかと思ってます >>247
それでも実際にリターンマッチで翌年のインディ500に出走した時、
その鬼ブーストゆえに馬力はあるものの耐久性と燃費に難があるといわれていたメナード・ビュイックを
初めての決勝にしてはだいぶな周回数までもたせることに成功したじゃないですか。
超ドッカンゆえに扱いも難しく、インディのベテランやポールポジション獲得者ですら
うっかりすればプラクティスやオープニングラップで終わってしまいかねない代物を
まだ後遺症の残る足でコントロールして40ラップ近くまでもたせた訳ですからね。
>>251
例えば東海道線の鈍行使って現地は安宿、飯は何食ってるか分からんレベルとか
そんな昭和時代の超貧乏学生の旅行みたいな旅程を取りゃー相当予算「だけなら」圧縮出来るって言うでしょうけど
それは時間ロスが尋常じゃない上に、そこまでケチったところで距離が距離なら
「安い」と言える金額になるかってなるでしょ?
しかもそんな結果まるでホームレスかヒッピーにしか見えないようなザマのが現地に居たら
それはそれで恰好の笑いものかモータースポーツファンの面汚しって話になるんだから
最低限掛かるもんはあるんです。 >>254
ワンラップスペシャル的な走り方をする予選だと、クラッシュで大破なんて事にさえならなければ
(まあ壊し方の程度にもよるけど、メカニックに不必要な仕事を強いるレベルになると決勝に影響するし)
タイヤやパワートレイン系のライフとかは考えなくて良い走行モードになるからそこは違ってくる面もあると。
もうひとつ言えばルマンとデイトナの比較として、
ルマンはコース全長自体が13km程あるので、日本でいえば鈴鹿を2〜3周する程度には
車体もメンタルももたせないといけない。
デイトナは向こうでいうところのスーパースピードウェイオーバルで、インディアナポリスとかとほぼ同様の
2.5マイル級(約4km)。なのでそれこそ予選タイヤがあった頃の全日本F3000のタイムアタックに
より近い走行モードでいけますね。
例えばここでもしAAR陣営の助っ人にロス・チーヴァーが来るようなことがあったら
向こうは向こうでもっと凄まじいマジックを披露したかもしれません。
実際彼らはデイトナにはウィリー・T・リヴス(インディカーとかでも経験豊富な人)を招聘してますし。 おいおいあまり長文君を刺激するな、ムキになって益々長くなってるじゃないかw 文字情報や画像はあてになんない。
モータースポーツは間近で観るもんだ。
なので若い子がパドックへの侵入を色々試みるのは微笑ましいわ。 デイトナのコースって、インフィールド込みだと何kmだったっけ?
昔のことは覚えてないけどさ
24時間で使われたのはオーバル部分だけではなかったはず
オーバルだけならデイトナも後にインフィールドが追加された
インディアナポリスも2.5マイル(4km)だけど 鈴鹿、R90CK速かったなぁ
プジョーはタイヤウォーマー持ち込んで気合い入ってたのに、午後はトラブルであまり走れなくて残念
ヒストリックF1がガチ過ぎてCは脇役だったな >>259
デイトナ24時間とかオートバイのデイトナレースウィークとかの場合には
「NASCARみたいに勢いが付き過ぎないように回り込む」的な感じの作りで、
例えばスポーツランド菅生でいうところの初期形態と86年仕様(後半側のインフィールドが出来て
1コーナーに緩いシケイン的なのが出来た)くらいには違うけど、
本格的にコース前半側までインフィールドの付いた87年仕様ほどは違わないって辺りでは。
後者だと例えばインディアナポリスのF1コースみたいな感じになります。
>>258
きちんとパスを入手したりスタッフさんの許可を貰って「入らせてもらえるように努力する」のは良いけど
「侵入する」って言い方だとそれはむしろ個人的には感心しませんね。
それで事故とかトラブルとかあったら77年の富士のF1みたいなもんでイベント潰れますよ?
まあ、大雨の富士で全ての海外勢+マツダスピードに加え実はタイサンレーシングまで撤退してるという
異常事態の中で、それでも日産勝った勝ったって喜んでる神経の人達ならその程度かもしれませんが。
あの時だって「パーマーの大怪我まで含めればシーズン四度目」の何かが起きてれば
Gr.Bみたいな感じでカテゴリ吹っ飛んだかもしれませんから。 デイトナで「ミラーハイライフ」カラーのポルシェが横転したこともあったなぁ ミラーハイライフってとホルバート同様にファブカー謹製のガチ強化モノコックだったという記憶が。
しかも日本の放送でデイトナ見られるようになったのって結構ポルシェ時代末期で、
日産無双時代になるとバスビーも1台だけ中古放出されたGTP-ZXTに替えちゃいますから。
ヴァイザッハ仕様のまんまだったら死人が出てたかもしれません。 そ。要はアドバンアルファ。これの「アルファ」は当時タイサンが手掛けてたダイビング用品のブランドで、
オーナーはリッキー千葉御大その人なのでチームそのものの実態は変わってない。
完走したポルシェは日本勢まで含めてもトラストの1台しか無い。他は全部
レースに参加したなんて言えないほどの周回数で引き揚げてる。 ベロフとヴィンケルホック以外にも重大事故があったのか
ガルトナーは87年だから、後の話だったな ああそっか、
情報の少ない時代だったから2輪ファンがガードナーと取り違えたとかって話もあったような ルマン24時間でベルモンドのチームから出走した右京のクルマが炎上したのは87年かな タイサンがどうとか大間違いが書いてあるけど
頭のおかしいヤツが書いたことで みんな読んでいないと思うので
相手にしないことにした >>246
移動が面倒なら別になにもしなくていいんじゃないかな。
それじゃ足りないから数百キロ、場合によると数千キロレベルで右往左往するわけだしw 鈴鹿に来ている905はシャシナンEV14でした。本当にカッコいい。
787B-003もずいぶん回してくれるし、R91CP-03も久々に復活だし、とてもいい感じ。 どっかの雑誌が905のスペアパーツの入手方法とかのメンテ情報を取材してほしいもんだ >>275
ニスモが持ち込んでるR91CP、外装ピッカピカにレストアしたんだな
久保田氏もNPTI仕様R90CKで参加してるけど、あれってオークションに放出した個体だったような?
ノバのCKはどうしたんだろうね? >>277
どういう訳か知らないが、ユニシアR90CKはハチマキに相変わらずPLANEX CARSのロゴがある。
で、久保田さんがドライブしてる。 ル・マンクラシックでの久保田氏のコメント(レジェンドモータースVol.3より)
「まだうちにはR92CPとR90CKがあるので、2年後には3台体制で参戦したいですね!」
新オーナーから借りているとか、委託されているとかなのかな
そしてR92CPは・・・ヘリテージオンラインから消えたのはコクヨくらい? 久保田さんR92CPも持ってるのか?コクヨ号のことかなあ?
R91CP/R92CP合わせて全5台中、2台はニスモのR92CP、1台はデイトナ号、1台は行方不明のコクヨ、1台は破壊されたR91VP
となるとコクヨくらいしか考えられないが >>255
> しかもそんな結果まるでホームレスかヒッピーにしか見えないようなザマのが現地に居たら
自己紹介ありがとうw >>267
スパの予選だったかフリー走行でキヤノン956GTI(106B)をドライブしてたジョナサン・パーマーが
コースアウトしてフロントから突っ込んで足骨折してる。これがその週末の悲劇の序章。
>>274
近づいて見られる状況ならコクピットを覗けば大体の判別はつく。
全面カーボン張りなら787系(元787-001の他に「余剰のスペアモノコックがあった」との説も。
だとすれば多分旧製法で作った787用の使い残し。787Bは製法が改良されて剛性が向上してるし
予備があるなら003に使われたはず)。
アルミ製でサイドシル等の一部にカーボンの補強が当たっているのは767系。
全面アルミなら757系。
昔M2ビルにあったやつは元767系モノコックのもので、これは来歴からしてマツダの広告部門管理のはず。 >>281
だから「人前に出る時くらい身綺麗にしたりふさわしい服装をしたり考えるべき」
となれば、車中泊や安宿になったとしても一風呂浴びたり着替えたりしてから出てこれるようにと
その体制を作るべきで、ならば現地でそのために使う資金とか、必要な荷物の輸送・保管コスト
(仮にコインロッカーだとして不必要な大荷物を預けておく場所等)とか諸々が必要でしょ?
君等みたいにヘイトを本業か副業にしてでも稼げそうな事やっておきながら
迷惑撮り鉄的な連中は御仲間だからきっちり擁護するような連中とは
金の出入りのシステムから使い方まで全然違うの。 >>271
アドバンアルファとジ・アルファ間違えたレーシングオンの若手
(「グループCの時代」のポルシェ回担当した編集が「当時のことは知らない」って
編集後記で白状してた)ほどじゃねーわw
「要は実体そのものは一緒」っていうものを示す場合に
ル・マン商会か株式会社ルマンかチームルマンかの齟齬をもって大間違いとか大嘘とか言うわけ?
完全に運営組織そのものが変わっちゃって「残ってるのは名前だけ」みたいになってたり
人的にはほぼ一緒だけど一度畳んで全くの別組織として再生してるとかいう場合に
厳密を期せというなら言いたいことは分かるが。
ただし例えば
旧ラルト(トーラナック時代)→マーチ傘下時代のラルト→新ラルトとか
ブロードレイ時代のローラ(型番の頭がTの頃)と、20世紀末頃に
F1とCART、フォーミュラニッポンといった度重なる失策で経営破綻して
マーティン・ビレインが再興してからの新生ローラ(程なく型番の頭がBになる)とか、
初期ムーンクラフト(87年頃まで)→フットワークフォーミュラ(88〜90頃)
→新ムーンクラフト(91頃〜)→先頃東レに買収されて由良さんの手を離れて以降、とか
そういう全てを貴方ら厳密に区別してまでモノ言ってる?
なおそういう理由でMCS8と9はブランドネームとしては存在してたけどムンクラでは作ってない。
由良さんのお弟子でスポーツカーズを立ち上げた大橋さんが由良さんの了承のうえ、
8は由良さんの助言を得て、9は完全に独自開発で設計・生産してる。 その話はともかく、ディケンズのタイサン・ポルシェがコース外に弾き出されて全損したのは誰の責任? >>282
細かい事は判らないがシフトの横のフレーム?の所がアルミ?だったよ。 地の利があるのにJSPC勢がWSPC鈴鹿ラウンドで勝てなかったのは恥ずかしいかぎりだ
井の中の蛙 星野だの長谷見だの小河だのニスモだのトムスだのまったく、くだらない
知り尽くしてる日本のサーキットでザウバーやTWRに勝てなくて世界で通用するわけがない >>283
> だから「人前に出る時くらい身綺麗にしたりふさわしい服装をしたり考えるべき」
> となれば
お前はサーキットにタキシードでも着て行くのか?wwww
そうでないとしたら逆にお前は普段どんな格好してんだよwwww >>287
国際レースとは縁を切って内向きのレースだけやってりゃいいんだよね、国内は
そんなのは眼中に無いって人は、海外に行けば済む >>287地の利を持ってしても越えられない性能差が当時にはあったんだろうね。今考えたら89年と90年はトヨタがポール取れたのは何故なんだろうね。 >>287
マシンに性能差がもっとあった87年WECでは和田さんがポール取ったりしてますし、それなりに国内勢も検討していたのではとリアルタイムでみてない私は思うのですがそうでもないんですね >>284
ノバEgが走らせてたアルファは車のオーナーが千葉なだけでタイサンレーシングじゃないし
90年から千葉がタイサンカラーの自社メンテで走らせた車が出走し始めたからこっちからがタイサンレーシングだろ
85年にタイサンレーシングなる車なんてどのレースを走ってたんだろ?書き方を考えたら?
だから>271が怒るんだろ レイトンの赤城
エスポの伊東
フェデコの石塚
フットワークのオオハシ
ミドルブリッジは誰だったか このスレを見て最も驚いたことは、例えばアメリカのマーケティング分析なら
NASCARの方を好むであろう「トランプ支持者で全米ライフル協会会員の白人層」
にあたるような層が、日本だとGr.CやIMSA-GTPを好む場合が少なくないという事だな。
別に「トランプ支持者で全米ライフル協会の白人でNASCAR好き」が良いか悪いかではなくてな。 >>292
そういう話でいえばトラストだって初期の頃は車両の所有者だっただけで
メンテは輸入代理店たるノバEngがやってたけど、「だからこれも実体はノバであって
トラストのチームではない」って話になる?
同じタイサンの場合でいえばGr.A用のGT-Rも5500万円のカスタマー仕様を
エンジン(これは他のほとんどのカスタマー仕様ユーザー同様RENIKのパッケージ契約)以外は
自社メンテで運用していた時期と、戦闘力差に疑問を感じてニスモのフルパッケージで参戦した時期があって、
前者の時期の車両は後にタイのレーシングチームに供与されて
SINGHAビールやパナソニックに加えタイサンもスポンサーとして加わる
(技術支援も行ったかは不明)形で東南アジア選手権やマカオグランプリ等で活躍した後に
再び後年千葉氏の手元に戻ってレストアされ、近年まで氏の手元で所蔵されていたBNR32-91-001であるとされ
(https://jota-garage.com/stock/st5/stptaisangtr.html)、
後者の時期の車両が座間の日産ヘリテッジに所蔵されているもの、といわれる。
この場合に後者がエントリー名義はニスモ、車名が「タイサンGT-R」という扱いになる?
車両を買ったか借りたかは案外関係無くてエントリー名義がタイサンレーシング、
メンテナンスガレージ名がエントリーリストやリザルトに載る場合に、それがニスモと記される場合があるだけでしょ? >>293
中内康児さんじゃなかったっけ
本業は印刷屋って言い張ってたような こういうのは全日本F3000でもエントリー名義はチーム何某、車名は(スポンサー)/車種
それでメンテナンスガレージが表記される場合にアストニッシュとかクエストとかニスモ(91〜92年の鈴木利男車)
とかいう具合になる。
確か93年のカプコンが石川朗車がチームルマン、和田久車がハギワラレーシングメンテだったと思うけど
エントリー名義は2台ともカプコンレーシングなのよ。所有者は知らんけどね。
同じように92年のステラが、ラッツェンのローラはステラ自社メンテだけど
ギルバート・スコットの車(第1戦ローラT90、第4戦の鈴鹿の事故で全損するまでレイナード、以降ローラ)の方は
作業キャパの関係でR&Dに外注してたなんてのも意外と知られて無いが事実。
そんな訳なので、2台ともローラT92になった後は一見すると「ローラのノーズコーンにレイナードのフロントウィングを流用」
という全く同じモディファイが施されているように見えたけど、
実は片方はよりノーズコーンへの嵌まりが良くなるように作り直されたコピー品だったとかいうように
単にドライバーの好みでセッティング違えてるとかいうのとは違うレベルの差異がある。
そういうわけで確認だけど、千葉さんとこのアドバンカラーの車もトラストの車も2代目フロムエーも
3台揃ってエントリーリストに載ってるエントリー名義が「ノバ・エンジニアリング」だったの?違うでしょ?
時系列的には、正確な始期/終期は不明だけど
日本上陸1号車を導入したトラストが自社メンテに移行した辺りで千葉さんとこが1台目の「自己所有」の956導入して
(実はこの前にプレストン・ヘンか誰かの956に第2回WECinJAPANで国さんが乗ることになって、スポンサーとしてだけ付いた事がある)、
その車両がノバメンテ。
小口千景さんの購入した初代フロムエー(確かプレストン・ヘンの中古車。ごく短期間で大破して残骸をトラストに譲渡)に代わって出てきた
二代目フロムエーからがノバの自前車両じゃない? >>297
ダイエーの創業家の御曹司といわれてるのにただの印刷屋ってこともないだろうと
そこはちょっと不思議に思わなくはないのだが。
郷和道さんみたいなもんで(これはおそらくヒロ松下さんも)実家の家業の株は持ってるとか
そういうくらいはあったんでないかな。
実際ブラバムの運営だけじゃなくて馬主もやってたとか、
その他にイギリスの自動車メーカーのリライアント(トップギアに出てくるあの三輪乗用車の他に
少量生産スポーツカーとかやってた会社)の経営にまで首突っ込んでたなんてほど手広くやるのを
印刷業だけだったらそれこそDNPか凸版印刷かとかそのレベルの誰でも知ってるクラスの大手じゃなきゃ難しい。
千葉さんとこのタイサンだって電磁ポンプとかの分野ではトップレベルで、その業界では誰でも知ってる規模。
モータースポーツでも国産のクールスーツ用システムには大抵あそこの部品使ってるっていうんだから。 >>295
そういう層って日本ではグラチャン好きな輩だと思うよ。当時Gr.Cは伝統的なヨーロッパのメーカーに憧れつつ国内勢がどこまで通用するかという雰囲気だったかなぁ。IMSAなんて通()じゃなきゃ知らなかったし。 >>291
当時は数十分で済む予選なら地の利を生かした国内勢がフルブーストで一矢報いる(目立つ)事は出来たんだけど、決勝になると燃費やら耐久性で海外勢には勝負にならなかったという事です。
ただし国内勢でもポルシェを使ってたチームはかなり健闘してましたね。 500kmの場合は1000kmの510リッターの半分の255リッターでやるはずが、「国内の事情」で275リッターみたいなこともあった
結局、底の部分を負担してるのが日本のメーカーだからどうしてもルールが曲がってしまうんだよな
海外勢は精々マシンやドライバーを持ち込む程度でしかないが、そんなんじゃ日本メーカー側の負担とは比べようもないし >>300
それがメインレースのスポーツプロトタイプの方のグラチャン見に来てる方の人なのか
サポートイベントのスーパーシルエットとかTSとかだけ見て帰っちゃう方の人なのかという問題がw
IMSAは何故かSA22CやS130Zをドレスアップする人の一部に熱烈に流行っていたという…。
まあZ32やFC3Sでやっちゃったって話は聞いたこと無いですね。構造的に無理なレベルだしw
アメリカでも実はデイトナ24時間は意外と入りが悪かったとかで、ニスモが勝った92年も
結構空席が目立ったと。まあ「NASCARの聖地(かつデイトナバイクウィークみたいな一大祭典も)」
としてハコ自体が最大それだけの観客収容数を確保出来ちゃうキャパだったせいで
「それなりにステイタスは高いものの、流石にそこまでの集客力は無いレース」となると
満員にはならないから当然にして空席は出るし、24時間付き合い切れるお客さんがどんだけ居るとか
要はそういう問題だったのかも。
あと86年の中嶋さんの幻のポールとか87年の和田さんの「本物のポール」とか、
各々で使われたエンジンは燃費規制の無いアメリカラウンドのIMSA-GTPでは
実際に成功を収めるに至ってますね。
日産のVG30の方はエレクトラモーティヴからの逆輸入だった
(まあ日本側の運用からのフィードバックはあったにせよ)のに対して
トヨタの3S-GTは日本のTRD主導で進めていってたプロジェクトだったはずで、
実際GTPの初動の頃には車体もイーグルがいまいち良くないということで88Cを供与して
向こうでモディファイして使ったりもしてますね。
その後イーグルが良くなっていった基礎の段階では彼らが88Cから得たものもあったのかも。
なおマツダは2ローター時代に既に向こうのユーザー達がある程度弄れるようになっていたことから
市販車用よりローターの数が増えていったり設計自体が新しくなっていった段になってからは
それに伴う技術指導をしていく形での支援をしていた、とのことです。
その結果が今マツダアメリカやコレクターの手元にあるマシンが現地でメンテもレストアも出来ちゃうって成果ですね。 リアルなCカー世代なら普通に常識なので聞く必要がない。
知らない世代なら本筋以外の枝葉末節だけ延々と聞かされても面白くない。
誰も喜んでないのに思いついた話を思いついた順に嬉々として長々と語るwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています