【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 61laps
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あの頃のF1って良かったよね
・セナvsプロストvsピケvsマンセル
・ターボから自然吸気へ
・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
∧_∧ ※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
(´・ω・) 他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
(__) スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 60laps
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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured 自分はいまだに90年が最高のシーズンだと思ってる派なんだが、
あのポルトガルGPは、赤旗フィニッシュがなかったらメキシコやフランス並みのベストレースになったと思ってる
そこで聞きたいんだが、あのままラストまでレースが続いたら、勝者は誰だったと思う??
プロストは勝利できたか?少なくともセナを攻略できたか?
皆の考えを聞かせて アゴが初優勝した92スパ
残り2周のラソースで5位のハッキネンに追いついたセナがオールージュの谷底で刺そうとしたがハッキネンばブロック
自重したセナを見てハッキネンすげーと思った んで自分は録画残しているけど、見ていない人用に動画ないかな、って探したらデイリーモーションに国際映像があった
ところがこの国際映像、フジで放映されたものと角度が違って迫力イマイチ
それでも初めてみたので新鮮だったけど >>599
マンセルがプロストに譲るとは思えないので下手したら同士討ちだったかも 90年ポルトガルは赤旗中断→レース終了で、トップ走行だったマンセルがそのまま優勝したレースか。
優勝したマンセルは優勝して嬉しかったから、「赤旗中断になったときにレースを終了させた判断は正しい」と
発言していたね。 私、1987年から現在までの予選と決勝を録画してるけど、90年の後半8戦〜91年の前半5戦は
録画してないのだよね。90年後半は大学の研究ゼミで、91年前半は就職直後だから色々と多忙だったからな。
当時はF1を観る(録画する)余裕なかったのか。
残念。 3連書き込みスマン。視聴できなかったF1だけど当時、レンタルビデオ屋でVHSテープを借りてダイジェスト版を観ました。
VHSテープに2戦が収録されていたかな。 >>601
チャンプになるくらいのドライバーならばそれくらいは当然なんだろうな。
未勝利ドライバーでもチャンピョン経験者に「そう簡単には抜かせないよ」的なアピールは必要。 同じ土俵で戦ってる以上は萎縮してたら一生追い抜けないもんな。
引き合いに出すのもなんだが、ピケと組んでたモレノはそういう気概がなかったから
ベネトンはクビを切ったんだそうな。 >>597
フェラーリがアルヌーを契約解除しようとしたが全く応じず、仕方なく継続することになったけど、
ポルシェはベロフがフェラーリに乗るのは決定事項だと思ってたから早々にワークス解除を決めちゃった。
アルヌーはその後ピッチニーニの奥さんと不倫して解雇されるけど、口止め料として合計1年分のギャラを支払ったために
結局ベロフを引き抜くことができなかった。 >>597
前日にはジョナサン・パーマーが同じオー・ルージュで事故って956GTIの1個目のモノコックを
全損にしたうえ骨折してるのだけど、
これはモノコックの差(ベロフのブルンは確か純正モノコックで、GTIはアルミハニカム製の強化品)
なのか、2台分の衝撃をまともに食らっちゃったせいなのかと。
モスポートでのヴィンケルホック兄のも動画見ると酷い。
駆け寄るマーシャルが車ん中見る前にバッテン出してるくらいの状況。
それでも即死じゃなく翌日まで持ちこたえたそうである。 >>609
フランクウイリアムズも嫌いそうなタイプだな
初めからポチでやる気ないからシューに奪われる。 サーキットの引田天功、ヴィンケルホックも死んじゃうんだから当時のレースは恐ろしい 当時は大きなクラッシュで死ぬことが普通にあるからね…
上の方の書き込みで、最近は接触ギリギリのバトルが無いとの書き込みがあったけど、この当時の方が接触ギリギリのバトルをドライバーが自主的に避けてたよね。
セナがギリギリの突っ込みをしていたのは、そうすれば相手が接触を避けるために引いてくれる、というのを悪用していただけでさ。 >>612
ピケにしても、そんなモレノの態度もあって危機感や真剣さを首脳陣は感じなかったんだそうな。
良く見れば同郷の美しき師弟愛なんだけど、タイトルを狙うチームでは馴れ合いのマイナス要素だったんだろうね。 ヒルは93フランスで初PP取ってからプロストにガチ勝負仕掛けるようになった。いつまでも下僕のままでいる気はない、と。 >>615
ピケはネルソン・ピケJrの時も見て分かる通り息子の類には甘々の親バカだよ
レーサーとしてはほぼほぼ完璧だけど >>610
スレチだが
ジャッキーイスクって偉大なドライバーだが意地悪し過ぎたのか人気ないね。 イクスが不必要なリスクを冒さないようになった理由のひとつには
同郷の先輩であるウィリー・メレスの悲劇的な死も原因のひとつであると言われておりまして。
ル・マン式スタートでみんなシートベルトやドアをいいかげんに扱っていたのが当たり前の時代に
オープニングラップのクラッシュでドアが外れたのが原因でクラッシュ、頭部を強打して
再起不能の重傷を負い、処方された睡眠薬を誤って過剰摂取したのか薬物自殺なのか
今なお不明の謎の死を遂げている、というわけです。
イクスがルマン式スタートでテクテク歩いた、というのはこの一件がきっかけ。
「一番遅く走って優勝することが最も素晴らしい勝ち方」っていう発言が
この一件の前か後かは分からないけど、その発言に現れるような「見てて面白い走りじゃない」
っていうのも不人気の原因かも。 >>618
地味だから‥フォーミュラ系で目立った成績残して無い事も有る。
(ただ欧では”人気無い”って事は無いで) >>621
イクスはF1では1970年に総合2位になったことがある。
この年は、ヨッヘン・リントが事故死した後でチャンピオンになった。 ベルギー国内では歴代最高のレーサーはブーツェンじゃなくてイクスなんかね
イギリス辺りは世代でかなり意見が割れそうだが自分は普通にマンセル >>632
イギリスだとデーター上で歴代最高はハミルトンだろw
まあF1の母国だけあってチャンピオン数多だから
思い入れで意見が割れるのは仕方ない
ベルギーだとイクスでFA
むしろブーツェンがイクスを上回ってる部分あれば知りたい かのPF先生とかはどうなんだろ。
あと件のウィリー・メレスも、イクスがその事故にひどくショックを受けたというほどなので
当時ベルギーでは屈指のドライバーだったとみられる。 しっかしフランク・ダーニーの作ったマシンの酷さと来たら…
ピケ、ワーウィックといった偉大なドライバーのキャリアに泥を塗った不格好だし ↑御免、地味なんで知ってはいるけど書き忘れとったわ、3〜4年目頃か、イクスは。
まあベルギーはイクスやろね、やっぱり。
PFさんは「プロのレーサー選んでたら、ワールドチャンピオンも夢ではなかった。」とかは雑誌、専門誌
(英ジャーナリストの)で読んだり、誰だったか写真家の話とかTVで言ってた事がある様な気が‥。
87年鈴鹿で見た時「この人がPFか。」、他に現役ドライバーが何人も行き来してるの気にもとめず。
※昔、天候不順で出走しなかったレースで、目の前で書いてプレゼントして貰ったHEUERのストップウォッチ‥
どこいったか探してみるか‥サイン主はJ・イクス。 >>624
イギリスなら世代によって違うというのもある
年寄りならジム・クラークが一番じゃないか。 >>629
でもサッカーのようにイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドで
意見が分かれるのも向こうだとありえそう。
クラークやスチュワートはスコットランドだし 今リカルド・パトレーゼ物語の海外オリジナル版を見てたらカートか下位フォーミュラで勝った時の表彰式で前妻のスージーらしきレースクィーンが笑
元スージー・パトレーゼってそういう馴れ初めあったんだな 90年の対マンセルを振り返ると予選は互角
決勝のレースペースや展開は圧倒的にプロストの方が上だった
プロストが傑出したレース巧者というのは確かだけど、戦略家としての面ばかりに注目して、セナに匹敵する速さを持ってた豪傑であるということを評価しないのはフェアじゃない チームメイト時代を比較せず、マンセル持ち出している時点でフェアじゃない >>574
最近はちょっと接触するとペナルティ対象だからね… >>582
ブランドルはカテゴリーが上がる毎に「一発の速さ」が欠けていった印象。
今のドラに置き換えると予選ではフェルスタッペンに敵わないけど抜けるし勝てるリカルド的な。
で、リカルドよりは華にも欠けてたけど。 そんな地味なブランドルをいじるが大好きだった古舘
●普通のおじさんの意
「走る新橋のサラリーマン」「F1公務員」
●セカンドドライバーの意
「助教授ドライバー」「万年副操縦士」 古舘はセナ以外のドライバーを全員いじっていたよね。 >>639
無香料の整髪料(派手さはないがビシッと決める)というのもあったが、それはありだと思った 誰か詳しい人
ホンダV12についてマクラーレンのスタッフがあのエンジンは止めるとすぐ回転が止まった。翌年のフォードはすぐ止まらなかった。内部抵抗が少ないからだという。だからホンダV12はまだ成長の余地があったみたいに書いてあった。
そもそもV8とV12では機械的な抵抗が違うだろうから一概に言えないんじゃないのかな?どうなんだろう フォードエンジンはエンジンを止めても、しばらくの間はピストンが上下してるってこと? >>631
スージーと別れたんだっけ?リカルド
スージーとの間に確か双子姉妹と年の離れた息子だったっけ
うろ覚えでスマソ 645 そう
647 雑誌にそう書いてある ホンダの特集の…分かり次第書きますね
確かにあのエンジンはストンと落ちたと マクラーレンのスタッフのコメントだけに信憑性があるしエンジンがわからない人のコメントでもあると思う。 フォードはクランクケース内圧を下げてポンピングロスを減らしていたってこったろ。 ベルギーGPと言えば92年だな
セナがスリックで賭けに出て、マンセルがタイヤ交換躊躇して
シューマッハが初優勝 ホンダのRA109E,100Eは重量以外にも燃費も問題だったとの証言でガッカリした。
あとスティーブニコルスが初めてV10のエンジンにスターターかましたとき頭吹っ飛ぶかと言ってたのは面白かった。
フェラーリのスタッフ連中もV12に初めてかましたときも強烈だったのかしらね。 >>651
途中まではブランドルの方が速くてブチ抜かれたんだけどな
逆に好機に転じてしまった
ブランドル本当に持って無いわ >>646
別れたよ
ベアトリーチェとマダレーナだったと思う ティレルは発想やイマジネーションはあっても、ディテールや製品管理がダメというイメージ。マクラーレンとは真逆のチームだよね >>655
94年のホッケンハイムも、廃棄するはずのスロットルワイヤーを右京車に付けてしまい、表彰台を失う始末。 >>653
本当に。
あれはブランドル優勝でもおかしくなかった >>655
「94年のモンツァも、ちょっと悔しかったな。あの時は3位争いをしてたんだよ。3位になったハッキネンを2回も抜いてね。
で、ピットストップで40秒ロスしたのを取り返して、3位のハッキネンをもう1回抜き返した。なのに36個納入された
ブレーキのディスクのうちのたった3つだけ問題があって…残り8周でディスクがバラバラに割れて、ブレーキがなくなって
クラッシュですから…。
スペインではマーク(ブランデル)が3位に入って表彰台に上がったときに、オレは彼より1周2秒速いペースで走っていたのに
途中でエンジンが壊れた。ベルギーでは後ろからスタートして、毎周1〜2台抜きながら10周目にトップ10に入ったと思ったら
エンジンブロー。ホッケンハイムの時なんて2位を走っていながら、エンジニアがネジを締め忘れたっていうくだらない理由で
スロットルがスタックして、パー。まあレースだからしょうがないんだけど、ね。うーん、F1に比べて山はいいなあ(笑)」
By片山右京 ↑まあ他のカテゴリーで実績じゅうぶんでも
F-1では”才能たっぷり運は無し”で語られる方も居るわけですし、しょうがないわね。
(でも、自然も怖いもんでして‥ね) 右京さんそんな惜しいことあったんですね。
昔のことすぎて覚えてないけど
暇で時間のあるときに調べてみようと思いますw ニコが言ってたけど、トップチームに入れるようにするのも才能のうち、だってのが
よくわかる。 >>653
あの周お試しでピットインする予定だったんだよね
ミハエルのミスとはいえ、前に出ちゃったが故に… ちょいとスレ違いになってるが94年ヨーロッパでは右京のミスで表彰台のチャンス逃してるけどなw
スタートでエンストしなかったら面白かったのに >>652
爆発タイミングとかそういうことによる音質の違いとかの話だったら
V12はランボルギーニがそうであるように案外シルキーで驚くような音や振動じゃない可能性。 94年の右京はヒリヒリする
ポストレスウェイト博士が、マシンの限界を超えたドライブをするなと嗜めたそうだが
ほんとその通り CM開けでグリーンゾーンにいる右京にどんだけ失望したことかw
まぁF1中継始まってから30数年、一番ワクワクさせてくれたのはあの年の右京であることには変わりがないが
(琢磨や可夢偉が表彰台に上ったシーズンはチームメイトにやられてて萎えたって言うので評価が落ちる) ドイツのスタートダッシュとか、うわ!すげぇ!ってテレビの前で声を上げちゃったよ。
後にも先にもあんなに瞬発的に興奮した日本人ドライバーは右京だけ。 94の右京にはほんとうにワクワクさせられたね。
連続予選5位とか。 >>666
自身の癌誤診と姉の死という神風ブーストだから 右京に何回も追い抜かれたハッキネンが、あいつ一体何なんだと叫んだエピソードが痛快だな 話は少し変わるけど、中嶋さんはロータスの3年間はエース一極集中体勢のロータスで色々苦しんだわけだが、90〜91年のティレルではアレジもしくはモデナと待遇差とかあったんだろうか? 特に無いだろ
アレジは89フランス、モデナはモナコ表彰台とかポイントは既にゲットしてたが、実績は中嶋と似たり寄ったりと言えるしな
ただアラフォー中嶋は、腕力とかフィジカル面の差あるのに若手と同じマシン与えられて、悪戦苦闘したのが一番だろう >>667
あの年のティレルは見た目も爽やかで速くてよく壊れたなぁ。。 確か完走3回くらいだったよなぁと思って調べたら完走4回入賞3回7位1回だったw >>675
完走4回で残りはリタイアだけど、誰かを巻き込む事故は起こしてないと思った。 >>668
スレ違いだけど琢磨が予選2位になったときは凄いと感じた。 >>676
「SATOはアマチュア」と見当違いな事言ったやつに巻き込まれた事故ならあったな ティレルは何となく、お金がないとき良い車を作るな。018、019、022とか 020も何故か金のある時に駄目で金の無いどん底でマシになるという。 020Bがイルモア(とグッドイヤー)でかなり良かった事を考えれば、
020がHB(とグッドイヤー)だったら面白かっただろうね。 >>684
金のない状態でもそこそこの車を作るポストレスウェイトはさすがだな >>684
そりゃ面白い
当時HBは将来性のないエンジンだと思っていたけどねw そうだったかなぁ
同じフォードでもDFRは終焉のエンジンて感じだったけど、HBはワークスからカスタマーまで使い勝手のいいエンジンという印象だった気が。
ポストレスウェイトもHBを積んでほしかったって言ってたぐらいだし。 ジョーダン191とかロータス107とかMP4/8とかみんなそこそこいい走りをしてたイメージ 3リッターになった途端、コスワースはだめになったな >>681
キャビンマネーとワークスエンジンが来て、しかもフィリップモリスからの支援も継続されてたというから
財政的にはむしろ93年はマシになってたんでね?
3年目なうえにモノコックは大半が91〜92年の使い回しでマトモに走ったら本来おかしいのだが
ローラ・フェラーリとか021と比べた場合にどう評価したらよいかという非常に難しい評価軸も存在する。 >>689
あれは二人三脚で開発をしていたベネトンと離れた影響が大きいんじゃないかな。
トップチームお抱えで開発できるのはエンジンメーカーとしてもメリットが大きいと思うし。 >>692
名古屋グランパスみたいなカラーリングだな >>692
某雑誌に「全温度チア―の化け物」とこき下ろされたのがツボった >>692
当時は、このようなカラーリングは他チームにはなかったよね。 ホンダV10はパワーと信頼性を追求したらあの大きさと重さになった。クソ重いがパワーバンドは広いしトップパワーもある。
話は飛んで2015年からのホンダV6はマクラーレンがエンジンのレイアウトさえ口出ししていたという。制約だらけのエンジン。
レッドブルはホンダがエンジンは決めろ。あとは何とかするというスタンスらしい。楽しみじゃないか。重いがパワフルなホンダエンジン! 昔のホンダV6ターボもマクラーレンからの依頼でクラッチ小径化とかやってるけどな。 >>696
今の時代重いけどパワフルとか無理だし
重い時点であほ
さらにいえばパワフルなエンジンとか無理だし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています