【F1】1994〜2000年のF1 7
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>>174
タイヤ交換の件で、編集後記でインタビューした右京にそのことを話したら
「環境って人を変えるからね」って一言に感じ入ったって書いてあったけど
サラリーマンやってても本当にそれは思う。 >>176
サンキュー カルロキティさんかな。スバルF1のときにもコラボしたw しかしパワーはあまり出ていなかった気がするなw 一応予算内で作ったよみたいなw >>174
空港のロビーに有ったのを探し出してスペアカーとして登録したんじゃなかったか???
で、本戦用のをリメイクしたとか
あの当時の帰国ではアロウズ撤退の際の最後のマシンが三台完成しててスペアパーツがゴロゴロ有ったとかで
どこかが買い取るには都合はいいみたいだった
資金はかなり注ぎ込んでたんだろうなとTWRレーシング
ミナルディも傘下でリジェも傘下だったよな、確か
あぐりとトムヲーキンショーってなんか因果関係あったっけ?仕返しをして金を巻き上げたとかなんとか?
ただ、SSなる組織では金を根こそぎ取られたがこの事件とウォー近ショーをは関係はあるのかね?
T-マイナスとかのマリク王子とか詐欺のような展開が多かったけど 今ではウォーキンショーの息子を自分のチームで使うほどだからな 亜久里が個人の夢を果たした
ARTAプロジェクトも、立ち上げた当初はARTAF1プロジェクトって名前だった 立ち上げ迄に
あやしぃディレクシブの話とか色々二転三転してるんだよね
幸か不幸かホント様々な偶然が重なった結果 スーパーアグリ以前に第3期ホンダ自体が相当gdgdだったから結末は予想できた 中嶋(+虎之介)がティレルの経営に参画しゆくゆくはティレルを引き継ぐという話があったが
BARが買収しちゃってお流れになった
BARが買ってなかったらナカジマF1チームが誕生したのだろうか 虎は結局速かったのか遅かったのかわからないまま消えたな。 チーム売りに出すけど買う?
って聞かれたけど、とても用意できる額では無かったって
参戦枠があったから価値自体は高騰してたんじゃないかな?BATも参戦枠目当てだし
中嶋が役員になった当初は絵に描いた餅みたいな中・長期計画があったんだよね、ティレル2000とか言う
ヨーロピアンエヴィテーション(ストッダートの会社)の敷地に風洞とファクトリー作るとか言う計画
死期を予期したかの様にチーム売却したよね GP CARストーリー発売までもう少しだな。B194楽しみだ。
あとアロウズA18で実走可能な車はあるのかな。昔のホンダF1はよく走るがヤマハはあまり見ない気がする。 無限と組んでも金の出所は結果ホンダだからなぁ
だからホンダに伺い立てないと動けんし
>>198
ホンダは自分の所で動態保存してるからね
ヤマハはシャシー迄持ってないんじゃない? ありえそうですね
シャーシー代金をウォーキンショーに吹っ掛けられて断ってそうだ 2000年にホンダがBARに、ジョーダンが無限ホンダだったときに
HONDAのスタッフが「基本無限さんにはノータッチなんですよこっちは」と
言ってた記事みたのが印象的だった。
同じ栃木研究所で造られたのにね、2年後博俊が逮捕。 >>198
B194本では、TCSのことをどのくらい突っ込んで書くのか非常に興味ある。
もう20年以上前なんだしいいじゃん、使ってたよ!それがなにか?になるかな。 >>203
「option13」なるワードが出てくるかね〜
これまでに日本の書籍でoption13が出てきた事あったかな? >>193
が、テイレル音体はスタツフ丸ごと引き受けてくれという話だったが
確か買い取られた後、それが守られなかったんだよね?
ティレルのチームはそのまま残るしかなくどこかに買い取られるのを待っていて
ホンダが白いF1を製作してハーベイポストレスウェイトはこのチームを使って欲しいと
アピールしたが何故かホンダはそのチームを引き受けなかった
自分のチームを作ろうとしたのかね
その割にしてはBARとも不仲だし上手く行ってるところなんてホンダには無いというか >>205
アメホンの反対でワークス参戦はポシャった
川本氏はその辺判ってて参戦発表を社長辞める前に強行したのかもね
次の社長は穏健派だった
BARとコミュニケーション取れ始めた時にジョーダンへのワークス供給が決定して技術流出を警戒された
ちなジョーダンへの供給も川本氏の独断って話w
そう言えばヤマハってブラバムとやってた時に国内テストしてたんだけど
その時のシャシーはどうしたんだろうな 川喜多本によると、ホンダの利益は北米からのがほとんどだから
アメホンからf1フルワークスは潰されたってな >>206
これか
https://blogs.yahoo.co.jp/bou_ck/12655997.html
>ヤマハは彼らから旧型マシンのBT58を購入すると、エンジン開発のためのデータ収集にこれを利用し始めた。
>ヤマハの求めに応じて改造が施されたマシンがBT58Yである。主な改修点はエンジンの変更と、それに伴うカウルの新規製作程度である。
>そのエンジンは89年にヤマハがF1に投入した3.5リッターV8のヤマハOX88であったが、多少は信頼性が上向いたシーズン終盤の仕様を
>ベースにボッシュ製の燃料噴射装置などを装備したもので、大幅改良型と言えるものだった。
>OX88のバンク角は75度であったため、バンク角90度のジャッドCVを搭載するBT58にはすぐに搭載できず、
>エンジンカウルが干渉してしまうためにカウルを作り直さなければならなかったのである。
さすがにタダではもらえなかったんだな あの当時のブラバムは金欠でぴーぴー言ってたら
ハービーブラッシュが着任して始めにやった事は
机の書類の山からゼニの種を漁る事だったらしい
それで放置されてたヤマハからの手紙を発掘したんだけどねw
>>209
F1やられてもアメホンにはうまみがないからね
宣伝効果も薄そうだし >>211
ヤマハからの手紙は何年かな?
ウィリアムズホンダ全盛のあとだよね。
ヤマハは自信あったんだね? >>211
手紙発掘したのは89年の年末、投函したのはいつか判らんけど
ザクスピードと切れるのが決定してから色んなコンストラクターに手紙送ったんじゃなかとも思われる
発掘後に速攻連絡取って「供給先はまだ決まってない」って事で交渉開始 GPカーストーリーのベネトンB194号は6/7発売か。
灰色エピソードの多さもさることながら、単純にカラーリングが好きなので写真集として楽しみだ。 94年のモナコの予選はシューマッハが最速なのに何度もタイム更新してたな(´・ω・`) あの時は本当にそんな感じだったね
ハッキネン来るか!とおもったら1秒広げられて凹んだ記憶がある トラコンの威力をまざまざと見せつけられた予選だったな。 >>218
option13はいつまで使えてたの? そう考えると扱いづらい初期型FW16でよくセナはトラコンB194の前を走ってたな。 ブラジルとか無茶苦茶だよ
あんなフラフラしながら凄いペースだった >>214
星野さんがインタで言ってたけど、出来が良いワークスはマクラーレン、フェラーリなんだと
セミワークスがウイリアムズ
その下がベネトンB194だなという位に部品の完成度や出来が違うんだって
確かに、B194を今見ると本当にボロボロなんだよね、しかも出来が悪いというか
カーボンとか崩れてるし、金が掛かってないなと感じる出来 チョンマゲMP4/10も細部の作りは無茶苦茶丁寧と川井ちゃんが言ってたしな
反対にMP4-16の仕上げの荒さを見て津川哲夫がびっくりしたらしい >>223
シューマッハに特化したマシン造りにせざるを得ない
セカンドドライバーまで手が回らないところとか
一括りに4強といってもベネトンはランクが下がるわな ヒルやクルサードからすると、あのセンシティブなFW16を駆るセナは信じられないほど勇敢だったそうな。
実際に乗ってたドライバーの目線は説得力があるな。 >>225
そう、だから風洞も1/1だったかを導入したりと98年ごろからだっけ?
ロッコベネトンが色々と動いてくれて金掛けるようになったんだよね確か
ベネトンが無くなってなんか寂しいな V10以外は勝てないと思われた時代にV8で勝つんだから凄いや >>227
正直ブリアトーレが指揮してた頃のルノーはベネトンとなんら変わらないと思ってる >>226
ブラジルの予選でヒルはびっくりしたらしいな
コーナーでとにかく吹っ飛ばされそうなバランスだったらしいし。
個人的には英田でのセナのポールがすごすぎると思った。 意外に出来が良いのがザウバーなんだよね
トップチームでもやらん様な所までキッチリ作り込んでくるらい
>>229
規則や雰囲気は厳しくなったそうだよ
チームウエアまま飲みに行ったメカニッククビになったし
ピット内にガンガンロック鳴らしていたのも止めてしまった >>230
英田でルノースポーツの予想PPタイムを超えて来たのはセナ、シューマッハ、ヒルの3人だけだった。
3人ともワールドチャンピオンなのは興味深い。 エンストンはリチャーズがフォードにチームを売ろうとして
ベネトンファミリーから解任されていたな
あの時代の動きは今からみたら面白いよね 2000年に向かって自動車メーカー参入の時代
マクラーレン チームの株式の40%をダイムラークライスラーに売り渡す
ベネトン ルノーに200億円でチーム売却
スチュワート フォードに100億円でチーム売却
チーム名をジャガーとし、ジャガーには
F1参戦を事後通告 その後自社はインドに
ランドローバーとまとめて売られる
>>219
イギリスGPまで
ドイツGPにOPTION13のリリースされたから >>236
そんなに長く使ってたのか!
8勝中6勝かよ
もっと早く発覚してるのかと思ってた 当時は浪人中で見られる情報も制限されててB194のTCSについては何で触れられてたのかあまり記憶がない
B194のTCSは日本ではどのように報道されてた?
いや当時日本にいたんだけどさ 俺も記憶にないなあ。
当時F1関係の雑誌も目を通してたはずなんだけど、そのへんの印象がない。
とにかく衝撃的な一年だったから、そこは忘れちゃったのか
あんまり目にすることがなかったのか。
1994年の細かい情報は、インターネット時代になってから補完したことが多いな。 あの炎上は衝撃的だったな。
もう94年は色んな意味で混乱の一年だった。 カタロニアのタイヤシケインを見た時はああ(F1は)終わったなwと思ったね ラッツェンバーガー横死の時点でサンマリノ含め残り全戦中止ぐらいの
大鉈を振るってほしかったぜ >>243
そしたらセナは今頃何してただろうか。
ミハエルみたいにレース以外でだめになるケースはあまりない? >>244
次戦モナコGPでヴェンドリンガーみたいにクラッシュして死んでたのでは
人の運命はそうたやすく変わるものではない B195にはルノーエンジンが付くんだが、ホイールベースとか変更されてるのかね?
車高が上がる装置とかはB194までなのかね
トラコンとかABSとかも付いてるとかか? 1994年はベネトンがレースそのものを欠場抗議するっていう話もあった
セナは事故がなかったら政治家に転身してたかもな、セナビルとかあったし ステアリングアームが折れたのが別のコーナーだったら
サスペンションアームがあと数センチズレてれば
ベルの新型ヘルメットを使っていなかったら セナ、シューマッハ、ハッキネン、アロンソ、ハミルトン、ベッテル。
これらが複数回チャンピオン。セナ対シューマッハが長く続いたならばこの後の世代にも影響しただろうな。 少なくともデーモン・ヒルはチャンピオン取れなかっただろうし、
ジャックはF1に乗れなかったと思う。 95年のウイリアムズはセナとフレンツェンになったかな? セナはタイトル獲得有無に関わらず94年乗り切るのが限界ぽい。ラッツェンの事故がなければ別として。 セナもシューマッハもF1から目を一瞬逸らして別の道を歩もうとした矢先に事故死や脳死だったからな
この2人F1に愛されてF1に縛られ続けた人生だった あれだけ頭の回るセナがウィリアムズのポンコツ戦略にどういう反応を見せるのかは見たかった
上記も踏まえてセナ×ウィリアムズはもって95年一杯だったと思う 95年のFW17はヒルが乗ってもシューマッハより確実に速い車だった。セナが乗ったなら、シューマッハに予選で1秒は差を付けたのではなかろうか。見たかった。 個人的に95年の興ざめポイントはそこだったな。
本来戦力は圧倒的なのに、なにチンタラ走ってんだよって思いながら見てた。
シューマッハのハンデ戦みたいでつまんなかったよ。 一番駄目なのはハッキネンだな
なんかピリっとしない走りで完走もポイントも取れない日々が続いても覇気が無い
これが本とのハキ無ンだったがMP4/12で上向いたというか勝たせて貰えたのが本当の所だろうね
アゲアゲをして貰わないとF-1界は居られないからね
バックトゥーバックをしてさあこれからと思ったら引退したりと手塩に掛けたロンの髪の毛を最後に
奪い取った奴
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| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`)ロンデニスです宜しくお願いします
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(γ /:::::::
し \:::
\ ほう、この車からMP4-12と表記するようになったんだね。4/11から4-12ね。イギリスとルクセンブルクをトップ快走中にエンジントラブルでリタイアしてますね。最終戦はクルサードに助けてもらった感ありますね。 >>256 興味深いね。セナが別の道に進もうとしていたなんて。ただお付きの人間までいたから簡単には辞められないはずだよ。 >>258
だね!ハンガリー1-2で若干盛り返したけど。
セナが載ってたらチャンプだったんじゃね? 肝心な所で油圧が逝く車だったから誰が乗ってもシーズンメイクは厳しかったかもしれない
円熟の87プロストも限界TAGじゃホンダ+若造セナにポイントで負けたしな
しかも全戦ポイントルールだし 事故の結果
willのマシンがドライバーフレンドリーになったと思うんだ >>266
ヒルはその後も乗りにくいと言ってたんじゃなかったかな? ヒルが乗りにくいと言っててスタッフが聞き入れなかったところマンセルがヒルの言うとおりにしろって言ったんじゃなかった? FW17のリアサスはFW16のままで後期型で変更でしょ 乗りにくかったんだろうな 面白い 天性のスピード野郎のマンセル プロスト&セナから学んだヒル
チームを掌握した方が勝つだろう 宇野壽倫(葛飾区青戸6)の告発
宇野壽倫「文句があったらいつでも俺にサリンをかけに来やがれっ!! そんな野郎は俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150224 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています